No.132 お坊さまと白尾の狐 その3(お婆ちゃんの昔話より)
この話はフィクションです。実際の事件、実在の人物とは関係ありません
その6
掬佐(きくすけ)の回りの事情は、彼が自分の生家に戻ってきても変わりませんでした。
彼が帰った家には既に後妻として入った継母がいました。
まだ年も若く、子供を育てた経験もない彼女には、この感が鋭く、癇(かん)が強い子供をどう扱ったらよいのか、戸惑うばかりでした。
せめて言葉が多少とも通じれば、まだ良かったのでしょうが、言葉は通じず、しかも彼女のしようとする事を、全て拒否して嫌がるこの子の扱いには、困ってしまいました。
継母の方も、最初は良い母親になろうと思っていたのでしょうが、傍に近よろうとすると、あからさまに警戒感を示し、後ずさりし、心の奥まで覗きこまれそうな目で、見いってくる子供、
こちらの気分を推し量っていたかのように、自分の気分がすぐれない時だとか、イライラしている時にかぎって、目が合っただけで、火のついたように泣き喚くそんな子供に、お手上げでした。
運の悪い事に、彼が戻ってきた時は、継母は、悪阻(つわり)に苦しんでいる時期でもありました。肉体的にも精神的にも不安定な状態でした。
そんな時に、まるで野良猫の子のように、自分を見るとあからさまな警戒心を示し、自分に全く懐こうとしない掬佐が、家に戻ってきたのです。
子育てをした事のない若い継母に、可愛いと思う気持ちが湧いてくるはずがありません。
彼が家に戻ってきて一カ月もたたないうちに、継母の方は、掬佐が傍にいるだけで、煩わしさを通り越し、憎しみを感じるようにさえなっていきました。
しかしお嫁入りしてきて未だ間もない彼女、大家の奥様という立場上、世間体もあって、それを表面に出す事が出来ません。
無論、掬佐を強く叱ったり、当たったりする事なんか、人目があって、出来っこありません。それだけに、掬佐に対する複雑な気持ちは陰にこもって、より強く,より陰険になっていきました。
継母はそんな自分の気持ちを、表に現さないよう、他人に悟られないようにするのに苦労しました。
それを避けるためには、掬佐の世話を、子守役として入ってきた女の子に任せっぱなしにして、自分はなるべくノータッチ、無視するようにして過ごすことにしました。
その7
掬佐は少し変わった所のある子でした。それは生まれてすぐに、母親に死に別れ、あまり愛情を注いでくれない乳母と、その家族に囲まれて育てられたことの影響もありましょう。しかし、それ以上に、彼のもともと持っている性格に、由来する所が大きかったようです。
彼は、赤ん坊の時から、あまり可愛げのない子でした。赤ん坊の時等、お布団の上に寝かせておけば、お腹がすいたり、オムツが汚れたりした時以外は、独りで放っておかれても、別に嫌がりませんでした。
乳母を特に慕う様子も見せません。乳さえ貰えば、その後すぐに寝かしつけられても、特に乳母を慕って、その姿を追うような事もしない子でした。
乳母におしめを替えてもらったり、着替えやお風呂にいれてもらったりしている時も、特に甘える事もなく、喜んでいる様子もありません。着せ替え人形のように、されるがままになっているだけで、何の感情も表しませんでした。
だから乳母の一家は、この子、少し頭の足りない子ではないかと思っておりました。
しかし、もしその当時、彼をよく観察している人がいたら、この子がそんな子ではない事に気付いたはずです。
一番特徴的なのは目でした。その目が決して死んでいませんでした。
こちらの心を見透かそうとでもするように、じっと見据えてくる目も、天井にいる何かと遊んでいるかのように、喃語(なんご:赤ちゃん言葉)で話しかけながら、活発にそれらを追いかけている目も、澄んで、生き生きしていて、とても頭の足りない子の目とは思えません。
また、人の心には、とても敏感な子であることにも、気付いたはずです。
3カ月過ぎたくらいの頃から既に、自分に好意を持っている人と、あまり持っていない人とは敏感に区別していました。
乳母に対しても、一見、何時も無感情で接しているようにみえますが、実際は、彼女の心の状態に敏感に反応していたのです。
生後3カ月と言うような幼い事から、既に自分に愛情を持って接してくれる人には嬉しそうな表情を示し、そうでない人には、まるで無関心、無表情、あらぬ方を向いていました。
悪意をもっている人にいたっては、近づくだけで、火のついたような声で泣きました。
しかし実際には誰もそんな事は気づきませんでした。
ただ、ちょっと変わった子で、癇の強い、頭のすこし変な子くらいにしか、見られていませんでした。
実際、ちょっと見には、そう思われても仕方がない所がありました
