No.158 お墓の中まで その5

このお話はフィクションです似たような,名前、事柄が出てきましても、偶然の一致で、実在の人物、実際の事件とは全く関係ありません。又、実在の地名が出てきましも、フィクションの中の一場面として利用しているだけで、実在の土地、人物、家名とは無関係です。

 

こうして3人が話に夢中になっていた時、冷やした麦茶をいれてきた祖母が
「お話中なんだけど、今夜の食事どうしましょう。お帰りになる事、前もって聞いておれば、なんとかしておいたのですが、突然でしょ。
折角お出でくださったのに、何も準備がしてありませんけど」と恐縮したように切り出しました。
「お母さん(久美の祖母の事)、気にしないで。こんな時節だもの、ここへきてまで、何かご馳走食べようなんて、思ってもいないから。ねー、貴方」と久美の母親、和子。
「そうですよ、お母さん。どうかご心配なく。もし今夜の晩御飯、お考え下さっているのでしたら、あり合わせのもので充分ですから」と父親の哲。
「そうかね。悪いですねー。もともと、こんな田舎ですから、外へ食べに行くにしても、仕出しをとるにしても、ろくな物はありませんでしたけどね。
最近では、外食は無論のこと、仕出しでさえも、お米を持って行って、前もって頼んでおかないと、やってくれない時代になってしまいましてね」と祖母
「良いって。何にもなくても。主人も言っていますように、あり合わせのもので充分ですから。
そうそう、久美ちゃんの作った、畑のお野菜はどう。お母ちゃん是非食べさせて欲しいなー。ねえ貴方。それが一番のご馳走よね。貴方、そう思わない?」と母親、和子。
すると「そう、そう。私も、是非よばれたいよ(ごちそうになる)。その久美ちゃんの作ったというお野菜。で、今なら、何を食べさせてくれるの?」と父親、哲も同調します。
「ウン、今はね。茄子に、トマト、胡瓜、ササゲ(豇豆:マメ科の植物、細長いさやの実がなる)にチシャ〈最近ではサニー・レタスといっているようです〉くらいかな。後、デザートには、真桑瓜(まくわうり)と西瓜を作っているけど、熟れているかしら。後で見にいって、食べごろになっているのがあったら、採ってくるね。
でもね、お店で売っている物みたいに、きれいな形をしてないよ。作り手に似てしまって、味は良いけど、見た目はグチャグチャ」
「嬉しいなー。まさか娘が作った物を食べさせてもらえる日が来るなんて」と父親、哲。
「それじゃー、久美、魚重さんの所へ一走りして、今日はウナギ入ってないか聞いてきて。もし今日入っているようだったら、4人前焼いて、持ってくるよう頼んできておくれ。
他に鮎があると良いのだけど。もしそれがあったら、それも塩焼きにして持ってくるよう頼んできておくれ」と祖母。
「じゃー、ちょっくら、行ってきやんす」とおどけたように言うと、久美は自転車に乗って出かけていきました。
「最近はねー。ここら辺りも、あちらこちらに工場が出来ましてね。そのせいで、川が汚れて、ウナギも、鮎もめっきりいなくなってしまったのですよ。
その上、今は、徴用だとか徴兵だとかで、男手が取られてしまっているでしょ。だから魚を獲りにいく人も少なくなって、魚重さんの所へも、魚が殆ど入ってこないそうです。
何か入っていると、良いのですがね」と祖母。

 

