No.111 ある小さな、小さな宝探し 3

その9

「徹三、あんたはどうや。名義入れてほしいか、それとも全部、お姉ちゃんの名義にしても良いか」と次郎佐。
「無論こんな家屋敷、少しくらい持っていたって、いまさらどうなるものでもないから、名義なんか入れてもらわなくて良いよ。ただね、お姉ちゃんの名義にしておくと、次の相続の時、純一郎が相続する事になるから、ここは、すっきり珠三郎の名義にしておいてやったほうが良いんじゃないのかなー」と徹三。
「そういわれりゃ-、そうだわなー。俺も、こんな不便な所の、これっぽっちの家屋敷、今更欲しいとは思わんから、お姉ちゃんの世話を頼む事になる、珠三郎の名義にしてやるか。ただ万一、今度みたいな事が起こると、お姉ちゃんが可哀そうやから、お姉ちゃんが生きてるうちは、絶対他には売らないという、一筆入れておいてもらうわ」と次郎佐。
「純一郎の事はどうしたらいいと思う」と徹三。
「そうやなー、そもそも、今度の騒動の原因を作ったのは純一郎なんやから、気の毒やけど、純一郎には、榎木田家と縁を切って、何にも持たんと、ここから出て行ってもらうより仕方がないなー。鷺山(岐阜の一地方名)とかに住んでござる敏子さんの所へでもいってもらやー良いがね」
「お姉ちゃんも、純一郎もそれで文句ないやろ。その替わりお姉ちゃんは、珠三郎に面倒みさせることにするからな」と次郎佐。
「そうか、裸で出すのか。ちょっと可哀そうすぎんか」と布佐乃。
「何言っとるの。そもそもこうなった原因をつくった張本人なんだから、それくらい当たり前。本来ならこんな借金を抱えりゃー、首吊ってもらわにゃー、いかんとこやがね。ありがたいと思ってもらんと」と次郎佐。
「そうだよ、お姉ちゃんは甘すぎたから、こういう事になったんやないか。どうして、もっとピシっと言ってやらんのや」と徹三。
「ごめん。つい可哀そうになってしまって。でもこうなりゃー、仕方がないわなー。でも榎木田家との縁は切れても、お母ちゃんとの親子の縁は切れとらへんのやから、ここから出て行っても、時々は便りくらいはよこしんさいよ。なー純一郎」と布佐乃。でも純一郎はもう物も言いません。ブスッとした顔で立ち上がると、兄弟は無論の事、叔父さん達にも、何の挨拶もせず、無言のまま出ていってしまいました。

 

