No.183 廻る糸車、西施像奇譚 その4

お祖母ちゃんの昔話より

註1:西施・せいし・・・中国春秋時代、越の伝説上の美女の名前。
楊貴妃と並ぶ、中国古代における、傾国の美女の一人。
古代中国4大美女の一人で、彼女のあまりの美しさに、魚も泳ぐのを忘れ、沈んでしまったという伝説が残っている。
彼女、もともとは、貧しい洗濯女に過ぎなかったが、その美貌によって、越王、匂践(こうせん)に見いだされ、,越が呉に敗れた時、呉王、夫差の下に献ぜられました。
呉王、夫差は、まんまとその計略に乗せられ、西施の色に溺れ、政治を怠り、その結果、呉は弱体化し、後に越王に滅ぼされた。
呉の滅亡後は、彼女の美貌に越王、匂践が惑わされるのを恐れた、匂践夫人によって、皮袋に入れられ、長江に沈められたと言われておる。
更に詳しくは文の中ほどにある註をご覧ください。
註2: 奇譚(きたん)・・・世にも珍しい話、
註3:
登場人物について:
寿美:長女
吉治:長男(丸吉商店店主。故人。)
金佐衛門:次男
留吉:三男
奈津:次女
勘助:吉治に雇われ、丸吉商店で働いている。
泰乃:吉治の妻
お絹:寿美の遠縁の娘。泰乃の養女となり、勘助と結婚する。

 

その10

丸吉商店の後を継いだ勘助は、後見人の金佐衛門や義母の泰乃が、目を見張るような商売上手でした。
勘助は、仕入れた商品の代金を、早めに支払う代わりに、問屋から買い入れる価格を値切り、安く仕入れて、安く売るように店の方針を変えました。
また、付け売りで、盆暮れの払いが普通だった小売りも、当時の常識を覆して、現金だとか、当月中に支払ってくれるようにするため、支払いが早いお客だとか、支払いが確実なお客には、思い切って安くし、そう言った上得意のお客を増やすようにしました。
一方、店番をしているお絹の方は、お絹の方で、買ってくれたお客には“ちょっとお負けをする”と言った商いの仕方で、買い物に来てくれるお客の心を掴み、客を増やしていきました。
同時に、店の品ぞろえも、それまでの穀物中心の品ぞろえから、ついでに買って行く人の多い、味噌、醤油、塩、油などと言った、調味料の類に迄、拡げていきました。
こうして月々の店の売り上げは、僅かな期間の間に、勘助夫婦がお店を継いだ時の、3倍から4倍にもなりした。
何しろ、お店にいけば、とても愛想良く、感じのよい御夫婦が応対してくれる上、他所のお店より、ずっとお得な買い物が出来るのですから、町の人々が放っておくはずがありません。
いつのまにか、評判が、評判を呼び、朝早くから夜遅くまで、客足の絶える時のないほどの繁盛ぶりとなりました。
連れて、店の財務内容もどんどんよくなっていき、赤字はすっかり消え、毎月毎月、面白いほどに、儲かり、お金が溜まるようになってきました。

 

