No.106 赤は赤でも誰が見ても見ている赤に変わりはないのか?

この話しはフィクションで、実際の人物、事件とは関係ありません

 

その1

「千佳どうだった?うまくいった?・・・それにしては、浮かない顔しているわねー」 千佳は私の学生時代、同じアパートの、隣の部屋に住んでいた、友人です。その彼女が、今からもう20年以上も前の話ですが、入学以来 密かに慕っていた先輩の木村君と、念願かなって、初デートをした時のお話です。木村君、とてもハンサムで、その上、背が高く、バランスの取れた体格をしており、それだけで女性が憧れる要素は十分備えておりました。しかし木村君の場合、更に、お金持ちのボンボンだとかで、お洒落で、非常に洗練された服装をいつもしており、立ち居振る舞いも、言葉つきもとても優雅でしたから、女性たちが放っておくはずがありません。
キャンパス内にあっても、彼の周りには、いつも4,5人の女子学生が、彼の周りには纏(まと)わりついていて、にぎやかに騒いでおりました。
彼、大変なドン・ファンだとかで、当時既に、数人の女の存在が噂されていましたが、それにもかかわらず、そんな彼に憧れ、彼となら一度でいいからデートしてみたいとか、彼に口説かれるのなら、もうどうされてもいいわと、思っている女子学生が、キャンパス内にも、わんさかおりました。
そんな彼からデートを申し込まれ、当時の若者のあこがれの的の車,BMWに乗ってデートしてきたのですから、もっと喜んでいてもいい筈と思ったのですが、案に相違して、彼女の反応はいま一つです。
「ねーねー、どうだったの。もう彼に振られたの」
「ウーンウ、そんな事ないよ」
「それじゃどうしてそんなに浮かない顔しているの?」
「それがさー、どうも彼とは 合わないみたい。この次 会うの、どうしようかなー、止めようかと思っているの」
「エーッ、そんなー。勿体ない。彼、良い所のボンボンで、話しは面白い。優しいし、趣味だって良いというので、女の子達の憧れの的よ。そんな事言っているのが分かったら、他の子達から、総スカンくらわされてしまうかも」
「みた目はね。でもデートして見ると 貴女だって、多分そう言うだろうと思うけど、どうも違うのよねー、つまんないの」
「贅沢言ってるんじゃないわよ。他の女の子達にとっては、逆立ちしたって、デートなんかしてもらえっこないというような、人だというのに。一体何があったの?」
「何がと言われてもねー。これと言った、はっきりした、何かがあるわけじゃないのよ。でも一緒にいるうちに、だんだんワクワク感もドキドキ感もなくなってしまったのよねー。それどころか、そのうち、二人でいるのが、気詰まりになってしまって」
「フーンそれじゃチョット駄目かもね」
「所で何処まで行ってきたの」
「それがさー、なんと伊豆半島の土肥の方まで行ってきたの」
「へー。例のあの赤いBMWで。で、どうだった、あの車の乗り心地は」
「悪くはなかったわよ。でも私、車の趣味ないから」
「フーン。それで 何してきたの?そんな遠くまで行って」
「何も。ただドライブしていただけ」
「でも食事くらいは ご馳走してくれたでしょ。あちらの方は、お魚が美味しい所だけれど、おすし位 食べさせてくれなかったの?」
「ノー、ノー、全然、。車を乗り回したあげく、お茶して、ラーメン食べてきただけ。何でも 有名なラーメン屋だとかと 彼、自慢そうに言っていたけど、脂 ギトギト、チャーシューどっさり、私にはどうもね」
「フーン、それじゃーねー。あんたも安くみられたものねー。一体全体、貴女の事、何だと思っているのかしら」
「ただのミーハーとしか、思ってないんじゃないの。多分、直ぐにセックスさせてくれる、自分に都合の良い女の一人くらいにしか思っていなかったのよ」
「まさかー」
「本当よ。彼と話していて分かったのだけど、大体あいつの頭の中は 車と女のことしか興味ないみたい。今日だって、うまくいったら、物にしてやろうとしている下心が、透け透け。キモイのよ」
「へー、じゃー危なかったんじゃないの。よく襲われなかったもんだわねー」
「いくらなんでも、そこまではしないわよ。彼、結構、いい格好し-だもの。そんな事をして、自分の評判に傷が付くような事は、絶対にしないわ。隙あらば、ホテルへ連れ込んでやろうとする下心は透け透けだったけどね。彼、同意の上と言う、言い訳ができるようにしてしか、そう言う事はしない男よ」
「今までそれで女の子達を泣かしてきたのかしら」
「そうだと思うわ。何しろムードの持っていき方がうまいもの」
「あの低音で話しながら、何かの拍子に、身体にそっと触れてくるのよ。背筋だとか首に。彼、女の弱い場所をよく知っているのよねー。長い事車に乗って揺られていると、女って、それだけで、結構おかしな気分になるのに、そこであの眼でじっとみつめられながら 甘い言葉を囁かれ、あちこちタッチされると、大抵の女なら、催眠術に掛かったようなもの。ボーっとなってしまって、コロッと言いなりになってしまうとうと思うわ。私だって、一時、理性を失いそうだったもの」
「フーン、うまいんだ、でもあんたよく踏み止まれたわねー」