その12

「ところでお前達、先ほどの話だと、一時的な休暇を、貰ってきただけだと言う事だったけど、という事は、この後、またすぐ海外に?」
久美が出て行ったのを見届けると、さっそく祖母が切り出しました。
「そうです。今回は、直に(じかに)役所に届けなければならない大切な書類がありまして、それで帰ってこられただけです。
だから又、すぐ戻っていかなければなりません。
お母さんには、お世話になりますが、久美の事、もうしばらくお願いします」と哲。
「フーン、それで何時までこちらに居られるんだい。あんなに喜んでいるのに、久美に、なんと言ったらよいの?」
「お国の為とはいえ、惨い(むごい)話だねー。幼い時から、ずっと親無し子で育ってきて、やっと会えたと思ったら、またお別れかい。
それで、和子(久美の母親)お前、どうあっても、ついて行かなければならないの?お前だけでも、こちらに、残ってやる事は、出来ないのかい?」
「お母さん〈=祖母〉。出来れば、私だってそうしてやりたいわ。
でもね、それは無理。絶対に無理。
外国、特にヨーロッパではね、公式行事は、夫婦同伴が必要なことが多いの。
だから私達のような外交に携わっている職についている者の家族はね、よほどの事がない限り、夫だけを、あちらに赴任させ、妻の私がこちらに残るなんて事できないのよ」
「フーン、そういうもんかねー。それで何時までこちらに居られるんだい」
「日本に居られるのは、一カ月。でもあちらに出発する前、お役所で済ませておかなければならない仕事だとか、赴任の準備とかが必要でしょ。だから、私たち二人揃って、久美と一緒にいてやれるのは大体3週間。
哲さん(久美の父親)だけ、先に東京に行ってもらったとしても、私だって5日前迄には、東京に行って出発の準備をしなければなりませんから、私が、余分に、久美やお母さんと一緒に居られるのは、哲さんの帰った後、せいぜい数日。
御免ね^お母さん。長い事一緒に居てあげられなくて。
久美には、可哀そうだけど、またしばらくの間、あの子を、こちらでお願いしなければなりませんが、久美の事、くれぐれもお願いしますね」
「私としては、あの子が居てくれるのは、とても助かるから、却ってお願いしたいくらいだよ。
ただ、あの子の立場になって考えてやるとねー。
なんだか可哀そうで。
青春時代を迎えて、これからという時期に、足腰が弱って、足手纏いになるばかりの、私のような年寄りを抱えさせて、身動きのならないようにさせてしまうのかと思うとねー。
久美という子は、小さい頃から、がまん強く、気遣いのよく出来た子でねー。
いつも自分は我慢して、周囲の人の気持ちを先に考えて、行動するような所のある子だからねー。
今後、もし私が寝込んでしまったりした時、私を放っておくなんて事できない子だから、結局、家にしばりつけられ、家の犠牲になってしまうんじゃないかなと思うと申し訳なくて」
「それにな-、あの子、堪えて(こらえて)いるだけで、本当は、ずっと貴女達が帰ってきてくれるのを、待ち侘びていたんだよ。
祖母の、私じゃ、どれだけ一生懸命にしてやっても、お前達の代わりにはなれないからねー。
冗談を言ったり,ふざけたりしている、朗らかそうなあの子の顔の下には、いつも寂しそうな、孤独の影が隠されていたもの。
今日のあの子の様子を見ていて、私が、日頃感じていた事が、間違いなかった事を、確信したね。
それだけに、またお前達と離れて暮らさなければならないと分かった時の、あの子の落胆を思うと・・・、私には、どうしてやったらいいか、言葉にならないよ。
何時、その事、話す心算か知らないが、貴方方(あなたがた)が、その話をするのは、私の居ない所でしておくれ」
「その事ですが、お母さん(=祖母)。私達もあまりに、可哀そうなものですから、何時、どんなタイミングでそれを切りだそうかと、散々悩みました。
結局、今の所、もう少し様子をみてから言おうという事になっております。
実は、長い間、あの子を、放っておいた罪滅ぼしに、お母さんさえ、お許し頂けるのであれば、今度頂いてきた、この3週間の休暇を、知多半島の長浦(名鉄新舞子駅の一つ手前の駅がある地名、当時は別荘地)という所で、一緒に過ごしてやりたいと思っております。
そこに別荘を持っている友人がいまして、よかったら、この夏、使ってくれと言ってくれたものですから。
従って、この話は、〈また直ぐに海外へ赴任しなければならないという話〉、そこにいる時、折を見て話そうかということになっております。
でもお話を聞いていますと、こちらには、お百姓仕事もあるようですから、お母さん一人では無理でしょうか」と哲。
「そんな事なら構わないよ。ぜひそうしてやっておくれ。今迄出来なかった分まで、充分、あの子を、甘えさせてやっておくれよ。
家の事なら私一人で大丈夫。ちょうど今は農閑期だしね。
それに、いざという時は、小作の、幸さだとか,吉さだとかに頼めば済む事だから」

 