その11

吉治の妻、泰乃は、そんな店の堅実な経営と、その繁盛ぶりを見ながら、安心して、あの世へと旅立っていきました。
それは勘助が入り婿となってから、6年目の事でした。風邪から肺炎をおこし、床に就いて僅か2日で亡くなると言う呆気なさ(あっけない)でした。
しかし泰乃の晩年は幸せでした。回りの誰も羨むほどに幸せでした。
店は順調な上、勘助夫婦は、なかでもお絹はそうでしたが、とても大切にしてくれましたから。
店を継いで間もなくの頃で、店は、やっと軌道に乗り始めたばかりで、まだまだお店の経営が大変な時にもかかわらず、泰乃は、楽隠居させてもらえ、その上、自分の身の回りの事をしてくれる女中までつけてもらえました。
お金も、義母からでは言いだしにくいであろうと言うので、いつも一定のお金が、何も言わなくても、お財布に入っているようにしてくれ、何不自由のない暮らしをすることができるようになりました。
さらに、お店を離れて、さみしいだろうというので、養女のお絹が、頻繁に隠居所に顔を出してくれ、お店の経営状況だとか、その日に店であった出来事を、面白、おかしく話をしていってくれました。
又来てくれた時は、痒い所に手の届くような細かい目配りをして、いろいろ手配していってくれました。
お絹にとっては、泰乃は大恩人でした。
何しろ、嫁に行きそびれ、そのままでは一生を居候として、肩身の狭い思いをしながら、実家で、小さくなって、生きていかなければならなかった彼女でした。それを泰乃に拾ってもらえたお陰で、こんなにも幸せになることができたのです。
だから、どんなに感謝してもしきれない思いでいつもいました。
彼女にとっては、誠心誠意、義母に尽すのは、当たり前のことで、その恩に報いるためには、どれだけ尽くしても、尽くしきれないとの思いでした。
だから、どんな事があっても、義父が作り、義母が大切にしている、この丸吉商店の暖簾(のれん)を守っていかなければならないと、固く誓っておりました。
しかし、勘助の考えは少し違っていました。
他人の目、特に吉治の縁戚、お目付け役である金佐衛門の目を気にし、表面的には、義母の泰乃を大切にしていました。
しかしそこに、心は有りませんでした。
全てを、お絹まかせ、他人任せで、お絹が義母を大切にしていろいろする事に、表だって反対はしませんでしたが、勘助自らが、義母の為に、何かをしようとした事は、全くありませんでした。
隠居所を訪れ、義母の相手になって無聊を(ぶりょう:つれづれな事、暇で退屈な事)を慰めてあげようという考えなど、頭の隅に浮かんだことさえなさそうでした。
それが、常々お絹にとっては不満であり、勘助に対する不信でした。
そして、密かに抱いていた、勘助への不信の念は、そのような勘助を見ているうちに、膨らんでいくばかりでした。
表面的には、仲良く、協力して、頑張っているようにみえる二人でしたが、お店の事についても、勘助とお絹との間には、その経営方針を巡って、徐々にブレが出来、溝が深まってきていました。
今の丸吉商店のまま、堅実経営に徹し、暖簾を守っていこうとする、お絹に対して、小売だけでなく、もっと大きく、藩内の産物を、一手に引き受けて、川下の業者に売り、川下の町や村から買い集めてきた品物を藩内の小売業者に売る、中卸しのような業態もやるお店にしたいと考えている勘助との間には、大きな開きがありました。
それは勘助の心の中で、日を追うに連れ大きくなっていく野心でした。
しかしお絹にはそれは、理解出来ませんでした。

 

