No.40 浮世絵と東山魁夷の版画

版画にオリジナル版画とエスタンプがあることは皆さんもとっくにご存知のとおりです。話を進めていく都合上、ここで簡単におさらいさせていただきます。
原則的にはオリジナル版画は、作成に際して、版画という技法によって美を(版画によってこそ表現できるような美を)創造しようとする作家の意思が働いているのに対して、エスタンプはまず元絵があり それをもとに作家自身かまたはその遺族の了解のもとに、第三者が下絵を作り(殆どが写真製版によります) 版画の技法(木版、エッチング、メゾチント、リトグラフ、セリグラフ、リノカット、シルクスクリーンなど)によって複製したものです。
従って、それにはアートを創作する意図は入っていません。元絵の情報(作品の雰囲気だとか作家の製作意図など)を出来る限り忠実に伝えようとする職人の技術と、その時代最新のテクノロジーがあるだけです。エスタンプは、善意に解釈しますと大衆のニーズに制作販売会社や作家が応えてくれた結果です。具体的に申しますと、著名な作家の作品は、高価すぎて一般の人々は購入出来ません。しかし人々は出来れば自分の好みの、著名作家の有名絵画を所有できたらと願っています。それが不可能ならせめて、その作品に近い情報を伝達してくれるものでいいから持ちたいものだと思います。
それに応えた物がエスタンプというわけです。制作会社が作家または作家の遺族の同意の下、原画とまではいかないまでも、印刷物よりは、より原画に近い情報や雰囲気を伝えることが出来るものとして、版画技法によって複製絵画(名画の代替品として)を製作し、より廉価に提供するシステムといえます。意地悪な見方をすればエスタンプとは名画を所有したい、せめてその一端だけでも触れたいといった大衆のニーズに乗じ、ニーズのあるところ商機ありとばかりに、これを商売の種にしようとする商売人と、贅沢な生活をしたい(作家だって人間ですから、普通の人並みにいろいろな欲望を持っていらっしゃったとしても不思議ありません)お金が欲しい、作品はなるべく手元に置いておきたい、画商から作品を頼まれてもそれに応ずるほどに多作でなく、それだからといって質を落とした作品は世に出したくない、自分の絵画情報をより本物に近い形でより多くの人に共有して欲しい、いろいろな方面から頼まれてその事業推進の為の協賛としてなどなどといったような、作家側の事情とが一致した、商業主義の結晶ともいえます。
近年、街の画廊や、展覧会の会場の一隅でよく見かけます東山魁夷の版画は、エスタンプないしは新復刻版画、複製画が殆どです( 註1 )。

画商さんたち特に版画商を自負されている画商さんたちはオリジナルと変わらないような値段で取引される、こういった東山魁夷版画(厳密な意味でのオリジナルでない)の取り扱いに関して、最初のうちは、かなり戸惑いがあっただろうと思われます。しかしもう一度定義にもどって版画というものを考えてみますに、本来はオリジナル版画と言うのは、下絵の制作から製版まで作家自身が行ういわゆる自画、自刻、自摺のものであるべきなのでしょうが、それが次第に拡大解釈されていきまして、作家が下絵を描き、作家の監修の下で職人が、その指示通りに版を起し、刷りあげたものまで含まれるようになってきています。そこまで拡大解釈されてまいりますと、オリジナル版画とエスタンプ(作家の厳密な監修の下に刷られた質の高いエスタンプの場合ですが))との違いは、下絵が始めから版画用に描かれているものかどうかの違いにしかすぎなくなってしまいます。
そしてその肝心の下絵がまたそれが版画用に描かれたものであっても、版画というメディウム(材質)によって美を創造しようとする意思が認められない場合、すなわち複数摺ることによってタブローより廉価に販売できるからとか、より多くの人に所持し鑑賞してもらうことができるからとか、お金儲けのためだとかといった芸術とは無関係ないわゆる商業主義的な発想で下絵が描かれているものである場合、両者の違いはエスタンプの方はタブローとして描かれている元絵がありそれを元に下絵が作られているのにたいし、オリジナルの方は版画のために下絵を描かれているといった違い以外に殆ど差がなくなってしまいます。実際世間に流通しているオリジナル版画の多くは、特に版画作家でないタブロー作家の版画の場合、このような類のものが少なくなく、エスタンプとの違いは単にサインが作家のものか、版上サインかということと、摺り部数管理の厳密さの有無によると考える以外にないようなものが数多くみられます。すなわちある種のオリジナル版画には商業主義的な政策に基づき、作家の作としての高付加価値化のため作家のサインを入れ摺り部数を厳密に管理し、それによってエスタンプとの差別化を図っているに過ぎなく実質的にはエスタンプと変わらないものも少なくないと言うわけです。ピカソのオリジナル版画には版画としての芸術的価値の高いものも少なくありません。
しかし「版画は小切手と同じでサインがあってこそ価値がある」(どこで読んだか出典は今記憶にありませんが)といったピカソの言葉は版画のこのような一面を物語っているのではないでしょうか。

