No.113 お稲荷狐、みけつね様物語その1

少し理屈っぽいお話が続きましたから、今回はそういう話を離れて、私の故郷に伝わるお話をお送りしようと思います。

始めに

もう狐が化かすなんてことを信じる人も、今ではいなくなってしまいましたが、まだほんの七,八十年前、お祖母ちゃんが、子供だった頃までは、山や河や洞窟には、神々がおわし、古い木々には神々が宿り、沼には河童が住み、暗闇には妖怪が潜み、幽霊がでると信じられていた時代だったと言います。従って、狐のお嫁入りだとか、狐火、狐つき、お稲荷さんのお使い狐、などなどなどといった狐に纏わる(まつわる)奇妙なお話も、ごく普通の日常の出来事のように、人の口に上っていたそうです。狐に誑かされた(たぶらかされた)人のお話なども、本当に身近に起こったお話のように、みんなが噂の種にしていたものだったといいます。お祖母ちゃんがしてくれたこのお話も、そんな狐に纏わるお話の一つですが、お祖母ちゃんが、そのさらにお祖母ちゃんから聞いた話によりますと、このお話に出てくる人の子孫といわれている人が、お祖母ちゃんのお祖母ちゃんが子供だった時代には、まだその村に、本当に住んで居られたそうです。
それではお祖母ちゃんから聞いた話を、お話しいたしましょう。

 

その1

昔は、この辺りも、まだ大変な田舎でした。人もあまり住んでいなくて、家もあちらこちらにポツリポツリと疎らにあった程度でした。田や畑も、住処の周辺や、村の真ん中辺りには固まってありましたが、他は湿地や、沼、葦原、雑木林、竹林、笹竹や雑草の生い茂る丘などといった、人手の入っていない、荒地が殆どでした。道だって、今のように立派なものではありませんでした。長い間、人が通った事によって、踏み固められた一筋の軌跡、それが道でした。従って、一人がやっと歩ける程度の、広さしかなく、その上、曲がりくねっておりました。この道が、雑木林や、背丈ほどもある葦や雑草の生い茂る荒地の中を通っているわけですから、そういった中に入ると、昼間でも、方向感覚を失い、迷ってしまいそうです。まして、夜になりますと、その頃は電灯などなかった時代でしたから、辺り一面、真っ暗で、道の在り処も、定かでありません。従って通い慣れている人でさえも、その日の気候条件などによっては、迷ってしまう事も、少なからずあったといいます。特にお酒を飲んで、ほろ酔い機嫌で帰ってくる夜などには、そういうことがよくあったと聞いております。

 

その2

その頃の、村のお宮さんの(鎮守の)森は、今の三倍以上もの大きさがあり、深い森の中は、聳え立つ大木の梢が空を覆い、昼でも薄暗い境内にある大小の洞穴には、狐や狸、野うさぎ、蝙蝠(こうもり)、大きな木々の梢には、リス、小鳥などといった、さまざまな生き物が住んでおりました。
その境内の一角、一番深い所に、小さな祠(ほこら)があり、そこに脇宮様として、お稲荷様が祀ってありました。そしてそのお稲荷様の祠の下には、昔から大きな洞穴(ほらあな)があり、そこには、一匹の雌の狐が住んでいると噂されておりました。村の人たちは、この狐の事を、お稲荷様のお使いとして、みけつね様といって崇めておりました。
所が、このみけつね様、とても悪戯(いたずら)好きとかで、時々里に出てきては、村人を誑かす(たぶらかす)ので困るという噂もたっておりました。酒に酔っぱらって、ちょっと助平になった男達とか、金に汚い、強欲爺婆、食い意地の張った卑しい人間などは、特に良い鴨と狙われると言われておりました。
「月夜の晩などに、きれいな女に誘われて、ついて行ったところ、大きなお屋敷に泊めてもらったと思っていたら、粗末な物置で、藁の中に寝かされていたとか、女に勧められるままに、一緒にお風呂に入っていると思ったら、壊れた案山子(かかし)と戯れながら、肥溜めに浸かって(つかって)いた。饅頭と思って食べさせられたのは、馬糞だった。上等のお酒と思って飲まされたのは、溜まり水で、朝になって気が付いてみたら、ボウフラがうようよしていた。女と一夜の快楽と共にしていると思っていたら、下半身むき出しにして丸太棒にしがみ付いていた。かけに勝って、大金を手にして帰ってきたと思ったら、巾着の中身は木の葉に変わっていた。お金を落としながら行くお嫁さんの後を、拾って歩いているうちに、巾着に穴が開いてしまって、逆にお金を全部落としてしまった。そして巾着(財布)の底には、小石や、木の葉が僅かに残っていただけだった。」などなどのいろいろなお話が、みけつね様に化かされた話として語られておりました。
こういったお話は、化かされている所を、助けた人のお話として伝えられたものもありますが、化かされた人が、自分の経験談として、面白おかしくお話しされたものもあり、実際どれほど信憑性(しんびょうせい)があるか、疑わしい所もあります。本当は、花街で遊んでいて、朝帰りになってしまったのを、おっかー(奥さん)に言い訳をするために使われたり、博打で一文無しにされてしまったのを、言い訳をするのに使われたり、お酒を飲みすぎて、道に迷ってしまったのを、近所への体裁を整えるために使われたり、借金の返済を遅らせて貰う為につかわれたり、或いはお酒を飲んだ後の一過性の錯乱状態だったにすぎなかったものなど、ずいぶん濡れ衣を着せられている部分もあったようです。
村人の多くも、そういったことも含めて、実際は殆どが与太話(よたばなし:たわいないばかばなし)と、知っていて、楽しんでいるところもありました。
特に化かされたと、いっている人の多くが、ほら吹きとか、助平、大酒飲み、強欲婆、博打好きの(ばくちずきの)怠け者等と言った、どちらかというと、村の中でも、多少鼻摘み(はなつまみ)気味の人が多かったものですから、余計に面白がって、尾ひれをつけて、噂の種にし、皆楽しんでおりました。
所が、中には、それらの話を、まともに受ける人もいました。そういった人達の中には、「お稲荷様のお使い狐のくせに、人間に悪戯をするなんて許せない。」と憤慨し、「いくら神様のお使いといっても、一度、ひどい目に会わせてやらねばなるまい。」と、正義感から、みけつね様を懲らしめてやろうとする人や、「例え神様のお使いでも、境内から出てきているときは、所詮ただの狐じゃないか。「たたり」そんなもん怖いものか。俺がそのいたずら狐をやっつけてやる。」と、村の衆に、良い格好をしたいがために、力んでいる人などが出てまいりました。

