No.11 樹を見て、森を見ずになってはいませんか
展覧会などに行きますと、1メートルそこそこの所にロープが張り巡らされ、その前を皆さんがぞろぞろ歩きながら鑑賞されている光景を見かけます。でも大きな絵でも同じように、そんな近くから見るだけで絵が分かるのでしょうか。
先日の事でした。ホテルで食事しようと思ってあるホテルに行った時のことです。ホテルの宴会場のフロアは丁度改装中で、通 路の大きな壁面を職人さん達と監督らしい人が何ごとか話しながら、壁にクロスを貼っています。壁のクロスは西陣織の立派なもので、多分私どもの家のクロスの何十倍もする特注品のようです。
クロスはもうあらかた張り終え、後は端の方を残すのみです。貼られた壁面 には中央に何か模様のようなものがはっきり見えるのですが、それがそこに何が描いてあるのか、さっぱり分からないのです。
その時たまたま連れ立っていたのは表具師さんでしたが、これを見て笑いながら、「ちょっとあれどうなっているか分かりますか」と、聞くのです。「いや、先程から考えているのですが、さっぱり分からないですわ」と応えると、「もうちょっと下がって見られたらどうでしょう」「それでも分からない時は、今度は天の橋立袖覗きではないですが、頭を逆さにして見られたらどうでしょう」との答え。
そこで早速、少し後ろに下がって全体として眺めてみますと、はっきりと模様が浮かび出てきたのです。でもそれはとんでもないことで、何という事でしょうか、”寿”という字が描かれているのですが、それが逆さになって貼られていたのでした。職人さん達も、監督をしている人も局所局所を綺麗に貼っていく事に夢中になって、全体として捕らえることをしていなかったのでしょうね。
その表具師さんは「私がちょっと注意してきましょう」といって監督さんのところに行き、いろいろ話しをしていました。何でもそのクロスはやはり特注品で、それに代用するようなものもなく、しかも新たに織ってもらうとすると時間がないし、困った、困ったと頭を抱えていたそうです。
さて私たちが絵画を見る場合も、同じような過ちを犯している事がないでしょうか。特に展覧会などで押し合いへし合いして見るような時、それこそ絵から1メートルくらいのところから見るのが精一杯で、もう一度、離れて見るような事はほとんどしませんね。
確かに近くで見れば、マチエールの美しさ、色使いの微妙さ、精妙なタッチ、筆の勢い、臨場感などといった、本物を身近で見たものでなければ感じ得ないものを感ずる事が出来ます。
でも画家がその絵画に込めた思いとか、全体として醸し出す雰囲気、色と色、色と線、色と面 とのバランス、人物と背景の取り合わせの妙、描かれている人物同士の微妙な綾などといったものは、近くで見ているだけでは見逃す恐れがあります。
皆さんも絵画を鑑賞される時は、是非とも、近くからだけでなく、少し離れたところからも見る習慣をつけて下さい。そうすると今までに感じた事のない新たな発見をする事が出来ます。
私たち画商が贋物と本物を見分ける時でも、少し離れたところから見てのその第一印象を非常に大切にしているのです。