俗世に堕ちた現代版久米仙人

この話はフィクションで、実在の人物、事件とは全く関係ありません。

私の父の友人に皆さんから仙人と呼ばれている人がいらっしゃいました。
この人、年は40歳後半くらいでしたが、とても若々しくそんな年齢にはとても見えません。いつも飄々(ひょうひょう)としていらっしゃって、あまり物事にこだわられるようなこともありませんから、私などは彼の大ファンでした。
身なりにもほとんど関心がないようでして、身に着けていらっしゃるものは清潔でこざっぱりされておられますが、洋服はいつも同じようで、着古したような服を平気で着ていらっしゃいます。お勤めは私たちが知り合った当時は会社の技術顧問をしていらっしゃいましたが、社会的な地位とか収入には全く無頓着、ただ自由に気楽に生きていきたいと思っていらっしゃるようにお見掛けしました。従って出勤時間も退社時間も縛られていない仕事を選んでおられ、休みも比較的自由にとっておられたようでした。急に旅に出てしまわれて、どこにいらっしゃるのか不明といったことも珍しくありません。
日常生活は大変に質素で、簡単、今時には珍しく、冷房器も暖房器も持っておられません。洗濯機も無ければ、テレビもないといった生活です。唯一現代をしのばせる電化製品といえば、冷蔵庫だけで、それが何も置いてないキッチンの片隅にでんと居座っております(一度だけ父の用事でお訪ねしたことがあります)。
食事は昼は外食、夜は一杯飲み屋さんで済まされることがほとんどです。
それ以外の時は、閉店間際のスーパーに行って、半額になっているお惣菜とか、おにぎりを買ってきて、それで済ましていられるとのことでした。
洗濯は手洗い、お風呂もシャワーで終わりといった日常で、本当に浮世離れの生活をしていらっしゃいます。
家の中は気持ちがいいほどがらんとしていて、すっきりしたものでした。
「しかし冷房はまあ我慢するとしても、暖房の器具一つもないというのは珍しいですね。いったい冬の寒いときはどうしていらっしゃるのですか」
と聞くと、
「イヤー。冬は早く布団に入って寝てしまい朝は起きるとすぐにランニングに出かけますから、別になんともありませんよ」
との答えが返ってきます。
性格はとてもおおらか、プラス思考、世の中のことはなるようにしかならないから、くよくよしない、という主義で、いつも陽気で朗らか(ほがらか)にしていらっしゃいます。
従って話していますと心が休まり、元気付けられます。
また、善意の人ですから、彼と話していると、いつの間にか心を開かせられてしまいます。
以前も、女のルンペン(浮浪者のこと)と親しくなり、彼女の小屋に招待されて、お茶をご馳走になってきたことがあるといった話もしておられました。彼の心には服装だとか、職業、社会的な地位といったもので差別するといったものは全くないというわけです。
趣味は読書とランニング、読書は速読術に長けていらっしゃって、かなり分厚い本でも一冊を2~3時間くらいで読んでしまわれます。
従って、とぼけたような外見からは想像できないほどに物知りです。
ランニングは毎日欠かされたことがなく、雨でも雪でも台風のときでも走っておられます。ランニング後はしばしば公園の水道を使って体を拭(ふ)かれます。
安っぽいトレーニングウエアをつけ、水道で体を洗っていらっしゃる彼の姿を見た浮浪者たちが、お仲間と勘違いして話しかけてきたり、飲み物や、食べ物を回してくれたりすることがあるそうです。
4年前、お仕事の関係で、岡山に転居することになったときなど、顔見知りの浮浪者達が、送別会までしてくれたということです(無論彼がどんな職業の人か等ということは知らず、自分たちの仲間だとばかり思ってしてくれたのです)。
面白くて、気楽、気障な(キザな)ところや気難しいところのない人ですから、話していても楽しく、肩がこりません。
従って、女性にも大変に人気があります。彼の勤め先の女性たちは、彼の出勤日には、待ちかねていたように彼の部屋にやってきて、身の上話だとか、噂話などなどをして、油を売って(無駄話をすること)いかれるそうです。
女の事務員たちの中には、彼の事をひそかに思ってくれていた人もいたようですが、彼のほうが、それ以上の深入りを避けてしまわれるため、独り身で過ごしてこられたようです。
青年時代、女の人から手ひどい裏切りを受けた経験があり、それがトラウマになっていて、女性との間を今ひとつ踏みこえることができないのだとかと、周りの人は噂をしておりました。

先ほども申しましたように、4年前、仕事の関係で住所を岡山のほうに移されたものですから、しばらくお会いできませんでした。風の便りに元気にしていらっしゃるということを聞いていたくらいです。
ところが、岡山に行かれてから4年目の時のことです。
ある日突然、私たちのところに彼が訪ねてみえました。インターホンの音に出ました私に向かって
「Hと申しますが、お父さんはご在宅でしょうか」
という改まった声。
私の頭の中に描かれているHさんとは全く違った印象です。
「エー、何処のHさんでしょう」
一瞬人違いかと思って、もう一度尋ねてみますと
「岡山に居りますHです」
との返事。
やはりあの楽しいHさんです。
それにしては感じが違っているがと思いながらも、
「済みません。早速開けにいきますのでしばらくお待ちください」
と返事して、すぐに玄関に走りました。
玄関に立っておられるHさんは、人違いかと思われるほど印象が違ってしまっていました。大体堅苦しいことの嫌いだった彼は、今までスーツなどというのを着ていらっしゃったことは殆どありませんでした。
ところが、訪ねてみえたHさんは、一寸(ちょっと)の隙もないような新しいスーツ姿で、ばっちりきめて立っていらっしゃいます。以前にしていたような、タメ口をきけるような雰囲気ではありません。
私もつられて、
「いらっしゃいませ。父が奥でお待ちしております。どうぞお入りください」
と畏まって(かしこまって)挨拶をして彼をお座敷へ案内します。
座敷に通された後も、今までのあの気さくで、型破り、自由奔放だった彼の面影はどこへいったのか、きちんと座って、
「ご無沙汰しておりました。その後お変わりもなく、なによりに存じます」
とまるで新人のように、堅苦しく挨拶をされます。そして
「これお口に合わないかもしれませんが」
と言いながら、お土産の包みを差し出されます。
彼のあまりの変わりように、父は、挨拶を返すのもしばらく忘れて顔を見ていたほどです。
「堅苦しいことはやめて、以前のようにもっとざっくばらんにやりましょうや」
と父。
「そうはいきませんので。何にしましても、いまは宮仕え(みやづかえ)の身ですから。『きちんとしないといけませんよ』と女房もうるさいものですから」
と彼。
「えっ。結婚されたのですか。それは、それはおめでとうございます。それにしても突然なことで。それでお相手はどんなお方なのですか」
「それがやけぼっくいに火(男女交際の寄りは戻しやすいという意味)というのでしょうか、相手は昔々の恋人でして、偶然に会ったところお互いの誤解が解けたということですかね。幸い二人ともフリーだったものですから、それでは生活を共にしようか、ということになったのです」

彼の話によりますと、結婚相手はあの若き日に失恋した女性です。
彼としては突然に自分の前から姿を消してしまい、それからまもなく他の男性と結婚した彼女の事は、てっきり自分を裏切ったものだとばかり思って恨んでいました。
彼女が自分一筋に愛してくれているとばかり信じきっていた彼にとって、それは信じがたい裏切りでした。
従ってそれ以降、彼は女性というものを心底から信じることが出来なくなってしまったのです。

ところが、再会して彼女とよく話をしてみますと、別れたのは、彼の母親が原因で、学歴も身分も違う彼女との結婚に彼の母親が絶対に反対であったことにあったのです。
彼女が姿を消す少し前、その母親が彼には内緒で彼女のところに訪ねてき、耐え難いような侮辱を与え、彼との別離を迫っていったというのです。
彼が親思いであることを知っていた彼女は、結婚後の彼の母親との生活を考えたとき、とても一緒にやっていく自信がないと思ったそうです。そこで身を引くことに決めました。
そしてそのように決めた以上、未練が残らないように、もう彼には会わないでおこうと決めたのです。なぜなら会えば、未練がぶり返し、取り乱してしまうだろうということ、彼が大切にしている母親のことをも、あしざまにののしってしまうだろうということを恐れたのです。
そして、それによって彼に嫌われることも。
そのため何も言わず、黙って彼の前から姿を消したというのです。

彼女は、彼がそれによって生涯立ち直れないほどに傷つくなどということは思いもよらないことでした。彼女はただただ、彼の心の中に美しい思い出として生きていたかっただけです。従って自分ひとりが抱え込んだ悲しい決断だと思っていたのです。
こうして傷心を抱えて故郷に帰ってきた彼女は、満たされぬ心の間隙を埋めるために,以前からなにかと彼女に好意を示してくれていた幼馴染と結婚したのです。
しかし、彼女の心はいつも彼との間を揺れ動いていました。
従ってそんな結婚がうまくいくはずもありません。
やがて、子供を二人連れての離婚ということになってしまいました。
幸い彼女は看護士という職業を身につけていましたから、子供たちを育てていくことくらいはどうにかできました。
それから約20年、大変でしたが、それでも末の子供も大学に通うようになり、やっとほっと一息つけると思えるようになった頃のことでした。
マラソン大会救護班の一員として待機していた彼女は、大会に出場するために訪れてきた彼と出会ったのです。
まだ別れた時の事にこだわりを持っていた彼は、大会の前日に催された歓迎レセプションで彼女を見かけたとき、一瞬逃げようかと思ったそうです。
ところが、彼女のほうも同時に彼に気付き、すぐに彼のほうに近づいていきました。彼女は彼が自分のことで傷ついているなどということを想像もしていませんでした。従って、もうとっくに結婚して幸せな家庭を築いていらっしゃるとばかり思っていました。
時間は、彼女が持っていた彼の母親への嫌悪感も薄めておりましたから、何のこだわりもなく、憧れの王子様に再会した喜びをぶつけていきます。
最初のうちは、過去のいきさつにこだわりをもってなんとなく一歩ひいたような感じであった彼の方も、もともと生涯たった一人の心より愛した人のこと、話しているうちに次第に打ち解け、心を開いていきます。
問わず語りに彼女が話してくれた過去の経緯(いきさつ)話は、冷え切っていた彼の心を再び燃え上がらせるのに充分でした。彼女のほうも、彼の母親があれからまもなく亡くなられたことを知ります。
こうして何の障害もなくなっていた二人は(彼女の子供たちはもうほとんど自立していましたから彼女の決断に心より祝福してくれたそうです)、改めて結婚という形をとることになったのだそうです。
結婚した彼は、彼女を幸せにするために変わろうと決心します。お勤めも今までの嘱託といったような不安定、かつ低収入のお仕事はやめ、きちんした正社員の道を選ばれます(彼はとても能力のある人だったものですから、前々から正社員になって後輩を指導してほしいと頼まれていました)。
「それでは今までみたいに電化製品と無縁というわけには、いくらなんでもいかないでしょうね」
と父。
「無論テレビも、冷蔵庫も、エアコンも洗濯機も掃除機も。そういったものは全部そろえましたよ」
「しかし、テレビ、あれはいけませんね。どうも最近、ほとんど本が読めないのです」
「へー。しかし、テレビのせいばかりとは言えないでしょ。奥さんの存在も大きいのでは」
と父が冷やかしましたが、彼はそんな父の皮肉も全く気付かれない様子で
「女房がいますと、何かと仕事が増えましてね。それに話していると飽きなくて」
とニコニコしながらぬけぬけとおっしゃいます。
「それにしても、お洒落になられましたね。女性の影響は大きいですね」
と父。
「女房の奴、次から次へと洋服を買ってきてくれまして。着せ替え人形みたいに楽しんでいるのですかね」
とこれまた嬉しそうです。

こうして1時間くらい話してから帰っていかれました。
いつもなら、来られたときは、夜中までお酒を飲んで駄弁って(だべって)いかれていましたから、こちらが面食らってしまいます。
「せっかく来られたのですから、ゆっくりしていってくださいよ。今お酒も準備させますから」
と父が引きとめたのですが
「女房と待ち合わせておりまして」
「奥さんも一緒に来ていただいたらよろしかったのに」
「そう思ったのですが、女房が遠慮しまして。それに私も少し照れくさかったものですから。今日はご報告だけにということにしたのです。また一緒に寄せてもらいますから」
と彼。

こうして彼は帰っていかれたのですが、あの飄々として物にこだわらず、自由奔放、現代に対するアンチテーゼみたいな生き方をされていた彼の、あまりの変わりようにただただ驚くとともに、なんだか寂しくなりました。
父なども
「あいつ変わってしまったな。馬鹿に俗っぽくなってしまって。現代版久米仙人(※1)というところだろうな。それにしても女の影響は大きいね」
と嘆いていました。

※1:伝説上の仙人。寺にこもり空中飛行の術を体得したが、川で衣を洗う女のすねに目がくらんで神通力を失い墜落。その女を妻とした。後に神通力を取り戻し久米寺(奈良県橿原市(かしはらし))を建てたという。

マイナスとマイナスが合わさっても その4

マイナスとマイナスが合わさっても その1

マイナスとマイナスが合わさっても その2

マイナスとマイナスが合わさっても その3

この話はフィクションで、実在の人物、事件とは全く関係ありません。

その20

ところがそうは参りませんでした。暴力を振るっていた4人の供述から、彼女自身も以前に彼らの仲間だった事を知った警察は、傷の治り具合を見ながら、彼女からも詳しい供述を取りはじめました。彼女の家庭事情、中でも母親の生活態度が問題になりました。更には、私との関係についても、疑いを持ちました。警察は、私にも改めて事情聴取をしてきました。彼らは、私と茜との間に、男女関係があるのでないかと疑って、何度もしつこく、その点を問いただしました。近所のコンビニや、同じマンションの住人などからの聞き込みから、私のその頃の生活を知った警察は、二人の関係を、いかがわしいものときめつけ、ずいぶん失礼な態度で問いただしました。(こちらの僻み(やっかみ)かもしれませんが、いい年をして、年若(としわ)もいかない小娘相手に、いい思いをしやがってと言った態度が、その言葉の端々に窺われ(うかがわれ)ました。)警察は、茜と知り合った動機や,茜と知り合った頃の茜の生活、そして私のその頃の生活、茜についての私の感情、二人でいた時間の過ごし方などを、何度も何度も執拗(しつよう)に問いただしました。最初のうちは、私が何を言っても信じてくれませんでした。警察の言い分では、
「そういう可哀想な子を見た時、見て見ぬ振りをして放っておくのが普通である。そういう子に、何かしてやろうとする奇特な人がでてきたとしても、せいぜい児童相談所か民生委員に相談してくれる程度である。それを身内でもない男が、積極的に援助しようとするのはどう考えても解せない(げせない)。こういうところでは言えない、不純な動機が、あったからではないか。まして男一人で住んでいる家へ、そういう曰く(いわく)のある子を、毎日遊びにこさせ、二人だけで時間を過ごしていたのは、どう考えても非常識で、疑わしい。」
と言うのです。
私はこれまで述べてきたような、その時の自分の境遇、心情、茜を引き受けようと思うようになった経緯、茜に対する自分の感情の変化、茜と一緒にいた間の時間の過ごしたかたについて説明し、私の行動はあくまで善意に基づくものである事を強調しました。しかし何の縁もない子供に、お金まで与えていることが、なかなか理解していただけませんでした。警察はあくまで青少年健全育成条例違反(淫行)か、児童買春ポルノ禁止法違反として立件しようとしているように思えました。私は茜が、私のところに来るようになったことで、居場所が見つかり、いかがわしい場所に出入りしなくなっただけでなく、それによって、素行(そこう)も収まり、成績も向上してきていることを強調したのですが、なかなか聞き入れてくれません。お金を出してやっていたのは、いかがわしい行為をした代償ではないかと、執拗(しつよう)に繰り返し訊ね(たずね)ました。しかし最後は、何度聞いても、私の言い分は変わらなかった事、茜からも、そのようないかがわしい関係の供述は得られなかったこと、学校への問い合わせにより、私の所へ来るようになった頃より、素行が修まり、成績も向上したことを証明されたことなどにより、警察も私の立件を諦め(あきらめ)、放免(ほうめん)してくれました。
しかし茜に家事を手伝ってもらった代償として、お金を与えていたことが、労働基準法違反だとして、きついお灸を据え(すえ)られるという、おまけつきでした。(中学生をアルバイトに使用することは、原則禁止されているそうです。もし働かせるとしたら、行政官庁の許可が要るそうです。しかもその許可を得るには、その届出には親権者または後見人の許可と学校長の証明が必要だそうで、実際問題として、とても困難だそうです。)(私としては善意でしていたことで、小遣いとして与えては、彼女の心の負担になるであろうと思って、便宜的に、アルバイト賃として支払っていたのに過ぎなかったのですが、こういう段になると、警察の解釈は杓子定規(しゃくしじょうぎ)的で、そういう言い分は認めてくれませんでした。)

