No.56 複合汚染と育てられた妖怪パクリンチョ

最近の社会情勢を見ておりますと、日本が今後何処の方向に流れて行こうとしているのか不安に感じませんか。親は子を殺し、子又親を殺します。親は不倫に走り、子は自分の勝手でしょと嘯き(うそぶき)非行に走ります。夫婦も家庭もバラバラ、政治家は己の利益に汲々とし、官僚又自己の保身に走り、省益ありて、国益無しといったありさまです。
会社の経営者の中には、哲学も道義心も無く、利益の為には平気で消費者を欺き、会社を倒産させて、多くの従業員を路頭に迷わせても平然としている人もいらっしゃいます。市井の人々も又己の立場をわきまえず、裁判官が児童買春で捕まり、校長先生が万引きで引っ張られると言った、その立場にある人が絶対にしてはならない事がニュースとなって賑わせております。街に氾濫するコマーシャリズムは、欲望を無限に刺激し続け、テレビの報道はその影響力の強さに対する自覚も無いままに、昔の見世物小屋のように、珍しい物、面白い事だけを追いかけ、世論をミスリードし続けます。

このような社会に生まれ育つ子供達が、まともに育っていく事の、どれくらい大変な事かは言うまでもありません。単に 一家庭だけでは、どうしようも無いような、複合精神環境汚染のなかにあります。こちらを直せばあちら、あちらを正せばこちらと言う風に、まさしく何処から手をつけたらがいいのか、解ら無いような状態です。とは申しましましても、だからと言って親が拱手傍観(きょうしゅぼうかん:手をこまねいて何もしないで見ていること)していればますます悪くなっていくしかありません。せめて親くらいは 今まで生きてきた知識と経験を生かして、身を挺して精神的環境汚染から子供を守り、人間としての生き方への指針を与えてやろうとする必要があります。
所が親達もまたこの消費社会に流され、克己心を失い、欲望の渦の中に巻き込まれて、アップアップしているのが現状です。この為 ごくごく普通の家庭で、ある日突然、新聞の三面記事を賑す様な悲劇が起ってまいっております。この童話も 日本の何処にでもあるような平凡な家庭に、いつのまにか育っていった、妖怪パクリンチョのおはなしです。
小さな街のごく普通の家に、かわいい女の子が生まれましたと。おうちはお金持ちとは言えませんが、それほど貧しくも無く、母方の実家の援助もあり 両親、お爺さん、お婆さん、そして叔母さんの愛を一身に受けとても幸せでした。所が、国鉄に長く勤めていたお爺さんが退職後まもなく 病気で亡くなった頃から、それはその女の子が5歳になった時のことですが、そのころから、幸せな一家に不幸の影が射してまいりました。あれほど優しくおとなしく、理想的なマイホームパパと思われていた父親が、次第に遅く帰ったり、時々外泊したりするようになってきました。
中でも夫婦の仲を決定づけたのは、その女の子が風邪で熱があって寝ていた時のことです。「お医者さんに連れていって」と母親が頼んでいるにもかかわらず、その願いを振り切って スキーに出かけしまいました(後の調べで愛人と同行したこと判明)。前から夫の事を疑っていた母親は、此れで完全に夫婦仲の見切りをつけ、私立探偵を雇い、夫の身辺調査に乗り出しました。結果愛人がいる事を突きとめた母親は、弁護士を雇い、夫が次の再婚が不可能になるほどの養育費と慰謝料をせしめて離婚してしまいました。
さてこうなりますと、母親も、母親の妹である叔母さんも、おばあちゃんも其の女の子が不憫でたまりません。そのためにどうしても甘くなります。その子が欲しがった時、自分達が欲しくても与えてもらえなかった 自分の幼かった時代(まだ戦後間もない頃で、物の乏しい時代)の悲しい思い出を引き合いにして、可哀想だからと何でも与えてしまいます。食べ物なども、美味しいもの等は、まずその子に食べさせます。皆で分けた時でも、其の子が先に食べてしまい、未だ欲しいというと、大人達は自分の食べる分から子供に分け与えてしまっていましたと。
そんな事をしているうちに、その子はおいしいものの時は、大人達の分を貰って食べるのが当たり前になっていってしまいました。でも小さい女の子が、嬉しそうにパックリ、パックリと食べる姿はとても愛らしく、大人達は其の姿を見るだけで満足で、自分の分を進んで与えていました。中でも叔母さんは この人は恋人はいたのですが、事情があってその人と結婚出来ず、母親(女の子の祖母)と同居していたのですが、とてもその女の子を可愛がり、洋服だとか、玩具、文房具等などねだられると何でも買ってやっていました。おばあちゃんはおばあちゃんで、ピアノが欲しいといえばピアノを、自転車が欲しいといえば自転車をといった具合に、そのうちの経済状態からは不釣合いと思われるような物まで、年金を節約して買い与えていましたと。
