No.156 お墓の中まで その3

このお話はフィクションです似たような,名前、事柄が出てきましても、偶然の一致で、実在の人物、実際の事件とは全く関係ありません。又、実在の地名が出てきましも、フィクションの中の一場面として利用しているだけで、実在の土地、人物、家名とは無関係です。

 

その7

祭壇へ型どおりの御参りを済ませた私は、棺(ひつぎ)に開けられている、覗き窓越しに、おばちゃんの遺体と対面しました。
その時私は、「アレッ」と、思わず小さな驚きの声をあげてしまいました。
横たわったおばちゃんの顔と、顔を並べるようにして、遺体の上には、3号ほどの大きさの、愛らしいフジタ嗣治の油絵の少女像が、置かれていたからです。
始めは、てっきり、イミテーションか印刷の類だろうと思い、気にも留めませんでした。
しかし何となく気になって見直して見ましたところ、それはどう見ても本物のようでした。
絵の中の少女は、まるで甘えているかのような、悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、ちょっと上目遣いに、おばちゃんの方をみつめています。
その少女の方に、ちょっと首を傾げたおばちゃんは、良い夢を見ながら眠っているかのように、安らかな笑みを浮かべて横たわっておられました。
生きておられた時に見られた、話しておられる時でも、笑っておられる時でも、時々ふっと表情を過ぎって(よぎって)いた、あの、なにか満たされないような、寂しげな、それでいて何かと戦っているかのような厳しさは、すっかり消えていました。
その穏やかな笑顔は、子供を連れて、これから何処かへ、遊山にでも出かける時のような楽しそうなお顔です。
「良いお顔をしていらっしゃいますね。
何だか、極楽浄土からの、お迎えの車を見ていらっしゃるようにお見受けします」
「そうでしょう、そうでしょう。私も、このお顔をみていますと、やっと、この世の“苦”から解き放たれ、安らかに、浄土へと旅立って行かれたのだなと思えてなりません。
良かったわ。久美ちゃん。この人、こんなにも良い人だったというのに、現世では、あまりにも、恵まれなさすぎでしたもの。
せめて死んだ後くらい、極楽浄土へと行かせてもらえなかったら、あまりにも可哀そうすぎます」
「きっと、あの世では、密かに想い続けていらっしゃった、初恋の人や、子供と、3人で、仲良く、幸せに暮らしていかれる事でしょう」
「エッ、おばちゃん、天命浄霊会とかと言う新興宗教に走った娘さんの外に、まだお子さんがいらっしゃったの。
全く、知らなかったなー」
「と言う事は、彼女、結婚する前の、隠し子がいたという事ですよね。
へー、おばちゃんって、若い時は、見かけによらず、進んでいたのですねー。
私、おばちゃんって、どちらと言うと、保守的で、常識的な人だとばかり思っていたのに」
「だっておばちゃんが娘さんだった頃って、戦中か戦後、間もない頃で、まだ今みたいには、婚前のセックスが、公然と、社会的に認められている時代じゃなかったでしょ」
「で、そのお子さんは、どうなったの。3人で、天国で暮らすという事は、早死にされたと言う事。それとも、流産か、中絶されるかして、この世には生まれてこられなかった子供という事なの」
「違う、違う、大違い。全く見当外れ。
久美ちゃんに限って、そんなふしだらな事する筈ないでしょ」
「それなら、一体全体、どういう事。貴方のおっしゃっている事、さっぱり、分からないわ」
「そう、これは、私以外は、誰も知らない、久美ちゃんの生涯の秘密。
でも彼女も、もうあの世へ旅立ってしまわれた事ですし、実子とはあの調子で、絶縁状態ですから、話しても、何の差し支えも、ないかもしれませんわねー。
考えてみれば、お話する事によって、この世の出来事を、きちんと断ち切って上げた方が、あの人の供養に、なるかもしれませんわねー。
でもこのお話、しだすと、少し長くなりそうですが、大丈夫ですか?
貴女、明日もお仕事がおありとかで、お忙しい御身体と聞いておりますけど。」

 

 

 

