廻る糸車、西施像奇譚 その10
このお話はフィクションです
その30
三郎九朗が、あれほど綿密に、計画を立てて行った、犯行でしたが、実際には大きな穴が、空いておりました。
彼は、角福質店の、通いの番頭の存在を、全く計算に入れていませんでした。
明くる朝、角福質店へ出勤してきた通いの番頭、米蔵は腰が抜けるほどびっくりしました。
家の中一杯に、死臭が漂い、慌てて覗いた、住み込みの男達の部屋では、男の使用人が三人とも頭を並べて、息絶えておりました。
身体には、血まみれの布団が掛けられ、顔には座布団を被せられて、亡くなっていました。
慌てて、女中や、奥さん、旦那様を大声で呼びましたが、その呼び声が天井に跳ね返って戻ってくるだけで、呼び声に応じて、返事が返ってくる事はありませんでした。
恐ろしくて、その場にいる事も出来なくなった米蔵は、直ぐに自身番(じしんばん=町人地警備のために設けられた場所)に駆け込み、助けを求めました。
しばらく後、やってきた同心(どうしん=主に警備の任務についた下級役人)と目明し(めあかし=同心の配下で犯罪捜査のために働いた者)も、殺しの現場の、あまりの凄惨さに、息をのみました。
自分達だけでは手に負えないと思った彼等は、指揮を仰ぐために、慌てて、手下を走らせ、上役である与力を呼び寄せました。
同心とその配下の目明しとを、引き連れてやってきた与力は、彼らと一緒に各部屋を回って、丹念に調べていきました。
犯行の状況を調べ、動機や証拠物件に結びつく物、犯人の検挙に役立ちそうなものを、一つ一つ丹念に集めていきました。
これまで、沢山の、犯行現場を見てきた彼らでも、これほど凄惨な殺人現場は、あまり経験した事がなかったほどでした。
特に主人福造の殺され方は酷く、布団に丸められていた彼の姿は、無数の刺し傷によって、顔や、身体の形が変わってしまっていたほどでした。
家の中をあらかた調べ終わった、与力達の一行は、やがて、番頭の米蔵を連れて、自身番へと引き上げて行きました。
その31
自身番に着くと直ぐ、番頭米蔵への訊問(じんもん)が始りました。
「ところで、あの押し込みは、単なるお金目当ての犯行ではなく、あの残忍な殺し方から考えると、同時に、あの家に相当強い恨みを持った者の仕業と思われる。
しかも、家の中の事を、あれほど良く知っているという事や、家の中の人間を一人残らず殺していったところからみると、そいつは、この家の者の、顔見知りだった奴の仕業に違いない。
前に勤めていた奴か、この家に居候していたやつ、この家の者と親しくしていて、この家に、かなり自由に出入りしていた奴達の中に、主人を恨んでいたり、お金に困っていたりして、このような事件を起こしそうな奴の心当たりはおらんか?」
与力が後から連れてきた、年配のほうの同心がまず口を切りました。
「さー?」
米蔵は、凄惨な殺人現場に立ち合わされ、その凄惨さに震え上がってしまっていて、まだ、まともに考える事も出来ない状態でした。
彼は震えながら首を傾げているだけでした。
どうも、聞かれている言葉も、耳を通り抜けてしまっていて、その意味さえ、理解できていない様子でした。
「番頭さん、まずお水を飲んで、気を落ちつけたらどうかね。
怖かったろうねー。
私らでさえも、まともに見ておられんくらい、酷い現場だったんだから。
素人のあんたが驚くのは当たり前だわ。
もう少し落ち着くまで待って上げるから、水でも飲んで、大きく息を吸ったり吐いたりしていらっしゃい。
これからあのお方がお訊ねになるけど、別にあんたを疑って訊かれる(きく=尋ねる)わけでも、あんたを、責めて言われるわけでもないからね。
犯人を捕まえる手掛かりになるものを探すために、訊かれるだけだから、怖がらなくても良いし、心配しなくても良いんだからね。
訊かれたら、あんたが知っている事を、きちんと答えてくれたら、其れで良いんだよ」と、最初に現場にやってきた方の同心が、優しく、宥める(なだめる)ように言います。
「そう言えば、三郎九朗という使用人が、一年半くらい前、お店のお金をくすねて、このお店を辞めさせられております。
そいつ、旦那さんに首になった事を、酷く恨んでいましたから、あいつなら、こういう事をやるかもしれません。
もともと短気で、気が荒く、怒ると何をするか、分からんようなところのある奴でしたから」しばらく考えていた、番頭の米蔵は、同心が先に聞いたのと同じ質問に、やっと答えました。
「他に思い当たる者はおらんか」
「ハイ、今のところ、他には思い当たりません。
何しろうちの旦那様は、こんな仕事をしていらっしゃる割に、とてもお優しい方で、人から恨まれるような事は、あまりありませんから。
