バレンタインの季節が近づくと、百貨店にもスーパーにも臨時のチョコレート売り場が設けられ、女の子達がそれに群がりチョコレートを買い求めている姿は、日本中の男性が甘党、特にチョコレート党に衣更えさせられたかの錯覚に陥りそうです。
女の子達はチョコレート売り場に群がり、義理チョコを買い求めながら、頭の中では ちゃっかりとホワイトデ-のお返しの計算をしています。これをお読みの皆さんがたの中に義理チョコを貰った人いませんか。もしも義理チョコを貰ったに過ぎないのに、本命チョコを貰ったとうぬぼれていたり、普段自分がお世話しているから当然と思って、ホワイトデーに何のお返しも品も考えていないという人はいないでしょうね。そんな人はお茶汲み場で女子職員からメチャクチャに陰口をたたかれていると覚悟した方がいいですよ。
女の子は男性の皆さんが考えていらっしゃるより、ずっと現実的で即物的ですからね。
さて話は元に戻りますが、バレンタインのチョコレートにしても、ホワイトデーのお返し、お中元、お歳暮にしても、元来は感謝だとか恋情といった個人的な感情を相手に伝える為の一手段であった物が、いつのまにか形式的、且つ儀礼的な社交の手段の一つと変形してしまってきています。こうなってきますと送る方はどうしても機械的、習慣的になりがちです。受け取る方の思惑や事情などおかまいなく、まして贈り物に気持ちを込めるという肝心な事を忘れ、ともかく送ったという形を整えさえすれば事たれりとしてしまいがちです。
私もお中元やお歳暮を贈る時こんな風に機械的、儀礼的に贈っていた時代もありました。
所がある時のことです。いつものように暮れのご挨拶の品を贈り終わった時のことでした。或るお世話になっている画廊の社長さんとお話していました時「貰っておいてこんなことを言うのも何ですが、お歳暮とか、お中元というのは、その送り主のセンスが伺われますよね。きちんとしたところはやはり気のきいたものをおくってくださるし、いいかげんな所は贈って下さるものにも気遣いというものが感じられないですよね」
「同じお金をお使いになるなら、きちんと気遣いをして贈られるべきですよ。そうしなければ、折角のお金が、死に金になってしまいますのに」「忠臣蔵にしても、浅野様がもう少し気のきいたご挨拶の品を持っていっていたらあんな事は起こらなかったのではないでしょうかね。あれは金額の問題というより、持っていった品のセンスの問題ではなかったかと思いますよ」とおっしゃったのです。
そう言われて考えてみますと、確かにきちんとした所は、このような儀礼的な贈り物にまでしっかり気を遣っていらっしゃいます。銀座の○○のお菓子とか、京都のどこそこの料亭の佃煮とかといった風に貰った方がはっとするような気のきいたものめずらしい物を贈ってきてくださっています。
なるほど伸びていく所は、このような事にいたるまできちんと気を遣っていらっしゃるのだなと、本当にいい勉強をさせていだだきました。