 

その3

そんな若者の一人に佐助さんという人がいました。この人はとても信心深く、優しくて、思いやりのある、とてもいい人なのですが、正直者で、正義感が強く、一本気過ぎるのが玉に瑕(きず)、冗談とか、洒落が全く、通じない人でした。まだ20歳そこそこ、血気さかんな佐助さんは、人が狐に化かされたなどという話を聞きますと、血が騒ぎます。「狐が人様を騙すなんて、とんでもない話だ。そんな事を許して置いたら、人間様が舐められてしまって、後々のためにならない。二度とそういうことをしないように、一遍、ひどく懲らしめてやらねばなるまい。もし俺がその場に〔狐が化ける場に)居合わせたら、絶対酷い目にあわせてやる。」と意気まいておりました。
佐助さんの母親は、そんな佐助さんに対し、「狐を殺すと七代まで祟るといわれているくらいだから、そんな事は絶対にやめとくれ。」「まして、みけつね様は、お稲荷様のお使い狐なのだから、理由なしに、そんな悪いことをされるはずがないのだから、それを、きちんと確かめもせず、痛めつけるなどというのは、とんでもない。」と説得しますが聞き入れません。
村の衆も、「そんな事をすると、みけつね様のたたりがあるよ。」とか、「騙した(だました)のは、必ずしもみけつね様とは限らないじゃないか。ほかの“物の怪(もののけ)”かもしれないし、騙されたといっている人の与太話かもしれないと思うよ。それだけは絶対に止めたほうがいい」などといって止めたのですが、全く聞きいれません。むしろそう言われれば、言われるほど、意固地になってしまって、聞く耳持たず、暇をみつけては、化け狐という噂のある、みけつね様を探し回っておりました。

 

その4

それはある夏も盛りの頃のことでした。佐助さんはその日も、夜になるのを待ちかねたように、晩御飯を食べると直ぐに、化け狐探しにとでかけました。満月に近い美しい月からの光が、辺り一面を、包み込んでいました。もうかなり育ってきた稲は、月の光を受けて、黄金色に波打ち、月の光は、その黄金の波の彼方、遠くの家々までも、くっきりと、照らし出しておりました。佐助さんは、いつものように、油断なく、辺りを見回しながら畦道(あぜみち)を歩いておりました。その時でした。遠くの小屋陰へ、なにやら、犬のような黒い陰が、駆け込んだのに気付きました。「すわ。(※)」と思った佐助さんは、持っていた棒を腰に挿し直すと、何食わぬ顔をして、その小屋に近付いていきました。するとその小屋の陰から、一人の女性が現れ、佐助さんの方に歩いてまいります。月明かりの下で見る女性は年の頃は二十歳台半ば、とてもすらりとして、美しく、気品があります。着ている衣服も、上物で、そこらあたりにいる、お百姓さんのお嫁さんとは、とても思えない物を身に着けております。「絶対に(狐に)違いない」と確信した佐助さんでしたが、念のためにと、女の陰を見てみますと、お尻の辺りには、くっきりと尻尾が映っておりました。勇み立った佐助さんは、そっと棒の先を握り締めながら、何食わぬ顔をして、その女に、近付いていきました。するとその時、女が、一間半くらい〔約3メートル〕離れた所に立ち止まって、声を掛けてまいりました。

次回に続く

(※)「すわ」:人が驚いた時などに発する言葉である(「すわ一大事」など)。「すは」とも書き、「それ(=す)は」の意味であるとされる。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)