No.188 廻る糸車、西施像奇譚 その9

このお話はフィクションです

その28

「いよいよ、江戸を退散しなければなない日が迫ってきているというのに、お前さん、さっきから見ているに、負けてばかりだったのと違うか。
あれでは、有り金の殆どを、すってしまったんじゃないの?
そんな状態で、お前さん、明日から、どうやって生きて行くつもりだ?
このままじゃー、江戸から出た途端に、飢え死にするか、野垂れ死にするかしか道が残ってないんじゃーないのか?」
と銀次が囁きます。
「そう、だからさっきから考えこんでいるのさ。このままだったら、あんたらの言うとおり、野垂れ死にするしかないんだから。
「くそ―。お上の野郎め、あんな御触れを出しゃーがって。お上は、俺達みたいな者は、死んだって、構わないとでも、思っているんやろか。
もう、こうなりゃー、ヤケクソ。いっそ、押し込み強盗にでも、入ってやろうか。
それとも幸せそうな奴を見つけて、そいつと刺し違えて(自分が死んでもいいから相手も殺すこと)死んだろかな」と勘助が危険な言葉を吐きながら、息巻きます。
でもその表情からは、まんざら、口先だけではなさそうな狂気が伺えます。
「ばかばかしい。息巻いていたって、どうなるもんでもあるまいて。
それほど怒っておるんやったら、その怒りを、一稼ぎする方に、ぶつけなよ」と三郎九朗。
「そりゃー、出来たら、俺だって、そうしたいわさ。でも何にも、思い浮かばんもんだから、荒れとるんやが。
あんたら、なんか良い知恵でも、あるというんか」と勘助。
「お前さん、さっき、押し込み強盗にでも入ったろか、なんて言っとったわな-。
今は、江戸の町ん中も、浪人達が集まって、やれ、勤皇(きんのう)だ、佐幕(さばく)だとか、やれ攘夷(じょうい)だ、開国だと言って騒いでいる時代。
だから江戸の治安だって、手薄になっているに違いないと思わんや(思わないか)。
その上、今度のお触れによって、身元のしっかりしておらん人間は皆、一斉に、江戸から放り出されようとしているんだぜ。
そうなりゃー、関所だって、大甘になっているに違いないわなー。
だから、おまえさんの言うとおり、押し込み強盗のような、少々手荒な仕事をやったって、やったその日のうちに、江戸から離れてしまやー、上手い事、逃げおおせられるんと違うか。
そこでこれからが、相談なんやけど、わいが、前に勤めとった、質屋角福に押し入るというのはどうやろ?
どう、あんたら、一口乗らんかね?
わい、つい先だってまで、あそこで、働いておったんだわ。
だから、あそこの家の中の事は、よう分かっとる。
何処に、お宝が隠してあるかと言う事も、こっそり店の中に入る手口も、そして夜には、何人、家の中にいて、誰がどの部屋で寝ているか、などという事もみんな分かっとる。
だからあそこなら、簡単に押し入れるし、うまいこといったら、沢山のお宝を手に入れることだって、夢じゃないぜ」と三郎九朗。
「そりゃー、面白そう。だけど,あんたは、面が割れとるやろ。誰かに見られたら、ヤバいんと違うか」とお役者銀次。
「だからあんたらを、誘っとるんだがね。
もし顔を見られて騒がれでもしたら、煩わしいから(わずらわしい)、後腐れのないように、その夜、家にいる奴は、一人残らず、全部やってしまう(殺して終うの意)計画なんや。
そうしておきゃー、誰かが、それに気付くまでには、かなりの時間があるやろ。
だからその前に、上手い事、江戸から出てしまやー、簡単に、逃げおおせられるんじゃないやろか。
その上、中にいたものを皆殺しにしておきゃー、犯人の手掛かりだって、そう簡単には掴めんやろ。
そうなりゃー、わいらは安泰という訳や」
「女子供まで殺してしまうというのはなー。それって、ちょっと惨過ぎ(むごい)んか」と気の弱い銀次は、すこし尻ごみ気味に言います。
「銀次兄さんは女に甘すぎ。こういった場合、一番怖いのは、面が割れる事ですぜ。
人相書きでも作られようもんなら、江戸の町を、二度と拝めんようになるんだぜ。
毒を食らわば皿まで(ことわざ:悪事に手を染めた以上は、それに徹しようという事のたとえ)。こんなことをする以上は、跡が残らんように、徹底的にやっとかにゃー。
さもないと、こちとらの身が危なう、なりますぜ。
下手に情けをかけてやったために、三尺高い木の上に曝される(刑場で曝し首になること)なんて、わいは、真っ平ごめんですぜ」と三郎九朗。
「そりゃー、そうやけど、勘助、お前はどう思う」と銀次はまだ決めかねているようで、口籠るような口調でいいます。
「俺?俺なら、最近、ずっと、むしゃくしゃしていた所だから、三郎九朗の言う通りでいいよ。
人間をグシャ、グシャと刺し殺してやったら、さぞ気持ちが良いだろうな。
楽しみだな。
銀次兄さんの言うような、女子供に情けを掛けてやる必要なんか、ない、ない。
あいつら、俺らみたいな貧乏人のこと、毛虫でも見るような目で、いつも見てやーがったんだぜ」と勘助。
「わいが、この3人で組もうと思った最大の理由(わけ)は、わい等はお互い、どこの馬の骨かという事も、何をやっていて、何処に住んでいるかという事も、お互い、全く知らん仲だからなんやわ。
この3人のうちの、誰かが万一捕まったとしても、そいつを手がかりにして、他の者にまで累が及ぶ(るいがおよぶ:他人の災いが自分にふりかかる事)心配がないんやから。
だから、今度の仕事が終わったら、もうお互い、赤の他人。
これから後は、何があっても二度と連絡を取らんようにしような。
では明晩この刻までに、ここに集まってくれ。段取りは、その時迄に、付けておくから」と三郎九朗。

