マイナスとマイナスが合わさっても その4
この話はフィクションで、実在の人物、事件とは全く関係ありません。
その20
ところがそうは参りませんでした。暴力を振るっていた4人の供述から、彼女自身も以前に彼らの仲間だった事を知った警察は、傷の治り具合を見ながら、彼女からも詳しい供述を取りはじめました。彼女の家庭事情、中でも母親の生活態度が問題になりました。更には、私との関係についても、疑いを持ちました。警察は、私にも改めて事情聴取をしてきました。彼らは、私と茜との間に、男女関係があるのでないかと疑って、何度もしつこく、その点を問いただしました。近所のコンビニや、同じマンションの住人などからの聞き込みから、私のその頃の生活を知った警察は、二人の関係を、いかがわしいものときめつけ、ずいぶん失礼な態度で問いただしました。(こちらの僻み(やっかみ)かもしれませんが、いい年をして、年若(としわ)もいかない小娘相手に、いい思いをしやがってと言った態度が、その言葉の端々に窺われ(うかがわれ)ました。)警察は、茜と知り合った動機や,茜と知り合った頃の茜の生活、そして私のその頃の生活、茜についての私の感情、二人でいた時間の過ごし方などを、何度も何度も執拗(しつよう)に問いただしました。最初のうちは、私が何を言っても信じてくれませんでした。警察の言い分では、
「そういう可哀想な子を見た時、見て見ぬ振りをして放っておくのが普通である。そういう子に、何かしてやろうとする奇特な人がでてきたとしても、せいぜい児童相談所か民生委員に相談してくれる程度である。それを身内でもない男が、積極的に援助しようとするのはどう考えても解せない(げせない)。こういうところでは言えない、不純な動機が、あったからではないか。まして男一人で住んでいる家へ、そういう曰く(いわく)のある子を、毎日遊びにこさせ、二人だけで時間を過ごしていたのは、どう考えても非常識で、疑わしい。」
と言うのです。
私はこれまで述べてきたような、その時の自分の境遇、心情、茜を引き受けようと思うようになった経緯、茜に対する自分の感情の変化、茜と一緒にいた間の時間の過ごしたかたについて説明し、私の行動はあくまで善意に基づくものである事を強調しました。しかし何の縁もない子供に、お金まで与えていることが、なかなか理解していただけませんでした。警察はあくまで青少年健全育成条例違反(淫行)か、児童買春ポルノ禁止法違反として立件しようとしているように思えました。私は茜が、私のところに来るようになったことで、居場所が見つかり、いかがわしい場所に出入りしなくなっただけでなく、それによって、素行(そこう)も収まり、成績も向上してきていることを強調したのですが、なかなか聞き入れてくれません。お金を出してやっていたのは、いかがわしい行為をした代償ではないかと、執拗(しつよう)に繰り返し訊ね(たずね)ました。しかし最後は、何度聞いても、私の言い分は変わらなかった事、茜からも、そのようないかがわしい関係の供述は得られなかったこと、学校への問い合わせにより、私の所へ来るようになった頃より、素行が修まり、成績も向上したことを証明されたことなどにより、警察も私の立件を諦め(あきらめ)、放免(ほうめん)してくれました。
しかし茜に家事を手伝ってもらった代償として、お金を与えていたことが、労働基準法違反だとして、きついお灸を据え(すえ)られるという、おまけつきでした。(中学生をアルバイトに使用することは、原則禁止されているそうです。もし働かせるとしたら、行政官庁の許可が要るそうです。しかもその許可を得るには、その届出には親権者または後見人の許可と学校長の証明が必要だそうで、実際問題として、とても困難だそうです。)(私としては善意でしていたことで、小遣いとして与えては、彼女の心の負担になるであろうと思って、便宜的に、アルバイト賃として支払っていたのに過ぎなかったのですが、こういう段になると、警察の解釈は杓子定規(しゃくしじょうぎ)的で、そういう言い分は認めてくれませんでした。)
その21
