No.68 助平心と生兵法は?(前編)

このお話はフィクションですこのお話はフィクションで、たまたま類似するところがありましても、偶然の一致で、実際にあった事件、実在する人物、事物などとは関係ありません。

 

その1

先日帰郷したときのお話です。新幹線の階段を下りたところで偶然にすれ違ったのが、私の高校時代のクラスメートだった真理さんでした。最初に気付いたのは真理さんの方でした。
「どこかで見たことのある人だわ」
と思って思わず振り向いた私に対し、彼女も同じ思いだったようで、私のほうを見ておりました。すぐに私と気付いたのか彼女は
「失礼ですが、大田原さんではないでしょうか」
といわれます。少し恰幅が良くなり、大奥様といった貫禄が付いてきてはいましたが、その声音と笑顔には、あの闊達で社交的だった高校時代のクラスメート、伊納真理さんの面影が色濃く残っております。
「やはり伊納さん。大奥様といった貫禄がついてしまって、一瞬、人違いかと思ったわ」
「お久しぶり。その後どうしていらっしゃる? 大学卒業と同時に、大病院の跡継ぎのところへ嫁いでいかれたと聞いていたけど、お元気?」と私。
「変わりないわよ。病院の奥様といったって、今時は月給取りよ。決まったお金の中でやりくりさせられ、姑には気を使っての毎日、生活にくたびれた主婦やっているわ。それより貴女こそ、東京で画廊をやっていて、自由を楽しんでいらっしゃるといったもっぱらの噂だけど、ほんと?」
「ええ、マアね。小さいながらも細々とね」と私。
「うらやましいわ。それにしても懐かしいわね。少しお時間ある? お茶しながらお話できない?」
「いいわ、どうせ実家に帰るところだもの、時間はたっぷりあるわ」

 

その2

私たちは駅近くの喫茶店に座り込んでいろいろお話をしました。一瞥以来の挨拶から始まって、お互いの近況についての話、子供のこと、ご主人のこと、舅、姑のこと、仕事のこと、友人の消息などなど、愚痴やら悪口やら噂話やら、何しろ女同士の話は長くなります。話がなかなか尽きません。
一通りお話が終わって、少し途切れたときのことです。
「ところで貴女も同じような商売をなさっていらっしゃるから、興味あるかもしれないと思ってお話しするのですけれど、ああいう物って、買うときよほど気をつけないと酷い目にあわされることってあるのよね。この話、今まで誰にも話したことがないけれど、貴女だけにお話しするわね。少し前の話よ。家の義父ったら美術品が好きで、美術商が持っていらっしゃる物が割安だと思うと、見境がないのではないかと思うほど、何でも買う癖があるのよね。中でも仏像が大好きで、家の者は皆、そんな物、気持ち悪いから止めて、というのだけど、もう仏像というと本当に目がなくて、何でも買ってしまう傾向がありますの。
そんな義父のところへ、ある時、何処かのお寺の住職をやっているという人が尋ねていらっしゃったの。外から見た感じでは、別にどこも変わったところのない、普通の人という感じだったわ。ただ頭は丸めていらっしゃったからお坊さんと分かるくらい。人の良さそうな、品のある、色白の青年僧といった感じの人。30歳くらいだったかしら。大きな風呂敷を抱えたその人がどうしても大先生にお目にかかり、直接お願いしたいことがあるからと名刺を出しながらおっしゃったの。義父ったら、結構信心深いところがある人で、僧侶とかを邪険に扱うと、後で怒られますの。ですからその時も、一応は、御用は何でしょうかとお聞きしたのですが、是非、直接お会いしてからお話させて欲しい、とおっしゃるものですから、用事がわからないままに取り次ぎましたの。
そうしましたら、その人ったら、突然の訪問と、無理な面会をお願いした非礼を、義父に向って詫びられるのもソコソコに、大きな風呂敷に包まれている荷物をほどき始められましたの。そして二体の仏像を取り出され、それをテーブルの上に並べられ『実はこの円空佛を是非買っていただきたいと思うのですが』と切り出されたの。義父もあまり突然のことで、びっくりしたのか、しばらく黙って仏像とその人を眺めているだけでした。するとその人は『実は私、ある小さな寺で寺守をしているのですが、最近そこの本堂の屋根が壊れて、雨漏りがしだしたものですから、至急にお金が入用になりまして。しかし何しろ小さなお寺ですから、門徒といってもほとんどどいらっしゃらず、毎日の生活も、私が托鉢をしたり、アルバイトに出たりして凌いでいるような状態です。ですから、とても修繕費までは手が回らず、その修繕費の工面に困っているところです。どうしたものかと思って、ご本尊様の祀ってある須弥壇の下を覗いていましたところ、壊れた仏具などと一緒に埃にまみれて置かれている、この二体の仏像を見つけました。古い仏具などと一緒においてあったところを見ますと、もう大昔に片付けられ、そのまま忘れ去られてしまっている物だと思います。私、こういった仏像について詳しくありませんから、はっきりとは断定できませんが、多分、間違いのない円空佛だと思うのですが、先生のお見立てではいかがでしょう。こういった場合、専門の業者さんのところに持っていけば、一番に良いのでしょうが、そういったところは、私たちのような素人が持っていくと、なんだかんだといって、買い叩かれるとも聞いていますし、そこでどなたか良い人はいらっしゃらないかと、知っている人に当たっていましたところ、先生のお名前が出ました。先生はそちらのほうに、お詳しくて、紳士でいらっしゃるから、訳をお話しすれば、きっとお助けくださるでしょう、というお話を伺ったものですから、恥を偲んで持ってまいったような次第です。どうでしょう。お助け下さるというわけには参らないでしょうか。』と丁寧にお願いされます。義父は『これはまた、変な話になった』と興味津々、私もお茶をお出ししながら、耳をそばだてて聞いておりました。

