No.210 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕  (戦国の世を駆け抜けた女) その12

油滴天目の油滴に刻まれた涙痕 その12(戦国の世を駆け抜けた女)

このお話はフィクションです

12の1

「そういう訳で、今となってはもう、この領地を取り巻く、厳しい周りの状況を、頼正殿によく理解していただいた後、領内の融和と、一致団結を図る事を条件に、領主の座を、頼正殿にお譲りになって頂くしか、道がないだろうと思うんです
大殿にはそう進言しました。
ただ、ここで心配なのは、あの頼正殿のことです。
先ほども言ったように、どんな約束をしておいても、あの人の場合は、権力を握った途端、そんなものは、何の良心の呵責もなく反故(ほご)にしてしまう可能性が大きい人ですからねー。
だから私たち一族は、自分達の身を守るために、私たちは、私たちで、対策を立てておく必要があると思うんだよ。
そこで貴女達に相談なんですが、無論、最終的には、一族の皆にも諮って(はかって)決めることになると思うんだけど、
この際、もうこの地への執着は棄て、皆で、先ほど言った、河川敷へ移住しようかと思うんだけど、貴女達の考えはどう?
先ほどもちょっと触れたように、先に行っている者からの報告では、
『水との戦い、草との戦い。虫との戦いと、その土地の開拓には、一筋縄では、いかん苦労がある』のだそうだ。
しかし同時に、『私達の持っている土木技術を持ってすれば、それらを克服して、そこに我が一族の楽園を築くのも夢ではありません』とも言ってきているんです。
幸いな事に私達は、金(きん)を採取していた時以来の貯えを、今もなお、少なからず持っています。
その土地で、食べていけるようになるまでの数年間の生活なら、それは、食べていくだけで精一杯で、ぎりぎりの生活になるかもしれんが、なんとか、持ち堪えられる(こたえる)んじゃないかと思うんだよ。
だからこの際、思いきって侍と言う身分を棄て、新たに、人と殺し合わなくても良い、人のものを略奪したり、人を苦しめたり、泣かせたりしなくてよい、農民として生きる道を選ぼうかと思うんだけど、どう?」
「お兄ちゃんの戦嫌いも(いくさぎらい)、ここまで来ると、呆れるより、ご立派と言うより他(ほか)ないわね。
でも、私はお兄ちゃんについて行くよ。
ただ、この話、一族の他の皆達がどう言うかしらね。
そこの所に、問題があるんじゃないの」と安乃。
「そうだろうね、折角ここまで手塩にかけて育ててきた、田や畑を棄てて、海の物とも山の物とも解らんような新しい土地への移住と言う話だものね。
それも突然の話だもの、当然、皆びっくりするだろうし、嫌がる者もいるだろうね。
今の安定した生活への未練だって、一方ならない(ひとかたならない:並でないこと)もんがあるだろうからね」
「一族以外の者たちもいるのよ。その人達はどうするの
あれだけの人数を、他に、洩れないようにこっそり移動させると言う事になると、これまた大変よ。
不可能じゃないの」と安乃。
「それが一番問題なんだよなー。
でも自分の家の雇い人達には、夫々の家の、個々の家の事情で、ここにおれなくなったから出ていくという事で、対処してもらうしかないと思う。
そして、ここを出ていくにあたっては、その家の使用人を含めて、その家のもの全員が、一緒に、出ていってもらわねばならんから、一族の者には、今度の会合で、ここを出て行かなければならなくなった事情を、きちんと説明し、理解してもらうしかないだろね」
