先日弟と論争をしたのですが、弟の説によると美人の基準は絶対なもので人種とか時代性を問わず常にギリシャ彫刻の女人像の様な女の人だというのです。
しかし本当に美人の基準は絶対のものでしょうか。唐の楊貴妃だとか小野の小町ってそんなギリシャ彫刻の様な体型や顔立ちだったでしょうか、平安の美人、戦前の美人、そして現代の美人と同じだと思いますか。アフリカの人と、ヨーロッパの人、インドの人、中国の人が認める美人が同じだと思いますか。
ブロマイド一つをとっても、戦前のスターと現在のスターの顔立ち、スタイルは全く違っている事におきづきでしょう。 もしも平安時代に現代の美人が混じっていた時、その時代の人がその人を美人と認めると思いますか。気持ちが悪い変な人間が混じっているとばかりにのけ者にしたに違いないと思うのです。
美術教育だとか、映画、テレビ、雑誌、新聞等による影響とか、外国人との交流の常態化等による慣れと刷り込み効果 が日本人に現在のような八頭身型の欧米型美人像を生み出してきたに過ぎないと思うのです。恐ろしい事にこうした慣れと刷り込みによる錯誤が、美術品の収集にも起こりうるという事です。
少し前の事です。中国陶器を集めていらっしゃった方から、少し整理したいので相談にのってもらえないかといってこられました。無論私は中国陶器に関しては全く専門外なものですから、私一人で行ったのでは何のお役にも立てそうに無い事は言うまでもありませ ん。
そこで中国陶器に詳しい知人に頼んで一緒に行っていただきました。訪問して通 された応接室にはどの面にも素晴らしい飾り棚が立てかけられ、その中には色々な時代のさまざまな形の中国陶器がびっしりと飾ってあります。
ところが私の知人はそこに入るなり「ここのは多分全部駄目ですよ。此れはひょっとす ると早く退却した方がよさそうですよ。」と耳打ちします。 私は先程も申しましたように、中国陶器に関しましてはまったくの素人ですから、「ちら と見ただけで真贋が解るとはなんてすごい人なのでしょうこの人は。其れともこれらの品 がすぐに贋者と解るほどお粗末な物なのかな。」と思いながら座っていました。
そこへ御主人が出ていらっしゃいまして、挨拶も一緒に行った知人の紹介もそこそこに 「実はこの度私がかねてより探していたすごい品物が出てくるので、今もっている物の一部 処分してその金でその代金に当てようとおもっていたのです。ところがこれらを持ち込んでくれた業者さん達は、なんだかんだと逃げ口上を言ってなかなか買い取ってくれないも のですから困っているのです。本当にどうなっているのでしょうかね。」と少し憤慨した口 調で話されます。「それでは早速拝見させていただきましょう。」と一緒に行った知人。「お願いします」 とご主人。こうして売りたいと思っていらっしゃる品物を持ってこられ、一つ一つ箱から出して丁寧に並べていかれます。
箱にはすべて鑑定家と思われる先生の箱書きがついており、その上桐の箱と塗りの箱と の二重箱に入れてあります。持ち主はとても几帳面の人らしく、箱の裏側には買った日に ちと買った時の値段を記した紙片がはってあります。
私は陶器を見せて頂いても解らないものですから、箱の方を見させていたのですが、どれもかなり高いお値段で購入されてい るようです。 一緒に行った知人は、丁寧にそれらの品を見終わるとすぐ 「色々な物を見せて頂き、い い目の保養をさせて頂きました。しかしこちらの品と私が扱っています品とは少し違って おるものですから、申し訳ありませんが・・。」と言って私に目配せしながら立ち上ってし まわれます。
御主人は「業者さんが利益をとっていらっしゃる事は解っていますから、別 にこちらが買った値段で引き取っていただこうなどとは思っていないのですがね。」と未練そうにいわれますが其れを振り切るように私たちはその家を辞去しました。
外に出て暫くしてから「何処の業者さんか知らないが、罪な事をしますよね。」「大体あの 箱書きを書いている先生は、目が無い事で有名で、あの人の箱書きがあれば最初から贋者を疑った方がいいと言われている先生ですよ。」「しかしあれほどたくさんに集めながらあ れほどすべて駄目と言うのも珍しいですね。しかも複数の業者さんがはいっていたようですのにね。」といわれます。
さてこの原因を考えてみますに無論買うにあたって、金をけちられたのが最大の原因だ とは思いますが(その業者さんの話によりますと、ついていた値段はすべて中途半端で、本物にしては安過ぎ、贋者にしては高すぎると言った値段だったそうです)もう一つの大きな原因は物を見る目が、贋者を観る目で慣らされてしまっていると言う事です。
箱書きを書いておられる先生を信用し、その目を基準にして品物を観て集めていかれた から、あれほどたくさん集められたのに全て贋者と言った悲惨な結果 になってしまったのだと思います。
昔何処かで聞いた話しですが老舗の骨董屋さんに丁稚に入ると、先ずきちんとした本 物の骨董ばかりを扱わせたと言います。こうして本物の骨董ばかり扱って暫く立つと、贋者やまがい物を見た時、直感的に違和感を覚えるようになると言うのです。即ち絶えず本物と接する事によって、本物の持っている雰囲気だとか風格と言った色いろな情報をを 脳に刷り込んでしまう訳です。
其れに対してこの人の場合は、最初から贋者の情報を正しい物としてインプットしてしまっている訳ですから、どれだけその後品物を集めても、正しい判断が出来る筈も無い訳です。
収集家の中には盗難だとか、火災、破損、日焼けなどを恐れて、本物はしまっておいて、フェイクだとか写 し、贋者と言った物ばかりを部屋に飾っておられる人をみかけますが、そのような生活を続けておられますと美術に対する鑑賞眼が濁ってしまう可能性が あります。 いつも申しておりますようにいい鑑賞眼を養う為には、いつも美術的に優れた物に囲まれた生活をしている必要があるのです。