No.209 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕  (戦国の世を駆け抜けた女) その11

油滴天目の油滴に刻まれた涙痕 その11(戦国の世を駆け抜けた女)

このお話はフィクションです

その11

「あなた、先ほどお父様から、『大切な話があるから、今日から10日後の、水無月の8日、羊の刻に、城の大広間へ、皆に、集まってもらうことになった。
都合がついたら、その時、お前も、信光殿と一緒に来てくれんか。
お前は、会議に出られる訳ではないけど、その会議で決まる事柄は、お前にも無関係ではないから、是非来てほしいんやけど。
久しぶりに康継の顔も見せて欲しいし、都合はどうやろ』と言ってきたんですが、どうしましょう」一家で晩御飯を食べていた時、美貴が切り出しました。
美貴ももう、三十路も半ばを過ぎ、世間一般では、中年と言われている年に入っております。
しかし、にもかかわらず、しっとりとした色気の加わったその美しさは、ますます磨きがかかり、その均整のとれた肢体と、瑞々しく艶やかな白肌は、二十歳代を彷彿させるものがあります。
「そうだな、お義父上も、お年のせいか、最近、めっきりお気が弱くなられたから、康継の顔を、お見せして、元気づけてあげたいとは思うんだけど、最近の領内の緊迫した情勢を思うとどうもなー。
お義父様には、申し訳ないけど、万一を考えると、康継を連れていくのは考えちゃうなー。
ここ2日ほど前から、少し熱っぽくて、機嫌が悪いようだから、それを口実に、今回はお断りしたらと思うのだがどうやろ?」
「そうよねー、じゃー、そうしますわ」
「万一、連れ歩いている途中、何かが起こりでもしようものなら、大事(おおごと)だからなー。
大事な跡継ぎ息子を、照の二の舞にすることだけは、避けなければならんからなー」と信光。
彼等夫婦は「照、照」と可愛がっていた長男の照信を、5歳の時、麻疹(はしか)から来た肺炎によって亡くしております。
その後、しばらくの間、子供が授からず、やっとできたのが、今4歳になるこの康継です。
この子が、今の所たった一人の信光の子供であり、唯一の山岐本家の跡継ぎでもあります。
それだけに何かと心配で、息子の事となりますと、どうしても慎重になってしまう、信光夫婦でした。
「そうよ、お義姉様。大事をとって、(康ちゃんを連れていくの、)今回はおやめになったほうがいいわよ。
私、毎日砦に通っている関係で、解るけど、頼正派の連中の動きには、少々気がかりな所がありますからね」
大殿には申し訳ないけど、又の機会にということにしてもらわれたら」と安乃。
「そうなの、だったら私も、帰るの、止そうかしら。
家の事も、康継の事も心配だから」
「でもお兄ちゃんと二人に、大切なお話がおありになると、おっしゃっているんでしょ。
だったらお義姉さんは、行かないという訳にはいかんのじゃないの」
「そうかしら。でもなんだか気が進まないわ。
実を言うと、私も、変な予感がするの。
大切なお話って何かしら。また例の、貴方が嫌がっていらっしゃる、斎木家の跡継のお話かしら」
「今頃、大切な話での会合と言えば、その話に決まっているだろ。
でもなー、大殿のおっしゃる通りに、もし私が、斎木の跡を継ぐ事になった時、お義兄様一派がそれをすんなり受け入れてくれると思う?
とても、そうは思えんでしょ。
私や、大殿のように、領土の拡張を図るのではなく、極力、戦(いくさ)を避け、今の領民たちの、安泰こそ第一と思っているような、消極的な考えの者を、あの人たちが領主として認めてくれるとは、到底思えんのだわ。
そうなると、これまで内紛が元で滅びていった、多くの家々と、全く同じ轍を(てつ:あやまち)踏むことになると思うんだよ。
だからさー、せっかくのお父さまのお申し出ではあっても、すんなりお受けするわけにはまいらないと思うんだよ、私はね。
そもそも私、出自のせいかもしれんけど、戦というものが大嫌いなんだよ。
戦などというものは、自分の一族と、自分の領地の人たちの安泰と幸せを守るために、已む無く(やむなく)するもんだと、思っているような人間なんだからね。
自分たちの欲望を満たすために、よその領地に攻め込み、そこの領民達を苦しめ、不幸にするなんてことは、したくないと思っとるんだわ。
そんな人間に、どこもかしこも、戦だらけのこの時代の領主が務まると思う?
いくら大殿の推薦があると言ったって、拡張主義に溺れているお義兄様を差し置いて、領主となったとして、あの人たち一派と争う事なく、平穏に、この領地を保っていくことができると思う?