その29

三人が押し入った質屋角福の家では、真夜中にそんな事が起こるとは、夢にも思っていませんでした。
だから皆、無警戒に、ぐっすり寝込んでおりました。
三人は、押し入った後、直ぐに、お金を物色するような事はしませんでした。彼等はまず、家の中にいる者を全員殺すことから取りかかりました。
最初に使用人部屋で寝ていた三人の男の殺害から始め、次は二人の女中、そして奥さんと子供という順序で殺して行きました。
何処で知恵をつけてきたのか、殺し方も手慣れたものでした。部屋に入るなり、まず声を出さないように、座布団で口を覆い、次いで、掛かっている布団の上から、殺す相手の身体に馬乗りになって押さえつけ、返り血を浴びないようにと、布団の上から胸のあたりを刺すというやり方で、一瞬のうちに殺してしまいました。
三人同じ部屋に、寝ていた男の使用人達の殺害の時は、その中の誰か一人にでも気付かれ、騒がれようものなら、厄介です。
そこで勘助達三人は、それぞれ一人が、一人の使用人殺害を分担するという方法で、三人一緒に、同時に殺すという方法をとりました。
次は女中部屋の二人の女中、次いで、奥さんと子供、という順で殺していきましたが、
奥さん達の部屋に入った時、奥さんの横に、抱かれて寝ていた、まだ5歳に満たないような、幼い女の子を殺す時には、気の弱いところのある銀次は、一瞬殺すのを躊躇って(ためらう)手を出すのを止めてしまいました。
しかし三郎九朗はそんな事に、何の躊躇いも見せませんでした。
三郎九朗は、一瞬、躊躇の色を見せていた銀次に、顎をしゃくって、奥さんの方を、殺すように指示すると、自分の方は、情け容赦なく、その子を、母親の傍から引き離し、その子がまだ、夢路から覚めやらぬ間に、絞め殺してしまいました。
最後に、三人は座敷で眠っている、主人の部屋を襲いました。さすが主人は、家の中の異様な気配に気付いておりました。だから、彼等が部屋に侵入した時には、襖をあけるその音に反応して、直ぐに、布団の上に起き上がろうとしました。
でもそれより早く三人は、かねての打ち合わせ通り、銀次と勘助が、ふたりがかりで飛びかかって、布団を頭から被せて、抑え込み、三郎九朗が、暴れる福造を、布団の上から、滅多刺しに刺して、殺しました。
この時は大変でした。
福造が暴れるので、なかなか思い通り急所を刺す事が出来ず、完全に殺してしまう迄には、数えきれないほど何回も何回も刺さねばなりませんでした。
その度に悲鳴を上げては跳び上がり、喚き(わめき)、泣きながら力一杯暴れましたから、抑えている方も、刺す方も、大変でした。銀次などは、抑えているうちに、気分が悪くなって、吐きそうになったほどでした。
しかし3人とも、この時はもう、この家の中には自分たち以外は、生きている者は、いなくなったと思っていましたから、3人は、被せられた布団の下で福造が、泣こうが、喚こうが(わめく)、暴れようが、それを気にする事もなく、黙々と殺しを遂行しました。
福造を殺し終えると、三郎九朗は、その汚れた手で、おもむろに福造の寝ていた布団の下の畳をめくり上げました。
そして床下に隠してあった甕(かめ)を取り出すや否や、中にはいっていたお金を数え始めました。
彼等は金を数え終ると、合わせて900両余、重さにしておよそ16キロ余の小判を3人で公平に分けました。
そして3人は、その分けられた3分の1の小判を抱えると、別々に、夜の暗闇の中へと消えて行きました。
彼等は、自分たちのした事を見ていた者など、誰もいないと思っていました。
所が、実際には、福造殺害の一部始終も、そして福造を殺した後の大胆な盗みの行動も、その全てを、憎々しげに、睨んでいた目が、床の間にあったのです。
それは、床の間に掛けられていた、軸に描かれている女の目でした。
女の目は、奇妙な光を発しながら、3人を、睨んでおりました。
勘助は、初めての押し込み強盗と殺しに、緊張し、舞い上がってしまっていましたから、周りを見ている余裕などありませんでした。
だから床の間に、画が掛かっている事すら気付いていませんでした。
後に、郡上山中で、道に迷って泊めてもらった時、あの奇妙な家で、床の間にかけられていた画を見ても、特に何も感じませんでした。
しかし、あの時、その家の床の間に掛かっていた女の人の画こそ、今、床の間にかかっていて、三人のする事をじっと睨んでいる、西施の姿が描かれている、画そのものでした。
三人が立ち去った後、家の中にはもう、動くものも、音を立てるものもなく、角福質店は、死の静けさともいうべき、奇妙な静寂に包まれておりました。
しかし三人が立ち去って、しばらく後、角福質店の中には、小さな灯りを揺らめかせながら忍び込んできた、人影がありました。
その人影は、迷う様子もなく、真直ぐに、福造の部屋に入ると、床の間に掛けてあった西施像の軸を下ろし、それを抱え、再び音もなく、闇の街へと消えていきました。
顔こそ見せませんでしたが、その華奢な身体付きと、やや女っぽい歩きぶりからすると、それは、お役者銀次だったに違いありません。
あれほど三郎九朗から、お金以外の物は、盗ってはならないと、きつく言われていたにもかかわらず、西施像の魅力に惑わされてしまった銀次の耳には、届かなかったようです。
銀次は、他の二人がこの家から去っていくのを待って、再び、その家に忍び込み、西施像を持ち去りました。

続く