No.162 お墓の中まで その9

このお話はフィクションです似たような,名前、事柄が出てきましても、偶然の一致で、実在の人物、実際の事件とは全く関係ありません。又、実在の地名が出てきましも、フィクションの中の一場面として利用しているだけで、実在の土地、人物、家名とは無関係です。

 

その28

再び日比野明子さんの(後藤久美の同級生で今回の葬儀の喪主)の話
「先ほど、お嬢様が、久美ちゃんのご遺体と、ご対面なさった時、不審に思われませんでした?ご遺体が、あんなにも高価な絵画を抱いているのを。
あの絵、あれこそ、先ほどお話しました、久美ちゃんが、(淳志さんの)お母さまから、亡くなられた淳志さんの、形見として送られてきた絵画でございます。
久美ちゃんにとっては、それは、淳志さんの、身替りであり、あのきらきらと輝いていた、淳志さんとの、長浦の夏を思い出す、唯一の因(よすが:てがかりとか、結びつけるものの意)でございました。
同時に、それは、彼女にとっての、初めてで、それでいて最後となった、真実の愛の証(あかし)でもあったのでございます。
言葉を変えて言えば、この絵画の中の少女は、淳志と彼女の二人の間に育まれた、精神的な愛の結晶でした。
だから彼女は、この絵をとても大切にしていらっしゃって、いつも自分の傍に置き、離そうとされなかったのでございます。
久美ちゃんと一緒に葬ってあげる事にしたのは、久美ちゃんの、かねてよりの希望に沿う為でもあったのでございますが、この為でもあったのでございます。
この絵、もとは、長浦にある、山之内家の別荘の食堂の壁に飾ってあったものでございました。
絵画についての知識など、学校の美術の時間に習った程度しかなく、この絵の金銭的な価値や、芸術的価値など、知る由もなかった久美ちゃんでしたが、この絵を見た瞬間から、どう言う訳か、久美ちゃんは、この小悪魔的な、愛くるしい表情の少女に、魅入られてしまったのでございます。
それ以降、訪ねてくる度に、その絵を見入っていた久美ちゃんの姿に、
淳志さんが、「僕の一番好きな絵だけど、ポニーちゃんも好いてくれているの?
嬉しいなー、この絵の良さを分かってくれる人に出会えて。
ポニーちゃんがそんなに好きなら、ポニーちゃんにあげるよ。
でも、今、直ぐには持って行かないでね。
この子はね、僕にとっては、久美ちゃんの身替りなんですから。
今にも悪態をついたり、悪戯をしでかしたりしそうな、小悪魔的なこの子を見ていると、久美ちゃんが、傍に居てくれるような気がするんだ、僕には。
だから、僕が大学に合格して、ポニーちゃんに会いたくなった時には、いつでも会えるようになる迄、待ってね。その時、あげるから。」と言われていた絵画でした。

 

