No.176 一粒の米にも その11

このお話はフィクションです
その39

この二人の切ない感情を、一緒に生活している吉六、お兼夫婦が、気付かないはずはありません。
祐貞、お米達と同居するようになって間もない頃より、既に、その兆候を感じておりました。
しかし、昔気質の彼らには、身分の掟という呪縛(じゅばく)から逃れることは出来ませんでした。
年の割に純情な二人の切ない愛を感知し、心情的には、その愛の成就を願ってはいましたが、二人の仲をとりもったり、それを積極的に応援したりするような事は出来ません。
まして単なる使用人にすぎない自分達が、仲人として、その愛をまとめるなどという、大それた事など考えも及ばないことでした。
こうして愛し合い、思い合っていながら、互いにそれを表に現す事も出来ない、二人の切ない愛は、何の進展も見ることなく、その年もまた、年を越す事になってしまいました。

 

その40

年も替わり、村は、新しい春の訪れを迎えました。しかし、春はこの村に、喜びや希望だけを運んできてくれるものではありません。
住人たちは相変わらず、暮らしていくのに精一杯で、川の氾濫の恐怖に怯えながら、今日の糧を求め、地の上を這いずりまわるようにして作物を作りながら、日々を過ごしておりました。
彼等は少しでも時間があると、自分たちの住んでいる場所とその周辺の、作物が作ってある土地の回りに、土をもり、石垣を作り、小さな土手を築いて、少しでも水の被害から、免れようと試みておりました。
彼らにとっての春は、種を蒔き、作付を始める時でありますが、それと同時に、川の増水の季節の始まりを告げる時でもありました。
春の彼岸が過ぎれば、間もなく、この村には、川の増水の季節がやってまいります。
雪解け水に始まる、梅雨、雷、集中豪雨、台風などなどが、川の水嵩(みずかさ)を増やし、氾濫を起こさせます。それは、程度によっては、家も、田畑、作物も、場合によっては人の命さえも奪っていくものです。
堤防と言う、川の氾濫を防ぐ手段を失ったこの村では、今では、それがいつ起きるか分からない状態です。
だから、この村の住人達にとっては、春の訪れは、新しい作付の時を告げる時でしたが、洪水への恐怖の始まりの時でもありました。
それを防ぐ手段は、彼らにはもう、天に祈ることしか残っていませんでした。
村人達たちは皆(と言っても数軒しか残っていませんでしたが)、朝には、今日一日の無事を祈り、夕には今日一日が無事であった事に対して、感謝の祈りを捧げました。
彼等は、自分達が、草原の草木や、地の虫、空の鳥、水の中の魚等といった、色々
な生き物の命と同じように、自然の中で生かされている生き物達の、単なる一員でしかない事を、弁える(わきまえる)ようになっていました。
自分達の命は、神仏の御心のままであり、その御加護によって、生かされている身にすぎない事を知るようになっておりました。
それだけに、今の時代の人には考えられないほど、皆、真剣に祈りました。

 

その41

そんな日々の続くある日のことでした。
この村がまだ繁栄していた頃、観佐衛門の家に、時々、お泊りになった事のある、一人の托鉢僧が、(祐貞の所へ)訪ねて参られました。
「いやー大変なことになっておりますなー。
拙僧これまで奥州から、関東方面に掛けて、回っておりましたので、この村が、これほど酷い事になっているとは、露ほども存じませんでした。
それにしてもお父上の、観佐衛殿にはお気の毒な事でしたな。後で、ご冥福をお祈りさせて頂くことにしましょう。
お父様には亡くなられ、村はこの惨状、祐貞殿には、さぞや、大変な御苦労をなさった事でございましょう。
でもまあ、良く我慢なさって、村を棄てる事もなく、これまで頑張ってこられましたなー。ご先祖様が、さぞ、喜んでおられる事でございましょう。
それにしても、何時水の底に沈んでもおかしくないようなこんな川洲では、作物の収穫も不安定で、食べていくのも大変だったでしょうに、本当によく我慢なさいました。
でも、こんな状態のままでは、永久にここに住み続けるわけには参りますまい。
今後の事、どう考えておられます?」
「お父上には随分お世話になった事でもありますし、祐貞様のお考え次第では、私も出来る限りの協力を、させてもらうつもりでございます。」
「さあ、ご存念をお聞かせくだされ」と申し出てくださいました。
僧侶はその名を如水といい、谷汲村に、小さな庵を構えておられる、真言宗の僧侶でした。如水上人は、加持祈祷(かじきとう=呪文を唱え、加護を衆生に与えること)に秀で、これまでも、その祈りによって、数多くの人をお救いになって来られたお方です。
その為、当時、今弘法と呼ばれるほどに、人々から慕われ、崇められておられました。
そのせいもあって、庶民の間だけではなく、藩の役人たちや、重役達の中にも、信者が少なからずおりました。
また上人は、土木工事にも精通しておられ、これまでも、いろいろな藩から頼まれ、数多くの橋、用水路、堤防の修理だとか、建設などに係わってこられました。

