No.26 釣り糸の先は疑似餌だったかそれとも生餌だったのか
こういう不景気な時代になりますと、どの世界でも怪しげな人の暗躍が目立つようになってまいります。まして常日頃から既に魑魅魍魎の跋扈が日常ざらといった私どもの世界の事、旨い話しは 先ず眉に唾をつけてから聞くというくらいにしないと、とんでもない目に合わされる事になりがちです。
これなどもつい最近有ったお話しですが、後から考えればどうして?と思うような単純なお話なのですがその時はとっさの事、少しでも助平心を出せば即、釣り上げられるといったことになってしまう訳です。
ある日の午後の事です。「社長お電話です」という言葉に何気なく電話を取りますと、「もしもし○○美術の責任者の方ですか」「はい、そうですが、何のご用でしょうか」と私。「私、日光の方で解体業をやっている××ですが、今日、こちらへ 蔵の解体に来たところ、そこの蔵の中に、大観だとかその他いろいろな絵が有るのですが、それを買ってもらえないですか」との声。「それは私ども商売ですから、きちんとした出所でしっかりした品物でしたらお買い上げさせていただいていますが」「今、お聞きした所では解体に行った先の品物との事ですがどういったお話なのでしょうか」
「私どもは家の解体業をやっているものですが、今度ここ日光で ある家の蔵の解体を頼まれたのです、所が来て見ると倉の中には絵が20点くらい有るのです。しかしここの奥さんはもう歳ですし、その方面 に関しては全く知識が無い人なものですから、蔵の中の者全部まとめて50万円でリサイクルショップに譲る事に決めてしまったというのです。」 「へぇ、それでどなたの絵がありました」 「私そちらの方は素人だものですからあまり詳しくは知らないのですが、大観だとか,岡田三郎助、長谷川利行など等といった人の絵がありました」 「どんなような絵でした」 「大観のは富士山と海と松みたいなで図柄で、桐と塗りの二重箱に収まっていて共箱になっていました」「岡田三郎助は裸婦の後姿で惚れ惚れするような作品でした」「その他の絵は何しろこちらも素人ですし ちらっと見ただけですから はっきり覚えていませんが、皆きちんとした箱に入っていて、素人ながら素晴らしい絵だったような気がします」
こうなると人間悲しいもので頭の中でそろばんパチパチ、直ぐ餌に反応してしまいます。「わざわざお電話下さいましてありがとうございます。それは是非お譲りいただきたいと思いますので、明日一番にでもお伺いしますからそれまで取っておいていただく様お願いしていただけませんか」と聞いてみますと、「ところがリサイクルショップは今日3時までにお金を返してもらえない時は、品物を取りにいくといって聞かないのです」「私もあまりにも惜しいと思ったものですから自分で買いたいと思ったのですが何しろ出先の事、手持ちの金もわずかしかもっていません。その上自宅の方に電話しても家内も出掛けたと見えて連絡が取れないのです」「その時ふと他の業者さんからお宅の話しを聞いていたのを思いだしたものですから電話させてもらったというわけです」「私も本当に惜しいと思うのですが、今どうしようもないものですからお電話しているのです。もしこの話しに乗っていただけるのでしたら、リサイクル屋に色をつけてやる分のお金と私の所の取り分とを併せ90万円くらいで手を打たせてもらいますがどうでしょう」と解体屋さん。
「しかし3時迄といわれましても、もうこんな時間ですし 今すぐお金を持っていっても、日光まで行っていては間に合いそうもありませんね」と私。
「それは解っています。ですから今例の強欲なリサイクルショップの銀行口座の番号を言いますからそこへさしあたり50万円だけ振り込んでやってください。後の方のお金は私が品物を持っていった時に払ってもらえばいいですから。それからもしもお宅らが見て随分いいものだと思われました時は品物を持っていった時、後少し色ををつけたっていただけたら嬉しいのですが。本当は売るのが惜しいと思っているくらいの物ですから」