その29

「で、後藤のおばちゃんは、その人の事を、忘れられないままに、結婚されたのかしら。だったら後藤のおばちゃんのご主人になられた人、ちょっと可哀そうじゃない!
もしかしたら、そんなだったから、前の御主人が、賭け事に狂ったのと違う!
菜穂さんにしてもそう。家庭内での充たされない愛が、あんなインチキ宗教に走らせてしまった原因じゃないの?」
「そんな事言ったら、久美ちゃんが可哀そうですよ。
久美ちゃんが結婚されたのは、それからずいぶん後、淳志さんが亡くなられてから、もう10年近くも後の事よ。
何しろ、この後、日本にも、そして久美ちゃんの家にも、いろいろな事があって、結婚どころじゃありませんでしたからね。
無論それだけの時間が経ったからと言って、彼女が、淳志さんの事を、忘れきってしまっていたわけではなかった事は確かね。
でもね、女ってさー、お嬢様だって、女ですからお分かりでしょうけど、心に、秘めた思いの人を抱きながら、身体は、他の男の人に開くなんて、別に珍しい事じゃないでしょ。
久美ちゃんだって、好きだった人の事、それはそれとして、前の御主人の事、それなりに愛し、馬鹿みたいに、一生懸命尽くしていらっしゃったわよ。
お嬢様や、あなたのお父様もご存じの通り、もともと、彼女、人に尽すタイプの人でしたからね。
でもあのご主人は、全く尽くしがいのない人だったのよ。
そもそもあいつ、結婚前からもう、賭け事狂いで、借金まみれだったのですからね。
それを、船場の、大きな繊維問屋の次男であった上、いかにも真面目そうで、大人しそうな上、ハンサムだったから、久美ちゃんのおばあさんが、仲人口(なこうどぐち)に乗せられて、あまり気の進まなかった久美ちゃんと、むりやり結婚させてしまったのよ。
だからいけなかったの。
本来はあいつ、人間の女と結婚すべきではなかったのよ。
あいつに相応しい相手というのは、賭け事、そうだったのよ。
そんな男と結婚させられてしまったのですから、上手くいくはずがないわね。
(久美ちゃんは)結婚して間もなくから、借金取りに追われて、大変でしたわ。
でもあいつ、久美ちゃんがどれほど困っても、どれほど辛い目にあっても、反省もしなければ、感謝もしない奴だった。
菜穂ちゃんの事だってそう。久美ちゃんは菜穂さんの事、そりゃ愛していらっしゃったわよ。
離婚後、女手一つで、名古屋市立大学医学部に行けるようになるまで、育てられたのですからね。
その間、経済的に大変だったでしょうに、菜穂さんが、医者になる事だけを夢見て、自分の着る物、食べる物を削ってでも、菜穂さんには、ひもじい思いや、肩身の狭い思いをさせないようにと、人並み以上の事をさせてこられたのですからね。
私に言わせりゃー、久美ちゃんは、菜穂ちゃんを可愛がりすぎ。
あんなふうに甘やかして育てたから、あんな経済音痴の、恩知らずな子になってしまったのよ。
経済的に大変だったら、幼い時から、それなりに、もっと現実を見させておくべきだったのです」、
「それにね、久美ちゃん、淳志さんとの事は、私以外には、誰にも話された事ないの。
だから、無論、菜穂ちゃんがそんな事知るはずもないのよ。
だから、その事が、あの子の新興宗教に走った、誘因になったなんて考えられないと思うわ」

 