茜の方はもっと大変でした。彼女に暴力を振るって捕まった連中が、彼女が一緒にしていた以前の悪事を、詳細に陳述したものですから、暴力事件も仲間割れとしかみられず、彼女自身も、非行少年として、病院からの退院を待って、警察からの本格的な取調べを受けることになってしまいました。しかも茜のそれまでの供述や、母親の取調べから、彼女の家庭環境、中でも母親の常軌を逸した(じょうきをいっした)行動や考え方、生活態度が問題になり、児童相談所の判断で、病院から退院しても直ぐには家庭には戻さず、取調べが終わって、処遇が決まるまでの間、児童相談所の一時保護施設へ収容される事に決まってしまいました。
私としては、できれば、私の家での保護預かりにしてほしかったのですが、先ほども申しましたように、私が独身である事、無職であること、しかも未だ青少年育成条例違反や、少女買春ポルノ禁止法違反の容疑が完全には晴れていないことなどから、それは許されませんでした。せっかくここまで立ち直り、普通の社会に慣れ親しんできた彼女を、そこから隔離し、そのような施設に預ける事は、彼女の精神面に却って悪い影響をあたえるのでないかと心配で、弁護士を通していろいろ働きかけてみたのですが、他に預かってくれる縁者とてなく、母親があのような人間である以上、どうしようもなかったのです。
その22
いよいよ退院という前の晩、そのことを知った茜は、がっかりしたようでした。彼女は退院したら、母親がどんなに反対しても、私の家に下宿させてもらい、そこから学校に通う心算でした。見舞いに行った私を捕まえて、
「おっちゃん、ごめんな。あの時は、うちどうかしていたわ。おかんの事考えると,頭ん中が真っ白になってしまって。今度からは、ああいうこと起こさないように、おっちゃんの所に、下宿させてもらう事にするわ。良い?よろしく頼むね。」
と言っていました。それが一時的とはいえ、児童保護施設に入所という事になったのですから、ショックだったようです。一時保護施設というのは、非行或いはぐ犯少年が、処遇の決まるまでの間、一時預けられる場所と説明されても、その時の私たちには、そこがどんな施設で、どんな子供が入っていて、そこに入った子供達がどんな風に扱われているのか、想像も付きませんでしたから、とても不安でした。
「おっちゃんは、いろいろ言ってくれてたけど、そんなもん、皆、奇麗事やったやんか。うちらみたいに、いっぺん汚れてしまったもんは、やっぱ、もう、いまさら何をやったって、どうにもならへんという事やなー。勉強かて、そんな所に入ったら、もう続けられへんかもしれんし。」
「受験も、内申書が悪くなるから、まともなとこは入れてくれへんやろしなー。」
「もし直ぐに学校に戻れるようになっても、そんなとこに、入とった聞いたら、怖がって、誰も近づいてこんやろなー。又一人ぼっちになるのかー。」
「おっちゃんとだって、会わせてもらえんように、なるかもしれんと、察がいっとったし。」
とすすり泣く茜を見ていると、可哀想で、私の胸も潰れそうでした。このような警察の決定は不合理だと思いました。こんな青少年事件は、その子の幸せと、厚生を第一義に考えられるべきであるのに、せっかく更生してきて、精神的にも落ち着き、未来に希望を持つようになってきたところを、一年も前の事件を理由に、今までの環境を断ち切って、そんな施設に収容するというのは、今までの全ての苦労をぶち壊し、厚生の芽を全て摘み取るものだとしか思えませんでした。また以前のように、自暴自棄になって、悪い仲間の中に入って行くかも知れない、或いは、感受性の豊かな子だから、絶望して、自分で命を絶つのではないかと思うと、気が気でありませんでした。私は彼女にできるだけのことをすることを約束しました。そもそも今回の件、悪いのは、彼女の生まれ育った環境であり、そのようにせざるを得なくさせていった、母親であって、彼女は単なる被害者でしかないからです。
「小父さんも、できるだけの事をするから、これでくじけちゃ駄目だよ。これからだって、人生、辛い事が一杯に起こってくるかもしれないけど、そのたびに自棄(やけ)になったり、落ち込んでいたりしても、どうにもならないでしょ。何があっても、何処にいなければならなくなったとしても、小父さんは、いつでもあんたの事を、気にかけ心配しているから。あんたも絶対に挫けたらいかん。最後にあんたが帰ってこれる家は、小父さんの所やから。あんたはもう家の娘やと思っているからね。」
