No.161 お墓の中まで その8

このお話はフィクションです似たような,名前、事柄が出てきましても、偶然の一致で、実在の人物、実際の事件とは全く関係ありません。又、実在の地名が出てきましも、フィクションの中の一場面として利用しているだけで、実在の土地、人物、家名とは無関係です。
 

その24

「ポニーちゃん達が、ここを引き上げていく日も、もう真近になってしまったね」
ご両親は、ここを、何時、引き払うと言ってらっしゃった」
「3日後の午後。もう明後日の朝は、家の後片付けがあるから、多分ここには来られないと思う」
「そう、それじゃー、じゃじゃ馬ポニーちゃんに会えるのは、もう明日の朝だけということ?」
「ごめんね。それが明日の朝はもう来られないかもしれないの。
父と母がね、ここでの思い出に、淳志さんが話していた、例の、宮沢賢治の銀河鉄道の夜に出てくる、ブリオシン海岸にそっくりの場所、ほら、化石の転がっている知多半島の最先端の海岸、そこへ行く話になっているの。
だから、明日は、もし来られたとしても、ゆっくりお話しをしている時間なんかないの」
「じゃー、会えるのは、今日が最後と言う訳」
「そう、ゆっくり会えるのはね。
でも発つ前、お別れの御挨拶には伺うと思うよ。父がそのようなこと言っていたから」
「そう、これでまた、この別荘地の住人は、僕一人と言う事になるのだね」
「そうよ、これにて、お邪魔虫のジャジャ馬は、退場することにいたします。嬉しい、嬉しいでしょう。お邪魔虫がいなくなって。
『心かき乱されることなく、しっかり静養なされ』という、月神様の思し召しなるぞ。
ありがたくお受けなされ」と悪戯っぽくいう久美。
でも声は少し鼻に掛かり、語尾は微かに震えております。
「ありがとうごゼエますだ、月神様。しかし私めには、そう言う小憎らしい事をのたまう、かぐや姫様が傍においてくださった方が、心が安らぎ,静養になるのでございますが」と冗談っぽく返す淳志。
しかし久美を見つめる目は真剣です
「無理じゃ、無理。わらわはのー、もう間もなく、去らねばならぬ。月の国からのお迎えが、すぐそこまで来ているのじゃからな。
そなたも、せいぜい達者でお暮らしなされよ。さらば、さらばー」とおどける久美。
しかし淳志を見つめ返す、久美の目もまた真剣で、潤んでいました。
しばらくの間、二人は言葉を交わす事もなく、ただ見つめ合っておりました。
二人の間には、僅かな刺激によって、破裂しそうなほど、空気が張り詰めておりました。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」、
どれほどの時間が経ったことでしょうか。
「フーッ。これからさびしくなるなー」その張りつめた空気に耐えかねたように、淳志が大きく溜息をつきました。
「でも淳志さんも、来年春には復学出来るんでしょ。後、ほんの少しの辛抱よ。
ガンバ!
