No.154 お墓の中まで その1
このお話はフィクションです似たような,名前、事柄が出てきましても、偶然の一致で、実在の人物、実際の事件とは全く関係ありません。又、実在の地名が出てきましても、フィクションの中の一場面として利用しているだけで、実在の土地、人物、家名とは無関係です。
その1
「もしもし、朱音(あかね)ちゃん。突然だけど昨日、後藤のおばちゃんが亡くなられたんだけど、あんたどうする。今晩お通夜で、明日、告別式」
「また突然。この間、家に帰った時、ちょっと、寄らせてもらったけど、その時は、あんなに元気そうだったのに。死因はなに?」
「それがね、見つかった時には、もう死んでおられたので、はっきりした原因は分からないみたい」
「エッ、それなら変死じゃないの。それで、よく明日葬式が出せるね。
普通は死因が特定されるまでは、葬式はできないんじゃないの」
「警察の調べで、事件性はないという事になったみたい。
現場の状態、それまでの通院記録、そして検死の結果等から総合して、心筋梗塞による突然死と言う事で片が付いたみたいだよ。
もう84歳にもなっていらっしゃって、年も年だから、警察もあまり問題にしなかったんじゃないの?」
「ふーん、それで、お通夜は何時から。
私、明日はどうしても抜けられない用事があるから、告別式に出るのは絶対無理。
だから、何とか都合を付けて、今夜のお通夜の方に出させてもらうことにするわ」
「今夜7時から昇魂殿、ほら19号線沿いにある、家の近くにある葬儀場、そこでと言う事になっているのだけど、そんな急に、帰ってこられる?」
「ウーン、ちょっと厳しいかも。
でも、これから直ぐに段取りを付けて、帰るようにするわ。
多分、最終列車近くになり、そちらに着くのは11時半過ぎるから、夜伽経には(よとぎきょう:お通夜の席で行われるお経)、間に合わないとは思うけど。
また名古屋に着いたら連絡するね」
「そう、でもおばちゃん、年も年で、身内だって、もう殆どいらっしゃらないみたい。
だから、お通夜も、葬式も隣組の人がきてくれるだけで、寂しいものだと思うよ。
もしあんたも出るのが難しいようなら、別に無理しなくても良いと思うけど」
「いや、そうだろうから、余計に私が出てあげなくちゃーと、思うの。
お母さんが病気の時には、あれほどお世話になったし、その上、お母さんが亡くなった後は後で、献身的といって良いほど懸命に、家の事をやってくれていた人だもの。
最後くらいは、ちゃんと見送ってあげないと。
私一人くらい、出たって、出なくたって、どうということはないかもしれないけど、私の気が済まないの。
最後くらいは、きちんとお別れを言って、見送らせてもらうわ」
「そりゃー、出てくれれば、それにこした事は無いけど、そんな夜中に帰って、お通夜に出たりして、明日の仕事に差し支えないの。大丈夫?」
「仕事は、お昼からだから、そちらを10時前に出ればなんとかなると思う。
また、そちらへ着いたら連絡するから、そしたら、駅まで迎えにきて、おばちゃんのお通夜場まで送ってよ」
その2
後藤のおばちゃんとは、今から25、6年ほど前、母が、くも膜下出血で倒れ、療養していた時、付き添い婦として、来て下さって以来のお付き合いです。
彼女はその当時、名豊観光ホテル内の、貸衣装店にお勤めでした。
それが、父の姉(伯母)の紹介で、そこを辞めて、私達の所へ来て下さった方です。
伯母のお茶のお弟子さんだった彼女、最初は、うちが困っているのを聞いて、ちょうど定年を過ぎた所であったこともあり、少しの間、手伝ってやろうかと言う程度の積りで、来てくださいました。
ところが、よほど、私の家の水があったのか、その後15、6年近くもの間、父の所で、お手伝いとして、お勤めをして下さいました。
細かい所まで気の付く、気配りのよく出来た方で、病気療養中の母など、娘の私よりも、頼りにしていたほどでした。
