No.130 お坊さまと白尾の狐 その1(お婆ちゃんの昔話より)

今回は息抜きの為、おばあちゃんから聞いたお話をお送りします。
なお、このお話はフィクションで、実在の人物だとか、実際にあった事件とは全く関係ありません。

その1 始めに

「もう今では、誰も信じなくなってしまったんだけど、昔はね、この辺りにも、妖怪だとか、精霊、妖精等といった類のものがいてね、水辺だとか、花畑、田んぼの中等で遊んでいるのを見かけた人もいたもんだよ。
暗いところに潜んでいる妖怪に、祟られたり、驚かされたり,悪さをされたりした人もいたもんだけどね」とおばあちゃん。
「嘘でしょ。そんなの、信じられない。おばちゃんは、いまだにそんな事を信じているの。古すぎ。
今時、そんなこという人、おばあちゃんくらいの年の人にだって、もう誰もいないよ。
本当にいたというのなら、その証拠をみせてよ」と私。
私が小学校5年生の頃のお話です。10歳を過ぎて、理屈っぽく、小生意気になっていた私は、昔のようには、おばあちゃんのお話を、素直に聞けなくなっていました。
「そうかもしれないね-。もうこういうお話をしようとしても、誰もまともに聞こうともしてくれなくなってしまったものね。
証拠と言われてもねー。おばあちゃんだって、昔の人に聞いた話の受け売りだから。
おばあちゃんはね、昔の人達から聞いてきた話しかあんた達にしてやれないから、もうあんた達のような今っ子には、合わなくなってしまっているのかもしれないね-」とおばあちゃん。
でもとても寂しそうです。
この頃ではもう、おばあちゃんの家の孫たちは、みんな大きくなってしまっていて、おばあちゃんのお話をきいてくれるどころか、話し相手にさえもなってくれなくなってしまっていました。
それだけに、おばあちゃんのお話を、面白がってきいてくれていた、唯一の聞き手だった孫の私からまで言われてしまったこの一言は、おばあちゃんには、ずいぶん堪えた(こたえた)ようでした。
当時の私は、おばちゃんの事を随分な年だと思っていました。しかし、今、私の年から逆算してみますと、50歳代半ば、まだまだ気持ち的には、若いつもりでいらっしゃったに違いありません。それだけに孫から面と向かって古いと言われたのは、かなりショックだったに、違いありません。
「おばあちゃんはもう古いのかねー。そうかもしれないなー。ここら辺りだって、おばあちゃんが子供だった頃とはもう、ずいぶん違ってしまったからなー」
「電灯が日本中に灯る(ともる)ようになってからは、とても便利になったけど、その代わり、何もかにもがすっかり変わってしまって。
おばあちゃん達の様な年寄りの出番はもうなくなってしまったのだろうね。
中でも一番変わってしまったのは、人の心じゃないかなー。日本中何処へ行っても、本当の真っ暗な暗闇というのも見当たらなくなってしまったのと、歩みを合わせるように、日本人の心から、自然を畏敬する心も、すっかりなくなってしまったものねー。
妖怪だとか、精霊などと言う神秘的なものが活躍する為には、暗闇が必要だし、その活躍を人間が、見たり感じたりする為には、自然を畏敬する人の心も必要なんだけどね」
「その両方がなくなってしまったんだから、今では、もう妖怪や幽霊の類だとか、精霊や妖精の類は、この世では生きられなくなってしまったんだろうね」
「じゃーおばちゃんは暗闇がなくなったから、妖怪だとか精霊達もいなくなってしまったというの」
「いやそう言っているんじゃないよ。さっきも言ったでしょ。暗闇がなくなったのは大きいけど、暗闇がなくなっていくにつれて、人々の心の中から、そういった目に見えない不思議なもの、神秘的なものを敬ったり、畏れたりする気持ちがなくなっていってしまったでしょ。だから妖怪の類や精霊や妖精達も、この世界へこられなくなって、見えなくなってしまったんじゃないかと言っているんだよ」
「あんた達のような今の子は、なんかと言うとすぐに証拠、証拠とかといって目に見えるものしか信じないけど、世の中には、理屈だけでは割り切れない、目に見えない存在もあると思うんだけどねー。
でもそんなら証明して、なんていわれると、おばあちゃんだって、昔の人達からの受け売りだから、本当の事はというと、よく分からないとしか、いいようがないけどね」