その21

茜の方はもっと大変でした。彼女に暴力を振るって捕まった連中が、彼女が一緒にしていた以前の悪事を、詳細に陳述したものですから、暴力事件も仲間割れとしかみられず、彼女自身も、非行少年として、病院からの退院を待って、警察からの本格的な取調べを受けることになってしまいました。しかも茜のそれまでの供述や、母親の取調べから、彼女の家庭環境、中でも母親の常軌を逸した(じょうきをいっした)行動や考え方、生活態度が問題になり、児童相談所の判断で、病院から退院しても直ぐには家庭には戻さず、取調べが終わって、処遇が決まるまでの間、児童相談所の一時保護施設へ収容される事に決まってしまいました。
私としては、できれば、私の家での保護預かりにしてほしかったのですが、先ほども申しましたように、私が独身である事、無職であること、しかも未だ青少年育成条例違反や、少女買春ポルノ禁止法違反の容疑が完全には晴れていないことなどから、それは許されませんでした。せっかくここまで立ち直り、普通の社会に慣れ親しんできた彼女を、そこから隔離し、そのような施設に預ける事は、彼女の精神面に却って悪い影響をあたえるのでないかと心配で、弁護士を通していろいろ働きかけてみたのですが、他に預かってくれる縁者とてなく、母親があのような人間である以上、どうしようもなかったのです。

その22

いよいよ退院という前の晩、そのことを知った茜は、がっかりしたようでした。彼女は退院したら、母親がどんなに反対しても、私の家に下宿させてもらい、そこから学校に通う心算でした。見舞いに行った私を捕まえて、
「おっちゃん、ごめんな。あの時は、うちどうかしていたわ。おかんの事考えると,頭ん中が真っ白になってしまって。今度からは、ああいうこと起こさないように、おっちゃんの所に、下宿させてもらう事にするわ。良い?よろしく頼むね。」
と言っていました。それが一時的とはいえ、児童保護施設に入所という事になったのですから、ショックだったようです。一時保護施設というのは、非行或いはぐ犯少年が、処遇の決まるまでの間、一時預けられる場所と説明されても、その時の私たちには、そこがどんな施設で、どんな子供が入っていて、そこに入った子供達がどんな風に扱われているのか、想像も付きませんでしたから、とても不安でした。
「おっちゃんは、いろいろ言ってくれてたけど、そんなもん、皆、奇麗事やったやんか。うちらみたいに、いっぺん汚れてしまったもんは、やっぱ、もう、いまさら何をやったって、どうにもならへんという事やなー。勉強かて、そんな所に入ったら、もう続けられへんかもしれんし。」
「受験も、内申書が悪くなるから、まともなとこは入れてくれへんやろしなー。」
「もし直ぐに学校に戻れるようになっても、そんなとこに、入とった聞いたら、怖がって、誰も近づいてこんやろなー。又一人ぼっちになるのかー。」
「おっちゃんとだって、会わせてもらえんように、なるかもしれんと、察がいっとったし。」
とすすり泣く茜を見ていると、可哀想で、私の胸も潰れそうでした。このような警察の決定は不合理だと思いました。こんな青少年事件は、その子の幸せと、厚生を第一義に考えられるべきであるのに、せっかく更生してきて、精神的にも落ち着き、未来に希望を持つようになってきたところを、一年も前の事件を理由に、今までの環境を断ち切って、そんな施設に収容するというのは、今までの全ての苦労をぶち壊し、厚生の芽を全て摘み取るものだとしか思えませんでした。また以前のように、自暴自棄になって、悪い仲間の中に入って行くかも知れない、或いは、感受性の豊かな子だから、絶望して、自分で命を絶つのではないかと思うと、気が気でありませんでした。私は彼女にできるだけのことをすることを約束しました。そもそも今回の件、悪いのは、彼女の生まれ育った環境であり、そのようにせざるを得なくさせていった、母親であって、彼女は単なる被害者でしかないからです。
「小父さんも、できるだけの事をするから、これでくじけちゃ駄目だよ。これからだって、人生、辛い事が一杯に起こってくるかもしれないけど、そのたびに自棄(やけ)になったり、落ち込んでいたりしても、どうにもならないでしょ。何があっても、何処にいなければならなくなったとしても、小父さんは、いつでもあんたの事を、気にかけ心配しているから。あんたも絶対に挫けたらいかん。最後にあんたが帰ってこれる家は、小父さんの所やから。あんたはもう家の娘やと思っているからね。」
と力づけるのでしたが、そういう私自身が,茜の今後の事を思うと、不安でたまりませんでした。友人の弁護士の話では、普通の家庭の子だったら、非行を働いていた時期が、まだ14歳未満であった事や、環境に情状を酌量する余地が大きい事、他の悪達の下でやらされていた従犯である事、もう既に更正してきている事などなどから、せいぜい児童相談所に送致されるくらいで、身柄はそのまま、親元に帰される事になるのでしょうが、何しろ親があんなどうしようもない母親ですし、それに代わる、しっかりした保護者もいない現状から考えると、“ぐ犯少年”(家庭環境、交友関係、性癖などから将来、犯罪を犯す可能性のある少年を指すそうです)として家庭裁判所に送られる可能性が強いだろうとの事でした。私自身は,茜と、法的に何の関係もなく、取調べや審判に立ち会ってやることができませんから、友人の弁護士に頼んで、取調べにも付き添い人として、立ち会ってもらうことにしました。これによって、私(中道)が何時でも茜を見守っていると言う事を示して、力づけてやると共に、警察のほうには、このような非行を働かざるを得なかった理由も勘案の上、なるべく今の環境に近い所で、普通の生活ができるよう、配慮してもらえるよう、働きかけました。

その23

しかし結果は弁護士の予想通りで、茜は一時保護預かり所に収容されたまま、家庭裁判所に送致されることになりました。弁護士が茜に、その決定を伝えに行った日、私も一緒に連れて行っていただきましたが、一時保護所は、私たちが想像していた所とは全く違っていました。収容されている子供たちは、非行が原因の子供達だけではなく、不幸な環境のために、行き先がなく、一時的に保護されているといった子供達も、沢山に入っていました。先生方はみんな親切で、居心地も悪くなく、勉強も、中の先生が見てくれているとかで、茜は思ったより元気にしていました。茜はもう、
「この後、こういう所に、居なければならなくなると、いうのなら、それは、それで良いよ。」
と自分の運命に従順に、現況を受け入れているようでした。これは彼女が受けてきた長い逆境がもたらした、彼女の生きていく上での知恵のように思われ、とても哀れに思えました。
家庭裁判所では、処分が決まる前に、調査官による調査がありました。本人や、母親に対する面接だけでなく、準保護者として、私(中道)に対しても行われました。担当調査官は、彼女がそのような事件を起こすに至った原因を探し、茜の更正のための対処法を探してくれているようでした。茜にたいしては、事件を起こしていた頃の彼女の様子だけでなく、そういうことをせざるを得なかった理由、生い立ち、母親との関係、母親の生活態度、母親に抱いている感情、学校の事、友達の事、そして私との関係、茜が私に抱いている感情など、いろいろと尋ねたようです。私に対しても茜との関係、出会い、茜の生活に立ち入るようになった理由、茜に対して抱いている私の感情、私が彼女の立ちだ直りのために努力した内容などを尋ねました。裁判所の調査官は警官とは違って、私の言うことを、素直に信じてくれたようでした。他にも、学校での茜の行状や成績、心理検査、一時保護施設にいたときの生活態度などの調査をおこなったようでした。
こうして出た、家庭裁判所の決定は、審判不開始でした。即ち調査の結果、非行の大きな責任は母親にあり、茜自身については、既に、充分に反省し、立ち直ってきているから、審判をする必要がないというものでした。ただ母親には大いに問題があるから、この少女の、今後のために、環境を整えてやる、お手伝いを、してやって欲しいという事で、児童相談所のほうに廻されました。

その24

児童相談所の担当ケース・ワーカーはとても親切でした。茜のことを親身になって同情し、考えてくれているようでした。これからの処遇についても、児童相談所の考えを一方的に押し付けるのでなくて、茜本人や,茜の事を心配している、周りの私たちの意見も聞きながら、納得のいくように、決めていってくれました。ただ絶対条件は、ああいった、とんでもない母親だから、母親のいる環境からは、絶対に離す必要があるということだけでした。茜は、せっかく友人もできだしたことですし、出来れば、私の家から同じ中学校に通うことにして欲しいと申し述べましたが、ケース・ワーカーの意見では、
「こういう事態になった以上、もし同じ中学校に通ったとしても、こういった事件の噂は何処からともなく、洩れ伝わっているものだから、学校へいっても、皆から好奇の目で見られ、辛い目に合うだけかもしれない。したがって思い切って新天地で、新しい友人関係を作った方がいいのではないか。」
「茜さんがいっているような、母親に近い、この場所からの通学という事になると、ああいうことを、平気で娘にやらせようとするような人のことだから、今後どんな形で貴女の生活に干渉してくることになるかも分からない。だから少し離れた場所に移ったほうが、良いのではないか。」
「通勤学の途中で、男と一緒に、暴力的に、貴女を連れ戻そうとするという事だって、無いとは言えませんし。」
ということでした。ケース・ワーカーは,私からも意見を聞いてくれました。私がこれまで茜のためにしてきたことを、本当に善意に基づくものだと認めてくれているようでした。私は
「今は中学三年で、受験生にとっては、一番大切な時期ですが、こんな時期に学校を変わって、ほんとうに大丈夫でしょうか。もし進学に差し支えるということなら、せっかく学校にも慣れ、友人も出来、勉強も乗ってきててきていることですから、今のまま、ここに下宿させ、私が家庭教師しながら、ここから通学させたいのですが。」
と言ってみました。
それに対しケース・ワーカーは、
「私どももその事も考えないではありませんでしたが、先ほど茜さんにも申しましたような、母親の行動に対する危惧、そして家庭裁判所での茜さんの心理テストの結果などから、やはり別の場所から通学させたほうが良いのではないかと考えています。」
との事でした。
何でも家庭裁判所の心理テストによりますと、
「茜の私に対する思慕の中には、恋愛に近い感情が強く含まれていたそうで、茜がもう少し生成長し、成熟した、大人としての、冷静な判断が下せるようになるまで、私からも、すこし距離をとらせたほうが良いのではないか。」
という結論になっているとのことでした。従って、
「茜さんの心の、健全な発達のために、できれば施設に入ることを、了承し、快く送り出してやって欲しい。」
といわれます。
なお児童養護施設がどういうところで、どういう子供たちが入っているか、そこでの生活はどのようなものであるかという事についても、懇切丁寧に説明してくれました。
こうして茜は、彼女も納得の上、児童養護施設に入所し、そこからその学区内にある、新しい中学校に通学する事に決まりました。

その24

児童養護施設は、親のいない子供や、いろいろな事情で、親が子供を養育できないために預けられた子供、虐待を受けていた子供などなどが入所している所で,茜に似た環境に育ってきた子供たちが沢山入っていました。ここは非行を矯正する施設というより、そのような不幸を背負った子供たちを養護し、その自立を支援する事を目的とする施設ですから、規則はありますが、比較的自由です。茜に対しても、外泊こそ認められませんが、会いに行く事や、休日に私のところに訪問する事は許可されております。集団生活の中の茜は結構世話好きで、小さな子供たちの面倒をよく見、幼い子供たちから、慕われているという事でした。施設では躾もきちんとしてくださるので、茜にそれまで欠けていた礼儀作法とか言葉遣いなども覚え、とてもよかったと思います。環境が変わることによって落ちるのではないかと心配した学校の成績の方も、私が助けてやるまでも無く、茜一人の頑張りで、常時クラスでも上位に位置するようになり、県立高校に入学することが出来、ここから高校にも通わせていただいております。ありがたい事に、着るものも、教科書も、食費も全て公費で賄われておりますから、進学のための参考書代とか、予備校の授業料以外に、お金の心配をする必要もありません。誰からも金銭的な恩義を感じる必要の少なくなった茜は、今こそ、本当の意味での自由、精神的な自由を獲得しました。彼女は自立心が強い子ですから、人の援助を受ける事に、多少、精神的な負担があったようです。この施設に入所し、自分以外にも不幸な境遇の子が沢山にいることを知った茜は、人の心の痛みの分かる本当に心優しい子に育ってきました。
私との関係は、施設に入所した当初は、あれほど寂しがって毎休日ごとに、やってきていたのに、最近では一ヶ月に一、二回になりました。高校二年になった彼女は、部活に、ボランティア活動に、予備校にと、毎週末、忙しいようです。私としましては、とても寂しいことですが、自分の子供でも、ある時期が来れば、自立して親から離れていくわけですから、茜も、これでやっと精神的にも、自立の道を歩み始めたのだと思って、喜ぶようにしております。
誰の心の中にもスーッと入っていける特技を持った茜は、今では友達も沢山に出来、しかも世話好きで、世慣れた所のある茜は、どこにいてもいつの間にかそこの、中心的存在となってやっているようです。中学生の頃は、スチュワーデスとか、空港アテンダント、ファッションモデルなどといった、華やかな職業に憧れていましたが、最近では、児童相談所のケース・ワーカーとか、臨床心理士、家庭裁判所の調査官、保母などといった職業に就いて、自分に似た境遇に苦しんでいる子供たちの、役に立ってやりたいと、言うようになっています。まだまだ高校二年生、今後どのように変わっていくか分かりませんが、そのように考えてくれるようになっただけでも、とても嬉しいことです。
私は、
「茜がどの道を選ぶにせよ、貴女の希望がかなうように、全面的に協力してやるつもりだから、お金も事は心配するな。」
と言っておるのですが、自立心の強い茜は、大学に通う費用は、できる限りアルバイトをして、まかなっていきたいと思っているようです。
しかし、実際問題として、若い女が、一人住まいをし、大学に通うという事は、並大抵の苦労ではないということが分かっているだけに、遠慮することなく、私を頼ってくれと何度も言っているのですが、茜には、そうすることに、抵抗があるようです。学費や生活費を稼ぐために、アルバイトに精を出しすぎて、肝心の勉学が疎かになって、結局大学を辞めてしまったとか、留年したとかいった例をよく見聞きしていますので、まだまだ先のことですが、心配でたまりません。最近頓に(とみに:急に)女らしくなってきただけに、金目になるアルバイトを探しているうちに、水商売に誘われて、身を持ち崩すのでないか、それも心配です。私の心配を他所に、茜は、
「大丈夫だよ。世の中の怖さ、厳しさは、小父さんより、よく知っているから、危ない事なんかに、絶対近づかないから。アルバイトだって、後ろに大蔵大臣が控えていると思って、無理しない程度にしか、しないつもりだから。取り越し苦労しないで。」
と笑い飛ばしますが、年をとったせいか、どうも何かと心配です。
だから、茜に会うといつの間にか、その話題が出てきて、
「茜ちゃんね、大学時代は、できる限り勉学に専念しておかないと、いいケース・ワーカーになれないんだから。」
とか、
「あんたが望んでいる職業は皆、殆ど公務員だから、大学できちんと勉強しておかないと、試験が通らないからね」
などという言葉が、口をついてでてきてしまいます。茜も、最近ではもう慣れてしまったのか、
「まだ大学にも受かっていないのに。もう。耳に胼胝(みみにたこ:同じことを何度も聞かされて聞き飽きること)。」
といって耳を塞ぐ真似をしながら、笑ってしまいます。