「そう、それじゃ、そうして。
なお、お兄ちゃんの事だから、抜かりないとは思うけど、使用人達と別れる場所は、ちょっとやそっとでは、ここまで戻ってこれないような場所にしてもらうよう、くれぐれも皆さんに、念を押しておいてね」と安乃
「解った、解った。そうする」
「使用人達はそれで良いとして、雇いの侍だとか、仲間(ちゅうげん)をどうするかという難問が、まだ残っているんじゃない?」
「それは、さほど心配しなくて良いと思うよ。
新しい雇い主の心当たりが、あちらこちらにあるから、夫々から希望を聞いて、夫々、それにあった人の所へ行ってもらうように、手配するつもりだから」と信光。
「ふーん、それなら良いけど、で、その人達は何時そちらへ行ってもらうの」と更に安乃。
「万一を考えて、ぎりぎりまで待って、私達がここを出ていく直前に出て行ってもらうつもりだ。
私達に、付いてきてくれると言う者は一緒にきてもらえば良いしね」
「ふーん、それなら、万一頼正側に寝返る奴がいたとしても、そいつらが、頼正の所に着いた頃には、私達はもう、頼正の手の届かない所にいってしまっているというわけね。
それで安心したわ」
「いずれにしても、時が切迫しているから、今夜にでも、一族の者を集めて、話す事にするわ」と信光。
「ところでお兄ちゃん、お義姉様は、どう思っていらっしゃるのかしら。
もともとが、金を掘り歩いていた山師で、今は半士半農でしかない私達と違って、お義姉さんは、代々、この地のお殿様だった家のご息女よ。
そんな、ど田舎の、河川敷での、開墾生活のような、不便で、苦しい貧乏生活に、耐えられるかしら」と安乃。
「私、私の事なら心配ご無用よ。
康継と、信光さまのいらっしゃる所なら、何処でだって生きていけるから。
どんな苦労にだって耐えてみせるしね」と美貴。
「まあまあ、相変わらず、お熱い事で。ご馳走様。でもね、本当に大丈夫?」
「本当よ。大丈夫。
ただね、強いて言わせてもらえば、心残りは、引退させられるであろう、お父様の事だけ。
私達が去った後、お父様はどうなるのかしらね。
あの頼正兄の事ですもの、約束事を、反古(ほご)にするなんて、朝飯前の人なんですものね」
それほどお父様の事が心配なら、いっそ、美濃への移住する時、お父様もご一緒して下さるようお願いしてみようか」と信光
「いくらなんでも、それは無理。
だって美貴さんのお父様は、なんといってもお殿様よ。
そんな先行きがどうなるかも分からないような田舎での開墾なんか、出来っこないに決まってるがね。
そんなの、言い出すまでもない事よ。
そう思わない、お義姉様」と安乃
「そう、安乃様のおっしゃるとおりですわ。
お父様にお百姓仕事なんかとても無理。
それにお父様には、『例え、自分が領主の座を退いたとしても、自分を支持してくれている家来たちがいる限り、いくら頼正兄でも、自分を粗末にする事は出来ないだろう』と思っていらっしゃる節(ふし)がおありですもの。
そんな話、するまでもありませんわ」
「ただね、私が心配でたまらないだけですから、あまりお気になさらないで。
こんな事態になりますと、お母さまが、早くにお亡くなりになったのは、かえってよかったのかも知れませんわね。
お母様は、こんな悲しい事態を御覧にならなくて、よろしいのですから。
私も、お母様の事に関しては、気にしなくてすみますし」と美貴。気丈な言葉とは裏腹に、美貴の目には今にも流れ出そうな大粒の、涙が溜まっておりました。