「おばあちゃんが、おばあちゃんのおばあちゃん(おお大婆ちゃんの事)から聞いた話によると、夜になって、空から真っ黒なベールが下りてきて、辺り一面がそれに包まれ、真っ暗になっていった時、その暗闇の中でも、一番暗いところに、この世界と、別の世界を隔てている壁に裂け目状の薄くなっている部分が出来てくるんだって。神秘的なものだとか、不思議なものを畏敬する人の心と、異次元の世界の波長とが同調する時、その部分に出入り口が開き、そこを通って、妖怪だとか幽霊、妖精だとか、精霊がこちらの世界へやってきていたんだそうだよ。
昔は、人の心もまだ純朴で、今のように目に見えないものはみんな否定してしまうのでなく、目に見えない神秘的な世界だとか、不思議なものの存在を、信じ崇めていたからね。
だから、妖精だとか妖怪変化、精霊、妖精などの世界と通じる出入り口もあちらこちらにあったという話だよ。その為に、彼らもこちらに来やすかったし、こちらの世界から、あちらの世界へ行き、その世界を覗いてきた人だとか、あちらの世界から来る妖怪達の手下になって、人間に悪さをした動物もいたそうだよ。
高僧とか聖者と呼ばれる人たちの中にはそういう人達もいたというはなしだよ。多分、そういう人達は、もともと何らかの素質を持っていたのが、修行の途中で、異世界への入り口を見つけ、異世界での体験を通して、悟りを開かれたんだろうね。
一方、不思議な力を持った動物達としては、霊力を持っている稲荷様のお使い狐や、白蛇等のよう者達と、化け猫だとか,化け狐、悪戯狸などのように、妖力を持った者達とがいたもんです。
霊力を持った動物の代表格であるお稲荷狐は、もともとは、神仏の世界から、この世に降りてこられた神様や仏様が、この世でお仕事をなさる際、それをお助けする役目を仰せつかって、この世に、遣わされてきた動物だったんだって。よって彼等は、強い霊力を持っていて、この世と、精霊たちの世界や、神仏の世界を往来する能力を持っていたのだそうだよ。
この世界に住みついた彼等は、やがて子孫を残し、その直系の子孫を中心とする眷属(けんぞく:親族のこと)もまた、ご先祖様ほど強くはありませんが霊力を備え、神様や仏様にお仕えするようになったんだって。この血をひくものは、殆ど、全身真っ白な毛でおおわれていたそうです。しかし長い間には、尻尾だけが銀白色のものだとか、耳だけ白い、背中だけが真っ白などといったものもいるという話だよ。
なおこれは余談だけど、長い年月の間には、稲荷狐の子孫の中にも、道を誤り、妖怪の世界へと走るものも出てきたんだって。九尾の狐等はこの類だったと思うけど、こういった場合、それほど強くはないものの、妖力と、ある程度の霊力とを兼ね備えていましたから、この種のアヤカシ(妖怪変化)が、この世に現れた場合、この世は、正しい事は滞り、悪が蔓延る(はびこる)混乱の極みの時代に陥ってしまっていたのだって。
妖力を備えた動物としては、ほかにも、化け猫だとか,化け狐、悪戯狸等もよくきいたもんだよ。でも、それらは、九尾の狐は別として、言われているほど強い妖力は持っていなかったみたい。長い年月生きている間に、何らかの拍子に、妖怪どもに魅入られ、その手下になって、妖力を、少しだけ分け与えてもらっただけみたい。
だから人間を驚かしたり、誑かしたり(たぶらかす)するくらいの力しか持っていなかったんだって。
しかしそう言ったもの達の存在は、私達人間に、人間の五感で感じるこの世界以外にも、人間の知性では及ばない、神秘的な世界がある事の証(あかし)として語り継がれてきたんだよ。
ところが、文明開化によって、日本中どこへ行っても、電灯がついているようになってしまったでしょ。
だから日本ではもう、人間の住んでいる所には、完全に真っ暗な所がほとんどなくなってしまったんだよね。
その上、文明開化と一緒に入ってきた、西洋的なものの考え方と科学的知識が広まったでしょ。
だから、日本人の心もすっかり変えられてしまって。もう不思議なものだとか、神秘的なものの存在を信じたり、畏れたりする人も殆どいなくなってしまったんだよね-。
この為、別の世界へ通じる出入口も、今では、その殆どが途絶えてしまったんだって。
だから、妖精も、精霊も、妖怪変化達も、こちらの世界へ来る事が出来なくなってしまったらしいんだね。