お金を借りに来たお方に対してだって、あまり阿漕(あこぎ=図々しい)な事をする事が、出来ないようなお方でした。
だから、信用があって、皆さんが、御贔屓にしてくださっていたのです」
「フーン、そうするとそやつが一番疑わしいな。
所でそいつは、今どこにいて何をしているか分からんか」
「さあ、はっきりとは分かりません。
何でも、うちを辞めさせられた後は、無頼の徒とつるんで、悪さに耽っていると言う事を、風の便りに聞いてはいますが。
よって私どもでは、あいつがどこに住んでいるか等、知る由もありません。
あいつがまだ、この町にいるとしたら、どこかの博打場で、とぐろをまいているんではないでしょうか」
「さようか。
ひとまず、そいつを手配する事にしよう。
直ぐに手配書を作りたいから、番頭さん、お取り込み中で大変だろうけれど、あんたも、そいつの人相書き作るの、助けてくれ」
「そいつの、生まれた所だとか、本名、通称、背丈、年齢、身体の特徴なんかも、人相書きには、記さなければならんから、知っておる限りでいいけど、なるべく詳しく、それらを、人相書き作る奴に教えてやって」
「今すぐでは、分からんようなら、後で店に帰って、口入屋(くちいれや=人材斡旋業者)の請け書等を調べてからで、良いからな」
「ところで、今度の犯行、そいつ一人でやった事とは、とても思えん。
ついていた足跡だとか、殺しの手口なんかから見た所、少なくとも3人以上の仕業と思われるが、そいつと、いつもつるんでいた奴らの事について、なにか聞いとらんか」と同心が続けます。
「さあ、あいつがお店のお金をくすねていた事が知れるまでは、あいつが、そんな事をする奴だとは、私等、誰も思っていませんでした。
だから、知りません。
しかし、ここを辞めさせられた後、この町の、あちこちの賭場に顔を出していたという噂でしたから、そちらでお調べになったら、今度の事のお仲間になった奴の顔ぶれが、分かるんじゃないでしょうか。
どうかそちらの方を、お調べください」と番頭。
「分かった。その事に付いては、そうするとしよう。
もう一つ聞きたいのだが、御主人の寝ていた部屋の畳が上げられ、甕(かめ)が傍に置かれていたが、あれの中には、何が入っていたのか、お前は知っているか」
「そう言う事は、旦那様も、お話になりませんので、私らみたいな使用人は誰も知りません」
「そうか、番頭さんでも知らなんだという事か。
どうも様子からみると、近くに、切り餅の紙が(註:切り餅・・・一分銀100枚・小判にして25両に相当・・・を方形の紙に包んでもの、形が似ていることからきた名称。その後、小判で、25両包んである物もさすようになった)散らばっていたから、中にはお金が入っていたと思われるが、それじゃー、甕の中に,幾らくらい入っていたか、無論、あんたには、分からんわなー」
「ハイ存じません。
あの殺され方は、夜中に旦那様がお金を勘定していらっしゃった時に、殺されなさったということでしょうか」
「いや、そうじゃない。寝ていて、気配に気付いたご主人が、寝床から起き上がろうとした所を襲われたんだと思う。
あの状況から考えるとね。
その上、あやつら、他を物色することもなく、あの部屋だけを狙って、入った所から察するに、あそこにお金がある事を、予め(あらかじめ)知っている奴の仕業に違いない。
番頭さんのあんたでも知らんような事を、どうして三郎九朗は知っていたんだろう?」
「さあ、分かりません。でもあいつの事だから、どこかで盗み見していたんじゃありませんか。
そう言えば、あいつ、時々夜中に、家の中を歩き回っている事があったそうでございます」
「でもあいつがそんなやつだとは誰も思ってもみませんでしたから、夜中に歩きまわっているのを不審に思っても、『見回りをしてきたところだ』と言われると、皆、それを、信じてしまっていましたから」
「ところで、床の間には、何も掛かっていなかったが、御主人は、そう言う事には無関心、無趣味なお方だったのかな」
「いいえ、決してそう言うお方ではありません。質草として色々な物を預かります関係で、骨董の類が大好きで、そちらの造詣(ぞうけい)も大変に深い方でございました。
昨晩は確か、御旗本・本多正輝様から、お預かりしていた、曾不興の手になる、西施像の軸が掛けられていたはずでございますが。
しかし、その軸は、旗本・本多家の御家宝ともいうべきお品だとのことでございましたから、一旦おかけになった後、すぐに蔵の方へお返しになったのかもしれません。
これから、お店に帰って、すぐに探してみますから、しばらくお待ちください」
「ところで、お調べの方は、もうこれでよろしいでしょうか。よろしければ、お店の方の始末もございますので、これで帰らせて頂きたいのですが」と断り、許しが出ると、慌てて店に、帰っていきました。
続く