その10

翌朝、純一郎は、人相の悪い土建屋風の男を4人ほど連れて帰ってきました。庭を掃いていた布佐乃がそれに気付いて、「お帰り、何処へ行っとったんや(いっていたのですか)。心配しとったのに、連絡もしてくれんで」と声をかけましたが、純一郎は、母の方を、じろりと無言で睨みつけただけで、そのまま、親方らしい男と一緒に、家の中に入って行ってしまいました。
暫く土建屋の親方らしい男と密談していた純一郎は、やがて話がついたのか、「それじゃそういう事で頼むわ。じゃー、明日から取りかかってくれ。立ち退きは5日後となっているから、明日から3日で終わってくれ」と言うと、純一郎はまた、忙しそうに出掛けていってしまいました。
土建屋風の男が「それじゃ取りかかってくれ。わしが目印を付けたものは皆持ち出してくれて良いから」と外で待っていた人足達に命じますと、彼らは家の中の道具をどんどん運びだし始めました。
驚いた布佐乃が、「ちょっと待ってくりゃーせ。一体全体どういう事やね」と尋ねますと、「これらは皆、お宅の大将に売ってもらったもんだがね。文句があるんなら、大将に聞いてくれや。わしらは、自分の物を持ち出しておるだけだで」と親方らしい男は言います。
「えーっ、それでは、息子が帰ってきたら聞いてみるで、それまで待ってもらえんやろか」と布佐乃が頼みましたが「いやー、そうゆう訳にはいかんわな。日にちがつんどるもんで(つまっておりますから)。明日からは、屋敷内をあっちこっち掘り返させて貰うけど、それも許したってや」
「所でちょっと聞きたいんやけど、この屋敷内に、何でも宝物が埋まっとるとかという話しやけど、本当かね。お前さん、何か、聞いとりゃーせんか(聞いていませんか)」と親方らしい男が聞きます。
『さあー。私がここにお嫁入りしたての頃(お嫁入りしてきたばかりのころ)、小作からそんなような噂、聞いた事あるにはあるけど。でもその時、主人に確かめたところでは、「そんなのデマだろ」と言って笑い飛ばされてしまったから、やはりそんなのは、根も葉もないデマじゃないやろか』と布佐乃が答えます。すると「そういった噂があったんはやっぱほんとなんやな。実は、あんたの所の大将から、それを探してくれと今度頼まれたんやわ。でもわしには半信半疑で。それを聞きゃー、勇気百倍、明日からの仕事に精が出ますがな」親方はとても嬉しそうです。
「すまんけど、もうちょっと詳しく教えてもらえんやろか。何も知らんうちに(知らない間に)、家ん中の物をどんどん持ち出されていくのや、家ん中を、あっちこっち掘り返されならんのを(掘り返されなければならないのを)、ただ黙って見とれと言われましても、そんな事、腹に入らんで(合点がいかないから)」
「お頼みします。せめて、わけ(事情)だけでも教えもらえんやろか」と布佐乃が頼みます。
気の毒に思ったのか親方は、「そういう話は、あんたんとこの大将から聞いてもらうのが一番良いんやけど。だけど、別に隠しといてくれと頼まれとる訳でもないんやから、まあ良いか。お話しますと、実は、この屋敷に隠されているとかという、宝物を探す事を頼まれとるんですがね」といいます。
「でも、さっきも言ったように、そんなのデマやと思うけど」と布佐乃が言いますと、
「最初にあんたんとこの大将から、この話を聞いた時は、わしも、そんなの嘘や、問題にならんと思ったがなん。だけど、この近辺を聞いて歩いたら、この屋敷内に宝物が埋っとると言う噂は、確かやったんや。年くっとる連中は皆、口を揃えて、そう言うとったんやから(そう言っていたのだから)。
その上、あんたんとこの大将が連れて来た占いの先生も、この屋敷ん中に、宝物が埋まっとるのは間違いないと言ったんやから」
「でもあの子にはもう、何にも残されとらんことになっとるんやけど。ここ掘り返すのにかかるお金の事なんかの事、何と言っとりました?」と布佐乃が心配そうな顔をして聞きます。
すると親方は、
「お母さんは、そんなこと心配してもらわんでもええで(心配してもらわなくてもいいから)。さっきから(さきほどから)運び出しとる、お宅のあの道具類で、当座の費用は足りとりますで(充分ですから)。後からの掛かりについても(費用についても)、うまいことお宝が出てきたら、山分けするという事で、話がついとりますで。
「それにしても、わしも因果な男やなー」とつくづく思っとりますわ。こう言いう話を聞くと、ロマンが胸一杯に膨らんでまって、損得勘定が出来ようになってしまうんやから」と言うと、親方は忙しそうに離れて行ってしまいました。

 

その11

翌日から、3日間、人足達は、家の中は云うに及ばず、家の外も、隅から隅まで余すところなく探し、更にありそうな所は、土中深くまで掘り返していきました。
しかし宝ものは何処からも、欠片(かけら)も出てきませんでした。3日後、親方はがっかりした顔をして、ブツブツ言いながら去っていきました。
家には再び以前の静寂が戻ってまいりました。しかし純一郎がその後、母親に顔を見せることはありませんでした。家に帰って、母親からいろいろ聞かれるのが嫌だったのでしょうか。それとも家を追い出されたのを怨んで、不貞腐れていたのでしょうか。はたまたその両方だったのでしょうか。
なお、純一郎は、家を出て一年もたたないうちに、日ごろの贅沢が祟ったのか、亡くなってしまいました。従って、彼が再びこの家の土を踏むこともなければ、母親に会う事もありませんでした。

