No.189 廻る糸車、西施像奇譚 その10

廻る糸車、西施像奇譚 その10

このお話はフィクションです

その30

三郎九朗が、あれほど綿密に、計画を立てて行った、犯行でしたが、実際には大きな穴が、空いておりました。
彼は、角福質店の、通いの番頭の存在を、全く計算に入れていませんでした。
明くる朝、角福質店へ出勤してきた通いの番頭、米蔵は腰が抜けるほどびっくりしました。
家の中一杯に、死臭が漂い、慌てて覗いた、住み込みの男達の部屋では、男の使用人が三人とも頭を並べて、息絶えておりました。
身体には、血まみれの布団が掛けられ、顔には座布団を被せられて、亡くなっていました。
慌てて、女中や、奥さん、旦那様を大声で呼びましたが、その呼び声が天井に跳ね返って戻ってくるだけで、呼び声に応じて、返事が返ってくる事はありませんでした。
恐ろしくて、その場にいる事も出来なくなった米蔵は、直ぐに自身番(じしんばん=町人地警備のために設けられた場所)に駆け込み、助けを求めました。
しばらく後、やってきた同心(どうしん=主に警備の任務についた下級役人)と目明し(めあかし=同心の配下で犯罪捜査のために働いた者)も、殺しの現場の、あまりの凄惨さに、息をのみました。
自分達だけでは手に負えないと思った彼等は、指揮を仰ぐために、慌てて、手下を走らせ、上役である与力を呼び寄せました。
同心とその配下の目明しとを、引き連れてやってきた与力は、彼らと一緒に各部屋を回って、丹念に調べていきました。
犯行の状況を調べ、動機や証拠物件に結びつく物、犯人の検挙に役立ちそうなものを、一つ一つ丹念に集めていきました。
これまで、沢山の、犯行現場を見てきた彼らでも、これほど凄惨な殺人現場は、あまり経験した事がなかったほどでした。
特に主人福造の殺され方は酷く、布団に丸められていた彼の姿は、無数の刺し傷によって、顔や、身体の形が変わってしまっていたほどでした。
家の中をあらかた調べ終わった、与力達の一行は、やがて、番頭の米蔵を連れて、自身番へと引き上げて行きました。
その31
自身番に着くと直ぐ、番頭米蔵への訊問(じんもん)が始りました。
「ところで、あの押し込みは、単なるお金目当ての犯行ではなく、あの残忍な殺し方から考えると、同時に、あの家に相当強い恨みを持った者の仕業と思われる。
しかも、家の中の事を、あれほど良く知っているという事や、家の中の人間を一人残らず殺していったところからみると、そいつは、この家の者の、顔見知りだった奴の仕業に違いない。
前に勤めていた奴か、この家に居候していたやつ、この家の者と親しくしていて、この家に、かなり自由に出入りしていた奴達の中に、主人を恨んでいたり、お金に困っていたりして、このような事件を起こしそうな奴の心当たりはおらんか?」
与力が後から連れてきた、年配のほうの同心がまず口を切りました。
「さー?」
米蔵は、凄惨な殺人現場に立ち合わされ、その凄惨さに震え上がってしまっていて、まだ、まともに考える事も出来ない状態でした。
彼は震えながら首を傾げているだけでした。
どうも、聞かれている言葉も、耳を通り抜けてしまっていて、その意味さえ、理解できていない様子でした。
「番頭さん、まずお水を飲んで、気を落ちつけたらどうかね。
怖かったろうねー。
私らでさえも、まともに見ておられんくらい、酷い現場だったんだから。
素人のあんたが驚くのは当たり前だわ。
もう少し落ち着くまで待って上げるから、水でも飲んで、大きく息を吸ったり吐いたりしていらっしゃい。
これからあのお方がお訊ねになるけど、別にあんたを疑って訊かれる(きく=尋ねる)わけでも、あんたを、責めて言われるわけでもないからね。
犯人を捕まえる手掛かりになるものを探すために、訊かれるだけだから、怖がらなくても良いし、心配しなくても良いんだからね。
訊かれたら、あんたが知っている事を、きちんと答えてくれたら、其れで良いんだよ」と、最初に現場にやってきた方の同心が、優しく、宥める(なだめる)ように言います。
「そう言えば、三郎九朗という使用人が、一年半くらい前、お店のお金をくすねて、このお店を辞めさせられております。
そいつ、旦那さんに首になった事を、酷く恨んでいましたから、あいつなら、こういう事をやるかもしれません。
もともと短気で、気が荒く、怒ると何をするか、分からんようなところのある奴でしたから」しばらく考えていた、番頭の米蔵は、同心が先に聞いたのと同じ質問に、やっと答えました。
「他に思い当たる者はおらんか」
「ハイ、今のところ、他には思い当たりません。
何しろうちの旦那様は、こんな仕事をしていらっしゃる割に、とてもお優しい方で、人から恨まれるような事は、あまりありませんから。