その13

久美達、親子3人が、その夏を過ごすことになった長浦の別荘は、新名古屋駅から、名鉄電車にゆられて、約30分、水族館のある新舞子駅より、一つ手前の駅を降りた所にありました。
松林の中に建つその駅は、降り立つと、前面に、視野一杯の、海が拡がり、爽やかな涼を含んだ潮風が、通り抜けていきます。
山と海に挟まれた、その土地は、一面松林で、その林の中に、瀟洒(しょうしゃ:しゃれた)な別荘がポツリポツリと建っているだけでした。
戦時中であることもあってか、どの別荘も、殆ど、人のいる気配もなく、全体として、とてもうらびれておりました。
久美達親子3人が、借りる事になっている別荘は、駅から歩いて、僅か5分ほどの所にある、海に面した、3DKほどの純和風の、こ洒落た感じの家です。
海側に広く開いたガラス窓を開けて窓際の縁側に立つと、伊勢湾から太平洋に連なる大海原が、全面に拡がり、磯の香りが、鼻腔一杯に飛びこんでまいります。
細かい砂に覆われた庭には、所々に、雑草が地を這うように葉を広げ、その間から、月見草が首を伸ばし、人待ち顔に花の頭を揺らしておりました。
庭に降り立ち、芝戸を開け、家の前を走る、細い道を横切ると、海と陸とを隔てる1メートル50センチほどある,海の浸食を防ぐための石垣に達します。
そしてその下には真っ白な砂浜に連なる遠浅の海が広がり、満潮になると、透明で美しい海の水が、その砂浜を埋め尽くし、岸壁の石垣の高さ二分の一位に達するくらいまで、押し寄せます。

 

その14

夕方別荘に到着した3人は、そのまま縁側に置かれた籐椅子(とういす:籐の茎と表皮で作った椅子)に座りこんで、ただ黙って海を眺めておりました。
電車に乗ってから後、3人の間には、この重い沈黙がずっと続いておりました。
ドロドロに溶けた鉄の塊のような夕日が、対岸の三重県側の山々に姿を消し、その後、しばらくの間、残照で真っ赤に染まっていた西の空も、次第にその光を失い、替わって辺り一面、漆黒の闇が支配するようになってまいりました。しかし三人は、電燈をつけることもなく、暗闇の中、身じろぎもせず、押し黙ったまま、じっと海を眺めておりました。
風は、すっかり止み、三人の周りを取り囲む重苦しい沈黙が、澱んだ(よどむ)暑さをより強く、感じさせます、
家を出る時は、あれほどはしゃいでいた久美も、沈んだ顔を海に向けたまま、黙って座っておりました。
働きを止めてしまった、心の中を、時間だけが過ぎ去っていく感じです
生れて始めて目にした夜光虫の幻想的な輪舞も、彼女の沈みきった心を、照らす事はできませんでした。
暗黒の海中に点滅する夜光虫の、その儚げ(はかなげ)な光は、彼女の心の沈鬱の度を、より深めただけでした。
両親が海外へ去っていった後の寂しさが、彼女の心を捉えて離しません。
彼女の心は、真っ暗な寂寥(せきりょう)の洞窟のなかに閉じこめられ、その中で、悶え、涙を流しておりました。
頭の片隅には、両親の辛さや、悲しみを理解している理性と、良い子にみせようと繕っている、体面の片割れがなお残っていて、怒る事も、声を出して泣く事も強く留めておりました。
久美は代わりに、何度も、何度も、もれ出そうになる嗚咽を、ショッパイ涙と一緒に飲み込みました。

 