 

その42

お泊りになった如水上人を相手に、祐貞は、ここ何年間もかけて作ってきた、村再生のための計画書と、再生事業完成後の、村の見取り図をお見せし、自分が立てた、この計画についての、上人のご意見を求めました。
土木に詳しい上人の目から見れば、それは子供の描いた夢の世界の見取り図にすぎません。
しかし、そこから祐貞が目指す、再建後の村の姿と、それにかける祐貞の熱意は、良く読み取る事が出来ました。
「ところで、これだけの大工事と言うことになりますと、とんでもない金額が掛かる事になりますが、それはどうされるおつもりですか」と上人が御尋ねになります。
「実は、私の家では、代々、桑名のある廻船問屋に運用を任せてきた、かなりの額にのぼるお金がございます。
所が、間が悪い事に、私どもが、こういう状態になって、急に、お金が入用になった時、あちらの廻船問屋さんの方にも、持ち船が、沈んでしまったというような不幸がありまして、その時、返して頂けませんでした。
あちら様のお話では、3年後には、倍にしてお返しくださると言うお約束でございました。
所が、そのお約束の期限は、もうとっくに過ぎているのでございますが、まだお返しいただいておりません。
もしかしたら、もうお返しいただけないお金かもしれませんが、そのお金さえあれば、何とかなるのではないかと思っております」と祐貞。
「よく分かりました。しかしこれほど沢山の費用の掛かる事業を、貴方お一人でなさるには、あまりに大変な事業で、無理があるのではないでしょうか。
藩の方にも、援助を、お願いされたらどうでしょうか」と上人。
「藩には再三交渉し、お願いしてきたのでございます。しかし藩の財政も苦しいからとおっしゃって、結局一文の援助も出来ないとの事でございました。
どうも、これほど酷い状態では、お金を出すくらいなら、見捨ててしまった方が安上がりと考えておられるように思います」
「さようか、しかしながら、費用の方は、貴方お一人で何とかされたにしても、今の事業計画では、採算がとれないと思いますよ。
費用をこちらで持つのでしたら、新田開発の費用を、個人で持つ代わりに、年貢を負けて頂くという事にでもされないと駄目です。
そうしないと、つぎ込んだお金を取り戻すことが出来ないどころではありません。
工事が終わった後も、農地から、実際にお金が入ってくるようになるまでには長い歳月が必要で。その間は、入植してきた人達にも、多少の生活の援助もしてやらねばなりません。
その間は、工事人夫として雇ってやるにしても、貴方の自家用地の作男(さくおとこ=田畑の耕作に従事する雇人のこと)として働いてもらうにしても、只という訳には参りません。だから、その間は、大変な持ち出しになる可能性が大です。
新たに入植してきたお百姓さん達だって、いつまでたっても、仮小屋住まいと言う訳にはまいりませんよ。
生活が安定し、家を造り、家庭を築けると言う希望がないかぎり、入植者を募集したって、誰も応募してきませんからね。
その為には、ある一定期間は、地代も安くしてやらねばなりません。
そこへ工事が完成したからといって、普通の村々と同じように、お上から年貢をかけてこられたら、いくらお金を持っていても、足りません。
ですから、この計画では、おそらく早晩、行き詰まってしまうでしょう。
何しろ藩の年貢は高いですからね。
藩のお役人達は、机の上の計算だけで、年貢を決めてきます。
ですから、工事が終わった途端、以前この村に存在していた農地が、そのまま回復されたものとして、年貢を決めかけてくる可能性が強いと思います。
しかしこの荒れ地は、堤防が出来、用水路が完成したからといって、直ぐに、作物が作れる農地になるものではありません。葦や、雑草、灌木を切り払い、根を取り去り、石や塵を取り除きながら、開墾して行って初めて農地となる土地です。
