マイナスとマイナスが合わさっても その2

この話はフィクションで、実在の人物、事件とは全く関係ありません。

その8

私の住んでいる所は、そのコンビニから歩いて約10分位の場所に位置する、マンションの4階にあります。香奈が生まれた時に買ったそれは、4LDKの広さで、一人になった今では、広すぎるほどです。しかし香奈のための子供部屋や、妻の物の置いてある寝室は、あまりにも思い出が強すぎて、今でも、彼女たちが生きていたときのままに、手付かずにしてありますから、実際に使っているのは、ダイニングキッチンと、私の書斎だけです。
少女と別れて、ふらふらと、自分の部屋にたどり着いた私が、中に入ろうとドアに鍵を差し込んだ時のことです。
「おっちゃん。今夜、泊めてーな。ほんまに泊まるとこ、あらへんのやから。」
と私の真後ろで声。おどろいて振り向いた私の目の前に、あの少女が立っています。ずっと私の後をつけてきたようです。私の方はまだ、半分酔っていましたし,それに誰かに付けられているなんて夢にも思っていませんでしたから、びっくりしました。
「あれっ、お家へ帰ったんじゃないの。駄目だよ。お母さんに心配かけるようなことしては。おじさんの方だって、貴方を泊めたりして、変な目で見られたりしても困るし。」
と私。
「おっちゃんの嘘つき。さっき、事情によっては泊めてやらんでもないがって、言ったじゃん。」
「今晩家には、母ちゃんの男が来ていて、家に居辛いんやわ。だから帰る家なんて、あらへんのや。そんで頼んどるんやが。おっちゃんの所が、駄目というんなら、また他、探さなあかんなー。あーあ、それにしても難儀やなー。大人なんて、どいつもこいつも、口先だけやもんなー。じゃあな。」
と少女は、ぶつぶつ呟きながら、立ち去っていこうとしました。その投げやりな口調には、大人世界への強い不信と、人生への悲しい諦めが感じられます。彼女はその若さにして、既に人生を半分棄てているような感じでした。立ち去っていく後姿を見ていますと、なんだか不憫になりました。自分がひどく残酷な事をしているような気がしてまいりました。夜中に、ジャングルの中へ、子ウサギを放り出してやる時のような気分です。
「どうせもう、世間を棄てている自分が、今更、世間体なんて気にする事もないか。」
と思い直した私は、
「ジャー、今晩だけなら、家に泊まってもいいよ。でも家は汚いぜ。」
と私。
「かまへん。寝るとこさえあれば。でもおっちゃん、一人暮らし?」
「急に変なの連れこんで、怒られるんと違う。もし他に誰か居るんやったら、遠慮しとくわ。」
と少女。
「大丈夫だよ。小父さん一人だから。」
「でも近所の手前もあるから、大人しくしていてね。」
といいながら彼女を招じ入れました。

その9

「小父さんはここで、お酒飲んでるから、後は自分で適当にやって。ラーメン食べるのなら、キッチンのポットの中に、お湯がまだあると思うよ。お風呂に入りたけりゃー、勝手に入って。赤い印のある方の水道栓を捻れば(ひねれば)、お湯が出てくるから。でもしばらく入っていなかったから、浴槽が汚いかもしれないね。気になったら、浴槽を洗ってから、お湯入れて。」
「寝るのはこちらの部屋(書斎)使って、ここもしばらく使ってないので、少し黴臭い(かびくさい)かもね。それでもいいかな。そこにあるのは、以前におじさんが寝ていたお布団だから、臭いが気になったら、直接床の上で寝てくれてもいいよ。おじさんはこのソファーで、毛布かぶって寝るから。エアコン入っているから、掛け布団はなしで毛布だけでも、多分いいと思うけど。小父さん今は、気分的にまいっていて、自分のことで精一杯だから、あまり人と係わりたくない気分なんだ。だからあんたの話も、聞いてやる余裕がないから、ごめんね。もし聞いたとしても、今は何にもしてやることもできないしね。」
「せめて、ぐっすり寝ていって。明日の朝は、小父さんはまだ寝ていると思うけど、勝手に出て行ってくれたらいいよ。鍵は、一旦は外に持って出て、鍵を掛けてから、あの郵便受けの中へ、投げ入れておいてくれたら良いから。」
と言うと、私はダイニングのソファーに座り込み、お酒を飲み始めました。カップラーメンを作るために、キッチンに入った少女は、そのあまりの散らばりように、呆然として、しばらく突っ立っていたようでしたが、やがて、ごそごそと流しの上や床に散らばっていた、ビールの空き缶、焼酎の空き瓶、コンビニの惣菜やインスタント食品の入っていたプラスチックの容器、食べ物の食べ滓等を片付け始めました。
「おっちゃん、だらしないなー。家のおかんといい勝負やで。こんな所に、よう住んどれるなー。奥さんに逃げられたん?」
と少女。
「そーや。子供も女房も、天国に家出や。」
「いらんこと言ってなくてもいいから、早くラーメン食べて、寝な。」
「ウン。分かった。でも食べる場所あらへんで。一宿一飯の恩義や。チョット位、きれいにしといたるわ。」
そういいながら、彼女はせっせと、キッチンを片付け始めます。あんな所でとぐろを巻いて、自堕落(じだらく)な生活をしていた少女とは、思えないほどの手際の良さです。彼女は、キッチンの片付けをしながら、いろいろ話しかけてきました。突っ張っていただけで、本当はずっと人懐こい、寂しがりやの子のようでした。しかし私はもうその後は、何の返事もしませんでした。彼女の方を見ないようにして、ひたすらお酒と、向き合っていました。
その時の私は、まだ他人と関わりを持とうとするような心境になれなかったからです。
しばらくの間、仕事をしながら話しかけていた彼女も、何の返事もない私に諦めたのか、やがて一人でラーメンを啜り(すすり)、お風呂を立てて入り、書斎のほうへ引き上げて行きました。その間際、
「おっちゃん、お休み。お風呂きれいにしといたから、おっちゃんも入ったほうがいいで。お先に。でもほんまに、おっちゃんに、何もサービスせんでもいいんやなー。」
と言い出したのには驚くと同時に、彼女の今までの人生が垣間見られたようで、なんだか哀れになりました。
「何遍言わしたら、すむんや。そんなもんいらん。いや、そんな事、子供がすることやない。どうして何時もそういうこと言うんや。もっと自分を大事しーって、この間言ったやろ。これからは、そういうことは絶対にしたらあかん。大人になってほんとに好きな人が出来るまで、大事に取っておき。」
と酔いも半分覚めて私は怒鳴りました。
「だっておっちゃん。こんなこと、もう、十を(とおを)過ぎくらいからやらされてるで。いまさらやめたって、どうもならへん。そんなこと言ってくれた大人、始めてや。」
と少女。
私は香奈が汚されたかのように、気分が悪くなりました。そんな幼い子供に猥褻(わいせつ)な行為をしてきた大人たちに、言いようのない腹立たしさを感じました。どんな事情があったにせよ、それを黙って受け入れてきた、いや受け入れざるを得なかった、彼女の人生を思うと、哀れでたまらなくなりました。
私は、妻の死後、頑な(かたくな)に、他人との関わりを避けたいと思ってきましたが、否応なく、彼女に関わっていかざるを得なくなっていく自分を予感しました。これが縁というものでしょうか。妻子を失ってポッカリ穴の開いていた私の孤独な心に、どんどん入り込んでくる彼女の影を、感じざるを得なかったのです。しかしその時点でも私は、意識の上では、まだ彼女との関わりを避けたいと思っていました。私は彼女の方を見ないようにして、
「分かった。今は酔っ払っているから、その話はもう止めにしよ。お休み」
藁(わら)にでも縋り(すがり)付きたそうだった彼女の気持ちを、肩に感じながらも、冷たく突き放して、又お酒にのめりこんでいきました。後で話してくれたところによりますと、茜もまたその時、孤独に苦しんでいる私が可哀想になり、人間的な弱みをさらけ出している私に、始めての人間には、持ったことのなかった、安心感と親しみを、感じたのだそうです。