その15

話は少し、遡り(さかのぼり)ますが、一ヶ月後には再び外国に戻っていかなければならない事を、久美に話す機会は、両親が予定していた時より、早くやってきました。
ここ長浦へ来る前、3人は、観音さまへのお参りと、買い物を兼ね、大須に立ち寄りました。
観音様への御参りを済ませた後3人が、茶店で一服していた時のことでした。
「私、この後、学校どうしたら良いと思う?お母ちゃんの行っていた学校はどうかしら。結構、入るの、難しいんだってね。
でも、転校試験の事なら、私、心配ないと思うわ。これでも、学校の成績は、良いほうだから」
「ただね、最近足腰が、弱ってきた、おばあちゃんの事を思うと、どうしたものかと悩んでいるの。
本当は伯父さんの所へ行ってもらうのが一番良いのだけど、伯母さんとの仲がねー。だから悪い気がして」と久美からその話をきりだしたのです。
しばらく顔を見合わせていた父と母はやがて、
「実はねー、久美ちゃん。お父ちゃんたち、あまり長く日本に居る訳に行かないのだよ。今度の休暇も、一カ月貰えただけだから」と父。
「一カ月、それじゃー、一緒に住めるの、この夏休みの間だけなの。
いやだ―。
もっと長く居られないの」驚いて、悲鳴に近い声で言い返す久美。
「お父ちゃんだって、お母ちゃんだって、できればもっと長くこちらに居てやりたいよ。でも、こういう時節でしょ、そう言う我儘(わがまま)を言っておられる場合じゃないのだよ、今はね。
おまえのお友達の中にだって、もう従軍看護婦になろうとしている子だっているでしょ。今度の戦争で、お父さんを兵役にとられてしまっている子なんかも、沢山いるでしょ。
私達大日本帝国、国民はね、この国の、今の難局を乗り切る為、自分の命を投げ打って、国の為、天皇陛下の御為に、尽さねばならないのだよ」
「だから、仕方がないの、お国の命令とあればね。お父ちゃんたちのように、天皇陛下の臣(おみ)である官吏は、特にね」
「それで、何時まで、こちらに居られるの、この日本に」
「今度、貰ってきた休みは1ヶ月。だからこの夏の終わりにはもう、日本には居られない」
「発つ前、役所での仕事やら、あちこちへの挨拶回りやらがあるから、一週間前には、東京に戻らなければならないんだよ。
だから、私が久美ちゃんと一緒におられるのは、20日弱くらいかな。
お母ちゃん(久美の母)とも相談して決めたんだが、お祖母ちゃんだって、久美ちゃんやお母ちゃんと一緒に過ごす時間を持ちたいだろうから、長浦を切り上げた後、お母ちゃんは,お祖母ちゃんの家に少しの間、残しておくから、その間は、お祖母ちゃんと3人で過ごしなさい」
「久美ちゃんには、この後も、ずっと、寂しい思いをしてもらわなければならないのに、その上、こんな事頼まなければならないのは心苦しいけど、私達が留守の間、お祖母ちゃんの事、くれぐれも頼んだよ。口では、お強い事、おっしゃっているけれど、気力も身体の方も、随分、お弱りになっておられるようだからな。
お母ちゃんも、その事を、とても気にしているから、久美ちゃん、お母ちゃんに
代ってお婆ちゃんのお世話、くれぐれも頼むね」
「・・・・」久美は無言で、首を横に振り続けました。その口元はゆがみ、その目からは、大粒の涙が、こぼれ落ちて、止まりません。
その時以降、別荘の窓辺に座って海を眺めているこの時まで、久美の心の動きは、止ったままです。
目に入ってきてはいるのですが、見てはいません。耳にはいっていても、聞いてもいません。何も考えていず、何も認識していない状態、例えて言えばそれは、古いフイルムが映し出す、色と形を失った、暗い画面に、漠然と目をやっているような状態の中にいました。
それからどれだけ時間が経った事でしょう。久美は懐かしい匂いを持った気配が、自分に、迫ってくるのを感じました。
やがて、その気配から、柔らかい腕が伸びてきて、久美を頭ごと優しく包み込むと、
「可哀そうにねー。身体こそ大きくなっているものの、この子、まだ子供だというのにね。
またまた、これから一人ぼっちにして、寂しい思いをさせなければならないなんて。ごめんねー。ほんとうにごめんなさいね。
悔しいけど、今のお母ちゃんには,久美ちゃん、貴女の為に、何もしてやる事が出来ないの。
だから、貴女とは、ほんの僅かな時間しか、一緒にいてやることはできないけど、せめて、お母ちゃんといる時くらいは、良い子でいなくて良いからね。
せいぜい我儘を一杯、言ってちょうだい。
声をだして泣いても良いし、怒っても良いのよ。
何かに当たり(あたり)たければ、お母ちゃんに当たりなさい。
何も堪えていること(こらえる)ないから、生地のお前を存分にだしなさいね。
今の、お母ちゃんに出来る事はといえば、それを受け止めてやる事くらいしかできないけどね」と耳元で囁きながら、抱えている一方の手で、優しく背中を摩って(さすって)くれました。
久美を抱きかかえながら流す、和子の涙が、久美の襟元を濡らすにつれ、動きを止めてしまっていた久美の心は解きほぐされていきました。
しばらくの間、久美の背中を摩って(さする)いた母親はやがて、
「久美ちゃん、お腹空いたんじゃない。今日は、お昼、早かったから。そろそろお食事にしましょうか?」
「せっかくお婆ちゃんが用意してくれたお弁当、皆で美味しくいただくことにしない?
支度をするから、久美ちゃんも手伝って。
貴方、貴方も食卓を並べてくださらない」と言いながら、立ちあがると、電灯をパチンと点し(ともす)ました。
その音と共に、部屋は急に明るくなりました。
久美の心の中にも光が差し込んでまいりました。
気付くと、自分の顔を覗き込んでいる、悲しそうな母の顔と、心配そうにこちらをみている父の顔がありました。
慌てて、目をそらした久美は、顔を伏せ、洗面所へと駆けこんでいきました。

