No.116 お稲荷狐、みけつね様物語その4

その14

それから5年の月日が経ちました。佐助さんは格別のたたりを受ける事もなく平穏に暮らしておりました。お百姓仕事の方も、順調で、お金に困る事もなく、その上最近貰ったお嫁さんは気立てが良く、美人で、その上お姑さんとの仲も実の親子のようで、今は言う事がないくらいに幸せな生活を送っておりました。
しかし、コンコがいなくなってからの佐助さんは、時々ぽっかり穴が開いたような寂しさを感じる時があるようになりました。
いつもそばに纏(まと)わりついて離れなかったコンコがいなくなって、寂しくてたまらない佐助さんは、コンコのことを思い出しては、気が抜けたように、ぼんやりしている事が時々ありました。
「やはり,あの話をしたから、コンコは私の事を恨んで、顔をみせないのだろうか」とか「いやいやそんなことはあるまい。外での生活をうまい具合にやっているから、こちらの事など忘れてしまっているのだろう」などといったふうに、いろいろ思い悩むのでした。考えれば考えるほど、あの可愛かった仕草の一つ一つが、思い出されて、気に掛かってなりません。
時々、コンコと別れた辺りまで、行ってみました。しかしコンコが姿を現すことは、その後もありませんでした。
そんな佐助さんを気遣って、「犬でも飼いましょうか。」とお嫁さんは言ってくれます。しかし佐助さんは、「いや、狐は犬が嫌いだときいているから、コンコが万一、顔を出したいと思った時のために、飼わないでおこう」と断るのでした。

 

その15

それからしばらく後、佐助さんのお嫁さんのお腹の中に子供が授かりました。佐助さんはとても喜びました。
コンコのことも、一時忘れ、毎日毎日、子供の産まれてくる日を指折りかぞえて待ちました。お腹の子供は順調に育っていきました。お母さんの方も健康で、お産婆さんからは「安産間違いなし。」と太鼓判を押され、何も心配はないように思われました。
事実、お産は、思っていたよりも、更に軽く終りました。
所が悪い事に、お産の後、子宮からの出血が止まらなくなってしまいました。
お嫁さんは、産まれたばかりの子供を残したまま、出産が終わって間もなく、あの世へと旅立って行ってしまったのです。
残されたのは、佐助さんと、男の赤ちゃん、そしておばあさんになったばかりの佐助のお母さんの3人でした。
佐助さんは、狐の赤ちゃんに続いて、自分の子供も、赤ん坊のときから育てなければならなくなってしまったのです。
迷信深い、村の衆は「それ見た事か。あれほど止めたのに、みけつね様に、あんな酷い事をするもんだから、みけつね様の祟(たた)りがきたのじゃ。あな、恐ろしや、恐ろしや。」と、たたりに巻き込まれるのを恐れて、誰も近づいてこなくなくなってしまいました。
赤ちゃんの乳を貰いに行っても、行った先々で、体(てい)よく断られてしまいます。
それどころか、子供を抱いて、悄然(しょうぜん)として立ち去って行く佐助さんの後ろ姿に、塩を撒く奴までおりました。
佐助さんは、以前に子狐を育てた経験がありましたから、その記憶をたどって、豆乳に重湯そして水あめを加えて、人工の乳をつくり、それを赤ちゃんに与えましたが、それだけでは味が違うのか、さじだから、うまく飲み込めないのか、子供は泣いてばかりいて、なかなか飲んでくれません。お腹がすくのか、昼も夜も泣いてばかりいて、殆ど眠らせてくれません。
それでも、佐助さんとおばあさんとは、交互に起きていて、一晩中、少しずつ少しずつ、その人工のお乳を与え続けました。
しかし充分に栄養のいきわたらない赤ちゃんは、次第、次第にやせこけていき、あんなに産まれたときは丸々していた赤ちゃんが、今では目も当てれないほどに、ガリガリにやせ細ってしまって、生まれた時より、小さくなったようにさえ見えるようになってしまいました。
それでも村の衆は、誰独り助けてくれようとはしませんでした。
「あそこの家は、もう終わりだ。あの子は無論のこと、そのうち、一家全部、死に絶えてしまうに違いない。」と噂して、ますます敬遠するだけです。道で歩いている時に佐助さん達を見ると、遠回りしたり、道の端によったりして、皆、避けて通るようになっていました。

