No.117 お稲荷狐、みけつね様物語その5

その18

その日は月の出も遅く、真っ暗な晩でした。佐助さんに先回りして、鳥居の所にやって来た例の三人の悪ガキ達は、近くの木陰や、物陰に隠れて、女の出てくるのを、息を潜めて、じっと待っていました。こうして待つことしばし、やがて向うの方から佐助さんらしい人の足音が微かに聞こえ始めました。その時突然、何処からともなく、美しい女性が現れ、鳥居の前にたちました。何処から現れたか分からない女の出現に、三人は一瞬驚き、ためらいました。しかしやがて3人は誰からともなく、一斉に女に飛び掛り、羽交い絞めにすると、女を草むらに引き摺り込みました。抱きついた女から匂ってくる微かな体臭が彼らの本能を刺激し、より凶暴にしました。興奮した彼らは、女の着物を押し開き、ある男は乳房に吸いつき、ある男は、抑えた足にかぶりつき、残りの男は、秘部に手を入れと、一斉に悪さを始めました。最初は激しく抵抗していた女も、男三人に押さえつけられては、もうどうしようもないとあきらめたのでしょう。突然抵抗を止め、大人しくなって言いました。
「三人で抑え込んでまで、こんなご無体をされなくても、ちゃんとそう言ってくださればよろしかったのに。こんな私でよろしいの?よろしかったら、順番に天国に送ってあげますわよ」とゾクッとするような、婀娜っぽい(あだっぽい:うつくしくなまめいたようす)声をだします。
その言葉にふらっとしてしまった三人は、思わず押さえていた手を緩めてしまいました。すると、それを待っていたかのように、女は、三人の手からするりと抜け出したかとおもうと、人間の背丈の倍ほどもある、大狐に姿を変えました。大狐は彼らをしっかと睨みつけると、「お前等三人の今日の非礼、わが神々の境内でのこの非道、絶対に許すことが出来ない。この罰として、今すぐ命まで取るとは言わないが、さしあたっては、お前等の男としてのシンボルを頂いておく事にるす。今後一生、お前たちは自分のした事を、悔みながら生きなければならないであろう。それでもお前たちが悔い改めなかったなら、もっと悲惨な運命がお前らを待つことになっている事を知るが良い。覚悟せよ。」と恐ろしい声で言い放つと、あっという間に暗闇の中に姿を消してしまいました。

 

その19

鳥居のところまでやってきた佐助さんは、その日は、いつもの女性に会うことが出来ませんでした。
しばらく待っておりましたが、誰も来ませんでした。「どうされたのかなー。病気をされたのかなー、それとも、何か事件にでも会われたのかしら。あるいは、もう子供が大きくなてきたからかしら」などいろいろ思い巡らせながら、子供もお腹を空かせて、泣き出しましたので、やむなく帰って行きました
その朝方のことでした。一眠りして目覚めた、佐助さんの枕もとに,あの女性が立っていました。
「佐助さん、私は貴方に助けていただいた、子狐、コンコでございます。あの時はお世話になり本当にありがとうございました。あれから、何度もお礼に伺いたいと思ったのですが、人間の世界には近付かないようにといわれた、貴方様のお言葉に従い、止めていました。
あれから私も、お稲荷様狐の眷属(けんぞく)に加えていただき、今では一族を束ねる立場に立っております。
今回、貴方様のお子様のお役に立つことができ、本当に嬉しゅうございました。
しかし今日、貴方様の村の衆から、お宮様の境内で危うく辱めを受けるような、酷い目に遭いました。
私の事が知られてしまった以上、(危険ですから)、もうあそこに行くわけには参りません。よって今日でお別れさせていただきます。
稲ぼんは、私の乳がなくても、もう大丈夫でございます。
なお母のことについては、今では、恨んでおりませんから、気にかけないで下さいませ」と言ったかと思うと、その姿は、次第に薄くなって、やがて周りの空気の中に、溶けるように消えていってしまいました。

 

その20

一方三人の男達は、その日、佐助さんに見つからないように、こそこそと隠れて、家に帰ってきました。しかしあの狐の言葉が気になってなりませんでした。
三人の若者は夫々、自分の大事な男のシンボルが逃げていかないようにしっかり握りしめながら、まんじりともせず夜が明けるのを待ちました。
彼らにとってはとても長い夜でした。
やっと東の空が白み始めるとすぐに、彼らは家族を起こし、親達に昨夜の出来事を話し相談に乗ってもらおうとしました。
しかしもともと鼻つまみものだった彼らのこと、
「女の人に、3人がかりで、そんな酷い事しようとした事が人に知れたりしたら、それこそ大変。お前らもう、この村のおられなくなるからな。そんなもん、おけつね様に、ちょっとお灸をすえられただけだから、心配せんでもよい。ほっときなさい」
と言って、まともに相手になってくれませんでした。
やむなく友人を訪ね、助けを求めましたが、同じように誰も真剣に話を聞いてくれません。
「そんなもん、お前等が、あんまり悪いことするから、狐にからかわれたんだわ。」とか
「また、例の与太話をしやがって。」とか。
「少し位、怖い目に会った方が、本人の為だわ。あいつら悪い事ばっかりやってるんだから」などと、誰もまともにとりあってくれませんでした。
所が、彼ら三人ともが、その夜から、高熱を出して、寝付いてしまいました。
熱は三日たっても、四日たっても下がりませんでした。その上、毎夜、毎夜、丑三つ時近くになると、真っ青になって魘され(うなされ)ます。
さすがに心配になった親たちは、近くの拝みやばあさんに来てもらって占ってもらいました。
すると、「これはお狐様のたたりだから、たたられている人間の、男のシンボルを清めねばならない」というお託宣です。
おばばに言いつけられたとおりに、お婆のお祈りを受けながら、若者は、男のシンボルを、塩で揉み、その後、お湯と水とで清めるというお清めの行を、朝、晩三回ずつしました。
浄化行を始めて、四日目の明け方、三人の若者は揃って全く同じ夢を見ました。
お稲荷様の眷属狐たちが、みこしを担ぎながら、何処かへ、去って行く夢でした。
大将と思われる狐の、振り向きざま睨んだ、その怖い顔に、思わず大声を上げて目が覚めた所まで三人とも同じでした。
熱はすっかり下がっておりました。しかし、喜んだのも、束の間、トイレに行った彼らは、自分の大切な男のシンボルが、根元からスッポリと溶け落ちてしまっている惨めな姿と、直面せざるをえませんでした。

