No.204 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕  (戦国の世を駆け抜けた女) その6

このお話はフィクションです

その6の1

美貴はその手を振り払うと、信光のそばに駆け寄り、傷の手当てを受けている信光の手を握りしめながら、自分も懸命に、血の出ている所を手ぬぐいで抑えたり、血や泥の汚れを拭いとったりし始めました。
「お嬢様、お着物が、汚れますでしょ。おやめ下さい」とお菊。
それを見た仲間(ちゅうげん)の茂助がたまりかねたように、
「お菊様。それはあまりにも失礼でございますよ。
そもそもこのお子達が、どうしてこんな大怪我をなさったとお思いですか?
お嬢様を、お助け下さるためだったのでございますよ。
そんなことを言っていないで、貴女様も、お嬢様をお見習いになって、少しは皆様のお手伝いを、なさっては、いかがです?」と注意します。
茂助達も、下士達も、もうすでに、懸命に、子供たちの傷の手当の手伝いをしていました。
にもかかわらずお菊だけは「斎木のお坊ちゃまはどうされました?
御無事でしょうか?」とあくまで斎木の家の者達の事を気遣います。
しかしその時はもう、頼正達の姿は、辺りにありませんでした。
彼等は、皆が駆けつけてきたのを見届けると、さっさと先に帰ってしまったのです。
お菊の言葉を聞いた美貴が
「お兄さま達の馬鹿。あいつらなんか皆、大嫌い。
私がお猿さんに囲まれているのを見ても、あいつら、遠くで、黙って、見ていただけだったんだから」
「そんなことは、ございませんでしょ。若様が、お気付きにならなかっただけではないんですか。
それとも助けに来ようとされましたが、遠すぎて、間に合いそうも無いと思われたとか?」
「違う、違う。絶対にそうじゃなかったわ。
だって、今になって思い出してみると、その時、お兄様達のお顔、笑っていらっしゃったようでしたもの」
「まさか、そんな遠くにいらっしゃったのに、お兄様のお顔が解る筈ないでしょ」
「でも、どういう訳か、今もはっきりとその顔が目に焼きついているの。
絶対に笑っていらっしゃったわ。
あの時、あいつら、いい気味と思っていたに、違いないわ。
あんな奴ら、大嫌い。
美貴、もうこれからは、あんな人の事、お兄様とは思いたくない。
お兄様らしい事をしてくれたのは、このお方のほうよ。
美貴、これからは、このお方に、お兄様になってもらうことにきめたの」
「ねー、良い考えだと思わない。貴女の所のお兄様を、私と共通のお兄様なってもらうというの」と安乃に向かって美貴は言います。

その6の2

それから10日ぐらい後のことでした。
信光達の傷は,化膿することもなくほぼ癒え、後は、多少の傷跡が残っているだけとなっております。
今ではどの子ももう、元通り、元気いっぱい山野を駆けめぐれるまでになっておりました。
秋は、斎木一族や、山岐一族の住む川辺の郷に限らず、日本全国、何処であっても、収穫の時節です。
春から夏にかけ、手塩にかけて育ててきた田や畑の作物を、取り込み、冬に備えて貯える時節です。
特に、斎木一族や、山岐一族の住んでいるような、長くて厳しい冬に閉じ込められる山間部の村々においては、冬に備えての食糧、燃料、衣料の準備、そして住居の整備は最重要事項です。
このような山間部においては、耕作地は狭く、しかも単位当たりの(耕作地から得られる)収量も、平野部のように多くありません。
この為、どの家も、耕作地からの収穫物だけに頼っておる訳にはまいりません。
栗、椎の実、橡(とち)の実などといった山に落ちている木の実や、マツタケや、シイタケ、シメジといった茸などの採取、魚や鳥、獣たちの捕獲と、それらを使っての、干物、乾物、燻製、漬物などの保存食造りに大忙しです。
従って、この時期、子供といえども、遊んでいるわけにはまいりません。
男の子も女の子も、動ける者は全て、家事手伝いに、穫り入れの手伝いにと駆り出されて大忙しです。
しかし、田畑の収穫もあらかた終わり、大人達が家の中での冬の準備に取り掛かる頃になりますと、子供たちは家事から解放され、待ちに待った子供達同士での野外活動の時がやってまいります。
近所の子供同士が集まって、山や川に出かけ、木の実拾いだとか、茸採り、そして魚捕り、山鳥だとか、ウサギ狩りに興じます。
彼等にとってのそれは、冬に備えての仕事ではあるのですが、子供同士が集まってするそれは、仕事ではあっても、とても楽しい遊びの時間でもありました。

その7へ続く