No.10 人参を鼻先に韓国中を回った話

以前にもお話しましたが、私の父は陶器のコレクターでもあります。コレクターの常として、垂涎の作品があると、どこまでも追い求めてしまうところがございます。そんな父が遭遇した一つのエピソードを今回はご紹介しましょう。

(父の話 その3)

 今から30年くらい前の話しです。何でも韓国の東シナ海よりの沖合いに宋代の貿易船が積み荷ぐるみ沈んでいるのが発見された事がありました。その中には箱に入ったままの宋代の青磁がぎっしり入っていたのです。
当然韓国は直ちに国外持ち出し禁止の処置を取ったのですが、それはそれこれはこれ。この世界では例え駄 目と言われているものでも、裏でごそごそ怪しげに蠕くのが常で、この時も漁師達が前もって拾っておいたものだとか、夜中にそっと海の底から拾ってきた物が世の中に随分と出回ってたものです。
 それらの青磁はフジツボがしっかり付いていたようですが、薬品できれいに落とされ、表面 の青磁の釉が薄くなって少し荒れ、輝きがやや薄くなっている以外はとてもきれいで、一般 に出回っていた出土品(土に埋まっていたもの)よりもよほど優れたものでした。価格は伝世の品の五分の一くらいだった記憶があります。

 ある日、馴染みの骨董屋さんが「先生、すごい掘り出し物が韓国にあるとの事ですが見に行きませんか。」と言います。「またまたそんな物あるはずがないだろう」と私。「いや、例の青磁の沈没船に曜変天目茶碗が乗せられていて、三千万くらいなら売っても良いといっているんですよ。」と言います。
 曜変天目茶碗は世界でも5点くらいしかないもので日本のはすべて国宝になっており、その当時二億から三億出しても手に入らないだろうと言われていたものです。こんな話を聞くと骨董を集めているものの悲しい性で、早速身を乗り出し、「でもそんな物買っても韓国から持ち出せないんじゃない。」と聞きますと、「大丈夫です。蛇の道はへび、税関にはこちらの業者が鼻薬をかがせてありますから、カーフェリーに積み込んで持ち出します。門司で受け渡しと言う事にしたらいかがですか。」と言います。そこで勇躍韓国に出かける事にしました。
最初はソウルの業者さんのところにいきました。その骨董屋さんは残念そうに、「いやー、つい最近まで手元にあったのですが、他の業者さんから引き合いがあったので、今は他に行っていてここにはないんですよ。」「でも、例の船から出たいろいろな素晴らしいものがありますよ。」と言いながら次々に例の貿易船にのっていたと思われる青磁の品々を見せてくれるんです。
値段を聞いてみるとまあまあで、日本の値段の半分くらいです。品物の程度はまちまちで。表面 の釉の随分荒れているものから、伝世品かと思われるくらい素晴らしいものまでいろいろでした。でも私の目的は曜変天目なんですから、これは又の機会にと言う事にして、曜変天目の茶碗を持っていると言う業者さんの場所を聞いてみますと、なんでもソウルから随分離れた町の名前をいいます。しかし私は手に入るものなら手に入れたいと思っていましたから、何がなんでもそこに行く事にしました。

 さて家に出入りの骨董屋さんの知り合いの車に乗せてもらって、何時間もかけてそこに着いたのですが、そこの業者さんの対応も前の骨董屋さんと全く同じで、「いや残念ですね。ついこの間まではここにあったのですが、他の業者さんからお話があって今はそちらに行っています。でもここにももっと良いものがありますよ。」といいながら別 の骨董屋を次々に見せてくれるんです。そこでは例の青磁だけでなく、金の板に書かれた経文だとか古い仏像など、次から次へと出してくれます。
 私は仏教美術が専門でないので、これがいいのか悪いのか、本物か偽物かも全然わからなかったのですが、ついてきた日本の業者さんは私がトイレにたった時についてきて「先生、もしあれが本物なら日本ではこの値段の五倍以上はしますよ。でもこの弥勒菩薩は多分新しいですよ。」と言います。私は経文の方を見たのですが、ルーペで見てみると、金の板に彫ってある経文の字が今にも堀りたてと言うようにピカピカ光っています。いかに金と言っても年代が経ったものはその表面 には年代を感じさせる濁りというか、落ち着きというか風化が出てくるものですが、その字の彫り跡にはそれが感じられないのです。
いずれにしても、今回の目的は曜変天目な訳ですから、適当に断って、曜変天目の行き先を教えてもらい、次に向いました。でも、そこにもありませんでした。対応は前と全く同じです。こうして、次々と韓国を三日間にかけてあちらこちらとまわったのですが、結局曜変天目にはお目にかかれず、見せてもらえたのは他の品々ばかりです。

 帰国してからつらつらと考えてみますと、曜変天目の茶碗などはもともとなくて、その話題をおとりに次々と別 の商品を売りつけるのが彼らの作戦だったのではないかと思えます。その証拠にその後、曜変天目茶碗のお話はプッツリと消えてしまったのです。