その12

この家に入った三男珠三郎は、大変な苦労を背負い込んでしまいました。
古い家というのは、絶えず何処か修理していなくてはならない上に、お付き合いが大変でした。さすがお姉ちゃん達は、以前のようなむちゃくちゃは言ってこなくなりましたが、近所の人達は以前の大地主だった時と、同じようなお付き合いを求めてきました。田地が殆どなくなってしまっているにかかわらず、お祭りの時だとか、お宮やお寺の修理の時などに、一番多い寄付金を出させられるのが常でした。お寺もまた、門徒総代として、何かとお金が要りようでした。更に、寄り合いがある時は、何時もいくばくかのお金を包まねばなりません。珠三郎は、そんなの全部、断りたかったのですが、布佐乃の見栄がそれを許してくれませんでした。
この為、学校の先生程度の給料では、本当に食べていくのが一杯、一杯でした。特に戦後の混乱期は、堪え(こたえ)ました。給料はインフレに追い付かず、配給の食べ物だけでは生きていけないという状態でした。そうかといって仕事柄、大っぴらに闇物資を買い歩く事も出来ず、妻、さかえは子供たちの空腹を満たすのに、いつも悩まされておりました。職業柄、口うるさい近所隣りの人々の目を盗んで、闇での食べ物を買い歩くのはさかえの役割でしたが、いつも大変でした。また学校から貰ってくる給料だけでは、食べ物を買うには足りない時代でした。その為、さかえがお嫁入りしたとき持ってきた、衣類のほとんどが、食べ物となって、子供たちの腹の中に消えていきました。

 

その13

昭和25年(1950)に始まった朝鮮戦争による軍需特需によって復興の軌道にのった日本経済は、その後、間に多少の調整期は挟みながらも、神武景気、岩戸景気へと言う息の長い好景気につらなり、皆の生活にもやっと余裕と落ち着きが取り戻されてまいりました。
その頃、珠三郎は、徴兵による一時中断こそありましたが、旧制中学校の教諭から、新制高校の教諭へと続く長い教諭生活の、定年退職を迎えました。母親の最後を看取り、二人の子供達も自立していった今では、妻、さかえと二人暮らしです。収入は、悠々自適とはいかないまでも、それでも年金のおかげで、趣味の生活を楽しむことが出来るようになりました。
学究肌の彼は、古文書に興味を持ち、現役の教諭の時から、同僚の先生方とその地方に遺されている、古文書の研究会を作っておりました。
昭和58年の3月の事でした。その日は、その研究会の集会の日でした。彼の家には、古文書だけでなく、古いものに興味を持ついつもの人間が4人ほどあつまって、話しに興じておりました。
その研究会のメンバーの中に、考古学に興味を持っている男がいました。
その日、その男が、大変に興奮した顔でトイレから戻ってくると、座るのももどかしそうに、座に就くとすぐ、
「榎木田さん、あの便所の手洗いの所においてある、小さな盥(たらい)くらいの手水鉢(ちょうずばち)、あれって何時頃からあそこに埋まっていました?」と聞きます。
「さー、そんなもの埋まっていましたっけ?水受けの事?ああ、あれなら私の子供の時代からあそこにおいてありましたよ。でもあまり気にも留めていませんでしたが、それが何か」
「そう、やはり気付いていなかったのですね。私ねー、専門でないから断定はできませんが、あれって、もしかしたら、元の染付じゃないかと思うんですけど」
「エーッ、こんな、ど田舎に、そんなものあるはずがないじゃん。あんたが見間違えたんと違います?」と、他のメンバーが言います。
「そうかもしれん。でもねー、あの藍は、今出来の染付の色とは違う気がする。」
註〉染付に使う藍色の顔料はコバルトを主成分とする顔料で、天然の物と、明治初め頃より使われ始めた人工的に作られたものがあります。
元、明時代の染付に使われる顔料は呉須とよばれ、その発色は美しく、宝石のよりも高価であったといわれております。
「絵柄も、今はほとんどが、泥の中に埋まっていて、よく見られなかったけれど、廻りの土を、ちょとだけ掻き落としたところでは、どうも4爪の竜が描かれているようです」「4爪の竜というのは、昔の中国では、皇帝の持ち物と決まっていましたから、もしかしたらあれはただものではないかもしれません。出来たら掘り出して見せてもらえると嬉しいのですが」とその男は言います。
すると研究会に来ていた他の面々も、「そうかね、そんな珍しいものかも知れないというのなら、私らも、後学の為、一度拝ませてもらいたいものです。それでは、今日の会はそれ掘り出して見せてもらうという事にしましょうよ」と言いだしました。