その25

私は、茜が児童養護施設に入った年の秋から、することもないままに、香奈や妻の菩提を弔うために、こうして歩き遍路をはじめました。春と秋の一年に二回、八十八箇所を歩いて回っておりますが、歩いても、歩いても、どんなに一生懸命にお参りしても、まだまだ、妻の許しが得られた気がいたしません。煩悩も断ち切れません。一時悟ったかと思う瞬間があっても、すぐその後から煩悩が絶え間なく起こってまいります。人間、なかなか涅槃の境地には達しれないものだと、つくづく思っております。ただ歩き遍路をしてみてよく分かったことは、人間一人では生きていけないものだという事です。命を繋ぐために、どれほどの人の世話になり、どれほど他の生き物の命を頂いているかわからないほどだと思うと、自分もこの余生を、漫然と生きていてはいけないのだと、思うようになりました。従って私は、こうして歩き遍路をしている間に受けた、お接待は、すべてお金に換算し直して、その合計額の二倍に相当するお金を、年金を節約したお金から捻出して、養護施設に寄付させていただいております。こうすることにより、お接待してくださった方の善意を生かさせていただくと同時に、私自身も、少しは誰かのお役に立っているのだという事を実感させていただきたいからです。
私、死ぬまでに、自分が、他の命から受けたお陰の、せめて何十分の一でもいいから、誰かに返したいと思っております。こんな思いが、いつか表に出てき、ある日遊びにきていた茜に、
「人は誰でも、一人で生きているわけじゃないんだなー。何時も、誰かに助けてもらって、生きている動物だと、最近つくづく思うんだよねー。だから、人の善意に基づく援助の申し出は、素直に受けた方が良いんじゃないかなー。力がない間は、それを受けておいて、力がついてきたら、その時返せばいいんだからさー。そうしようと思ったとき、もし援助してくれた人が居なくなってしまっていたら、別に援助してくれた人に直接返さなくても、同じように困っている人に帰返してやればいいのだよ。そうすれば世の中、助け合いの輪が広がって、もっと住みやすくなるんじゃないかとおもうんだけど。」
と言った事があります。すると茜は、
「でもねー、小父ちゃん、そんなこといっても、世話になった方は、出来れば世話をしてくれた人にも、直接返して、喜んでもらいたいと思っているものよ。だから小父さんも、私が大学を卒業して、ちゃんとした仕事に就くまでは、絶対に死なないで待っていてね。絶対早く死んじゃー駄目だよ。約束だよ。」
と言ってくれました。本当に嬉しい事を言ってくれます。
「うん、ありがとう。無論、小父さんも、茜ちゃんが、立派になった姿みたいから、それまで頑張っている心算だよ。もしほんとうに、あんたが、今、希望しているような仕事に、就くことが出来たら、そういう子たちが、少しでも救われるように、二人で、なんかやろうね。」
と答えましたが、涙が出て困りました。本当にいい子に育ってくれました。引き合わせてくれた妻と香奈に感謝しています。私は、私に、もし万一の事があった時に備えて,死後、全ての財産を茜が相続できるように、信託銀行に遺言信託してあります。
人は、
「そんな赤の他人にお金を渡して、どう使われるか、分からないのに。」
と言ってくれますが、私は、
「茜は学費として使った後、余分のお金が残れば、そのお金は、自分と同じような境遇の子を助けるために、きっと使ってくれるだろうと信じていますから、平気です。」

という事で、中道さんの長いお話は終りました。

その26--以後蛇足

数学の計算で言いますと、マイナスとマイナスが合わさってもマイナスにしかなりません。茜の場合、父親も母親も、マイナスですから、単純な加算なら、マイナスの子としてしか生まれなかったはずです。しかし茜はどう考えてもプラスの子です。それも、周りの人に幸せの光を運んでくる大きなプラスの子のように思われます。もしあの時、茜に会わなかったら、私は妻や香奈の死によって打ちのめされたままの、マイナスの人生で終わっていただろうと思います。それが茜の人生にかかわる事が出来たお陰で、大きくプラスへと変換する事が出来ました。ということは、子供の性格は両親の加算によって、形成される場合ばかりでなく、積算によってマイナスとマイナスとの組み合わせからでもプラスとして形成されて来る場合もあるというわけなのでしょうね。
そして、こうして本来はプラスの素因を持っているにもかかわらず、環境による強いマイナスの影響によって、初めに会った頃の茜のように、差し引き見かけ上は、マイナスとなってしまっている子供達がかなりいるのではないかとおもわれます。

最近の凶悪少年犯罪事件についての世間の風潮などを見ていますと、犯罪を起こすにいたった経緯、生い立ち、その子を取り巻く環境などを考慮することなく、一概に厳罰を求める傾向にありますが、少年を断罪する場合は、少年法立法の基本精神に立ち返って、短絡的に厳罰を与えるのではなく、その子供が罪を起こすにいたった要因、経緯、少年を取り巻く環境なども充分に考慮し、本当に厚生不可能な犯罪者かどうか、しばらく観察し、その後処遇を決定するくらいの慎重さが、必要ではないかと思うのですが、皆さんどう思おもわれますか。

おわり

マイナスとマイナスが合わさっても その1

マイナスとマイナスが合わさっても その2

マイナスとマイナスが合わさっても その3

マイナスとマイナスが合わさっても その3

マイナスとマイナスが合わさっても その1

マイナスとマイナスが合わさっても その2

この話はフィクションで、実在の人物、事件とは全く関係ありません。

その15

こうして私たち二人の奇妙な生活が始まりました。彼女は放課後になると、鞄を下げて嬉々としてやって来ては、手際よく家事を、片付けていくようになりました。小さいときから母親の代わりに家の仕事をしていたと見えて、とても手際良くやっていきました。休日とか、午前中授業のないときは、朝からやって来て、テレビをみたり、寝転んだりしてごろごろしていることもしばしばでした。彼女は殆ど毎日のように、私の家に来て、家事だけでなく、何かと私の世話もするようになりました。深酒は駄目だとか、散歩に行けとか、お風呂に入れ、着替えをきちんとしろ、タバコは止めろと、まるで小さなお嫁さんが来たかのような、口うるささです。でも一人で誰からも、かまってもらえなかった、それまでの孤独に比べれば、それもまんざら悪い気持ちではありませんでした。彼女は私のお酒の量も、タバコの本数も、勝手に決めて、一日に一定量以上には買ってきてくれませんでした。そのため、お酒の量も、タバコの量も自然に少なくなりました。足りなくなって、夜間、彼女がいない時を見計らって、コンビニに出かけて買い増してきたりしますと、次の日に来た時、茜は、真剣に怒り、取り上げてしまいます。しかしそうされても、娘に注意されているようで、悪い気持ちがしないのですから、不思議です。私は次第に正気でいるときが多くなり、読書や俳句、絵画といった趣味にふける時間を、取り戻してまいりました。

生活も今までよりかなり規則的になってきました。彼女が来る頃には、きちんとした服装に替え、起き上がって、何かをしているようになっていきました。彼女はとても寂しがりやで、おしゃべりでした。家に来たときは、仕事をしながら、のべつまくなしに(ひっきりなしに)話しかけてきます。彼女は、勉強は出来ないようでしたが、苦労してきたためか、世間的な知恵には、長(た)けていました。結構いろいろ考えているようで、物の見方もユニークでした。ただ生い立ちのせいか、どちらかというと世間の事を、斜めに見ているといった、偏っているところがあり、通常の世間的常識とはかけ離れておりました。
しかし彼女がその日に起こった事や感じた事、先生の噂話や、クラスメートの事などなどを、ペチャクチャと止め処なく話すのを聞いていますと、亡くなった妻が戻ってきたかのように、心が休まりました。私も彼女が来る事によって、救われたのです。変わりました。自分の殻(から)の中に閉じこもって、人嫌いになっていた私が、夏休み前頃には、彼女が来るのを、心待ちにするようになっていました。二人はいろいろな世間話をしました。

こういった時、二人の物事の捉え方の違いから、議論になってしまうこともしばしばありました。最初の頃はお互い遠慮していたのですが、その頃になると慣れてきて、本音で話すようになりましたから、本気で議論するようになっていました。茜に一般的な常識を身につけさせたいと思って、説得しようとするのですが、茜には茜の考えがあり、それを主張して、なかなか納得してくれませんでした。彼女には、自我がぶつかり合う現実の人間社会から、争いごとを少なくし、人と人との付き合いをスムーズにさせるためのルール、即ち、常識という共同体内での暗黙の了解事項が、納得できないようでした。彼女のように、人間社会からはみ出した所で生きて来た者にとっては、そんなものは邪魔で、幸せな人間達が決めた、勝手なルールとしか映らなかったのです。私はそれ以上に無理押しせず、私たちの生活になじんでもらうことにより、自然にそれを知ってもらう事にしました。茜はまた、学校の成績から、自分は頭が悪いから、どうしようもないと決め付け、自分を投げているような所がありました。

しかし私の見るところ、茜が思っているほど彼女は馬鹿とは思えません。記憶力など抜群です。買い物などさせても何処で何時、身につけたのか、きちんと計算でき、つり銭を間違えた事もありませんでした。世間的な知恵も、苦労してきたゆえか、同年代の子など比べ物にならないくらいに持っていますし、こういったことから、彼女が、やる気になってしっかり勉強しさえすれば、直ぐに、普通の子供くらいの程度なら追いつけるのではないかと思われました。

そこである日のこと、それは私のところに来るようになってざっと3ヶ月も経った時の事だったでしょうか、夏休み近くとかで、午後の授業がなく、お昼ごろに、もう家に来て、テレビを見てごろごろしている茜をつかまえて、きりだしてみました。
「あんた、この世の中を渡っていくには、せめて高校くらいは出とらんと、まともに生きていくのは難しいで。」
「面倒でも、少し勉強してみない?もしする気があるなら、小父さんが教えてやるけど。いやなら別に無理押しはしないけどね」
「面倒っちいな。いまさら、どうにもならんと思うけどなあ。」
「だってまだ、1年生が始まったばかりやで。これからでも、きちんと勉強すれば、そこらあたりの高校くらいなら、行けるようになるのと違う。」
「そんなもん、無理、無理。」
「第一、お金あらヘンもん。」
と彼女。
「高校に行っても、ここで今のようなアルバイトすれば。時間給も、いまより、少し上げてやるし、働く時間も、少し延長したら、やっていけるんと違う。それに奨学金だってあるし」
「入学の時の当座に入用なお金は、小父さんが、出世払いということで、一時、立て替えてあげるから。」
「うーん。いいけど、おっちゃんも、変わっているなー。赤の他人に。うちは、出世なんかせえへんで。何、狙とるんや。まあ、おっちゃんなら、一晩くらい、付き合ったってもいいけど。」
と茜。
「直ぐそういう方にもって行く。冗談でもそういうの聞くと、なんだか小父さん、悲しくなるなー。確かにあんたが今まで会ってきた男は、ろくなもん、おらなんだかも知れんけど、男も、そういう変な奴ばかりとは限らんで。そりゃ、小父さんだって、立派な事は言えんかもしれんが、あんた等みたいな子供に、どうこうする気は全然ないで。そんな奴は絶対に、許せんと思っている口やから。」
「気に障った(さわった)。ごめん。そんなの冗談やんか。だけど、おっちゃんはそう言うけど、野球選手やボクサーかて、あれ身体で稼いどるんやでー、頭のいい奴は、教授になったり、社長になったりして、頭で金を稼いどるやんか、女だけ、身体売ってお金稼いで。なんでいかんのや。若いからといってそういうことやったらいかんというのも分からんわ。うちらみたいな阿呆には、それしか、なんもあらへんのに。どうもよう分からん。」
と茜は言います。
「あんたが、もう少し大きくなって、世間の事が、もう少し分かるようになったら、その時、きちんと話すわ。それまでは、『小父さんはそういうものは、あんたが一番大切と思った人に出会う時までは、大事に取っておくものだと思っている。だからそういう風に、誰彼かまわずそういうことをさせて、自分で、自分を汚す(けがす)ような事を、してはいけないのだ。そういうことをすると、小父さんを悲しませる事になるのだから。』ということで、今日のところは、納得してくれる?今では、あんたの事、小父さんは身内のように思っているから、貴方が傷ついたと聞くと、自分の子供の事みたいに辛くなるんだよ。だから小父さんのところに顔を出してくれるつもりなら、絶対にそういうことをしないと約束してね。」
といってその話はそれで、打ち切ってしまいました。この時点ではまだ、彼女にこの話をしても、理解してもらって、納得させるのは難しいだろうと思ったからです。
「フーン。どうもよう分からんなー。でもおっちゃんが、嫌がるんなら、ちゃんと約束は守ったるでいいよ。だけど大人は狡いな(こすい)。負けそうになると、ちゃんと誤魔化すんやから。」
と茜は不服そうに口を尖らせていましたが、それ以上は何も言いませんでした。彼女はこの件について、もっと言いたいことが、いろいろあるようでした。

その16

簡単に引き受けましたが、中学1年生の茜の勉強を見てやることは、想像以上に大変な事でした。
茜の学力は、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても、小学校4年生以下です。国語の知識はひらがな、カタカナとほんの僅かな(わずかな)漢字を知っている程度ですし、本を読んでもらっても、ポツリポツリと字を拾っていく読み方ですから、読んでも、本の中身を充分理解することが出来ないといった有様でした。数学も、足し算、引き算は比較的出来るようですが、九九は、不正確です。従って分数の計算は無論のこと、掛け算、割り算もあまりできません。ただ不思議な事に、買い物の時の計算などは、暗算で速く正確にしますし、街でよく見かける看板や道標などの漢字は、比較的よく知っていました。私はそれまで子供に教えるなどという経験はありませんでした。従ってどのように教えたらいいのか、見当がつきませんでした。高校受験までの2年半くらいの間に、この子を合格できる程度の学力まで引っ張り上げなければならないことを思うと、その難しさに、ただただ溜息が出るばかりでした。
しかし焦っては駄目だと思いましたから、茜と相談して、学校での授業の進度とは関係なしの特別なカリキュラムに従って、やっていくことにしました。幸いな事に、学校の方は、それまで、出席したりしなかったりで、先生の関心を引かない、お客様の生徒でしたから、彼女が授業中、何をしていても誰も気にもしません。

問題はそれまで、長時間机の前に座っていた事のない茜を、一定時間、そこに縛り(しばり)付けておく事の難しさでした。最初のうちは、彼女の集中力は10分と持たないほどでした。何を勉強させても、10分も経たないうちに嫌になってしまって、他所(よそ)に気がいってしまいます。そして行き詰ると、
「自分はどうせ阿呆(あほ)だから、いくら、こんな事をしたって無駄だわ。」
と、直ぐに、諦めて投げ出して、言いたくれを言いだします。

