マイナスとマイナスが合わさっても その3

マイナスとマイナスが合わさっても その1

マイナスとマイナスが合わさっても その2

この話はフィクションで、実在の人物、事件とは全く関係ありません。

その15

こうして私たち二人の奇妙な生活が始まりました。彼女は放課後になると、鞄を下げて嬉々としてやって来ては、手際よく家事を、片付けていくようになりました。小さいときから母親の代わりに家の仕事をしていたと見えて、とても手際良くやっていきました。休日とか、午前中授業のないときは、朝からやって来て、テレビをみたり、寝転んだりしてごろごろしていることもしばしばでした。彼女は殆ど毎日のように、私の家に来て、家事だけでなく、何かと私の世話もするようになりました。深酒は駄目だとか、散歩に行けとか、お風呂に入れ、着替えをきちんとしろ、タバコは止めろと、まるで小さなお嫁さんが来たかのような、口うるささです。でも一人で誰からも、かまってもらえなかった、それまでの孤独に比べれば、それもまんざら悪い気持ちではありませんでした。彼女は私のお酒の量も、タバコの本数も、勝手に決めて、一日に一定量以上には買ってきてくれませんでした。そのため、お酒の量も、タバコの量も自然に少なくなりました。足りなくなって、夜間、彼女がいない時を見計らって、コンビニに出かけて買い増してきたりしますと、次の日に来た時、茜は、真剣に怒り、取り上げてしまいます。しかしそうされても、娘に注意されているようで、悪い気持ちがしないのですから、不思議です。私は次第に正気でいるときが多くなり、読書や俳句、絵画といった趣味にふける時間を、取り戻してまいりました。

生活も今までよりかなり規則的になってきました。彼女が来る頃には、きちんとした服装に替え、起き上がって、何かをしているようになっていきました。彼女はとても寂しがりやで、おしゃべりでした。家に来たときは、仕事をしながら、のべつまくなしに(ひっきりなしに)話しかけてきます。彼女は、勉強は出来ないようでしたが、苦労してきたためか、世間的な知恵には、長(た)けていました。結構いろいろ考えているようで、物の見方もユニークでした。ただ生い立ちのせいか、どちらかというと世間の事を、斜めに見ているといった、偏っているところがあり、通常の世間的常識とはかけ離れておりました。
しかし彼女がその日に起こった事や感じた事、先生の噂話や、クラスメートの事などなどを、ペチャクチャと止め処なく話すのを聞いていますと、亡くなった妻が戻ってきたかのように、心が休まりました。私も彼女が来る事によって、救われたのです。変わりました。自分の殻(から)の中に閉じこもって、人嫌いになっていた私が、夏休み前頃には、彼女が来るのを、心待ちにするようになっていました。二人はいろいろな世間話をしました。

こういった時、二人の物事の捉え方の違いから、議論になってしまうこともしばしばありました。最初の頃はお互い遠慮していたのですが、その頃になると慣れてきて、本音で話すようになりましたから、本気で議論するようになっていました。茜に一般的な常識を身につけさせたいと思って、説得しようとするのですが、茜には茜の考えがあり、それを主張して、なかなか納得してくれませんでした。彼女には、自我がぶつかり合う現実の人間社会から、争いごとを少なくし、人と人との付き合いをスムーズにさせるためのルール、即ち、常識という共同体内での暗黙の了解事項が、納得できないようでした。彼女のように、人間社会からはみ出した所で生きて来た者にとっては、そんなものは邪魔で、幸せな人間達が決めた、勝手なルールとしか映らなかったのです。私はそれ以上に無理押しせず、私たちの生活になじんでもらうことにより、自然にそれを知ってもらう事にしました。茜はまた、学校の成績から、自分は頭が悪いから、どうしようもないと決め付け、自分を投げているような所がありました。

