No.129 うまい話には罠(わな)がある

このお話は創作されたもので、実在の人物、事件とは関係ありません。

 

その1

今からもう20年近くも前の事でしょうか。私が画廊にお勤めを始めて数年目、お勤め先の社長さんのご指導のおかげで、やっと売買にも自信が付き、まかされて、どうにか一人で、いっぱしの商いをしてくる事が、出来るようになって来た頃のお話です。
時は、バブルの絶頂期も終わり近くの頃の事です。企業であれ、個人であれ、誰もかれもが、長く続いた好景気に酔い痴れ、膨大な借金を抱えているにもかかわらず、それを気にすることもなく、土地に、株に、ゴルフ会員権に、絵画にと、買い漁っていた時代でした。
その姿は今から思えば、撒き餌に狂奔する魚の群れのようなもので、誰もが好景気に浮かれ、警戒する心を忘れ、儲け話に群がり、投機話に現(うつつ)を抜かしていた時代でした。
画廊世界の住人達も、その例に洩れませんでした。ある画廊は株や商品相場に、ある画廊は土地にと、大金を借りて投機に手を染めていただけでなく、その上、本業の方でも、膨大な借金を重ねて、在庫を膨らませ、しかもそれを、回収を後回しにしたまま、無警戒にあちこちに掛売りし、売掛金ばかりを膨らませていっておりました。
その為、中には、売上げばかりあがっていても、肝心の回収が出来ていず、資金繰りがショートしてしまい、高利の金に手を染めている画廊も少なくないといった状態になっておりました。
売り上げの大きい割に利益が伸びていず、売掛金の回収が少し滞っただけでも、危ないといった噂のある、いわゆる自転車操業のような状態の業者さんも少なからず在りました。
それは今から思えば、日本の景気が、風船のように極限まで膨れあがっていた状態で、ちょっとしたきっかけで、弾け(はじけ)とび、連鎖倒産が次々に起こってくる時代の幕開けの近い事を予告するものでもあったのです。(残念なことに、皆がその熱に浮かされていて、その予兆に気付いた人は、殆どいませんでしたが)

 

その2

当時私がお勤めしていた画廊の社長さんは、「画商の仕事は一種の情報産業のようなもので、何処の画廊が、どんな作品を扱っているか、どんな作品を欲しがっているか、何処の画廊にどんな絵があるか、いくらで売っているか、などを知っていれば、それだけで商売が出来ていく。」「暇があれば、他所の画廊を回って、画廊に掛かっている作品の値段を調べ、そのご主人の話を聞いてきなさい。」と絶えず言われる方でした。そこで私も、時間の余裕がある限り、顔見知りの画廊を、訪問するようにて心がけていました。
さる地方に、他の用事で行ったついでに、交換会で2~3度お目にかかった事のある、その地の画商、Aさんのところをお訪ねした時の事です。
Aさんは、その地方では中心都市の盛り場にある、某ホテルの一画を借り、そこに画廊を開いておられる業者さんです。
Aさんは画廊の他にも、郊外に、集合コッテージ式の大きな焼鳥屋を開き、その上、あちらこちらに賃貸用の不動産までもっておる、とても羽振りが良いという噂のある画商さんでした。

 

