No.136 お坊さまと白尾の狐 その7(お婆ちゃんの昔話より)

このお話はフィクションです

 

その23

部屋の外に出された人々は、部屋の中で何が行われるか興味津々(きょうみしんしん)、知りたくて仕方がありませんでした。
中には、襖に耳を当て、懸命に中の様子を探ろうとする者もいました。
しかし中からは、ありがたい経を、あげておられるとか、特殊な祈祷を行っておられるといった特別な行がおこなわれているといった気配は伝わってまいりませんでした。
ただ僧侶と彩乃が会話を交わしていらっしゃる声が、ぼそぼそと切れ切れに漏れくるだけでした。
人々が部屋の外に出ていくと、それを待ちかねたように、
「もしや、お坊様は、掬佐さんではございませんか」と彩乃。
軽くうなずいた僧侶の姿に
「よくぞご無事で。ああ、よかった、あの時は本当に申し訳ありませんでした。幼い貴方様にあんな酷い事をしてしまって」
「それで、あれからどうしていらっしゃったのですか」
と、掬佐の答えも待たず、たたみかけるように、彩乃は問いかけました。
「さよう、おっしゃる通り、拙僧の幼児期の俗名は掬佐と申します。
でも先ほども申しましたように、拙僧はもう、この世との縁を絶ち切った僧籍の身、
俗世で起きた、私自身の事柄については、今では、何の感情も、興味も持っておりません。
それゆえ、本来なら、貴女様の事をお義母さま(おかあさま)とお呼びすべきでございましょうが、
そうすることなく、貴女様とお呼びする失礼、なにとぞお許しください」
「いえ、いえ、私は、もう義母(はは)と呼ばれるような資格のない、犬畜生にも及ばない身でございます。
なんなりと、自由にお呼びくださって結構でございます。
それにしても生きていて下さって良かった。
本当に嬉しゅうございます。
ありがとうございます、ありがとうございます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
しかし、そうだからと言って、若い時に、私のねじ曲がった根性が、しでかしてしまった罪、すなわち、幼かった御坊様をいびり殺しかねない事を、平気でしてしまった罪、そして、この家を長男である御坊様をさしおいて、次男である私の息子に継がせ、家を乗っ取ってしまった罪などが、消えたとは思っておりません。
どう償わせていただいたらよいか、どうかお教えください」
「これまでにも、どれほど懺悔したいと願いました事か。しかし、なかなかその勇気がなくて。
『一人で生きていけそうもないほど幼かった掬佐さんを、折檻したあげく、追い出してしまった。
もしかしたら野垂れ死にさせてしまったかもしれない』
などという事は、未だに、誰にも言っておりません」
「告白した場合の、回りの人達の反応が怖くて、どうしても口にできなかったのでございます。
だからいくら善根を積んだからと言っても、貴方様がおっしゃるような『仏の赦し』を受けられるとは、到底思えないのでございます。
ほんとうに罪深いこの私。
もう今更どうにもならないのでございましょうか」
「頭をおあげなされ。
先ほど来、申しておりますように、拙僧はもう僧籍にある身、今の拙僧には、俗世の物欲はありません。誰が財産を相続されていようと、何の関心も、未練もありません。
また俗世に起きた出来事についても、その全てが、私にとっては、唯、流れ去って行った川の流れのような存在でしかありません。
それらについて、恨みだとか、悲しみなどといった何の感情も、持ち合わせておりません。
ただ、因果の流れに身をゆだねていかなければならない人の運命というものの悪戯(いたずら)に対しての、感傷があるのみでございます。
そうは申しましても、貴女様にとっては、それはとても大切なことのようでございましょう。
お見受けしたところ、それが引っ掛って、とても成仏できそうもないと思っておられるようでございます。
よってここで、あなた様と私との間に何世代にもわたって横たわっていた悪縁についてのお話をする事に致しましょう。
その話をお聞きなれば、貴女様が、若い時、犯してしまわれた過ちの数々も、全てが、前世からの因縁によって、必然的に引き起こされたものであった事がお分かりになりましょうぞ。
従って、貴女様が、昔掬佐にした悪事を悔いられ、その償いのために、千にも上がる善根を積み、その因縁の輪を断ち切きってしまわれました今となりますと、今更、誰かに告白して許しを乞う事が、必ずしも、必要でない事がお分かりになりましょう。
全てが悪縁によって生じた事象にすぎないのですから」

 