 

その2

「私達ねー、途中で喫茶店に入ったの。そこ、海の上に突き出しているような場所に建つている喫茶店で、夕日がとても綺麗だったわ。赤い夕日が、西の海の彼方に沈んでいくのを眺めていると、懐かしいような、悲しいような、寂しいような、何かに祈りたくなるような、言葉で言い表しようのないような不思議な感情がこみ上げてきて、泣きたくなるような気がしたわ。所が彼、その夕日見てなんといったと思う」
「何、なんて言ったの」
「夕日を見ながら、ぼんやりロマンチックな感傷に浸っていた私の肩を抱き寄せながら、耳元に息を吹きかけながら囁いたのよ。
『素晴らしいでしょう、この赤い夕日。とても情熱的な赤だと思わない。この夕日を、貴女に差し上げたいと思ったから、此処まできたんだよ。これが貴女への今宵の私のプレゼント。この煮えたぎっている、真っ赤な太陽のような私の情熱を、今夜はしっかり受けとめてほしいと願っているんだけど。良い?』と。
始めは何を言ったのか意味が分からなかったわ。耳の穴に熱い息を吹きかけられたので、ゾクッときてしまって。だからポカンとした顔で彼の顔を見つめながら、思わずコクッとうなずいてしまったの。そしたらOKと彼、思ったのね。肩をしっかり抱き寄せて、首筋にキスしながら、擦れ声で囁(ささや)いたの。
『可愛いー。食べてしまいたいくらいだ。今夜は眠らせないからね。一緒に燃えようね』と。
此処までいわれれば、私だってピンと来たわよ。そしてハット冷静に戻ったの。だから、慌てて彼の腕の中から逃れると、『
御免、駄目なの。今夜は父が下宿に来る事になっていて、あまり遅くなると叱られるから。ごめんね。今日はもう帰らせて』と言ったわ。そしたら彼、チョット不機嫌そうな顔をして、そのまま黙って、お勘定をすませると、さっさと一人で車の所まで行ってしまったのよ」
「そう、そんなことがあったの。で」
「帰りの車の中は 気まずかったわ。行き、あれほどはしゃいで饒舌(じょうぜつ)だった彼が、殆(ほとん)ど口を利いてくれないの。私が無理に話題を作って持って言っても、それに短い返事が返ってくるだけ。あてが外れて怒っているのがありあり。多分彼の魂胆(こんたん)では、こうして冷たくすれば、今までの女の子達のように、私の方から折れて、許してくると思ったんだと思う。だって帰り道、モーテルの所にくると、わざわざ徐行して、私の顔をみて、目で促(うなが)しているような感じだったもの。でも私は知らん顔をしていたわ。結局、これで良かったのよ。彼の性格とか、魂胆も良く分かったから。人間、外見だけでは、分からないものねー」

 