と力づけるのでしたが、そういう私自身が,茜の今後の事を思うと、不安でたまりませんでした。友人の弁護士の話では、普通の家庭の子だったら、非行を働いていた時期が、まだ14歳未満であった事や、環境に情状を酌量する余地が大きい事、他の悪達の下でやらされていた従犯である事、もう既に更正してきている事などなどから、せいぜい児童相談所に送致されるくらいで、身柄はそのまま、親元に帰される事になるのでしょうが、何しろ親があんなどうしようもない母親ですし、それに代わる、しっかりした保護者もいない現状から考えると、“ぐ犯少年”(家庭環境、交友関係、性癖などから将来、犯罪を犯す可能性のある少年を指すそうです)として家庭裁判所に送られる可能性が強いだろうとの事でした。私自身は,茜と、法的に何の関係もなく、取調べや審判に立ち会ってやることができませんから、友人の弁護士に頼んで、取調べにも付き添い人として、立ち会ってもらうことにしました。これによって、私(中道)が何時でも茜を見守っていると言う事を示して、力づけてやると共に、警察のほうには、このような非行を働かざるを得なかった理由も勘案の上、なるべく今の環境に近い所で、普通の生活ができるよう、配慮してもらえるよう、働きかけました。
その23
しかし結果は弁護士の予想通りで、茜は一時保護預かり所に収容されたまま、家庭裁判所に送致されることになりました。弁護士が茜に、その決定を伝えに行った日、私も一緒に連れて行っていただきましたが、一時保護所は、私たちが想像していた所とは全く違っていました。収容されている子供たちは、非行が原因の子供達だけではなく、不幸な環境のために、行き先がなく、一時的に保護されているといった子供達も、沢山に入っていました。先生方はみんな親切で、居心地も悪くなく、勉強も、中の先生が見てくれているとかで、茜は思ったより元気にしていました。茜はもう、
「この後、こういう所に、居なければならなくなると、いうのなら、それは、それで良いよ。」
と自分の運命に従順に、現況を受け入れているようでした。これは彼女が受けてきた長い逆境がもたらした、彼女の生きていく上での知恵のように思われ、とても哀れに思えました。
家庭裁判所では、処分が決まる前に、調査官による調査がありました。本人や、母親に対する面接だけでなく、準保護者として、私(中道)に対しても行われました。担当調査官は、彼女がそのような事件を起こすに至った原因を探し、茜の更正のための対処法を探してくれているようでした。茜にたいしては、事件を起こしていた頃の彼女の様子だけでなく、そういうことをせざるを得なかった理由、生い立ち、母親との関係、母親の生活態度、母親に抱いている感情、学校の事、友達の事、そして私との関係、茜が私に抱いている感情など、いろいろと尋ねたようです。私に対しても茜との関係、出会い、茜の生活に立ち入るようになった理由、茜に対して抱いている私の感情、私が彼女の立ちだ直りのために努力した内容などを尋ねました。裁判所の調査官は警官とは違って、私の言うことを、素直に信じてくれたようでした。他にも、学校での茜の行状や成績、心理検査、一時保護施設にいたときの生活態度などの調査をおこなったようでした。
こうして出た、家庭裁判所の決定は、審判不開始でした。即ち調査の結果、非行の大きな責任は母親にあり、茜自身については、既に、充分に反省し、立ち直ってきているから、審判をする必要がないというものでした。ただ母親には大いに問題があるから、この少女の、今後のために、環境を整えてやる、お手伝いを、してやって欲しいという事で、児童相談所のほうに廻されました。
その24
児童相談所の担当ケース・ワーカーはとても親切でした。茜のことを親身になって同情し、考えてくれているようでした。これからの処遇についても、児童相談所の考えを一方的に押し付けるのでなくて、茜本人や,茜の事を心配している、周りの私たちの意見も聞きながら、納得のいくように、決めていってくれました。ただ絶対条件は、ああいった、とんでもない母親だから、母親のいる環境からは、絶対に離す必要があるということだけでした。茜は、せっかく友人もできだしたことですし、出来れば、私の家から同じ中学校に通うことにして欲しいと申し述べましたが、ケース・ワーカーの意見では、