お金を借りに来たお方に対してだって、あまり阿漕(あこぎ=図々しい)な事をする事が、出来ないようなお方でした。
だから、信用があって、皆さんが、御贔屓にしてくださっていたのです」
「フーン、そうするとそやつが一番疑わしいな。
所でそいつは、今どこにいて何をしているか分からんか」
「さあ、はっきりとは分かりません。
何でも、うちを辞めさせられた後は、無頼の徒とつるんで、悪さに耽っていると言う事を、風の便りに聞いてはいますが。
よって私どもでは、あいつがどこに住んでいるか等、知る由もありません。
あいつがまだ、この町にいるとしたら、どこかの博打場で、とぐろをまいているんではないでしょうか」
「さようか。
ひとまず、そいつを手配する事にしよう。
直ぐに手配書を作りたいから、番頭さん、お取り込み中で大変だろうけれど、あんたも、そいつの人相書き作るの、助けてくれ」
「そいつの、生まれた所だとか、本名、通称、背丈、年齢、身体の特徴なんかも、人相書きには、記さなければならんから、知っておる限りでいいけど、なるべく詳しく、それらを、人相書き作る奴に教えてやって」
「今すぐでは、分からんようなら、後で店に帰って、口入屋(くちいれや=人材斡旋業者)の請け書等を調べてからで、良いからな」
「ところで、今度の犯行、そいつ一人でやった事とは、とても思えん。
ついていた足跡だとか、殺しの手口なんかから見た所、少なくとも3人以上の仕業と思われるが、そいつと、いつもつるんでいた奴らの事について、なにか聞いとらんか」と同心が続けます。
「さあ、あいつがお店のお金をくすねていた事が知れるまでは、あいつが、そんな事をする奴だとは、私等、誰も思っていませんでした。
だから、知りません。
しかし、ここを辞めさせられた後、この町の、あちこちの賭場に顔を出していたという噂でしたから、そちらでお調べになったら、今度の事のお仲間になった奴の顔ぶれが、分かるんじゃないでしょうか。
どうかそちらの方を、お調べください」と番頭。
「分かった。その事に付いては、そうするとしよう。
もう一つ聞きたいのだが、御主人の寝ていた部屋の畳が上げられ、甕(かめ)が傍に置かれていたが、あれの中には、何が入っていたのか、お前は知っているか」
「そう言う事は、旦那様も、お話になりませんので、私らみたいな使用人は誰も知りません」
「そうか、番頭さんでも知らなんだという事か。
どうも様子からみると、近くに、切り餅の紙が(註:切り餅・・・一分銀100枚・小判にして25両に相当・・・を方形の紙に包んでもの、形が似ていることからきた名称。その後、小判で、25両包んである物もさすようになった)散らばっていたから、中にはお金が入っていたと思われるが、それじゃー、甕の中に,幾らくらい入っていたか、無論、あんたには、分からんわなー」
「ハイ存じません。
あの殺され方は、夜中に旦那様がお金を勘定していらっしゃった時に、殺されなさったということでしょうか」
「いや、そうじゃない。寝ていて、気配に気付いたご主人が、寝床から起き上がろうとした所を襲われたんだと思う。
あの状況から考えるとね。
その上、あやつら、他を物色することもなく、あの部屋だけを狙って、入った所から察するに、あそこにお金がある事を、予め(あらかじめ)知っている奴の仕業に違いない。
番頭さんのあんたでも知らんような事を、どうして三郎九朗は知っていたんだろう?」
「さあ、分かりません。でもあいつの事だから、どこかで盗み見していたんじゃありませんか。
そう言えば、あいつ、時々夜中に、家の中を歩き回っている事があったそうでございます」
「でもあいつがそんなやつだとは誰も思ってもみませんでしたから、夜中に歩きまわっているのを不審に思っても、『見回りをしてきたところだ』と言われると、皆、それを、信じてしまっていましたから」
「ところで、床の間には、何も掛かっていなかったが、御主人は、そう言う事には無関心、無趣味なお方だったのかな」
「いいえ、決してそう言うお方ではありません。質草として色々な物を預かります関係で、骨董の類が大好きで、そちらの造詣(ぞうけい)も大変に深い方でございました。
昨晩は確か、御旗本・本多正輝様から、お預かりしていた、曾不興の手になる、西施像の軸が掛けられていたはずでございますが。
しかし、その軸は、旗本・本多家の御家宝ともいうべきお品だとのことでございましたから、一旦おかけになった後、すぐに蔵の方へお返しになったのかもしれません。
これから、お店に帰って、すぐに探してみますから、しばらくお待ちください」
「ところで、お調べの方は、もうこれでよろしいでしょうか。よろしければ、お店の方の始末もございますので、これで帰らせて頂きたいのですが」と断り、許しが出ると、慌てて店に、帰っていきました。