12の2

お城での会合当日、夫、信光が「会合の前に、お父様と打ち合わせしておきたい事があるから、少し早めに出る事にしよう」と言いますので、私達は早めに家を出ました。
当時、まだ事態が、それほど緊迫しているとは、知らなかった私〈美貴〉は、久しぶりの信光と二人きりでの外出に、ウキウキしていて、子供のようにはしゃいで、夫に話かけては、夫を困らせておりました。
後から考えますと、その時の夫は、いつ襲われるかもしれないという心配で、それどころではなかっただろうにと思います。
本当に申し訳ないことをしたと、今は後悔しております。
梅雨が明けて間もなかったその日は、とても暑い日でした。
私達一行は、直射日光の遮られている、林の中の道を選びながら進みました。
しかしそれでも暑く、全身から吹き出る汗で、着衣もびしょ濡れになってしまいました。
夫は、寡黙でした。
私がいろいろ話しかけても、緊張した顔をしたまま、ただ「アー、だとかウン」と言う気のない返事が返ってくるだけでした。
私達夫婦の前後左右を固め、護衛している武士達も、皆、今にも破裂しそうなほど、張り詰めた顔をして、前後左右を警戒しながら、ただ黙々と歩いていました。
そんな空気に気づいた私も、それっきり口を噤み(つぐむ)、黙々と夫の後を追いました。
こうして歩く事、一時半(今で言いますと約3時間)ばかり、木々の間を縫うように歩いてきた山道も終わり、間もなく川辺の郷の城下町に出ようと言う所までやってきました。
ところが私達一行は、そこで、一人しか通ることの出来ない細道にぶつかりました。
谷沿いのその道は、せり出した岩壁よって狭められ、辛うじて一人通る事が出来る程度の道幅しかありません。
ここで敵に襲われたらと言う悪い予感が無かったわけではありませんが、ここまでやって来ますと、この道を通るより仕方がなさそうです。
念の為、信光始め、護衛の兵士達皆で、回りを検め(あらためる)ましたが、人の気配らしいものは感じられませんでした。
先行させた物見の兵士が付けていった合図も、この辺りが安全であることを裏付けていました。
いずれにしても僅か六間(十メートル)ほどの距離です。
一気に通り抜けることにして、両脇を固めてくれていた二人の護衛を、前後に配し直し、縦一列に並んでその道を通りはじめました。
私達は少しでも早く通り抜けようと、道を急ぎました。
そのときでした。
パーン、パーンと言う二発のはじけるような音がしたと思ったら、夫、信光が腹を抱え込みながら崩れ落ちるように倒れてしまいました。
「あなた」叫びながら、慌てて駆け寄った私に対し、
「やら、ら、れ、た。に、に、にーげ、ろ」と信光。でも既に息も絶え絶えで、それだけ言うのがやっとでした。
倒れ込んだままで、一人で起き上がれそうもありません。
それと時を合わせるかのように、前後から上がる鬨の声(ときのこえ)。
どこに隠れていたのか、沢山の兵士達が涌き出るように現れ、道の両端を塞いでしまいました。
駆け寄ってきた護衛の一人が、泣きながら信光様に縋り(すがり)ついている私を、押しのけ、信光さまを背負って、引き返そうとしました。
しかし、そこも兵士たちが道を塞いでいて、もはや逃げ場がありません。
護衛の兵士たちは全員引き返して、道を切り開こうとしましたが、何せ一人しか通れない道です。出口近くに来れば、
そこで待ち構えている大勢の敵兵の槍衾(やりぶすま)にあって、多勢に無勢、次々と全員、谷底へと突き落とされてしまいました。
こうして、残されたのは、私と傷ついて動けない夫、信光だけとなってしまいました。
「あなたー、あなたー起きて、こんなところで死んじゃ駄目。起きて、ねー、目を開けてよ」私は信光の身体にしがみついて
泣きながら、懸命に身体を揺さぶりました。
しかし、信光の身体はもはや、ピクリとも動きませんでした。
私達を襲ってきた兵士たちは、信光の身体にしがみついて泣き喚いている私を、情け容赦なくひきはがすと、足を踏ん張って動こうとしない私を、数人がかりで抑え込み、縛り上げ、まるで戦利品でも、あるかのように、担ぎあげ、城の方へと歩みはじめました。
後ろの方からは、夫・信光が打ち取られた事を示す、勝ち誇った鬨の声(ときのこえ)が聞こえてまいります。
しかし私には、どう仕様もありませんでした。
私は、何もする事ができない己れの無力さを呪い、唇をかみしめ、悔しさと悲しみの混じった涙を流しながら、兵士達の肩の上で揺られておりました。

その13に続く

No.209 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕  (戦国の世を駆け抜けた女) その11

油滴天目の油滴に刻まれた涙痕 その11(戦国の世を駆け抜けた女)