なにしろ、一歳半を過ぎても、まだ殆ど言葉が話せませんし、歩く事も出来ませんでした。這い這いと、何かにつかまって立ち上がるくらいが、やっと位で、一日の殆どを、布団の上に横たわったまま、何かに話しかけるかのように天井に向かって、「アーァ」とか[ウ―、ウ―、ウ―]といった喃語を発しながら過ごしておりましたから。
その8
掬佐は5歳になっておりました。
言葉も、誰が教えたという事もないのに、なんとか人と話せる程度にはなっておりました。歩くのも、酷いガニ股歩きで、多少覚束ない(おぼつかない)足取りでしたが、なんとか歩けるようになっておりました。
しかし相変わらず口数は少なく、自分から人と関わりを、持とうとしない子供でした。
彼は、人とかかわりを持って生きていくより、一人でいる方が楽しそうでした。
子守も、もういなくなっておりましたから、彼はいつも一人ぼっちでした。
しかし特にそれを苦にしている様子もなく、部屋の隅だとか、蔵の中などに座りこんで、誰もいない天に向かって何かを話しかけながら、一人で遊んでおりした。
使用人達も、親戚の人達も、この言葉もろくに話せない上、のろまで、人に対しては露わに警戒心をしめして懐こうとしない掬佐の事を、頭のたりない、おかしな子として、なるべく近寄らないようにしていました。
彼が乳母の家から戻ってまもなく生まれた腹違いの弟・次郎吉(後の次郎佐衛門)が、愛嬌が良い上に、利発な子であっただけに、彼の立場は一層悪くなっておりました。
もともと継母からは嫌われていましたが、次郎吉が利発に成長するに連れ、父親からさえも、彼は、疎んじられる(うとんじる)ようになってしまいました。
可愛げがない上に、何をやらせても、まともにできない、言葉もまだ満足に話す事が出来ないのですから、継母の告げ口を待つまでもなく、この家の惣領(そうりょう:跡取り)としての器ではないことがわかります。そうなりますと、父親の目に映る彼は、一生この家で面倒を見てやらねばならない厄介者でしかありません。
こうして彼はこの家では、もう誰からも注目される事のない、いてもいなくても分からないような存在となってしまいました。
継母からは疎んじられ、誰からも構ってもらえない掬佐は、家の中の捨て子のようなものでした。
父親が、仕事で不在がちである上、掬佐への関心がほとんど無くなっているのを良い事に、継母は人目もはばからず、掬佐に辛く当たるようになっていきました。
小汚い彼の姿が目障りだというので、食事も寝るのも自分達とは別の場所に分けてしまいました。
彼だけは物置でした。
使用人達でさえも、母屋の上り框(かまち)で食事を与えられているというのに、彼だけは、食事をこぼして汚すからという理由で、物置の土間の上で食べさせられました。
それも、与えられるのは、味噌汁かけご飯一杯だけでした。
寝る場所も、使用人達は、板の間に布団を敷いて寝させて貰っているのに、彼は、寝小便で汚すからという理由で、土間の上に藁を敷いただけの場所に寝かされておりました。
偶に(たまに)帰ってくるだけですが、父親は、さすが実の親です。食卓についていない掬佐の事を気にかけ、時に「掬佐の姿が見えんが、どうした」聞く事もありました。
しかし継母は
「あの子、みんなと一緒にいるのがいやみたいで、最近では物置から出てきませんの。
一日中あそこにいて、あそこで寝起きし食事も、あそこですると言ってきかないんですよ。
私が何と言っても聞きませんし、もう私、あの子の事をどう扱ったらよいか分かりませんわ。
今日だって、お父様がお帰りになったから、こちらで食事をするようにと強く勧めましたのに、嫌がって絶対にあそこから出ようとしませんの。本当に困ってしまいますわ。」と言い訳をして、ごまかしてしまうのでした。
父親の方も、もともとそんなに強い関心を持っていたわけではありません。だから、そう言われれば、「そうか」と言って、それ以上詮索する事もありませんでした。直接会って様子を見てみようとする事もせず、継母の言葉を信じて、そのまま終わってしまっていました。
父親が帰って来る日以外は、着替えもさせてもらっていない掬佐の衣服は、垢と食べ物の溢し汁(こぼしじる)、泥、寝小便の後などによってドロドロに汚れ、嫌な臭いさえ立ちあがっておりました。
その姿は乞食以下でした。
汚い上に、言葉はあまり通じず、その上、誰に対しても警戒心を示し、全く懐こうとしない掬佐の事を、使用人達も又、殆どが嫌って、なるべく近寄らないようにしておりました。
こうして彼は、偶に外に出かける以外は、一日の殆どを、物置の中で過ごしておりました。人と人間らしい交流をしてこなかった掬佐自身にとっても、小屋の外の世界は苦手でしかありませんでした。
とくに、自分に対する人の感情を読み取る能力を持っている彼にとっては、自分に対して、好意をもたないこの家の人達の目に曝されなければならない小屋の外の世界は苦手でした。彼にとってはそれは苦痛でしかありませんでした。