次回へ続く

No.157 お墓の中まで その4

このお話はフィクションです似たような,名前、事柄が出てきましても、偶然の一致で、実在の人物、実際の事件とは全く関係ありません。又、実在の地名が出てきましも、フィクションの中の一場面として利用しているだけで、実在の土地、人物、家名とは無関係です。

 

その11

早いもので、久美が、母方の祖母の家に預けられてから、もう10年余の年月が流れました。
数年後には、戻ってこられるはずだった、(久美の)両親でしたが、日本を巡る、国際情勢の緊迫化が、それを許しませんでした。
結局、この10年余の間、一度も帰って来ませんでした。
それどころか、この数年間は、便りすら殆ど届かなくなっておりました。
久美も、今ではもう、高等女学校(旧制)の4年生です。
彼女の境遇は、祖母の下に預けられたあの日を境に、すっかり変わってしまいました。
それまで自由で、個人を尊重する新しい家風の中で、のびのびと育てられてきた久美が、儀礼だとか、形式・家格等と言った古いしきたりを大切にする窮屈な世界に放りこまれたのです。
それも、たった一人で。
しかも、そこには、もう、厳しい世間の風から守ってくれる両親の庇護はありませんでした。
その日以降、彼女を待っていたのは、未だ巣立ちも終わっていない雛鳥のうちから、右を向いても、左をみても、気心も分からない見知らぬ人達ばかりに囲まれての日々でした。
それは、幼かった久美にとっては、傍で考えている以上に、気疲れのする大変な日々でした。
何しろ、それまでは、彼女の事を真っ先に考えてくれる両親がいて、世界は何事も、彼女を中心に回っていました。
ところが、それが突然、180度転換して、彼女に、気を遣ってくれる人なんか殆どいない環境、それどころが、幼いながらも、周りの人の気持ちを察し、気配りをしながら、動かなければならない世界へと放り込まれたのです。
その生活に慣れるのはとても大変でしたし、慣れるまでに時間も必要でした。
そうはいっても、祖母は、可愛い娘の子供、血の繋がっている孫である久美を、それなりに可愛がってはくれました。
しかし、それはあくまで、彼女の考えと、彼女なりのやり方にもとづいてでしかありませんでした。
知らない家に来て、さぞ心細いだろうと言うので、夜は、自分の部屋で、枕をならべて寝させ、母を恋しがって泣いている時は、自分の布団に入れて、抱いて寝させてくれました。
寂しい思いをさせないようにと、いつも、自分の傍に座らせ、この街の歴史だとか、酒井田家の由緒、そして、この里につたわる昔話などなどを語ってくれたりもしました。
又、家の中で孤立しがちな彼女を不憫に思い、伯父夫婦や、従兄達から守ってくれただけでなく、時には彼らに内緒で、何か買ってくれたり、お小遣いをくれたりと、特別目をかけてもくれました。
しかし、どんなに祖母が懸命に努力してくれても、祖母には母親の代わりにはなりませんでした。
他人に囲まれて生活している、孫娘の遠慮と窮屈さを察してやる事は出来ませんでしたし、
母親に替わって、滅私、無限の愛情を注いだり、両親のいない久美の、孤独と寂寥(寂寥:寂しいこと)を、埋めたりする事もできませんでした。
既に子育てから長い間離れており、男と並んで実業の世界に生きていた祖母、性格的にも多少男っぽい所のある祖母、儀礼だとか、格式、仕来り(しきたり)といった、古い家の亡霊に絡めとられ、古い時代の躾(しつけ)に拘る(こだわる)祖母には、それは、もともと無理な話でした。