その30

日比野明子さんの話、つづく
先ほど、ちょっと触れましたように、その頃より、日本は、世界を相手にする戦争モードに突入して行きましたの。
だから、別に久美ちゃんの所に限ったことではありませんが、日本中、どこの家でも、同じように、大なり小なり、辛い事、悲しい事、嫌な事などなどの、大変な事があった時代でした。
「でもさー、後藤のおばちゃんって、女学校の先生から、女子医専に進むように、勧められていたのでしょ。
それをどうして、行かれなかったの?」
「もしその時、医専に行っておられたなら、少なくとも経済的には、もっと安定していたでしょうし、社会的な地位も保てたでしょうから、経済的、精神的に、もっと幸せな人生を送る事が出来たのではなかったかしら」
「そうなのよねー。久美ちゃんも再三その事を悔しがっていらっしゃったわ。
でも、後の後悔、先に立たずね。
しかし、よく考えてみれば、当時の状況では、どう考えてみても、それは無理だったんじゃないかしら。
まず、お祖母ちゃんが、女が上の学校に行って、職業を身につけるなんて、とんでもないと大反対だったのですから、どうしようもなかったのよ。
(註:その時代、女性は嫁ぐのが一番で、嫁いで、家の中にあって、夫を支え、子を育て、家を守るべきものという考えが、世の常識でした。田舎の旧家ではそうでした。従って女性が職を持つなどという事は、良家の子女には、許されない時代でした)
それに、彼女には幼い時から、お祖母ちゃんにお世話になっていたと言う、負い目がありましたし。
だから、人情的にも、持病持ちのお祖母ちゃん一人に、自分がそれまでやっていた、田畑仕事、家事、不動産管理業と言ったいろいろな仕事を押し付けて、反対するお祖母ちゃんを振り切ってまで、進学すると言う気持ちにはなれなかったのでしょうね。お祖母ちゃんが困るに決まっていましたから」
「それにしても、淳志さん亡くなった後、久美ちゃんの所には、良い事がまったくなく、嫌な事や、悪い事ばかりが、あまりにも団体さんで、来過ぎでしたね。
今、久美ちゃんの顔を見ながら彼女の人生を考えてみますに、良くここまで、それに耐えて、生きてこられたなと、つくづく思いますわ」
「まず、淳志さんに死別されてから、2年ちょっとで、ご両親をお亡くなられました。
それも普通の死に方ではなかったのよ。何でも、ムッソリーニ政権が崩壊した時、パルチザンに拉致され、彼らによって惨殺された模様と言う話しですから。
だから、衝撃は、より大きかったでしょうね。
さらにその涙も乾かない中に、今度は、米軍の大空襲でしょ。
それによって、自宅も、お勤め先も焼失、家も職も、一度に無くしてしまわれたのです。
(註;彼女の両親は、ムッソリーニ政権側のイタリア大使館勤務でした。その為ムッソリーニ政権が崩壊した時、彼らと、行動を共にされたようです。
その為、共産系のパルチザンに囚われ、殺害された模様との事です)
不幸はそれで止まらなかったんですよ。
その年の暮れには、日本は敗戦。
戦争が終わって、ほっとしたのも束の間、今度は占領軍として進駐してきたマッカーサー元帥の農地解放政策によって、小作農地の殆どを、小作人達にとられてしまったのでございます。
これによって彼女達は、酒井田家の財産の、その殆どを失ってしまわれました。
更にそれに追い打ちをかけるように行われた、新円の発行と預金封鎖、そして容赦なく襲いかかった、ハイパーインフレによって、彼女たちの生活基盤は完全に破壊されてしまったのでございます。
家も、金も、土地も、その殆どを無くしてしまった、彼女たちに残されたものはというと、半焼けの土蔵だけでした。
彼女達は、その土蔵を改修したバラックで雨露をしのぎながら、農地解放を免れた、猫の額ほどの田畑に、しがみ付くようにして、なんとかその日その日の命を繋いでおられたのでございます。
農地解放と、農作物の闇売りによって、俄か(にわか)成金となった、前の小作人たちから、見下げられ、陰口を叩かれ、嘲笑われながら(あざわらう)ね。
気位の高かった彼女達にとってそれは、耐えられない事でした。
将来とも、見返してやるあてなど、絶対にない、境遇にいた時の、元小作人達の仕打ちであっただけに、受けた痛みは強く、恨みは深く、年老いてからもなお、その時の事を思い出すと、身震いするほどの怒りが、込み上げてくると、久美ちゃんは、いつも言っておられました。
(註;終戦当時の農家は、食糧を求めて買い出しにやってきた町の人々や、闇商人のもってきた物や、支払っていったお金によって、家の中は、物や金で溢れていました。
その上、農地解放によって、それまで借りていた農地の全てが、小作達の持ち物になりましたから、にわか成金になった彼等の鼻息は大変な物でした。
それまでの弱者が、にわかに強者に変身し、それまで頭を下げてきた、地主たちに対しては、自分達が、小作人だった時代の、仕返しにでもするかのように、辛く、意地悪く当たったものでした)

 