このお話はフィクションです

その11

「あなた、先ほどお父様から、『大切な話があるから、今日から10日後の、水無月の8日、羊の刻に、城の大広間へ、皆に、集まってもらうことになった。
都合がついたら、その時、お前も、信光殿と一緒に来てくれんか。
お前は、会議に出られる訳ではないけど、その会議で決まる事柄は、お前にも無関係ではないから、是非来てほしいんやけど。
久しぶりに康継の顔も見せて欲しいし、都合はどうやろ』と言ってきたんですが、どうしましょう」一家で晩御飯を食べていた時、美貴が切り出しました。
美貴ももう、三十路も半ばを過ぎ、世間一般では、中年と言われている年に入っております。
しかし、にもかかわらず、しっとりとした色気の加わったその美しさは、ますます磨きがかかり、その均整のとれた肢体と、瑞々しく艶やかな白肌は、二十歳代を彷彿させるものがあります。
「そうだな、お義父上も、お年のせいか、最近、めっきりお気が弱くなられたから、康継の顔を、お見せして、元気づけてあげたいとは思うんだけど、最近の領内の緊迫した情勢を思うとどうもなー。
お義父様には、申し訳ないけど、万一を考えると、康継を連れていくのは考えちゃうなー。
ここ2日ほど前から、少し熱っぽくて、機嫌が悪いようだから、それを口実に、今回はお断りしたらと思うのだがどうやろ?」
「そうよねー、じゃー、そうしますわ」
「万一、連れ歩いている途中、何かが起こりでもしようものなら、大事(おおごと)だからなー。
大事な跡継ぎ息子を、照の二の舞にすることだけは、避けなければならんからなー」と信光。
彼等夫婦は「照、照」と可愛がっていた長男の照信を、5歳の時、麻疹(はしか)から来た肺炎によって亡くしております。
その後、しばらくの間、子供が授からず、やっとできたのが、今4歳になるこの康継です。
この子が、今の所たった一人の信光の子供であり、唯一の山岐本家の跡継ぎでもあります。
それだけに何かと心配で、息子の事となりますと、どうしても慎重になってしまう、信光夫婦でした。
「そうよ、お義姉様。大事をとって、(康ちゃんを連れていくの、)今回はおやめになったほうがいいわよ。
私、毎日砦に通っている関係で、解るけど、頼正派の連中の動きには、少々気がかりな所がありますからね」
大殿には申し訳ないけど、又の機会にということにしてもらわれたら」と安乃。
「そうなの、だったら私も、帰るの、止そうかしら。
家の事も、康継の事も心配だから」
「でもお兄ちゃんと二人に、大切なお話がおありになると、おっしゃっているんでしょ。
だったらお義姉さんは、行かないという訳にはいかんのじゃないの」
「そうかしら。でもなんだか気が進まないわ。
実を言うと、私も、変な予感がするの。
大切なお話って何かしら。また例の、貴方が嫌がっていらっしゃる、斎木家の跡継のお話かしら」
「今頃、大切な話での会合と言えば、その話に決まっているだろ。
でもなー、大殿のおっしゃる通りに、もし私が、斎木の跡を継ぐ事になった時、お義兄様一派がそれをすんなり受け入れてくれると思う?
とても、そうは思えんでしょ。
私や、大殿のように、領土の拡張を図るのではなく、極力、戦(いくさ)を避け、今の領民たちの、安泰こそ第一と思っているような、消極的な考えの者を、あの人たちが領主として認めてくれるとは、到底思えんのだわ。
そうなると、これまで内紛が元で滅びていった、多くの家々と、全く同じ轍を(てつ:あやまち)踏むことになると思うんだよ。
だからさー、せっかくのお父さまのお申し出ではあっても、すんなりお受けするわけにはまいらないと思うんだよ、私はね。
そもそも私、出自のせいかもしれんけど、戦というものが大嫌いなんだよ。
戦などというものは、自分の一族と、自分の領地の人たちの安泰と幸せを守るために、已む無く(やむなく)するもんだと、思っているような人間なんだからね。
自分たちの欲望を満たすために、よその領地に攻め込み、そこの領民達を苦しめ、不幸にするなんてことは、したくないと思っとるんだわ。
そんな人間に、どこもかしこも、戦だらけのこの時代の領主が務まると思う?
いくら大殿の推薦があると言ったって、拡張主義に溺れているお義兄様を差し置いて、領主となったとして、あの人たち一派と争う事なく、平穏に、この領地を保っていくことができると思う?
どう考えたって無理な話でしょ。
それなら、最初から、領主になんか、なるべきじゃないと思うんだけど、そう思わない?」
「お兄ちゃんって、昔から人と争うことが、大嫌いだったもんねー。