復学しさえすれば、そこには、友人との交遊も、御家族との団欒も待っているでしょ。
そうなると、私なんかの事は、思い出の中の影法師にすぎなくなってしまうに決まっているわ」
「そんな事はないよ。この夏の、久美ちゃんとの出会いは、確実に、僕の青春の一ページを飾る最大の出来事だもの。それも黄金色に輝くね」
「久美ちゃんこそ、関田村(のちの春日井市)に戻ったら、もう僕の事なんか、蜃気楼のような存在にすぎなくなってしまわないかな」
「酷い!(ひどい)、そんな言い方。私にとって、この夏が、どんな意味をもった一夏だったか、知らないわけでもないでしょうに。
大きな、大きな思い出が、一杯詰まっているこの一夏の出来事を、忘れるはずがないでしょ。
中でも、特別な存在だった、バイオリン奏者の事は、特にね。
私、あの土曜日のお別れ会で、淳志さんに、教えてもらいながら、皆で歌った“湖畔の宿”、あの歌の事、一生忘れないと思うな。
寂しい時や、悲しい時、辛い時と言った、心が沈んで耐えられなくなった時には、知らないうちに、あの歌を口ずさんでいるに違いないと思うわ。
だって、あの歌のリズム、壊れたオルゴールのように、繰り返し、繰り返し頭の中で、鳴っているもの」
「僕、久美ちゃんの家へ、手紙出しても良いかなー」
「駄目よ、そんな事。
だって、男性と文通している事なんかが、学校に知られようものなら、大変。下手すると退学、軽くて停学になってしまうもの。
それにね、うちのお祖母ちゃん、これがまた頑固一徹な昔気質の人で、私のような未成年の男女交際については、とても煩い人なの。
だから淳志さんが手紙を下さったとしても、男名の封書は多分没収。私の手元までは届かないでしょうね。
仮に届いたとしても、私から、お返事を返すことはできないわ。
文通なんかしている事がお祖母ちゃんに知られようものなら、私、家に居られなくなってしまうから。
そう言う訳で、私が女学生である間は手紙をくださるのは駄目。絶対に止めてね」
「それじゃ、ポニーちゃんの家に会いにいくのは」
「そんなの、もっと駄目。そんな事をしたら、お祖母ちゃんは、貴方の事を、不良少年と勘違いして、家の敷居を二度と跨がせて(またがせて)くれなくなってしまうから。
もし、淳志さんが、大学へ進学された後もなお、私の事を、覚えていて、会いたいと思って下さったら、その時はお手紙くださるなり、訪ねて来るなりしてよ。
その頃は私も、もう学校を卒業しているから、堂々とお祖母ちゃんにも打ち明けられるし、紹介する事も出来るから」
「冷たいんだなー、ポニーちゃんって。でも、その時は久美ちゃんは、もう結婚が決まっているのではないの?
一般にこの地方の良家の子女って、女学校を卒業すると、すぐにお見合いさせられ、婚約、そして結婚というコースを歩まされるのが普通だから」
「大丈夫よ。私、お婆ちゃんから何と言われようと、それだけは譲らないから。
絶対待っている」