時には恐怖でさえありました。
何しろ外の世界には、憎悪と嫌悪に満ちた継母の目が待っております。
この家の使用人や、近所の人達の、好奇や、軽蔑、嫌悪、憐憫(れんびん:あわれみ)等に満ちた目もあります。
従って、彼にとっては、小屋の中が一番安らかに過ごせる場所でした。
近所の人や、使用人の中には、掬佐の事を哀れに思い、継母の事を悪く言う人もいないわけではありませんでした。しかしそれはあくまで陰でこそこそ言うだけでした。
近在きっての大地主の若奥さんである彼女に、表だって盾突いてまで、掬佐のために何かをしてくれようとする人はいませんでした。
その9
ある夜の事です。掬佐はその夜、空腹の為、夜中に目が覚めて、眠れなくなってしまいました。
もう7歳になっているにも関わらず、掬佐の背丈は5歳児くらいの大きさしかありません。彼は、小さくて痩せ細ったその身体を、藁(わら)蒲団の上に起き上がらせると、何か食べるものはないかと、辺りを見回しました。
しかし壁の隙間から入ってくる微かな上弦の月明かりの中、鍬や鋤といった黒々とした農具の影が目に入ってくる以外には、何も見つかりませんでした。
この年になっても、茶碗一杯の汁かけご飯しか、与えてやれない胃袋の方は、年齢相応の量の食べ物を欲しがり、容赦なくグーグーと鳴って騒ぎます。
朝、昼、晩の三度与えられる、茶碗一杯ずつの汁かけご飯だけでは、育ち盛りの彼にとってはもう足りないのです。
四六時中、お腹がすいた状態です。ひもじさのあまり、夜中に目が覚め、朝まで眠られない事だって少なくありません。
その夜はひもじさが特に強く、もうどうにも我慢できないほどになっておりました。
彼は藁床から起き上がると、「何か口に入れる事の出来るものはないか」と
物置小屋の暗闇の中を、隅から隅まで手さぐりで、探し回りました。
しかし、食べ物のかけらさえも見つける事はできませんでした。
がっかりした掬佐はそのまま土間の上に座り込み、腹の減っているのを、少しでも和らげようと、上腹部を押さえておりました。
その時でした。見るともなく見ていた物置の片隅から、黒い煙のような影が立ち昇ってまいりました。
煙のようだったそれは、やがて空中で、一つ、二つ、三つ、四つと五つの塊に分かれ、やがてその一つ一つが、奇妙な生き物の形へと変わっていきました。
それまでも、不気味な物の気配は、前から時々感じていましたが、こんなにはっきりとその姿を見たのは初めてでした。
その生き物は、暗い闇よりももっと黒く、ハエのように透き通った翅(はね)を持ち、三角形の顔には、青白い光を放つ、細く釣り上った目と、暗闇でもはっきり見える、顔の後ろまで引き裂かれたような、真っ赤で大きな口をもっておりました。そして側頭部には、三角形をした一対の大きな耳が垂れ下がっておりました。
一尺(約30センチ)にも満たないような黒くて細い身体は、お腹だけが異常に膨れ、そのお尻には、豚の尻尾のような短い尻尾がクルッと丸まって付いております。
空中を飛びながら細かく震わす手足は、まるで獲物にとびかかっていく蜘蛛の足のようでした。
そいつらは、「腹が減ったら、自分で探せ。それが出来ぬなら、死んでまえ。それいけ、やれ行け台所、そこには御飯が、ワンサカあるぞ。腹が減ったら、探して食べろ。それ行け、やれ行け、台所。怒られたって、知ったこっちゃないが」
と歌い踊りながら、掬佐の頭の上をグルグルと、3回くらい飛び回った後、壁と柱の隙間からするりと抜け出し、飛んでいってしまいました。
「ポカン」とみていた掬佐は、そいつらが出て行くとすぐ、慌ててその後を追っかけました。
黒い煙のような、物の怪(もののけ)の群れは、一直線に並んで、裏口の扉の方向に向かって飛んでいきます。
掬佐の足では追っかけるのが難しいくらいの速さです。
やがて裏口の扉の所に達したそいつらは、扉の隙間からすーっと中に吸い込まれるように消えてしまいました。
後を追ってきた掬佐は、その扉を開ける事を、一瞬、躊躇い(ためらい)ました。
黙って台所に入った事がわかった時の、継母の顔が浮かんできて、足が竦んで〈すくんで)しまったからです。
でも空腹の誘惑には勝てませんでした。
彼はおずおずと扉を開けると、そっと台所へと忍びこみました。
台所の一角から匂って来る、恋しい御飯の薫りが、彼の鼻を擽り(くすぐる)ます。
思わず唾を飲み込んだ彼は、上り框においてあったお櫃(おひつ)に向かって真直ぐにつき進むと、飯櫃の中に手を突っ込み、手掴みでご飯を食べ始めました。
しかし悲しい事に、あまりに慌てて一気に御飯を口の中に押し込んだために、ほんの数口、口に入れただけで、噎せかえり(むせる)咳き込んでしまいました。
次回へ続く