その10

黙って書斎に入っていく少女の、悄然たる(しょうぜんたる:じょんぼりとした)気配を感じた私は、又も罪の意識に苛まれ(さいなまれ)ました。無意識のうちに、大人に助けを求めているのであろう彼女に、何の手も差し伸べようともせず、酒におぼれている自分に、嫌気がしました。そのせいか、その夜の酒はいつもより進み、泥酔して、机にもたれ込んで、そのまま寝てしまいました。夢には、香奈の顔が、何度も現れては消えていきました。しかしどの顔も、決して笑ってはいませんでした。翌朝、尿意で目を覚ました私は、背中にいつの間にか、毛布がかけられているのに気付きました。キッチンの方からは、人の気配と、懐かしい食事の湯気の香りが、漂ってきます。眠りから覚めきっていない私の頭は、まだ夢の続きの中にいるかのような錯覚に捕らわれ、妻も香奈もそろっていた、あの幸せだった時代の幻影の中に、しばらく浸っておりました。
「おっちゃん、目が覚めた。もー、お昼に近いで。」
と言う少女の声に、現実に戻され、見上げた私の顔の上に、あの少女の、あどけない顔が覗いています。どぎつい化粧を落とした少女の顔は、まだ本当に幼い感じがします。
「何、まだいたの。学校は。今日は、休みじゃないだろ。黙って帰りなさいと、言っといたたでしょ。」
「ウン分かった。これから帰る。でも学校は行かない。先生に怒られるだけで、面白もなんともないから。昨日のおにぎりで、お粥作っといたから。後で食べて。二日酔いには、お粥がいいと、おかんがいつもいっとるから。それにしても、おっちゃんの所の冷蔵庫は、何も入っとらんなー。」
「毎日、何食べ取るんや。お酒ばかり飲んどったらあかんで。それこそ、死んだあんたのおかんや、子供が泣いとるんとちゃう。気持ちは分からんでもないけど。梅干はおにぎりの中ので、勘弁してや。じゃーこれで。昨日の、泊めてもらい賃は、これで払ったで。うちは、知らん人に借りは作らんことにしとるんや。後で何されるか分からへんから。」
といいながら、心持ち、肩を怒らせて、帰る素振りをみせます。しかしそれは、彼女の精一杯の強がりである事は見え見えです。その時の彼女は、今日の止まり木を、探していたに違いありません。私に引き止めて欲しいと思っている気配が、なんとなく窺えます。自宅は嫌っている、学校には行きたくない彼女が、これから行ける先は、ゲームセンターか、公園、コンビニの前、遊園地、百貨店などといった、限定された場所しかないはずですが、それらの場所が、学校をサボっている彼女に、居心地のいい場所を提供してくれるはずがありません。しかもそれらの場所には、危険な誘惑に満ち溢れているはずです。またこれから、昨晩見たような危なっかしい事をするのかと思うと、気になります。二日酔いでぼんやりしている頭に、昨晩彼女が言った
「そんなこと、十を(とおを)の時からやらされているで」
といった言葉が引っ掛かっています。ともかく、事情だけでも聞いてみようと思いました。

その11

「せっかくお粥作ってくれたから、それじゃー、よばれることにするわ。あんたもよかったら、一緒にどーや。」
「そんなもん、おっちゃんの分だけしか、作ったらへんわ。だっておっちゃんどこの冷蔵庫、何も入ってへんかったもん。」
「そりゃ悪かったな。小父さんは朝、そんなにいらないから、半分ずつ食べようか。あんたには、少し足りんかもしれんけどね。もし足りんかったら、昨日、買ってきたパンがあるから、それを食べたらどう。」
私は何日ぶりからに、起きて、顔を洗い、歯を磨いて、キッチンのテーブルに付きました。キッチンは昨日までの塵の山が、嘘のように片付けられています。テーブルの上には既に、一人前の茶碗とコップと箸、そして梅干の入った小皿が並べられていました。誰かと一緒に御飯を食べるなんて、久しぶりの事です。言われるままに、少女もいそいそと自分用にと、茶碗と箸、コップを食器棚からとり出します。それから冷蔵庫のウーロン茶を取り出して、コップに注いでくれました。お粥は本当に一人分しか作ってなく、二日酔いで食欲のあまりなかった私でも、足りないくらいでした。食事の時間は直ぐに終わってしまいました。気にはなっていましても、何をどう切り出していいのか、見当も付かないままに、私は無言で食卓を眺めて考えていました。少女も黙って座っているだけです。
「あんた、これだけでは足りんやろ。パンも食べたら。」
「いらん。もう一杯や。」
「まだ名前も聞いてなかったねー。差し支えなかったら、名前、教えてくれる。学校は何処に行っているの。高校。」
「違う。まだ中学や。二年生。名前は萩野茜。家はこの近くにある。」
「それじゃー、義務教育でしょ。どうして学校へ行かないの。学校には行ったほうがいいと思うけどなー。」
「だって学校に行っても、誰も相手にしてくれへんし、先生だって、うちらみたいな阿呆で、不良な奴は、来んほうが良いと思ってもん。だから行かんほうが、いいんやわ。」
「でも、あんた、しっかりしてるし、とても阿呆とは思えんけど、どうしてそう思われるようになったのかなー。勉強が嫌いだからなの。」
「勉強なんか大嫌いや。今まで、まともに学校に行ってへんから、行っても何も分からへん。教室におっても眠いだけや。」
こうして少し心を開いて、ボツリボツリと語ってくれた彼女の話は、想像以上に暗く、惨め(みじめ)なものでした。彼女の生い立ち故の、心の奥にある、闇の部分を垣間見るにつれ、誰にともない怒りを感じました。ふつふつとした義憤が沸き起こってまいったのです。驚いた事に、再びあの以前の、熱い感情が、沸き起こってきたのです。

その12

茜は、自分の家の事をあまり詳しく話したがりませんでしたが、そのとき聞いた話と、後から家庭裁判所の調査官や、児童相談所のケース・ワーカーなどから聞いた話を総合して考えてみますと、次のような生い立ちだったようです。