東山魁夷の版画はどうでしょう。先にも申しましたように現在流通しているものの多くは、厳密な意味で言えばエスタンプです。しかしそれらの版の管理はオリジナルと同じように厳密にされておるようです(東山魁夷全版画集:日本経済新聞社刊でみましてもオリジナルと同列に取り扱われております)。そしてマージン左下には摺り番号の記載と(摺られた数が450部とややおおいのもあります)作家のサインともいうべき朱文方印(落款) ( 註2 ) ( 註3 )( 註4:参考 )が右下に押してあります。
これらの落款は生存中に摺られ、東山魁夷の監修を得たもの意外には使用されておらず( 註5 )、複製画や新復刻版には使われていません。代わりに生存中に作られた複製画(註6)には画面中に原画の魁夷のサインと「魁」の印、または原画の魁夷のサインと「魁夷複製」の朱文方印や、画中に「魁夷複製」の朱文方印、画中に原画のサインと印番号のついているものなどがあります(絵または額の裏面には番号のシールや東山の承認印が押してあるものが多い。番号は箱の奥付きについているものもあります)。
没後に作られた新復刻( 註7 )や複製画には、魁夷の原画の画面内に著作権者指定の「魁夷復刻又は魁夷複製」の朱印が押され、更に何らかのレプロダクションを示す空押があって(他に裏面に著作権者監修を証する検印を示す捺印シールが貼って在ります)、両者は厳密に区別して管理されています。
東山先生の落款の入った版画について、下絵の制作から作品の完成まで先生がどの程度関与されたか知りませんが(機会があったら調べてみたいと思っています。またご存知のお方がいらっしゃったらお教えくださいませんか?)先生の性格と絵画に対する真摯な態度から考えますに、先生が落款を入れられたということは厳重な監修を経ていることを意味すると考えて間違いないと思われます(東山魁夷全版画集:日本経済社刊によりますと、病床にあっても、版元から寄せられる色校正にも、逐一目を通されたとの事です)。

そうなりますと東山版画はエスタンプといいましても先程申しましたような、いわゆるオリジナル版画との間にはさほど実質的な差が認められないということになります。もともと版画がエスタンプだとかオリジナルだとかといってその芸術性の差を強調し独立性を定義づけまでしなければならなかったのは、版画が芸術の一分野として認知されるにはあまりにも弱く、歴史的に見てもオリジナル版画とエスタンプとの差があまりにも曖昧だったからです。その上日本人は(日本人だけではないかもしれませんが)浮世絵のその昔から、版画に対してそれほど厳密な区別はしてこなかった歴史があります。

一般の人々にとっては(一部の本格的コレクターは別として)購入に際して版画で定義付けられているような厳密な意味での区別はしておりません。版画制作のための下絵に芸術的意図があるかとか、版画用に描かれた下絵があるからとか、これは元絵から下絵が制作してあるからどうだとかといった風な理屈っぽい考えを持って購入する人は少ないからです。
そういった意味では摺り部数の管理も制作に当たっての監修もきちんとされていると思われる東山版画(厳密な意味ではエスタンプに属する)は東山魁夷の絵画愛好者にとってはオリジナルと変わらない価値をもっているわけです。
事実、東山先生の版画の価格は(新復刻でないものの価格ですが)最近著しく上昇しています。もっと芸術的価値が高いと思われる(私見ですが)他の作家のオリジナル版画よりも高値をつけているものも少なくありません。このような市場的価値と芸術的価値の乖離(かいり)というのは画商にとっては確かにとても抵抗があります。

国際性を、厳格な意味での芸術性を無視したこのような価格形成は日本という地方独特のバブルだと極言する画商さんさえもいらっしゃいます。しかし、もともと絵画の価格というものは需要と供給によって決まってくるものです。芸術性の有無とかといってもそれは国によっても個人によっても考えが違っています。従って今国際的な相場や定義づけられた芸術的な価値と無関係な価格を形成しているからといってそれが間違っているとあながち決め付けるわけにもいかないようです。

