No.74 白馬の王子さま(店主の一人言)前編

少し小難しいお話が続きましたので、今回は、軽い話で楽しんでいただこうと思います。

多くの女性は白馬に乗った王子様が 何時の日か自分を迎えに来てくれる日が来ることを夢見ております。でも現実には、そんな事が起こる筈も無く、歳を重ねるに連れ 妥協し 現実の厳しさの中に埋没し、諦め、適当な人と結ばれていくのが普通です。併しいくつになっても妥協できないで 何時までも白馬の王子様のお迎えを待ち続けられる方もお見かけします。漫画世代に育たれた人が多くなったせいか、女性が経済的に自立できようになってきたせいか、最近は特に多いように思います。
所が、世の中思いもよらぬ事もあるらしいのです。先日 おしゃれな若い女性と知り合いになりました。彼女は、「私、本当に白馬の王子様をみつけたのよ。」「白馬の王子様が新幹線に乗って毎週、会いに来てくださるの。」と真面目な顔をして言われます。いかにも幸せそうです。そんな夢のような話が、この世にある筈が無いと思っていた私は 、一瞬 ぽかんとしてしまいました。しかし次は興味深深、野次馬根性丸出しで、身を乗り出してお話に聞き入りました。(以下そのお嬢さんのお話)
私が生まれた時、父と母は大阪の近郊の街中で商売をしていました。商売は、まあまあ上手くいっており、当時はそれなりに、結構豊かだったそうです。私は3女だったのですが、父は殊のほか私の事を可愛がってくれたそうで、何処にいくにも連れていってくれ、又時間があるとあやしていてくれたといいます。所が、私が2歳半の時、父は病気で急死してしまいました。そのため、私には父の記憶は殆どありません。話に聞いて知っているだけです。母は父の死後も、しばらくはその場所で、一人で、頑張って商売をしていたようです。しかし父の死後4年目位の時、お店の常連さんと再婚して、兵庫県の山の中に移住しました。義父に当る人は、大学の経済学部と法学部の二つも卒業したほどのインテリなのですが、生活能力はあまり無い人だったようです。いろいろな事業に次々手を染めるのですが、いずれも失敗し、この為母は、手持ちの蓄えを随分使い込まされたようです。従って私の記憶にある幼児期はとても貧しく、義父も母も殆ど家にいず、又どこかへ遊びにつれて行ってもらったという記憶も殆どありません。こんな義父だったせいか、不思議な事に、義父に関する記憶も殆どありません。なんだか広い山の斜面に、大きな犬が何匹も飼われていたような記憶がある程度です。姉達二人は、経済的な理由もあったのでしょうが、ほかに学校に通う都合もあり、まもなく祖母のうちに引き取られていき、そこで暮らしていました。私と母はその義父の所で生活していたのですが、義父は、次々と、夢のような話に夢中になっている人で、そのため最後は母も愛想を尽かし 私が小学校に上がった頃には、 私を連れて祖母の所に身を寄せるようになっていました。

祖母の所も、祖父は既に亡くなっており、それほど豊かではありませんでした。しかしそれでも親子4人が、身を寄せ合って生きていく生活は、それは其れなりに楽しいものでした。そしてそんな貧しい生活にもかかわらず、母の強い勧めもあって 姉妹3人とも高校、大学にと進学することが出来ました。でも、もともとあまりお金が無い所を、無理しての進学でしたから、学生生活を他の学生さん達のように、自由気ままにぶらぶらしているようなゆとりはありませんでした。学校が終わってから後、数時間は、お好み焼き屋さんだとか、おうどん屋さんと言った所で働かせてもらっていました。しかし実際の生活の苦労は、殆ど母と姉が引き受けてくれていて、私たち妹二人は、特に貧しくて辛かったといった記憶はありません。其れなりにのんびりと育ててもらい、アルバイトで得て来たお金も、その殆どを、 学費や友達との交際費、習い事をする費用に使わせてもらっていました。姉はとてもやり手で、大学生の時からアルバイト先の人に見込まれ、それなりの収入を手にはしていたようですが、それでも、かよわい若い女性が、家計の手助けをするためにずっと働かざるを得なかったというのは、随分辛かったろうなと思われ、今では、ただただ申し訳なく思っております。