 

その16

佐助さんとお母さんは、もうどうにも、打つ手がなくなってしまいました。もうこのままでは子供は死を待つばかりです。
そこで佐助さん達は、最後の頼みと,ある夜、丑三つ時になるのをまって、子供を抱きかかえて、お稲荷様の所にやってまいりました。
「私どもの非道が、私どもに祟(たた)るのはやむをえないと思っております。しかし何の罪咎(とが)もない、この子に祟るのだけは、お止め下さいますように、みけつね様の霊魂にお願いしていただけないでしょうか」と、佐助と母親の二人は一心に、お祈りしました。
お稲荷様にお参りした後、二人は、みけつね様の塚の前に座りました。「いまさら、いくら謝っても、お許しくださらないでしょうが、以前、子供の悪いのを見るのは、どの親も同じですと、おっしゃっていた、その言葉にお縋(すが)りして、お願いいたします。どうか、この子の命だけはお救いください」とお願いしました。
「これだけお願いしても駄目だったら、もうこの子がどうなったとしても、それは天命だとあきらめることにしような」と二人は話しながら、重い足を引きずるようにして歩きながら、お宮様の鳥居の所までやってきた時の事でした。
「もし、そこのお二人さん。悲しそうな顔をなさって、どうされたのですか。」と声をかけてきた女性がいました。
年のころは30歳くらい、以前、どこかで見たことのある顔立ちをしているのですが、どうしても思い出せない女性でし。とても美しい顔立ちでスタイルの良い女性ですから、一度見たら忘れるはずがないのですが、どうしても思い出せません。
佐助さんは答えました。『実は、つい先日、家のおっかあが、子供を生んだのですが、産んですぐその後に、死んでしまいました。それで、この子にあげる乳がなくて困っているのでございます。私が、以前、みけつね様に罰当たりな事をしたものですから、村の衆は皆、その祟りに巻き込まれるのを恐れて、私どもの困っているのを見ても、誰も助けてくれようとはしません。
こうなりますと、後、お頼り出来るのは、お稲荷様だけでございます。「私の命はどうなってもかまいませんから、どうかこの子の命だけは、助けてやってください」と今しがたお願いしてきた所でございます』と
するとその女は、「それはちょうどよかったわ。私、実は最近子供を産んだのですが、乳が出すぎて、一人の子では、余って、困っていました。私の乳でよろしかったら、どうぞ飲ませてあげてください。」といって、赤ちゃんを受け取る為に、両手を差し出してきました。
佐助さん親子は、「これはお稲荷様のお助けに違いない」と思いながら、「あ、あ、ありがとうございます。ありがとうございます。」とお稲荷様の方に向って手を合わせながら,赤ん坊をその女に預けました。
女は物陰にいって胸を広げると、乳を与え始めました。しばらくして返してくれた赤ん坊は、充分に乳にありついて、満足したらしく、それまでぐずっていたのが嘘のように、ぐっすりと眠っておりました。
喜んで、お礼を言う二人に向って、女は、「お困りだったでしょう。私も第一番目の子供のときは、乳が足りなくて苦労しましたの。ですから少しくらいならお役に立てるかもしれませんが、それにしても、お乳はどのように作っておられましたか。そしてそれをどのような方法でお与えになったいましたか」と聞きます。
二人が、今までしてきた乳の作り方とか、やり方を説明しますと、「それであらかた、いいのですが、ただ、混ぜる割合は少し変えられたほうが、よろしいし、お米は、五分搗(つ)き位のものを、お使いになったほうがよろしいのでは。」といって豆乳と重湯、そして水あめの混ぜる割合を教えてくれました。
又、乳のやり方についても、「お匙(さじ)でやるのでなく、ガーゼの先に脱脂綿を包み、それに先ほどの乳を滲みこませて、吸わせるようにして飲ませたほうがよろしいのでは」と教えてくれました。
そして最後に、「私もまだ、乳飲み子を抱えておりますから、貴方様の所まで、お乳をあげに行くわけには参りません」「しかし、毎晩、此処にきてくだされば、私もここのお稲荷様に願をかける為に、今のところ、毎日来ておりますから、その時なら、差し上げる事ができますが」と申し出てくれました。
二人はそのありがたい申し出に、「ご親切にありがとうございます。これもお稲荷さまのお引き合わせでございましょう。どうぞよろしくお願いします」と拝むようにして、お礼を言いながら、子供をつれて帰っていきました。

