No.78 母親の遺した珍言、迷言(前編)

始めに

母親が亡くなってから、もう20年近くになります。私にとって、母親は、とても大きな存在でした。いつも陰口を利いたり、反発したりしてはいましたが、それは、母親というか、大人というものの存在を大きく見すぎていた事への反動としての行為に過ぎなかったように思います。お母さんのような大人だって間違えるくせにとか、お母さんのような大人が間違えるなんて考えられないという気持ちがさせる、小さな反抗でした。しかし、今こうして母親の亡くなった年に近づいて見ますに、年は取りましても、至らぬ所ばかり、間違いばかりしています。大人といっても、子供とたいして変わりないのですね。いたずらに年を重ねてきたというだけです。当時は立派な大人としてみていたお母さんも、実際は、その程度だったのだなと思える年になってみますと、お母さんって、結構面白くて、可愛い女の人だったなーと、今、懐かしくその言動を思い返しています。

 

その1 平均値を下げなきゃーの巻

今から20年近くも前、母親、私、私の友人の三人で香港旅行に行った時のお話です。当時の香港はブランド物のバッグとか、宝石、衣類、化粧品などが国内に比べるとまだ、とても廉い時代で、殆どの人の香港旅行のお目当ては、買い物か、グルメだったといったような時代でした。母親はその時が最初の外国旅行だったと思いますが、当時の一般ツアー客の例に漏れず、香港に到着するやいなや、旅行会社の人の案内で、免税店に直行しました。そしてそこに陳列されている、ブランド物の衣類やバッグなどの値段に目が点になってしまい、撒き餌に集まった魚のように買い物に夢中になってしまいました。今はどうか知りませんが、当時は免税店といえども、結構小切れば値引きしてくれていたものでした。その駆け引きの面白さも、旅行者達の楽しみの一つだったのではないかと思います。
母親も店内のあちらの店、こちらの店へと顔を出し、見比べたり,値段交渉したりして楽しんでいましたが、やがてバッグを二点ほどと、ネッカチーフ、化粧品などを山ほど買うと、もう大満足、「今度の旅行はこれで終わったわ。後は、美味しいものをどっさり食べたいわねー。」「じゃー、お友達へのお土産品見てくるわね。」と言い残して、お土産用の雑貨売り場の方へと歩いていってしまいました。買い物に夢中で、私たちも、何か買ってもらいたがっている事に気付くどころか、私たちの存在すら念頭から消えてしまっているといった感じです。
しばらく後のことです。私たちは私たちで宝石売り場にいて、いろいろと選り好みをしていた時のことでした。「朱美ちゃん。朱美ちゃん、ちょっと来て。」という母の声。「こんな所にきてまで大声出して、もう嫌だわ。」と思いながら、母のところへ行きますと、「朱美ちゃんこれ見て、このレースのテーブル掛けが、三枚買うと、たったの○○円にしてくれるんだって。これ日本で買うとその三倍以上もしている物よ。こんな値段と誰も想像もつかないと思わない。お土産、これに決めようと思うけど、どう思う。」といいます。テーブルクロスの値段など、知るはずもない私は、「いいんじゃない。」と気のない返事をすると、直ぐにまた友達の待っている、前の宝石売り場に戻ってきてしまいました。やがてツアーガイドさんが指定していた、時間がきましたので、皆それぞれに、バスの所に集まってきましたが、女性達の顔はどの顔も満足げな笑顔で溢れ、手は、どの手も買い物袋で塞がっています。無論母も両手一杯に買い物袋を下げ、笑顔がこぼれ落ちんばかりです。「で、どうだった。あのテーブルクロス買った。」と聞きますと、「無論買ったわよ。三枚で○○円といっていたのを、六枚で○○円にしてくれたのよ。これで買わなきゃ、女が廃ると思わない。」とたいした鼻息です。
さてその夜の事です。街に散策に出た私たちは、ある一軒の小さなお店に、今日買ったのと全く同じ、レースのテーブルクロスが売られているのを見つけました。値段を聞くと,免税店で買った値段より三割くらい廉くなっています。しばらく悔しそうな顔をして、じっとそれを眺めていた母は、江戸の敵は長崎でとばかり値切り始めました。前に香港ツアーにいった人から、「香港の街中でのお買い物は、先ず、売値の半分以下に値切ったほうがいいよ。」と聞いていました。そこで母も、「もう少し廉くならない。」と切り出しました。するとそこのご主人は、あっさりと、「それなら、10枚まとめて買ってくださるのなら、半額にしておきますがどうでしょう。」と言います。「もう既に6枚も買ってあるのに、それ以上に買ってどうするのよ。配る先のあてもないでしょ。いくら廉くても、止めた方が良いと思うよ。」と止める私に向って、母は「朱美ちゃんは、そんな事言うけど、先の店で、悔しい事に、高く買わされてしまったから、ここで買値の平均値を下げとかなきゃー。」と言いながら、ご主人と延々と値段交渉を続けます。ご主人も、最後は折れて、最初の言い値の3分の1にまでしてくれました。
それにしてもこのテーブルクロスの値段、本当の値段はいくらのものだったのでしょう。最初に免税店で1/2になり、次の店では、最初つけてあった売値が既に、免税店で買った値段の7割、値切った値段はその1/3という事は、免税店の最初の売り値の大体1/10ちょっとくらいで買えたことになります。確かに計16枚分の買値の平均値は一枚当たり、4割くらいまで、安くなった事になりますが、でも同じテーブルクロスばかり、そんなに買ってもねー。はたして得だったのか、損だったのか、お母さんの損得勘定はどうもよく分からないところがあります。