しかし私の見るところ、茜が思っているほど彼女は馬鹿とは思えません。記憶力など抜群です。買い物などさせても何処で何時、身につけたのか、きちんと計算でき、つり銭を間違えた事もありませんでした。世間的な知恵も、苦労してきたゆえか、同年代の子など比べ物にならないくらいに持っていますし、こういったことから、彼女が、やる気になってしっかり勉強しさえすれば、直ぐに、普通の子供くらいの程度なら追いつけるのではないかと思われました。

そこである日のこと、それは私のところに来るようになってざっと3ヶ月も経った時の事だったでしょうか、夏休み近くとかで、午後の授業がなく、お昼ごろに、もう家に来て、テレビを見てごろごろしている茜をつかまえて、きりだしてみました。
「あんた、この世の中を渡っていくには、せめて高校くらいは出とらんと、まともに生きていくのは難しいで。」
「面倒でも、少し勉強してみない?もしする気があるなら、小父さんが教えてやるけど。いやなら別に無理押しはしないけどね」
「面倒っちいな。いまさら、どうにもならんと思うけどなあ。」
「だってまだ、1年生が始まったばかりやで。これからでも、きちんと勉強すれば、そこらあたりの高校くらいなら、行けるようになるのと違う。」
「そんなもん、無理、無理。」
「第一、お金あらヘンもん。」
と彼女。
「高校に行っても、ここで今のようなアルバイトすれば。時間給も、いまより、少し上げてやるし、働く時間も、少し延長したら、やっていけるんと違う。それに奨学金だってあるし」
「入学の時の当座に入用なお金は、小父さんが、出世払いということで、一時、立て替えてあげるから。」
「うーん。いいけど、おっちゃんも、変わっているなー。赤の他人に。うちは、出世なんかせえへんで。何、狙とるんや。まあ、おっちゃんなら、一晩くらい、付き合ったってもいいけど。」
と茜。
「直ぐそういう方にもって行く。冗談でもそういうの聞くと、なんだか小父さん、悲しくなるなー。確かにあんたが今まで会ってきた男は、ろくなもん、おらなんだかも知れんけど、男も、そういう変な奴ばかりとは限らんで。そりゃ、小父さんだって、立派な事は言えんかもしれんが、あんた等みたいな子供に、どうこうする気は全然ないで。そんな奴は絶対に、許せんと思っている口やから。」
「気に障った(さわった)。ごめん。そんなの冗談やんか。だけど、おっちゃんはそう言うけど、野球選手やボクサーかて、あれ身体で稼いどるんやでー、頭のいい奴は、教授になったり、社長になったりして、頭で金を稼いどるやんか、女だけ、身体売ってお金稼いで。なんでいかんのや。若いからといってそういうことやったらいかんというのも分からんわ。うちらみたいな阿呆には、それしか、なんもあらへんのに。どうもよう分からん。」
と茜は言います。
「あんたが、もう少し大きくなって、世間の事が、もう少し分かるようになったら、その時、きちんと話すわ。それまでは、『小父さんはそういうものは、あんたが一番大切と思った人に出会う時までは、大事に取っておくものだと思っている。だからそういう風に、誰彼かまわずそういうことをさせて、自分で、自分を汚す(けがす)ような事を、してはいけないのだ。そういうことをすると、小父さんを悲しませる事になるのだから。』ということで、今日のところは、納得してくれる?今では、あんたの事、小父さんは身内のように思っているから、貴方が傷ついたと聞くと、自分の子供の事みたいに辛くなるんだよ。だから小父さんのところに顔を出してくれるつもりなら、絶対にそういうことをしないと約束してね。」
といってその話はそれで、打ち切ってしまいました。この時点ではまだ、彼女にこの話をしても、理解してもらって、納得させるのは難しいだろうと思ったからです。
「フーン。どうもよう分からんなー。でもおっちゃんが、嫌がるんなら、ちゃんと約束は守ったるでいいよ。だけど大人は狡いな(こすい)。負けそうになると、ちゃんと誤魔化すんやから。」
と茜は不服そうに口を尖らせていましたが、それ以上は何も言いませんでした。彼女はこの件について、もっと言いたいことが、いろいろあるようでした。