私は 子供の時から、白馬の王子様が迎えに来てくれる日を夢みている子でした。優しくて、強く逞しい王子様が現れ、豊かで幸せな世界へと、連れて行ってくれる日がくることを信じ、待ち望んでおりました。併し当たり前の事ですが、此れといった 変わった事が起こる事もないままに、大学生活を終わってしまいました。更に社会にでても、会社に就職後、3年有余、何の変哲もない平凡な日々が過ぎていくだけでした。こんな私を見て母は、「良い人に会えないうちは 結婚したくないと言うのなら、女ばかり4人で(この間 一番上の姉が女の子を一人連れて離婚して帰ってきていますので 母と長女、姪そして私の4人です)ずっと一緒にやっていっても良いよ」と申すようになりました。こんなある日の事です。友人から電話があり、「お見合いパーティーに一緒に出てみない。何でも、弁護士さんとか、お医者さん、一流企業のサラリーマン、などなどといった、比較的セレブの人ばかりの集まりだそうよ」と誘ってきました。当時の私は、お勤めも4年目になっており、仕事に対する情熱が薄れ、毎日がマンネリ化し、生活に張りが無くなり、 無意識の内に変化を求めていたようでした。私は誘われるままに、そのパーティーに出席することにしました。

その日は、勤め先の都合で、会場への到着が少し遅くなってしまいしました。従って受付をしようとしますと、係りの人から、「すみません。もう会は始まっていて、自己紹介の時間は終ってしまっていますが、それでもよろしいでしょうか。それでよろしかったら、さしあたり、お好きなグループの所へ入っていて下さい。少し会場の雰囲気が和んできた後、皆様にご紹介させて頂きますから。」とのことでした。ぐるりと見回してみますと、会場の一角に 華やかなお嬢さんの一群に取り囲まれ、笑いの絶えない、とても賑やかなグループがあります。あそこならあまり気を使わなくてすみそうと思いましたから、「それではあのグループをお願いします」といって、そこに案内してもらいました。其れ4人の男性と、7人の女性からなる一団でした。男性はどなたも背が高く、スマートで、ハンサムです。女性たちは又、素晴らしいスタイルのお嬢さんばかりで、その身体をセンスの好い、高価そうなお洋服で包んでいらっしゃるお姿は とても華やかで、私たちはその姿に圧倒されてしまいました。担当者が紹介してくださった言葉も、皆さんからのお返しの挨拶の言葉も、上の空、きちんと耳に届かないくらいに緊張してしまいました。どなたがどなたなのか名前も頭に入ってこない有様でした。中でも話しの中心になって何かと女性達を笑わせていらっしゃる男性は、特にハンサムで気品があります。背丈は180センチ弱、年の頃は30歳前後、その人の醸し出している甘い雰囲気は、まさしく私が長い間夢見、待ち望んでいた王子さまそのものでした。そう思った瞬間、私はいっそう緊張してしまいました。その人の方をまともに見られなくなってしまいました。視線がちらっと合っただけでも、どきっとしてしまい、胸が苦しくなってきてしまいます。 とても話し掛けるような余裕も勇気もでませんでした。私も友人も、 その他大勢の人たちと一緒に壁の花となって、笑ったり、肯いたりしているだけで、その人の名前を覚えてくるのが精一杯でした。

パーティーはあっという間に終ってしまいました。心は、後髪を引かれるような思いでしたが、どうする事も出来ません。私と友人は、悄然として帰路につきました。「今日は失敗したなー。お互い もう少しお洒落してきた方が好かったかも知れないね」「それにしてもあの男 格好良かったわね」「あんた あいつ、ほらあの背の高いハンサムな男、あいつに気があったんじゃない」「でも、諦めた方が無難よ。あいつ、もてそうだし、取り巻きが多すぎたもの。きっと遊び人よ。冷やかし半分に、ナンパに来てたんじゃないの」と友人が言いましたが、それも上の空、ぽっかり孔の開いた胸の中を、風がびゅうびゅうと音を立てて通りぬけていくような寂寞感に包まれていました。 なんだか全身の力が抜けしまったような気持ちでした。家へ帰っても何もする気になれません、ベッドに横たわっていても、あれやこれやとその日の事が悔やまれ、なかなか寝付かれませんでした。こうして気が抜けたような状態のまま、何日もの日が、何となく経っていったある日の事です。あのパーティーを催された会から、手紙がまいりまして、A様から、お付き合いしたいとの登録がありました。もしお付き合いをご希望なら、当会に入っていただきますから、住民票と、大学の卒業証書、各種免許証の写しの送付と共に、入会金と紹介料をお払い下さい。書類の到着とお金の振り込みを確認しましたら、相手の方に、貴女様のお電話番号をお知らせすると同時に、貴女様にも、A様のお電話番号をお知らせいたします。尚、電話をされてから以降のお付き合いに関しましては、お互いの責任でなさって下さい。との連絡があったのでございます。夢を見ているような気持ちで、早速手続きを済ませましたが、その後、その紹介会社から相手の連絡先電話番号のお通知を頂いきはしましたが、Aさんからは、なんの連絡もありませんでした。友人は「そんなに思っているのなら、こちらから電話したらいいじゃない」と言ってくれますが、でも、こちらから電話をかけ「もし冷たくあしらわれたら」とか「はしたないと思われ嫌われたら」と思うと、どうしても電話の所に手が伸びませんでした。