その3

訪ねていったAさんの画廊には,当時の私などは、とても扱わせていただけないような、有名な作家の本画(版画とかデッサンでなく一枚物のタブロー)が、広いスペースの中にゆったりと掛かっています。
勧められるままに座った応接セットも、とてもゴージャスで、見るからにお金が掛かっているといった雰囲気です。
Aさんはとても上機嫌で、私を迎えてくれました。
「あんた、お若いのに、良く遣っておられるそうですねー。私の回りの画商達なんか、皆さん、そういって感心していますよ。」
「もういつだって独り立ちしてやっていける人だと、もっぱらの評判です。素晴らしいですねー」
煽てられて嬉しくない人はいません。まして、当時の私はまだ若うございました。それだけに、天にも昇るくらい舞い上がってしまいました。
しかし表向きは謙遜して、
「とんでもありません。私なんか、まだまだです。毎日、毎日、社長にお尻を叩かれながら、ただただ歩きまわっているだけで、社長には、迷惑ばかりかけておるような身ですから。それにお金もありませんし。」と申しますと、
「何をおっしゃいます。大金持ちのお嬢さんが。あんたの所、親御さんがお金持ちで、事業を始める気持ちになりさえすれば、いつだって、そこからお金が引き出してこられる人だと、もっぱらの噂ですよ。私らみたいに、一から始めたものには、羨ましい話ですわ。」
「何をおっしゃいます。社長さんこそ、他にも一杯ご商売をなさっている上に、あちらこちらに、賃貸用の不動産も持っていらっしゃる大実業家だという、お話ですのに。」
「いやそれほどでもないですよ。ただこの商売、信用さえあれば、何処からでも作品を借りてくることが出来ますから、おかげさまで、大きくやらせていただいてはおりますけどね。でもただそれだけです。」
「あんたのお勤め先らも、良い作品さえありさえすれば、いくらでも買ってあげますから、いつでも持っていらっしゃい。
でもそうはいっても、あんたのお勤めしている画廊は、どちらかというと版画に力をいれていらっしゃる所ですから、私どもが扱っている本画の方は無理かもしれませんね。
しかし、もしあんたにやる気があれば、あんた個人の信用で、他所の画廊から絵を借りてきて、それを自分の裁量で私どもへ売るというのも一つの手かもしれませんよ。
ここに掛かっているような絵を、一枚、何処かの画廊から借りてきて、右から左に流すだけで良いのです。たったそれだけで、あんたが今貰っているお給料くらい、訳なく手に取る事が出来るくらい儲かるのですから。
どうせ、今あんたがやっている事だって、同じような事を遣ってらしゃるのでしょ。ただ、貴方の場合は、会社の名前でやっていらっしゃるるだけで」
「確かにそうですけど。でもちょっとそれはー」
「あんたが、いくら会社のためにと思って一生懸命にやっても、あんたのお給料で払って貰えるのなんか、ほんの雀の涙ポッチでしょ。そんなのつまらないと思わないですか。」「・・・・・・・・・」
「あんたまだ、本画のことは、あまり知らないでしょうから、始めのうちは、私が教えてあげるとおり、ある画廊にいき、そこにかかっている絵を貴方の信用で、私の指示する価格以下で買ってくるだけです。上手く、その価格以下で、それを買ってきてくれたら、私がその価格でそれを買ってあげると言う話です。そうすればその差額があんたの儲けとなります。簡単でしょ」と盛んにアルバイト(自分のお金で売買して、その利益を会社に入れないで、自分の懐に入れてしまうこと)をすることを勧められます。
私も当時は若かったし、知っている画廊勤めの人達が、そういったアルバイトに手をそめているのを、しばしば見てもいましたから、「この種の誘惑に、心動かなかった」と言えば嘘になります。
それまでも、何度もそんな誘惑があり、誘惑に負け、心動かされそうになった事もありました。
しかし家に帰って父に、そんな話を何気なく話した時、
「お勤めしていて、そういった行為をすることは、その店から、品物を盗ってくる、泥棒と同じ事だよ。もしそんな事に手を染めたら、おまえが画廊を始めた時、心ある画廊からは、相手にされなくなりますよ。
お父さんだって、万一、そう言う事に手を染めるようなら、いざというときになっても、一円も援助しないだけではなく、それ以降は、一切の縁を切るからその心算でいなさいよ。」
「大体、そんな不正な事をして、その時、少しくらい儲けたとしても、本当は、信用という無形の財産をなくしてしまうのだからね。長い目で見た時、絶対に損です。将来、お前がこの道で生きていこうと思っているのだったら、絶対にそういった事をしては駄目。いつも王道を歩くように心がけなさい。それが信用を作る道であり、お前が将来、大きく伸びていくための糧となる物なのだから。」
「世間は皆、黙っているだけで、よく見ているからね。
お前だって、そんな悪いことをしていた人を、将来自分の商売の相手に選ぶと思う。思わないでしょ。それが一般的な世間の常識だからね。」
「今は焦らないで、地道に努力して、信用と実力をつけなさい。商売の方法だって知識だって、おまえくらいの年数を経験してくると、いっぱしに覚え、何でも一人前に出来ると思ってしまいがちです。しかし商売の道は、奥深いからね。
お父さんの目から見ると、お前なんか、まだまだ小学生にもなっていない、よちよち歩きの幼稚園児くらいとしか思えないよ。」
「人間、めぐり合わせみたいな物があって、時期が来れば、いやでも独立して、自分の足で歩かなければならない時がやって来ます。だから、今は、それまで待ちなさい。」と固く釘を打たれていました。
そこで「ありがたいお話ですが、家は父が固い人ですから、そういった話はするだけで、家への出入りを差止められかねなません。だからそれは無理です。できません。でも内の画廊の作品で、使えるものがあったら、これをご縁に、どうか使ってやってください。社長さんの所だって、版画の問い合わせもあるのでしょ。そのとき一声掛けてくださるとありがたいのですが。」と私。「そりゃないこともないですから、そんな時は、真っ先にあんたの所に頼んであげましょう。」「しかし残念ですなー。こういった本画の方がずっと儲かるのに。」といかにも残念そうなお顔で言われます。
「あんたのお勤め先、最近少し危ないという噂が立っていますから、どうせ絵だって借り難いでしょ。借りる時、あなた自身の信用で、借りてきている場合も少なからずあるんじゃないの?」「だったら自分でリスクを背負って、商いをしているのだから、その利益を自分の懐に入れたって、別に誰もおかしいと思わないと思うんですがねー。」とAさん。