家事をしている時や無駄話をしている時は、とても朗らかで、楽しそうですが、机に向わせると、青菜に塩、すぐに眉間(みけん)に縦縞が寄ってきて、元気がなくなり、今にもヒステリーを起こしそうになります。そして10分も経たないうちに、おしりがむずむずしだします。この子に勉強は無理かもしれないと、何度思ったことでしょう。しかし、これで挫けて、家に来なくなるのなら、それはそれで仕方がない。この子にはそれだけしか、運がなかったと思えばいいと、覚悟を決めていましたから、勉強の時はなるべく厳しく指導しました。彼女の将来を思うとき、ここが踏ん張りどころと思ったからです。

そうは申しましても、私の受験勉強の時代だって、油が乗って来ない時は、お尻がなかなか座らなかった経験もありましたから、最初のうちは彼女が飽きないように、10分くらいで、区切り、休憩を入れるとか、易しい問題を混ぜ合わせて、自信を付けさせるようにするとか、雑談の中に難しい言葉をわざと入れるとか、いろいろ工夫しました。
私の計画では、夏休みが終わるまでには、算数と国語くらいは、小学校4年くらいまでの学力をしっかりつけさせたいと思っていました。私自身も勉強しました。教育指導要綱などを買ってきて、小学校の6年卒業までに要求されている学力は、どの程度かを調べたり、それに応じての、テキスト、問題集を研究したりしました。まず取り組んだのは、計算力の強化と、本を読む習慣、読んだ本の内容を理解する力の養成でした。計算問題は私が毎日作り、それをさせました。最初は簡単な足し算引き算から始め、次第に桁(けた)数の多い数を、正確に、速く出来るように指導しました。
掛け算割り算は、まず九九の正確な暗誦から始め、次に無秩序に並べ替えてある九九を一定時間以内に正解させる訓練から始めました。九九の暗証は、私が母親にされたように、彼女が家事をしているときに、それをしながら暗記してもらい、私はそれを聞いていました。こういった計算問題は、短時間で区切る事が出来ますから,飽きが来ないうちに、休んだりでき、学ばせるには便利でした。問題は国語でした。生い立ちのせいもあって、知っている語彙(ごい)も少なく、本を読む習慣も殆ど持っていません。

従って教科書以外に、小学校低学年用の、絵本とか童話集などを、声を出して読んでもらうことにしました。買ってきた本には、全ての漢字に、予め振り仮名をつけておいて、読みやすくし、本に楽しんでもらう事から始めました。それからもう一つ、予め文章を主語、述語、目的語、接続詞、修飾語ないしは修飾句などによって、小節(しょうせつ)に区切っておいてやり、文章を読むとき、一つ一つの文字として拾うのでなく、意味をもった言葉としての文字を読み、その言葉の集まりとして文章を、捉える(とらえる)ようにさせました。書き取りは始めのうちは、特別に何もしませんでした。ただ一日にあったこと、本を呼んで感じたこと、その日に感じたこと、そして、私に言いたいことなどなど、短い文章でもいいからと、日記のように書いてもらいました。それを点検して、漢字に直せる所は、漢字に直してもらうように指導し、同時に私の考え、感想などを書いて返しました。これにも少しづつ、難しい漢字を入れることにより、漢字の読みと意味を自然に覚えてもらうように心がけました。

彼女の考えとか、不満は、最初のうちは、あまり強く反論せず、
「そういう考え方もあるかもしれんなー。」
「しかし世の中は、いろんな考えがあるぜ。一つの考えが絶対とは言えんよ。今のうちは、いろいろな人の意見にも耳を傾けたほうがいいと思うがなー。そうやっていろんな意見を聞いておいて、自分の考えを、まとめるためのこやしとしたらどうやろ。」
とか。
「そうやねー。そうかもしれんけど、小父さんの考えはチョット違うなー。又直接話し合おうな」
とか。
「小父さんも気が付かなくて、悪かった。今度から気をつけるよね。」
とかというふうに、なるべく頭から否定しないで、彼女が、気軽に自分を出せるように気をつけました。
しばらくの間は、私は自分の時間の殆ど(ほとんど)を茜の為に使いました。茜が学校に行って、家に居ない時は、次のカリキュラムを考え、教材を作り、彼女が家に居る時は、彼女の勉強の相手をし、そして彼女が、家事をしている時は、彼女の話し相手となったり、九九の暗算の練習を聞いていたりしていました。私にとっては生きがいができたようなものですが、茜にとっては大変だったと思います。それまでの、何にも束縛(そくばく)されない、自由気侭(きまま)な生活から、嫌いな勉強を、殆ど四六時中、強いられるのですから、今から思うとよく耐えたと思います。何やかにやと、文句を言いながらも茜は投げ出す事もなく、夏休みの間中、私の家にやってきては、勉強していました。時々ヒステリーを起こしたりもしましたが、しばらく、雑談をしたり、テレビを見たりしているうちに、気が収まり、また机の前に戻ってきました。彼女も必死だったと思います。彼女としては、私に見捨てられて、又誰からもまともに人間として扱ってもらえない、あの休まる所を持たない、飢えたどぶねずみのような生活に戻らねばならなくなった時の恐怖が、通って来させた原動力になっていたように思いますが、或いは、私との雑談の中から、自分の未来に対する、ささやかな希望を持つようになれたことが大きかったのかもしれません。

しかし最も大きかったのは、愛情に飢えていた茜が、本能的に頼りになりそうな対象としての私を見つけ、必死にしがみ付いてきていたのではないかと思います。彼女の勉強振りを見ていますと、私の顔色を見ながら、頑張っていたところが、大いにありましたから。幸いな事に、彼女が得てきた世間的な知識が、彼女の勉強の理解に、とても役立ちました。茜の勉強は思ったよりはかどり、中学2年の夏も終わりごろには、分数、少数や連立方程式の計算まで出来るようになっていました。茜は私の最初に思ったとおり、情緒豊かな、頭がいい子でした。計算問題など、一つの原理を理解すると、次々それを応用して問題を解いていきますから、それほど手が掛からなく覚えるようになっていきました。国語はそんなに簡単にいきませんでしたが、それでも自分から興味を持って、小説なども読むようになっており、毎日書いている交換日記風の物にも、漢字の数がかなり増え、文章の形も整って、長くなってまいりました。その頃になりますと,茜も次第に自分の学力に自信が付いてきました。それと同時に興味と欲がでてきました。彼女がもともと持っていた、負けず嫌いと自尊心が、それに鞭を打ち出しました。以前に比べると、机の前にすわって勉強に取り組んでおれる時間が長くなり、質問も多くなりました。私はもう、茜が他人とは思えないほどに可愛くてしかたがなくなりました。私に褒めてもらいたいばかりに、勉強に必死に喰らいついてくる、彼女の姿は、いかにもいじらしく、愛しくてたまらないとまで、思うようになっていきました。

こうして夏休みの終わり頃には、思ったより勉強が進み、一緒に街に出かけて、買い物をしたり、映画を見たり、レストランでの食事を楽しんだりする、時間的余裕も出て来ました。こういった時の茜は、何をしても、何を食べても、珍しがり、大喜びします。そのため一緒にいるこちらまで、とても楽しく、幸せな気分になったものでした。

ここまで来ると、その後の勉強は、思ったより捗るようになりました。英語などは、まだそれほど授業に遅れていませんでしたから、主に教科書を暗記させ、単語の書き取りを繰り返しやっただけで、さほど苦労することなく、学校の授業に追いつくことができました。勉強に対する欲と集中力ができてきた茜は、他の授業も、授業中にそれなりに集中して聞き、ノートもとってくるようになりましたから、中学2年の三学期に入ってからのテストでは、全ての科目で、クラスの平均点近くの成績を取れるようになりだしました。特に三学期末の英語テストの結果は良く、クラスで4番目でした。得意そうに、ひらひら見せびらかしながら持ってきた答案用紙を見た時には、私も嬉しさに、涙ぐんでしまいました。
彼女も自分の学力にかなり自信が持てたようで、
「将来、スチュワーデスか、空港のアテンダントになって、おっちゃんを、外国に連れて行ってやるからね。」
といって夢を膨らませるようになっていました。

そこにはもう、自分は頭が悪いからと決め付けて自分を棄てていた、昔の茜はいませんでした。茜は自分に、ある程度自信が持てるようになり、以前に比べ、とても明るくなりました。学校内にも親しい友達が数人出来てきました。私の家からのお金で、小奇麗な服装をし、毎日風呂も使って清潔にするようになった彼女は、何処から見ても普通の少女で、クラスメート達も特異な目で見ることはなくなりました。その上、彼女の生い立ちや、好んで読むような本の影響などから、人の痛みの分かる、心優しい、正義感の強い子に育っていきましたから、結構頼られる存在でした。小学校時代のクラスメートの中には、彼女の昔や、母親の事を知っていて、とやかく言う子もいますが、中学校は通学範囲が広がりましたから、別に気にしない子もいます。それに中学生にもなりますと、自分の意志を持ち、他人の価値観に左右される事はなくなりますから、彼女の本来の姿を評価して近づいてくれる子もいるようになりました。世慣れている彼女は、黙っていても存在感があります。従ってそういった彼女を評価してくれる友達の間ではリーダー的な存在になっていました。

その17

こうして何もかにもが順風萬帆、うまくいくかのように見えたのですが、それは一時のことでした。世の中そうは、平坦な道ばかりは続かなかったのです。
中学3年になった頃より、茜は、食事を充分に取るようになった事もあってか、体つきもふっくらとして、丸みを帯び、女らしくなってき、もともと整っていた容姿は、磨きがかかり、蛹(さなぎ)から蝶に変わったように可愛くなってまいりました。そんな彼女を、彼女を取り巻く環境が黙って放っておいてくれませんでした。母親の所に出入りする男たちが、彼女を狙って、盛んにちょっかいを出すようになったのです。最初はそんな茜に焼餅を焼いて、男達から遠ざけようとしていた母親も、年齢的に、自分の魅力だけでは、男を繋ぎとめる事が出来ないと諦めてきた時、なんと母親の方が、積極的に茜を、男達に斡旋しようと考え始めたのでした。
それまで無関心だった母親は、盛んに彼女に干渉し始め、その身辺を嗅ぎまわり始めたのです。母親は、彼女の行き先をしつこく聞くようになりました。又彼女が、母親が与えてもいないのに、新しいものを、いろいろ身につけている事に、疑問を持ち、盛んに、そのお金の出所を追及するようになりました。母親は、茜が外で何をしているか、全く知りませんでしたから、自分に内緒の男が出来、その人からお金をもらっていると邪推しました。そしてどうせそういう風にしてお金を貰うのなら、今のような、しょぼくれた金しかくれない男についているよりも、もっと沢山、お金をくれる男に鞍替えさせた方がいいと思ったようでした。母親の文句は、何時でもそれから始まりました。
「もっとましな男を捕まえれば、あんたなら、なんでも思い通りにさせてくれる男がいくらでもいるのに、そうすりゃ、私もこんな苦労はしなくても済むのに。」
というものでした。

それは何時も聞いていた私の意見と、180度違っていました。もはや昔の茜ではなくなっていた彼女には、そんな事はとんでもない事に思えました。わが子に、そんな事を勧める母親に、呆れ、絶望しました。二人の間では喧嘩が絶えませんでした。茜は次第に、私の家に泊まることのほうが、多くなっていきました。母親が嫌になったこともありますが、そんな母親の態度から、自分の身の危険を、感じたからです。しかしそうは言っても、全く家に帰らないわけにも参りません。やはり母親ですから、多少の信頼もあり、愛情も残っています。ところが、茜が中学3年になったばかりのある日、とんでもない事が起こりました。久しぶりに家に、帰って寝ていた時、彼女の部屋に、男が入ってきたのです。がたん、がたんと立て付けの悪いガラス戸の開く音に、目を覚ました茜の目に、中年の男の姿が飛び込んできました。びっくりして飛び起きた茜に、男はぎらぎらとした欲望を丸出しにして、抱きついてきます。茜はとっさに逃げると同時に、
「そんなことしたら、警察に訴えてやる。」
と叫びました。
すると男は、
「何、言っとる。お前のお母ちゃんから、許可もらっとるやないか。」
と返して、又抱きつこうとします。そんな男に、茜は、思いっきり股間を蹴り上げ、
「そんなもん、親が許したって、うちが許さんわ。阿呆。馬鹿。助平。死ね。」
と罵りながら、部屋から飛び出しました。ちらと振り向いた視線には、男が股間を抱えて、座り込んでいるのが入ってきましたが、茜はこれ幸いと、そのままにして、家からも飛び出しました。

その18

一旦、家から飛び出したものの、何しろネグりジェのままで、靴も履いていませんでした。しかしあの男の居る家の中に入るのは、恐ろしくて出来ません。又、もう今では、母親の顔を見るのも、おぞましいと思えました。そこで、ともかく母親が寝静まるのを待って、家を出ようと決めました。暗闇に潜んで、母親が寝静まるのを待つ間、茜は母親に対する怒りで、身体がぶるぶると震えていました。世間の親のありようを知ってきた彼女にとって、そんな母親の態度は、許しがたい事でした。こんな母親しか持てなかった自分の運命を呪いました。あんな親を持っている以上、何をしても、どんなに努力しても無駄で、この先、どうにもならないのではないかと思え、絶望し、又昔のように、自暴自棄になっていきました。

その夜、もう一度、家に忍び込んで、辛うじて服装を整え、家を出た茜は、
「おかんの馬鹿。死ね。・・・ど助平のおやじどもなんか、皆、消えてしまえ。・・・おっちゃんの嘘つき。なにやったって、うちらには、結局、おかんみたいな生き方しかあらへんやないか。」
と泣きながら、ぶつぶつ呟き、街の方へと歩きだしました。なんだか大人達みんなに裏切られたような気がして、悲しくて、孤独でした。そのまま私の家に来る気に、どうしてもなれませんでした。茜の足はいつの間にか、かつての仲間がいた街の遊技場の方へと向いていました。そこなら居場所があるような気がしたからです。

その19

その日の遊技場には、昔の仲間が四人。以前のようにとぐろを巻いていました。女三人、男が一人からなる彼らは、彼女のあまりの変わりように驚いたようで、よそよそしく、昔のような親しみは示してくれませんでした。茜のその日の姿形(すがたかたち)から、自分たちの仲間とは違う匂いを敏感に嗅ぎ取ったようです。彼女たちは茜のことを。仲間というより、むしろ集る(たかる)相手と決めたようでした。茜は気付いていませんでしたが、昔の仲間達は、学生らしいこざっぱりした服装をし、清潔な雰囲気を全身から漂わせ(ただよわせ)ている茜が、余所余所しい(よそよそしい)ように感じられ、気に入らなかったのです。茜があまりにも可愛らしくなったので、焼餅を焼いているところもあったかもしれません。傍(かたわら)に寄ってきた彼ら(彼と彼女ら)に
「お久ぶりです。」
と丁寧に挨拶する茜に向って、
「あんた、最近、顔見せんと思っとったら、急にぶって、何や。良い男でも出来たんか。それとも、おかんが、大金持ちのスポンサーでも、捉まえたんか。お金、持っとるんやろ。昔のよしみや、少し貸してえな。今、うちらピンチや。」
と早速集り(たかり)始めました。
とりあえず、服だけつけて飛び出してきた茜に、お金があるはずがありません、
「母と喧嘩して飛び出してきたばかりやから、お金は持ってないの。この次、埋め合わせするから、今日はごめん。」
と昔の仲間に言うように言った茜に対し、
「そんなんで、許されると思っとるんか。金がないんなら、前みたいに身体で払いな。今のお前なら、いくらでも引っ掛って来る男がいるで。いい男、引っ掛けな。そしたら、後はうちらがやったるから。」
と凄み(すごみ)ます。
「嫌や。許して。小父さんが、そういうことをしたら、絶対いかんと言うから、もう、うちはそういう事は、せん事に決めたんや。明日、絶対に持ってくるから、今日は許して。」
「小父さんって、お前のスポンサーか。いくつのオヤジや。こんな若い娘を自由にしやがって、いやらしい奴やな。後で挨拶に行ったらな、あかんかもしれん。何処のどいつや。」
「・・・・・」
「そいつに操(みさお)立てて、やれんというなら、余計に許せんわ。どうしてもやらんというんなら、焼きいれたろか。」
「・・・・・」
「どうしても出来んというんやなー。ちょっと、顔貸しな。」
と言って、店の裏手に引っ張って行きます。夜の街は怖い所です。茜が小突かれながら引っ張られていくのを見ても、店の中の人は皆、無関心、自分のゲームに夢中で、誰も助けようとしてくれません。警察に通報してくれるような事もしてくれませんでした。茜は男一人、女三人から、髪を引っ張られながら、蹴られたり、殴られたり、踏んづけられたりと、散々な目に遭わされました。もしその時、偶然巡回してきた私服の警官がいなかったら、死んでいたのではないかと思われるほどに、酷くいたぶられました。異変を感じた警官が、直ちに駆けより、いたぶっていた二人を逮捕したのですが、茜は既にそのとき、意識が朦朧(もうろう)としていて、それも気付かないほどにやられていました。
この時、残り二人を取り逃がした警官は、直ちに応援を呼び、付近に非常警戒網を敷くと同時に、ぐったりとして半分意識のなかった彼女を、救急車で病院へ搬送(はんそう)する手配をしてくれました。幸いにも傷は、見たところより軽く、肋骨に二本ひびがはいっていた以外は、打撲傷程度ですみました。病院での検査中に、意識もしっかりしてきましたが、あまりにも打撲の程度が強く、広範囲にわたっているため、外傷性ショックや、内臓破裂の心配もあり、ともかく一時入院して様子を見るという事になりました。