その31

日比野明子さんの話、続き
敗戦後8年、日本は著しい復興を成し遂げました。
全面、焼け野原だって町には、新しい家が立ち並び、復旧した商店街には品物が溢れるように積まれているようになってまいりました。
しかし、そんな日本経済の復興を横目に、久美ちゃんとお祖母ちゃんは相変わらずで、半分だけ焼け残った土蔵を改造したバラックの中で、お祖母ちゃんの和裁仕立の内職賃と、久美ちゃんのお勤め先から貰ってくる僅かな月給、そして手元に残された、僅かな農地からの収穫物を頼りに、押し寄せる物価高と戦いながら、細々と暮らしておられました。
所が、その当時、世の中は、彼女たちの知らない間に急速に動いておりました。
日本経済の復興と足並みを揃え、全ての土地が高騰しはじめたのでございます。
久美ちゃんのお祖母ちゃんが持っていた土地も、宅地は言うまでもなく、それまで、買い手がなく、あまり値段が付かなかった、雑木林の山林までもが、宅地として開発されるようになり、思わぬ高値で、借り手が現れたり、買い手がついたりするようになってまいりました。
それを知ってか、知らなくてか、市役所にお勤めだった、お祖母ちゃんの次男が、彼女達が住んでいた屋敷を半分に区切り、彼女たちの住んでいたバラックの隣に家を建て、お祖母ちゃんを引き取ると言ってきたのでございます。
ちょうどそんな時、仲人を通して持ち込まれた、久美ちゃんの縁談話の相手が、前のご主人でございました。
船場の大きな繊維問屋の次男坊で、外見的には大人しくて、優しそうで、且つ、ハンサムな彼に、お祖母ちゃんが、すっかり気に入ってしまわれたのでございます。
その為、あまり気乗りのしなかった久美ちゃんを説得して、強引に彼との結婚を進めてしまわれました。
お祖母ちゃんとしては、自分がいる為に、30の大台に、手が届くという年になっても、尚、行きそびれ、独り身でいる久美ちゃんの事が気懸りでならなかったのでございます。
だから、なんとか自分の目の黒い内に、良い所に嫁がせ、幸せにしてやりたいと焦っておられました。
そんな時、持ちあがってきたのが(自分の)次男との同居話と、久美ちゃんの縁談だったのでございます。
お祖母ちゃんは、渡りに船とばかり、あまり相手の身元を調べる事もなく、男の外見に騙され、仲人口を信じて、それに飛びついてしまわれたのでございました。
本音の所では、お祖母ちゃん自身は、息子(次男)との同居は、あまり望んでおられませんでした。
ただ、久美ちゃんの幸せを思い、彼女を結婚に踏み切らせるため、次男と同居を決心されたに過ぎません。
久美ちゃんにも、祖母ちゃんのその気持ちは伝わっておりました。
それだけに、久美ちゃんとしては、その結婚話を、すげなく断る事が、できなかったのでございます。

 

その32

しかし、その結婚は大失敗でした。
これによって彼女は、青木から後藤に姓が変わりましたが、それは、彼女にとっては、その時から始る、その後の、最悪の人生の序章となってしまったのでございます。
先ほども、申しましたように、彼女の前の夫というのは、とんでもない賭け事狂いでございました。
結婚早々から、家には全くお金を入れてくれませんでした。
彼は、給与として入ってくるお金の全てを、賭け事か、賭け事で負けたお金の清算に使ってしまい、一円も家にいれてくれなかったのでございます。
それどころか、給料として入ってくるお金だけでは足りず、親戚は言うまでもなく、知人、友人にいたるまで、借りられる所からは全て、借りまくっていたのでございます。
それだけで済めば、まだよかったのでしょうが、結婚して3年目くらいになりますと、集金してきたお勤め先の売掛金にまで手をつけるようになりました。
そして最後は、高利のお金に迄手を出し、結局、二進も三進も(にっちもさっちも)いかなくなって、久美ちゃんには一言もなく、行方をくらましてしまわれたのでございます。
逃げてしまって、家に帰ってこない夫に代わって久美ちゃんは、それらの処理の全てに対応せざるをえませんでした。
夫の勤め先からは、弁償してくれなければ刑事告訴すると脅されました。
借金取りには、朝は早くから、夜は遅くまで押しかけてこられ、お金を返せと、責められ、脅されつづけました。
中には、お金を返してくれそうにないのに業を煮やし、主人に替わって、彼女に、トルコ風呂(風俗営業)で働く事を、強要する輩(やから)さえ、出てまいったのでございます。
久美ちゃんは、お祖母ちゃんに、苦労をかけまいとして、いろいろな事があっても、長い間、黙って、一人で耐えておりました。
しかしそこまで追いつめられますと、さすがに身の危険を感じるようになりました。
そこで止む無く、お祖母ちゃんに事情を話し、助けを求めたのでございます。
驚いたお祖母ちゃんは、早速、婿方の親と話し合って、「結婚する時、久美ちゃんがもって入った全ての財産を、その中には、お祖母ちゃんが新婚の久美ちゃん夫婦の為にと、建ててくれた家屋敷、そして、持たせてくれた持参金、久美ちゃんが、お勤めしていた時の給料の中から貯めてきたお金等が入っていましたが、それらの全てを、久美ちゃんの夫の借金の清算の為に差し出す事と引き替えに、夫とは別れさせて貰うことになりました。
そして、夫の借金については、万一、この後、久美ちゃん達に内緒の借金が、未清算のまま残されていたり、久美ちゃんが、知らない間に、彼の借金の保証人にされている物が、未清算のまま残っていたとしても、それらを含めて、今後は、それらの全てに、一切関わりを持たない」という取り決めをして、夫から別れさせてもらったのでございます。
結果、結婚の時、建ててもらった新居も、その屋敷も、結婚に際して持たせてもらった持参金も、若い時から、コツコツと貯めてきた彼女の貯金も、そのすべてを失ってしまいました。
しかし、これによって、やっとの事で、不幸だった、結婚生活から自由になり、彼に代わって受けていた借金地獄の責め苦からも、(久美は)解放される事が出来たのでございます。
所が彼については、離婚後もなお、あちらこちらに、新たに、借金を重ねているという噂が伝わってまいりました。
そのためお祖母ちゃんは、自分が死んだ後、財産を孫の久美ちゃんに相続させたのでは、人の良い久美ちゃんのこと、その財産を守りきれないのではないかと思われたのでございます。
そこでお祖母ちゃんが、お亡くなりになる前に「久美の相続分の全てを、ひ孫の菜穂に相続させる」という、遺言書を残されました。