 

その14

掘り出されて盥(たらい)のような形をした容器には、国枝さん(さいしょに只者でないと言いだした人)の予想したとおり、4つの爪を持った竜が描かれておりました。しかし国枝さんも、本を読んでの知識こそありますが、中国陶器染付の現物など見たことがありません。でも彼の説によりますと、中国元代の染付ではないかとのことです。むろん他のメンバーは、中国陶器の事については、全く無知です。従って、掘り出されてきたものを見ても、夫々「あれや、これや」というだけで、何の結論も出ませんでした。
結局「こういったものに詳しい人に見てもらわなければ分からない」ということでその日は、終わってしまいました。
その後、念の為に、大垣の骨董屋さんに持って行って見てもらいましたが、そこでも首を傾げられただけで、分からずじまいで終わってしまいました。
しかし、「もしあれが、元代の染付であった場合、正当な評価と、正当な扱いを受けさせてやらなかったら、あまりにも可哀相ではないか」という国枝氏の強い主張で、後日、伝手(つて)を頼って東京博物館に勤めていらっしゃった事のある、中国陶器を専門とする先生に見てもらいました。
すると、国枝氏の推察した通り、やはり元代の染付である事が分かりました。その価格は聞いてびっくり、時価にすると、数千万円、下手をすると一億近い値が付く可能性があるものだと言われたのです。〈いざ売りに出すと本当にそんな値がついたかどうか分かりませんが〉。
という事は、あの「この屋敷内に埋められている」と言い伝えられていた宝物が、実際にこの屋敷内に埋まっていたのでした。
純一郎さんがあれほど大掛かりに掘り返したあげく見つからなかったお宝が、こんなひょんな形で、思わぬところから見つかったというのは、なんとも皮肉な話です。
それにしても宝ものを、誰もが見える所に、こんな形で放り出しておくなんて、榎木田家のご先祖様は一体何を考えていたのでしょうね。
なんだかユーモアに富んだ、悪戯っ子みたいな人だったような気がいたします。
見つかってしまったのを、皮肉な顔をして、苦笑しながら眺めているご先祖様の姿が、なんだか目に浮かぶようです。