どう考えたって無理な話でしょ。
それなら、最初から、領主になんか、なるべきじゃないと思うんだけど、そう思わない?」
「お兄ちゃんって、昔から人と争うことが、大嫌いだったもんねー。
武芸を習っている時だって、『習うのは、相手を倒すためではない。
相手を怖がらせて、相手に戦いを仕掛けてこさせないようにするためだ』などと、いつもおっしゃっていたくらいだもの。
でもさー、今の時代、それじゃー、通らないんじゃーないの。
今は弱肉強食、強さが正義の時代よ。
領主達は皆、武力によって、自分の我欲を通そうと、懸命になっている時代なのよ。
戦は嫌いだ、残酷だから止めましょうと言ったからといって、だれも言う事を聞いてくれっこないのよ。
そんな事を言っていたら、それに乗じて、相手に屈服させられ、相手の思い通りにされてしまうのが落ちよ
降伏したからとか、領地を譲ってやったからと言って、相手が、悪いと思って、手を緩めてくれるとは限らないのよ。
どんなやつでも、一度覇権を手にしたが最後、それを長く維持するために、後々、自分の行く手に立ち塞がりそうなものは、早い間に潰しておこうとするのが世の常なんですからね。
今回の件だって、仮に領主の座を、頼正殿に譲ったとして、それであやつが、矛(ほこ)を収めて、何もしないでいてくれると思う。
とてもそうは思えないんだけど。
あいつのことだもの、自分の新たに得た力を利用して、何時の日にか、私たち一族を殲滅させようとしかけてくるに決まっているわ」
「そうだろうね。私にも、それが分かっているだけに、困っているんだよ。
そこで前々から考えていたんだが、大殿には申し訳ない事だけど、これを機会に、いっそ侍なんか止めて、百姓になろうかと思うんだが、あんた達どう思う」
「えっ、お百姓に?」
「私、前々から、こういう日が、来るんじゃないかと思っていて、他の用事で、織田殿に拝謁した折、
美濃の国と尾張との国境(くにざかい)にある、長良川沿いの河川敷での、開拓事業の、許可を貰っておいたんだよ。
織田殿には、私の苦衷(くちゅう:苦しい心のうち)をお察し下さって、将来、美濃との間に、戦が起こった折は、私どもの持っている、土木事業でもって、協力するという事を条件に、その河川敷への移住と、その地の開墾の許可をもらっておいたんよ。
そこで約2年ほど前から、我が一族の中から、一番若い叔父きを含む、一部の者達を選んで、先行して、そこに送りこみ、開墾をさせてあるんだわ。
彼らからの報告では、『非常に厳しいけれど、私たちの持つ土木技術をもってすれば、何とかなりそうです』とのことなんだよ。
私ね、自分の代で、我が一族の滅亡する姿なんか、見たくないんだわ。
しかし、安乃のいうように、ここで頼正一派と覇権を争った場合、私の読みでは、上手くいって共倒れ。
挙句、両者とも、沢山の将兵と財力を失った上、この内紛に加勢するという形で介入してきた、何処(いずこ)かの大名によって、この地は乗っ取られてしまうことになるだろうと思うんだ
無論、負けた側には、厳しい結果が待っていて、生き残るのは難しいし、勝った側だって、無事には済まんだろうと思う。
今のこの領地は、この戦いに加勢して勝った、織田か、三木かの、いずれかの大名に盗られてしまい、この戦に功労のあった大名配下の武将に、与えられることになるだろうからね、
だから、その大名に、よほど強い繋がりをもっているか、この戦に、よほど大きな功労を立てたのでなければ、この大名配下の武将の部下となって、彼から、僅かばかりの碌を食む(ろくをはむ:仕官をして給料をもらう事)身分になってしまうんだろうね。
もし仮に、そのまま、この土地に置いてもらう事が出来たとしても、それは、この土地の領主としてではないだろうね。
形としては、多分、その大名の配下である家来の、その部下として、この土地の一部の管理を、任されているに過ぎない形になるんだろうね」
「だって、もともとは、お父様の領地だったものでしょ。
それを単に内紛に加勢してもらったというだけで、その大名が、勝手に人の領地を、自分の家来に与えても良いの?
そんな権利どこにあるのよ」と美貴
「仕方がないさ。
大名に加勢を頼んだと言う事は、その時点で、その大名の配下についたということになるんだからね」
「そんなの嫌。絶対に駄目」
「でもね、考えても御覧。
信光派と頼正派のどちらかが、この戦いに勝ち残ったとしても、勝った側だって、絶大な損害を蒙っているんだよ。
そんな弱った軍事力で、この内紛に介入してきた大名の、絶大な軍事力に対抗出来ると思う?
出来っこないでしょ。
だったら、彼等の言う通りになるより他に、生きる道はないんじゃないの。