こうして我侭いっぱいに育てられてきたその子が、中学に上がった時の事でした。中学に行くようになったのだから、自分一人の勉強部屋が欲しいと言い出したのです。おばあちゃんの夫が僅かの退職金で建てた家の事、それほど部屋数とて或る筈も無く、おばちゃんと離婚してきた母親とが一部屋ずつ取っている現状では、後は3畳ほどの納戸と、おばあちゃんが寝る部屋兼皆の居間にしている所とダイニングキッチンくらいしかありません。おばあちゃんは、「3畳の部屋ではどう」と聞くのですが、それでは嫌だと言ってききません。おばちゃんの部屋が欲しいというのです。おばちゃんは 子供時代から住んでいたその部屋を 最近洋室に改造したのですが その部屋を欲しいというのです。母親もおばあちゃんもさすがにそれに対しては、「駄目」「そんな事を言うのはおばちゃんに出て行けと言うような物よ」といって諌める(いさめる)のですが、今まで何でも思う通りにしてもらっていた女の子は、なかなか聞き入れません。
勤めから帰って その話を聞いたおばちゃんは、少し悲しそうでしたが それでも「そんなに欲しがるならあげてもいいよ。私は納戸の横に部屋を建て増して、そこに住むから」と言って自分の部屋を譲ってくれたのです。こうして可愛い妖怪パックリンチョは、とうとう叔母ちゃんの部屋まで呑み込んでしまうほどに、大きくなってしまいました。
さてその後も、パクリンはおさまりません。益々大きく、且つ多くなっていきました。その娘さんが高校、大学へと進む様になった時は、彼女の欲望はもう家庭の経済力ではとても対応出来ないほどに大きくなってしまいました。併しこういった我侭一杯、天真爛漫の性格は、見方によってはとてもチャーミングでコケティシュです。その上、当節風の美人で、小顔、色白、スタイルも良いと三拍子そろっていましたから、男性達がほっておきません。いつも贈り物の山です。ショウウインドウの前で足を止めて眺めるだけ、或いは、ただにっこり笑っているだけ、「すごーい。」「そんなー、わるいわ。」「嬉しい。生きていて良かった。」「一生の宝物にさせてもらうわね」などといっているだけで、欲しいものが手にはいるのです。こうしたパクリンが、物に留まっているうちは未だ良いほうでした。
パクリン癖は、成長するにつれやがて人間にまで及んでいったのです。大学生になった頃より、友達の彼氏でも、むしろ友達の彼氏であれば余計にかもしれませんが、いつのまにか彼女のほうを向かせ、掻っ攫って(かっさらって)しまうようになっていました。そうこうしているうちに、ついにはあの可愛がってくれていた、おばちゃんの恋人も奪ってしまったのです。その叔母さんと彼氏は、長い間交際していたのですが、男の方の家が旧家で、親がどうしても許さず、だからといって二人は別れる勇気も無いので、親には内緒の別居結婚の様なかたちをとっていました。教養も地位も、そして30歳台後半の渋さと分別も兼ね備えた、その男の人を どういう手管で誘惑したのか、それとも長すぎた春で、倦怠期が来ていて、男の方から誘ったのか解りませんが、とにかく叔母さん達が気のついた時は 二人はもう深い、深い仲になってしまっていたのです。こうなると叔母さんとしてはもう身を引くより仕方がありませんでした。
彼女はそんな事で姪と争うような事を好まなかったし、また若くて魅力的な彼女にかなうはずも無いと思ったからです。傷心の叔母さんは、それまでのお勤めをやめ、家を出て、黙って遠くへ去って行ってしまいました。母親と祖母もさすがにこれには怒りました。叔母さんの手前もあり、「彼との関係が続いている限り、家の敷居はまたがせないから」と家をおいだしてしまいました。人のものをなんでも呑み込み癖が此れで終わって、治まる所に治まってくれていれば、それでも未だ救いがあります。しかし正式に結婚することもなく数年後には二人は別れてしまいます。まもなく彼女は、こんどはお勤め先の妻子持ちの男性と割り無い仲になってしまったのです。大きな本屋さんの二代目だった相手の男性は、40台前半、もう充分 分別の或る年令になっていたにもかかわらず,自分の子供とあまり年齢の違わないようなその女性に夢中になってしまい、その女性の言うままに、妻とは離婚し、二人の子供とも別れて、彼女と再婚したのです。
家庭まで呑み込んでしまったパクリン癖はその後も変わりません。交際範囲はますます広くなり、高価な品物を欲しがる頻度も増えてまいります。いくらお金持ちの家でも無限にお金がある訳もありません。その上、本の売れ行きが次第に少なくなり始めていた時代とぶつかり、経営はおもわしくなくなってきます。ましてご主人はその女性に振り回され、商売に身が入らないのですから、余計にダメージが大きくなります。やがて経営が次第に苦しくなり、気の弱いご主人は、その心労のためか、その女の人に振り回されて、精魂尽き果ててしまったためか、結婚後10年少しで亡くなってしまったのです。