続く

No.188 廻る糸車、西施像奇譚 その9

このお話はフィクションです

その28

「いよいよ、江戸を退散しなければなない日が迫ってきているというのに、お前さん、さっきから見ているに、負けてばかりだったのと違うか。
あれでは、有り金の殆どを、すってしまったんじゃないの?
そんな状態で、お前さん、明日から、どうやって生きて行くつもりだ?
このままじゃー、江戸から出た途端に、飢え死にするか、野垂れ死にするかしか道が残ってないんじゃーないのか?」
と銀次が囁きます。
「そう、だからさっきから考えこんでいるのさ。このままだったら、あんたらの言うとおり、野垂れ死にするしかないんだから。
「くそ―。お上の野郎め、あんな御触れを出しゃーがって。お上は、俺達みたいな者は、死んだって、構わないとでも、思っているんやろか。
もう、こうなりゃー、ヤケクソ。いっそ、押し込み強盗にでも、入ってやろうか。
それとも幸せそうな奴を見つけて、そいつと刺し違えて(自分が死んでもいいから相手も殺すこと)死んだろかな」と勘助が危険な言葉を吐きながら、息巻きます。
でもその表情からは、まんざら、口先だけではなさそうな狂気が伺えます。
「ばかばかしい。息巻いていたって、どうなるもんでもあるまいて。
それほど怒っておるんやったら、その怒りを、一稼ぎする方に、ぶつけなよ」と三郎九朗。
「そりゃー、出来たら、俺だって、そうしたいわさ。でも何にも、思い浮かばんもんだから、荒れとるんやが。
あんたら、なんか良い知恵でも、あるというんか」と勘助。
「お前さん、さっき、押し込み強盗にでも入ったろか、なんて言っとったわな-。
今は、江戸の町ん中も、浪人達が集まって、やれ、勤皇(きんのう)だ、佐幕(さばく)だとか、やれ攘夷(じょうい)だ、開国だと言って騒いでいる時代。
だから江戸の治安だって、手薄になっているに違いないと思わんや(思わないか)。
その上、今度のお触れによって、身元のしっかりしておらん人間は皆、一斉に、江戸から放り出されようとしているんだぜ。
そうなりゃー、関所だって、大甘になっているに違いないわなー。
だから、おまえさんの言うとおり、押し込み強盗のような、少々手荒な仕事をやったって、やったその日のうちに、江戸から離れてしまやー、上手い事、逃げおおせられるんと違うか。
そこでこれからが、相談なんやけど、わいが、前に勤めとった、質屋角福に押し入るというのはどうやろ?
どう、あんたら、一口乗らんかね?
わい、つい先だってまで、あそこで、働いておったんだわ。
だから、あそこの家の中の事は、よう分かっとる。
何処に、お宝が隠してあるかと言う事も、こっそり店の中に入る手口も、そして夜には、何人、家の中にいて、誰がどの部屋で寝ているか、などという事もみんな分かっとる。