 

その3

『イヤー、そう言われましても、私も円空佛などというのは、直接手にとって見たことありませんし、あまり知らないのですよね』と義父は言いながらも、満更でもない表情で、その円空佛を手にとって眺めていました。しかしその義父の表情から次第に微笑が消え、真剣さが窺えるように変わっていったところを見ると、義父は本物と確信したに違いありません。確かにその仏様は、写真などで拝見しているとおりの荒削りな鉈彫りの仏像で、私など素人から見れば、とても素晴らしいものです。どちらもとても魅力的な笑顔をしていらっしゃる、共に50から60センチくらいの大きさの仏像です。
しばらくの沈黙の後、じっと眺めているだけで、いつまでも何も切り出そうとしない義父に向って『やはり無理ですかねー。そりゃそうですよね。こんな見知らぬ男が、突然に尋ねてきて、こんな無理なお願いを言っても、相手にしてくださらないのが当たり前ですもの。いやあ、失礼しました。また他をあたってみようと思います』とおっしゃりながら、その人は仏像を再び風呂敷に包み始められました。それを見た義父は、あわてたように『駄目だと言っているのではないのですよ。ただご予算が、どれくらいの腹積もりでいらっしゃるのかなと思って、考えていたところです』
すると相手は『門徒代表の人は300万円くらいにはしてきてくれと言っていましたが、何しろ急なお願いでございますから、私としましては180万円くらいあれば助かると思っているのですが』と言われます。義父は書斎からルーペを持ち出してきて更に詳細に、その仏像の点検を始めました。その真剣な表情をしばらく見ていらっしゃった相手の人は『でどうでしょう。お願いできるでしょうか』と切り出されます。義父は『いや、ご事情は良くわかりました。そういうお話でしたら、出来る限りの協力はさせていただきたいのですが、何しろ本物か偽者かもわからない状態ですし、もう少し何とかならないでしょうかね。どうです、二体で150万円くらいでは?』と例の調子で値切り始めます。
義父はこういった美術品を買うときでも、必ず値切らないと我慢ができない人です。しかしいくら隠していても、欲しがっている様子は、私でも分かるほどに見え見えです。無論相手にも伝わっているに違いありません。『それは無理です。そんな値段でお渡してきては、後で、私が門徒の人々から非難されてしまいます。私は掛け値なしにギリギリの価格を申しているのですから、功徳だと思って、先の値段でお願いしますよ』とその僧侶は後に引きません。『しかし本物だという確証もありませんしねぇ』となおも渋る義父に対し、『もし本物でなかった場合は、私どもで、再度引き取らせてもらいますよ。お金は修繕費に使ってしまいますから、すぐはお返しできませんが、月賦ででも、お返しさせてもらいます。私どものところは昔、円空様が足を留められていたことのある村でございますから、他にも、こういった仏像があるところもありますし、絶対に間違いないと思っております。私はこういった駆け引きが苦手でございますから、先生のところならそんなことはされないだろうと思ってお伺いしていますのに、そんな値切り方されるとは、ちょっと心外です』と少し怒ったように言われて、今にも席を立って帰ろうとするような態度を示されます。
しかし義父は平然として『まあまあ、そう言わずに、どうです。それでは間をとって165万円で手を打ちませんか』と言います。しかし相手の人は本当なのか、駆引きのためのお芝居なのか『やはりそれでは門徒衆に顔向けが出来ませんから、この話はなかったことにしてください。どうもお時間をとらせましてすみませんでした。これで失礼させていただきます』と憤然として、風呂敷の中に仏像を包み込んで、帰ろうとされます。義父は慌てて『待ってくださいよ。では後10万出しますから、それでどうです。実を言いますと、今日のところは、手持ちのお金がそれだけしかないのです。それでも駄目ですかね。気は心といいますし、それくらいは負けてくださっても罰は当たらないでしょう』と言います。相手の人も、根負けされたのか、まぁ5万円くらいのことだから手を打とうと思われたのか、あるいは最初から義父の助平根性を見抜いて駆け引きされていたにすぎなかったものか、『先生の強引さには負けましたよ。本当は180万はいただきたかったのですが、もうそれでもいいです』と苦笑しながら、それで手を打たれ、お金を受け取って帰っていかれました。