終わり

No.110 ある小さな、小さな宝探し 2

その6

「ああしんどかった。それにしても、こんな馬鹿なことってある?あんなこと言われたって、私らがお金出すのなんか無理に決まっているがね」
「何で兄ちゃんの尻拭いなんか、させられないかんのや。あんたらそう思わん」別室に入るや否や、堪えて(こらえて)きた鬱憤(うっぷん)を、一挙に吐き出すかのように、長女の妙子がぼやきます。
「そうやわ、お母ちゃんにはいろいろやってもらったけど、兄ちゃんになんて、子供の時から、なんにもしてもらった事あらへんがね。実家が破産した事なんか、どうせいつかは、うちの人たちにも知られるに決まっているんやから、こうなったらあんな家、もうとられるんなら、とられたで、それでも良いわ」「お母ちゃんも、なんで、あんな、こうるさい叔父さん達を、呼んだんやろ」「お母ちゃん、あの人達が何かしてくれるとでも、思っとるんやろか」と三女の芙美。
「でもねー、この場合、おかあちゃんとしては、あの人たちを頼るより仕方がなかったんじゃないの。私らなんか、あてにならないに決まっているから」「私はねー、たいした事、出来そうもないから、あの人たちが、この家を取り戻す為に力を貸してくださるというのなら、何を言われても我慢する心算」と次女の由江。さらに続けて、「だって、あの年になってお母ちゃんが、また新しい所へ行って、あんな敏子みたいな女と生活しなければならないという事になったら、それこそ可哀そうじゃない。だから私は、お母ちゃんが、あの家に住みたいというとる以上、住む事が出来るように、出来るだけの事をさせてもらうつもり」と控えめにいいます。
「そんなら、あんたがお母ちゃんに仕送りするというの」と長女の妙子。
「うちにはまだ、舅も姑もいるから、そこまでは無理かもしれんけど・・・」と由江。
それから思いついたように珠三郎の方を見て「珠三郎。いっそあんたがこの家に入って、お母ちゃんの面倒をみることにしたらどうや。お母ちゃん、末っ子のあんたの事を一番可愛がっていたし、今では、あんたの事一番頼りにしているみたいやから」と珠三郎の顔を見ながら言います。
「そうやわ、お父ちゃんが、あれだけ絶対に許さんと言っていた大学へ、あんたが行く事が出来たのは、お母ちゃんのおかげなんやから、あんたが見るべきよ」と妙子。
「私もそう思うなー。あんたが大学へ行きたいと言いだした時、お母ちゃんが、お父さんを説得するのに、どれだけ苦労したか知っている?あの頑固者のお父ちゃんを説得するのは大変だったんだから。だからその恩を忘れたら、あんた、罰が当たるわよ。あんた、お母ちゃんの面倒見ると同時に、お兄ちゃんに替わってあそこに住んで、私らの在所になってよ。(註:当時この地方では、在所と言うのは実家をさしておりました)
だったら私らも、今回の件に関しては、できるだけのことはさせてもらうから」と芙美も続けます。
「分かったよ。でもこういう問題は女房とも相談しないとねー」と珠三郎はちょっと困った顔をしていいます。
彼にとっては、母親の面倒を見るのは構わないのですが、それと一緒に、姉たちの婚家先に対して、今までと同じように、在所としていろいろさせられそうなのが気がかりでした。これまで、姉達は何かにつけて、あれ持ってこい、これ遣って欲しいと、母親に頼みに来ていた事をよく知っていましたから。そんな事を珠三郎が考えているとは思ってもいない芙美は、「大丈夫よ。さかえ(珠三郎の妻)さんは、大人しくて、気が良い人だから。あんたがこうと言えば、黙って付いてきてくれるにきまっているから」と一方的に決めつけます。
「そうそう、それが良いわ。珠三郎、あんた、お兄ちゃんに替わって、在所になってよ。そうしてくれると助かるんだけど」と次女の由江も頼みます。「そうは言われてもねー。お母ちゃんの面倒をみるというのに文句はないけど、在所役と言うのはなー。俺のとこ、安月給だから、姉ちゃん達みたいな派手な所とは、とても対等に付き合っていけそうもないから。それに仕事の関係で、そう簡単にお勤めを休むわけにもいかないしなー。これからはもう、小作も使用人も、皆いなくなるんだから、今までみたいに、姉ちゃん達のとこへ、気軽に手伝いを出すわけにもいかんようになったし」となお渋る珠三郎に対して妙子は、「珠三郎。あんた何いつまでもごちゃごちゃ言っているのや。あんたも男でしょ。男だったらこんな時はしゃんとしなさい。私らがこんなに頼んでいるのに、それをきけないといいうの。こんなこと頼めるの、あんたしかいないの、分かっているでしょ」と子供時代と同じ口調で命令します。

 