その16

簡単に引き受けましたが、中学1年生の茜の勉強を見てやることは、想像以上に大変な事でした。
茜の学力は、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても、小学校4年生以下です。国語の知識はひらがな、カタカナとほんの僅かな(わずかな)漢字を知っている程度ですし、本を読んでもらっても、ポツリポツリと字を拾っていく読み方ですから、読んでも、本の中身を充分理解することが出来ないといった有様でした。数学も、足し算、引き算は比較的出来るようですが、九九は、不正確です。従って分数の計算は無論のこと、掛け算、割り算もあまりできません。ただ不思議な事に、買い物の時の計算などは、暗算で速く正確にしますし、街でよく見かける看板や道標などの漢字は、比較的よく知っていました。私はそれまで子供に教えるなどという経験はありませんでした。従ってどのように教えたらいいのか、見当がつきませんでした。高校受験までの2年半くらいの間に、この子を合格できる程度の学力まで引っ張り上げなければならないことを思うと、その難しさに、ただただ溜息が出るばかりでした。
しかし焦っては駄目だと思いましたから、茜と相談して、学校での授業の進度とは関係なしの特別なカリキュラムに従って、やっていくことにしました。幸いな事に、学校の方は、それまで、出席したりしなかったりで、先生の関心を引かない、お客様の生徒でしたから、彼女が授業中、何をしていても誰も気にもしません。

問題はそれまで、長時間机の前に座っていた事のない茜を、一定時間、そこに縛り(しばり)付けておく事の難しさでした。最初のうちは、彼女の集中力は10分と持たないほどでした。何を勉強させても、10分も経たないうちに嫌になってしまって、他所(よそ)に気がいってしまいます。そして行き詰ると、
「自分はどうせ阿呆(あほ)だから、いくら、こんな事をしたって無駄だわ。」
と、直ぐに、諦めて投げ出して、言いたくれを言いだします。

家事をしている時や無駄話をしている時は、とても朗らかで、楽しそうですが、机に向わせると、青菜に塩、すぐに眉間(みけん)に縦縞が寄ってきて、元気がなくなり、今にもヒステリーを起こしそうになります。そして10分も経たないうちに、おしりがむずむずしだします。この子に勉強は無理かもしれないと、何度思ったことでしょう。しかし、これで挫けて、家に来なくなるのなら、それはそれで仕方がない。この子にはそれだけしか、運がなかったと思えばいいと、覚悟を決めていましたから、勉強の時はなるべく厳しく指導しました。彼女の将来を思うとき、ここが踏ん張りどころと思ったからです。

そうは申しましても、私の受験勉強の時代だって、油が乗って来ない時は、お尻がなかなか座らなかった経験もありましたから、最初のうちは彼女が飽きないように、10分くらいで、区切り、休憩を入れるとか、易しい問題を混ぜ合わせて、自信を付けさせるようにするとか、雑談の中に難しい言葉をわざと入れるとか、いろいろ工夫しました。
私の計画では、夏休みが終わるまでには、算数と国語くらいは、小学校4年くらいまでの学力をしっかりつけさせたいと思っていました。私自身も勉強しました。教育指導要綱などを買ってきて、小学校の6年卒業までに要求されている学力は、どの程度かを調べたり、それに応じての、テキスト、問題集を研究したりしました。まず取り組んだのは、計算力の強化と、本を読む習慣、読んだ本の内容を理解する力の養成でした。計算問題は私が毎日作り、それをさせました。最初は簡単な足し算引き算から始め、次第に桁(けた)数の多い数を、正確に、速く出来るように指導しました。
掛け算割り算は、まず九九の正確な暗誦から始め、次に無秩序に並べ替えてある九九を一定時間以内に正解させる訓練から始めました。九九の暗証は、私が母親にされたように、彼女が家事をしているときに、それをしながら暗記してもらい、私はそれを聞いていました。こういった計算問題は、短時間で区切る事が出来ますから,飽きが来ないうちに、休んだりでき、学ばせるには便利でした。問題は国語でした。生い立ちのせいもあって、知っている語彙(ごい)も少なく、本を読む習慣も殆ど持っていません。