幸いな事は、彼女が酒井田の家に預けられてから、3年目に、彼女を毛嫌いし、何かにつけて邪魔者扱いしたり、辛く当たったりしていた伯母の夫婦が(註:伯母=久美の母の義理の姉に当たる人。彼女と小姑である久美の母とは、始めて顔を合わせた時から、そりが合いませんでした。その為何かとぶつかっていました。彼女、持参金付きの嫁でしたから頭が高く、その上もともとの、我が強く、気の強い性格でしたから、姑である祖母との仲もあまりうまくいっていませんでした)、伯父が、歯科医院を開院する事になったというので、祖母の家を出て行ってくれた事でした。
しかし、それはまた、その頃から、激化していった日中戦争の影響もあって、住み込みの女中たちも、男衆も、一人去り、二人去りと、次第に辞めていきましたから、家事の重みが、久美の両肩にも、将来的には、伸しかかってくる事を意味しました。
あれほど賑やかだった酒井田の家も、もう今日では、住んでいるのは、久美と祖母の二人だけとなってしまいました。
その祖母も最近では、めっきり老け込んで(ふける)しまいました。(註:人生50年と言われていた時代です、50歳代となるともうずいぶんのおばあさんでした)
口煩さ(うるささ)は、相変わらずでずが、昔に比べると随分気弱になりました。
久美が言葉を返しても、以前のように、声を荒げる事もなく、黙ってしまう事の方が多くなりました。
年をとったせいで、足腰も弱まり、それに高血圧という持病も持っていましたから、力仕事や、激しく身体を動かさなければならないような仕事は、最近では出来なくなりました。
この為、日常の仕事、特に身体を動かさなければならない仕事は、久美がしなければならないものが多くなってまいりました。
水汲みのような、肉体労働を伴う家事から、農作業にいたるまで、米が配給制度になると言うので、前年から、田や畑の一部を、小作から返してもらって、田作り、畑作りをするようになっていましたが、その殆どが、久美一人の肩にかかっていました。
(註1:昭和14年ごろになりますと、日中戦争の長期化と国際情勢の緊迫化の影響を受け、物資不足は米、味噌、醤油、砂糖、塩、マッチなどといった生活必需品にも及んでまいりました。この為昭和14年には、米が配給制度となり、農家には米の供出が義務付けられるにいたりました。
この時代、あらゆるものがお金では手に入り難く、お米や麦、豆といった穀類を持って行きさえすれば、そういったものが、容易に手に入るといった、歪んだ経済の仕組みがまかり通る社会となっていました)
(註2:農作業は、最初数年間は、小作の人達に手取り足取りで教えてもらわねばなりませんでした。
又、田起こし、田植え、刈り入れ、収穫などは、人を雇ったり、近所の人との共同作業や、小作人の手を借りたりして対処しました)
農耕のような肉体労働を、それまでした事のなかった久美にとっては、それはとても辛い仕事でした。
手はマメだらけ、顔は日焼けで真っ黒、肌は荒れ、農繁期には、眠りが妨げられるほどの身体の節々の痛みや、腰の痛みがありました、朝になってもまだ疲労が取れず、起きるのが辛いような事も再々(さいさい:たびたび)でした。
しかし、年老いて、身体もお弱っている祖母を、しかも、幼い時から、ずっと面倒を見てくれていた祖母を、ここで放り出すわけにはまいりませんでした。
久美は働き詰めに、働きました。文句も言わず、弱音を吐く事もなく、ただ黙々と働きました。
幼い時は、なんとか祖母に気に入ってもらいたい一心で、祖母の後を追って、手助けをしていました。
しかし、最近では、祖母がすっかり老い込んでしまいましたから、酒井田の家を支える者は自分以外にはいない、自分がこの家を支えなければという気概をもって働くようになっていました。
久美は、朝早くから、夜遅くまで、家事に、農作業にと働き続けました。
泣き言も、不平も言わず、ただ黙々と働きました。
後から考えると、農繁期は、何時勉強していたかしらと思うほどに、一日中、働き続けました。
しかしそれでも、学校の成績は、担任の先生が、女子医専への進学を勧めたほど良好でした。

