No.157 お墓の中まで その4

このお話はフィクションです似たような,名前、事柄が出てきましても、偶然の一致で、実在の人物、実際の事件とは全く関係ありません。又、実在の地名が出てきましも、フィクションの中の一場面として利用しているだけで、実在の土地、人物、家名とは無関係です。

 

その11

早いもので、久美が、母方の祖母の家に預けられてから、もう10年余の年月が流れました。
数年後には、戻ってこられるはずだった、(久美の)両親でしたが、日本を巡る、国際情勢の緊迫化が、それを許しませんでした。
結局、この10年余の間、一度も帰って来ませんでした。
それどころか、この数年間は、便りすら殆ど届かなくなっておりました。
久美も、今ではもう、高等女学校(旧制)の4年生です。
彼女の境遇は、祖母の下に預けられたあの日を境に、すっかり変わってしまいました。
それまで自由で、個人を尊重する新しい家風の中で、のびのびと育てられてきた久美が、儀礼だとか、形式・家格等と言った古いしきたりを大切にする窮屈な世界に放りこまれたのです。
それも、たった一人で。
しかも、そこには、もう、厳しい世間の風から守ってくれる両親の庇護はありませんでした。
その日以降、彼女を待っていたのは、未だ巣立ちも終わっていない雛鳥のうちから、右を向いても、左をみても、気心も分からない見知らぬ人達ばかりに囲まれての日々でした。
それは、幼かった久美にとっては、傍で考えている以上に、気疲れのする大変な日々でした。
何しろ、それまでは、彼女の事を真っ先に考えてくれる両親がいて、世界は何事も、彼女を中心に回っていました。
ところが、それが突然、180度転換して、彼女に、気を遣ってくれる人なんか殆どいない環境、それどころが、幼いながらも、周りの人の気持ちを察し、気配りをしながら、動かなければならない世界へと放り込まれたのです。
その生活に慣れるのはとても大変でしたし、慣れるまでに時間も必要でした。
そうはいっても、祖母は、可愛い娘の子供、血の繋がっている孫である久美を、それなりに可愛がってはくれました。
しかし、それはあくまで、彼女の考えと、彼女なりのやり方にもとづいてでしかありませんでした。
知らない家に来て、さぞ心細いだろうと言うので、夜は、自分の部屋で、枕をならべて寝させ、母を恋しがって泣いている時は、自分の布団に入れて、抱いて寝させてくれました。
寂しい思いをさせないようにと、いつも、自分の傍に座らせ、この街の歴史だとか、酒井田家の由緒、そして、この里につたわる昔話などなどを語ってくれたりもしました。
又、家の中で孤立しがちな彼女を不憫に思い、伯父夫婦や、従兄達から守ってくれただけでなく、時には彼らに内緒で、何か買ってくれたり、お小遣いをくれたりと、特別目をかけてもくれました。
しかし、どんなに祖母が懸命に努力してくれても、祖母には母親の代わりにはなりませんでした。
他人に囲まれて生活している、孫娘の遠慮と窮屈さを察してやる事は出来ませんでしたし、
母親に替わって、滅私、無限の愛情を注いだり、両親のいない久美の、孤独と寂寥(寂寥:寂しいこと)を、埋めたりする事もできませんでした。
既に子育てから長い間離れており、男と並んで実業の世界に生きていた祖母、性格的にも多少男っぽい所のある祖母、儀礼だとか、格式、仕来り(しきたり)といった、古い家の亡霊に絡めとられ、古い時代の躾(しつけ)に拘る(こだわる)祖母には、それは、もともと無理な話でした。
