No.182 廻る糸車、西施像奇譚 その3

このお話はフィクションです

西施像奇譚
(お祖母ちゃんの昔話、因果は巡る糸車より)
註1:西施・せいし・・・中国春秋時代、越の伝説上の美女の名前。
楊貴妃と並ぶ、中国古代における、傾国の美女の一人。
古代中国4大美女の一人で、彼女のあまりの美しさに、魚も泳ぐのを忘れ、沈んでしまったという伝説が残っている。
彼女、もともとは、貧しい洗濯女に過ぎなかったが、その美貌によって、越王、匂践(こうせん)に見いだされ、,越が呉に敗れた時、呉王、夫差の下に献ぜられました。
呉王、夫差は、まんまとその計略に乗せられ、西施の色に溺れ、政治を怠り、その結果、呉は弱体化し、後に越王に滅ぼされた。
呉の滅亡後は、彼女の美貌に越王、匂践が惑わされるのを恐れた、匂践夫人によって、皮袋に入れられ、長江に沈められたと言われておる。
更に詳しくは文の中ほどにある註をご覧ください。
註2: 奇譚(きたん)・・・世にも珍しい話、
註3:
登場人物について:
寿美:長女
吉治:長男(丸吉商店店主。故人。)
金佐衛門:次男
留吉:三男
奈津:次女
勘助:吉治に雇われ、丸吉商店で働いている。
泰乃:吉治の妻

 

その8

「それで、次兄(つぎにい:ここでは、金佐衛門のこと)、この店の現状はどうなの。昨夜から、帳簿を点検していたようだけど、やっぱりこのまま続けていくのは難しそうなの」と吉治の末の弟、留吉。
留吉は、金佐衛門の所で、働かせてもらっている、鍛冶職人です。
良い腕を持っていて、彼を名指しで、修理だとか、制作を頼みに来る上客も少なくありません。
しかし、金勘定と言う事になりますと、全く駄目で、商売には向いていない人です。
自分でもその事を、よく自覚していて、独立して、店を持とうという野心は全く持っていません。
職人気質の人で、口数が少なく、お世辞も言えませんから、取つき(とっつき)難く、ちょっと見には、付き合い難そうに見えます。
しかし、人柄は良く、とても心根(こころね:本当の心)の優しい人です。
今回の事についても、夫に先立たれ、どうしてよいか分からず、オロオロ、メソメソしている、義姉の泰乃に同情して、なんとか身の立つように、してやれないかと思って心を砕いています。
しかし、金も力も才覚も持ち合わせていませんから、それ以上、動きようが無く、ただやきもきしているだけです。
「それを今、考えているところだよ。帳簿で見る限り、今、清算したら、かなりの赤が出るだろうな。
この店に、多少なりとも財産らしいものがあれば、清算してしまうのが、一番すっきりするのだけどなー。
残念ながら、この店自身、土地も含めて、兄さんのものではなく、借家だからなー。
だから、もし清算するとなると、債権者とは、この赤を誰が、どれだけ埋めるかという、話し合いになるだろうな。
この際、債権者の皆さんには、多少泣いてもらうとしても、わしら身内の者も、多少は損を被ぶって(かぶる)やらないことには、この話は纏(まと)まらないと思うよ。
それと、もう一つ考えてやらねばならないのは、義姉さんの身の振り方だろうなー」
「次兄ちゃんの所は、儲かっているから良いかもしれないけど、うちらみたいなお百姓は、最近年貢がきつくて、人の所の台所の事を、心配をしているどころじゃないわよ。
下手すると、うちが先に、一家で、首、括らなければならないくらいなんだから
泰乃義姉さんが、自分の家の不始末は、自分でなんとかすると言っているのだから、自分で、なんとかしてもらったらどう」と吉治の妹の奈津。
彼女も近在の農家に嫁いでいます。
しかし最近の年貢の値上げと、一層厳しくなった、藩の年貢取り立てによって、その日の生活さえ、ままならない状態です。
「そういうわけにもいかんだろう。世間体もあるし。
義姉さん、兄さん(吉治の事)を亡くしたばかりで、まだ取り乱している貴女に、こんな事、言い難いのだけど、義姉さんは、今後の事は、自分で何とかすると、強がりを言ってらっしゃるけれど、この店を続けていかない限り、それ、無理ですよ。
義姉さんの身の振り方一つとっても、その年じゃー、どう考えたって、お勤めは無理です。
飯炊きにだって、雇ってもらえませんからね。
この商売を止めるとなると、結局、私達の中の、誰かが引取って、面倒を見るしかないのですよ。
私達の方だって、世間体もあるから、放り出すというわけにはまいりませんしねー。
なにしろ、こんな狭い土地柄でしょ。
もし義姉さんを、放り出して、路頭に迷わせるような事でもしようものなら、世間様から、なにを言われるかわかりませんからね。
債権者との話し合いだって、そう。
女の人である、義姉さん一人だけで出たのでは、いくら頭を下げても、誰も納得してくれませんよ。
ここにいる親戚の中の誰かが、一緒に出て、頭を下げないことにはね。
だから、義姉さんも、ここのところは、ここにいる皆に、少しは頭をさげてもらわないと」と金佐衛門は渋い顔をして申します。
「でも、次兄ちゃん、今の所、兄弟の中で、そういうのが出来るのは、次兄ちゃんの所だけだよ。
ごちゃごちゃいってないで、次兄ちゃんの所でなんとかしてもらえない?」と奈津。
「そうはいってもなー、うちだって、そんなに、楽じゃないし。
それに第一、うちだけでやるとなると、『長男でもないのに、どうしてうちだけがそんな事を、しなけりゃいけないの』と言って、かみさんや、子供たちに怒られるからなー」
「言っておきますけど、うちは絶対に駄目だからね。
吉治に何かあった時は、どうせこういう事が起こるだろうと思っていたから、ずっと前、吉治がまだ、元気でやっていた時、うちの子を、養子に貰ってくれないと、言ったことがあったのよ。
もしあの時、うちの子を養子にしてくれていたら、こんな問題なんか、起きなかったのに。
それを泰乃が、何や、かにやと言って反対して、養子にもらってくれなかったから、今、こういう事になっているのよ。
あの時の事があるから、私、吉治の家の事なんか、知らないから。
絶対、関わるつもりないからね」と寿美。