茜の両親は彼女が1歳のとき離婚していて,茜には父親の記憶がありません。父親は背が高く、ハンサムで見かけは、とても素敵な人だったようです。しかし夢ばかりを追っかけていて、実行力が全く伴わない人でした。調子よく、大きな事は言うのですが、口先だけです。いつも世間や人を小馬鹿にしていましたから、他人との折り合いも悪く、お勤めも一つ所にじっと留って(とどまって)おれないような人だったようです。このため職も転々と変わり、生活費も殆ど入れないような状態でした。一方母親の方も、又どちらかというと生活不適応者で、あまり働くのが好きでなかったのです。母親は家事も殆どせず、寝転んでテレビを見たり、小説を読んでいたりしていて、何もせずぼんやりとして時間を過ごしがちの人でした。この為、お勤めもだまって、ずる休みをしたりしますから、せっかく勤めても、直ぐに辞めさせられてしまって、長続きしません。生活は苦しく、二人の結婚生活は始めからうまくいかず、争いが絶えなかったと言います。茜は出来ちゃった婚の子です。18歳のとき、ファーストフードでアルバイトをしていた母親が、その店に客としてやってきた父親と意気投合、そのまま、その晩に結ばれた時、妊娠してしまった子です。気付かないうちにもう、中絶が出来ないくらいに大きくなってしまっていたので、やむなく結婚して産んだという、あまり歓迎されていない子でした。生活力のほとんどない二人の間に、その上茜という余分な負担が出て来たのですから、家計は火の車、離婚が成立する頃には、お金も、借りれる先は、全て借りつくしてしまって、全ての親戚から出入り禁止、二進も三進も出来なくなっていたような状態でした。しかもそんな状態であるにもかかわらず、母親はその日暮し、家計を切り盛りするでもなく、家事も殆どせず、食事は出来合いのものや、インスタント食品を並べるだけといった有様です。家の中は荒れ放題で家庭の匂いもありません。父親はといいますと、結婚まもなくから、既に外の女達のところを、転々と泊まり歩いていて、家に殆ど寄り付かなくなっていました。そんな夫でも茜の母親は、まだ夫に未練が多少あったようでしたが、その生活ぶりを見かねた、近所の民生委員が、母親を説得し、二人を離婚させ、生活保護の手続きをしてくれました。しかしそれまでの母親の貧しさと、子供への関心の少なさから考えると、これによって辛うじて茜は生き延びることができたようなものでした。その後も、母親は相変わらず無計画で、その日暮らし、生活保護で入ってくるお金や児童手当も、月末まで待たずに、尽きてしまうような綱渡りの生活が続いていたようです。茜が2歳になった頃からは、母親に男の影が絶えないようになりました。茜が記憶にあるようになってからは、男が訪ねてくるときは,茜は家の中においてもらえず、外で待たされるようになりました。茜は幼いながらも、とても辛抱強い子で、どんなに寒い日でも、物陰で、男が帰るまで、じっと待っていたといいます。そんな茜を見かねて、隣の小母さんは、時々家の中に入れて、遊ばしたり、食事を食べさせたりしてくれましたが、母親の事をいろいろ詮索したり、悪口を言ったりするものですから、それが嫌で、なるべく世話にならないように、小母さんから隠れていたそうです。どういうわけか、男が帰った後は、母親のとても機嫌が良い時がありました。そんな時は、とても優しく、一緒に遊んでくれたり、外食に連れて行ってくれたりしたものです。茜はそれが楽しみで、外で待っていました。又帰り際に、男がいくらかの小銭を握らせてくれる事があるのも楽しみの一つでした。
こんな生活は茜が小学校に通うようになってからもあまり変わりませんでした。変わった事と言えば、母親の所へ出入りする男が二人くらい変わったくらいでした。小学校に行っても、みすぼらしく薄汚れた姿で通う茜に、親しくなってくれる友達も出来ませんでした。遊び道具も共通の話題も持っていない彼女は、クラスメートとの間で浮いていました。子供たちの母親達は、だらしがなく、何をしているか分からないような、怪しげな生活をしている茜の母親の事を、よく思っていません。子供たちの前でも憚ることなく、茜の母親の陰口を言いましたから,茜は、子供たちから、なにか汚い特別の子供のように白い目でみられていました。茜は皆から敬遠され、無視され、学校でも孤独でした。さらに勉強のことをやかましく言う人もいなければ、教える人もいない彼女は、次第に授業にもついていけません。何度注意されても、給食費などの学校に納めるお金も遅れがちである上に、回りに敵愾心を持ち、自分の殻の中に閉じこもってしまっていて、何を言われても馬耳東風、無視、そして授業も付いてくることが出来ない茜は、先生にとってもお荷物以外に何物でもありませんでした。(後で茜が語ってくれた所によりますと、周りのものは皆自分を笑いものにするか、除け者にする敵のような存在で、そうでもしていなければ、生きていけなかったのだそうで、彼女の生きていく上での知恵であったそうです。)
茜は先生からもお客様扱いで、全く相手にされませんでした。注意もされなければ、褒められもせずと言った学校の日々です。それでも小学校時代の彼女は、毎日学校に通いました。家に居ても、邪険な母親からこき使われるだけで、食事も充分に与えられなかったうえに、母親に男が訪ねてきたときは、暑い日でも寒い日でも、家の外で男が帰るまで待っていなければならない辛さに比べれば、学校は給食もあり、座る場所もある、天国でした。
こんな生活にもかかわらず、年齢が進むにつれ、彼女はずるずると身長が伸び、10歳の終わり近くになった頃にはもう、背の高さだけなら、大人と変わらなくなっていました。