どこの国にも愛民族的なコレクターが存在し、それによって民族的に価格が突出している作家は存在しています(例えばアメリカのアンデイ・ウォーホルやジャスパー・ジョーンズなど)。又、取り決められている版画の定義にしても商業主義的価値付け、差別化のために合意し決められたに過ぎないものですから、その定義から外れているからといって東山の版画を芸術的価値が将来とも皆無とまで断言するわけにもいかないのです(このような定義は時代によって変わる可能性もあります)。
こういった価値観は長い歴史の淘汰を経て初めて普遍的なものが決まってくるからです。東山版画についても断言はできませんが、少なくとも日本では(先ほども申しましたように今のところ東山魁夷絵画の人気は日本という狭い地域に限られているようです)シャガールやローランサンのソルリエ版エスタンプ(現在結構いい価格で取引されています)やジャックヴィヨンによるエスタンプの様なオリジナルやスピッツァー版エスタンプよりはより高い価値が将来も認められ続けるであろうと推定されます。

東山魁夷の本画の人気にもよりますが、今のような人気が継続されるならば、またさらには国際交流がもっと進み、日本画が国際的に認められる時代がもしやってくるならば、そのころには東山版画のこの世の残存部数は非常に少なくなっていますから江戸時代に売り出された浮世絵版画(浮世絵などは売り出された当初は、当時の価値で言えば大量生産の印刷物にしか過ぎなかったのです)の様に思わぬ市場的価値(芸術的価値云々とは別として)が出てくる時代が来ないともかぎりません(これは日本画の国際的認知を願っている私の夢かもしれませんが)。
市場的価値とはそういった需要と供給によって価格が決まる仕組みであり、そして美術品といえどもその相場の中で価格は決まっていくものだからです。だからといって皆様に東山魁夷の版画を投機的に買い漁りなさいといっているわけではありませんから誤解のないようにしてください。
現在持っておられる人たちに掛け捨てのただの複製絵画として粗末に扱わないで準オリジナルとして価値を認め、大切に取り扱われた方がいいですよということを言いたいのです。念の為。

■註1
東山魁夷のオリジナル版画としては、以下のようなものがあります。(東山魁夷全版画集:日本経済新聞社刊による)
下記のように、自家版、本、本に添付されたものが多く、このためか、人気も価格もオリジナルだからといって特に高いということはありません。
① 版画集ないしは版画装画本として制作されたもの
a 国立公園集:「残雪」「湖畔の遊覧船」「秋晴」「白樺林」「彩秋」「十国峠の富士」 の6点
芸艸堂発行:木版画集:200部:画中右下に(湖畔の遊覧船のみは左下にあり)「魁」の朱文方印(落款):1960
b 北欧紀行「北の町から」:「地図」「コペンハーゲンの街角」「オールフスの古い町」 「ストックホルムにて」「ベルゲンの家」「ヴィラットの教会」「オーデンセの古道具屋」の画面右下に「魁」の落款(朱文方印)左下に番号のある7点と、落款のない 49点 明治書房発行:リトグラフ装画本:100部:落款については上記
1964
② 自家版ないしは試し刷りとして製作されたもの
a 黄葉 リトグラフ 10部 落款なし、左下番号 試し摺りとして制作、自家版のみ