幸いな事は、彼女が酒井田の家に預けられてから、3年目に、彼女を毛嫌いし、何かにつけて邪魔者扱いしたり、辛く当たったりしていた伯母の夫婦が(註:伯母=久美の母の義理の姉に当たる人。彼女と小姑である久美の母とは、始めて顔を合わせた時から、そりが合いませんでした。その為何かとぶつかっていました。彼女、持参金付きの嫁でしたから頭が高く、その上もともとの、我が強く、気の強い性格でしたから、姑である祖母との仲もあまりうまくいっていませんでした)、伯父が、歯科医院を開院する事になったというので、祖母の家を出て行ってくれた事でした。
しかし、それはまた、その頃から、激化していった日中戦争の影響もあって、住み込みの女中たちも、男衆も、一人去り、二人去りと、次第に辞めていきましたから、家事の重みが、久美の両肩にも、将来的には、伸しかかってくる事を意味しました。
あれほど賑やかだった酒井田の家も、もう今日では、住んでいるのは、久美と祖母の二人だけとなってしまいました。
その祖母も最近では、めっきり老け込んで(ふける)しまいました。(註:人生50年と言われていた時代です、50歳代となるともうずいぶんのおばあさんでした)
口煩さ(うるささ)は、相変わらずでずが、昔に比べると随分気弱になりました。
久美が言葉を返しても、以前のように、声を荒げる事もなく、黙ってしまう事の方が多くなりました。
年をとったせいで、足腰も弱まり、それに高血圧という持病も持っていましたから、力仕事や、激しく身体を動かさなければならないような仕事は、最近では出来なくなりました。
この為、日常の仕事、特に身体を動かさなければならない仕事は、久美がしなければならないものが多くなってまいりました。
水汲みのような、肉体労働を伴う家事から、農作業にいたるまで、米が配給制度になると言うので、前年から、田や畑の一部を、小作から返してもらって、田作り、畑作りをするようになっていましたが、その殆どが、久美一人の肩にかかっていました。
(註1:昭和14年ごろになりますと、日中戦争の長期化と国際情勢の緊迫化の影響を受け、物資不足は米、味噌、醤油、砂糖、塩、マッチなどといった生活必需品にも及んでまいりました。この為昭和14年には、米が配給制度となり、農家には米の供出が義務付けられるにいたりました。
この時代、あらゆるものがお金では手に入り難く、お米や麦、豆といった穀類を持って行きさえすれば、そういったものが、容易に手に入るといった、歪んだ経済の仕組みがまかり通る社会となっていました)
(註2:農作業は、最初数年間は、小作の人達に手取り足取りで教えてもらわねばなりませんでした。
又、田起こし、田植え、刈り入れ、収穫などは、人を雇ったり、近所の人との共同作業や、小作人の手を借りたりして対処しました)
農耕のような肉体労働を、それまでした事のなかった久美にとっては、それはとても辛い仕事でした。
手はマメだらけ、顔は日焼けで真っ黒、肌は荒れ、農繁期には、眠りが妨げられるほどの身体の節々の痛みや、腰の痛みがありました、朝になってもまだ疲労が取れず、起きるのが辛いような事も再々(さいさい:たびたび)でした。
しかし、年老いて、身体もお弱っている祖母を、しかも、幼い時から、ずっと面倒を見てくれていた祖母を、ここで放り出すわけにはまいりませんでした。
久美は働き詰めに、働きました。文句も言わず、弱音を吐く事もなく、ただ黙々と働きました。
幼い時は、なんとか祖母に気に入ってもらいたい一心で、祖母の後を追って、手助けをしていました。
しかし、最近では、祖母がすっかり老い込んでしまいましたから、酒井田の家を支える者は自分以外にはいない、自分がこの家を支えなければという気概をもって働くようになっていました。
久美は、朝早くから、夜遅くまで、家事に、農作業にと働き続けました。
泣き言も、不平も言わず、ただ黙々と働きました。
後から考えると、農繁期は、何時勉強していたかしらと思うほどに、一日中、働き続けました。
しかしそれでも、学校の成績は、担任の先生が、女子医専への進学を勧めたほど良好でした。