その8

(久美と高等女学校時代の友人)日比野明子さんのお話
先ほども申しましたように、久美ちゃんというのは(以降「ちゃん」は省略)、外交官の娘で、父親というのは、代々、加納藩に仕えてきた儒家で、明治維新後、岐阜県日置江村に移住し、居を構えている、その地の大地主、青木家の次男です。
一方母親は、関田村(今の愛知県・春日井市)の出で、江戸時代には、大地主であると同時に、その地で造り酒屋を、更に、近くの内津の宿には(うつつのしゅく)(註:江戸時代の下街道の宿場町、現在は春日井市)、酒店を構え、手広く商いをしていた豪農であり、豪商でもあった酒井田の家の末娘です
酒井田家は明治に入って、久美の祖母の代になりますと、夫を早く亡くしたことに加え、時代の流れで,内津の宿が廃れていった事ともあいまって、もう造り酒屋も、酒店の方も廃業していました。しかし、それでもなおその地方きっての大地主として、権勢をふるっていました。
その家の三人兄弟の末娘であった久美の母親は、当時としては珍しいことに、東京の高等女学校(旧制女学校)に進学させてもらっておりました。
その時、久美の母親が下宿させてもらっていた伯母の家の近くに住み、東大に通っていたのが、後に久美の母親と結婚する事になる、前にもお話しました、青木家の次男、哲でした。
高等女学校への通学途中に、彼に見初められた久美の母親は、是非にと請われて、彼女の卒業を待って、彼の所に嫁いでいきました。
結婚した時、彼は既に、外務省に入省していて、外交官として、将来を嘱望されていた身でした。

 

その9

結婚した若い二人の結婚生活は、傍も羨むほどに、甘いものでした。
しかし日本を取り巻く国際的、国内的な激動の波は、そんな二人の生活にも襲いかかり、次第に激動の渦の中に巻き込こまれていきました。
久美の両親が結婚した当時の日本は、第一次世界大戦による一時的な好景気から、一転して、再び不景気に襲われ、庶民は、倒産や、失業の危機に脅えながらの暮らしを、やむなくされていた時代でした 。
それに追い打ちをかけたのが、関東大震災で、それは、首都を中心とした関東地方に壊滅的な大被害を与えてしまいました。
久美は、そんな時代、関東大震災の翌年、即ち、昭和という激動の時代が間もなく始まろうとしている、大正14年に、生まれました。
それは、あたかも彼女のその後の、暗くて険しい生涯を暗示しているかのような時代でした。
悲しい事に、昭和に入っても、世の中は、一向に良くなりませんでした。
国の財政は、益々悪化し、それを立て直すために取られる、いろいろな財政政策は、景気の悪化や、金融恐慌をもたらしただけで、庶民の生活に、改善の兆しを見せる事はありませんでした。
それどころか、このような諸政策によって、倒産や失業者の増加をもたらし、その為、追いつめられた、失業者、小作、労働者といった貧しい階級の人たちによる、小作騒動、労働争議、米騒動などといった、過激な社会運動が頻発しておりました。
世情は、益々暗く、益々混迷の度を深めていくように見えました。
しかし、そのような暗い世情にあっても、その頃はまだ、官吏だった久美達家族に及ぼす影響はそれほど大きくなく、一家3人は、比較的穏やかな、小市民的日々を、過ごす事が出来ておりました。
久美の母親和子は、大変優しく、子煩悩な女性でした。
彼女にとっては、初めての我が子が珍しく、する事なす事、可愛くて仕方がありませんでした。
それに夫の職業と、その時の世界情勢から考え、早晩、我が子と別れ別れで暮さなければならなくなるだろうという予感がありました。
それだけに我が子が、より愛しく(いとおしく)、不憫でたまりませんでした。だから、溺愛と言っていいほど、甘やかして育てました。
それは、久美の父親も、同じ思いでした。
幼かった久美には、この頃の事は、薄ぼんやりとした記憶しかありません。
しかし、成人してから、その頃の事を思い出しますと、はっきりと記憶をしているような事柄は、何もないにもかかわらず、温かで、何とも言えない、懐かしいものが、胸一杯に、込み上げて来て、涙が溢れ出て止まらなくなると、久美はよく語っていました。
「私、あの時で、自分の運勢の大半を使い切ってしまったみたい。あの頃の思い出だけが、私の人生の宝物」というのが、晩年の久美の口癖でした
実際、このような親子三人での、穏やで、幸せな、小市民的生活は、それから間もなく、久美が5歳の時をもって、終わりを告げることになりました。
外務省勤務であった彼女の父親が、いよいよ海外へ、赴任する事に決まったからです。
当時の国際情勢は、ニューヨーク株式の大暴落によって引き起こされた大恐慌により、世界中何処にいても、いつ動乱に巻き込まれても、おかしくないと思われるような、不穏な空気に包まれておりました。
それは、世界中が、まるで火薬庫の上に乗っかっているような、危うさにあった時代でした。
久美の両親は、そのような危険な場所に、久美のような幼子を連れて行く訳には参らないと思いました。
そこで彼等は、久美を酒井田の祖母(母方の)のもとに預け、夫婦だけで、赴任していく事にしたのです。
しかしそれは、久美の母親にとっては、よほど辛い決断だったようで、乗船の直前まで、久美を固く抱きしめ、頬擦りしながら泣きじゃくり、離そうとしなかったといいます。
(註:飛行機旅行が当たり前の今と違って、当時は船旅しかありませんでした)