そこで警官は病院の支払いのこともありましたし、例え被害者といっても、未成年者の深夜の暴力事件でもありますから、保護者からも事情を聞く必要性を感じ、保護者に連絡を取るため、保護者の住所と、電話番号などを茜に問いただしました。これに対して、茜が出したのが私(中道)の名前でした。母親は病気で寝ているから、代わりに親しくしてもらっている親戚の小父さんということで、私の名前を出したようです。深夜の警察からの電話に驚いた私が、とるものとりあえず病院に駆けつけた時には、茜は、検査や処置が終わったところで、それまでの草臥れ(くたびれ)と、痛み止めの効果のせいか、ベッドで眠っていて、私に気付きませんでした。顔も手足も痣(あざ)だらけになって、腫れ上がっているその姿はとても痛々しく、胸がつぶれました。お医者さんからの説明で、傷は見たほどではなく、殆ど後も残らないだろうということで、少し安心しましたが、次はどうしてこんなことになったかという心配が起こってきました。又悪い仲間の所に行っていたという事は、私にとっては、なんだか裏切りにあったようで、とてもショックでした。

そのときは、事情が分からなかったものですから、てっきり勉強が嫌になって逃げ出したのだと邪推し、腹立たしいと思うと同時に、自分のやり方のどこかが間違って、茜を追い込んでしまっていたのでないかと、私自身を責めました。無力感に絶望もしました。いろいろ考えているうちに、腹立たしさと気懸かりで、居ても立ってもおれなくなり、茜を、直ぐにたたき起こして、そんな所に、どうして又行ったのかと、問い詰めようとまで思ったほどでした。しかし痛そうに、時々顔をしかめながら寝返りを打って、うとうとしている茜を見ていますと、やはり哀れになってきて、そんな事も出来ません。結局目が覚めるまで待つことにしました。病院について少し経った所で、私は保護者という事で、派出所に呼び出され、警官から茜の家庭事情、私との関係、そして私の住所、職業などについていろいろ聞かれました。その時の私は、こういった少年事件について、全く知識がありませんでしたから、被害者である茜が、問題になるなど、露考えることなく、茜の酷い家庭事情、特に母親の事、そして私との関係などについて説明し、可哀想な境遇の子だということ、何とかしてやりたいと思って世話している事、お蔭で最近はやっと、真面目に学校に行くようになり、成績も中以上になっていることなど、得意になって話してきました。警察の事情聴取は朝方までかかりました。病院に戻ってみると,茜はちょうど目を覚ました所でした。私の姿を見ると、弱弱しそうな笑顔を浮かべながら、
「おっちゃん、来てくれた。ごめん迷惑かけて。怒って、もう来てくれへんかと思っとったわ。でもうち、おっちゃんとの約束は、ちゃんと守ったで。」
と言います。

それだけ聞けば、充分でした。昨夜からの彼女に対するわだかまりは全て消え失せ、彼女に対する愛しさだけが、大きく広がっていきました。
「そうか、偉かったなー。でも心配したで。昨日の夜、飛んできたときは、もう心配で寿命が縮んだわ。命に別状がなくて何より、何より。さっき警察へ呼ばれて、いろいろ聞かれたから、あんたの母親の事も簡単に説明しておいたで。」
「でも無抵抗のあんたを、こんな酷い目に会わせるなんて、悪い奴等やな。そんな奴はもう、少年院にでも行ってもらった方がいいよな。」
少年事件について、何も知識のない私達は、のんきにそんな事を話していました。私たちは、茜は少年暴力事件の被害者であって、補導されなければならない点としては、せいぜい夜間に徘徊していたことを、注意される程度であって、退院したら、直ぐに家へ帰してもらえるとばかりおもっていました。

つづく

マイナスとマイナスが合わさっても その1

マイナスとマイナスが合わさっても その2

マイナスとマイナスが合わさっても その2

この話はフィクションで、実在の人物、事件とは全く関係ありません。

その8

私の住んでいる所は、そのコンビニから歩いて約10分位の場所に位置する、マンションの4階にあります。香奈が生まれた時に買ったそれは、4LDKの広さで、一人になった今では、広すぎるほどです。しかし香奈のための子供部屋や、妻の物の置いてある寝室は、あまりにも思い出が強すぎて、今でも、彼女たちが生きていたときのままに、手付かずにしてありますから、実際に使っているのは、ダイニングキッチンと、私の書斎だけです。
少女と別れて、ふらふらと、自分の部屋にたどり着いた私が、中に入ろうとドアに鍵を差し込んだ時のことです。
「おっちゃん。今夜、泊めてーな。ほんまに泊まるとこ、あらへんのやから。」
と私の真後ろで声。おどろいて振り向いた私の目の前に、あの少女が立っています。ずっと私の後をつけてきたようです。私の方はまだ、半分酔っていましたし,それに誰かに付けられているなんて夢にも思っていませんでしたから、びっくりしました。
「あれっ、お家へ帰ったんじゃないの。駄目だよ。お母さんに心配かけるようなことしては。おじさんの方だって、貴方を泊めたりして、変な目で見られたりしても困るし。」
と私。

「おっちゃんの嘘つき。さっき、事情によっては泊めてやらんでもないがって、言ったじゃん。」
「今晩家には、母ちゃんの男が来ていて、家に居辛いんやわ。だから帰る家なんて、あらへんのや。そんで頼んどるんやが。おっちゃんの所が、駄目というんなら、また他、探さなあかんなー。あーあ、それにしても難儀やなー。大人なんて、どいつもこいつも、口先だけやもんなー。じゃあな。」
と少女は、ぶつぶつ呟きながら、立ち去っていこうとしました。その投げやりな口調には、大人世界への強い不信と、人生への悲しい諦めが感じられます。彼女はその若さにして、既に人生を半分棄てているような感じでした。立ち去っていく後姿を見ていますと、なんだか不憫になりました。自分がひどく残酷な事をしているような気がしてまいりました。夜中に、ジャングルの中へ、子ウサギを放り出してやる時のような気分です。
「どうせもう、世間を棄てている自分が、今更、世間体なんて気にする事もないか。」
と思い直した私は、
「ジャー、今晩だけなら、家に泊まってもいいよ。でも家は汚いぜ。」
と私。
「かまへん。寝るとこさえあれば。でもおっちゃん、一人暮らし?」
「急に変なの連れこんで、怒られるんと違う。もし他に誰か居るんやったら、遠慮しとくわ。」
と少女。
「大丈夫だよ。小父さん一人だから。」
「でも近所の手前もあるから、大人しくしていてね。」
といいながら彼女を招じ入れました。

その9

「小父さんはここで、お酒飲んでるから、後は自分で適当にやって。ラーメン食べるのなら、キッチンのポットの中に、お湯がまだあると思うよ。お風呂に入りたけりゃー、勝手に入って。赤い印のある方の水道栓を捻れば(ひねれば)、お湯が出てくるから。でもしばらく入っていなかったから、浴槽が汚いかもしれないね。気になったら、浴槽を洗ってから、お湯入れて。」
「寝るのはこちらの部屋(書斎)使って、ここもしばらく使ってないので、少し黴臭い(かびくさい)かもね。それでもいいかな。そこにあるのは、以前におじさんが寝ていたお布団だから、臭いが気になったら、直接床の上で寝てくれてもいいよ。おじさんはこのソファーで、毛布かぶって寝るから。エアコン入っているから、掛け布団はなしで毛布だけでも、多分いいと思うけど。小父さん今は、気分的にまいっていて、自分のことで精一杯だから、あまり人と係わりたくない気分なんだ。だからあんたの話も、聞いてやる余裕がないから、ごめんね。もし聞いたとしても、今は何にもしてやることもできないしね。」
「せめて、ぐっすり寝ていって。明日の朝は、小父さんはまだ寝ていると思うけど、勝手に出て行ってくれたらいいよ。鍵は、一旦は外に持って出て、鍵を掛けてから、あの郵便受けの中へ、投げ入れておいてくれたら良いから。」
と言うと、私はダイニングのソファーに座り込み、お酒を飲み始めました。カップラーメンを作るために、キッチンに入った少女は、そのあまりの散らばりように、呆然として、しばらく突っ立っていたようでしたが、やがて、ごそごそと流しの上や床に散らばっていた、ビールの空き缶、焼酎の空き瓶、コンビニの惣菜やインスタント食品の入っていたプラスチックの容器、食べ物の食べ滓等を片付け始めました。

「おっちゃん、だらしないなー。家のおかんといい勝負やで。こんな所に、よう住んどれるなー。奥さんに逃げられたん?」
と少女。
「そーや。子供も女房も、天国に家出や。」
「いらんこと言ってなくてもいいから、早くラーメン食べて、寝な。」
「ウン。分かった。でも食べる場所あらへんで。一宿一飯の恩義や。チョット位、きれいにしといたるわ。」
そういいながら、彼女はせっせと、キッチンを片付け始めます。あんな所でとぐろを巻いて、自堕落(じだらく)な生活をしていた少女とは、思えないほどの手際の良さです。彼女は、キッチンの片付けをしながら、いろいろ話しかけてきました。突っ張っていただけで、本当はずっと人懐こい、寂しがりやの子のようでした。しかし私はもうその後は、何の返事もしませんでした。彼女の方を見ないようにして、ひたすらお酒と、向き合っていました。
その時の私は、まだ他人と関わりを持とうとするような心境になれなかったからです。
しばらくの間、仕事をしながら話しかけていた彼女も、何の返事もない私に諦めたのか、やがて一人でラーメンを啜り(すすり)、お風呂を立てて入り、書斎のほうへ引き上げて行きました。その間際、
「おっちゃん、お休み。お風呂きれいにしといたから、おっちゃんも入ったほうがいいで。お先に。でもほんまに、おっちゃんに、何もサービスせんでもいいんやなー。」
と言い出したのには驚くと同時に、彼女の今までの人生が垣間見られたようで、なんだか哀れになりました。
「何遍言わしたら、すむんや。そんなもんいらん。いや、そんな事、子供がすることやない。どうして何時もそういうこと言うんや。もっと自分を大事しーって、この間言ったやろ。これからは、そういうことは絶対にしたらあかん。大人になってほんとに好きな人が出来るまで、大事に取っておき。」
と酔いも半分覚めて私は怒鳴りました。
「だっておっちゃん。こんなこと、もう、十を(とおを)過ぎくらいからやらされてるで。いまさらやめたって、どうもならへん。そんなこと言ってくれた大人、始めてや。」
と少女。

私は香奈が汚されたかのように、気分が悪くなりました。そんな幼い子供に猥褻(わいせつ)な行為をしてきた大人たちに、言いようのない腹立たしさを感じました。どんな事情があったにせよ、それを黙って受け入れてきた、いや受け入れざるを得なかった、彼女の人生を思うと、哀れでたまらなくなりました。
私は、妻の死後、頑な(かたくな)に、他人との関わりを避けたいと思ってきましたが、否応なく、彼女に関わっていかざるを得なくなっていく自分を予感しました。これが縁というものでしょうか。妻子を失ってポッカリ穴の開いていた私の孤独な心に、どんどん入り込んでくる彼女の影を、感じざるを得なかったのです。しかしその時点でも私は、意識の上では、まだ彼女との関わりを避けたいと思っていました。私は彼女の方を見ないようにして、
「分かった。今は酔っ払っているから、その話はもう止めにしよ。お休み」
藁(わら)にでも縋り(すがり)付きたそうだった彼女の気持ちを、肩に感じながらも、冷たく突き放して、又お酒にのめりこんでいきました。後で話してくれたところによりますと、茜もまたその時、孤独に苦しんでいる私が可哀想になり、人間的な弱みをさらけ出している私に、始めての人間には、持ったことのなかった、安心感と親しみを、感じたのだそうです。

その10

黙って書斎に入っていく少女の、悄然たる(しょうぜんたる:じょんぼりとした)気配を感じた私は、又も罪の意識に苛まれ(さいなまれ)ました。無意識のうちに、大人に助けを求めているのであろう彼女に、何の手も差し伸べようともせず、酒におぼれている自分に、嫌気がしました。そのせいか、その夜の酒はいつもより進み、泥酔して、机にもたれ込んで、そのまま寝てしまいました。夢には、香奈の顔が、何度も現れては消えていきました。しかしどの顔も、決して笑ってはいませんでした。翌朝、尿意で目を覚ました私は、背中にいつの間にか、毛布がかけられているのに気付きました。キッチンの方からは、人の気配と、懐かしい食事の湯気の香りが、漂ってきます。眠りから覚めきっていない私の頭は、まだ夢の続きの中にいるかのような錯覚に捕らわれ、妻も香奈もそろっていた、あの幸せだった時代の幻影の中に、しばらく浸っておりました。

「おっちゃん、目が覚めた。もー、お昼に近いで。」
と言う少女の声に、現実に戻され、見上げた私の顔の上に、あの少女の、あどけない顔が覗いています。どぎつい化粧を落とした少女の顔は、まだ本当に幼い感じがします。
「何、まだいたの。学校は。今日は、休みじゃないだろ。黙って帰りなさいと、言っといたたでしょ。」
「ウン分かった。これから帰る。でも学校は行かない。先生に怒られるだけで、面白もなんともないから。昨日のおにぎりで、お粥作っといたから。後で食べて。二日酔いには、お粥がいいと、おかんがいつもいっとるから。それにしても、おっちゃんの所の冷蔵庫は、何も入っとらんなー。」
「毎日、何食べ取るんや。お酒ばかり飲んどったらあかんで。それこそ、死んだあんたのおかんや、子供が泣いとるんとちゃう。気持ちは分からんでもないけど。梅干はおにぎりの中ので、勘弁してや。じゃーこれで。昨日の、泊めてもらい賃は、これで払ったで。うちは、知らん人に借りは作らんことにしとるんや。後で何されるか分からへんから。」
といいながら、心持ち、肩を怒らせて、帰る素振りをみせます。