母が亡くなった後も、私達の求めに応じて、そのまま残ってくださり、母亡きあとの家を、切り盛りして下さいました。
少し頑固な所はありましたが、表面的には、人当たりの良い、常識的な人でしたから、母亡き後も、隣組など、近所の人との付き合いも無難にやってくださって、とても助かりました。
又、礼儀正しく、几帳面で正直な上に、親切で、一旦心を許したら、損得を離れて、とことん尽くしてくれるタイプの人でした。
その為、安心して、家の事一切を任せ、父も私も、母が生存していた時と同じように、雑事に惑わされることなく、自分の仕事に専念する事が出来ました。
その彼女も、75歳を過ぎた頃になると、心身の衰えには勝てず、お勤めが、次第に辛くなられたようで、ある時、これ以上のお勤めは、却って(かえって)、お宅に迷惑をかける事になるからとおっしゃって,父の強い引き止めにもかかわらず、自ら辞めていかれました。
お勤めをお辞めになった後も、うちとの行き来が、全く途絶えたわけではありません。
後藤のおばちゃんも、時々父の所を訪ねてこられておりましたし、私達も、何か珍しいものが手に入った時などは、お裾分けしたり、私が家に帰った折等には、お土産を持って訪ねていったりするなど、親戚に近いお付き合いをしていました。
3,4年ほど前から、「お宅を辞めた後、気が緩んだせいか、体調を崩してしまいましてね。
それからずっと、市民病院に通っているんですが、どうもはっきりしません。
歩く時、ふらふらしたり、頭がボーッとなったりするときがあります。
でも、もう年だから、少しくらい悪い所があるのが当たり前かもしれませんけどねー。
ただ最近は、強い眩暈までがするようになって困っています」
「お医者様がおっしゃるには、血圧からきた房室ブロックのせいとか」
「ペースメーカーを入れた方が良いとも言われているのですけど、でも、この年になって、今更、どうしてそんな痛い事、しなくちゃーならないの」
「この年になって、これ以上生きていたからといって、何も良い事が待っているわけじゃーなし、誰が喜んでくれるわけでもないのにね」
「だからもう、自然の寿命に任せます、と断っています」と時々溢す(こぼす=ぼやくこと)ようになっておられました。
その3
お通夜は、春日井駅を降り、タクシーで10分ほどの所、国道19号線沿いにある、昇魂殿と言う葬儀場で行われておりました。
会場についた時は、もう夜も10時半を回っていました。
お坊様の読経も、とっくに終わってしまっていて、6畳ほどのこじんまりしたお通夜場には、80歳過ぎと思われる女性が、たった一人ポツンと座っておられただけでした。
「本日はご愁傷さまでございました。私、以前、後藤様がお勤めして下さっていた、大井の家の長女、朱音(あかね)と申します。
失礼でございますが、お宅様はどなたさまでしょうか」
「アッ、申し遅れて済みません。
私、久美ちゃんの女学校時代からの友人、日比野明子と申します。朱音さんのお話は、以前から、時々、久美ちゃんから伺っております。
本日は後藤久美のお通夜の席に、ご遠方にもかかわらず、わざわざお出でくださいまして、誠にありがとうございます。
私、久美ちゃんの遺言によって、彼女のご葬儀の喪主を、勤めさせていただくことになりました。
至らぬ所ばかりでございましょうが、よろしくお願いいたします」
「それはそれはご苦労さまでございます。所で、他にどなたもお見かけしないのですが、お身内の方は、今どこにいらっしゃいますでしょうか。ご挨拶したいのですが」
「実は久美ちゃん、お身内といいましても、もともと、ご兄弟はいらっしゃいませんでしたし、従兄衆(いとこたち)の皆さん方も、今ではもう、皆、お亡くなりになられてしまって、誰もいらっしゃいません。