 

その10

海外赴任に当たって、久美の両親は、娘を自分の在所(実家=母の家)に預ける事に決めましたが、久美の母親和子は自分の母(久美の祖母)の所とはいえ、今まで、顔も見たことない見知らぬ人達の中に、たった一人で取り残される娘の事を思うと、不憫と不安で胸が詰まり、涙が止まりません。
「こんな小さな子を、たった一人残していかなければならないけど、一人で残して本当に大丈夫かしら。
私達が発った後、この子どうしているだろう。
甘えっ子のこの子が、私達がいなくなった後、一人で大人しくしておるだろうか。
泣きじゃくったり、やんちゃをしたりして、母や、義姉を梃子摺らせる(てこずる)のではないだろか。
それとも、あのきつい母や、意地悪な義姉に、叱られたり、虐められたりして、いじけてしまうのではないだろうか。
甥の寛太ちゃんや、姪の珠代ちゃんは仲良くしてくれるかしら。彼らから苛められるような事はないだろうか」
などなど次から次へと気掛かりが浮かんでまいります。
「いっそ親子3人一緒に赴任して、何が起ころうと、同じ運命をたどった方が良いのではなかろうか」
「それとも、私がこの子と残っては駄目だろうか」などなどと、心が千々に乱れて定まりませんでした。
そんな事は、夫に言うまでもなく、無理だと言う事は頭では分かっていました。
ですが、どうしても思い切れません。
「お母ちゃん、どうしたの。なぜ泣くの。お父ちゃんに叱られたの?ポンポ痛いの?それともおツム(あたま)が痛いの」といいながら、手を差し出したり、額をつけてきたりするそのあどけない言葉の一言、一言が、その仕草の一つ、一つが、彼女の涙線を刺激して新たな涙を誘います。
起きている時は起きている時で、その仕草や、言葉に、寝ている時は寝ている時で、その寝顔に涙が出てきて、赴任が決まってからの、和子の目は、涙が途絶える事はありませんでした。
子供を一人国に残して赴任していかなければならない身としての、不安や不憫な思いは、父親・哲だって変わりませんでした。
父親の方は、我が子を思い、取り乱している妻も又不憫でした。海外に行くのを止められるものなら止めてやりたいとも思っていました。
しかし現実はそうはまいりません。
父親・哲は、強いて冷静さを装いながら、妻を慰め、子供に言い聞かせました。
「久美ちゃん、お父ちゃんたちはね。お国の用事で、どうしても遠い、遠いお国へ、行かなければならなくなったの。だからお利口にして、おばあちゃんの所で、留守番していてね」
「いやだ、だったら久美ちゃんも一緒に行く」
「それがね、とっても遠い所で、何日も何日も御船に乗っていかなけりゃならない所なの。だから久美ちゃんには無理なの」
「久美ちゃん、お船、大好き。だから一緒に行く」
「それがね、とっても怖い所へ行くの。だから、子供は乗せてもらえないの」
「だったら、お父ちゃんも止めたら」
「それがね、そうはいかないの。お国の命令だからね。だから久美ちゃんは、お利口にして、おばあちゃんの所で待っていてね。すぐに帰るからね」
「すぐ帰ってくるの。だったらいいよ」
「おばあちゃんや、伯父さん、伯母さんの言う事を良く聞いてお利口にしているんだよ。お利口にしてないと、お父ちゃん達は帰らないからね」
「ウン、分かった。お利口にしている」
「泣いたり、やんちゃを言ったりしないね」
「ウンしない。だから早く帰って」
「お婆ちゃんの所にはね、お前と同じくらいの年の子供たちがいるけど、その子たちとも、仲良くするんだよ」
「うん、わかった。そうする」
何も分からず、神妙に返事を返す久美。しかし、いつもと違う父親の様子に、いかにも不安げです。
「お利口さん、お利口さん。なんてお利口さんなんだろうね」といいながら、父親、哲は、久美を抱き上げると頬擦りしました。
しかしその可憐な、健気さに、彼の腕には思わず力がこもり、目からは、堪らず涙が零れ(こぼれ)おちます。
「お父ちゃん、痛い、痛いって」久美の口を尖らしての抗議の言葉も、耳に入らぬかのように、彼の腕には、なお一層力が加わりました。