 

その2 ちょうばっているの巻

私がまだ子供の自分は、祖母が同居しておりました。祖母は不平も愚痴も決して言わない人で、何をしてもらっても、ただ「ありがとう、ありがとう」と感謝している人でしたから、母親とはとてもうまくやっていました。ところが、小姑というのでしょうかねー。伯母達が来るとその後、母親が荒れることがしばしばありました。伯母達は何の気なしに言っていく一言なのですが、母親にとってはカチンと来る事が多かったようです。当時の伯母達(戦前の封建的家族思想がしみついている人々でした)にとっては、本家の嫁である母親が、祖母の面倒を見るのは当たり前という感覚でしたから、弟である父に言っていく感覚で、「こうしてやって。」と何気なく指図していくだけで、悪気があったわけではありません。ところがもう戦後育ちだった母親には、それが気に入りません。本来は平等に親の面倒を看るべきところを、兄弟に代わって面倒を見てやっているという気持ちがありますから、自分たちは何もしないで、たまに顔をだして、あれこれ指図だけして、帰っていかれる伯母達の言動には、腹に据えかねる時があったようです。こんなに一生懸命にしているのだから、少しくらい感謝してくれてもいいのにという思いもあります。それなのに、何の感謝の言葉もなく、たまたまその時、充分してなかった所ばかりを目に付けて、指摘されていかれると、なんだか何時も、責められてばかりいるようで、どうにもやりきれなくなる時があったようです。本当の姉妹でしたら、はっきり言い返せますから、腹が膨れる事もなかったでしょうが、やはり嫁と小姑、義理の中です。はっきり言い返せないだけに、余計に腹に溜まっていくようでした。
ある日の事です。一番上の伯母さんが帰られた後、母はよほど腹に据えかねた事があったようで、私を捉まえて愚痴り始めました。いつもは機嫌が悪い事はあっても、私たちを捉まえて、愚痴を言ったり、悪口を言ったりした事まではあまりなかっただけに、少し驚きながら聞いていました。
「大体お義姉さんたちは“ちょうばっとりすぎだわ”。一体、何様と思っとるの。文句ばかり言って。ご飯だってさー、硬いご飯は、お母さんの身体に悪いと言われたから、柔らかいご飯にして、家中我慢しているのに、それを柔らかすぎるといわれるなんて。まだついこの間、お母さんの歯、総入れ歯で、あまり硬いご飯は消化に悪いから、少し柔らかめにしたって、と言っていかれたばかりなのにね。一体全体、どうせいと言うの。自分等は何にもしないくせに、口だけ出されても困るよねー。ほんとにもう、“ちょうばらんとおいて。”」といかにも腹立たしげです。でも私には“ちょうばる”なんていう言葉なんか始めて聞く言葉でしたから、
「で、お母さん。お取り込み中でなんだけど、“ちょうばっとる”ってどういう意味。」と恐る恐る聞いてみました。すると、
「何、知らんの。調子に乗って、威張っとるという意味だがね。それつめると“ちょうばっとる”となるでしょ。」と言う返事です。
どうも母親の造語らしいのですが、そんな造語、突然言われましてもねー。

 

その3 結婚するなら他所見をするなの巻

父親と母親は、私の子供時代からとても仲が良く、父親が、他の女性に目を移す事があるなどとい言う事は考えたこともありませんでした。そして子供たちは、夫婦仲が良いのは、一重にお父さんの人柄のせいだとばかり、思っていました。しかしこの年になってあの頃の両親のやり取りを思い出してみますと、どうもそればかりではなかったような気がいたします。母親の手綱のとり方が上手かったせいではないかと思える節が多々思い出されるからです。
私が大学に入ったばかりの頃の事でした。たまたま上京してきていた両親から、「買い物をしてから、一緒に食事でもしようかと思うけれど、学校が終わったら、出てこない。」といってきました。父親はとても気前が良い人で、洋服などを買ってくれるときは、気に入ったかどうかだけを問題にし、値段の事など気にせず買ってくれていたものでした。従って、父親との買い物というと、これは断るわけにはまいりません。「無論、喜んでいく。」と直ぐに返事をし、授業が終わるやいなや、両親との待ち合わせ場所、青山駅へと急ぎました。
駅を出たところで、両親は待っていました。交差点のほうを眺めながら、何か話している両親を、驚かせてやろうとそっと後ろから近づいてみますと、母が父に向って話している言葉が、耳に入ってきました。どうもきれいな女の人が通る度に、そちらのほうにちらちら視線を走らせる父親の態度が気に入らなかったようです。「お父さん、いくらきれいな女の人が通るからといって、きょろきょろ余所見したらあかんよ。結婚するということは、この人だけを生涯みつめていますという、契約を結ぶ事なんだからね。そういう風に、目移りしたい人は、そもそも結婚なんか、したらいけないのよ。」と言っているのが聞こえてきました。そのときは何気なく聞き流した言葉でしたが、今から思えば、母親が、ギュッと手綱を引き締めた瞬間の言葉だったのですね。感の鋭い母から、早め、早めに手綱を引き締められて、それによって、生涯、真面目で誠実な夫であり、父親であり続けえたというのが、父の品行方正の真相だったような気がしています。