たとえそれが、不条理ではあっても、それが内紛を起こして、より大きな力を頼ったものが、背負わなければならない宿命なんだよ。
だから、それを受け入れるより仕方がないんだよ」
「だったら、なんとか内紛が起こるのを、防がなきゃー。
止めるにはどうしたら良いの」と美貴
「大殿が、三木を後ろ盾にする頼正殿に跡目をお譲りになり、私が身を引けば、さしあたっての内紛は防ぐ事が出来るだろうね」
「それしかないの?」
「そうじゃないかな、さしあたっての内紛を防ごうとすればな」
「じゃー、その時の、私たち山岐一族の処遇はどうなるの」
「だんだん力を削がれていった末、君側の奸(くんそくのかん:偉い人の傍にあって、悪い事に引っ張りこもうとする、いけない家来)を取り除くという名目のもと、真っ先に、私の命を狙ってくるだろうね。
無論、山岐一族も、このまま無事では済ませてくれんだろうね。
私の命を奪った後、一族の中を攪乱し(かくらん)、その混乱に乗じて、一族の殲滅か、この金襴の谷からの、放逐(ほうちく:追放)を図ってくるに違いないと思うわ」
「お父様は大丈夫なの」
「最初のうちは、大殿派の武将達もいるから、無碍には(むげ:当たり障りのないもの)扱われないとおもう。
でもね、大殿派の武将達の数をだんだん減らしていって、力を失わせようとしてくるに違いないだろね。
さてそうなった後は、どうなる事やら?
冷遇され、悲しい思いをしなければならない日が、やってくるんではないかと思えてね、それが心配でたまらんのだわ。
それにね、こんなことを言っては頼正殿には失礼だけど、今回、私の辞退によって、一旦は内紛無しで収まったとしても、
長い目で見た時、その頼正、三木体制が、長続きするとは、とても思えんのだわ。
領地内には、頼正殿や、三木の下に付く事を、快く思わない者も随分いますでしょ。
そういった連中は、頼正殿が領主になった場合、斎木配下に留まる事を、心よしはせず、彼ら同士が団結して、織田殿を頼って、そちら側に靡いて(なびいて)しまう可能性が大きいんだわ。
そうなると、斎木の家の力は、僅かな間に、分散され、弱体化してしまうことになるんだろうね。。
さらに悪い事には、頼正殿が頼りにしている三木殿その人も、今は上手く立ち回っておられから、勢いがあるように見えるけど、
天下を取ることのできるような器でも、時流に上手く対応していく事の出来るような器でもないように思えることなんだよ。
人柄的にも、信頼するに足る人物とは、とても思えんのだわ。
従って、三木家を頼っていると、いつの日か、臍を嚙む(ほぞをかむ)ような、手痛いしっぺ返しを、食らう事になるんじゃないかなー」
「それなら、お父様に、もう少しの間、引退しないで、領主のまま頑張ってもらうと言うのはどうなの」
「それがね、そうはいかんのだよ。
もしこのまま大殿が、領主としてお留まりになった場合、頼正殿を始めとする、三木家との提携によって、自分達の栄達と、領土の拡張を望んでいる面々が、黙っていてくれるとは思えんからね。
彼らは、三木が後ろで糸を引いている、郡上の東と組んで、力づくで、領主の地位を簒奪(さんだつ:君主の地位の継承資格のない者が君主の地位を奪うこと)しようしてくるに違いないんだから。
私の所に集まっている情報からすると、その時期が、どうもさし迫っているんじゃないかと思えてならんのだわ。
一番良い解決法は、大殿が、自分の息子、頼正と、その一派を反逆者として、早急に始末してしまう事だったんだけどね

でも実際には、そう言う訳には、いかなかったんだよ、これが。
なんといっても二人は、親子なんだからねー。
たとえ二人の間に、これまでに、いろんな事があったとしても、親子の情は、他人には、計りしれない所があるんだろうね。
そうこうしているうちに、頼正殿の企てに加担している武士達の数は、どんどん増えていき、今じゃー。かなりの数になってしまっているんだよ。
だから、今では、それらの全てを、一挙に始末してしまうしか、方法がないのかもしれん。
でもそうすれば、すっきりはするでしょうけど、反面、国力が、ガタガタになってしまう可能性が大きいんだよねー。
それを避けるための唯一の方法は、頼正派の中から、大殿派に靡き(なびく)そうなもの早急に選別し、懐柔することだったんだけど、今では、もうそれも、遅きに失し(遅すぎて)間に合わないんじゃないかな。
要は、いずれにしても、今では、内紛はもう、避けようがないんじゃないやろか。
結果、この地を狙っている、織田だとか、斎藤、三木、武田といった連中のうちのいずれかに、この地は、盗られてしまうことになるんだろうね」

その12に続く