次回へ続く。

No.155 お墓の中まで その2

このお話はフィクションです似たような,名前、事柄が出てきましても、偶然の一致で、実在の人物、実際の事件とは全く関係ありません。又、実在の地名が出てきましも、フィクションの中の一場面として利用しているだけで、実在の土地、人物、家名とは関係ありません。

 

その5

「どうして分かってくれないの。もういい加減目を覚ましたらどうなの。あんなの、本当の宗教じゃないのに。
あいつら、自分のお金儲けのために、あんたらみたいな純真な、若者たちを利用しているだけよ。あんたら皆、騙されているのよ」
「その強引な勧誘の仕方と、金集めで、最近、マスコミでも問題になっているじゃないの。
第一、普通の人間が、印を結んだ(印を結ぶ:おまじないをかけること)手をかざすだけで、病気が治るなんて、そんな事あるはずがないでしょ。
医学の発達してなかった大昔じゃあるまいし。
そんなのインチキに決まっているでしょ。
そんなことができるなら、お医者さまなんか、いらないわよ」と母親の久美。
しかし尊崇している教祖様を、そんな風に、悪しざま(あしざま)に言われては、娘の菜穂さんも、黙ってはおられません
「普通の人間?それどう言う事。ご教祖様は普通の人間じゃありません。
なんて勿体ない(おそれおおい)事を言うの。
いくらお母さんでも、それは聞き捨てならないわね。
あのお方はね、普通の人間じゃありませんからね。神様が、この世にお遣わし下さった、特別の存在です。
即ち、神様と、人との間に在って、神の御心を人にお伝えくださり、人々に憑依(ひょうい:悪霊などが取りつく)して、悪さをする霊を浄化し、昇天させたり、物の怪(もののけ:悪魔やお化けのこと)等などに取り付かれて、苦しんだり、邪悪に走ったりしている人の魂には、それらを取り除いてやり、その魂を正しい方向に導き、安らぎと幸せを与えたりして下さる、とても尊いお方です。
私どもは、このお方のお力を通して始めて、神様のご意志を感じる事が出来、神様との縁(えにし)を結ぶことができるのです。
そして、神様と御縁を結ぶ事が出来たものは全て、この世にありながら、あたかも天国にいるかのような、安らぎと幸せが約束されます」
「だからね、お母さん、よく聞いてよね。あのお方はね、人であって、人ではないお方です」
「へーそうかねー。そんなら、お前の所の教祖は、天からやってきたというのかい。
そんなことはないでしょ。実際は、人間の腹から生まれた、生身の人間じゃないの。
下世話な言い方をさせてもらえば、オマンマも食べれば、ウンコだって、オシッコだってしているでしょ。それをどうして神がお遣わしになった特別な方だと言えるの」
「お母さんの言う事は無茶苦茶。さっきから何度も言っているじゃないの。
ご教祖様は、神と人との間の存在で、その使命を果たすために、人の腹を借り、人の形をして、この世に存在していらっしゃる方だと」
「姿かたちが、生身の人間ですから、生理的には、人と同じような事をされます。
それに何か、問題がある?」
「でもね、外見が人だからといっても、中身までが、同じとは言えません、教祖様の魂は、人ではありませんから。
神様が、御自身のご意志をお伝えになる為に、人の下にお遣わしになった聖なる者の化身です。
だから、教祖様は、今までにだって、数えきれないほど数々の、不思議を、私達にお示しくださっています。
