No.177 一粒の米にも その12

このお話はフィクションです
その44

具体的なお話は、もう少し後でするとして、今さしあたっての、貴方がしなければならない事は、本当に委託してあるお金を、返していただけるかどうかを確認してくる事です。
もし返していただけるのであれば、何時までに、どれだけのお金を、どういうふうに返していただけるのかと言う事を、早急に取り決めていらっしゃい。
この話を、夢物語で終わらせたくないとお思いでしたら、今度は命がけで回収するくらいのご覚悟が必要です。
お金の工面が出来ましたら、私の所へ連絡して下さい。そうしたら、測量のできる弟子をつれて、またここへやって参ります。
測量から設計図の完成までには、10カ月くらいはかかると思っていて下さい。
設計図が出来たら、なるべく安く上がるように、二人で相談しましょう。
なお私、あちらこちらへ、出かけている事が多いので、ご連絡を頂いても、すぐに来るというわけには参らないかもしれません。
しかし必ず、そして出来うる限り早く来るようにはします。

 

その45

所で、これ余分な、お話しですが、祐貞さんとお米さん、貴方達お二人は、お互いに好きあっていらっしゃるのと違いますか。
先ほどからのお二人のご様子からは、どうもそのようにお見受けされてならないのですが。それとも、もうお二人は、実質上の御夫婦になっておられるのですか」
と上人。
真っ赤になった二人は、下を向いて、ただ首を横に振っておりました。
やがて顔をあげたお米が「お上人様の前でございますから、正直に申し上げます。確かに私、若旦那様の事を、お慕いしております。
しかし、私は、ここの使用人でしかございません。
それに右手もやや不自由でございます。だから私は、そのような大それた事を、夢見た事なんか、一度もございません。
ただお傍にいさせて頂いて、少しでも、若旦那様の、お役に立つ事が出来れば、それだけで十分なのでございます」と言いました。
「古い。古い。こんな家の状況で、今更、家柄も身分も、あったもんじゃないでしょ。
お互い好きあっていればそれで十分。第一、今、お前、手が不自由といったけど、私の見る所、そんな風には見えないが、ちょっと動かして見てくれんか」と上人
お米は、お上人様に言われるままに手を動かしてみました。しかし全く不自由な所はありませんでした。
いつの間にか手の不自由さは無くなってしまっていました。
お米は思わず手を合わせると、はるか高野山の方に向きを変え、
「弘法大師様、貴方のおっしゃっていた通り、いつの間にか私の手は完全に治ってしまいました。
本当にありがとうございます。ありがとうございます。
これからも、お大師様のお言いつけに背かないように、心がけますので、どうか、どうか、私どもをお守りください。
若旦那様も、あれから心を入れ替えられ、今では一粒のお米も無駄にしないよう努めておられます。
若旦那様の、これからしようとされている大事が、成功しますよう、どうかお守りください。
どうか、どうかお願いします」とお祈りしました。
このお祈りの言葉を、お聞きになられた如水上人は、
「今、お米さん、お大師様から、直接、お言葉を賜ったかのように言っておられたが、それはどういう事かの」とお尋ねになりました。
そこで祐貞が、自分達と、お大師様との間に結ばれている縁(えにし)についてお話しました。
それを聞かれた上人は、
「そうでしたか。そんなことがあったのですか。貴方達は、よほどお大師様と深い縁がお有りなのでしょうね。
私なんか、一度でいいからお会いしたいと願っていますのに、いまだに夢の中にも、出てきて下さらないのでございますよ」と少し羨ましそうです。
「それなら話は、早い。お二人は、もともと御縁がお有りなのですから、私が仲人を勤めますから、お二人はこれを機会に、身をお固めなさい。
これから大きな事業をするにあたっては、祐貞さんにしても、お米さんにしても、身を固めておかれた方が、世間の信用も付き、そのほうが、ずっと都合がよろしいですよ。
そうして、二人、力を合わせて、これからの大業に立ち向っていかれれば、一足す一は二ではなく、十にも、二十にもなりえます。
特にお米さんは、今のような宙ぶらりんの立場でおかれているよりは、きちんと座る所へ座らせてもらわれたほうが、いいのです。
そうすれば、誰に指を、指される事もなく、大っぴらに、祐貞さんを支えることもできますし、祐貞さんが他の用事で出向けない時には、祐貞さんの代理を勤めることだって出来ますからね」
「どうじゃな。こうなれば、善は急げじゃ。これからお二人の結びの式を挙げることにしては。
どうせ、今の状況なら、正式な結婚式なんか、出来る状態ではないのだし、招待客と言っても、せいぜい村に残っている数軒の家族ぐらいのものでしょ。
それらの人達だって,今では、式に呼ぼうと思うほど親しくしていらっしゃらないでしょ。
まして親戚なんか、貴方達が近寄ってくると、物入りだとばかり、敬遠していて,出席してくれっこないでしょ。
だったら、そんな形式なんかに拘る(こだわる)事はありません。
お二人だけで、今夜、式を挙げる事にしましょう。
仲人は、私、立会人はお兼、吉六さん御夫婦と御仏ということでどうじゃな」

 

その46

夜中に起こされて、何事か起こったかと、訝りながら(いぶかる)、お上人様のいらっしゃる座敷にやってきたお兼、吉六の夫婦は、これから、祐貞、お米の結婚式を執り行うから、立ち合い人になってくれと頼まれて、二度びっくりしてしまいました。
「でもお二人の身分が違い過ぎていますから、世間体が」と躊躇するお兼に対し、お上人様は、
「構わぬ、構わぬ。先ほど、二人から、幼い時、お大師様に会った時の話を聞いたが、それから考えると、このお二人は、前世から結ばれる運命(さだめ)になっている仲に違いない」
「わし、今回は、明朝早く、ここを出発せねばならぬことになっている。
だから済まぬが、これから結婚式の準備を、と言っても簡単な三々九度をする用意だけでいいのじゃが、それをしておくれ。
そしてお二人は親代わりとして、また立会人として、二人の幸せを祈ってやっておくれ」とおっしゃると、自分も直ぐに衣を纏(まと)われ、仏壇の前にお座りになりました。
こうしてその夜の内に、二人のささやかな結婚式が執り行われました。
お米は嬉しさと感激のあまり、涙が止まりませんでした。三々九度のお酒、実際はお酒のような贅沢な物は家にありませんでしたから、御飯粒を砕いて浮かべたお水でしたが、それが塩辛くなってしまうほどに泣き続けました。
何しろ、長い間密かに思い続けていた人、叶わぬ恋と、心の底深くに閉じ込めてしまっていた人と、結ばれる事になったのですから、こんな嬉しい事はありませんでした。
今の出来事が夢ではないかと思えてなりませんでした。しかし何度抓(つね)っても、痛く、それが覚めることもありませんでした。
祐貞は男でしたから、それほど感情を表には出していませんでした。
しかし式の間中、顔を紅潮させながら、いかにも愛しげ(いとしげ)な顔をして、お米を眺め続けておりましたから、後々まで、お兼、吉六夫婦に、からかわれる種となってしまいました。

続く