 

その4

確かにその当時、私がお勤めしていた画廊も、社長さんが手を広げすぎ、その上不動産にまで手を広げ、多少金繰りが苦しくなっていました。私が他所の画廊から借りてきて売った、作品の代金も滞りがちで、そのたびに私が責められ、苦しい立場に立たされておりました。しかし社長さんも、絵を借りるに当たっては、私が個人的に保証させられていることを知っていましたから、遅れがちではありましたが、それでも他所よりは先に支払ってくれ、どうにか私も顔が立っているといった有様でした。
従ってAさんの言うとおり、毎日がはらはらどきどき、自分でリスクを背負ってのお勤めですから、当時は買いだしに行くのが怖いと思うようになっていました。
しかしそうは言いましても、売れそうな作品が、必ずしも私の勤め先の画廊にあるとは限りません。そういった場合は、どうしても他所の画廊に借りに行かねばなりません。ところが借りに行くとその度に、「これをお貸しするにあたっては、貴方も個人的に保証してくださいね。もし貴方が保証してくださらないのでしたら、貸すことはできません。」と言われてしまいます。私が当時、お勤め先から扱わせていただいていた作品は、殆ど版画でしたから、もし借りてきた代金を背負わされたとしても、せいぜい数百万円まで、いざとなれば、私が母より相続して持っているお金の中から返せないわけではありません。しかしこんな他人のことで、母の相続財産をつかわされるかもしれないと思うと、馬鹿馬鹿しく、作品を借りる度に、どうしたものかと悩んでいました。そうかといってお勤めをしている以上は、いつもある程度の成績を出さねば、お勤め先に顔向けできません。又これまで私を引き立ててくださった社長さんに、こんなときこそお力にならねばという思いもありました。従って当時は、このお勤めを、このまま続けていくべきかどうか、そのジレンマにいつも悩んでいた時代でした。

 

その5

こんな私の心の内を見透かしたように、「それならいっそ、私の所の画廊を共同経営しませんか。私、貴方もご存知のとおり、あちらこちらでいろいろ事業をしていますでしょ。だから、画廊の仕事だけに、なかなか専念できなくて困っていた所です。
今の話から、貴方なら信用が置けそうですから、一緒にこの画廊やっていくには最適だと気付きました。
最初のうちは、こういった本画についての知識は、お持ちでないので、不安でしょうから、私が指導させてもらいます。従って貴方は、私の言うとおりに、買ってきて、売り歩いてくださればいいのです。最初のうちは、利益を半々という事でどうでしょう。そのうち慣れてこられたら、貴方一人に任せることになるとは思いますが、そうなりましたら、私の取り分は、出してある資本の配当に、画廊の売り上げに応じた、いくばくかの歩合を加えた物をもらえれば良いです。」「別に共同経営者といっても、いまさら貴方にお金を出してもらう心算はありません。だから一円のお金を使うこともなく、この画廊の半分の権利が、貴方の物になるのですから、こんなうまい話ないでしょ。登記もちゃんとしてあげますからね。
私、貴方の事、以前から見ていて、この人は、将来絶対に大物になる人だと見込んでいました。だから貴方に賭けてみようと思うのです。
私もこの年になるまでに、することをしてきましたから、今は若い人を応援して、伸びていくのをみて楽しみたいという思いもありましてね。」と熱心に勧めて下さいます。

 