b 灯台への道 リトグラフ 10部 魁の朱文法印 番号なし 試し摺り、自家版
c 秋の野 リトグラフ 10部 魁の朱文方印 番号なし 試し摺り 自家版のみ
a,b,c共:1962
d 冬樹 リトグラフ 100部 Kaii Higasiyamaのサイン(右下)、番号(左下)
自家版として制作 1963
e青潮 リトグラフ 100部 ローマ字サインと魁の朱文方印(右下)、番号(左下)
自家版のみの制作 1967
f 碧い湖 リトグラフ 100部 サイン及び番号は上に同じ 自家版として制作
1970
③ 本に添付されたもの又は本に収録されているもの
a 早春 木版画 東山魁夷代表画集:集英社刊に添付 2000部 画中右下に魁の朱文方印 番号なし 1971
b 夕べの町 木版画 画集「古都を描く」:集英社発行に添付 1100部 画中左下KHの陰刻
番号なし 1972
c 泉に咲く リトグラフ 「青の世界」:集英社発行特装本に添付 100部 マージン右下ローマ字サイン、左下番号 1976
d コンコルド広場の椅子a
e コンコルド広場の椅子B
上記d、eとも エッチング 詩画集「コンコルド広場の椅子」: 求龍堂発行に添付 50部 マージン右下ローマ字サイン、左下番号 1976
f コンコルド広場の椅子C リトグラフ 詩画集「コンコルド広場の椅子」:
アポロアート発行の海外版に添付 画面右下ローマ字サイン、左下番号
100部 1978
g 森の経 リトグラフ 「東山魁夷の道」:読売新聞社発行の特装本に添付
200部 1985
f 星の夜 リトグラフ 175部
g 冬並木 リトグラフ  20部
上記f、gとも 「樹々は語る」:求龍堂発行の特装本に添付 部数上記:
マージン右下ローマ字サイン、左下番号 1985
h 春浅い日に リトグラフ 「ポケットギャラリー東山魁夷」
日本経済新聞社発行の特装本に添付 右下魁の朱文方印、左下番号 150部 1991
i 枯野 リトグラフ 125部
j 冬樹 リトグラフ 125部
k 湖岸 リトグラフ 125部
l 冬華 リトグラフ 125部
m 樹氷 リトグラフ 125部  上記i、j、k、l、m とも
リトグラフ集「冬の詩」:読売新聞社発行に収録 マージン右下ローマ字サイン、番号左下、1979
l 黄山良夜 リトグラフ 画集「第二期唐招提寺御影堂障壁画」:日本経済新聞社 発行の特装本に添付 右下ローマ字サイン、左下番号 125部 1980
④ 記念事業として制作されたもの
a 雪 木版 国内版195部、国際版50部
b 月 木版 上に同じ摺り部数
c 花 木版 上に同じ摺り部数
a、b、cとも英、独、仏語を併記した画集:講談社インターナショナル発行の記念として制作 マージン右下魁夷木版の朱文方印、左下番号 1985
d 朝雲 木版 国内版195部、国際版50部 画中右下魁夷木版の朱文方印、
左下に番号
f 緑影 木版 国内版195部、国際版50部 画中左下魁夷木版の朱文方印、
左下に番号
d、fともに国際平和年の記念事業として制作 講談社インターナショナル日本国際連合協会発行 落款等の情報は上記それぞれに記載 1986
h 青山朝霧 リトグラフ 丸栄発行 丸栄設立50周年記念「雪月花」展開催記念として制作 右下魁の朱文方印、左下番号 150部 1993
⑤ 伝統木版画技術保持(または保存)推進事業の一環として制作
a 京の春 木版 250部 アダチ版画研究所発行 マージン右下魁夷木版の
朱文方印、左下番号 上記保持事業として制作 1997
b 京の秋 木版 250部 アダチ版画研究所発行 マージン右下魁夷木版の
朱文方印、左下番号 上記保存事業として制作 1997
■註2
これらの版画(厳密にはエスタンプとなります)に用いられている朱文方印としては、魁または魁夷木版を用いているものが殆どです。しかし魁夷石版の朱文方印(「緑の詩」「静映」)、KHの朱文方印(「北国の森」「孔版画集:京洛小景に収録の12点」)、樹形とKHの朱分方印(「風吹く浜」「若葉の経」「行く春」「秋径」」、魁夷版の朱文方印(「雪の後」「月明」)、ローマ字のサイン(「朝」)、額裏ラベルに魁夷版の朱文方印と番号のあるもの(「宵桜」「緑映」」などが少数ずつあります。 (上記「秋径」は表に樹形とKHの主文方印と番号、そして額裏ラベルにも魁夷版の主文方印と番号が入っています)
■註3
また「北国の森」毎日新聞社発行は2000部と発行部数多数のため番号はありません。
■註4(参考)
オリジナルのものは、上記:註 1のように、魁または魁夷木版,KHの朱文方印をマージンに押してあるものと、Kaii Higashiyamaのローマ字サインがマージンにはいっているものが殆どです。1100部刷られた木版画、「夕べの町」は、画中左下にKHの陰刻が入り、番号もついていません。また版画集などの本として作られたものには、サインのついていないものもあります)。
■註5
例外として2000年2月に室町美術から魁夷没後に発行された「緑響く」があります。これは東山すみ監修による発行であるため、それを証するものとして、東山魁夷木版の朱文方印の他に楕円形の印「ATELIERU KAII HIGASIYAMA」のエンボスがあります
■註6
複製画:原画をもとにコロタイプ、特殊オフセット印刷などの印刷様式で制作されたもの なお東山魁夷全版画集1956-2000:日本経済社発行に掲載されているものは、制作にあたって、魁夷自身が校正しているものである。
■註7
新復刻は:東山魁夷の死後、著作権者の了解の下、版画技法で複製画を製作したもので、そこには東山魁夷の関与は全く認められません。なお制作に使用される絵の具も違っているといわれています。