 

その17

貰い乳のおかげか、代用乳の作り方がよかったのか、それから後、赤ん坊は、見違えるほどに、良く眠り、よく飲むようになりました。そして大きな病気をすることもなく、無事半年を迎えることができました。
まるまる肥ってきた稲ぼんは(佐助さんの赤ん坊は、お稲荷様からの稲をいただき、稲造と名づけました) とても愛くるしく、その顔を見るだけで、気分が和らぎ、どんな疲れも吹き飛んでしまうほどでした。
佐助さんとその母親は、その無事に育ってきた顔を見るにつけ、これも一重に、お稲荷様のおかげと感謝し、気がつくといつも、お稲荷様の方に向かって手を合わせておりました。それだけでなく、村人達にも、顔を見るたびに、そのありがたいお話をして、お稲荷様を信仰するようにと勧めました。
所が、村人達の中には、佐助さん親子に、祟りが来るのを、楽しみにしていた連中もおりました。彼らは、直ぐに駄目になると思っていた赤ん坊が、まるまる肥ってきたばかりでなく、佐助さん親子にも何の祟りも起こらず、一家三人、とても幸せそうに暮らしているのをみて、当てが外れて面白くありません。
そこで、佐助さんのところの様子を探り始めました。すると、佐助さんが、毎夜、夜半近くになると、赤ん坊を連れては、そっと家を抜け出していくのに気付きました。
ある日そっと、後をつけた、村人達が見たのは、佐助さんが、鳥居の前までいくと、何処からともなく美しい女が現れてくるところまででした。つけていった人の誰もが、それ以後の事は、眠くなってしまって、覚えていませんでした。
次、彼らが記憶しているのは、佐助さんが、子供を抱いて帰っていく後姿だけです。
この話を聴きつけた村の衆は、またまた面白半分に、いろいろな噂を流しました。
「今度こそ、本当に、妖怪に騙されているのだとか、いや、矢張り、あのみけつね様の幽霊に、取り付かれてしまったのだとか、いやいや,あの以前に、飼っていた子狐が、親の敵を取にきているのに違いない」などなど、よるとさわると、そんな噂話に花を咲かせるようになりました。
どの時代にも、そして何処にも、年とった人達の古い仕来りや、考えに反発する、悪がきなのような若者達がいるものです。
この村でも、若い衆の集まりで、その話が出た時、そんな噂話を馬鹿にする若い衆は少なからずおりました。しかしその殆どが、話は話として、面白半分に聞き流しておりました。所が、中でも特に悪かった三人組の若者だけは違っておりました。「お化けだとか、幽霊なんか、この世にいる筈がないじゃないか。たたりだとか、神罰といったようなもの、そんな物、爺、婆の世迷言にきまっている。
その証拠に、佐助さんの所だって何も悪い事なんか、起こらなかったではないか。今度の話も、佐助さんが何処かの尻軽女と、よろしくやっているのを、ごまかしているのに違いない」と反発し、「そんな尻軽女、佐助さん一人だけに、良い思いをさせておく手はあるまい。俺達もおこぼれを頂かせてもらうことにしようぜ」と、悪い相談を纏(まと)めました。

以下次号へ