その24

旅の僧の話
「さて何からお話し申しましょう。
あまり長話になりますと、お身体に障りましょうから、要点だけかいつまんでお話しすることにしましょう。
まず拙僧と貴女様との因縁でございますが、前世において貴女様は、私の家の飼われていた犬でございました。
所が、前世においては、私の方が、とんでもない酷い飼い主でございまして、飼い犬であった貴女様を虐待し、気に入らないと叩いたり、けったりするのは日常の事でした。その為、貴女様は、生傷が絶えませんでした。
その上ケチな飼い主で、餌も満足に食わせないで、荷車の引き犬として酷使しておったのでございます。
その為、いつもひもじくて仕方がなかった貴女様は、仕事のない時は野原へ出かけ、野ウサギだとか、野ネズミ、蛙等といったものを捕まえては、飢えをしのいでいたのでございます。
所が冬になりますと、そういうものは少なくなります。なかなか捕えられません。
腹が減って堪らなかった貴女様は、
やむなく、お隣の家の鶏を襲うようになったのでございます。
しかし、そんな事が長続きするはずがございません。
直ぐに見つかってしまいました。
結局、そう言う事が重なって、最後貴女様は、(前世にあって、主人であった)私によって叩き殺されてしまわれたのでございます。
無論、虐待された貴女様は、私の事を、恨み、憎んで死んでいかれました。
その時の恨み、憎しみが、まだ残ったままに、この世に生まれてこられましたから、今生(こんじょう:今生きているこの世)において、私を見ると憎くてたまらず、ついつい虐待してしまわれたのでございますから、それは当然と言えば当然だったのでございます。
私と貴女様との、この憎しみ合わなければならない因果関係というものは、前世において始まったものではございませんでした。
前前世、さらに遡って前前前世にまで及ぶ根深いものでございました。
このままいけば、また次の世でも貴女様と私とが、逆の立場になって、それは貴女様に返っていくべき因縁だったのでございます。
貴女様は前前世に於いて、仏の教えを信じ、かなりの善根をお積みになられました。
よって前世のあの苦難の修行に耐えることができていましたなら、今頃は仏の足元に呼ばれ、心安らかなあの世での生活を満喫しておられた事でございましょう。
しかし悲しい事に、最後のテストとして遣わされた、私の下での苦行に耐える事が出来ませんでした。
貴方は深い恨みを遺したまま、お亡くなりになられました。
その為に、拙僧との悪縁は断ち切られることなく、今生にまで及んだのでございます。だからその因縁によって、今世において私をお苛め(いじめ)になったわけでございます。
幸いにも、今生の貴女様は、早めに罪をお気付きになりました。それを悔いられ、仏にお縋り(すがり)になり、千にも及ぶ善根をお積みになられました。
私は私でまた、ここにいらっしゃるお狐様、即ち、もみじ尼様の御導きによって、全ての恨み、憎しみを棄て去る道に入る事が出来ました。
よってここに私ども二人の間にありました、長く、長く続いた、悪い因果関係の輪は完全に断ち切られたのでございます。
貴女様の、この世での修行はもう終わりました。
仏の試練に耐えられた貴女様は、もう大丈夫でございます。
何も恐れる事はありません。
お迎えが来た時は、安心してあの世に、旅立ちなされ。
もうすでに、仏の台(うてな:仏様の座っていらっしゃる台座)のお傍に貴女様の座がしつらえられておりますぞ」
それを聞いて彩乃は少し安心しました。安心すると同時に、深い眠気が襲ってまいりました。
「眠くてたまらなくなられたようでございますね」
「長い話で、お疲れになりましたでしょう。少しお休みなされ」
と言いながら僧侶は立ちあがられました。
立ち去られようとする僧侶に向かって彩乃は、
「あっ、お坊様、貴方様の事について、まだお聞かせいただいておりません。私が掬佐さんだったお坊さまを追い出してしまった後の貴方様の事を」
「あの後貴方様が、どのようにされたのかとか、どこでどのように修行なされたのかなどについてもお聞かせ頂かない事には、気が休まりません。それについても、どうか、どうか」と眠気を堪え(こらえ)ながら、彩乃は言いました。
「貴女様の状態では、今夜、これ以上、お話を聞き続けられるのは御無理かとお見受けします。
さればと言って、先ほど来、部屋の外では、拙僧の事を、怪しんでいる者も少なくないようでございます。
その為私がこの家に顔を出すのは今回で最後にしたいと思います。
そのかわり、貴女様が知りたがっておられることについては、言葉を通さないで、貴方様の頭の中へ、直接働きかけ、お伝え申す事に致します(註:今風に言うとテレパシーのことでしょうね)。
故に今は、ゆっくりお休みなされ。
明け方を迎える頃までには、家を出されてからその後の拙僧の事についても、すっかりお知りになり、すっきりされていることでございましょう」
と言って、立ちあがられると、部屋の片隅の暗闇の中へ、溶け込むようにして、消え去ってしまわれました。
その後に襲ってきた猛烈な眠気によって、彩乃はそのまま深い眠りにおちいりました。
従ってその夜の事については、何処からが夢で、何処からが実際にあったことであるのか、彩乃にもはっきりしません。
ただ、その夜見た、この家を追い出された後の掬佐さんの身の上に起こった出来事についての夢は、
実際に在った事を、あの坊さまが、念を通して伝えてくれたもの〈いわゆる、テレパシーと言われているもの〉であると、信じて疑いませんでした。

次回へ続く