武芸を習っている時だって、『習うのは、相手を倒すためではない。
相手を怖がらせて、相手に戦いを仕掛けてこさせないようにするためだ』などと、いつもおっしゃっていたくらいだもの。
でもさー、今の時代、それじゃー、通らないんじゃーないの。
今は弱肉強食、強さが正義の時代よ。
領主達は皆、武力によって、自分の我欲を通そうと、懸命になっている時代なのよ。
戦は嫌いだ、残酷だから止めましょうと言ったからといって、だれも言う事を聞いてくれっこないのよ。
そんな事を言っていたら、それに乗じて、相手に屈服させられ、相手の思い通りにされてしまうのが落ちよ
降伏したからとか、領地を譲ってやったからと言って、相手が、悪いと思って、手を緩めてくれるとは限らないのよ。
どんなやつでも、一度覇権を手にしたが最後、それを長く維持するために、後々、自分の行く手に立ち塞がりそうなものは、早い間に潰しておこうとするのが世の常なんですからね。
今回の件だって、仮に領主の座を、頼正殿に譲ったとして、それであやつが、矛(ほこ)を収めて、何もしないでいてくれると思う。
とてもそうは思えないんだけど。
あいつのことだもの、自分の新たに得た力を利用して、何時の日にか、私たち一族を殲滅させようとしかけてくるに決まっているわ」
「そうだろうね。私にも、それが分かっているだけに、困っているんだよ。
そこで前々から考えていたんだが、大殿には申し訳ない事だけど、これを機会に、いっそ侍なんか止めて、百姓になろうかと思うんだが、あんた達どう思う」
「えっ、お百姓に?」
「私、前々から、こういう日が、来るんじゃないかと思っていて、他の用事で、織田殿に拝謁した折、
美濃の国と尾張との国境(くにざかい)にある、長良川沿いの河川敷での、開拓事業の、許可を貰っておいたんだよ。
織田殿には、私の苦衷(くちゅう:苦しい心のうち)をお察し下さって、将来、美濃との間に、戦が起こった折は、私どもの持っている、土木事業でもって、協力するという事を条件に、その河川敷への移住と、その地の開墾の許可をもらっておいたんよ。
そこで約2年ほど前から、我が一族の中から、一番若い叔父きを含む、一部の者達を選んで、先行して、そこに送りこみ、開墾をさせてあるんだわ。
彼らからの報告では、『非常に厳しいけれど、私たちの持つ土木技術をもってすれば、何とかなりそうです』とのことなんだよ。
私ね、自分の代で、我が一族の滅亡する姿なんか、見たくないんだわ。
しかし、安乃のいうように、ここで頼正一派と覇権を争った場合、私の読みでは、上手くいって共倒れ。
挙句、両者とも、沢山の将兵と財力を失った上、この内紛に加勢するという形で介入してきた、何処(いずこ)かの大名によって、この地は乗っ取られてしまうことになるだろうと思うんだ
無論、負けた側には、厳しい結果が待っていて、生き残るのは難しいし、勝った側だって、無事には済まんだろうと思う。
今のこの領地は、この戦いに加勢して勝った、織田か、三木かの、いずれかの大名に盗られてしまい、この戦に功労のあった大名配下の武将に、与えられることになるだろうからね、
だから、その大名に、よほど強い繋がりをもっているか、この戦に、よほど大きな功労を立てたのでなければ、この大名配下の武将の部下となって、彼から、僅かばかりの碌を食む(ろくをはむ:仕官をして給料をもらう事)身分になってしまうんだろうね。
もし仮に、そのまま、この土地に置いてもらう事が出来たとしても、それは、この土地の領主としてではないだろうね。
形としては、多分、その大名の配下である家来の、その部下として、この土地の一部の管理を、任されているに過ぎない形になるんだろうね」
「だって、もともとは、お父様の領地だったものでしょ。
それを単に内紛に加勢してもらったというだけで、その大名が、勝手に人の領地を、自分の家来に与えても良いの?
そんな権利どこにあるのよ」と美貴
「仕方がないさ。
大名に加勢を頼んだと言う事は、その時点で、その大名の配下についたということになるんだからね」
「そんなの嫌。絶対に駄目」
「でもね、考えても御覧。
信光派と頼正派のどちらかが、この戦いに勝ち残ったとしても、勝った側だって、絶大な損害を蒙っているんだよ。
そんな弱った軍事力で、この内紛に介入してきた大名の、絶大な軍事力に対抗出来ると思う?
出来っこないでしょ。
だったら、彼等の言う通りになるより他に、生きる道はないんじゃないの。
たとえそれが、不条理ではあっても、それが内紛を起こして、より大きな力を頼ったものが、背負わなければならない宿命なんだよ。