従って教科書以外に、小学校低学年用の、絵本とか童話集などを、声を出して読んでもらうことにしました。買ってきた本には、全ての漢字に、予め振り仮名をつけておいて、読みやすくし、本に楽しんでもらう事から始めました。それからもう一つ、予め文章を主語、述語、目的語、接続詞、修飾語ないしは修飾句などによって、小節(しょうせつ)に区切っておいてやり、文章を読むとき、一つ一つの文字として拾うのでなく、意味をもった言葉としての文字を読み、その言葉の集まりとして文章を、捉える(とらえる)ようにさせました。書き取りは始めのうちは、特別に何もしませんでした。ただ一日にあったこと、本を呼んで感じたこと、その日に感じたこと、そして、私に言いたいことなどなど、短い文章でもいいからと、日記のように書いてもらいました。それを点検して、漢字に直せる所は、漢字に直してもらうように指導し、同時に私の考え、感想などを書いて返しました。これにも少しづつ、難しい漢字を入れることにより、漢字の読みと意味を自然に覚えてもらうように心がけました。

彼女の考えとか、不満は、最初のうちは、あまり強く反論せず、
「そういう考え方もあるかもしれんなー。」
「しかし世の中は、いろんな考えがあるぜ。一つの考えが絶対とは言えんよ。今のうちは、いろいろな人の意見にも耳を傾けたほうがいいと思うがなー。そうやっていろんな意見を聞いておいて、自分の考えを、まとめるためのこやしとしたらどうやろ。」
とか。
「そうやねー。そうかもしれんけど、小父さんの考えはチョット違うなー。又直接話し合おうな」
とか。
「小父さんも気が付かなくて、悪かった。今度から気をつけるよね。」
とかというふうに、なるべく頭から否定しないで、彼女が、気軽に自分を出せるように気をつけました。
しばらくの間は、私は自分の時間の殆ど(ほとんど)を茜の為に使いました。茜が学校に行って、家に居ない時は、次のカリキュラムを考え、教材を作り、彼女が家に居る時は、彼女の勉強の相手をし、そして彼女が、家事をしている時は、彼女の話し相手となったり、九九の暗算の練習を聞いていたりしていました。私にとっては生きがいができたようなものですが、茜にとっては大変だったと思います。それまでの、何にも束縛(そくばく)されない、自由気侭(きまま)な生活から、嫌いな勉強を、殆ど四六時中、強いられるのですから、今から思うとよく耐えたと思います。何やかにやと、文句を言いながらも茜は投げ出す事もなく、夏休みの間中、私の家にやってきては、勉強していました。時々ヒステリーを起こしたりもしましたが、しばらく、雑談をしたり、テレビを見たりしているうちに、気が収まり、また机の前に戻ってきました。彼女も必死だったと思います。彼女としては、私に見捨てられて、又誰からもまともに人間として扱ってもらえない、あの休まる所を持たない、飢えたどぶねずみのような生活に戻らねばならなくなった時の恐怖が、通って来させた原動力になっていたように思いますが、或いは、私との雑談の中から、自分の未来に対する、ささやかな希望を持つようになれたことが大きかったのかもしれません。