その6

私、その頃はまだ学校を卒業して数年目、20台も後半といったところでしたから、全くの世間知らずで、人の話を疑うと言う事をあまり知りませんでした。
立派な紳士が、人を騙すなどという言葉は、私の当時の辞書には殆ど見当たりません。
この誘いには大いに心が動きました。「ありがとうございます。早速父と相談してお返事させていただきます。そんなにまで言ってくださるなんて本当にどういって良いか、もう感謝の言葉もないくらいです。もし一緒にお仕事をさせていただくことになりましたら、このご恩に報いる為に、身体を粉にして働かせていただき、将来社長さんに、この人と組んでよかったなと、思われるようなかいしゃにしてみせます。本当に今日はありがとうございました。」と言ってスキップする思いで、足取りも軽くその画廊を辞去してきました。
家に帰って、早速父にこの話をしましたところ、「お前なー。この世知辛い(せちがらい)世の中に、そんなうまい話が本当に転がっていると思う。
Aさんの所だって、奥さんも子供さんもいらっしゃるでしょうに、おまえのような赤の他人に、只で半分も譲ってくださるようなことがあると思う。
そう言う場合は、何かいわくがあるに決まっていると思わないの。」と真っ向から反対です。「だって、忙しくて、自分ひとりでは手が回らない。だから私の将来性を見込んで、私に一緒に遣ろうといってくれているんですよ。私の実力を、それほど認めてくれる人がいると言うのに、どうしてそんなに悪い方、悪い方にとるの?
人の善意を信じ、わかってあげてほしいわ-。」と私。
「ところでその人幾つ。」と父。
「うーん、はっきりとは、知らないけれど、多分50歳の半ばくらいだと思う。」
「それでお子さんは。」
「あまり知らないけど、確か大学生と中学生の男の子がいると聞いたことがある。」
「他にお勤めの人は?」
「男のセールスが二人くらいと、女子事務員が一人」
「それなら、その子がもう直ぐ後を継げる年でしょ。気心の知れている、セールスに譲ったって良いでしょ。ただなんだから。それを何の関係も無いあんたに譲ってくれるなんて、どう考えても怪しいなー。」「そこの経済状態はどうなの。最近は、銀行の総量規制が効いてきて、手広く遣っている所ほど、借金で苦しんでいるという話だが、どう。他の業者さんで、そういった情報に詳しい人知らない。もしいれば、その人から、そこの画廊の支払い状況の噂を聞いてみたら。それに何といっても、未だおまえさんが一人で遣っていくのは、少し早いと思うのだけどねー。」と賛成してくれません。「デモねー、お父さん。実は私のお勤め先の会社も、少し金繰りが苦しいらしいのです。でもって、今では作品を借りに行くと、私が個人的に保証させられる事が多いのよ。だから仕事をしてくる度に、社長がお金を支払ってくれるまで、ヒヤヒヤで、毎日、薄氷を踏む思いでいるの。
確かに社長にはお世話になったから、少しは、お力にならなきゃーとは思うけど、やはりもう限界です。
だから、こんなうまい話に、乗らない手はないと思うのだけど。」
「今度の話は、お父さんだって、一円の援助もしなくてすむ、話なのですよ。こんな良い話ないとおもうけどなー。どうして解ってくれないの。」
「そりゃー、確かに今は、一円のお金も要らないかもしれないけど、多分、お前が他所の画廊から、絵画を借りてくる度に、今後はその代金のリスクを背負う事になるのだよ。個人保証させられて」「それどころか、もしその画廊が借金まみれだったら、その借金の全てを共同経営者であるお前も、背負わねばならなくなる可能性もあるのだけれど、その覚悟ある。物や金の貸し手は、あんたが共同経営者になったとたん、これ幸いと、今迄借りてきている作品や、借金の個人保証を求めてくるに決まっているからね。本画の場合は額が大きいから、もしも、なんかあったときは、何十億円の単位で借金を背負わされる事になるのだから、よほど慎重にかからないと。」
「こんなこといっては何だけど、そういった、旨い話に乗ったあげく、やくざが絡んでいる借金を背負い込まされて、泣かされている話なんて世間では、ザラメのザラらだぜ。」
「今はまだ早いからと反対しているだけで、もしどうしても今すぐ画廊を遣りたいというのなら、好きな所で、真っ新(まっさら)な状態から始めた方が良いと思うよ。」と猛反対です。

 