まともに作物が作れるようになるには、何年もかかります。
もし、まともに作物が収穫出来ない間から、どんどん年貢として藩に持って行かれたら、入植してきた者達は、貴方のところへ、地代を払うどころではありません、たちまち行き詰って、夜逃げして行ってしまいましょう」
「年貢を負けてもらう?
そんな事、あの頭の固い藩の役人どもが、してくれますかね」
「それは交渉次第ですよ。
あちらさんだって、今のまま放っておいて、全くお金が入らないより、何年後からでも、年貢が入ってくるようになった方がいい事くらいは、分からないはずがありませんからね。
何しろこのお話、自分の懐を痛めなくて済む話なんですから。
そちらの方は私にお任せください。藩のお重役方の中にも、知り合いがおりますから、その人たちに頼んで、何とかしますから」
「それから、この見取り図はあくまで、出来上がった時の姿が描いてあるだけです。実際に工事をするとなると、精密な設計図と、その実行を監督指導する土木技師が必要となります」
「設計図の作成は私がするとして、土木技師をどうするかでしょうね。
私が常時付いていると言う訳にも参りませんし。
ある程度信用出来る、腕の良い人を頼むとなると、これまた、だいぶお金が必要となりますが。
監督料の他に、宿泊する場所も準備しなければなりませんし、そう言っては何ですが、監督さんには、貴方達が今食べていらっしゃるような粗末なお食事と言う訳には参りませんでしょうしね。
期間が長い分、その費用も馬鹿になりませんよ」
その43
「更に、今から考えておかねばいけないのは、堤防が完成した後、誰を入植させるかということです。貴方のお心算では、誰をお考えですか」
「私としては、以前の村人たちに声をかけようと思っていますが」
「それはお止めになさい。
彼等の殆どは、既に移動した先で、収入の多寡はどうあれ、夫々、そこに落ち着いております。
それを、もう一度こちらへ呼び戻して、新田開発に当たってもらうには、無理があります。
特に所帯持ちには無理でしょう。
始めのうちは、殆ど収入もないような状態から、始めて貰わなければなりませんからね。
寝る所だって、貴方が、住む家迄作ってやっていたら、どれだけお金があっても足りません。
初めのうちは、そこらに転がっている流木を集めてきて、入植してきた者同士助け合いながら、仮小屋を作ってもらうより仕方がありません。
更に、用水路の建設、ため池の建設などといった、皆で利用する施設についても、開拓の時間の合間を見ては、順次、皆で共同して整備していってもらわなければなりません。
そうなりますと、そのまま昔の生活に戻れる事を夢見てこられるであろう、昔の小作達では、不平不満ばかり多くて、それに耐えられないと思います。
堤防が再決壊した後の、小作人達との、あのごたごたを思い返してごらんなさい。
あれを、もう一度再現したいとお思いですか。
あんな目には二度と会いたくないと思われるのでしたら、そういう人達は避けるべきです。将来、食べていくのに充分な土地を、貸してもらえるようになる事を、素直に喜び、最初の間の苦難に耐え、一日でも早く、きちんとした生活が出来るようにと、一生懸命、頑張ろうとする、真更(まっさら)な人達を集められた方が良いでしょう」
「そんな人、どうやって集めるのですか」
「それも、私が藩の重役方に頼んでみましょう。この近在にだって、農家の二、三男坊に生まれた為に、嫁をとる事も出来ず、その家で、一生、飼い殺しになっている人達は一杯います。そういった人達の中から、素直で、勤勉な子達を集めればよいのです」

続く