しかし最も大きかったのは、愛情に飢えていた茜が、本能的に頼りになりそうな対象としての私を見つけ、必死にしがみ付いてきていたのではないかと思います。彼女の勉強振りを見ていますと、私の顔色を見ながら、頑張っていたところが、大いにありましたから。幸いな事に、彼女が得てきた世間的な知識が、彼女の勉強の理解に、とても役立ちました。茜の勉強は思ったよりはかどり、中学2年の夏も終わりごろには、分数、少数や連立方程式の計算まで出来るようになっていました。茜は私の最初に思ったとおり、情緒豊かな、頭がいい子でした。計算問題など、一つの原理を理解すると、次々それを応用して問題を解いていきますから、それほど手が掛からなく覚えるようになっていきました。国語はそんなに簡単にいきませんでしたが、それでも自分から興味を持って、小説なども読むようになっており、毎日書いている交換日記風の物にも、漢字の数がかなり増え、文章の形も整って、長くなってまいりました。その頃になりますと,茜も次第に自分の学力に自信が付いてきました。それと同時に興味と欲がでてきました。彼女がもともと持っていた、負けず嫌いと自尊心が、それに鞭を打ち出しました。以前に比べると、机の前にすわって勉強に取り組んでおれる時間が長くなり、質問も多くなりました。私はもう、茜が他人とは思えないほどに可愛くてしかたがなくなりました。私に褒めてもらいたいばかりに、勉強に必死に喰らいついてくる、彼女の姿は、いかにもいじらしく、愛しくてたまらないとまで、思うようになっていきました。

こうして夏休みの終わり頃には、思ったより勉強が進み、一緒に街に出かけて、買い物をしたり、映画を見たり、レストランでの食事を楽しんだりする、時間的余裕も出て来ました。こういった時の茜は、何をしても、何を食べても、珍しがり、大喜びします。そのため一緒にいるこちらまで、とても楽しく、幸せな気分になったものでした。

ここまで来ると、その後の勉強は、思ったより捗るようになりました。英語などは、まだそれほど授業に遅れていませんでしたから、主に教科書を暗記させ、単語の書き取りを繰り返しやっただけで、さほど苦労することなく、学校の授業に追いつくことができました。勉強に対する欲と集中力ができてきた茜は、他の授業も、授業中にそれなりに集中して聞き、ノートもとってくるようになりましたから、中学2年の三学期に入ってからのテストでは、全ての科目で、クラスの平均点近くの成績を取れるようになりだしました。特に三学期末の英語テストの結果は良く、クラスで4番目でした。得意そうに、ひらひら見せびらかしながら持ってきた答案用紙を見た時には、私も嬉しさに、涙ぐんでしまいました。
彼女も自分の学力にかなり自信が持てたようで、
「将来、スチュワーデスか、空港のアテンダントになって、おっちゃんを、外国に連れて行ってやるからね。」
といって夢を膨らませるようになっていました。

そこにはもう、自分は頭が悪いからと決め付けて自分を棄てていた、昔の茜はいませんでした。茜は自分に、ある程度自信が持てるようになり、以前に比べ、とても明るくなりました。学校内にも親しい友達が数人出来てきました。私の家からのお金で、小奇麗な服装をし、毎日風呂も使って清潔にするようになった彼女は、何処から見ても普通の少女で、クラスメート達も特異な目で見ることはなくなりました。その上、彼女の生い立ちや、好んで読むような本の影響などから、人の痛みの分かる、心優しい、正義感の強い子に育っていきましたから、結構頼られる存在でした。小学校時代のクラスメートの中には、彼女の昔や、母親の事を知っていて、とやかく言う子もいますが、中学校は通学範囲が広がりましたから、別に気にしない子もいます。それに中学生にもなりますと、自分の意志を持ち、他人の価値観に左右される事はなくなりますから、彼女の本来の姿を評価して近づいてくれる子もいるようになりました。世慣れている彼女は、黙っていても存在感があります。従ってそういった彼女を評価してくれる友達の間ではリーダー的な存在になっていました。