 

その4

お坊さんが帰った後、義父はとても上機嫌でした。思わぬ美術品が手に入った喜びもあったのでしょうが、なによりもお値打ちに買えたことが、よほど嬉しかったようです。しかし、舅だからそういう風に思う訳ではないのですが、わたしは義父のこういった姿をあまり好きではありませんでした。美術品のように美しいもの、高額な物を集めるような人が、どうしてこのように汚く値切れるのか、不思議です。というのも、私の実家の祖父は、こういったものを買うときは、ほとんど業者さんの言い値で買った人だったからです。祖父が言うには『一流のコレクターは、業者が持って来た美術品を、あまり買い叩かないものだよ。あまり値切る人のところには、売る側は、次から良い品物は持って行きたくなくなってしまうものだから。業者さんが良い品物を手に入れた時、真っ先に、あそこに持って行こうと思われるようにならないと、本当に一流の品物は集まって来難いものだよ。それに、いつも値切っていると、業者さんは、ここは値切られそうだからと予め値切られることを計算した値段設定をしてくるから、かえって高めに買わされてしまうこともあるしね』きっとそういう祖父の影響もあったのでしょうか。こういった、少しでも安くしてもらおうとされる姿は、なんとなく浅ましい感じがして嫌でした。まして素性も定かでない人から、高額な美術品を買われることには、とても抵抗がありました。
しかしそんなこと、とても言い出せる雰囲気ではありません。『どうだ、真理さん。素晴らしいだろう。もう円空佛などは、今では、どこか収まるところに収まってしまっていて、めったに手に入らないものなんだよ。このお顔、見てごらんなさい。なんてお優しい微笑みをしていらっしゃることでしょう』と自慢たらたらでした。

後編に続きます。
後編は2週後にお楽しみ下さい。

今ちょうど、このお話の円空仏の展覧会を上野の東京国立博物館でやっていて、円空様の魅力を余す所なく伝えております。是非一度お出かけ下さい。