「こういう事態になった以上、もし同じ中学校に通ったとしても、こういった事件の噂は何処からともなく、洩れ伝わっているものだから、学校へいっても、皆から好奇の目で見られ、辛い目に合うだけかもしれない。したがって思い切って新天地で、新しい友人関係を作った方がいいのではないか。」
「茜さんがいっているような、母親に近い、この場所からの通学という事になると、ああいうことを、平気で娘にやらせようとするような人のことだから、今後どんな形で貴女の生活に干渉してくることになるかも分からない。だから少し離れた場所に移ったほうが、良いのではないか。」
「通勤学の途中で、男と一緒に、暴力的に、貴女を連れ戻そうとするという事だって、無いとは言えませんし。」
ということでした。ケース・ワーカーは,私からも意見を聞いてくれました。私がこれまで茜のためにしてきたことを、本当に善意に基づくものだと認めてくれているようでした。私は
「今は中学三年で、受験生にとっては、一番大切な時期ですが、こんな時期に学校を変わって、ほんとうに大丈夫でしょうか。もし進学に差し支えるということなら、せっかく学校にも慣れ、友人も出来、勉強も乗ってきててきていることですから、今のまま、ここに下宿させ、私が家庭教師しながら、ここから通学させたいのですが。」
と言ってみました。
それに対しケース・ワーカーは、
「私どももその事も考えないではありませんでしたが、先ほど茜さんにも申しましたような、母親の行動に対する危惧、そして家庭裁判所での茜さんの心理テストの結果などから、やはり別の場所から通学させたほうが良いのではないかと考えています。」
との事でした。
何でも家庭裁判所の心理テストによりますと、
「茜の私に対する思慕の中には、恋愛に近い感情が強く含まれていたそうで、茜がもう少し生成長し、成熟した、大人としての、冷静な判断が下せるようになるまで、私からも、すこし距離をとらせたほうが良いのではないか。」
という結論になっているとのことでした。従って、
「茜さんの心の、健全な発達のために、できれば施設に入ることを、了承し、快く送り出してやって欲しい。」
といわれます。
なお児童養護施設がどういうところで、どういう子供たちが入っているか、そこでの生活はどのようなものであるかという事についても、懇切丁寧に説明してくれました。
こうして茜は、彼女も納得の上、児童養護施設に入所し、そこからその学区内にある、新しい中学校に通学する事に決まりました。
その24
児童養護施設は、親のいない子供や、いろいろな事情で、親が子供を養育できないために預けられた子供、虐待を受けていた子供などなどが入所している所で,茜に似た環境に育ってきた子供たちが沢山入っていました。ここは非行を矯正する施設というより、そのような不幸を背負った子供たちを養護し、その自立を支援する事を目的とする施設ですから、規則はありますが、比較的自由です。茜に対しても、外泊こそ認められませんが、会いに行く事や、休日に私のところに訪問する事は許可されております。集団生活の中の茜は結構世話好きで、小さな子供たちの面倒をよく見、幼い子供たちから、慕われているという事でした。施設では躾もきちんとしてくださるので、茜にそれまで欠けていた礼儀作法とか言葉遣いなども覚え、とてもよかったと思います。環境が変わることによって落ちるのではないかと心配した学校の成績の方も、私が助けてやるまでも無く、茜一人の頑張りで、常時クラスでも上位に位置するようになり、県立高校に入学することが出来、ここから高校にも通わせていただいております。ありがたい事に、着るものも、教科書も、食費も全て公費で賄われておりますから、進学のための参考書代とか、予備校の授業料以外に、お金の心配をする必要もありません。誰からも金銭的な恩義を感じる必要の少なくなった茜は、今こそ、本当の意味での自由、精神的な自由を獲得しました。彼女は自立心が強い子ですから、人の援助を受ける事に、多少、精神的な負担があったようです。この施設に入所し、自分以外にも不幸な境遇の子が沢山にいることを知った茜は、人の心の痛みの分かる本当に心優しい子に育ってきました。