 

その12

一学期もいよいよ明日で終わり、明後日から夏休みという日の事でした。
学校から帰ってきた久美は、離れ座敷の靴脱ぎ石の上に、男女各一足ずつの見知らぬ靴が並び、開け放たれた、離れ座敷から、にぎやかな談笑の声が流れてくるのに気付きました。
「おばあちゃん、おばあちゃん、ただいま」母屋に回って、入り口から声をかけても、中から返事がありません。
「お客様の所だ」と思った久美は、そのまま自分の部屋に入って、いつものように野良着に着替え始めました。
その時でした。
「久美、久美、帰っているの」ふすま越しの祖母の声
「ウン、今、帰った所。誰かいらっしゃっているの」
「そう。だから、着替えないで、そのままお座敷の方へ顔をだして」
「お客様?どなたがいらっしゃったの?私の知っている人?」
「知っているなんていうどころじゃない、お前が長い事、待っていた人だよ」
「・・・・?」一瞬、久美は戸惑いました。
しかし、お客様が誰であるかは、久美にはすぐに分かったようで、顔がぱっと明るくなりました。
「お母ちゃん?本当?本当に帰ってきたの?」と自然に声が弾みます。
「ああ、そうだよ。先ほどから、お前の帰りをお待ちかねだよ」という祖母。
その言葉も終わらないうちに、久美は、お座敷に向かって飛び出していきました。
勢いよくお座敷の前まで来たものの、お座敷に座っている二人の横顔を見た瞬間、久美は、座敷に飛び込むのを躊躇って(ためらって)しまいました。
この近所では見かけた事のない、あまりにもモダンな姿の二人に、久美は気後れしてしまって,気安く話しかけられませんでした。
「お前、そこで何をしているの。早く中にお入り。お父さんお母さんがお待ちかねだよ」先ほどまでの勢いは何処へやら、すんなり入る事が出来ず、座敷の前でもじもじしている久美に、祖母が声をかけます。
「ウン、ちょっとね」と言いながら、なおも、もじもじしている久美に、
「何、お前、照れているのかい。おかしな子だね。早くお入りよ」といいながら、先に上がった祖母が、縁側の上から手をさしだしました。
「お帰りなさいませ」座敷の前に座って、丁寧にお辞儀をする久美に、
「久美、久美ちゃんだね。大きくなって。どうしたのよ、そんな所に座ったまま、畏まって(かしこまって)。お母ちゃんを忘れちゃったの。お母ちゃん。お母ちゃんだよ」と女性が声をかけてきました。しかしその上品で、華やかな姿に、久美は真直ぐに見る事さえできません。その女性はたまりかねたように立ち上がると、俯いたまま(うつむく)固まってしまっている久美の肩を抱きかかえ、「久美ちゃん、お母ちゃんだよ、お母ちゃん。お母ちゃんを分かってくれないの」と久美の肩を揺すりながら呼びかけました。その声は涙でうるみ、語尾がかすかに震えます。
その女性に抱かれた瞬間、久美は、はっきりと母を感じました。そこにはあの幼かった日に優しく抱いてくれた、母の腕の感触がありました。そしておぼろに記憶していた母の匂いがそこにありました。
「お母ちゃん、お母ちゃん。お母ちゃんだね。遅いじゃないの。直ぐ帰ってくると言ったのに」久美は幼子のように、母親にしがみ付いて泣きじゃくります。
母親の和子の目からも、涙がとめどもなく流れ出、しゃくりあげて、言葉がでません。
父親の哲も、立ち上がると、抱きあっている二人の所にやって来て、その輪に加わりました。
「お父ちゃんの嘘つき。久美、あの時、お父ちゃんから言われた通り、ちゃんとおばあちゃんの言う事を聞いてお利口にしていたのに。伯母ちゃん達とだって仲良くしていたよ。
それなのに、それなのに、どうして、どうして。嘘つき、嘘つき。お父ちゃんの嘘つき」幼子に返ったかのように、久美は泣きじゃくりながら、抱き寄せてくれた父親の背中を叩き続けました。

 