 

その12

一学期もいよいよ明日で終わり、明後日から夏休みという日の事でした。
学校から帰ってきた久美は、離れ座敷の靴脱ぎ石の上に、男女各一足ずつの見知らぬ靴が並び、開け放たれた、離れ座敷から、にぎやかな談笑の声が流れてくるのに気付きました。
「おばあちゃん、おばあちゃん、ただいま」母屋に回って、入り口から声をかけても、中から返事がありません。
「お客様の所だ」と思った久美は、そのまま自分の部屋に入って、いつものように野良着に着替え始めました。
その時でした。
「久美、久美、帰っているの」ふすま越しの祖母の声
「ウン、今、帰った所。誰かいらっしゃっているの」
「そう。だから、着替えないで、そのままお座敷の方へ顔をだして」
「お客様?どなたがいらっしゃったの?私の知っている人?」
「知っているなんていうどころじゃない、お前が長い事、待っていた人だよ」
「・・・・?」一瞬、久美は戸惑いました。
しかし、お客様が誰であるかは、久美にはすぐに分かったようで、顔がぱっと明るくなりました。
「お母ちゃん?本当?本当に帰ってきたの?」と自然に声が弾みます。
「ああ、そうだよ。先ほどから、お前の帰りをお待ちかねだよ」という祖母。
その言葉も終わらないうちに、久美は、お座敷に向かって飛び出していきました。
勢いよくお座敷の前まで来たものの、お座敷に座っている二人の横顔を見た瞬間、久美は、座敷に飛び込むのを躊躇って(ためらって)しまいました。
この近所では見かけた事のない、あまりにもモダンな姿の二人に、久美は気後れしてしまって,気安く話しかけられませんでした。
「お前、そこで何をしているの。早く中にお入り。お父さんお母さんがお待ちかねだよ」先ほどまでの勢いは何処へやら、すんなり入る事が出来ず、座敷の前でもじもじしている久美に、祖母が声をかけます。
「ウン、ちょっとね」と言いながら、なおも、もじもじしている久美に、
「何、お前、照れているのかい。おかしな子だね。早くお入りよ」といいながら、先に上がった祖母が、縁側の上から手をさしだしました。
「お帰りなさいませ」座敷の前に座って、丁寧にお辞儀をする久美に、
「久美、久美ちゃんだね。大きくなって。どうしたのよ、そんな所に座ったまま、畏まって(かしこまって)。お母ちゃんを忘れちゃったの。お母ちゃん。お母ちゃんだよ」と女性が声をかけてきました。しかしその上品で、華やかな姿に、久美は真直ぐに見る事さえできません。その女性はたまりかねたように立ち上がると、俯いたまま(うつむく)固まってしまっている久美の肩を抱きかかえ、「久美ちゃん、お母ちゃんだよ、お母ちゃん。お母ちゃんを分かってくれないの」と久美の肩を揺すりながら呼びかけました。その声は涙でうるみ、語尾がかすかに震えます。
その女性に抱かれた瞬間、久美は、はっきりと母を感じました。そこにはあの幼かった日に優しく抱いてくれた、母の腕の感触がありました。そしておぼろに記憶していた母の匂いがそこにありました。
「お母ちゃん、お母ちゃん。お母ちゃんだね。遅いじゃないの。直ぐ帰ってくると言ったのに」久美は幼子のように、母親にしがみ付いて泣きじゃくります。
母親の和子の目からも、涙がとめどもなく流れ出、しゃくりあげて、言葉がでません。
父親の哲も、立ち上がると、抱きあっている二人の所にやって来て、その輪に加わりました。
「お父ちゃんの嘘つき。久美、あの時、お父ちゃんから言われた通り、ちゃんとおばあちゃんの言う事を聞いてお利口にしていたのに。伯母ちゃん達とだって仲良くしていたよ。
それなのに、それなのに、どうして、どうして。嘘つき、嘘つき。お父ちゃんの嘘つき」幼子に返ったかのように、久美は泣きじゃくりながら、抱き寄せてくれた父親の背中を叩き続けました。

 