それを、そんなふうに、悪しざまに言うなんて、なんて罰あたりなの。
そんな事では、お母さんの未来には、碌な事がないからね」
「ああ、結構なことだよ。娘を、あんな邪教に取られるくらいなら、神罰でも何でも、当たってもかまわないから。
当てられるものなら、『当てて御覧』と言ってやりたいね」
菜穂さんが天命淨霊会に入信して3カ月余、顔を合わせると続いている、同じような口喧嘩が、今日も又始まりました。
これで何十回目でしょうか。同じような話を、くどくどと繰り返し、繰り返し、蒸し返して、自分を淨霊会から引き戻そうとする母親に、菜穂は、もううんざりしています。
「だからこんな家なんかに、帰って来たくないのよ」
「ご教祖様が、『まず身近なものから、救ってあげなさい』とおっしゃるから、帰ってくるけど、こんな頑迷固陋(がんこめいろう:自分の考えに固執して、正しい判断ができないさま)な人を救うなんて、今の私じゃ、とても無理。
ご教祖様のおっしゃる通り、こういう人は、神敵として、邪悪な魂に操られたまま、孤独の中で死んで行けば良いのよ。
もう二度と帰って来てなんかやるものですか」と口には出しませんでしたが、心の底で悪態をついております。
しかし、母親としては、くどいと思われようと、鬱陶し(うっとうしい)がられようと、はたまた嫌われようと、淨霊会にのめり込んでいく娘を、このまま放っておくわけには、まいらないと必死です。
何が何でも、ここで、我が子を、邪教から救い出してやらなければという一念です。
「大体お前、始めのうちは、あの宗教に入るのは、教祖様が発しられる不思議な力を、科学的に解明して、それ医療に応用するためだと言っていたじゃないの。
それを『学校を止める』とまで言い出したのはどういう事。
『どうしてもあの会を止められないと言うのなら、それはそれで、さしあたりは、仕方がないとして、せめて学校だけは卒業しておくれ』と、これほどお母さんが、頼んでいるというのに」
「壮大なる宇宙の神秘と、それを司っておられる、計り知れない神様のお力の前では、人なんて、ちっぽけな、ちっぽけな存在にすぎないと言う事が良く分かったの。
そして、そんな人間の考えている事や、する事なんか、それが科学であれ医学であれ、いかに小さくて、無力なものであるかと言う事を、思い知らされてしまったからなのよ」
「お母さんも連れて行ってあげるから、一度、本部に顔を出してごらんなさいよ。
そこで、教祖様のお話を直に(じかに)聞いて、そのお方がお示しになる、沢山の不思議を直接目にし、耳にしたら、いくら疑り深いお母さんだって、教祖様がどんなに素晴らしいお方か、どんなに尊い存在であるかという事が、よく分かるはずだから」
「いやだよ、そんなの。そんなインチキ宗教の親玉なんかに、会いたくもないね。
大体、親を泣かせたり、御先祖様の事を侮蔑(ぶべつ)したりするような宗教に、碌なものないと思っているからね、私は」
「それに、いくらお前の話を聞いても、有難味なんか、ちっとも湧いてこないしね」
「私、何も親を泣かせるようなことしてないがね。別に、お母さんに害を加えたわけでもなく、世間に、顔見せできないようなことをしているわけでもないでしょ。
ただ神様の教えに従って、人としての、正しい道を歩もうとしているだけじゃないの。
それをあんたが、自分の思い通りにならないからといって、怒るからいけないのよ。
私だって、こんな言い合い、したくないわよ。つかれる・・・・。