そのお子さんたちと言う事になりますと、今では殆どお付き合いもありません。
従って、このご葬儀を取り仕切ってくださるようなお身内は、いらっしゃらないのでございます。
私も、もうこの年ですし、無事に務まるかどうか心配で、本当は辞退しとうございました。でも、他にやって下さりそうな人もいらっしゃらないものですから、遺言に従い、息子や、ご近所の皆さん方の助けを借りながら、何とか大役を務めさせていただこうと思っております」
「そうでしたか。それはご苦労さまでございます。お世話になりますが、よろしくお願いします」
「でもどうして?確か、お嬢様がお一人いらっしゃったはずですが?」
「あれ、聞いていらっしゃらなかった、菜穂さん(久美さんの娘さん)のこと?」
「はい、あまり詳しくは。なんとか会と言う新興宗教に騙されて、娘を盗られてしまったとかと言って溢して(こぼす)おられるのを聞いた事はありましたが、それ以上詳しい事は」
「久美ちゃんって、運の悪い子でしてねー。本当は、父方、母方共に、それぞれその地方きっての大地主の出で、しかも父親は外交官といった、恵まれた家柄のお嬢様だったのですよ。
それが、いろいろおありになって。
だから、お元気な時から、落ちぶれた姿を、あまり人目に曝(さら)したくないというので、親せき付き合いも、避けるようにしておられました。
そういうこともあり、彼女がお亡くなりになった事は、近くに住んでいらっしゃるご親戚にも、殆どお知らせしてありません」
「本当は、娘さんにだけは、連絡をしたかったのですが、久美ちゃんが元気にしていらっしゃる時から、
『もうあの子は、いないものと思っています。だから、娘なんか、私の葬式に、呼ばないで』
『もし貴女より先に、私に何かが起こったような時は、その事くれぐれも、頼むね』
と前もって、頼まれていたものですから連絡してありません」
「親子二人の間には、とんでもない確執(かくしつ:考え方の違いからくる諍い、不和)がおありになりましたから、そう言われるのも無理ない事だと思いましたから」
「そんなー、いくらなんでも、それは駄目じゃない?
二人の間に、何があったにしても、親子でしょ。
せめて葬式くらい知らせてあげなきゃー。
そうじゃないと、娘さんが、あまりにも可哀そうじゃないの。
親の葬式にも出られないなんて。
そんなことして、娘さんから後で恨まれない?」
「おばちゃんだって、たった一人の娘さんだもの。強がりを言ってらっしゃっても、本当は来て欲しかったんじゃないの」
「そうでしょうか。でもあの憎み様と、怒り様は、並大抵じゃありませんでしたよ。時には、敵同士かと思うほどだったんですから」
「へー、それにしても『葬式に呼ばなくて良い』とまで言われていたなんて、二人の間に一体何があったの?」
その4
「菜穂さん(久美の一人娘)が医学部を中退して、天命淨霊会と言う新興宗教に走ってしまわれた経緯(いきさつ)は聞いておられるでしょ」
「はい、何でも彼女がご主人と別れられた後、昼は百貨店の和服売り場の売り子、夜は和服の仕立て内職と、働き詰めに働いて、やっとの思いで(菜穂さんを)名市大の医学部に通わせていらっしゃったのに、その大事な、大事な菜穂さんが、医学部2年の時、天命淨霊会とかいう新興宗教に惑わされて、そちらに入信、医学部を中途退学して、家を出て、その会へ行ってしまわれたと言う、お話迄はね」
「当時、久美ちゃんは、女手一つで育ててきた菜穂さんを、自分が若かった時に、果たせなかった夢でもある、お医者さんにする事、それだけが生き甲斐みたいな所がありました。
それが、医大を中退した上、家を出て、その教団の布教師になってしまったのですから、
親としては堪(たま)りませんよねー(たまる)。
だからその時だって、学校を止める、止めないで、また、家を出る、出ないで、大騒動。
毎日毎日、そりゃ大変でしたよ」