だからあそこなら、簡単に押し入れるし、うまいこといったら、沢山のお宝を手に入れることだって、夢じゃないぜ」と三郎九朗。
「そりゃー、面白そう。だけど,あんたは、面が割れとるやろ。誰かに見られたら、ヤバいんと違うか」とお役者銀次。
「だからあんたらを、誘っとるんだがね。
もし顔を見られて騒がれでもしたら、煩わしいから(わずらわしい)、後腐れのないように、その夜、家にいる奴は、一人残らず、全部やってしまう(殺して終うの意)計画なんや。
そうしておきゃー、誰かが、それに気付くまでには、かなりの時間があるやろ。
だからその前に、上手い事、江戸から出てしまやー、簡単に、逃げおおせられるんじゃないやろか。
その上、中にいたものを皆殺しにしておきゃー、犯人の手掛かりだって、そう簡単には掴めんやろ。
そうなりゃー、わいらは安泰という訳や」
「女子供まで殺してしまうというのはなー。それって、ちょっと惨過ぎ(むごい)んか」と気の弱い銀次は、すこし尻ごみ気味に言います。
「銀次兄さんは女に甘すぎ。こういった場合、一番怖いのは、面が割れる事ですぜ。
人相書きでも作られようもんなら、江戸の町を、二度と拝めんようになるんだぜ。
毒を食らわば皿まで(ことわざ:悪事に手を染めた以上は、それに徹しようという事のたとえ)。こんなことをする以上は、跡が残らんように、徹底的にやっとかにゃー。
さもないと、こちとらの身が危なう、なりますぜ。
下手に情けをかけてやったために、三尺高い木の上に曝される(刑場で曝し首になること)なんて、わいは、真っ平ごめんですぜ」と三郎九朗。
「そりゃー、そうやけど、勘助、お前はどう思う」と銀次はまだ決めかねているようで、口籠るような口調でいいます。
「俺?俺なら、最近、ずっと、むしゃくしゃしていた所だから、三郎九朗の言う通りでいいよ。
人間をグシャ、グシャと刺し殺してやったら、さぞ気持ちが良いだろうな。
楽しみだな。
銀次兄さんの言うような、女子供に情けを掛けてやる必要なんか、ない、ない。
あいつら、俺らみたいな貧乏人のこと、毛虫でも見るような目で、いつも見てやーがったんだぜ」と勘助。
「わいが、この3人で組もうと思った最大の理由(わけ)は、わい等はお互い、どこの馬の骨かという事も、何をやっていて、何処に住んでいるかという事も、お互い、全く知らん仲だからなんやわ。
この3人のうちの、誰かが万一捕まったとしても、そいつを手がかりにして、他の者にまで累が及ぶ(るいがおよぶ:他人の災いが自分にふりかかる事)心配がないんやから。
だから、今度の仕事が終わったら、もうお互い、赤の他人。
これから後は、何があっても二度と連絡を取らんようにしような。
では明晩この刻までに、ここに集まってくれ。段取りは、その時迄に、付けておくから」と三郎九朗。