 

その25

その翌年の2月末のことでした。
暦の上では、もうとっくの昔、春だと言うのに、その年の春の到来は遅く、この地方一帯が、何年ぶりかのドカ雪に見舞われました。
その日から数日後の事でした。
「山之内芙美子さんという人から、手紙と一緒に、大きな荷物が、お前宛に送られて来ているけど、なんだろうね」
雪解け水で、ぬかるんだ道を、泥んこになった自転車を引きずりながら、やっとの思いで、家に帰ってきた久美に、祖母が声をかけてきました。
みると、お勝手の上り框(あがりかまち=玄関の上り口に、横に通した化粧在のこと)の所に、一抱えもあるような四角い大きな箱の包みと、達筆で久美の宛名が書かれた封書が置かれているのが見えました。
山之内と聞いただけで、久美の心は懐かしさに震えました。
しかし、まだ来るはずもない手紙の到来と、淳志さん本人からではなく、女名の差し出し人からの手紙である事に、不吉な予感が頭を過ぎりました。
気の急く(せく=急ぐ)まま久美は、泥んこになった手足を洗うのもそこそこにし、泥跳ね(どろはね)で汚れた制服を気にする事もなく、立った姿勢のまま、その手紙を読み始めました。

 

その26

山之内芙美子さんより、久美宛の手紙
「春とは名のみにて、毎日厳しい寒さが続きます今日この頃、貴女様にはますますご清祥(ごせいしょう)の事、お慶び申し上げます。
所でこの度、全く面識のない私より、突然お便りをさし上げます御無礼の段、平にお許しください。
さて、貴女様には、もうすでに、名字より、私の事、お察しかとは存じますが、ここに改めて自己紹介させていただきますと、私、山之内芙美子と申しまして、昨夏、長浦にて、貴女様と、お知り合いになり、親しくさせていただいておりました、山之内淳志、英子兄妹の母親でございます。その節は、淳志が、青木様ご一家に、一方ならぬお世話になりましたそうで、本当にありがとうございました。
さて、その淳志の事でございますが、療養いたしておりました、胸の病の方は、すっかり良くなり、今年の4月から復学する予定でおりましたところ、2月初めに罹り(かかり)ました流行性感冒に、併発した肺炎によりまして、去る2月8日、永遠に帰らぬ人となってしまいました。
生前のご厚誼(こうぎ=親しいお付き合いのこと)、厚く御礼申し上げます」
ここまで読み進んだ所で、久美の顔色は真っ青になり、手足の震えが止まらなくなってしまいました。
祖母に悟られまいと、必死に堪えようとするのですが、涙はとめどもなく流れ、震えで脚の力が抜け、立っているのが辛いほどでした。
不審に思った祖母が、「どうしたの。山之内さんって誰?」と尋ねます。
祖母に見られないように涙をぬぐった久美は、「仲良くしていたお友達が肺炎で亡くなったって。彼女のお母さんからのお知らせ」と辛うじて、それだけを言うと、それ以上の事を、聞きたそうにしている祖母を、そこに残して、逃げるように、自分の部屋に駆け込みました。

 

その27

「なお、別便にてお送りいたしております絵画、フジタ嗣治先生作“花冠の少女“は、生存中の淳志が、最も愛していた作品でございますが、遺言により、淳志の形見として久美様にお受け取り頂きたく、失礼をも顧みず、送らせていただきました。
突然の贈り物に、貴女様には、さぞかし、お戸惑いとは存じますが、亡き淳志の遺志でございますので、ぜひぜひお受け取り頂き、淳志に代わり愛していただきますよう、心よりお願い申し上げます。
なお、お二人の間がどんな関係で、どんなお約束がありましたか、淳志が亡くなりました今となりましては私どもが、知る由もありませんが、淳志は、貴女様とのお約束を果たす事なく,冥土へと、旅立って行かねばならなくなってしまいました事を、とても残念がり、くれぐれも謝っておいてくれと、苦しい息の下から、死の直前まで、何度も何度もうわ言のように申しておりました。
私どもとしましては、淳志のこの遺言を聞くまでは、何の良い事もなく、若い身空で、逝かねばならない淳志が、不憫でなりませんでした。
しかし、この遺言を聞いた時、親の一方的な思い込みにすぎないかもしれませんが、淳志の短い人生の中にも、このような、絵画を贈ろうと思えるような女性の存在がありました事がとても嬉しく、私どもの大きな救いとなっております。
本当にありがとうございました。
なお二人の関係が、私どもの想像通りでございましたら、貴女様の悲しみの深さは、私どもに勝るとも、劣る事はないかとは存じますが、どうかその悲しみにお負けになる事なく、淳志の分まで長生きをされ、淳志の冥福を祈ってくださいますよう、心よりお願い申し上げます。
以上、もしかしたら私ども以上にお悲しみにくれておられるかもしれない貴女様に、長々と、私の繰り言に、お付き合いさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
貴女様の、御幸せと御健勝を、心よりお祈りしております。      かしこ」
涙にかすむ目で読む、その手紙は、何度読み返しても、混乱した頭では、文字或いは、句や文節を読んでいるだけで、まとまった文章として理解するのは、困難でした。
久美の頭の中には、淳志の死の事実だけが、大きくのしかかっておりました。
久美は布団にもぐりこむと、枕の縁を噛みながら、声を殺して泣きました。
しゃくり上げる嗚咽の音は、泣いても、泣いても止まらず、流れ出る涙は、枕がぐっしょり濡れても止まることはありませんでした。

次号につづく