私との関係は、施設に入所した当初は、あれほど寂しがって毎休日ごとに、やってきていたのに、最近では一ヶ月に一、二回になりました。高校二年になった彼女は、部活に、ボランティア活動に、予備校にと、毎週末、忙しいようです。私としましては、とても寂しいことですが、自分の子供でも、ある時期が来れば、自立して親から離れていくわけですから、茜も、これでやっと精神的にも、自立の道を歩み始めたのだと思って、喜ぶようにしております。
誰の心の中にもスーッと入っていける特技を持った茜は、今では友達も沢山に出来、しかも世話好きで、世慣れた所のある茜は、どこにいてもいつの間にかそこの、中心的存在となってやっているようです。中学生の頃は、スチュワーデスとか、空港アテンダント、ファッションモデルなどといった、華やかな職業に憧れていましたが、最近では、児童相談所のケース・ワーカーとか、臨床心理士、家庭裁判所の調査官、保母などといった職業に就いて、自分に似た境遇に苦しんでいる子供たちの、役に立ってやりたいと、言うようになっています。まだまだ高校二年生、今後どのように変わっていくか分かりませんが、そのように考えてくれるようになっただけでも、とても嬉しいことです。
私は、
「茜がどの道を選ぶにせよ、貴女の希望がかなうように、全面的に協力してやるつもりだから、お金も事は心配するな。」
と言っておるのですが、自立心の強い茜は、大学に通う費用は、できる限りアルバイトをして、まかなっていきたいと思っているようです。
しかし、実際問題として、若い女が、一人住まいをし、大学に通うという事は、並大抵の苦労ではないということが分かっているだけに、遠慮することなく、私を頼ってくれと何度も言っているのですが、茜には、そうすることに、抵抗があるようです。学費や生活費を稼ぐために、アルバイトに精を出しすぎて、肝心の勉学が疎かになって、結局大学を辞めてしまったとか、留年したとかいった例をよく見聞きしていますので、まだまだ先のことですが、心配でたまりません。最近頓に(とみに:急に)女らしくなってきただけに、金目になるアルバイトを探しているうちに、水商売に誘われて、身を持ち崩すのでないか、それも心配です。私の心配を他所に、茜は、
「大丈夫だよ。世の中の怖さ、厳しさは、小父さんより、よく知っているから、危ない事なんかに、絶対近づかないから。アルバイトだって、後ろに大蔵大臣が控えていると思って、無理しない程度にしか、しないつもりだから。取り越し苦労しないで。」
と笑い飛ばしますが、年をとったせいか、どうも何かと心配です。
だから、茜に会うといつの間にか、その話題が出てきて、
「茜ちゃんね、大学時代は、できる限り勉学に専念しておかないと、いいケース・ワーカーになれないんだから。」
とか、
「あんたが望んでいる職業は皆、殆ど公務員だから、大学できちんと勉強しておかないと、試験が通らないからね」
などという言葉が、口をついてでてきてしまいます。茜も、最近ではもう慣れてしまったのか、
「まだ大学にも受かっていないのに。もう。耳に胼胝(みみにたこ:同じことを何度も聞かされて聞き飽きること)。」
といって耳を塞ぐ真似をしながら、笑ってしまいます。
その25
私は、茜が児童養護施設に入った年の秋から、することもないままに、香奈や妻の菩提を弔うために、こうして歩き遍路をはじめました。春と秋の一年に二回、八十八箇所を歩いて回っておりますが、歩いても、歩いても、どんなに一生懸命にお参りしても、まだまだ、妻の許しが得られた気がいたしません。煩悩も断ち切れません。一時悟ったかと思う瞬間があっても、すぐその後から煩悩が絶え間なく起こってまいります。人間、なかなか涅槃の境地には達しれないものだと、つくづく思っております。ただ歩き遍路をしてみてよく分かったことは、人間一人では生きていけないものだという事です。命を繋ぐために、どれほどの人の世話になり、どれほど他の生き物の命を頂いているかわからないほどだと思うと、自分もこの余生を、漫然と生きていてはいけないのだと、思うようになりました。従って私は、こうして歩き遍路をしている間に受けた、お接待は、すべてお金に換算し直して、その合計額の二倍に相当するお金を、年金を節約したお金から捻出して、養護施設に寄付させていただいております。こうすることにより、お接待してくださった方の善意を生かさせていただくと同時に、私自身も、少しは誰かのお役に立っているのだという事を実感させていただきたいからです。