だから、それを受け入れるより仕方がないんだよ」
「だったら、なんとか内紛が起こるのを、防がなきゃー。
止めるにはどうしたら良いの」と美貴
「大殿が、三木を後ろ盾にする頼正殿に跡目をお譲りになり、私が身を引けば、さしあたっての内紛は防ぐ事が出来るだろうね」
「それしかないの?」
「そうじゃないかな、さしあたっての内紛を防ごうとすればな」
「じゃー、その時の、私たち山岐一族の処遇はどうなるの」
「だんだん力を削がれていった末、君側の奸(くんそくのかん:偉い人の傍にあって、悪い事に引っ張りこもうとする、いけない家来)を取り除くという名目のもと、真っ先に、私の命を狙ってくるだろうね。
無論、山岐一族も、このまま無事では済ませてくれんだろうね。
私の命を奪った後、一族の中を攪乱し(かくらん)、その混乱に乗じて、一族の殲滅か、この金襴の谷からの、放逐(ほうちく:追放)を図ってくるに違いないと思うわ」
「お父様は大丈夫なの」
「最初のうちは、大殿派の武将達もいるから、無碍には(むげ:当たり障りのないもの)扱われないとおもう。
でもね、大殿派の武将達の数をだんだん減らしていって、力を失わせようとしてくるに違いないだろね。
さてそうなった後は、どうなる事やら?
冷遇され、悲しい思いをしなければならない日が、やってくるんではないかと思えてね、それが心配でたまらんのだわ。
それにね、こんなことを言っては頼正殿には失礼だけど、今回、私の辞退によって、一旦は内紛無しで収まったとしても、
長い目で見た時、その頼正、三木体制が、長続きするとは、とても思えんのだわ。
領地内には、頼正殿や、三木の下に付く事を、快く思わない者も随分いますでしょ。
そういった連中は、頼正殿が領主になった場合、斎木配下に留まる事を、心よしはせず、彼ら同士が団結して、織田殿を頼って、そちら側に靡いて(なびいて)しまう可能性が大きいんだわ。
そうなると、斎木の家の力は、僅かな間に、分散され、弱体化してしまうことになるんだろうね。。
さらに悪い事には、頼正殿が頼りにしている三木殿その人も、今は上手く立ち回っておられから、勢いがあるように見えるけど、
天下を取ることのできるような器でも、時流に上手く対応していく事の出来るような器でもないように思えることなんだよ。
人柄的にも、信頼するに足る人物とは、とても思えんのだわ。
従って、三木家を頼っていると、いつの日か、臍を嚙む(ほぞをかむ)ような、手痛いしっぺ返しを、食らう事になるんじゃないかなー」
「それなら、お父様に、もう少しの間、引退しないで、領主のまま頑張ってもらうと言うのはどうなの」
「それがね、そうはいかんのだよ。
もしこのまま大殿が、領主としてお留まりになった場合、頼正殿を始めとする、三木家との提携によって、自分達の栄達と、領土の拡張を望んでいる面々が、黙っていてくれるとは思えんからね。
彼らは、三木が後ろで糸を引いている、郡上の東と組んで、力づくで、領主の地位を簒奪(さんだつ:君主の地位の継承資格のない者が君主の地位を奪うこと)しようしてくるに違いないんだから。
私の所に集まっている情報からすると、その時期が、どうもさし迫っているんじゃないかと思えてならんのだわ。
一番良い解決法は、大殿が、自分の息子、頼正と、その一派を反逆者として、早急に始末してしまう事だったんだけどね

でも実際には、そう言う訳には、いかなかったんだよ、これが。
なんといっても二人は、親子なんだからねー。
たとえ二人の間に、これまでに、いろんな事があったとしても、親子の情は、他人には、計りしれない所があるんだろうね。
そうこうしているうちに、頼正殿の企てに加担している武士達の数は、どんどん増えていき、今じゃー。かなりの数になってしまっているんだよ。
だから、今では、それらの全てを、一挙に始末してしまうしか、方法がないのかもしれん。
でもそうすれば、すっきりはするでしょうけど、反面、国力が、ガタガタになってしまう可能性が大きいんだよねー。
それを避けるための唯一の方法は、頼正派の中から、大殿派に靡き(なびく)そうなもの早急に選別し、懐柔することだったんだけど、今では、もうそれも、遅きに失し(遅すぎて)間に合わないんじゃないかな。
要は、いずれにしても、今では、内紛はもう、避けようがないんじゃないやろか。
結果、この地を狙っている、織田だとか、斎藤、三木、武田といった連中のうちのいずれかに、この地は、盗られてしまうことになるんだろうね」

その12に続く