しかしそれは、彼女の精一杯の強がりである事は見え見えです。その時の彼女は、今日の止まり木を、探していたに違いありません。私に引き止めて欲しいと思っている気配が、なんとなく窺えます。自宅は嫌っている、学校には行きたくない彼女が、これから行ける先は、ゲームセンターか、公園、コンビニの前、遊園地、百貨店などといった、限定された場所しかないはずですが、それらの場所が、学校をサボっている彼女に、居心地のいい場所を提供してくれるはずがありません。しかもそれらの場所には、危険な誘惑に満ち溢れているはずです。またこれから、昨晩見たような危なっかしい事をするのかと思うと、気になります。二日酔いでぼんやりしている頭に、昨晩彼女が言った
「そんなこと、十を(とおを)の時からやらされているで」
といった言葉が引っ掛かっています。ともかく、事情だけでも聞いてみようと思いました。

その11

「せっかくお粥作ってくれたから、それじゃー、よばれることにするわ。あんたもよかったら、一緒にどーや。」
「そんなもん、おっちゃんの分だけしか、作ったらへんわ。だっておっちゃんとこの冷蔵庫、何も入ってへんかったもん。」
「そりゃ悪かったな。小父さんは朝、そんなにいらないから、半分ずつ食べようか。あんたには、少し足りんかもしれんけどね。もし足りんかったら、昨日、買ってきたパンがあるから、それを食べたらどう。」

私は何日ぶりからに、起きて、顔を洗い、歯を磨いて、キッチンのテーブルに付きました。キッチンは昨日までの塵の山が、嘘のように片付けられています。テーブルの上には既に、一人前の茶碗とコップと箸、そして梅干の入った小皿が並べられていました。誰かと一緒に御飯を食べるなんて、久しぶりの事です。言われるままに、少女もいそいそと自分用にと、茶碗と箸、コップを食器棚からとり出します。それから冷蔵庫のウーロン茶を取り出して、コップに注いでくれました。お粥は本当に一人分しか作ってなく、二日酔いで食欲のあまりなかった私でも、足りないくらいでした。食事の時間は直ぐに終わってしまいました。気にはなっていましても、何をどう切り出していいのか、見当も付かないままに、私は無言で食卓を眺めて考えていました。少女も黙って座っているだけです。

「あんた、これだけでは足りんやろ。パンも食べたら。」
「いらん。もう一杯や。」
「まだ名前も聞いてなかったねー。差し支えなかったら、名前、教えてくれる。学校は何処に行っているの。高校。」
「違う。まだ中学や。一年生。名前は萩野茜。家はこの近くにある。」
「それじゃー、義務教育でしょ。どうして学校へ行かないの。学校には行ったほうがいいと思うけどなー。」
「だって学校に行っても、誰も相手にしてくれへんし、先生だって、うちらみたいな阿呆で、不良な奴は、来んほうが良いと思ってもん。だから行かんほうが、いいんやわ。」
「でも、あんた、しっかりしてるし、とても阿呆とは思えんけど、どうしてそう思われるようになったのかなー。勉強が嫌いだからなの。」
「勉強なんか大嫌いや。今まで、まともに学校に行ってへんから、行っても何も分からへん。教室におっても眠いだけや。」
こうして少し心を開いて、ボツリボツリと語ってくれた彼女の話は、想像以上に暗く、惨め(みじめ)なものでした。彼女の生い立ち故の、心の奥にある、闇の部分を垣間見るにつれ、誰にともない怒りを感じました。ふつふつとした義憤が沸き起こってまいったのです。驚いた事に、再びあの以前の、熱い感情が、沸き起こってきたのです。

その12

茜は、自分の家の事をあまり詳しく話したがりませんでしたが、そのとき聞いた話と、後から家庭裁判所の調査官や、児童相談所のケース・ワーカーなどから聞いた話を総合して考えてみますと、次のような生い立ちだったようです。

茜の両親は彼女が1歳のとき離婚していて,茜には父親の記憶がありません。父親は背が高く、ハンサムで見かけは、とても素敵な人だったようです。しかし夢ばかりを追っかけていて、実行力が全く伴わない人でした。調子よく、大きな事は言うのですが、口先だけです。いつも世間や人を小馬鹿にしていましたから、他人との折り合いも悪く、お勤めも一つ所にじっと留って(とどまって)おれないような人だったようです。このため職も転々と変わり、生活費も殆ど入れないような状態でした。

一方母親の方も、又どちらかというと生活不適応者で、あまり働くのが好きでなかったのです。母親は家事も殆どせず、寝転んでテレビを見たり、小説を読んでいたりしていて、何もせずぼんやりとして時間を過ごしがちの人でした。この為、お勤めもだまって、ずる休みをしたりしますから、せっかく勤めても、直ぐに辞めさせられてしまって、長続きしません。生活は苦しく、二人の結婚生活は始めからうまくいかず、争いが絶えなかったと言います。茜は出来ちゃった婚の子です。
18歳のとき、ファーストフードでアルバイトをしていた母親が、その店に客としてやってきた父親と意気投合、そのまま、その晩に結ばれた時、妊娠してしまった子です。気付かないうちにもう、中絶が出来ないくらいに大きくなってしまっていたので、やむなく結婚して産んだという、あまり歓迎されていない子でした。生活力のほとんどない二人の間に、その上茜という余分な負担が出て来たのですから、家計は火の車、離婚が成立する頃には、お金も、借りれる先は、全て借りつくしてしまって、全ての親戚から出入り禁止、二進も三進も出来なくなっていたような状態でした。しかもそんな状態であるにもかかわらず、母親はその日暮し、家計を切り盛りするでもなく、家事も殆どせず、食事は出来合いのものや、インスタント食品を並べるだけといった有様です。家の中は荒れ放題で家庭の匂いもありません。父親はといいますと、結婚まもなくから、既に外の女達のところを、転々と泊まり歩いていて、家に殆ど寄り付かなくなっていました。そんな夫でも茜の母親は、まだ夫に未練が多少あったようでしたが、その生活ぶりを見かねた、近所の民生委員が、母親を説得し、二人を離婚させ、生活保護の手続きをしてくれました。しかしそれまでの母親の貧しさと、子供への関心の少なさから考えると、これによって辛うじて茜は生き延びることができたようなものでした。

その後も、母親は相変わらず無計画で、その日暮らし、生活保護で入ってくるお金や児童手当も、月末まで待たずに、尽きてしまうような綱渡りの生活が続いていたようです。茜が2歳になった頃からは、母親に男の影が絶えないようになりました。茜が記憶にあるようになってからは、男が訪ねてくるときは,茜は家の中においてもらえず、外で待たされるようになりました。茜は幼いながらも、とても辛抱強い子で、どんなに寒い日でも、物陰で、男が帰るまで、じっと待っていたといいます。そんな茜を見かねて、隣の小母さんは、時々家の中に入れて、遊ばしたり、食事を食べさせたりしてくれましたが、母親の事をいろいろ詮索したり、悪口を言ったりするものですから、それが嫌で、なるべく世話にならないように、小母さんから隠れていたそうです。どういうわけか、男が帰った後は、母親のとても機嫌が良い時がありました。そんな時は、とても優しく、一緒に遊んでくれたり、外食に連れて行ってくれたりしたものです。茜はそれが楽しみで、外で待っていました。又帰り際に、男がいくらかの小銭を握らせてくれる事があるのも楽しみの一つでした。

こんな生活は茜が小学校に通うようになってからもあまり変わりませんでした。変わった事と言えば、母親の所へ出入りする男が二人くらい変わったくらいでした。小学校に行っても、みすぼらしく薄汚れた姿で通う茜に、親しくなってくれる友達も出来ませんでした。遊び道具も共通の話題も持っていない彼女は、クラスメートとの間で浮いていました。子供たちの母親達は、だらしがなく、何をしているか分からないような、怪しげな生活をしている茜の母親の事を、よく思っていません。子供たちの前でも憚ることなく、茜の母親の陰口を言いましたから,茜は、子供たちから、なにか汚い特別の子供のように白い目でみられていました。茜は皆から敬遠され、無視され、学校でも孤独でした。さらに勉強のことをやかましく言う人もいなければ、教える人もいない彼女は、次第に授業にもついていけません。何度注意されても、給食費などの学校に納めるお金も遅れがちである上に、周りに敵愾心を持ち、自分の殻の中に閉じこもってしまっていて、何を言われても馬耳東風、無視、そして授業も付いてくることが出来ない茜は、先生にとってもお荷物以外に何物でもありませんでした。(後で茜が語ってくれた所によりますと、周りのものは皆自分を笑いものにするか、除け者にする敵のような存在で、そうでもしていなければ、生きていけなかったのだそうで、彼女の生きていく上での知恵であったそうです。)

茜は先生からもお客様扱いで、全く相手にされませんでした。注意もされなければ、褒められもせずと言った学校の日々です。それでも小学校時代の彼女は、毎日学校に通いました。家に居ても、邪険な母親からこき使われるだけで、食事も充分に与えられなかったうえに、母親に男が訪ねてきたときは、暑い日でも寒い日でも、家の外で男が帰るまで待っていなければならない辛さに比べれば、学校は給食もあり、座る場所もある、天国でした。
こんな生活にもかかわらず、年齢が進むにつれ、彼女はずるずると身長が伸び、10歳の終わり近くになった頃にはもう、背の高さだけなら、大人と変わらなくなっていました。

ある日、いつものように母親の男が帰るのを待っていた茜に、家から出てきた男が声をかけてきました。
「茜ちゃん、何時もご苦労様。ご褒美に、今日は小父さんが何でも好きなもの買ってあげようか。一緒に町まで行く。」
といいます。

これまでも、帰り際に時々お金をくれていた小父さんでしたから、茜も気にする事もなく、わくわくしながら、車に乗り込みました。車に乗せて、玩具や屋へ、連れていってくれた男は、茜の欲しがるままに、小さなパンだの縫い包み(ぬいぐるみ)だとか、色紙、そしてガラスのアクセサリーなどを買ってくれました。それから、茜が、それまで行った事もなかった、レストランにも連れて行ってくれ、ステーキまでごちそうしてくれたのです。彼女はもう有頂天でした。なんていいおじさんだろうと思いました。だからお母さんに、こんな良い人がついていて、良かったと思いました。家への帰り道も、彼女は嬉しくてたまりません。買ってもらったパンダをしっかりと抱きしめ、小父さんと冗談を言い合いながら、上機嫌で車に乗っていました。ところが気がつくと車は。あまり人の通らない山道に止まっています。
「おっちゃん、どうしたの。故障?」
と聞く茜に
「チョットおしっこがしたくなったから。」
と小父さんは答えます。
やがて車の外に出て、ごそごそしていたおじさんは、男のあそこをむき出しにしたまま、車の中に入ってきて、
「ああ気持ちよかった。茜ちゃんも、おしっこしたら。」
といいます。
「うーん、今はしたくない。小父さん、もう帰ろうよ。」
と茜。
今までと声まで違う小父さんの態度に、本能的に危険を感じた茜は、早く帰して欲しいと男に頼みます。しかし男は、
「あんたんとこのおかあちゃんが、『茜はこのごろ、あそこが変になったみたいやで、一遍見たって。』と言っとったから、見たらなあかんのや。チョットパンツ下げてみ。」
といいだします。
「いやや恥ずかしい。」
と茜。
「かまへん。小父さんは茜ちゃんのお父さんみたいなもんやから。」
といいながら、茜のパンツ下げようと手をかけてきます。
「いやや、いやや。小父さん堪忍(かんにん)。」
と泣きながらパンツを抑えている茜の手を、強引にはらいのけ、男はパンツをとってしまい、本能的に隠そうとする彼女の両手を押さえながら、
「フーン。見たとこ何処も悪くないなー。茜ちゃんのお母さんの思い過ごしやろか。ほんでも、チョット触ってみんことには、ほんとのことは分からんかもしれんな。」
といいながら、茜のあの場所を撫でさすります。茜は怖くて声も出ません。茜はもう大声で泣くようなこともせず、身を固くしてただただ男のなすがままになっていました。図に乗った男は、こうして暫くの間、手と口を使って、茜に悪戯(いたずら)し続けたのでした。その間中、茜は声もあげずに泣きじゃくった顔のまま、身を固くしてじっと堪えていました。
最後の
「茜ちゃん,茜ちゃん、ああー。いい。うーっ。」
とうめくような男の上ずったような気味の悪い、呻き声は、今でも茜の耳の底に、残っていると言います。男の身体の重みと、その体臭に窒息しそうになった茜が、やっとの思いで、男の身体の下から這い出てきた時、男は薄っすらと目を開けて、
「ごめんな。それじゃー,帰ろうか。でも、この事は、二人だけの秘密やで。おかあちゃんには絶対に言ったらあかん。」
「もしお母ちゃんに言いつけたら、あんたがおかあちゃんからひどい目にあうだけやで。家から追い出されるかもしれへんで。」
「黙って、いい子にしていてくれたら、又今度来た時、もっと沢山にあげるからな。」
といいながら、男はまだ震えていた茜のスカートのポケットの中に、大きなお札を押し込んでくれました。男は気だるそうに起き上がると、茜の内股のところに流れていた、気持ちの悪い汚れを拭きとり、下着を付けてくれ、それから何食わぬ顔で家まで送ってくれました。
茜の母親は、子供に無関心で、茜がこんな目にあって帰ってきたのにも、全く気付きませんでした。いつものように居間で寝転んで、テレビを見ており、茜が帰ったのも知らないほどでした。茜は黙ってお風呂場に行き、痛くなるほど、内股と自分の身体を洗いました。彼女は母親に何も言いませんでした。あの男の言うとおり、この事を言ったら、母親に叱られるだけでなく、家から追い出されるかもしれないと思ったからです。彼女は黙って自分の宝箱の中に、男がくれたお金を隠すと、そのまま布団の中にもぐりこみました。

ところが、これで味をしめたのか、男はその後、再々、彼女に猥褻な行為を迫るようになってきました。茜が避けているのを知ると、茜の学校からの帰り道を待ち伏せし、何やかにやと理屈をつけては、いつものお母さんに言いつけるという脅しを使いながら、彼女を誘い出し、猥褻な行為を迫るようになりました。そしてその行為は次第にエスカレートしてきます。嫌で堪らない(たまらない)彼女は、帰り道を変えたり、誰か他の人の後を歩いたりと、一生懸命、男を避けるようにしていました。そうしたある日の事でした。その日、母親は街へ出かけて夕方まで帰ってこないというので、居間で、テレビを見ながら寝転んでいた時のことでした。突然家の中に上がってきた男は、母親の不在なのを確かめると、これ幸いと、茜に抱きつき、例の悪戯をしようとし始めます。茜は驚きました。しかし家の中は、車の中より自由が利きます。茜は男の腕の中から逃れようと、必死に暴れ、抵抗しました。ところがこうして争っている最中、茜の母親が帰ってきてしまったのです。母親はその日、予定通り事が運ばず、たまたま早く帰ってきたのでした。家の前に男の車が止まっているのを見て、喜んで家の中に飛び込んできた母親の目に入ったのは、男と娘の醜態でした。彼女は激怒しました。理由を聞こうともせず、彼女は二人に、手当たり次第の物を投げつけ、怒声をあげながら、包丁を持って追い掛け回し、最後は二人とも、家から追い出してしまったのです。男は苦笑しながら、車に乗って帰っていきましたが、茜は帰るところがありません。何度頼んでも、翌朝まで、母親は、頑として家の中に入れてくれませんでした。

その13

その後、母親の茜に対する態度はがらりと変わりました。それまではどちらかと言うと、無関心というだけで、特に嫌っているといった様子はありませんでしたが、それ以降は彼女に、憎しみの目を向けるようになったのです。母親は茜の世話をしなくなっただけでなく、全く無視です。たまに口を利くときは、
「ふん。この泥棒猫。」
と憎々しげに罵ります。