ご先祖様の事だってそう。うちのご先祖様が、酒屋をやっていた時、沢山の人に、酒を掛け売りしておいて、最後は、借金のかた(かた:抵当のこと)に、田地田畑を取り上げたり、また地主として、厳しい年貢の取り立てをし、小作を泣かしたりして、その人達の恨みをかっていた事は、事実でしょ。
ご教祖様はその事実をご指摘下さり、我が家に取りついている、その人達の怨念を、取り除いて下さろうとしているだけでしょ」
「それが私には、許せないのだよ。言うに事欠いて、御先祖様の悪口まで持ち出してくるなんて」
「うちのご先祖様はね、人の道に外れた事や、法に背くような事をしてこられたわけではありませんからね。
普通の商いをされていただけです。
大体、お金を貸せば、返してもらうのが当たり前でしょ。だから、お金で返せない人から、物で返して貰って、どこがいけなかったというの。
小作料だってそう。人の土地を借りて、一家が生きていくことができているのですから、その借り賃を払うのは当り前でしょ。
それをどうこう言うなんて。もしそう言う人がいたとしたら、そりゃー、返せなかった奴や、払えなかった奴の逆恨みじゃないの。
ご先祖様はねー。貸した金の利息だって、小作料だって、時の相場以上に、ぼったくるような事をされたことは、一度もありませんからね。
それどころか、不作だった年には、年の暮れになると、蔵の中の米を、小作達の家々に配り歩いておられたのですよ。
土地だってそう、借金のかた(=抵当)として取り上げるにいたるまでには、何度も何度も待ってやっていたのですからね。それでもどうにもならないと言うので、代わりに土地で清算してやっただけ。
それを、何も知らない奴に、うちのご先祖様の事を、とやかく言ってもらいたくないね」
「それはね、強い立場の人間の言い分。年貢が高かった為に、子供を年季奉公に出さざるを得なくなったり、娘をいかがわしい所へ売り飛ばさなければならなくなったりした人の悲しみや苦しみだとか、僅かな借金のかたに、田地田畑をとられた人達の、恨みや悲しみなんか、分かっていないのよ。
だからそんな傲慢な事が言えるの。今、私達家族が、救われ、幸せになる道は、たった一つ、教祖様の教えに従って、恨みを買う元になっている財産への執着心を棄て去る事です。それしかないのよ」
「ヘー、よう言うよ。お前迄がそんな事を。
誰に吹き込まれてきたか知らないが、私達が、曲がりなりにも、これまで生きてこられたのは、何のおかげと、思っているの。
ご先祖様が、倹約しながら、一生懸命働いて、なにがしかのものを残しておいてくださったおかげじゃないの。
そこからの上りで、細々ながら生きてこられたのだし、回りの人から、酒井田さん(久美の在所の姓)の所の出の人と、それなりに一目置かれて生きてこられたのよ。
それを、そんな風に言うなんて。そんな事を言う奴は、子供といえども許さないから」と母親が言えば
「お母さんなんかに、許してもらわなくても、結構です。
御教祖様のおっしゃることこそが、私が生きていく上での、正しい道導(みちしるべ)であり、絶対ですから。
お母さんも一度くらいは、ご教祖様の言われるお話を聞いてみたら。
そうすりゃー、幾らお母さんだって、ご教祖様がどんなに尊いお方か、わかると思うから」と娘が怒鳴り返します。
傍から聞いていると、それは、もう喧嘩です。
それも、普通の親子喧嘩の域を、脱しているとしか思えないほどの時もありました。