その17

こうして何もかにもが順風萬帆、うまくいくかのように見えたのですが、それは一時のことでした。世の中そうは、平坦な道ばかりは続かなかったのです。
中学3年になった頃より、茜は、食事を充分に取るようになった事もあってか、体つきもふっくらとして、丸みを帯び、女らしくなってき、もともと整っていた容姿は、磨きがかかり、蛹(さなぎ)から蝶に変わったように可愛くなってまいりました。そんな彼女を、彼女を取り巻く環境が黙って放っておいてくれませんでした。母親の所に出入りする男たちが、彼女を狙って、盛んにちょっかいを出すようになったのです。最初はそんな茜に焼餅を焼いて、男達から遠ざけようとしていた母親も、年齢的に、自分の魅力だけでは、男を繋ぎとめる事が出来ないと諦めてきた時、なんと母親の方が、積極的に茜を、男達に斡旋しようと考え始めたのでした。
それまで無関心だった母親は、盛んに彼女に干渉し始め、その身辺を嗅ぎまわり始めたのです。母親は、彼女の行き先をしつこく聞くようになりました。又彼女が、母親が与えてもいないのに、新しいものを、いろいろ身につけている事に、疑問を持ち、盛んに、そのお金の出所を追及するようになりました。母親は、茜が外で何をしているか、全く知りませんでしたから、自分に内緒の男が出来、その人からお金をもらっていると邪推しました。そしてどうせそういう風にしてお金を貰うのなら、今のような、しょぼくれた金しかくれない男についているよりも、もっと沢山、お金をくれる男に鞍替えさせた方がいいと思ったようでした。母親の文句は、何時でもそれから始まりました。
「もっとましな男を捕まえれば、あんたなら、なんでも思い通りにさせてくれる男がいくらでもいるのに、そうすりゃ、私もこんな苦労はしなくても済むのに。」
というものでした。

それは何時も聞いていた私の意見と、180度違っていました。もはや昔の茜ではなくなっていた彼女には、そんな事はとんでもない事に思えました。わが子に、そんな事を勧める母親に、呆れ、絶望しました。二人の間では喧嘩が絶えませんでした。茜は次第に、私の家に泊まることのほうが、多くなっていきました。母親が嫌になったこともありますが、そんな母親の態度から、自分の身の危険を、感じたからです。しかしそうは言っても、全く家に帰らないわけにも参りません。やはり母親ですから、多少の信頼もあり、愛情も残っています。ところが、茜が中学3年になったばかりのある日、とんでもない事が起こりました。久しぶりに家に、帰って寝ていた時、彼女の部屋に、男が入ってきたのです。がたん、がたんと立て付けの悪いガラス戸の開く音に、目を覚ました茜の目に、中年の男の姿が飛び込んできました。びっくりして飛び起きた茜に、男はぎらぎらとした欲望を丸出しにして、抱きついてきます。茜はとっさに逃げると同時に、
「そんなことしたら、警察に訴えてやる。」
と叫びました。
すると男は、
「何、言っとる。お前のお母ちゃんから、許可もらっとるやないか。」
と返して、又抱きつこうとします。そんな男に、茜は、思いっきり股間を蹴り上げ、
「そんなもん、親が許したって、うちが許さんわ。阿呆。馬鹿。助平。死ね。」
と罵りながら、部屋から飛び出しました。ちらと振り向いた視線には、男が股間を抱えて、座り込んでいるのが入ってきましたが、茜はこれ幸いと、そのままにして、家からも飛び出しました。

その18

一旦、家から飛び出したものの、何しろネグりジェのままで、靴も履いていませんでした。しかしあの男の居る家の中に入るのは、恐ろしくて出来ません。又、もう今では、母親の顔を見るのも、おぞましいと思えました。そこで、ともかく母親が寝静まるのを待って、家を出ようと決めました。暗闇に潜んで、母親が寝静まるのを待つ間、茜は母親に対する怒りで、身体がぶるぶると震えていました。世間の親のありようを知ってきた彼女にとって、そんな母親の態度は、許しがたい事でした。こんな母親しか持てなかった自分の運命を呪いました。あんな親を持っている以上、何をしても、どんなに努力しても無駄で、この先、どうにもならないのではないかと思え、絶望し、又昔のように、自暴自棄になっていきました。

その夜、もう一度、家に忍び込んで、辛うじて服装を整え、家を出た茜は、
「おかんの馬鹿。死ね。・・・ど助平のおやじどもなんか、皆、消えてしまえ。・・・おっちゃんの嘘つき。なにやったって、うちらには、結局、おかんみたいな生き方しかあらへんやないか。」
と泣きながら、ぶつぶつ呟き、街の方へと歩きだしました。なんだか大人達みんなに裏切られたような気がして、悲しくて、孤独でした。そのまま私の家に来る気に、どうしてもなれませんでした。茜の足はいつの間にか、かつての仲間がいた街の遊技場の方へと向いていました。そこなら居場所があるような気がしたからです。