食事も、一緒に食べるときは、彼女にも食べ物を分けてくれましたし、そうでなく茜一人で食べなければならないときでも、食物を買うお金くらいは、いつも持たしてくれていたのですが、それもくれなくなってしまったのです。母親の食べ残しをあさらねばならない自分が惨めでした。彼女にはますます、居場所がなくなってしまいました。給食費も持たせてくれないのでは、学校にも行けません。例の男は、その後、二度と訪ねてくる事はありませんでしたが、母親の所には、間もなく代わりに、又新しい男が訪ねて来るようになっていました。あの事件以来、大人の男性に、強い警戒感を抱くようになった茜は、男が訪ねてくると分かると、隠れるようにして、自分から家を出、街の中をぶらぶらしながら、コンビニの前や遊技場などで時間をつぶすようになって行きました。ここには、彼女のように世の中からはみだした同じ位の年齢の子供達が、沢山いました。男の子もいましたし、女の子もいました。そこでも、皆、心は、ばらばらでしたが、それでも悪事をとおしての、仲間意識みたいなものはありました。茜は、そこでは少なくとも、学校にいるときのような孤独ではありませんでした。
彼らは、彼女に、いろいろな、悪事を教えてくれました。遊び半分にやっている子が大半のようでしたが、食事もろく食べさせてくれない母親をもった茜にとっては、それは生きていくために必要な術でした。それほど悪いことをしているとも思わず、ゆすり(私があの時彼女の誘いに乗っていたら、後で少年達に強請られる(ゆすられる)ところだったかもしれません。)たかり、万引きそして私が茜と出会った時にしていたような、男へのおタッチ許しなどなどといった売春婦まがいの行為を、食べていくため、生きるためやっていました。ただ茜に幸いした事は、シンナーが体質的に合わず、それに嵌り込んで(はまりこんで)いかなかったことでした。そういったことをする時は、危険を避けるため、男の友達に護衛してもらうのですが、その代償に、男達に身体を提供もしたりしていました。彼女は生きていくため、身を守るため、不特定な悪がきたちに、身体を提供していたのです。

おかげで、茜はそこでは、一緒に群れている仲間にはことかきません事欠きませんでした。しかし仲間といってもそれは同じように、この世からのはみ出しものどうしの連帯感みたいなもので、上面(うわっつら)だけの付き合いでしかありません。身体を通り過ぎて行く男の子達といっても、彼女の皮膚を撫でて行く一陣の風のようなもので、二人の心が触れ合うような事はありません。茜の心は、何時も空虚で、満たされませんでした。母親から得られなかった深い愛を求めて、彷徨って(さまよって)いました。そしてそれが自分には無縁の存在でしかないと思うにつけ、より一層渇望し、絶望し、棄て鉢になっていました。彼女は、もう人間としての尊厳性は棄て去り、自分の環境に順応し、何も考えないで、食い物を得るためにだけ、日々汲々(きゅうきゅう)としているというような生活に甘んじるより仕方がありませんでした。まだ10代半ばというのに、茜は既に、心も身体もぼろぼろになってしまっていたのです。

その14

彼女の話に憤り(いきどおり)を覚え、義憤(ぎふん)を感じもしましたが、まだ香奈や妻の死のショックから抜けきっていず、無気力状態の中にあった私は、彼女にどうしてあげようという知恵も湧いてきませんでした。先日来の話から、表面上は、突っ張って、棄て鉢になっている為に、大変な問題児のように見える茜が、本当は家庭環境が悪いから、悪に染まっているだけで、本質までは汚れきっておらず、正直で素直な子だとは分かりました。

しかし私のほうが、それ以上に彼女に何かしてあげようという決心がなかなか付きませんでした。寂しがりやで、愛情に飢えている彼女に、救いの手を差し伸べてやるつもりなら、今だと思うのですが、今一つ決心が付きません。どのように彼女に関わっていくか、この後、どうしてやったらいいのか思い悩んでいました。一生懸命に突っ張って生きているこの子に、その場限り、通り一遍の慰めや、恵みなど、役に立ちそうもありません。そんなことをすれば、却って、軽蔑し、反発して、大人への不信を増強して、余計に悪くするだけだろうと思いました。私は暫く黙って彼女の目を見つめて考えていました。
「おっちゃん、ありがとな。」
と立ち上がった彼女に、私は決心して声をかけました。今から思うと出すぎた話しだと思いますが、亡くなった妻への罪滅ぼしに,香奈の代わりに茜を何とかしてやりたいと思ったのです。

「茜ちゃん、良かったら放課後、夕方まで、家でアルバイトしない?」
「別に難しい事、せんでもいいから、家の中、片付けたり、洗濯したり、小父さんの食事の準備をしたりしてくれたらいいんだけど。料金は、一時間当たり、幾らくらいが相場かな。無論その日その日に払うことにするよ。」
と私。
「うん、いいよ。友達は、時間給700円くらいでバイトやっているみたい。」
「でも、働いてもらうに際して、一つだけ条件があるんや。これからは、最初に、あんたと会った時やっていたみたいな、危ない事や、悪い事は、絶対にせんと約束して欲しいんや。それでよかったら、今日の午後から、来てもらいたいんだけど。学校がない日は、変なところで、うろうろしてなくて、真っ直ぐこちらに来て、あんたの好きな事、していたらいいがね。夜、泊まる所がない日は、昨晩のあの部屋を使ってくれたらいいし、食事は二人分作って、あんたも食べてから、帰るという事にしたらどうやろ。あんたさえよければ、お風呂も勝手に入っても、かまわないんだよ。これでどうやろ。」
「ウン。分かった。やったってもいいよ。でもおっちゃんも、お酒は、あんまり飲まんほうがいいと思うがなー。せっかく、飯作ってやっても、きちんと食べてくれなんだら、詰らんしな。それに酒臭いし、汗臭いし、汚いし。」
と茜。
「ウン。分かった、分かった。小父さんもなるべく気をつけるようにする。」
彼女はなんだか嬉しそうでした。今日は
「久しぶりに、学校を覗いてみる。」
と言って、足取りも軽そうに帰っていきました。

その時の私が、彼女に全く危惧を抱いていなかったといえば、嘘になります。元来小心者で用心深い性質の私は、いくら良い子そうに見えたとしても、何しろ今までが今迄です。親も何をしているか判らないような家の子です。問題の仲間達もいます。そんな子を家の中に入れて、本当に大丈夫かという思いはありました。しかし当時の私はもう、失って恐れるものは何も無くなっていました。命さえも惜しくなかったのです。従って、彼女に万一、裏切られたとしても、それはそれで、仕方がない。その時はその時、成り行きにまかせようという思いで、踏ん切りをつけたのでした。

マイナスとマイナスが合わさっても その1

この話はフィクションで、実在の人物、事件とは全く関係ありません。

その1

先日、相続の関係で、絵画の値段査定をしてくれないかというお頼みがあり、徳島までいってきた時のお話です。せっかく、徳島まで来たのだからと、帰り、四国八十八箇所中の一番札所、霊山寺(りょうざんじ)まで足を伸ばし、参詣(さんけい)して帰る事にしました。別に、ここを起点にして八十八箇所巡りをするつもりではなく、単なる観光の心算です。型どおりのお参りを済ませ、お庭を拝見させていただいた後、境内をぶらぶら歩きながら、山門近くにある池の辺まで来た時のことです。
「失礼ですが大田原先生のところのお嬢さんでは。」
と声を掛けてきた男性がいました。

年の頃は、もう60歳半ば、日焼けした顔一杯に広がる伸び放題の胡麻塩の髭面に、着古した白衣(びゃくえ)、土ほこりを被った大きなリュック、くたびれた菅傘を身につけ、金剛杖を突いて立っている男性が、皺だらけの顔に、満面の微笑みを湛え(たえ)ながらこちらの方をみています。巡礼の服装をしていなければ、思わず逃げ出したであろうと思われるような、そんなむさくるしい姿の男に、思わす後退りしながら、
「そうですけど、失礼ですが、どなた様だったでしょうか。」
と尋ねました。
一生懸命に思い出そうと、記憶の糸を紡いでみたのですが、どうしても、浮かんでこない顔です。
「中道ですよ。ほれ、お父様の所に、時々お邪魔させていただいていた、あの中央医療器具の中道秀明です。そうですねー。もうかれこれ三十年近くも前になりますか。貴方が小学生の時、水泳教室や、英語会話教室へ通うのを、お母様の代わりに、時々送り迎えさせてもらっていた、あの中道です。覚えていらっしゃらないでしょうかねー。そういえば、私も随分老けましたからねー。お嬢さんの方は、あの頃の面影がそっくり残っていらっしゃるものですから、懐かしさに、つい気安く、お声をお掛けしてしまいましたが、ご記憶にないのも、当然かもしれませんねー。」
といわれます。

そう言われれば、目とか鼻、口の辺りに、あの親しかった中道さんの面影が、かすかに残っているような気もします。
しかし、頬はこけ、目は落ち窪み、心もち猫背で、よれよれの白衣(びゃくえ)といった、みすぼらしいお爺さんの姿に、あの闊達で、いつもお洒落だった頃の、若かった中道さんの姿を、重ね合わせる事は困難でした。
「ごめんなさい。あまりにお変わりになったので、はっきり思い出せなくて。でもあの頃の中道さんって、もう少しスマートで、もっと大きかったような気がしますけど、私がまだ、子供だったからかしら。それにしても懐かしいわ。あれから後、転勤になったということで、もう家には、いらっしゃらなくなったけど、その後、どうしていらっしゃったの。ご結婚されました。あの頃、家の母が、何とか良いお嫁さんをと、盛んに縁談を世話していたことがあったわねー。」
と私。
「お母様には、ずいぶん可愛がっていただきまして。今どうして見えます。お二人とも、お変わりありませんか。」
と中道さん。
「それが、父は相変わらずですが、母は今から18年前、亡くなりました。それで私も、時々こうして行った先々のお寺に立ち寄って、お参りさせてもらっています。」
「中道さんのところも、そんなお姿をしていらっしゃるところを見ますと、いろいろおありになったようですね。」
「立ち話もなんですから、ちょうどお昼時ですし、そこらの食べ物屋に立ち寄って、積もるお話でもしましょう。」
ということで山門前の食堂に入り、それでも足りずに彼のお宿までついていって、いろいろお話を聞かせていただきました。

その2

中道さんが、私の家にいらっしゃっていたのは、彼が医療器具店にお勤めの時で、私の父が医院を開業していた頃の事です。年はその当時30歳半ば、お洒落でスマート、朗らか(ほがらか)で、親切、人の心を逸(そ)らさない話し方をされる、とてもよく気の付く人でした。背も標準並み以上、苦みばしった、とても男性的な顔立ちでしたから、もてないはずがなかったと思うのですが、どういうわけか、その当時まだ独身でした。母などはそれを気にして、何とかいいお嫁さんをと、いろいろお世話をしていたようでしたが、今ひとつ乗り気になられず、うまくいかなかったようです。私の両親と、とても気があったようで、商売を離れて、個人的にも、親しくされており、お勤めが終わってから、やって来られては、父と夜遅くまでマージャンをしたり、酒を酌み交わしたりしながら、世間話や、会社の愚痴話をされておられたものでした。母も、中道さんの事を何かと頼りにし、物臭な父に代わって、家の用事を、個人的に頼んでいたりもしていました。こんな関係で、私などは、忙しかった両親の代わりに,水泳教室や塾への送迎までも、時々してもらっていたものです。
中道さんは又、とてもこまめな方で、歓送迎会、忘年会、観劇会、慰安旅行といった医院の行事は無論のこと、誕生日会だとか、クリスマスといった、私どもの個人的な行事にも、プレゼントを持って駆けつけてくださるものですから、私たち姉妹は、親戚のお兄さんといった感覚で、彼と接していたものでした。

その3

「で、その後、どうしておられました?ご結婚は?お子さんは?どうしてお遍路さんをされるようになったの?」
と矢継ぎ早に、質問を繰り出す私に対し、彼は、あまり触れられたくなさそうでしたが、それでも、ポツリポツリとそれまでの経緯を語って下さいました。
お嬢さんの所に行かなくなって、一年半位後でしたか。私が36歳になった年の秋に、友人の紹介で知り合った女性と結婚しました。年齢は私より7歳年下。小柄な愛くるしい顔立ちの女性でした。性格は几帳面で、純、潔癖症の所がありましたが、多少いい加減な所のあった私には、ちょうど良いコンビだったように思います。ただ生真面目すぎて、嘘や誤魔化しは許さないといったところがあり、冗談を言っても本気にとって怒ったりしますから、その点では、多少気詰まりなところもある人でした。しかし何しろ、なんでもきちんとやっておいてくれますから、とても頼りになる人でした。又とても寂しがり屋で、甘えん坊なところもあり、私が帰ってくるのを待っていたかのように、付きまとい、その日の出来事、近所の噂、果ては芸能界のゴシップにいたるまで、次々と話しかけてくるものですから、気分の落ち込んでいるときなど、多少煩わしい時もないではありませんでした。
そうかといって夫婦の中は、特に仲が悪いという事はありません。どこにでもある、可もなし、不可もなしといった、平均的な日本の家庭といったところでしたでしょうか。共稼ぎでしたから、四六時中、顔をつき合わせているわけでもありませんし、お勤めの関係で夜遅くなることも多かったものですから、おたがい角(つの)付き合わせるというようなことも少なく、まあまあ、うまくいっていたほうだと思います。ただ結婚後、長い間、子供に恵まれませんでした。従って妻は、ずいぶん寂しがっていました。しかしこの妻の寂しさには、訳がありました。子供が出来ないという事以外に、私の妻への愛を、妻は今ひとつ掴みきったと思う事が、出来なかったところにもあったようです。と申しますのも、私、実を申しますと、若いとき、猛烈に愛したにもかかわらず、事情があって添い遂げる事が出来なかった女性がいまして、妻と結婚した後も暫くは、その思いを引きずっていた時代がありました。今だから正直に申しますが、貴方のお母さんが、さかんに縁談を持ってきて下さった時、あまり乗り気になれなかったのは、そのせいでした。むろん妻に、そんな話はしたことがありませんが、妻はなんとなく、そのことが感じられていたようで、何かの拍子に、
「秀明さんの心は、時々、どこかほかにあるみたいな気がする時があって寂しいわ。」
と結婚後7,8年目も経ってから、ふと漏らした事がありました。

本当はその頃はもう、私も妻のことを、結構、愛していたと思うのですが、日本の男性の欠点という所でしょうか、それを表現するのが照れくさくて、妻に伝える努力をしていませんでした。又そんな妻の寂しい心を、推し量ってやる事もなく、家の事は妻に任せっぱなしにして、自分は残業と称して、夜のお付き合いに精を出し、帰りが遅くなることも再々といった勝手なことばかりしていました。従って彼女は、結婚生活に多少寂しさがあり、余計に子供を欲しがっていたのだろうと、今は思っています。

妻は、あちらこちらの不妊外来を訪ね、出来る限りの手を尽くしました。しかし夫婦のどちらにも、不妊の原因はないと、婦人科の先生から言われているにもかかわらず、どうしたものか、なかなか妊娠しませんでした。こうして、かれこれ10年近くも婦人科に通った時のことでしょうか、もう年齢的にも子供は諦めようと二人で相談して、不妊治療に通うのも止めてしまった頃になって、突然に子供に恵まれました。それが香奈で、私が48歳、妻は41歳、妊娠可能年齢としてはぎりぎりの時の事でした。こんなことを言うと、親馬鹿と言われるかもしれませんが、香奈は色が白く、赤ちゃんの時から目鼻立ちも整った、とても可愛い、人目を引く子でした。長じてからの性格も、とても素直で、甘えん坊、誰が教えたというわけでもないのに、幼いにもかかわらず、仕草にも話し方にも、女の子らしい可愛さの溢れる子でした。科(しな)を作りながら(にっこり笑いながら)甘えてこられたりすると、思わず抱きしめて、食べてしまいたくなるような可愛さがありました。どこに連れ歩いても、何をしていても、可愛い可愛いと、どなたからも言っていただける子でした。私たち夫婦にとっては、何物にも換えがたい宝物でした。目の中に入れても痛くないほど可愛いとは、このことかなあ、などと、いつも思っていました。

