No.41 亀は鳴くのか、泣くのかな
久しぶりに会った私の友人が「種田(おいだ)さん、もう毎日が、亀がなく心境だよ」とぼやきます。
「どうしたの。亀がなくって、あの卵を産む時に血の涙を出すというあれのこと?何かあったの」と聞きますと。
「あれっ、種田さん亀がなくという言葉知らないの。実はね家の娘がね。最近好きな男ができたと思ったら、私の反対もなんのその、その男のところへさっさと家出していってしまったのですよ」
「えぇー、あの可愛いお嬢さんが、だっていつもお父さんとベタベタだったじゃない」
「そうなのですよ。しかし子供なんて所詮他人なのかなー。あれだけ可愛かったのに、好きな男が出来たと思ったら、やれ束縛がどうの、やれ子離れがどうの、世間体ばかりがどうのと、こちらの言うことは何にも聞いてくれないようになってしまって、挙句の果ては家出ですからね。ですから毎日が空しくて」
「でも、傍からみていると、貴方のところはファザコンではないかと思っていたくらいに、父子がべたべたしていらっしゃったから、それってやっと普通の父子関係に戻ったというところじゃないの」
「もうお嬢さんも大人になられたのですし、いい加減、二人の仲を認めてあげて、仲直りした方がいいのでは」と私が言いますと。
「それがね。どうしてもその相手の男が気に入らないのですよ」
「プータローとか、酒乱とか、家柄が合わないとか、何か心配なところでもあって許せないの?」と私。
「そうではないのですが。○○大学出で(超一流といわれる大学です)、今は家の仕事を継いでいるのですが、それ以前はXX商社(これも超一流といわれる会社)に勤めていたような優秀な男ですし、家柄も悪くはないのです。それがなんと言うか、肌が合わないというか、気に入らないのですね。どういうわけか、その男の一言、一句、一挙手一投足が気に障るのですよ」
「それって、貴方の焼餅じゃないの。いい加減にしておかないと本当に娘さんの家との縁が切れてしまうわよ。娘さんも旦那との間に立って困っていらっしゃるでしょうし」
「イヤー、女房もそう言うのですがね。しかしどうも、その気になれないのですよ。それにしても、娘の奴あの野郎の所にいったきりで、もう半年もの間、何の便りもしてこないのですよ。顔を見ると怒れてくるのですが顔を見せないとなると、それはそれで心配でね。それに毎日顔を突き合わせていた娘の姿が、突然消えてしまったというのは、なんとも寂しいことで、なんだかぽっかり穴が開いてしまった様な感じでしてね。だから亀のように毎日鳴いているというわけですよ」
「へー。まるで失恋したみたい。いい加減にしておきなさいよ」こんなことで二人の話は終わったのですが、そのときの私には、亀が鳴くというのはどういう意味でそんな言葉を使われたのか、全く解かりませんでした。
だって亀が鳴くなんて、お産のとき血の涙を出すという話以外に、聞いたことがありませんものね。そこで家に帰って広辞林を引いてみたのですが載っていません。
「なんだ、又あいつの与太話か」ということでその時は片付けてしまいました。ところがその話しをある人にしました所「それって俳句の春の季語で、本当は亀は鳴かないのですが、雌亀を慕って恋しさのあまり雄亀が鳴くという空想的な季語で、ロマンチックな意味を含んでいる言葉だったように思いますが。俳句歳時記で調べて見られては。」と言われます。
そこでもう一度今度は「電子辞書の広辞苑」で引いてみましたら、確かに「季・春」と出ているではありませんか。
本当に知識の海は広いですね。最近思うのですが、世の中私の知らないことばかりです。私の本業の画商の世界についてだけ考えてみても、画家の数は多く、海外は無論のこと、国内の作家まで含めて考えれば本当に無限と言っていい程沢山いらっしゃいます。
そのうちの著名な作家について知るだけでも、容易なことではありません。名前、略歴、画風、真贋、そして価格の推移などなど考えただけで頭が痛くなるほどです。ところがそれだけではいけないのです。先輩の画商さん達のお話によりますと、良い画商というのは、絵画に精通しているだけでなく、彫刻、陶芸、演劇、音楽、文学、歴史などといったいろいろな芸術、美しいもの、心に感動を与えるもの全てについて、一通りの知識と興味を持つことが必要だとおっしゃるのです。
実際、私の尊敬している画商さんの中には絵画についての深い造詣を持っていらっしゃるだけでなく、文学、宗教、古典芸能などといったものにも一通りの知識を持ち、一般生活においても美しいものを愛し、センスのある服装をし、実に優雅に生活をしていらっしゃる方もお見受けします。本当に羨ましいし、かなわないなと思います。
それやこれや、考えてみますと、今の私は、知識の大海に泳ぎ出したものの、あまりの広さと深さに戸惑ってないている、まさしく亀、それも小亀です(ロマンチックな亀鳴くのほうではなくて、悲しくて泣いているほうの「なく」で残念ですが)。しかしただただ泣いていてもどうなるものでもありません。ですから知識の島にたどり着く日を夢見て、懸命に手足をバタバタ動かしている今日この頃です。
註:亀鳴く – 春の季語:春になると、亀の雄は雌をしたって鳴くのだとされて、「春」の季語になっている。これは古い歌に「川越のをちの田中の夕闇に、何ぞと聞けば亀の鳴くなり 為家」(大木集:藤原長情の撰)とあるのが、その基をなしているようである。実際には亀は鳴かないが、空想的な季題で、ロマンチックな趣がある(俳句歳時記:全国社刊より)