その19

その日の遊技場には、昔の仲間が四人。以前のようにとぐろを巻いていました。女三人、男が一人からなる彼らは、彼女のあまりの変わりように驚いたようで、よそよそしく、昔のような親しみは示してくれませんでした。茜のその日の姿形(すがたかたち)から、自分たちの仲間とは違う匂いを敏感に嗅ぎ取ったようです。彼女たちは茜のことを。仲間というより、むしろ集る(たかる)相手と決めたようでした。茜は気付いていませんでしたが、昔の仲間達は、学生らしいこざっぱりした服装をし、清潔な雰囲気を全身から漂わせ(ただよわせ)ている茜が、余所余所しい(よそよそしい)ように感じられ、気に入らなかったのです。茜があまりにも可愛らしくなったので、焼餅を焼いているところもあったかもしれません。傍(かたわら)に寄ってきた彼ら(彼と彼女ら)に
「お久ぶりです。」
と丁寧に挨拶する茜に向って、
「あんた、最近、顔見せんと思っとったら、急にぶって、何や。良い男でも出来たんか。それとも、おかんが、大金持ちのスポンサーでも、捉まえたんか。お金、持っとるんやろ。昔のよしみや、少し貸してえな。今、うちらピンチや。」
と早速集り(たかり)始めました。
とりあえず、服だけつけて飛び出してきた茜に、お金があるはずがありません、
「母と喧嘩して飛び出してきたばかりやから、お金は持ってないの。この次、埋め合わせするから、今日はごめん。」
と昔の仲間に言うように言った茜に対し、
「そんなんで、許されると思っとるんか。金がないんなら、前みたいに身体で払いな。今のお前なら、いくらでも引っ掛って来る男がいるで。いい男、引っ掛けな。そしたら、後はうちらがやったるから。」
と凄み(すごみ)ます。
「嫌や。許して。小父さんが、そういうことをしたら、絶対いかんと言うから、もう、うちはそういう事は、せん事に決めたんや。明日、絶対に持ってくるから、今日は許して。」
「小父さんって、お前のスポンサーか。いくつのオヤジや。こんな若い娘を自由にしやがって、いやらしい奴やな。後で挨拶に行ったらな、あかんかもしれん。何処のどいつや。」
「・・・・・」
「そいつに操(みさお)立てて、やれんというなら、余計に許せんわ。どうしてもやらんというんなら、焼きいれたろか。」
「・・・・・」
「どうしても出来んというんやなー。ちょっと、顔貸しな。」
と言って、店の裏手に引っ張って行きます。夜の街は怖い所です。茜が小突かれながら引っ張られていくのを見ても、店の中の人は皆、無関心、自分のゲームに夢中で、誰も助けようとしてくれません。警察に通報してくれるような事もしてくれませんでした。茜は男一人、女三人から、髪を引っ張られながら、蹴られたり、殴られたり、踏んづけられたりと、散々な目に遭わされました。もしその時、偶然巡回してきた私服の警官がいなかったら、死んでいたのではないかと思われるほどに、酷くいたぶられました。異変を感じた警官が、直ちに駆けより、いたぶっていた二人を逮捕したのですが、茜は既にそのとき、意識が朦朧(もうろう)としていて、それも気付かないほどにやられていました。
この時、残り二人を取り逃がした警官は、直ちに応援を呼び、付近に非常警戒網を敷くと同時に、ぐったりとして半分意識のなかった彼女を、救急車で病院へ搬送(はんそう)する手配をしてくれました。幸いにも傷は、見たところより軽く、肋骨に二本ひびがはいっていた以外は、打撲傷程度ですみました。病院での検査中に、意識もしっかりしてきましたが、あまりにも打撲の程度が強く、広範囲にわたっているため、外傷性ショックや、内臓破裂の心配もあり、ともかく一時入院して様子を見るという事になりました。

