No.67 芸術的に価値ある作品とは

このお話はフィクションです最近ある作家の作品を紹介したお客様より「この作家の作品は好きだけれども、商業主義にのっとったような、この作家のこの種の作品は好まない」といったようなお便りをいただきました。確かに流行作家になりますと、コマーシャルベースに乗って描かされたであろうと思われる、いかにも売り絵そうろうといった作品が混じってまいります。
画商にとっては、こうした流行作家の作品は、全て小切手か札束みたいに見えるものですから、一枚でも多くの作品を作家に描いてもらい、取り扱わせて欲しいと思って日参し懇請します。作家のほうはと申しますと、お金、ひいては物質的な豊かさといった世俗的な誘惑には抗しがたく、また画商とのこれまでの付き合いもありますから、限界を超えて依頼を受けてしまうということになります。そうなりますと当然、こうした作品の一枚一枚全てに、魂をこめて描くというようなことは出来るはずもありません。従って そこに自ずから、いわゆるパン絵といった類の作品が混じってくることになりますが、考えてみれば、これは当然の帰結かもしれません。

私が今回、お客様に紹介しました作品に対して、お客様がそのような臭いを嗅ぎとられ、嫌悪されたとしますと、それはそれで立派な見識だと思います。ところで世の中面白いもので、ある人が、ある作家のある作品に、芸術的価値を認めなかったとしましても、同じ作品に、芸術的価値を認め、感動する人もいらっしゃるのです。かならずしもその認める人が、絵画に対して無知でないにもかかわらずです。ちょうど一つの文学作品について、毀誉褒貶があるのと同じように。
どうしてそういうことが起こるのでしょう。それを考えるについてまず、良い作品、芸術的に価値のある作品というのはどのような作品のことを指すのかを考えてみました。
絵画と申しましても、最近のコンテンポラリーアートにまで対象を広げてしまいますと話が複雑になりますので、今回は具象絵画から、具体的な対象をもとに生み出された抽象絵画(初期のモンドリアンやカンディンスキーなど)程度までの範囲で考えてみたいと思います。
まず芸術としての絵画とは何かということを考えてみますと、作家の創作的インスピレーションを三次元に存在する具体的な事物の表現をとおして二次元の世界に表現してくることだとおもうのです。この場合インスピレーションの媒体となる対象物や表現されてくる物の内容、表現の方法(技法やどのように表現するか)などによっていろいろな絵画が生まれてまいります。

創作の根源となった対象や表現されているものの内容によって分けてみますと、神話の世界(神話画)、宗教画、歴史画、風俗画、人物画(裸婦、自画像、肖像画など)、風景画、静物画、動物画などがあります。
また表現の方法によって分類してみますと、技法と、どのように表現してくるかという点とありますが、技法としましてはイコン、フレスコ画、油絵、テンペラ画、版画、日本画(膠彩画)、墨絵水彩画、木炭画、ペン画などがあります。
どのように表現してくるかという点で分けて見ますと、対象を擬似三次元として表現する、すなわち実際に三次元の世界に存在するものに似せて二次元の画面に表現してくるもの、これにはロココ、バロック、古典派や新古典派、ロマン派の絵画、写実的に描かれた絵画(美術史で言う写実派と言うものも含めて)、精密画などがあります。いっぽう単なる対象の画面上での再現から離れて、絵画独自の空間や作者特有の世界を二次元の世界に構築し表現しようとするものに印象派、野獣派、点描画、ナビ派、象徴主義、構成主義、表現主義、キュビズム、ダダ、シュール、具体的な対象物があってそこから創作された抽象画、などがあります。
これはまた何を表現しようとするかということを重視するものと、どう表現するかということを重視するものにも分けることも出来ます。
さて絵画がアートであるためには上記の表現方法のどれであれ、それを通して画かれた作品の中に、独自性、創造性、時代性があるかどうか、また何を画こうとしているか、どう画こうとしているかといった、創作についての新たな意図が読み取れるかどうかにあると思います。
画家といっても所詮は人間、一作ごとに全く新しい表現方法や物の捉えかたが生み出されるはずもありません。そこで自分でも納得がいき、世間の評判もいい表現方法や物の捉え方が見つかりますとどうしてもそれに囚われ、同じような描き方で似たような対象を描くということになりがちです。しかしこのような場合、その作品がアートであるためには 表現しようとしているもの対象物、表現の方法、対象の捉え方といった事柄のどこかで 何らかの新たな工夫や感動、意図、創造性などのどれかが感じられるべきものであると思います。

ここでもう一度 話を元に戻して考えてみますと、一つの作品の中にそのようなものを感じ、その作品に価値を認めることができるかどうかは 観る人の側の感性や知識によっても違ってまいります。そのため 同一作家の同一作品についてでも評価が分かれてくる場合がでてまいります。従って作品について正しい評価を下せるようになるためには、たくさんの良い作品を観て感性を養うとともに、美術についての知識を身につけるだけではなく、その国々の歴史や文学、音楽もといったように幅広い教養を身につけていくことが必要なのではないかと思っています。そういう意味から考えてみますと 本当の美術商になる道の遠さ、険しさに、気の遠くなるような思いです。しかしまた、それは新たな発見につながる喜びでもあると思って頑張っていくつもりです。これからもよろしくお願いします。