その13

涙が、10年という長い時間が作った親子の間の蟠り(わだかまり)を、一挙に流し去ってくれました。
再び座敷に戻って座った親子の間にはもう、何の蟠りもなくなっていました。
久美はすっかり幼子に戻って、父親の膝の上に腰かけたまま、母親にしなだれかかっています。
「まあまあ、お行儀の悪い。もういつお嫁さんに行ってもおかしくない年だと言うのに」と祖母が嗜めます(たしなめる)。
しかし「久美、長い事頑張ってきたんだから、ちょっとくらい休んでも構わないよね、ねー、お父ちゃん」と言って、久美は聞き入れません。
「良いですよ、お母さん〈祖母の事〉。この子には長い間、寂しい思いをさせてきたのですから、少しくらいは、好きにさせてやってください」
「それにしても長い事、預けっぱなしにして、本当にすみませんでした。
こんなにも大きく、立派な子に育ててもらって、お礼の申しようもありません。本当にありがとうございました」と父親、哲。
「いいえ、いいえ。この子、手のかからない本当に良い子で、小さい頃から良く手伝ってくれて、私の方こそ、助けてもらいました。
最近なんか、久美ちゃんに、助けられっぱなしで。この子に苦労ばかりかけて、申し訳ないと思っているほどです」
「そうなの、本当にそうなの。あの甘えっ子だった久美が。久美、偉いのねー」とやや揶揄(やゆ:からかう)するように和子。
「だから言ったでしょ。久美お利口にしていたって。嘘じゃないから」幼児のように口を尖らせる久美。
「分かった。分かった。よく分かっているよ、あんたのその身体付きと、その手を見れば。ちょっとからかってみただけよ。
大変だったね。ごめんね」と、又涙ぐむ母親、和子。
「去年から、お米も配給になることになったでしょ。だから自分達の食い扶持(くいぶち:食べ物を買うための費用)くらいは自分で作らないと、と思いましてね。
それで小作達に手伝ってもらったり、教わったりしながら、お百姓することにしました。
そのため、この子には、更に余計な苦労を掛ける事になってしまって、本当に申し訳なく思っています。
本当なら、もう、お化粧したり、おしゃれをしたり、お友達と、チャラチャラ遊び歩いたりしたい年頃でしょうに、こんな真っ黒になるまで働かせることになってしまって。
こんな時代でなければ、また、私がまだ昔のように、元気に身体を動かす事が出来ていたら、こんな可哀そうな事にならなくて済んだでしょうに。
思うと、申し訳ないやら、可哀そうやらで、毎日この子に手を合わせているのですよ。
大事な子を預かっておいて、こんな風に、まっ黒な田舎娘にしてしまって、本当に済まない事です」と祖母。
「お母さん、よしてよ。こんな時代だもの、私達夫婦だって、この子だって、そんな事思っていませんよ。むしろこんなに大きくなるまで育ててもらって、こんな健康で、こんな明るい子にしてもらって、それだけでありがたい事だと思っていますわ。ねー、あなた」と和子。
「大丈夫だよ、おばあちゃん。私、何も思ってないから。久美、おばあちゃんが好きだから、少しでも楽をさせてあげなきゃーと思って、やっているだけだもの。それに久美、お百姓仕事嫌いじゃないし」と久美。
「そうだよな。今は、黒くたって、田舎の百姓娘みたいだって構わないよねー。
だって久美ちゃんって、もともとの顔の造りが良い上に、スタイルだって抜群だもの。後、1、2年もしてごらん。すれ違う人が皆、男だって、女だって、振り返らざるを得ないほど素晴らしい女性になっているから」
「まあ、大変。大変。貴方ったら、親馬鹿ぶりを発揮して。でもね、それ本当かもしれないわよ。お母ちゃんなんか、今だってもう、充分貴方、目立っていると思うもの。
貴女、オボコイ〈世間ずれせず、うぶな状態〉から、気付かないだろうけど、今だって、貴女の事を、気にしている男の子、少なからずいると思うわ。
通学途中で、声かけられたり、付文(つけぶみ)されたりしたことなかった?」
「お母ちゃん、それって、心配のし過ぎ。こんな真っ黒けの、田舎者を、意識してくれる奴なんかいるものですか。大丈夫よ」
「そうかねー。お前はまだ気付いていないみたいだけど、他人からみたら、もうお前、充分大人の女になっているよ。くれぐれも気をつけてね」
「そうかしら、でも寛太なんか、まだ私の事、全くガキ扱いだよ。女としてなんかみてくれたことないもん。
あいつ私の事、黒馬クロちゃん、じゃじゃ馬クロちゃんって言うんだよ。癪に障る」と久美はまた、子供のように口を尖らして母親に訴えます。
(註;寛太・・酒井田家の長男の子供。久美の従兄に当たる。現在大阪歯科医専の学生。久美の、子供の時からの、遊び相手であり、喧嘩相手。今も帰省してくるたびに、酒井田の家によって、久美をからかって、久美が怒ってつっかかってくるのを楽しんでいます)
「あら、寛太ちゃん、まだここに遊びに来るの。もう随分立派になられたんじゃないの。間もなく卒業でしょ。学校、どこの学校だったっけ」
「大阪歯科医専。でもね、あいつこそ、ほんとにまだガキンチョだよ。この間なんか、あいつが食べていたお煎餅、横から分捕ってやったら、怒った、怒った。もう子供みたいに怒って、本気で、取り返そうとするのよ。
大の大人が、か弱い女の子捉まえて、そんな事をすると思う。あいつ馬鹿。ほんとの馬鹿」思い出したように、憤然とした口調で言う久美。
「まあ、まあ、どっちもどっちね。それにしてもあんた達、仲が良いのね。
でもね。寛太さんは子供の時からの仲で、お互い意識しないから、そんなことをし合っているけど、他の男達は違うからね。もうあんた、絶対一人前の女として見られるようになっているから、充分気をつけなきゃだめよ」
「ウン、解っているって。第一、変なことして、先生に見つかったら大変、退学になってしまうもの。
久美、おばあちゃんや、お父ちゃん達に恥をかかせるような事は、絶対にしないから、心配しないで。
それにさー、今は、家の仕事が忙しいから、それどころじゃないしね、私」

次回に続く