その7

珠三郎は6人兄弟の末っ子で、子供時代から、この年の違った姉達には弱いのです。子供時代から彼女達に、命令口調で言われると、絶対に「ノー」と言えませんでした。
それを知っていて彼女達は、今度もその調子で、強引に自分達の言う事を押し付けようとします。
しかし、さすがに今度の件では、珠三郎もそう簡単には「イエス」とは言えません。妻の当惑した顔が目に見えます。また在所になった時のこれからの物入りも心配です。
それを見透かしたかのように、次女由江は「珠ちゃん、私達とのお付き合いの事は心配しなくても良いわよ。今までみたいに無理は言わないから。もしどうしても頼まなければならない時は、ちゃんと掛かる費用は、内緒で回す事にするから」「ねえ、お姉ちゃんも、芙美ちゃんもそれでいいでしょ」と言って皆の同意を求めます。
「そんなこと心配しているの。相変わらずちっちゃな(ちいさな)男だねー。そんな事、今更念を押してもらわなくても、今までとは違う事くらい分かっているわよ。無論、頼む時はちゃんとするに決まってるがね」と長女妙子。
「珠ちゃん。大丈夫よ。貴方が困るような事は、絶対にしないから。だからそうしてよ。お願い。そうすればお母ちゃんも喜ぶし、親孝行のあんたにまかせられるのなら、私らも安心だし」と三女芙美も頼みます。
「うーん。でもなー、勝手にここで決めても、お兄ちゃんの意向もあるし。もしここで俺が勝手に決めると、後が怖いからなー。お兄ちゃんあれでも、自分がここの家長だという意識は強いからなー」
「もしお兄ちゃんを追い出して、この家に俺が入ったら、後で怨まれるからなー」となおもぐずる珠三郎。
「何言っているの。もし買い戻してもらったとしても、この家はもうお兄ちゃんとは関係ないのよ。それにこんな事になった原因を作ったお兄ちゃんに、今更、何を言いう権利があるというの。叔父さん達だってその点はきちんとしてくれるに決まっているがね」
その後、しばらく姉妹だけで話し合ってていた後、5人は座敷に戻っていきました。

 

その8

座敷に戻ってきた兄弟姉妹を代表して、長女の妙子が切りだします。
「お母ちゃんの事は、末弟の珠三郎が面倒を見る事に決まりました。出来たら叔父ちゃん達の助けをお借りして、この家を買い戻し、お母ちゃんには、この家で、珠三郎と一緒に住んでもらおうと思います。ただ叔父さん達が先ほど言われたとおり、私達もまだ舅を抱えている身ですから、たいした事は出来ません。だから主として叔父さん達の助けを借りるという事になるのですが、それでは駄目でしょうか。お母ちゃんの為に、助けて頂けるとありがたいのですが。どうかお願いします」
「そうか、お姉ちゃんは、珠三郎の所に世話になるのか。それが一番いいかもしれんなー。さかえさんなら大事にしてくれるだろうし」「それで、あんた達、皆でいくら出せるというのだね」と次郎佐叔父。
「恥ずかしいけど私ら皆のへそくり合わせても二百円が精いっぱいです。二男の繁治は食うにやっとで、とても頼める状態じゃないですから」と長女の妙子。
暫くの間、徹三叔父と小声で話し合っていた次郎佐叔父は、「分かった。で、お姉ちゃんのへそくりは、今、幾らくらい残っているの。今後は、珠三郎がお姉ちゃんの面倒を見てくれる事になったから、全部出しても、もう差し支えないやろ」と布佐乃に聞きます。
「ここ数か月で大分使ってしまったから、残っているのは、百円くらいかしら」と母布佐乃。
「フーンじゃー合わせて三百円か。じゃー残り八百円を、わしらで払ってくれと言う事か。徹三どうする」と次郎佐叔父。
「もうこうなったら払ってやらな、仕方がないやろなー。こんな時、わしらが姉ちゃんの力になってやらなんだら、あの世へ行った時、父ちゃんや母ちゃんに合わせる顔がないもんなー。次郎佐兄ちゃんと半分ずつ払う事にしたらどうやろか」と徹三。
「いいよ。で、名義はどうする。お金出した者皆の、名前を出した金に応じて持ち分として入れておくのが筋なんやろうけど、そうすると、後々話がややこしくなって困る事がおきるかもしれんし。
妙ちゃん達はどう思っているんや」と次郎佐叔父。
「私達は、名義なんか入れてもらおうと思ってません。もし名義を入れてくださるというのでしたら、お母ちゃんの事で今後お世話になる、珠三郎の名義を入れてやってくれませんか。他の兄弟もそれで異論ないとおもいます。どう、由江ちゃんも、芙美ちゃんもそれでいいやろ」と妙子。
「無論それでいいわ」と下の二人は声をそろえて答えます。