 

その9

「養子、そう言えば、その手もないことないなー」ほっとしたような響きの、金佐衛門の声。
「義姉さんの身内の娘を養女に入れ、勘助をその婿として迎え、奴に、後をやらせたらどうだろう。
ほら、あんたの遠縁の娘に、ちょっと行き遅れているお絹さんと言う娘がいたでしょ。
時々、手伝いがてら、遊びに来ていた娘(こ)。養女には、あの娘、どうだろう。
ただ、この話、本人達にその気がない事にはどうしようもないけど。
商売の事だけなら、勘助、もうかれこれ4年近くも、兄さんの下で、働いてきたでしょ。
たったら、もう一通りの事は、学んでいるだろうから、勘助だけでも、なんとかやっていけるのと違うか?
兄さんが、常々、『良くやってくれているとか、呑み込みが早くて、商いの勘が良い』とか言って、褒めていたくらいの奴だから。
債権者たちだって、勘助が婿に入って、義姉さんと一緒に後をやるという事なら、このまま店を続けると言っても、何の異存もでないと思うけど、義姉さんはどう思う」と金佐衛門が続けます。
その言葉には、なんとかこれでいって欲しいと願っている、金佐衛門の思いが、ひしひしと伝わってまいります
「そうねー。主人もゆくゆくは、そうなる事を望んでいましたから、本人達さえ、その気があれば、そうするのが一番かもしれませんわねー。
そうなれば、今日、お集まりの御身内衆の皆さん方にも、あまりご迷惑をかけなくてすみそうですし」とやや皮肉っぽい調子で、泰乃が返します。
「只、私が心配なのは、あの子が、未だ商売をあまり知らない間に、無茶をして、手を広げ過ぎたあげく、大赤字にしておいて、集めた金だけ持って逃げてしまうことです。
そうなりますと、店は、今よりもっと酷い状態になって、主人が大切にしていた、この丸吉商店の看板に泥を塗り、債権者の皆さん方には、今以上のご迷惑をおかけするという事になってしまうものですから。
これからの話は、ここだけにして、勘助には、絶対に言わないようにしていただきたいのですが、
何しろ、あの子、江戸藩邸の御家臣の請け書こそ、もってきていますが、本当の出身地は、はっきりしていませんの。
江戸で何をやっていたのかも、身内がいるのかいないのかも、全く、わかりません。
何しろそう言った事については、一切、口を噤んで(つぐむ)申しませんから。
だから、一口で言えば、あの子は根なし草の、流れものです。
その上、あの子が、うち(の店)にきて、まだ4年にもなっていません。
だから、あの子が何を考えているのか、どう言う気性の子かも、本当の所は、今一つ、私には、掴み切れておりません。
愛想もよいし、物腰も柔らかで、話し上手ですから、一見すると、とても良い子に見えます。
しかし、なんだかそこに、心がないような冷たさが感じられる事があって、怖いのです。
もし、後を継いだ後、自分の店になったというので、あの子が暴走し出した時、商いの事を全く知らない、私とお絹で、それを止められるでしょうか。
帳簿も読めない私と、嫁になって、まだ日も浅いお絹とじゃ、そんな事、出来っこありません。
それに、店に来てまだ日も浅く、それほど情が通い合っているわけでもない私と勘助の間柄です。
私に万一の事が起こった場合、例えば私が、病気で寝込んでしまったりした時、本当にあの子が、面倒を見てくれるでしょうか。お店が順調な時ならまだしも、上手くいかなかったら、足手纏いとばかりに、即、(私を)放り出してしまう事だって、無いとは言えませんでしょ。
そこの所が、いま一つ信用できないものですから、心配で」と泰乃。
「そう言う事が出来ないようにと言うので、あんたの遠縁の娘(こ)、お絹さんを養女にして、勘助を入り婿に迎えたらと言っているのだよ。
お絹さんが養女となって、この家を継ぐのなら、あの娘、優しいし、気心も知れているから、安心でしょ。
それに、勘助を婿にして店をやらせるに当たっては、義姉さんの心配しているような事を、絶対にさせないように、きちんとした誓約証文をとっておくから、大丈夫だよ。
商売のほうも、あいつが暴走せんように、しばらくの間は、時々、帳簿を見せてもらいにくることにするから、それなら心配ないだろう」と金佐衛門。

続く