ある日、いつものように母親の男が帰るのを待っていた茜に、家から出てきた男が声をかけてきました。
「茜ちゃん、何時もご苦労様。ご褒美に、今日は小父さんが何でも好きなもの買ってあげようか。一緒に町まで行く。」
といいます。
これまでも、帰り際に時々お金をくれていた小父さんでしたから、茜も気にする事もなく、わくわくしながら、車に乗り込みました。車に乗せて、玩具や屋へ、連れていってくれた男は、茜の欲しがるままに、小さなパンだの縫い包み(ぬいぐるみ)だとか、色紙、そしてガラスのアクセサリーなどを買ってくれました。それから、茜が、それまで行った事もなかった、レストランにも連れて行ってくれ、ステーキまでごちそうしてくれたのです。彼女はもう有頂天でした。なんていいおじさんだろうと思いました。だからお母さんに、こんな良い人がついていて、良かったと思いました。家への帰り道も、彼女は嬉しくてたまりません。買ってもらったパンダをしっかりと抱きしめ、小父さんと冗談を言い合いながら、上機嫌で車に乗っていました。ところが気がつくと車は。あまり人の通らない山道に止まっています。
「おっちゃん、どうしたの。故障?」
と聞く茜に
「チョットおしっこがしたくなったから。」
と小父さんは答えます。
やがて車の外に出て、ごそごそしていたおじさんは、男のあそこをむき出しにしたまま、車の中に入ってきて、
「ああ気持ちよかった。茜ちゃんも、おしっこしたら。」
といいます。
「うーん、今はしたくない。小父さん、もう帰ろうよ。」
と茜。
今までと声まで違う小父さんの態度に、本能的に危険を感じた茜は、早く帰して欲しいと男に頼みます。しかし男は、
「あんたんとこのおかあちゃんが、『茜はこのごろ、あそこが変になったみたいやで、一遍見たって。』と言っとったから、見たらなあかんのや。チョットパンツ下げてみ。」
といいだします。
「いやや恥ずかしい。」
と茜。
「かまへん。小父さんは茜ちゃんのお父さんみたいなもんやから。」
といいながら、茜のパンツ下げようと手をかけてきます。
「いやや、いやや。小父さん堪忍(かんにん)。」
と泣きながらパンツを抑えている茜の手を、強引にはらいのけ、男はパンツをとってしまい、本能的に隠そうとする彼女の両手を押さえながら、
「フーン。見たとこ何処も悪くないなー。茜ちゃんのお母さんの思い過ごしやろか。ほんでも、チョット触ってみんことには、ほんとのことは分からんかもしれんな。」
といいながら、茜のあの場所を撫でさすります。茜は怖くて声も出ません。茜はもう大声で泣くようなこともせず、身を固くしてただただ男のなすがままになっていました。図に乗った男は、こうして暫くの間、手と口を使って、茜に悪戯(いたずら)し続けたのでした。その間中、茜は声もあげずに泣きじゃくった顔のまま、身を固くしてじっと堪えていました。
最後の
「茜ちゃん,茜ちゃん、ああー。いい。うーっ。」
とうめくような男の上ずったような気味の悪い、呻き声は、今でも茜の耳の底に、残っていると言います。男の身体の重みと、その体臭に窒息しそうになった茜が、やっとの思いで、男の身体の下から這い出てきた時、男は薄っすらと目を開けて、
「ごめんな。それじゃー,帰ろうか。でも、この事は、二人だけの秘密やで。おかあちゃんには絶対に言ったらあかん。」
「もしお母ちゃんに言いつけたら、あんたがおかあちゃんからひどい目にあうだけやで。家から追い出されるかもしれへんで。」
「黙って、いい子にしていてくれたら、又今度来た時、もっと沢山にあげるからな。」
といいながら、男はまだ震えていた茜のスカートのポケットの中に、大きなお札を押し込んでくれました。男は気だるそうに起き上がると,茜の内股のところに流れていた、気持ちの悪い汚れを拭きとり、下着を付けてくれ、それから何食わぬ顔で家まで送ってくれました。
茜の母親は、子供に無関心で、茜がこんな目にあって帰ってきたのにも、全く気付きませんでした。いつものように居間で寝転んで、テレビを見ており、茜が帰ったのも知らないほどでした。茜は黙ってお風呂場に行き、痛くなるほど、内股と自分の身体を洗いました。彼女は母親に何も言いませんでした。あの男の言うとおり、この事を言ったら、母親に叱られるだけでなく、家から追い出されるかもしれないと思ったからです。彼女は黙って自分の宝箱の中に、男がくれたお金を隠すと、そのまま布団の中にもぐりこみました。
ところが、これで味をしめたのか、男はその後、再々、彼女に猥褻な行為を迫るようになってきました。茜が避けているのを知ると、茜の学校からの帰り道を待ち伏せし、何やかにやと理屈をつけては、いつものお母さんに言いつけるという脅しを使いながら、彼女を誘い出し、猥褻な行為を迫るようになりました。そしてその行為は次第にエスカレートしてきます。嫌で堪らない(たまらない)彼女は、帰り道を変えたり、誰か他の人の後を歩いたりと、一生懸命、男を避けるようにしていました。そうしたある日の事でした。その日、母親は街へ出かけて夕方まで帰ってこないというので、居間で、テレビを見ながら寝転んでいた時のことでした。突然家の中に上がってきた男は、母親の不在なのを確かめると、これ幸いと、茜に抱きつき、例の悪戯をしようとし始めます。茜は驚きました。しかし家の中は、車の中より自由が利きます。茜は男の腕の中から逃れようと、必死に暴れ、抵抗しました。ところがこうして争っている最中、茜の母親が帰ってきてしまったのです。母親はその日、予定通り事が運ばず、たまたま早く帰ってきたのでした。家の前に男の車が止まっているのを見て、喜んで家の中に飛び込んできた母親の目に入ったのは、男と娘の醜態でした。彼女は激怒しました。理由を聞こうともせず、彼女は二人に、手当たり次第の物を投げつけ、怒声をあげながら、包丁を持って追い掛け回し、最後は二人とも、家から追い出してしまったのです。男は苦笑しながら、車に乗って帰っていきましたが、茜は帰るところがありません。何度頼んでも、翌朝まで、母親は、頑として家の中に入れてくれませんでした。

その13

その後、母親の茜に対する態度はがらりと変わりました。それまではどちらかとい言うと、無関心というだけで、特に嫌っているといった様子はありませんでしたが、それ以降は彼女に、憎しみの目を向けるようになったのです。母親は茜の世話をしなくなっただけでなく、全く無視です。たまに口を利くときは、
「ふん。この泥棒猫。」
とにくにくしげに罵ります。
食事も、一緒に食べるときは、彼女にも食べ物を分けてくれましたし、そうでなく茜一人で食べなければならないときでも、食物を買うお金くらいは、いつも持たしてくれていたのですが、それもくれなくなってしまったのです。母親の食べ残しをあさらねばならない自分が惨めでした。彼女にはますます、居場所がなくなってしまいました。給食費も持たせてくれないのでは、学校にも行けません。例の男は、その後、二度と訪ねてくる事はありませんでしたが、母親の所には、間もなく代わりに、又新しい男が訪ねて来るようになっていました。あの事件以来、大人の男性に、強い警戒感を抱くようになった茜は、男が訪ねてくると分かると、隠れるようにして、自分から家を出、街の中をぶらぶらしながら、コンビニの前や遊技場などで時間をつぶすようになって行きました。ここには、彼女のように世の中からはみだした同じ位の年齢の子供達が、沢山にいました。男の子もいましたし、女の子もいました。そこでも、皆、心は、ばらばらでしたが、それでも悪事をとおしての、仲間意識みたいなものはありました。茜は、そこでは少なくとも、学校にいるときのような孤独ではありませんでした。彼らは、彼女に、いろいろな、悪事を教えてくれました。遊び半分にやっている子が大半のようでしたが、食事もろく食べさせてくれない母親をもった茜にとっては、それは生きていくために必要な術でした。それほど悪いことをしているとも思わず、ゆすり(私があの時彼女の誘いに乗っていたら、後で少年達に強請られる(ゆすられる)ところだったかもしれません。)たかり、万引きそして私が茜と出会った時にしていたような、男へのおタッチ許しなどなどといった売春婦まがいの行為を、食べていくため、生きるためやっていました。ただ茜に幸いした事は、シンナーが体質的に合わず、それに嵌り込んで(はまりこんで)いかなかったことでした。そういったことをする時は、危険を避けるため、男の友達に護衛してもらうのですが、その代償に、男達に身体を提供もしたりしていました。彼女は生きていくため、身を守るため、不特定な悪がきたちに、身体を提供していたのです。
おかげで、茜はそこでは、一緒に群れている仲間にはことかきません事欠きませんでした。しかし仲間といってもそれは同じように、この世からのはみ出しものどうしの連帯感みたいなもので、上面(うわっつら)だけの付き合いでしかありません。身体を通り過ぎて行く男の子達といっても、彼女の皮膚をと撫でて行く一陣の風のようなもので、二人の心が触れ合うような事はありません。茜の心は、何時も空虚で、満たされませんでした。母親から得られなかった深い愛を求めて、彷徨って(さまよって)いました。そしてそれが自分には無縁の存在でしかないと思うにつけ、より一層渇望し、絶望し、棄て鉢になっていました。彼女は、もう人間としての尊厳性は棄て去り、自分の環境に順応し、何も考えないで、食い物を得るためにだけ、日々汲々(ひびきゅうきゅう)としているというような生活に甘んじるより仕方がありませんでした。まだ10代半ばというのに、茜は既に、心も身体もぼろぼろになってしまっていたのです。