こうして、うじうじと悩みながら、とうとう年を越してしまいました。やはりご縁が無かったのだと、諦めかけてきたある日の夜の事でした。いつものようにテレビを見ながら本を読んでいますと、私の携帯の電話が鳴り出しました。「今ごろ誰かなと思いながら電話を取ってみますと、なんと其れは、あの私の王子さま,Aさんからでした。彼は「仕事に急がしく、お電話が遅れ、まことに申し訳ありませんでした。もし、未だ私とお会いくださるお心算がおありでした、次の日曜日ご都合いかがでしょうか」とお誘い下さったのでした。其れからの毎日は、もう夢の中にいるようです。Aさんも、わたしの事を、とても気に入ってくださったようで、週に一回は、忙しい中、なんとか時間を作っては、新幹線で会いに来て下さいます。お仕事の都合上、お会いできる時間はほんの2,3時間という事もありましたが、それでも私は満足でした。彼は、まさしく私の理想の人で、やさしく、力強く、そして誠実です。家庭に対する理想もぴったりで、こんなにも話しの合う人が、今まで結婚しないで残っていらっしゃったのは奇跡だとさえ思いました。Aさんの話では、仕事が忙しくて、今まで、女性とじっくりお付き合いしている時間がなかなかとれなかったから、相手を探している時間がなく、なんとなく一人でいたとの事でした。今回のお見合いパーティーも、気をもんだ彼の父親が、教授にまで頼んで、段取りをつけ、やいのやいのとうるさくいったので、参加したとの話でした。Aさんは、友人の最初の印象とは違って、話が面白いにもかかわらず、とても真面目で誠実な方でした。ただ気がかりだったのは、Aさんのお家が、かなりの旧家で、しかも裕福そうだという事でした。なにしろ、最初に彼のお宅を訪問させていただいた時には、その家のあまりの立派さと大きさに、ただただびっくりするだけでした。彼の家は、お母様は既になくなっておられ、お姉さま方は外に出ておられ、お会い出来たのは、お父様だけでした。お父様は、私と私の家族の事とか、家柄などを質問されただけで、後は何もおっしゃいませんでした。彼が「この人と結婚したいと思っている」といっても、そのときは、何のお返事もありませんでした。私も、後になって悲しい思いをするよりはと思って、家の経済状態を正直に話しました。嫁入り支度も、私の月給で残した、僅かばかりのお金分くらいしか出来ないむねを、正直にお話ししました。其れについても、じっと聞いておられただけで、何の意見もおっしゃいませんでした。ただ最後に「お話、始めて聞いたものですから、即答いたしかねます。少し考えさせてくださいませんか。」とおっしゃっただけでした。

その後も、彼は相変わらず連絡してきてくれましたが、お父様からのご返事はしばらくの間ありませんでした。彼の話し振りでは、 親戚の人々から、私の家の事情をきいて、異論があり、それを押し切ってまで進めるかどうか、迷っておられるようでした。私の母や、友達は「あまり家柄が違うのは、後々どうかしら」と心配してくれます。でも私には諦めきれませんでした。「この人との縁がなかったら、もう一生独身でいよう」と密かに覚悟を決めていました。こうして1ヶ月、彼がどのように父親を説得してくれたのか解りませんが、やっとお許しが出たのです。お許しが出た後のお父様はさっぱりしていて、お訪ねした時は、いつも精一杯歓待して下さいました。最初にお会いした時の印象とは違って、とても気さくで、話好きの方でした。父親がいない家庭に育ったせいか、本当のお父様が出来たような気がするほどです。今ではもう、何の心配もなくなりました。毎週新幹線に乗って会いに来てくれる王子さまとの結婚式を待つばかりです。そう話す彼女の顔は、幸せの色に染まり、眩しいほどに、輝いておりました。
さてこの第二幕は、どうなっていくと思いますか。「現実はそんなに甘くはないわよ」というのが私の人生観なのですが、彼と彼女の結婚生活、このまま本当に夢見るような幸せのままに、展開していけるのでしょうか。結婚されて後、しばらくしてから、その後の経過を報告するつもりですから、 後編をお楽しみにしていてください。