「そんな事を申されましても私どもとしましては、品物を見ないでお金を払うわけにもまいりません」「リサイクルショップの人に少し時間を遅らせてもらうようお願いしてもらえませんか。これからすぐそちらに伺いますから」 「それが駄目だものですからオタクに電話しているのです。仕事の都合も有るし、今日の3時までにお金が入ってこない時は 品物をもらいに行くといって聞かないのです」「私はそちらの方は素人だものですから解りませんが、あれだけ立派な箱に入っている絵が20ちょっと位 有る事から考えれば 決してお損なお買い物ではないとおもいますがね」と残念そうな声。
確かにもしもこの話しが本当であったとすると大変な利益です。利益の大きさから比べれば50万円の冒険も悪くないかと一瞬お金を払おうかなという誘惑に駆られました。しかし今迄に何の面 識も無い人からの話し、顔も見ないで、電話だけでお金を払い込むのはどうしても ひっかかります。そこでもう一押し「もし良い品物でしたらお払いになっている値段の5倍払わせていただきますからともかく行くまで待っているように交渉してもらえないでしょうか」とお願いしてみたのですが、その解体やさんは「何度も言っていますようにそれは駄 目なんです」 「そんなことを言えば 価値が有ると思ってリサイクルショップの人は益々手放さなくなりますしね」「残念ですね。しかし今回の件は諦めて下さい。こちらも急いでいるものですから 他にあたってみますから」 といって電話が切れました。
ウサンクサイと思って断ってはみたものの欲の話、何となく後ろ髪を引かれる思いです。それで知っている画商さんに「これこれこういう話しがあったのですがどう思いますか」尋ねてみました。そしたら「そんな事は聞くまでもないでしょう。詐欺に決まっていますよ」「お金を払い込んだら数時間後には全部引き出し後はお決まりのドロンですよ」「電話だってプリペード式の携帯電話ですから、逃げられたらもう捕まえようがないですからね、ちょうど50万円くらいというのが味噌で、それくらいの額が最も引っ掛かり安いと敵さんも知っているのでしょうね」との事。
この話し、これで終れば本当はいいお話だったかもしれなかったのにという忸怩たる思いがいつまでも後を引いた事でしょう。ところがこれには以下のような後日談があるのです。
さてそれから数日後の事でした。交換会(業者間のオークションのような所)へ行きましたら、ある業者さんがその話しをしていらっしゃるのです。その業者さんは電話が掛かってきた時、偶然居合わせたほかの業者さんと「それなら50万くらいの話しだから、25万ずつの乗り(共同)で買ってみようか。もしあたれば大儲けになる事だから」という事で 直ぐにお金を振り込んだそうです。ところが振り込んで暫くしたら「お金が届いたといっています。それでは今夜品物を持って伺いますからよろしく。ところで後100万円振り込んでいただくともっと素晴らしいものを持って行くと言っていますがどうでしょう。こちらの業者さんがちょうど見えているので その人に売ろうと思っていた所ですが、値段が少し合わないのものですから 良かったらそちらで買っていただけないかといっているのですが」「尚この品も古い家をを解体した時そのリサイクルショップの人が買って来た品だそうです。 品物は豊蔵さんの志野茶碗とか三輪休和の萩茶碗、金重陶陽の水差し等など5点くらいだそうでが 今すぐお金を振り込んでいただければ こちらの業者さんに売るのを止めてそれも一緒にもって伺いますが」と言ってきたそうです。その画商さんもさすがにそのお金は払い込まれなかったそうですが 例の品物が来るのを夜の10時まで待っていたそうです。しかしそれっきりなしの礫(つぶて)。後は電話を掛けても通 じず「本当にひどい目に会った」と言っていらっしゃいました。見事詐欺師に釣り上げられたと言うわけです。
生餌で釣られたというのでしたら未だ少しは救いもあるでしょうが、疑似餌につられたと言うのでは洒落にもなりませんよね。それにしても世の中、油断の出来無い人がウヨウヨいるものですね。