あちらの世界を覗く事が出来なくなったせいか、神通力のような、特別な能力を備えていらっしゃる聖(ひじり)と呼ばれる偉いお方も、今では殆ど聞かなくなってしまったんだよね。化け猫だとか、騙し狐等といった、妖しい力をもった生き物たちの話が、ほとんど聞かれなくなってしまったのも、このせいではないかということだよ。
何でも、あいつらは、妖怪や悪魔たちの手先になる事で、妖怪達から怪しげな力を分けてもらっていただけということだから、妖怪達がこちらの世界へこられなくなり、妖力を補充して貰えなくなった今では、妖力もなくなってしまったらしいという話しだよ」
「ふーん。それじゃ精霊とか、妖怪というのは、この世界とは別の世界があって、そこに住んでいる生物で、時々こちらにやって来ていたというの?」
「そういう話しだよ」
「でもわからないなー。そんならその世界はどこにある(存在する)というの。そんな世界、四方八方何処を見たって、この空の下、何処にもそんな世界なんか存在する余地がないじゃないの」
「それがねー。世界というのは、今お前が住んで、息をしている、この世界だけが唯一の存在ではないらしいのだよねー。世界を時間軸にそって並べてみると、昔々のその昔から、今現在、そして未来の世界と、色々な世界が連続して存在しているというのは、お前でも分かるでしょ。その中の現在というのが、私や、お前が今、生きているこの世界なんだけど、現在の世界というのは、それ以外にもこの世界と並行していろいろあるらしいんだよ。それを横軸に沿って、仮に左右に並べていってみると、一番右端が神様や仏様が住んでいらっしゃる天国、ここには、生きていた時、よい行いをした、心がけの良かった人たちも住まわせてもらっているんだけど、そういった天国、その次は、妖精だとか、精霊といった神秘的な力をもっていて、神様の手助けをしたり、心清くしたりするものたちの住む世界、そしてその次がおばあちゃんや、お前たちが生きている、この世界、そしてこの世界と接して左端に、妖怪や変化といった人間の心を惑わし、人間達に悪さをするもの達の住む世界と、死んだ後も、この世界に恨みだとか未練があって、地獄にも、極楽にも行けず迷っている亡者達(いわゆる幽霊)のいる世界、そして一番左の端には鬼達や、生きている時、悪い行いをした為に連れてこられて者達の住む地獄となっているんだって。
そしてこれからの話は、ごちゃごちゃしていて、おばあちゃんにも、どうもよく分からないところがあるのだけど、何でもこの天国から地獄に至る世界は、横一線に並んでいるのでなく、高さがジグザグに並んでいて、しかも全体としてはサークル状の配置になっているのだって。だから、左端の地獄と右端の天国は、最端の部分では、くっついてしまっているのだそうだよ。また天国だとか地獄といった各世界、これがまたそれぞれに深さがあって例えば天国といっても、神様や仏様のお住まいになっている最上階から、生きている間に、良い行いをした人間達の住まわせてもらっている、極楽浄土まで、無限の深さがあり、地獄もまた、一番罪の深い者たちの落とされた、一番深い所にある無間地獄から、最も浅い所にある第一地獄に至るまで色々あるんだって。そしてその夫々が、過去、現在、未来といった無限の広がりをもっていて、その上、ジグザグになって連なり、過去、現在、未来のあちらこちらで繋がりあうところがあって,境界がなくなっているところもあるとい言う話」
「だからねー、私達の目に見えないからといって、別の世界がないという訳ではないらしいんだよね。こういう風に、目に見えるこの世界以外の空間が、同時に存在している事さえ理解できれば、他の世界がそこに存在する余地がある事だって分かるでしょ」
「へー、ごちゃごちゃしていて、なんだかよく分からない。だけどそれって誰が言ったの。まるで見てきたようなお話になっているけど。まさかおばちゃんが考えた作り話じゃないでしょうね」
「違う。違う。こういう話は、お釈迦様もおっしゃっている事だそうだよ。だから仏様の知恵で、宇宙の高みが御覧になれたんじゃないのかねー」
「おばあちゃんが聞いたのは、おばあちゃんからだけど、そのおばあちゃんのおばあちゃん(大ばあちゃん)は、その頃家へいらっしゃっていた、偉いお坊さんから聞いたという話だったよ」
「分かった、それで今日はどういうお話をしてくれるつもりだったの」
「今日はね、今言った、偉いお坊様と白尾の狐のお話をしようかなと思っていたのだけどね」「どうする?」
「うん、やはり聞きたい。さっきはごめんね」

次回へつづく