そこで警官は病院の支払いのこともありましたし、例え被害者といっても、未成年者の深夜の暴力事件でもありますから、保護者からも事情を聞く必要性を感じ、保護者に連絡を取るため、保護者の住所と、電話番号などを茜に問いただしました。これに対して、茜が出したのが私(中道)の名前でした。母親は病気で寝ているから、代わりに親しくしてもらっている親戚の小父さんということで、私の名前を出したようです。深夜の警察からの電話に驚いた私が、とるものとりあえず病院に駆けつけた時には、茜は、検査や処置が終わったところで、それまでの草臥れ(くたびれ)と、痛み止めの効果のせいか、ベッドで眠っていて、私に気付きませんでした。顔も手足も痣(あざ)だらけになって、腫れ上がっているその姿はとても痛々しく、胸がつぶれました。お医者さんからの説明で、傷は見たほどではなく、殆ど後も残らないだろうということで、少し安心しましたが、次はどうしてこんなことになったかという心配が起こってきました。又悪い仲間の所に行っていたという事は、私にとっては、なんだか裏切りにあったようで、とてもショックでした。

そのときは、事情が分からなかったものですから、てっきり勉強が嫌になって逃げ出したのだと邪推し、腹立たしいと思うと同時に、自分のやり方のどこかが間違って、茜を追い込んでしまっていたのでないかと、私自身を責めました。無力感に絶望もしました。いろいろ考えているうちに、腹立たしさと気懸かりで、居ても立ってもおれなくなり、茜を、直ぐにたたき起こして、そんな所に、どうして又行ったのかと、問い詰めようとまで思ったほどでした。しかし痛そうに、時々顔をしかめながら寝返りを打って、うとうとしている茜を見ていますと、やはり哀れになってきて、そんな事も出来ません。結局目が覚めるまで待つことにしました。病院について少し経った所で、私は保護者という事で、派出所に呼び出され、警官から茜の家庭事情、私との関係、そして私の住所、職業などについていろいろ聞かれました。その時の私は、こういった少年事件について、全く知識がありませんでしたから、被害者である茜が、問題になるなど、露考えることなく、茜の酷い家庭事情、特に母親の事、そして私との関係などについて説明し、可哀想な境遇の子だということ、何とかしてやりたいと思って世話している事、お蔭で最近はやっと、真面目に学校に行くようになり、成績も中以上になっていることなど、得意になって話してきました。警察の事情聴取は朝方までかかりました。病院に戻ってみると,茜はちょうど目を覚ました所でした。私の姿を見ると、弱弱しそうな笑顔を浮かべながら、
「おっちゃん、来てくれた。ごめん迷惑かけて。怒って、もう来てくれへんかと思っとったわ。でもうち、おっちゃんとの約束は、ちゃんと守ったで。」
と言います。

それだけ聞けば、充分でした。昨夜からの彼女に対するわだかまりは全て消え失せ、彼女に対する愛しさだけが、大きく広がっていきました。
「そうか、偉かったなー。でも心配したで。昨日の夜、飛んできたときは、もう心配で寿命が縮んだわ。命に別状がなくて何より、何より。さっき警察へ呼ばれて、いろいろ聞かれたから、あんたの母親の事も簡単に説明しておいたで。」
「でも無抵抗のあんたを、こんな酷い目に会わせるなんて、悪い奴等やな。そんな奴はもう、少年院にでも行ってもらった方がいいよな。」
少年事件について、何も知識のない私達は、のんきにそんな事を話していました。私たちは、茜は少年暴力事件の被害者であって、補導されなければならない点としては、せいぜい夜間に徘徊していたことを、注意される程度であって、退院したら、直ぐに家へ帰してもらえるとばかりおもっていました。

つづく

マイナスとマイナスが合わさっても その1

マイナスとマイナスが合わさっても その2