 

その33

皮肉なことに、その肝心の菜穂さんによって、天命浄霊会へ、その土地を寄贈されてしまったのですから、久美ちゃんは、運がないといえば、運がなく、その土地との縁がなかったと言えば縁がなかったというわけです。
お嬢さんもご存じのように久美ちゃんって、優しくて、よく気がつき、スタイルが良い上に、目鼻立ちも整い、どちらかと言うと美人の部に属する方です。
その為、彼女の回りには、彼女に思いを寄せる男性が絶える事はありませんでした。
でも、気位が高い(きぐらいがたかい:誇り高いこと)上に、前のご主人との結婚によって、男性に懲り懲りになってしまわれた彼女に、生きた人間を愛する心を、復活させてくれるような男性との出会いが、訪れる事はありませんでした。
結局久美ちゃんは、その後はずっと独り身を通されました。
それだけに、亡くなった淳志さんへの思い入れはますます強くなっていかれたようでございます。
淳志さんは、完全無欠の理想の男性として、彼女の心のど真ん中に居座り、また藤田画伯の絵の中にある、この少女は、二人の間の、掛け替えのない最愛の子供として、久美ちゃんの心の中で、生き続けていました。
今はもう彼女、この苦界の世から解放され、親子三人が手をつないで、天国のお庭を散歩されている事でしょう。
従って私、久美ちゃんに、お悔やみの言葉をかけるより「長い間、ご苦労さまだったわね」とか「やっと苦界から解放されて良かったね」と声をかけてあげたい気持ちで一杯でございます。
と言うことで、日比野さんの、長いお話は終わりました。
エピローグ
さてこのお話、後藤のおばちゃん側に立って考えれば、とても素晴らしい美談です。
しかし美術品を愛し、それを扱う事を生業(なりわい)としている者の立場から考えますと、後藤のおばちゃんには申し訳ない事ですが、全面的にそれを肯定して、感心できるかは、微妙です。
このお話に出てくる、フジタ画伯のこの絵画が、そのような長い、命を持った芸術作品であったかどうかは、議論の分かれる所でしょうが、
一般的に言いますと、優れた芸術作品というものは、本来、この世に生まれ出た瞬間から、人間の生命を幾世代も越えた、長い、長い寿命を持っております。
それを、その芸術作品の一時的な身の寄せ所に過ぎなかった、その時の所有者が、自分のエゴによって、途中で、その芸術作品の命を断ってしまう事が、果たして、許されることでしょうか。
もし仮に、芸術作品に命が宿っているとしたら、いくらその時、その持ち主に愛され、大切にされていたとしても、はたしてそれを望むでしょうか。
私には、そのような目にあわねばならない芸術作品の姿は、親のエゴによって、親子心中に巻き込まれ、命を断たれた、憐れな子供のように思えてなりません。

終わり