私、死ぬまでに、自分が、他の命から受けたお陰の、せめて何十分の一でもいいから、誰かに返したいと思っております。こんな思いが、いつか表に出てき、ある日遊びにきていた茜に、
「人は誰でも、一人で生きているわけじゃないんだなー。何時も、誰かに助けてもらって、生きている動物だと、最近つくづく思うんだよねー。だから、人の善意に基づく援助の申し出は、素直に受けた方が良いんじゃないかなー。力がない間は、それを受けておいて、力がついてきたら、その時返せばいいんだからさー。そうしようと思ったとき、もし援助してくれた人が居なくなってしまっていたら、別に援助してくれた人に直接返さなくても、同じように困っている人に帰返してやればいいのだよ。そうすれば世の中、助け合いの輪が広がって、もっと住みやすくなるんじゃないかとおもうんだけど。」
と言った事があります。すると茜は、
「でもねー、小父ちゃん、そんなこといっても、世話になった方は、出来れば世話をしてくれた人にも、直接返して、喜んでもらいたいと思っているものよ。だから小父さんも、私が大学を卒業して、ちゃんとした仕事に就くまでは、絶対に死なないで待っていてね。絶対早く死んじゃー駄目だよ。約束だよ。」
と言ってくれました。本当に嬉しい事を言ってくれます。
「うん、ありがとう。無論、小父さんも、茜ちゃんが、立派になった姿みたいから、それまで頑張っている心算だよ。もしほんとうに、あんたが、今、希望しているような仕事に、就くことが出来たら、そういう子たちが、少しでも救われるように、二人で、なんかやろうね。」
と答えましたが、涙が出て困りました。本当にいい子に育ってくれました。引き合わせてくれた妻と香奈に感謝しています。私は、私に、もし万一の事があった時に備えて,死後、全ての財産を茜が相続できるように、信託銀行に遺言信託してあります。
人は、
「そんな赤の他人にお金を渡して、どう使われるか、分からないのに。」
と言ってくれますが、私は、
「茜は学費として使った後、余分のお金が残れば、そのお金は、自分と同じような境遇の子を助けるために、きっと使ってくれるだろうと信じていますから、平気です。」
という事で、中道さんの長いお話は終りました。
その26--以後蛇足
数学の計算で言いますと、マイナスとマイナスが合わさってもマイナスにしかなりません。茜の場合、父親も母親も、マイナスですから、単純な加算なら、マイナスの子としてしか生まれなかったはずです。しかし茜はどう考えてもプラスの子です。それも、周りの人に幸せの光を運んでくる大きなプラスの子のように思われます。もしあの時、茜に会わなかったら、私は妻や香奈の死によって打ちのめされたままの、マイナスの人生で終わっていただろうと思います。それが茜の人生にかかわる事が出来たお陰で、大きくプラスへと変換する事が出来ました。ということは、子供の性格は両親の加算によって、形成される場合ばかりでなく、積算によってマイナスとマイナスとの組み合わせからでもプラスとして形成されて来る場合もあるというわけなのでしょうね。
そして、こうして本来はプラスの素因を持っているにもかかわらず、環境による強いマイナスの影響によって、初めに会った頃の茜のように、差し引き見かけ上は、マイナスとなってしまっている子供達がかなりいるのではないかとおもわれます。
最近の凶悪少年犯罪事件についての世間の風潮などを見ていますと、犯罪を起こすにいたった経緯、生い立ち、その子を取り巻く環境などを考慮することなく、一概に厳罰を求める傾向にありますが、少年を断罪する場合は、少年法立法の基本精神に立ち返って、短絡的に厳罰を与えるのではなく、その子供が罪を起こすにいたった要因、経緯、少年を取り巻く環境なども充分に考慮し、本当に厚生不可能な犯罪者かどうか、しばらく観察し、その後処遇を決定するくらいの慎重さが、必要ではないかと思うのですが、皆さんどう思おもわれますか。
おわり