妻など、もう一時も離れておれず、お勤めも辞めてしまい、娘に付きっ切り、どこへ行くのも、何をするのも、娘が傍にいないと寂しいようでした。それが小学校に行きだしてもそうで、他の子と遊ばせるより、自分の傍において置きたがりましたから、このままでは、社会性が身に付かないのではないかと、ひそかに心配していたほどです。そういう私も、香奈が可愛くてたまりませんでした。
それまで、どちらかというと遅かった帰宅時間も、子供が生まれてからは、比較的早く帰るようになりしました。大きくなってくるに連れ、ますます可愛くなり、娘の顔を、一刻でも早く見たくて、お付き合いの酒も、ほとんど断るようになっていきました。ましてそれ以外の遊びなど、全く興味をなくしてしまいました。
子供と、お風呂に入ったり、お話したり、散歩したり、遊んだりするのがとても楽しみで、いつも三人連れ立って歩いていました。どうしても勤めが遅くなったりして、子供がもう床に入ってしまっていたりしますと、寂しくてたまりません。そこで寝ている子に、頬擦りをしたり、ホッペをつついてみたりして、起こしてしまい、妻によく怒られたりしたものです。夫婦間の距離も、香奈が生まれてからは、以前よりずっと、縮まったようでした。何しろいつも、何をするのも三人一緒のことが多くなりましたし、妻は、私が帰ってくるのを、待ちかねていたように、私を捕まえては、香奈のその日の出来事を報告してくれました。又どういった習い事をさせたいとか、どこの学校へ行かせたい、将来どういう子になって欲しいといった、子供の未来への夢を飽きずに話してくれました。私もその話によって、私の知らない時の、香奈の時間を埋める事ができましたから、それを聞くのをとても楽しみにしておりました。

その4

幸と不幸は隣り合わせです。こんな幸せな生活は永くは続きませんでした。香奈が小学校の2年生になった年の夏の事でした。英会話教室に香奈を送っていく途中で、妻が交通事故を起こし、香奈を亡くしてしまったのです。信号のある交差点での事故でした。信号が青から黄色に変わるのを待って、右折し始めた妻の軽自動車の側面に、黄色から赤に変わる直前、急いで交差点を渡ろうと飛び込んできた大型トラックが衝突してきました。妻の車はその衝撃で横転、そのまま、交差点のガードレールに激突、大破してしまいました。この時、シートベルトをしていた妻は軽症程度で済んだのですが、後ろの座席に半立ちで、歌っていた香奈のほうは、頭蓋底骨折、頚椎骨折を起こし、即死してしまいました。

急を聞いて駆けつけた私が見たものは、病院の霊安室で、白布をかけられた香奈の遺体とその前に、呆けたような顔をして、あらぬ方を眺めて座っている妻の包帯姿でした。その後の事は、私もはっきりとは記憶にありません。妻を労わりながら、しっかり葬儀も執り行ったそうですが、まったく覚えていません。後ろ指を指されないようにしようとする意思だけが、機械的、習慣的に、身体や、口を動かしていたのだろうと思います。これを契機に、私たち夫婦の間は、いつの間にか冷え切ってしまいました。今から思えば妻が一番に苦しんでいたのでしょうに、当時の私には、妻の辛さを理解してやる余裕などありませんでした。ただ自分の寂しさ辛さの中に、閉じこもってしまって、無意識のうちに、非難の目を妻に浴びせていたようでした。
私たちの間には、全く会話がなくなりました。彼女は私と目を合わせることを避け、無表情、無言で、ロボットのように家事をやり、私の身の回りの世話をしてくれていました。あれだけ几帳面だった妻が、何をするのも投げやりで、中途半端に放りだしてあるようになっていました。会社に出かけるときも、玄関まで送ってはくれますが、全く義務的で、何の情感も感じられないようになっていました。

今から思えば妻は、ひたすら自分を責め、嘆き、苦しんで、閉じられた世界の中でもがいていたのでした。こうして鬱(うつ)によって、人格を破壊され始めていた妻は、もう何をするのも大義で、何もしたくなくなっていたのだと思います。当時の妻は、彼女に残されていた僅かな意思の力が、辛うじて、身体を動かしていたに過ぎなかったようにおもいます。こんな妻の姿をみても、私は、彼女の心の闇を、推し量ってやれませんでした。私は自分の殻に閉じこもって、妻の異常さに気付いてやることが、出来なかったのです。

そんな妻の態度を、むしろ心の奥底で、非難さえしていたような気がします。私は玄関まで送ってくる妻に対して、あてつけのように、なんの言葉もなく家を出、一晩中、飲み明かし、無断で家を空けるといった毎日でした。そんな私に対して、妻は、何も言いませんでした。床にも入らず、机にもたれたまま転寝(うたたね)をしながら待っていてくれたのですが、それにたいして、悪いとか、申し訳ないと思った事もありませんでした。むしろ当て付けがましいと感じて、内心腹を立てていたように思います。彼女の謝罪と助けを求めている、必死のサインに気付かなかったのです。助けを求め、もがいている妻に、救いの手をさし伸ばしてやるどころか、その手を払いのけ、泥沼につきおとすような事をしていたのでした。

その5

結局私は、妻も無くしました。その日、いつものように、へべれけに酔って午前様で帰ってきた私を、待っていたのは、鴨居にぶら下がっている妻の姿でした。子供の一周忌を待っていたかのようにあの世へと、旅立って行ったのです。何の言葉も遺されていませんでしたが、そこに妻の寂しさと、無言の抗議を感じました。一人残されてみて始めて知った孤独でした。いつの間にか、妻に依存していた自分を知りました。それまでの妻への態度は、子供が母親へ八つ当たりしているような、やんちゃ坊主の甘えのようなものでした。しかしそれを受け止める余裕は、妻にはもうなかったのです。

思えば、妻のほうがずっと強く打ちのめされ、精神を冒され、助けを求めていたのでした。それに気付かず、毎日無言で非難の目をむけ、妻が苦しんでいるのを見て慰められていた自分を責めました。自分を責め、不幸を呪い、孤独と寂しさの中、絶望の淵に立って、私の顔色を窺いながら、ただおどおどとしていた、妻の顔を想いだす時、自分の狭量さが責められました。そこに到るまでの彼女の心境を推し量るとき、その哀れさに涙がとまりませんでした。私は彼女の霊に詫びました。幾度も幾度も詫びました。しかし飛び去った時が、再び戻ってくる事がないように、妻が私を許してくれることもありませんでした。私は孤独と悔恨の中、香奈の死後、妻の味わっていた苦しみや悲しみを、そっくりそのまま受け継いで、味わい続けることになってしまったのでした。

その6

全てが空しく、何をするのも億劫になった私は、勤めも辞め、家で、お酒を飲み、ただごろごろしているだけといった、自堕落な毎日を送るようになりました。生きていくのも面倒なら、死んでゆくだけの勇気もない私は、酒に逃げ、酒に溺れて、なるべく何事も考えないようにしました。幸か不幸か、香奈の補償金や、妻の生命保険、そして私の退職金などで、かなりの金を手にすることが出来た私は、マンションのローンも一括で払ってしまい、いろいろな人々との交流も、煩わしくなって、自ら絶ってしまいました。従って訪ねてくる人も殆どなく、他から煩わされることもなくなりました。

何をするのも億劫であった私は、家事も殆どせず、部屋は散らかり放題、衣服も寝具も、汗と垢で汚れがちでした。食事も、コンビニで買ってくるおつまみと、お酒が主で、後はおにぎりやパンを稀に買ってくるくらいで済ませていました。垢とタバコとアルコールの臭をプンプンさせながら、ぼうぼうの髪、もじゃもじゃの髭、蒼い顔で、垢じみ、よれよれの服装のまま、夜中に買い物にやってくる私の姿は異様で、コンビニの店員から見たとき、気味の悪い、お客だったようで、いつも、あまり歓迎されていませんでした

その7

こうした生活をするようになって2年くらい経った、ある秋の暮れの頃のことだったでしょうか。夜遅く、お酒を切らした私は、いつものようにコンビニへ、お酒、煙草、おつまみなどの食べ物を買いに出かけました。駅の近くにあるそのコンビの前には、寒空にもかかわらず、中学生か高校生らしい数人の男女が、私服姿でたむろしておりました。彼らは、コンクリートの床の上にばらばらに座りこんでおり、傍にはペットボトルの空き瓶や、缶ジュースの空き缶、インスタントラーメンの空容器、タバコの吸殻、ビニール袋などが乱雑に散らばっているのが、チラッと目に入りました。私は別に気に留める事もなく、いつものように買い物を済ませ、お店の外に出てきました。ドアから出たとき、私に声をかけてきた女の子がいました。
「おっちゃん、そのおにぎり、半分おくれ。良いもん、見せてやるから。」
まだアルコール分の体に残り、夢現(ゆめうつつ)を彷徨って(さまよって)いた私は、彼女のそんな言葉にも、何の関心もなく、無言のまま、そこを通り抜けようとしました。
「おっちゃん、おーい。それ、半分おくれといっとるがー。聞こえんの。飲み物もくれたら、いい事させてやってもいいよ。」
と声が追っかけてきます。

それに合わせるように、外の子供たちの、下卑た笑い声。立ち上がった女の子は、背丈はもう既に小振りの、大人の女性くらいありますが、体つきはまだ子供らしく骨ばり、こげ茶色の顔に、白い目の隈取り(くまどり)した化粧の下の顔には、幼いあどけなさが残っています。茶髪に白のメッシュをいれたその子は、香奈には似ても似つかない顔立ちの子だったにもかかわらず、どういう訳か、ふと香奈のことを思い出してしまいました。酔いから覚めきっていなかった私の頭は、そのあどけない顔に一瞬、香奈の面影を見出してしまったのかもしれません。今から思えば、人懐っこく(ひとなつっこく)、物怖じ(ものおじ)しない、その話し方が、香奈を思い出させたのかもしれません。しかしそれも一瞬の事、深夜のコンビニ前にたむろする子供たちに、不気味さを感じた私は、買ったばかりのおにぎりと、おつまみを、黙って差し出し、そのまま立ち去ろうとしました。
ところがその女の子は、
「おっちゃん、あたい、かつあげしたんじゃない。」
「御代はきちんと払うで。ほら、あたいのいいもん、おがんでいきな。」
とスカートの端をたくし上げる格好をしながら、手招きするのです。その蓮っ葉な(はすっぱな:軽はずみで下品な)言動や外見とは裏腹な、少女の律儀さに驚いた私は、酔いも少し覚め、大人の分別が戻ってまいりました。
「遠慮しとく。そういったものは、貴女が、もっと大きくなって、大切な人が出来たときのために、取っておくものだよ。」
「こんな夜遅くまでこんな場所にいて、そんなことしていたら、危ないよ。早く家にお帰り。親悲しませちゃ駄目だよ。」
といって、逃げるようにその場を立ち去り帰ってきました。

しかしその日は、お酒を飲んでも、頭は妙に冴えかえって、酔いが回ってきません。あのまだあどけない顔のくせに、妙に大人っぽい少女の、ヘンに阿婆擦れた(あばずれた)言動が、奇妙に頭にこびりついて、離れないのです。
「あれから直ぐ、帰ったのかな。あんなことしていて、悪い大人に、酷い目にあわされなければいいが。あの子の人生、これからどうなっていくのだろう。あのまま放っておいても、ほんとうに、大丈夫かなー、」
私は無意識のうちに香奈の人生と重ね合わせて、彼女の事を心配していたようでした。長く自分の世界に閉じこもり停滞していた私の心が、ほんの少し外に開き動き出そうとした瞬間でした。しかしそれも僅かな時間に過ぎませんでした。再び周りのことに無関心な、元の私にと逆戻りし、煽る(あおる)ようにお酒を飲みながら、その思いは、深い記憶の底ヘと沈めてしまいました。

しかし彼女が垣間見せてくれた、現実の世界との接点は、これで切れてはいなかったのでした。その後、コンビニに行くと、無意識のうちに、彼女の姿を目で探している、自分がいるのに気付きました。私はいつの間にか、その少女を気にするようになっていたようです。それも数日の事、やがてすっかり忘れてしまった頃の事でした。ちょうどあれから10日くらいたった時のことでしょうか。いつものように酒に溺れたまま、だらしない姿で、コンビニへと出かけた私に、あの少女が声を掛けてきました。今日は二人の男の子と三人だけで屯しております。
「おっちゃん。何、又飲んどるんか。駄目だなー。人の事なんか、言えた義理か。大体、この間、おっちゃん、早よー、帰れって、お説教してくれたけど、うちは帰る家なんか、あらへんのや。しょーがないから、ここで、時間つぶしとるのに、なにが悪い。知りもせんと、いらんこと言わんといてや。」
「心配してくれるんなら、おっちゃんの所に泊めてくれるんか。でもテントは嫌やで。」
と彼女。彼女はわたしの服装や態度から、浮浪者(ふろうしゃ)かなにかと思ったようで、半分馬鹿にしたように、絡んで(からんで)きます。
「テントじゃないよ。でも本当に泊まる所ないの?・・・・事情によっては泊めてやらん事もないが。・・・しかし危ない事、平気で言うねー。今まで怖い目にあったことないの。こんな怖い時代だというのに。・・・そんなことしていると、そのうち酷い目に会うから。大切なものだけならまだしも、命だって取られかねないよ。」
「なー。いいかげんお家にお帰り。お弁当なら、買ってあげるから。何がいいの。」
その時はもう酔いも半分以上覚め、本格的に彼女のことが心配になった私は、更に続けました。
「もし声かけた人が、暴力団だったらどうするつもり。覚せい剤や麻薬漬けにされて、変なところに売り飛ばされてから泣いても、遅いんだから。こんな夜中に、こんな場所でぶらついているの、もう止めたほうがいいんじゃない。」
と私。
「煩せい(うるせい)なー。いらんお世話や。これでも結構、人を見る目はあるんやから。安全と思う奴以外は、声掛けーへんわ。」
「おっちゃんなんか、絶対変なこと、せーへんタイプやんか。それにもう、オジンやし。」と少女。
「そうかなー。そんな事分からんと思うけど。男は幾つになっても、狼やで。」
「所で、何が欲しいの。好きなもの買ってあげるから、大人しく小父さんの言うとおり、お家にお帰り。」
「うるせいといっとるだろ。家、家、家と。そんなもんあらへんと、さっきから言っとるだろうがー。もういい。」
「でも今日のお説教賃に、カップラーメンとコーラ、野菜サラダくらいおごらせたろか。」と少女。

どう見てもまだ13歳前後にしか見えない、幼さの残っている彼女の口から飛び出てくる、威勢のいい啖呵。強がっているのか、これまでの生い立ちゆえに、人生を諦めて捨て鉢になってしまっているのか、その荒んだ(すさんだ)口調とは裏腹に、彼女の言葉には、人の良さが窺われ、哀歓が漂っているように思われます。なんか事情を抱えているとは推定されましたが、所詮無力な一酔っ払いでしかない私に、どうしてやることも出来ません。またその時の心境では、他人のために、何かをしようとする精神的な余裕なども、ありませんでした。
従って、せめてと、請われるままの食べ物、飲み物を買い与え、それ以上は何も言わずに、その場を立ち去りました。