こうしてお店も、旦那も呑み込んでしまったパクリンチョは借金の返済やら、お店の整理やらで、暫くは おとなしくしていました。この時まで、商売などとは全く無縁であった彼女が、その整理の過程でいろいろの人と知り合いになります。幸いにも亭主の掛けていた生命保険と彼女の周りに集まった人々の助けで、思ったより沢山のお金を手元に残してお店の整理も済まし、彼女は益々美しく、益々魅惑的になって甦ってきました。当時40歳台に入っていた彼女でしたが、その年令とはとても思えないほどに若々しく、滴り落ちるような色気を振りまくようになっていました。
彼女の周りにはますます人が集うようになり、彼女は以前にもまして華やかな生活をするようになっていました。どちらから言い始めたのか、やがて彼女は、お店の整理の過程で親しくなった、少し怪しげな男と組んで、お金持ちを相手にした、絵画の投資組合のような物を始めました。仕組みは簡単で、知り合いのお金持ちからお金を集め、それで共同の絵を買い、それを他にリースして、賃料を取り、又絵が売れたらそこでも利益を出して、配当金を出すというものです。「名画が貴方のものになり、その値上がり益と配当金が楽しめる」というのがキャッチフレーズでした。時はちょうどバブル絶頂期の頃の事、余っている金を何とか有利に運用したいと思っている金持ちは、山ほどいました。当時は物の値段 、中でも絵の値段は狂気のように上がっていった時代の事、紹介、紹介で彼女のところに訪れる人が後を絶ちませんでした。
彼女の魅力的な容貌とそのトークにかかると、男姓だけでなく、女の人も皆 信用してしまい 投資資金を提供してくれます。こうして集めた金額は十数億円、素人の彼女達だけではとても手におえる金額では無くなってきてしまったのです。それでも最初のうちは集めた金から絵を買い、配当を出し、解約を求めるお客さんにはお金を返していたのですが、絵画投資で、短期間に、お客様を確実に満足でさせうるような、そんな高利回りが期待できる品物があるはずも無く、結局蛸足配当という事になり、当然待っているのは、行き詰りでした。その上パクリンチョの彼女のこと、お金が入れば、自分のお金と錯覚してしまい、自分の贅沢にかなりの金額を使いこんでしまったのです。相棒の男はこれに輪を掛けて浪費癖があり、あっという間に資金繰りが苦しくなってしまいました。
このような危なげな商いには、必ずそれを横から掠め取って行こうとする 怪しげな一団がくっついてきだすものです。まして最初から怪しげな人と組んでいた彼女のこと、そのような大金を動かすようになるに連れ、彼を通し、又他の彼女のルートをとおして いろいろな怪しげな人が接触してきました。彼等は、これまでパクリンチョが接してきた人達のように、女の色気に弱い人ばかりではありません。むしろ女を利用し、女からむしりとってお金を儲けてきた人たちでした。彼等は彼女の弱みに付け込み、お金を掠め取ろうとして群がってきたのです。彼女より一枚上手の彼等に掛かれば、素人同然の彼女たちなどは赤子のようなものです。煽てられたり、騙されたり、脅されたりといった彼等の手管にかかり、他から呑み込んできたものを、彼女自身も含めて呑み込まれる側となってしまいました。以降の彼女は、鵜飼の鵜のように、こういった男達の分まで、お金を取り込んでこなければならなくなってしまいました。
このため彼女は前以上に、いろいろな人に声を掛け、見境無くお金を集めました。しかしその結果は、世間的に恐ろしがられているような、怖いお兄さん達男達も引き寄せてきてしまったのです。彼等は騙されたままで、黙って引っ込んでいるような人々ではありません。彼等はそれに倍した金集めを要求してきます。こうした悪循環によって、他人からのお金を呑み込んで、一杯、一杯に膨れ上がった妖怪パクリンチョは、ある日とうとう騙した男の一人によって、海の底深くに沈められてしまいましたと。膨れに膨れたパクリンチョのお腹は、呑み込んだと思った男の、中からの一刺しによって、パチンと弾けてしまったというわけです。悲しい結末でした。やはり我慢する事と、分を弁え(わきまえ)、足るを知るということを、身につけさせておくべきだったのでしょうね。
註:この話はフィクションで、童話です。一部ヒントをいただいている所があるかもしれませんが、実在の人物とは関係ありません。この種の怪しげな投資話は、絵画に限らず、株とか、金とか、石油、健康食品、化粧品といったいろいろな商品を使った、いろいろな手口で、手を変え、品を変え 巧妙に貴方を狙っています。うまい話にはくれぐれも御用心 御用心。