No.84 きれいであってもバラはバラ、バラには棘があるのが普通です

この話はフィクションで、実際の人物、事件とは、一切関係ありません

 

先日お得意様のところに行きましたときのことです。そこのご主人がいたく感激した顔つきで、「太田さん、聞いてよ。今度 うちの事務員が辞める事になったのですが、なんとその理由が、ご主人のお父さんを看病する為だというのですよ。自分の親でも なかなか看病したがらないこの節,義理の親を それも仕事を辞めてまで、小田原に通って面倒を見ようというのですから、これはもう、美談としか言いようがない話ですよね。」「彼女って、30そこそこだったわねー。 なかなか出来る事じゃないわ」「年は、もう少しいっているかもしれないけれど、いずれにしても、老人の看護などというものは、これから後、どれほど長く続くか解らないにもかかわらず、それをやるというのですから、本当に泣かせる話です。家の娘に爪の垢でも煎じてのませてやりたいくらいですよ」とべた褒めです。私もそこをお訪ねした際 、彼女に、2~3度お会いしたことがありますが、確かに すごく頭がきれるといった感じで、しっかりもの、 そこの事務を一人で切り盛りしていらっしゃるといった感じの女性でした。性格は明るく、気さくで、小さな事にまでよく気がつき、 だれにでも親切で、人懐こく、彼女が一人いるだけで その事務所の雰囲気が暖かく 和らぐといった感じがするほどです。その上美人でスタイルも良いときているものですから、おじさまたちはみんな、もうメロメロ、そこに出入りしているおじ様族たちのアイドルといってもいいような存在でした。「へー。で、本当に小田原までも通われるの?家事に、旦那のお守りに、舅の看病と、よくもまあ、決心されたものですねー。彼女」「そりゃ、太田さんとは違いますよ」「まあ失礼な。私など、親孝行で、近所でも評判よ」「そうですかね。それは俄かには、信じがたいですが、まあそういうことにしておきましょうか」といったことで、その時は話が終わりました。
さて、それから約一年位経ったある日のことです。「太田さん。あの例の内の事務員の事 覚えています。ほれ義理のお父さんを看病するといって辞めていった」「ええ,存じ上げていますが、その方が何か。それにしてもご苦労なさっている事でしょうね」と申しますと、「それがそうではなかったのですよ。面倒見に通ったのは これでなくて〈親指をつきたてて〉こちらの方(小指をたてる)ですよ。小田原に彼氏がいて 、そこへ通うために、うちをやめたのですよ」と意外なお話。「え、でも彼女確かに結婚していらっしゃったのではないですか。学生時代からの仲で、旅行なんかも、いつも一緒に行っていらっしゃるとお噂を、聞いていましたけれど」と私。「それが、どこでどうなったか解からないのですが、うちに出入りしていた篠田、知っています」「ええ、あの背の高い ハンサムの人でしょ」「そう、そいつとメール交換をしていたらしいのですが、そうこうしているうちに、いつの間にかできちゃったみたいで、そいつのところにいく為に、うちを辞めたのですよ」「うそー、そんなことをする人には見えませんでしたよ。とてもしっかりした、常識的な人でしたし。それにご主人との付き合いも 学生時代迄を含めると もう10年以上にもなっていた方でしょ。それにしても、貴方のお話では、涙ウルルンの話だったではなかったですか」「いや面目ない。本当に私は人を見る目がなかったのですね。しかしこんな身近に、不倫をする奴が出てくるなんて、ちょっと思いもよらぬ事でしたからね」「どうも信じられないな。デマではないですか。どうして解かったのです」「篠田の友人がこの間、二人の結婚式にいってきたというのですよ。私には悪いと思ってか、何の連絡もありませんでしたがね」「でも篠田さんというのは 既に二回も離婚してらして、お子さんも5人もいらっしゃる方でしょ。篠田さんの方は、2年前くらいに離婚されていて、そちらのほうは、法律的には問題ないでしょうが、しかし何しろ子供たちの養育費だとか 慰謝料の延べ払いとかしていて、大変みたいなこと、以前に聞いたことがありますけど」「うん、聞いている。でもその上、篠田、とても手が早い奴で、離婚してすぐ、誰かの奥さんとも不倫していたような噂で、そちらのほうの整理も大変だったらしいですよ。彼女、きっと苦労するよなー」「そんな事言って、貴方、妬けるのでしょう」「いや、この歳になると、そういう感情とは無縁だよ。ただ、うちの為によくやってくれた人だから、何とか、幸せになって欲しいと心配しているだけですよ。無論、嘘、それも美談まで作って騙さなくてもと、少し不快な所は有りますがね」と釈然としないといった感じで話されます。ご主人の気持ちは解からないではありませんが、世の中、表があれば、裏もあるのです。綺麗で親切そうな女の人を見ると、男の人はどちらかというと、女神さまのように 崇めてしまいますが、きれいな人だからといって、生活してない訳ではないのです。食べ物も食べれば、排泄もしています。したがって美の面も、醜のそれも持っているのがあたりまえです。内田さんの場合 彼女すこし八方美人的な人で、誰にも良い人と思われたい人でしたから、ちょっと美談が過ぎる所が有ったかもしれません。しかし内田さんも、彼女は生身の人間なのですから、女として生きる道に走ってしまわれたからといって、一概に責めることは出来ないかもしれません。その奔放さが、もともとの彼女の性(さが)だったかも知れないのですから。又、外に出されていなかっただけで、家庭内にいろいろな悩みを抱えていらっしゃって、誰かの助けをもとめていらっしゃったのを、周りの人が、ただ見抜けなかっただけなのかもしれないのですからね。なお、女性達が 勤めを辞める時などに 、その口実として、ちょっとした、可愛い嘘を、使ったからと言って、それまで責めるのは、チョット酷だと思いませんか。だってその方がスムーズに辞めやすいですから。 昔から 嘘も方便という諺も有ります様に このような嘘は 女性に限らないことでしょうが、よくあることだと思います。人間生きていると、 自分を飾る時だとか、相手を傷付けたくない時、スムーズに自分の意志を通したい時など等、悪意はなくとも 嘘をつかねばならない機会というのは 結構多いのです。こういった、悪意のない、可愛い嘘まで責め立てなくてもと思うのですが、この考え、少し寛容に過ぎますか。ただ彼女の場合は、それまでの印象があまりに良かっただけに、こういった場合でも、回りの人に与えた衝撃が大きかったようで、その点、彼女にとっては不運でしたけどね。
一般に私たちは、他人に対して、その顔立ちや服装、 誠実そう、真面目そうといった印象や外観、ちょっとした言葉や、しぐさ、行動と言ったもので、 その人に対する人間像を勝手に作ってしまっている場合が、間々あります。そしてそれに反した事をされると、 騙されたと言って 怒ったり、見る眼がなかったといって、落ち込んだりしがちです。しかしよく考えてみれば それは自分の思い込みによって作られた、その人の人間像に裏切られたのであって、その人の本来の姿にではなかったかもしれないのです。それを、自分が思っていたような人でなかったからといって、怒ったり、恨みに思ったり、悲しんだりするのは、筋違いかも知れません。「人は見かけによらぬもの」とはよく言ったものです。人間、表もあれば裏もあります。同一の人間であっても、本音もあれば、建前もあります。その時々に応じ、あるいは相手に応じて、いろいろな顔を見せるのが人間です。従って、「綺麗なバラには棘がある」と、いつも口の中で呪文を唱え、その人の本音を探りながら、人と接していくのが、騙された時、あまり傷つかなくてすむ、最上の方法ではないかと考える今日この頃ですが、これでは人生侘びしすぎますか。