その12

もともとお絹との仲は、結婚当初から、それほど睦まじかったわけではありませんでした。
大柄な上、がさつな所のあるお絹は、仕事こそ良く出来ますが、女らしい所のやや欠ける所がありました。
化粧っけのない顔のまま、身なりに、気を使う事もなく、朝から晩まで、汗にまみれて、駒鼠のように働き続けるお絹に、勘助は、女らしい色気を感じた事は、ありませんでした。
江戸で、垢ぬけた遊女たちと遊んできた勘助にとっては、お絹との房事(ぼうじ:男女の寝床の中での、睦事)は、まるで丸太を抱いているような味気なさでした。
自分を鞭打ち、他の女を思い浮かべながら、只義務的に抱いていると言うのが、本音でした。
このように、お互い胸に、一物、持ちながらも、表に出てくる事のなかった二人の間に横たわる、不満と、不信の深い溝は、泰乃の死をきっかけに、一気に吹き出てまいりました。
泰乃の死によって、(家を継ぐに当たって書かされた)あの誓約証文の頸木(くびき:自由を束縛するもの)から解き放たれ、自由になった勘助は、誰憚る(はばかる:遠慮する)必要もなくなったとばかりに、自分の思い通りに、突っ走り始めました。
お絹には何の説明もないまま、何やら怪しい動きをし始めました。
人と会うと言って、しばしば夜になると、出かけ、家を空ける事が多くなりました。
そんな場合、家に帰ってきた勘助の身体からは、お酒と、白粉(おしろい)の匂いいがぷんぷんする事も少なくありませんでした。
更に、二人で貯めてきたお店のお金を、内緒で持ち出し、その用途については、お絹がどれだけ問い詰めても、頑として(=あくまでも)、話してくれませんでした。
持ち出した金の総額は、どう考えても、飲み屋で、飲み友達と使った程度の額ではなくなりました。
もっと、もっと、とてつもなく大きな額となっていました。
それだけに、お絹の勘助に対する不信は、募るばかりでした。
更に心配だったのは近頃、どう見ても、堅気の人間とは思えないような、怪しげな雰囲気をもった男達が、頻繁に店に顔を見せるようになったことでした。
それは、勘助が何をしているか、何を考えているかが、分からないだけに、お絹の不安を煽り(=あおる)ました。
何か怪しげな取引に巻き込まれたり、女がらみで騙されたりして、借金させられ、それが嵩んで(かさんで)、お店ごと乗っ取られてしまうのではないかと心配しました。
いや、それならまだいいほうで、夫の、あの性格から考えると、あの怪しげな男達と結託して、この店を乗っ取るため、私を密かに、亡きものにしようと画策しているのではないか、とさえ思いました。
考えてみれば、勘助が、やりたがっている、広く藩内の産物を取り扱えるような、大きな店にするには、それに強く反対していて、邪魔になる、家付き娘の自分を、亡きものにして、この店を乗っ取るのが、一番近道のはずです。
一緒に暮らしている時、時々顔を覗かせた、あの冷酷非情な性格、そして、言い合いになった時、自分に見せる、あの冷たい憎しみに満ちた目からすると、その考えが、あながち自分の邪推とは言えないと思えました。
もうお絹には、夫、勘助に全く未練はありませんでした。
結婚した当初から、自分との結婚も、勘助にとっては、店を持つための方便にすぎなかった事、自分が愛されていなかった事を、うすうす感じておりました。
しかし、結婚当初の、赤字の店をなんとか盛りたて再建しようと、二人で、一緒に、頑張っていた間は、それなりに楽しかったし、幸せでした。
所が、お店が順調にいくようになるに連れ、店の経営だとか、義母への態度などなどをとおして、二人の間の意見の食い違いが、目立つようになり、夫の心は次第に離れていくのが分かりました。
それが義母、泰乃の死によって、まるで頸木(くびき=牛、馬などの大型の家畜を馬車、牛車、かじ棒に繋ぐ際に用いる木製の棒状器具の事)から放たれた牛か馬かのように、勝手気ままにふるまうようになった夫の態度をみるにつけ、お絹は、二人の間の溝が、もはや修復不能なほど、深くて、広くなっている事を感じざるをえませんでした。
特に、いろいろな人の口や、女特有の勘から、外に女の影を感じるようになってからは、その思いが、ますます強くなっていきました。
お絹は、自分のする事に対する、夫の対応次第では、もはや、結婚生活を破たんさせる事になったとしても、それはそれで、やむを得ないと迄、思い詰めるようになっておりました。
そこで、まず、それまで二人で貯めてきたお店のお金は全てを、別の所に隠してしまいました。
同時に、丸吉商店の養女で、その店の跡継ぎである立場を利用して、店のお金の管理や、お店の印鑑の管理を厳重にして、婿養子の勘助が、お絹の承諾なしで、勝手にお金を持ち出したり、お金を借りたりする事が出来ないようにしました。
更に、夫・勘助との間に子供のできなかったお絹は、この店の後継者として、自分の妹の子を養子にする事まで、親戚一同の同意を得て、勝手に決めてしまいました。
お絹は、夫・勘助の最近の動きから、家の外に子供がいて、その子を店の跡継ぎとして押しこもうとしている事を、敏感にかぎ取っていました。
だから、勘助がそういった動きをし出す前に、先手を打つ事にしました。
無論、勘助がそれを、すんなり認めるはずがない事は分かっていました。
だから予め、吉治方や泰乃方の親戚に根回しを済ませ、勘助が承服しない時は、親族会議を開いて、婿養子勘助を離縁し、この店から放逐する手筈まで整えていました。
それを言い出された時、勘助は怒り狂いました。
折角、この店の主となり、この店を自由に牛耳る事が出来るようになる日だけを楽しみに、長年、婿養子として、我慢に、我慢を重ねて頑張ってきたのです。
それが、全て無駄になってしまったのですから、悔しいし、怒りました。
勘助の計画では、まず、外に作った我が子を、丸吉商店の嫡子として、入れるつもりでした。
同時に丸吉商店からくすねたお金で、丸吉商店とは別のところに、新しい店を借りておいて、時期が来たら、そこで仲卸業を始める心算(つもり)でした。
お絹の心配はあながち邪推とか杞憂とは言えなかったようで、勘助は、その計画の邪魔になるようなら、お絹には、折を見て、事故かなんかを装って、この世から、消えてもらえば良いと考えておりました。
所が、それらの計画を実行に移す前に、お絹のほうに先手を打たれて、全ての計画が水泡に帰してしまったのです。
だから悔しいし、怒りました。
しかし勘助の性格を熟知していたお絹が、勘助の反撃の余地がないように、きちんと詰めてしたことですから、後の祭りです。
いまさらどうしようもありません。
お絹を殺してやりたいほど憎いと思いました。
しかし今更お絹を殺しても、自分が怪しまれて、この街におり難くなるだけです。
泰乃の死によって、頸木(くびき)から放たれ、自由になったと思って、浮かれ過ぎ、早く箍(たが:桶、樽等の外側にはめられている、板を束ねる輪)を外し過ぎた事が悔まれました。
お絹の事を、女と侮っていたのが誤算でした
もうこうなりますと、この時点で、勘助に出来た事は、離縁されるに当たっての、条件闘争、すなわち、手切れ金を、少しでも多く貰えるように、交渉する以外に方策はありませんでした。

続く