その14

彼女の話に憤り(いきどおり)を覚え、義憤(ぎふん)を感じもしましたが、まだ香奈や妻の死のショックから抜けきっていず、無気力状態の中にあった私は、彼女にどうしてあげようという知恵も湧いてきませんでした。先日来の話から、表面上は、突っ張って、棄て鉢になっている為に、大変な問題児のように見える茜が、本当は家庭環境が悪いから、悪に染まっているだけで、本質までは汚れきっておらず、正直で素直な子だとは分かりました。
しかし私のほうが、それ以上に彼女に何かしてあげようという決心がなかなか付きませんでした。寂しがりやで、愛情に飢えている彼女に、救いの手を差し伸べてやるつもりなら、今だと思うのですが、今一つ決心が付きません。どのように彼女に関わっていくか、この後、どうしてやったらいいのか思い悩んでいました。一生懸命に突っ張って生きているこの子に、その場限り、通り一遍の慰めや、恵みなど、役に立ちそうもありません。そんなことをすれば、却って、軽蔑し、反発して、大人への不信を増強して、余計に悪くするだけだろうと思いました。私は暫く黙って彼女の目を見つめて考えていました。
「おっちゃん、ありがとな。」
と立ち上がった彼女に、私は決心して声をかけました。今から思うと出すぎたな話しだと思いますが、亡くなった妻への罪滅ぼしに,香奈の代わりに茜を何とかしてやりたいと思ったのです。
「茜ちゃん、良かったら放課後、夕方まで、家でアルバイトしない?」
「別に難しい事、せんでもいいから、家の中、片付けたり、洗濯したり、小父さんの食事の準備をしたりしてくれたらいいんだけど。料金は、一時間当たり、幾らくらいが相場かな。無論その日その日に払うことにするよ。」
と私。
「うん、いいよ。友達は、時間給700円くらいでバイトやっているみたい。」
「でも、働いてもらうに際して、一つだけ条件があるんや。これからは、最初に、あんたと会った時やっていたみたいな、危ない事や、悪い事は、絶対にせんと約束して欲しいんや。それでよかったら、今日の午後から、来てもらいたいんだけど。学校がない日は、変なところで、うろうろしてなくて、真っ直ぐこちらに来て、あんたの好きな事、していたらいいがね。夜、泊まる所がない日は、昨晩のあの部屋を使ってくれたらいいし、食事は二人分作って、あんたも食べてから、帰るという事にしたらどうやろ。あんたさえよければ、お風呂もかって勝手に入っても、かまわないんだよ。これでどうやろ。」
「ウン。分かった。やったってもいいよ。でもおっちゃんも、お酒は、あんまり飲まんほうがいいと思うがなー。せっかく、飯作ってやっても、きちんと食べてくれなんだら、詰らんしな。それに酒臭いし、汗臭いし、汚いし。」
と茜。
「ウン。分かった、分かった。小父さんもなるべく気をつけるようにする。」
彼女はなんだか嬉しそうでした。今日は
「久しぶりに、学校を覗いてみる。」
と言って、足取りも軽そうに帰っていきました。

その時の私が、彼女に全く危惧を抱いていなかったといえば、嘘になります。元来小心者で用心深い性質の私は、いくら良い子そうに見えたとしても、何しろ今までが今迄です。親も何をしているか判らないような家の子です。問題の仲間達もいます。そんな子を家の中に入れて、本当に大丈夫かという思いはありました。しかし当時の私はもう、失って恐れるものは何も無くなっていました。命さえも惜しくなかったのです。従って、彼女に万一、裏切られたとしても、それはそれで、仕方がない。その時はその時、成り行きにまかせようという思いで、踏ん切りをつけたのでした。

マイナスとマイナスが合わさっても その1

この話はフィクションで、実在の人物、事件とは全く関係ありません。

その1

先日、相続の関係で、絵画の値段査定をしてくれないかというお頼みがあり、徳島までいってきた時のお話です。せっかく、徳島まで来たのだからと、帰り、四国八十八箇所中の一番札所、霊山寺(りょうざんじ)まで足を伸ばし、参詣(さんけい)して帰る事にしました。別に、ここを起点にして八十八箇所巡りをするつもりではなく、単なる観光の心算です。型どおりのお参りを済ませ、お庭を拝見させていただいた後、境内をぶらぶら歩きながら、山門近くにある池の辺まで来た時のことです。
「失礼ですが大田原先生のところのお嬢さんでは。」
と声を掛けてきた男性がいました。
年の頃は、もう60歳半ば、日焼けした顔一杯に広がる伸び放題の胡麻塩の髭面に、着古した白衣(びゃくえ)、土ほこりを被った大きなリュック、くたびれた菅傘を身につけ、金剛杖を突いて立っている男性が、皺だらけの顔に、満面の微笑みを湛えながらこちらの方をみています。巡礼の服装をしていなければ、思わず逃げ出したであろうと思われるような、そんなむさくるしい姿の男に、思わす後退りしながら、
「そうですけど、失礼ですが、どなた様だったでしょうか。」
と尋ねました。
一生懸命に思い出そうと、記憶の糸をたどってみたのですが、どうしても、浮かんでこない顔です。
「中道ですよ。ほれ、お父様の所に、時々お邪魔させていただいていた、あの中央医療器具の中道秀明です。そうですねー。もうかれこれ三十年近くも前になりますか。貴方が小学生の時、水泳教室や、英語会話教室へ通うのを、お母様の代わりに、時々送り迎えさせてもらっていた、あの中道です。覚えていらっしゃらないでしょうかねー。そういえば、私も随分老けましたからねー。お嬢さんの方は、あの頃の面影がそっくり残っていらっしゃるものですから、懐かしさに、つい気安く、お声をお掛けしてしまいましたが、ご記憶にないのも、当然かもしれませんねー。」
といわれます。
そう言われれば、目とか鼻、口の辺りに、あの親しかった中道さんの面影が、かすかに残っているような気もします。
しかし、頬はこけ、目は落ち窪み、心もち猫背で、よれよれの白衣(びゃくえ)といった、みすぼらしいお爺さんの姿に、あの闊達で、いつもお洒落だった頃の、若かった中道さんの姿を、重ね合わせる事は困難でした。
「ごめんなさい。あまりにお変わりになったので、はっきり思い出せなくて。でもあの頃の中道さんって、もう少しスマートで、もっと大きかったような気がしますけど、私がまだ、子供だったからかしら。それにしても懐かしいわ。あれから後、転勤になったということで、もう家には、いらっしゃらなくなったけど、その後、どうしていらっしゃったの。ご結婚されました。あの頃、家の母が、何とか良いお嫁さんをと、盛んに縁談を世話していたことがあったわねー。」
と私。
「お母様には、ずいぶん可愛がっていただきまして。今どうして見えます。お二人とも、お変わりありませんか。」
と中道さん。
「それが、父は相変わらずですが、母は今から18年前、亡くなりました。それで私も、時々こうして行った先々のお寺に立ち寄って、お参りさせてもらっています。」
「中道さんのところも、そんなお姿をしていらっしゃるところを見ますと、いろいろおありになったようですね。」
「立ち話もなんですから、ちょうどお昼時ですし、そこらの食べ物屋に立ち寄って、積もるお話でもしましょう。」
ということで山門前の食堂に入り、それでも足りずに彼のお宿までついていって、いろいろお話を聞かせていただきました。