その29

三人が押し入った質屋角福の家では、真夜中にそんな事が起こるとは、夢にも思っていませんでした。
だから皆、無警戒に、ぐっすり寝込んでおりました。
三人は、押し入った後、直ぐに、お金を物色するような事はしませんでした。彼等はまず、家の中にいる者を全員殺すことから取りかかりました。
最初に使用人部屋で寝ていた三人の男の殺害から始め、次は二人の女中、そして奥さんと子供という順序で殺して行きました。
何処で知恵をつけてきたのか、殺し方も手慣れたものでした。部屋に入るなり、まず声を出さないように、座布団で口を覆い、次いで、掛かっている布団の上から、殺す相手の身体に馬乗りになって押さえつけ、返り血を浴びないようにと、布団の上から胸のあたりを刺すというやり方で、一瞬のうちに殺してしまいました。
三人同じ部屋に、寝ていた男の使用人達の殺害の時は、その中の誰か一人にでも気付かれ、騒がれようものなら、厄介です。
そこで勘助達三人は、それぞれ一人が、一人の使用人殺害を分担するという方法で、三人一緒に、同時に殺すという方法をとりました。
次は女中部屋の二人の女中、次いで、奥さんと子供、という順で殺していきましたが、
奥さん達の部屋に入った時、奥さんの横に、抱かれて寝ていた、まだ5歳に満たないような、幼い女の子を殺す時には、気の弱いところのある銀次は、一瞬殺すのを躊躇って(ためらう)手を出すのを止めてしまいました。
しかし三郎九朗はそんな事に、何の躊躇いも見せませんでした。
三郎九朗は、一瞬、躊躇の色を見せていた銀次に、顎をしゃくって、奥さんの方を、殺すように指示すると、自分の方は、情け容赦なく、その子を、母親の傍から引き離し、その子がまだ、夢路から覚めやらぬ間に、絞め殺してしまいました。
最後に、三人は座敷で眠っている、主人の部屋を襲いました。さすが主人は、家の中の異様な気配に気付いておりました。だから、彼等が部屋に侵入した時には、襖をあけるその音に反応して、直ぐに、布団の上に起き上がろうとしました。
でもそれより早く三人は、かねての打ち合わせ通り、銀次と勘助が、ふたりがかりで飛びかかって、布団を頭から被せて、抑え込み、三郎九朗が、暴れる福造を、布団の上から、滅多刺しに刺して、殺しました。
この時は大変でした。
福造が暴れるので、なかなか思い通り急所を刺す事が出来ず、完全に殺してしまう迄には、数えきれないほど何回も何回も刺さねばなりませんでした。
その度に悲鳴を上げては跳び上がり、喚き(わめき)、泣きながら力一杯暴れましたから、抑えている方も、刺す方も、大変でした。銀次などは、抑えているうちに、気分が悪くなって、吐きそうになったほどでした。
しかし3人とも、この時はもう、この家の中には自分たち以外は、生きている者は、いなくなったと思っていましたから、3人は、被せられた布団の下で福造が、泣こうが、喚こうが(わめく)、暴れようが、それを気にする事もなく、黙々と殺しを遂行しました。
福造を殺し終えると、三郎九朗は、その汚れた手で、おもむろに福造の寝ていた布団の下の畳をめくり上げました。
そして床下に隠してあった甕(かめ)を取り出すや否や、中にはいっていたお金を数え始めました。
彼等は金を数え終ると、合わせて900両余、重さにしておよそ16キロ余の小判を3人で公平に分けました。
そして3人は、その分けられた3分の1の小判を抱えると、別々に、夜の暗闇の中へと消えて行きました。
彼等は、自分たちのした事を見ていた者など、誰もいないと思っていました。
所が、実際には、福造殺害の一部始終も、そして福造を殺した後の大胆な盗みの行動も、その全てを、憎々しげに、睨んでいた目が、床の間にあったのです。
それは、床の間に掛けられていた、軸に描かれている女の目でした。
女の目は、奇妙な光を発しながら、3人を、睨んでおりました。
勘助は、初めての押し込み強盗と殺しに、緊張し、舞い上がってしまっていましたから、周りを見ている余裕などありませんでした。
だから床の間に、画が掛かっている事すら気付いていませんでした。
後に、郡上山中で、道に迷って泊めてもらった時、あの奇妙な家で、床の間にかけられていた画を見ても、特に何も感じませんでした。
しかし、あの時、その家の床の間に掛かっていた女の人の画こそ、今、床の間にかかっていて、三人のする事をじっと睨んでいる、西施の姿が描かれている、画そのものでした。
三人が立ち去った後、家の中にはもう、動くものも、音を立てるものもなく、角福質店は、死の静けさともいうべき、奇妙な静寂に包まれておりました。
しかし三人が立ち去って、しばらく後、角福質店の中には、小さな灯りを揺らめかせながら忍び込んできた、人影がありました。
その人影は、迷う様子もなく、真直ぐに、福造の部屋に入ると、床の間に掛けてあった西施像の軸を下ろし、それを抱え、再び音もなく、闇の街へと消えていきました。
顔こそ見せませんでしたが、その華奢な身体付きと、やや女っぽい歩きぶりからすると、それは、お役者銀次だったに違いありません。
あれほど三郎九朗から、お金以外の物は、盗ってはならないと、きつく言われていたにもかかわらず、西施像の魅力に惑わされてしまった銀次の耳には、届かなかったようです。
銀次は、他の二人がこの家から去っていくのを待って、再び、その家に忍び込み、西施像を持ち去りました。

続く