その3

夕日の赤を見て燃え滾(たぎ)るような情熱、目くるめくような歓喜しか感じない人って、どういう性格をしているのだろう。私達の見、そして感じている夕日の赤と言うのは、単なる真っ赤ではありません。ピンクも橙色も紫も含んだ、もっと複雑な赤です。だから、それを見た時、涙が出るほど懐かしく感じたり、素晴らしい絵画の世界に入り込んだようなロマンチックな感傷に浸ったり、今日一日の無事を喜び、感謝するといった敬虔な気持ちになったりするのが普通だと思うのです。
それを情熱と歓喜をあらわす、真っ赤しか感じないなんて、この男は、なんという人なのだろう。きっとセックスの事しか頭にない雄犬、ロマンのかけらもないような、無粋な即物主義者だから、そのようにしか見えないのだわと、その時は二人で、その男性のことを、軽蔑しました。
所が最近新聞をみていましたら〔日経新聞:明日への話題欄:脳研究者池谷祐二の随筆より抜粋〕米デューク大学,松波宏明氏等の研究によりますと、こういった 光を感じる網膜や、味を感じる味蕾(みらい),そして臭いを感じる嗅覚アンテナなどの感覚器官を司る遺伝子には、ある感覚に対応する遺伝子でも、血液型において違いがみられるように{例えばA型の赤血球でも、その中にはRh+もあれば-もあり、またFy(a)の+、-、Fy(b)の+、-もあります}、その感じ方が、多少異なるタイプの遺伝子を持った 幾組かの集団があると言うのです。
例えばある特定のOR74Dと言うコードネームの遺伝子をもった人々は、アンドロステノンの臭いを不快に感じ、別のタイプのOR74Dという遺伝子を持った人のグループでは、良い香に感じるのだと言います。
これを「遺伝多型」というのだそうですが、それから考えると、自分が美味しいと感じた味が、他の人にも同じように美味しいと感じているとは限らないということです。
自分が美しいと感動している景色だとか、絵画についても、他の人も同じように見、同じ感動を味わっているとは限らないということを意味します。

 

その4

考えてみれば私達は、味や臭いについては、人によって感じ方に違いがある事は、以前から経験的に、漠然とは知っておりました。
現にこの文章をお読みの皆さん方の中にも、人が美味しいと言うもの、必ずしも美味しいと感じなかったり、人が嫌な臭いと避ける様な臭いに、惹かれる自分を感じたりした、経験を持たれた方もいらっしゃるのではないかと思います。
そしてそんな場合、「味音痴ではないかしら」とか「私、こういった味に対する,経験がないから〔教育されていなから〕、分からないのかもしれない」とか「こんな臭いに惹(ひ)かれるというのは、自分は少し変態なのかしら」などと思いながらも、あまり深く考える事もせずに、日々を過ごしてこられたのではないでしょうか。
しかし色についての感じ方にも、違いがある事などは、これまで、あまり考えた事がなかったように思います。私達は,赤は、誰もが同じ赤を見て感じ、黄色は同じ黄色を見て感じているとばかり思っていたように思います。
若かった頃、私と千佳は、夕日の赤をみて、真っ赤、情熱と歓喜の赤しか感じなかった、木村君〔千佳のデートの相手〕の事を、「助平な考えしか持っていないから、そんな風にしか感じないのだわ」と、軽蔑しました。しかし、最近のこのような研究結果から考えますに、もしかしたら、本当に彼には、夕日の赤は、情熱的な真っ赤にしか感じられなかったのかも知れません。今では確かめようもありませんが、もしそうであったとしますと、彼の事をひどい誤解をしていた部分があったかもしれません。
私達はとかく、自分の感じている感覚は、絶対で、他人も全く同じように感じていると考えがちです。しかしこれらの事は、五感の感じ方も,ひいては、それらの感覚情報を基にしての考え方も、個々別々で、必ずしも一致していないのが普通だという事を意味します。このような多様性こそが、(ロボットやクローンではなく)地球上の生物である、人間の人間たる所以だというわけです。
私達は、味の感じ方や、臭いの感じ方、絵画や、景色の見え方、感じ方が、多くの人と違うからと言って、卑下する必要はありません。
自分が間違っているのではないかと思い、慌てて、他の多くの人に合わせるように、自分の感じ方や考え方を、修正していく必要もありません。
なぜなら、多くの人が感じる感じ方が正しく、それ以外の感じ方が間違っていると言うわけではありませんから。(生きていく術として、同調したような振りをしていなければならない事はあるかもしれませんが)
それぞれの感じ方は、それ自身、その人の個性にすぎません。少数かもしれませんが、それでも、その感じかたに、真実同調できるタイプの遺伝子を持った人は、他にも、何処かに、必ずいらっしゃるはずです〔遺伝多型〕。
私達はこのような多様性社会の中に生きている事を自覚し、夫々(それぞれ)の違いは、違いとして認め合いながら、生きていくのが大切なんだろうなと、思う今日この頃です。