その2

中道さんが、私の家にいらっしゃっていたのは、彼が医療器具店にお勤めの時で、私の父が医院を開業していた頃の事です。年はその当時30歳半ば、お洒落でスマート、朗らかで、親切、人の心を逸らさない話し方をされる、とてもよく気の付く人でした。背も標準並み以上、苦みばしった、とても男性的な顔立ちでしたから、もてないはずがなかったと思うのですが、どういうわけか、その当時まだ独身でした。母などはそれを気にして、何とかいいお嫁さんをと、いろいろお世話をしていたようでしたが、今ひとつ乗り気になられず、うまくいかなかったようです。私の両親と、とても気があったようで、商売を離れて、個人的にも、親しくされており、お勤めが終わってから、やって来られては、父と夜遅くまでマージャンをしたり、酒を酌み交わしたりしながら、世間話や、会社の愚痴話をされておられたものでした。母も、中道さんの事を何かと頼りにし、物臭な父に代わって、家の用事を、個人的に頼んでいたりもしていました。こんな関係で、私などは、忙しかった両親の代わりに,水泳教室や塾への送迎までも、時々してもらっていたものです。
中道さんは又、とてもこまめな方で、歓送迎会、忘年会、観劇会、慰安旅行といった医院の行事は無論のこと、誕生日会だとか、クリスマスといった、私どもの個人的な行事にも、プレゼントを持って駆けつけてくださるものですから、私たち姉妹は、親戚のお兄さんといった感覚で、彼と接していたものでした。

その3

「で、その後、どうしておられました?ご結婚は?お子さんは?どうしてお遍路さんをされるようになったの?」
と矢継ぎ早に、質問を繰り出す私に対し、彼は、あまり触れられたくなさそうでしたが、それでも、ポツリポツリとそれまでの経緯を語って下さいました。
お嬢さんの所に行かなくなって、一年半位後でしたか。私が36歳になった年の秋に、友人の紹介で知り合った女性と結婚しました。年齢は私より7歳年下。小柄な愛くるしい顔立ちの女性でした。性格は几帳面で、純、潔癖症の所がありましたが、多少いい加減な所のあった私には、ちょうど良いコンビだったように思います。ただ生真面目すぎて、嘘や誤魔化しは許さないといったところがあり、冗談を言っても本気にとって怒ったりしますから、その点では、多少気詰まりなところもある人でした。しかし何しろ、なんでもきちんとやっておいてくれますから、とても頼りになる人でした。又とても寂しがり屋で、甘えん坊なところもあり、私が帰ってくるのを待っていたかのように、付きまとい、その日の出来事、近所の噂、果ては芸能界のゴシップにいたるまで、次々と話しかけてくるものですから、気分の落ち込んでいるときなど、多少煩わしい時もないではありませんでした。そうかといって夫婦の中は、特に仲が悪いという事はありません。どこにでもある、可もなし、不可もなしといった、平均的な日本の家庭といったところでしたでしょうか。共稼ぎでしたから、四六時中、顔をつき合わせているわけでもありませんし、お勤めの関係で夜遅くなることも多かったものですから、おたがい角付き合わせるというようなことも少なく、まあまあ、うまくいっていたほうだと思います。ただ結婚後、長い間、子供に恵まれませんでした。従って妻は、ずいぶん寂しがっていました。しかしこの妻の寂しさには、訳がありました。子供が出来ないという事以外に、私の妻への愛を、妻は今ひとつ掴みきったと思う事が、出来なかったところにもあったようです。と申しますのも、私、実を申しますと、若いとき、猛烈に愛したにもかかわらず、事情があって添い遂げる事が出来なかった女性がいまして、妻と結婚した後も暫くは、その思いを引きずっていた時代がありました。今だから正直に申しますが、貴方のお母さんが、さかんに縁談を持ってきて下さった時、あまり乗り気になれなかったのは、そのせいでした。むろん妻に、そんな話はしたことがありませんが、妻はなんとなく、そのことが感じられていたようで、何かの拍子に、
「英明さんの心は、時々、どこかほかにあるみたいな気がする時があって寂しいわ。」
と結婚後7,8年目も経ってから、ふと漏らした事がありました。
本当はその頃はもう、私も妻のことを、結構、愛していたと思うのですが、日本の男性の欠点という所でしょうか、それを表現するのが照れくさくて、妻に伝える努力をしていませんでした。又そんな妻の寂しい心を、推し量ってやる事もなく、家の事は妻に任せっぱなしにして、自分は残業と称して、夜のお付き合いに精を出し、帰りが遅くなることも再々といった勝手なことばかりしていました。従って彼女は、結婚生活に多少寂しさがあり、余計に子供を欲しがっていたのだろうと、今は思っています。妻は、あちらこちらの不妊外来を訪ね、出来る限りの手を尽くしました。しかし夫婦のどちらにも、不妊の原因はないと、婦人科の先生から言われているにもかかわらず、どうしたものか、なかなか妊娠しませんでした。こうして、かれこれ10年近くも婦人科に通った時のことでしょうか、もう年齢的にも子供は諦めようと二人で相談して、不妊治療に通うのも止めてしまった頃になって、突然に子供に恵まれました。それが香奈で、私が48歳、妻は41歳、妊娠可能年齢としてはぎりぎりの時の事でした。こんなことを言うと、親馬鹿と言われるかもしれませんが、香奈は色が白く、赤ちゃんの時から目鼻立ちも整った、とても可愛い、人目を引く子でした。長じてからの性格も、とても素直で、甘えん坊、誰が教えたというわけでもないのに、幼いにもかかわらず、仕草にも話し方にも、女の子らしい可愛さの溢れる子でした。科(しな)を作りながら(にっこり笑いながら)甘えてこられたりすると、思わず抱きしめて、食べてしまいたくなるような可愛さがありました。どこに連れ歩いても、何をしていても、可愛い可愛いと、どなたからも言っていただける子でした。私たち夫婦にとっては、何物にも換えがたい宝物でした。目の中に入れても痛くないほど可愛いとは、このことかなあ、などと、いつも思っていました。妻など、もう一時も離れておれず、お勤めも辞めてしまい、娘に付きっ切り、どこへ行くのも、何をするのも、娘が傍にいないと寂しいようでした。それが小学校に行きだしてもそうで、他の子と遊ばせるより、自分の傍において置きたがりましたから、このままでは、社会性が身に付かないのではないかと、ひそかに心配していたほどです。そういう私も、香奈が可愛くてたまりませんでした。それまで、どちらかというと遅かった帰宅時間も、子供が生まれてからは、比較的早く帰るようになりしました。大きくなってくるに連れ、ますます可愛くなり、娘の顔を、一刻でも早く見たくて、お付き合いの酒も、ほとんど断るようになっていきました。ましてそれ以外の遊びなど、全く興味をなくしてしまいました。
子供と、お風呂に入ったり、お話したり、散歩したり、遊んだりするのがとても楽しみで、いつも三人連れ立って歩いていました。どうしても勤めが遅くなったりして、子供がもう床に入ってしまっていたりしますと、寂しくてたまりません。そこで寝ている子に、頬擦りをしたり、ホッペをつついてみたりして、起こしてしまい、妻によく怒られたりしたものです。夫婦間の距離も、香奈が生まれてからは、以前よりずっと、縮まったようでした。何しろいつも、何をするのも三人一緒のことが多くなりましたし、妻は、私が帰ってくるのを、待ちかねていたように、私を捕まえては、香奈のその日の出来事を報告してくれました。又どういった習い事をさせたいとか、どこの学校へ行かせたい、将来どういう子になった欲しいといった、子供の未来への夢を飽きずに話してくれました。私もその話によって、私の知らない時の、香奈の時間を埋める事ができましたから、それを聞くのをとても楽しみにしておりました。