その13

涙が、10年という長い時間が作った親子の間の蟠り(わだかまり)を、一挙に流し去ってくれました。
再び座敷に戻って座った親子の間にはもう、何の蟠りもなくなっていました。
久美はすっかり幼子に戻って、父親の膝の上に腰かけたまま、母親にしなだれかかっています。
「まあまあ、お行儀の悪い。もういつお嫁さんに行ってもおかしくない年だと言うのに」と祖母が嗜めます(たしなめる)。
しかし「久美、長い事頑張ってきたんだから、ちょっとくらい休んでも構わないよね、ねー、お父ちゃん」と言って、久美は聞き入れません。
「良いですよ、お母さん〈祖母の事〉。この子には長い間、寂しい思いをさせてきたのですから、少しくらいは、好きにさせてやってください」
「それにしても長い事、預けっぱなしにして、本当にすみませんでした。
こんなにも大きく、立派な子に育ててもらって、お礼の申しようもありません。本当にありがとうございました」と父親、哲。
「いいえ、いいえ。この子、手のかからない本当に良い子で、小さい頃から良く手伝ってくれて、私の方こそ、助けてもらいました。
最近なんか、久美ちゃんに、助けられっぱなしで。この子に苦労ばかりかけて、申し訳ないと思っているほどです」
「そうなの、本当にそうなの。あの甘えっ子だった久美が。久美、偉いのねー」とやや揶揄(やゆ:からかう)するように和子。
「だから言ったでしょ。久美お利口にしていたって。嘘じゃないから」幼児のように口を尖らせる久美。
「分かった。分かった。よく分かっているよ、あんたのその身体付きと、その手を見れば。ちょっとからかってみただけよ。
大変だったね。ごめんね」と、又涙ぐむ母親、和子。
「去年から、お米も配給になることになったでしょ。だから自分達の食い扶持(くいぶち:食べ物を買うための費用)くらいは自分で作らないと、と思いましてね。
それで小作達に手伝ってもらったり、教わったりしながら、お百姓することにしました。
そのため、この子には、更に余計な苦労を掛ける事になってしまって、本当に申し訳なく思っています。
本当なら、もう、お化粧したり、おしゃれをしたり、お友達と、チャラチャラ遊び歩いたりしたい年頃でしょうに、こんな真っ黒になるまで働かせることになってしまって。
こんな時代でなければ、また、私がまだ昔のように、元気に身体を動かす事が出来ていたら、こんな可哀そうな事にならなくて済んだでしょうに。
思うと、申し訳ないやら、可哀そうやらで、毎日この子に手を合わせているのですよ。
大事な子を預かっておいて、こんな風に、まっ黒な田舎娘にしてしまって、本当に済まない事です」と祖母。
「お母さん、よしてよ。こんな時代だもの、私達夫婦だって、この子だって、そんな事思っていませんよ。むしろこんなに大きくなるまで育ててもらって、こんな健康で、こんな明るい子にしてもらって、それだけでありがたい事だと思っていますわ。ねー、あなた」と和子。
「大丈夫だよ、おばあちゃん。私、何も思ってないから。久美、おばあちゃんが好きだから、少しでも楽をさせてあげなきゃーと思って、やっているだけだもの。それに久美、お百姓仕事嫌いじゃないし」と久美。
「そうだよな。今は、黒くたって、田舎の百姓娘みたいだって構わないよねー。
だって久美ちゃんって、もともとの顔の造りが良い上に、スタイルだって抜群だもの。後、1、2年もしてごらん。すれ違う人が皆、男だって、女だって、振り返らざるを得ないほど素晴らしい女性になっているから」
「まあ、大変。大変。貴方ったら、親馬鹿ぶりを発揮して。でもね、それ本当かもしれないわよ。お母ちゃんなんか、今だってもう、充分貴方、目立っていると思うもの。
貴女、オボコイ〈世間ずれせず、うぶな状態〉から、気付かないだろうけど、今だって、貴女の事を、気にしている男の子、少なからずいると思うわ。
通学途中で、声かけられたり、付文(つけぶみ)されたりしたことなかった?」
「お母ちゃん、それって、心配のし過ぎ。こんな真っ黒けの、田舎者を、意識してくれる奴なんかいるものですか。大丈夫よ」
「そうかねー。お前はまだ気付いていないみたいだけど、他人からみたら、もうお前、充分大人の女になっているよ。くれぐれも気をつけてね」
「そうかしら、でも寛太なんか、まだ私の事、全くガキ扱いだよ。女としてなんかみてくれたことないもん。
あいつ私の事、黒馬クロちゃん、じゃじゃ馬クロちゃんって言うんだよ。癪に障る」と久美はまた、子供のように口を尖らして母親に訴えます。
(註;寛太・・酒井田家の長男の子供。久美の従兄に当たる。現在大阪歯科医専の学生。久美の、子供の時からの、遊び相手であり、喧嘩相手。今も帰省してくるたびに、酒井田の家によって、久美をからかって、久美が怒ってつっかかってくるのを楽しんでいます)
「あら、寛太ちゃん、まだここに遊びに来るの。もう随分立派になられたんじゃないの。間もなく卒業でしょ。学校、どこの学校だったっけ」
「大阪歯科医専。でもね、あいつこそ、ほんとにまだガキンチョだよ。この間なんか、あいつが食べていたお煎餅、横から分捕ってやったら、怒った、怒った。もう子供みたいに怒って、本気で、取り返そうとするのよ。
大の大人が、か弱い女の子捉まえて、そんな事をすると思う。あいつ馬鹿。ほんとの馬鹿」思い出したように、憤然とした口調で言う久美。
「まあ、まあ、どっちもどっちね。それにしてもあんた達、仲が良いのね。
でもね。寛太さんは子供の時からの仲で、お互い意識しないから、そんなことをし合っているけど、他の男達は違うからね。もうあんた、絶対一人前の女として見られるようになっているから、充分気をつけなきゃだめよ」
「ウン、解っているって。第一、変なことして、先生に見つかったら大変、退学になってしまうもの。
久美、おばあちゃんや、お父ちゃん達に恥をかかせるような事は、絶対にしないから、心配しないで。
それにさー、今は、家の仕事が忙しいから、それどころじゃないしね、私」

次回に続く