その7

そうまで反対されますと、私も、それを押し切ってまで、自分独りで遣っていく自信がありません。それにお勤め先に帰って、その画商さんと取引がある画商さんに、Aさんのところの支払いの状況を、それとなく聞いてみましたところ、「最近少し沢山に買って貰いすぎた為か、支払いが、滞りがちで、チョット困っています。」「でも絵のほうの相場も下がってき始めているので、いまさら絵で返してもらっても、どうにもならないしねー。良いお客さんだから、こちらも強くもいえないし。困ったものです。でもあそこは、他の方が、うまくいっているという噂だから、多分大丈夫だろうと思って、今のところは待ってはいますが。」との話です。やはり資金繰りが、かなり苦しく、ご無理をなさっているという様子が窺えます。
いろいろ考えた末、やはりこのお話はお断りしました。
Aさんはずいぶん残念そうでしたが、「未だその時期でないと、父が反対しますものですから、折角のお話ですが、今回は断念させていただきます。これからもよろしくお願いします。」とお断りの電話をしますと、
「そうですか。チャンスの前髪を捉まえる勇気のない人は仕方がないですねー。
もっと期待していましたのに。マアー、せいぜい今後も頑張りなさいよ。」ということで、この話は終わりました。

 

その8

この後しばらくして、銀行の総量規制の影響が、じわじわと全ての業界に効いてきました。株も、土地も、絵画も、全てが大暴落。それまで借金で事業を膨らませきっていた所は、全て借金に苦しみ、貸し手である銀行もまた、貸し金の回収が旨く行かず、破綻する時代がやってきたのです。私たちの業界でも、例外ではありませんでした。にっちもさっちも行かなくなって、倒産された業者さんの噂が、絶えず聞こえてくるようになりました。
私にあの話を持ってきてくれた、Aさんのところも、例にもれず、バブルの弾けた影響を受け、倒産し、夜逃げしてしまわれました。
画廊の未払い買掛金だけでも、22億円に上り、このため、連鎖倒産に追い込まれた所や、倒産寸前に追い込まれた所も、数多く出ているとの噂でした。あちらこちらに持っていた土地も、盛大にやっていた焼き鳥屋も、全てが銀行だけでなく、高利貸の担保も付いていて、どこの画廊も、売掛金の方は一円も回収できないで皆困っているという噂でした。
本当に危ない所でした。皆の話から想像するに、あれほど熱心に誘ってくれたのは、
当座の金繰りのために、私を利用しただけのようです。
私に、他所の画廊から絵を借りてこさせ、それを安く売るか、高利貸の所に担保として入れてしまって、当座の資金繰りを凌ぎ、責任だけは、私にとらせようという魂胆だったようです。
もしも私が、この話に乗っていたとしますと、今の私は、ないところでした。それこそ父親の言ったとおり、膨大な借金を払いきれず、一家丸裸になって、夜逃げという悲惨な運命が待っているところでした。やはり「旨い話には罠がある。」ということです。

 

その9

当時の私は、よほどの、アマチャンと見えたのか、或いは私が独立したいという意欲を持っているのが見え見えだったのか、バブル崩壊後、こんな話が、しばしば私のところに持ち込まれたものです。百貨店での出店の権利と在庫ごとに、画廊を格安で譲ってやるという話だとか、現在貸しビルで遣っている画廊を閉店したいから、ビルを借りている権利を、持っている商品ごと格安で買わないかと言った話がありました。
しかし百貨店の権利ごと画廊を売ってくれるというお話には、在庫の何十倍にもあたる、その画廊の借金もついており、もし知らずに買っていれば、即借金地獄に陥る所でした。
画廊をやっている貸しビルの権利を買うというお話は、画廊そのものを買うのではありませんから、リスクはそんなに高くはありませんでしたが、その借りていたビルが、競売後とり壊される予定になっているもので、数年内に立ち退かねばならないというビルでした。
しかも格安で売ってくれると言ってくれた作品の方は、店じまい大売り出し後に売れ残った作品ばかりで、そんな作品は、例え買ったとしても、格安でも何でもなく、大損になるだけの所でした。
そうそう、そういえば、バブルの最中、お勤め先には内緒でアルバイトに励んでおられた人たちも、バブルの崩壊とともに、売った先からお金の回収ができなくなり、いつの間にか皆さん、この業界から姿を消してしまいました。
どなたも、回収不能のそのお金の支払いを巡って、お勤め先とは随分揉めたとか。
父の言ったとおり、やはり王道を歩いていたのが一番でした。
世の中には、自分が苦しくなると、それから逃れるために、ババ抜きのババを、隣の人に回そうとするように、苦しい付けを、他の人に回そうとする、けしからぬ奴が一杯います。鼬の最後っ屁と言う言葉もありますから、やはり「お金で追い込まれている人には近づかない。」「うまい話には罠があるから眉に唾をつける。」「どんなに良さそうに思える話でも、危ない話にはのらないように心がけるべし。」というのが、長年やって来て、私が掴(つか)んだ教訓です。