その4

幸と不幸は隣り合わせです。こんな幸せな生活は永くは続きませんでした。香奈が小学校の2年生になった年の夏の事でした。英会話教室に香奈を送っていく途中で、妻が交通事故を起こし、香奈を亡くしてしまったのです。信号のある交差点での事故でした。信号が青から黄色に変わるのを待って、右折し始めた妻の軽自動車の側面に、黄色から赤に変わる直前、急いで交差点を渡ろうと飛び込んできた大型トラックが衝突してきました。妻の車はその衝撃で横転、そのまま、交差点のガードレールに激突、大破してしまいました。この時、シートベルトをしていた妻は軽症程度で済んだのですが、後ろの座席に半立ちで、歌っていた香奈のほうは、頭蓋底骨折、頚椎骨折を起こし、即死してしまいました。
急を聞いて駆けつけた私が見たものは、病院の霊安室で、白布をかけられた香奈の遺体とその前に、呆けたような顔をして、あらぬ方を眺めて座っている妻の包帯姿でした。その後の事は、私もはっきり記憶にありません。妻を労わりながら、しっかり葬儀も執り行ったそうですが、まったく記憶にありません。後ろ指を指されないようにしようとする意思だけが、機械的、習慣的に、身体や、口を動かしていたのだろうと思います。これを契機に、私たち夫婦の間は、いつの間にか冷え切ってしまいました。今から思えば妻が一番に苦しんでいたのでしょうに、当時の私には、妻の辛さを理解してやる余裕などありませんでした。ただ自分の寂しさ辛さの中に、閉じこもってしまって、無意識のうちに、非難の目を妻に浴びせていたようでした。私たちの間には、全く会話がなくなりました。彼女は私と目を合わせることを避け、無表情、無言で、ロボットのように家事をやり、私の身の回りの世話をしてくれていました。あれだけ几帳面だった妻が、何をするのも投げやりで、中途半端に放りだしてあるようになっていました。会社に出かけるときも、玄関まで送ってはくれますが、全く義務的で、何の情感も感じられないようになっていました。今から思えば妻は、ひたすら自分を責め、嘆き、苦しんで、閉じられた世界の中でもがいていたのでした。こうして鬱(うつ)によって、人格を破壊され始めていた妻は、もう何をするのも大義で、何もしたくなくなっていたのだと思います。当時の妻は、彼女に残されていた僅かな意思の力が、辛うじて、身体を動かしていたに過ぎなかったようにおもいます。こんな妻の姿をみても、私は、彼女の心の闇を、推し量ってやれませんでした。私は自分の殻に閉じこもって、妻の異常さに気付いてやることが、出来なかったのです。そんな妻の態度を、むしろ心の奥底で、非難さえしていたような気がします。私は玄関まで送ってくる妻に対して、あてつけのように、なんの言葉もなく家を出、一晩中、飲み明かし、無断で家を空けるといった毎日でした。そんな私に対して、妻は、何も言いませんでした。床にも入らず、机にもたれたまま転寝(うたたね)をしながら待っていてくれたのですが、それにたいして、悪いとか、申し訳ないと思った事もありませんでした。むしろ当て付けがましいと感じて、内心腹を立てていたように思います。彼女の謝罪と助けを求めている、必死のサインに気付かなかったのです。助けを求め、もがいている妻に、救いの手をさし伸ばしてやるどころか、その手を払いのけ、泥沼につきおとすような事をしていたのでした。

その5

結局私は、妻も無くしました。その日、いつものように、へべれけに酔って午前様で帰ってきた私を、待っていたのは、鴨居にぶら下がっている妻の姿でした。子供の一周忌を待っていたかのようにあの世へと、旅立って行ったのです。何の言葉も遺されていませんでしたが、そこに妻の寂しさと、無言の抗議を感じました。一人残されてみて始めて知った孤独でした。いつの間にか、妻に依存していた自分を知りました。それまでの妻への態度は、子供が母親へ八つ当たりしているような、やんちゃ坊主の甘えのようなものでした。しかしそれを受け止める余裕は、妻にはもうなかったのです。思えば、妻のほうがずっと強く打ちのめされ、精神を冒され、助けを求めていたのでした。それに気付かず、毎日無言で非難の目をむけ、妻が苦しんでいるのを見て慰められていた自分を責めました。自分を責め、不幸を呪い、孤独と寂しさの中、絶望の淵に立って、私の顔色を窺いながら、ただおどおどとしていた、妻の顔を想いだす時、自分の狭量さが責められました。そこに到るまでの彼女の心境を推し量るとき、その哀れさに涙がとまりませんでした。私は彼女の霊に詫びました。幾度も幾度も詫びました。しかし飛び去った時が、再び戻ってくる事がないように、妻が私を許してくれることもありませんでした。私は孤独と悔恨の中、香奈の死後、妻の味わっていた苦しみや悲しみを、そっくりそのまま受け継いで、味わい続けることになってしまったのでした。

その6

全てが空しく、何をするのも億劫になった私は、お勤めも辞め、家で、お酒を飲み、ただごろごろしているだけといった、自堕落な毎日を送るようになりました。生きていくのも面倒なら、死んでゆくだけの勇気もない私は、酒に逃げ、酒に溺れて、なるべく何事も考えないようにしました。幸か不幸か、香奈の補償金や、妻の生命保険、そして私の退職金などで、かなりの金を手にすることが出来た私は、マンションのローンも一括で払ってしまい、いろいろな人々との交流も、煩わしくなって、自ら絶ってしまいました。従って訪ねてくる人も殆どなく、他から煩わされることもなくなりました。何をするのも億劫であった私は、家事も殆どせず、部屋は散らかり放題、衣服も寝具も、汗と垢で汚れがちでした。食事も、コンビニで買ってくるおつまみと、お酒が主で、後はおにぎりやパンを稀に買ってくるくらいで済ませていました。垢とタバコとアルコールの臭をプンプンさせながら、ぼうぼうの髪、もじゃもじゃの髭、蒼い顔で、垢じみ、よれよれの服装のまま、夜中に買い物にやってくる私の姿は異様で、コンビニの店員から見たとき、気味の悪い、お客だったようで、いつも、あまり歓迎されていませんでした