 

その6

しかし、この程度で済んでおれば、まあ、どこにでもある親子喧嘩の、やや激しいやり取りといった程度で、いつかは分かりあい、和解できる時がきたかもしれません。
しかし、それだけでは終りませんでした。
成人になるのを待っていたかのようにしていた、菜穂さんと、天命淨霊会のした事は、二人の間の亀裂を、修復の効かないほど決定的なものとしてしまいました。
即ち、便宜的に菜穂名義にしてあっただけの酒井田家伝来の土地を、教祖の巧みな言葉に誑かされた(たぶらかす)菜穂さんが、久美が知らないうちに、天命淨霊会へ寄贈してしまったのです。
それによって、二人の間の亀裂は、もうどうにもならないほどに拡がってしまいました。
そもそもその土地は、本来は久美が相続するはずの土地でした。
それが菜穂名義になっていたのは、久美の前の夫の(それは菜穂の父に当たります)、賭け事狂いのせいでした。賭け事に負けた借金の清算の為、久美の財産迄もが、全て前の夫に、巻き上げられてしまう恐れがあったからです。
菜穂名義になっているのは、それに対抗するための、一時的、便宜的な避難行為として、行われたものにすぎなかったのです。
久美の前夫は、なにしろ賭け事狂いでした。それも下手の横好きの類で、殆ど負けて損ばかりしている賭け事狂でした。
その為、結婚後間もない頃から、借金の山で、折角、祖母が新婚の二人の為にと建ててくれた家も、屋敷ごと、そして何かあった時の為にと持たしてくれた持参金も、彼女が僅かな月給からコツコツと貯めていたお金も、全て生活費と、借金の清算の為に使われてしまっていました。
それどころか、それでも足りなくて、会社のお金は使い込んで首になるわ、高利貸の借金がかさんで、借金取りが毎日毎日、おしかけてくるわで、一時の、久美親子は、借金取りに怯え(おびえ)、隠れ暮らさねばならなくなっておりました。
それを知っていた、久美の育ての親でもあった祖母は、彼女が亡くなる前、孫の久美に財産を遺してやったのでは、せっかく相続させてやっても、久美の夫であった男の借金の清算のため、全部無くしてしまうのではないかと思い、久美の相続分の全てを、ひ孫である菜穂に相続させるよう、遺言を遺して死んでいったのです。
従って、久美にとっては、その土地は、単なる金銭に換算できる財産ではありません。
それは祖母の愛情の表れの土地であり、自分が由緒ある家の出であることを証明してくれる、ご先祖様からの大切な預かり物でした。
同時に、例え今は貧しくても、かつては、自分が、ご大家のお嬢様であった証であったのです。
彼女の矜持(きょうじ:プライドのこと)を保たせてくれている、唯一の心の拠り所でした。
それを、菜穂が、自分の名義になっている事を良い事に、教祖から唆され(そそのかされ)、言われるままに、教団に寄贈してしまったのですから、堪りません(たまる)。
それを知った時、久美は、教団や娘にたいする怒りと憎しみで、頭の中が真っ白になってしまったほどでした。
そして、その時点で、娘についての記憶の全てを、消し去ってしまいました。
彼女にとってはそれが、自分を棄てて、教団に走り、二度と自分の下に戻ってくる事はないであろう娘への、未練を断ち切る、唯一の方法でもありました。
それは、久美ちゃんにとっては、とても辛くて、悲しい決断だったと思います。
しかし、それ以降、娘さんのお話は一切されなくなりました。周りのものが娘さんの話を持ちだそうとしますと、
「やめてください。私にはもう、娘はいないと思っておりますから」といって、話を遮って(さえぎる)しまわれるのが常でした。
「だから私も散々悩み抜いた末、やはり菜穂さんには、久美ちゃんが亡くなられた事、お知らせしないことにしました」
そこまで話された日比野さんは、ふと気付かれたようで
「アッ、すみません。折角遠方から、御参りにきて下さったというのに、御参りもしてもらってもいないうちから、長々と話し込んでしまいまして。
どうも年をとると、話が長くなっていけませんわね。
どうぞ、まずは、新仏様に(にいぼとけ、ここでは、亡くなった久美をさします)、御参りしてやって下さい」と慌てて申されました

続く