 

その21

村の衆は、よるとさわると、若者達の噂話に夢中になっておりました。
若者達が見た、その不可思議な夢の意味についての推測で、話の花が咲きました。
最初に占ってくれた、拝み屋のおばばは、お狐様が病魔を担いで運び出してくれたのじゃから、これで安心だといいますが、村人達の殆どが、その夢に、もっと不吉な意味を感じて、不安に慄いて(おののいて)おりました。
実際、それ以後、村人達の所には、悪いことが、続くようになりました。
子供が木から落ちて大怪我をしたとか、作物を一番廉い時に売ってしまい大損をした。夫婦喧嘩が高じて別れてしまった。火事をだして、取り入れたばかりの米も含めて、家も家財も全て灰にしてしまった。一家が病気で寝込んでしまった。子供が川遊びをしていて溺れて死んでしまった。家の人間が次々と不審な死を遂げ、その家は死に絶えてしまった、などなど、それ迄危うい所で難を逃れていたような事が、全て現実の大災難となって、降りかかってくるようになりました。恐怖に駆られた村人達の中には、あちらこちらの有名な祈祷師を頼んできて、厄除け祈願をしてもらう人もいましたが、一向に災難は減っていきませんでした。

 

その22

次々と襲い掛かってくる災難によって、死に絶えてしまった家や、打ち続く災難に耐えかね、村を出ていく人々によって、多くの家が無人と化し、村は非常に寂しくなってしまいました。
所が佐助さんと、佐助さんと親しい人の家々だけは、別でした。
どういうわけか、そういった災難に、全く遭った様子がないのです。
僅かに残った村人達、その中には、佐助さんが赤ん坊の為に、貰い乳を頼みに行った時、冷たく断った人や、その時、たたりの巻き添えを恐れて、佐助さん一家を村八分にするようたきつけた人達もはいっていましたが、その人達を含めて残っていた村人達は皆、恥も外聞も忘れ、藁にもすがる思いで、佐助さんの家を訪ねました。
そして「佐助様、佐助様達だけが、どうして、この村に、次々起こってくる災難から、逃れる事ができているのでしょう。何か方法をご存知でしたら、なんとか、教えていただけないでしょうか。」と丁重に、教えを乞いました。
それに対し佐助さんは「あの若者の夢が暗示していますように、村人の不信心に失望された、お稲荷様とその眷属は、あの時、この村をお捨てになったのです。
この村に、今打ち続く災難は、このためです。お稲荷様のご加護がなくなってしまったからなのです。
私どもには幸い、みけつね様との間に、ご縁を頂いている、稲造という息子がおりました。
お稲荷様が去られた日、彼の口を借りて「おちょぼ稲荷様から、お札を貰ってきて、家の中にお祀りするように。」と告げられました。
そこで、神様のお告げどおりにしました所、私どもでは、全く災難を蒙らずに済んでいるのでございます。」と答えました。
それからもう一つ付け加えました。「なお、お稲荷様のご利益に与かるためには、全ての生き物の命を大切にし、神々を敬い、奉仕する心を持たなければいけないそうですよ。」と。村人達は、早速、おちょぼ稲荷のところへ、お札を貰いにでかけました。そしてそれぞれ、自分の家の、一番良い場所に、それをお祀りし、朝晩お祈りしました。
そうしましたら、それから後は、どの家も、災難らしい大きな災難に遭う事もなく、家族揃って無事に、過ごす事が出来るようになったそうです。そして、村は再び、今見るような、昔の賑わいを取り戻してまいりました。
今も、その村では、何処の家に行っても、お稲荷様のお札が、張ってあるのを見るのは、このためなんだそうです。
なお狐から、貰い乳をして育った稲造さんは、幼い時から、とても利発で、神童といわれていましたが、その賢さは、大きくなって、ますます磨きがかかり、その知恵と考え深さによって、その村の指導者に押され、その後、ずっと村の為に尽くされたそうです。
しかし神様のお告げだけは、あれから後、二度と、される事はなかったと聞いております。
終わりに
という事で、長い、長いおばあちゃんのお話は終りました。戦後60年余、戦後の開発の嵐は日本全国津々浦々に及び、今日では、狐に化かされる話どころか、狐そのものすら、私たちの周りで見ることは、なくなってしまいました。
おばあちゃん方に、語り継がれてきた、こう言った昔話しも、おばあちゃん方が、亡くなってしまった今では、もはや語り継ぐ人もなく、自然に忘れ去られようとしています。
しかしこういった地方に伝えられた昔語りが、これまでの日本文学の精神的土台をなしてきたことを考えます時、その土台をなくしてしまった、これからの日本文学が、どのような土壌の上に、どのような花を咲かせようとしているのか、大いなる興味を感じると同時にまた、大いなる危惧を感じています。
願わくは人の心を荒らし、食い散らかしてしまうだけのような、妖花ではないことをただただ祈っております。

おわり