その7

こうした生活をするようになって2年くらい経った、ある秋の暮れの頃のことだったでしょうか。夜遅く、お酒を切らした私は、いつものようにコンビニへ、お酒、煙草、おつまみなどの食べ物を買いに出かけました。駅の近くにあるそのコンビの前には、寒空にもかかわらず、高校生らしい数人の男女が、私服姿で屯しておりました。彼らは、コンクリートの床の上にばらばらに座りこんでおり、傍にはペットボトルの空き瓶や、缶ジュースの空き缶、インスタントラーメンの空容器、タバコの吸殻、ビニール袋などが乱雑に散らばっているのが、チラッと目に入りました。私は別に気に留める事もなく、いつものように買い物を済ませ、お店の外に出てきました。ドアから出たとき、私に声をかけてきた女の子がいました。
「おっちゃん、そのおにぎり、半分おくれ。良いもん、見せてやるから。」
まだアルコール分の体に残り、夢現(ゆめうつつ)を彷徨っていた私は、彼女のそんな言葉にも、何の関心もなく、無言のまま、そこを通り抜けようとしました。
「おっちゃん、おーい。それ、半分おくれといっとるがー。聞こえんの。飲み物もくれたら、いい事させてやってもいいよ。」
と声が追っかけてきます。
それに合わせるように、外の子供たちの、下卑た笑い声。立ち上がった女の子は、背丈はもう既に小振りの、大人の女性くらいありますが、体つきはまだ子供らしく骨ばり、こげ茶色の顔に、白い目の隈取りした化粧の下の顔には、幼いあどけなさが残っています。茶髪に白のメッシュをいれたその子は、香奈には似ても似つかない顔立ちの子だったにもかかわらず、どういう訳か、ふと香奈のことを思い出してしまいました。酔いから覚めきっていなかった私の頭は、そのあどけない顔に一瞬、香奈の面影を見出してしまったのかもしれません。今から思えば、人懐っこく、物怖じしない、その話し方が、香奈を思い出させたのかもしれません。しかしそれも一瞬の事、深夜のコンビニ前に屯する(たむろする)子供たちに、不気味さを感じた私は、買ったばかりのおにぎりと、おつまみを、黙って差し出し、そのまま立ち去ろうとしました。
ところがその女の子は、
「おっちゃん、あたい、かつあげしたんじゃない。」
「御代はきちんと払うで。ほら、あたいのいいもん、おがんでいきな。」
とスカートの端をたくし上げる格好をしながら、手招きするのです。その蓮っ葉な(はすっぱな:軽はずみで下品な)言動や外見とは裏腹な、少女の律儀さに驚いた私は、酔いも少し覚め、大人の分別が戻ってまいりました。
「遠慮しとく。そういったものは、貴女が、もっと大きくなって、大切な人が出来たときのために、取っておくものだよ。」
「こんな夜遅くまでこんな場所にいて、そんなことしていたら、危ないよ。早く家にお帰り。親悲しませちゃ駄目だよ。」
といって、逃げるようにその場を立ち去り帰ってきました。
しかしその日は、お酒を飲んでも、頭は妙に冴えかえって、酔いが回ってきません。あのまだあどけない顔のくせに、妙に大人っぽい少女の、ヘンに阿婆擦れた言動が、奇妙に頭にこびりついて、離れないのです。
「あれから直ぐ、帰ったのかな。あんなことしていて、悪い大人に、酷い目にあわされなければいいが。あの子の人生、これからどうなっていくのだろう。あのまま放っておいても、ほんとうに、大丈夫かなー、」
私は無意識のうちに香奈の人生と重ね合わせて、彼女の事を心配していたようでした。長く自分の世界に閉じこもり停滞していた私の心が、ほんの少し外に開き動き出そうとした瞬間でした。しかしそれも僅かな時間に過ぎませんでした。再び周りのことに無関心な、元の私にと逆戻りし、煽るようにお酒を飲みながら、その思いは、深い記憶の底ヘと沈めてしまいました。
しかし彼女が垣間見せてくれた、現実の世界との接点は、これで切れてはいなかったのでした。その後、コンビニに行くと、無意識のうちに、彼女の姿を目で探している、自分がいるのに気付きました。私はいつの間にか、その少女を気にするようになっていたようです。それも数日の事、やがてすっかり忘れてしまった頃の事でした。ちょうどあれから10日くらいたった時のことでしょうか。いつものように酒に溺れたまま、だらしない姿で、コンビニへと出かけた私に、あの少女が声を掛けてきました。今日は二人の男の子と三人だけで屯しております。
「おっちゃん。何、又飲んどるんか。駄目だなー。人の事なんか、言えた義理か。大体、この間、おっちゃん、早よー、帰れって、お説教してくれたけど、うちは帰る家なんか、あらへんのや。しょーがないから、ここで、時間つぶしとるのに、なにが悪い。知りもせんと、いらんこと言わんといてや。」
「心配してくれるんなら、おっちゃんの所に泊めてくれるんか。でもテントは嫌やで。」
と彼女。彼女はわたしの服装や態度から、浮浪者かなにかと思ったようで、半分馬鹿にしたように、絡んできます。
「テントじゃないよ。でも本当に泊まる所ないの?・・・・事情によっては泊めてやらん事もないが。・・・しかし危ない事、平気で言うねー。今まで怖い目にあったことないの。こんな怖い時代だというのに。・・・そんなことしていると、そのうち酷い目に会うから。大切なものだけならまだしも、命だって取られかねないよ。」
「なー。いいかげんお家にお帰り。お弁当なら、買ってあげるから。何がいいの。」
その時はもう酔いも半分以上覚め、本格的に彼女のことが心配になった私は、更に続けました。
「もし声かけた人が、暴力団だったらどうするつもり。覚せい剤や麻薬漬けにされて、変なところに売り飛ばされてから泣いても、遅いんだから。こんな夜中に、こんな場所でぶらついているの、もう止めたほうがいいんじゃない。」
と私。
「煩せい(うるせい)なー。いらんお世話や。これでも結構、人を見る目はあるんやから。安全と思う奴以外は、声掛けーへんわ。」
「おっちゃんなんか、絶対変なこと、せーへんタイプやんか。それにもう、オジンやし。」と少女。
「そうかなー。そんな事分からんと思うけど。男は幾つになっても、狼やで。」
「所で、何が欲しいの。好きなもの買ってあげるから、大人しく小父さんの言うとおり、お家にお帰り。」
「うるせいといっとるだろ。家、家、家と。そんなもんあらへんと、さっきから言っとるだろうがー。もういい。」
「でも今日のお説教賃に、カップラーメンとコーラ、野菜サラダくらいおごらせたろか。」と少女。
どう見てもまだ15歳前後にしか見えない、幼さの残っている彼女の口から飛び出てくる、威勢のいい啖呵。強がっているのか、これまでの生い立ちゆえに、人生を諦めて捨て鉢になってしまっているのか、その荒んだ口調とは裏腹に、彼女の言葉には、人の良さが窺われ、哀歓が漂っているように思われます。なんか事情を抱えているとは推定されましたが、所詮無力な一酔っ払いでしかない私に、どうしてやることも出来ません。またその時の心境では、他人のために、何かをしようとする精神的な余裕なども、ありませんでした。従って、せめてと、請われるままの食べ物、飲み物を買い与え、それ以上は何も言わずに、その場を立ち去りました。