神輿は担いでも流行は担ぐな乗っかるな
最近の流行といえば鬼滅の刃ですが、以前、ノバウサギが流行っていた頃、妹がノバウサギを買いに行ったところ 売り切れでCDもノバウサギのぬいぐるみも、いつは入荷するか未定といわれてしまったそうです。一昔前のおよげタイヤキくんや団子三兄弟の歌、ドラゴンクエスト、たまごっち、ピカちゅう、ポケットモンスターなどといった玩具の時もそうでしたが、流行というのは不思議なものですね。流行る時には猫も杓子も血眼になって求めるのですが、熱狂的な流行が過ぎ去るとそういうことが在ったことさえ忘れてしまい見向きもしないという儚さ(はかなさ)です。
私たちその熱狂の渦の外にいるものにとっては、妹が夢中になっている、あの歯かくちばしだか知りませんが、それをむき出した可愛げのない顔のノバウサギのどこにそんなに人気があるのかちょっと不思議な感じがしたものです。そして後少し経てば、今までの流行のもの達のように、記憶や物置の隅にほこりにまみれてほって置かれる運命かと思うとちょっと複雑な気がしました。
ペットでもそうですね。犬の場合で考えてみても、70年代にはマルチーズやポメラニアンが80年代には柴犬やコーギーが、90年代にはシベリアンハスキーだとかゴールデンレトリーバーが、そして2000年代になるとチワワ、ミニチュアダックス、そして最近ではトイプードルがといった具合にめまぐるしく変わっています。そしてそのたびに流行に跳び付き、そして流行が過ぎ去るとお世話するのも面倒と始末してしまうといった人がいらっしゃるというお話も聞きますが、これなど哀れを飛び越して、一種の犯罪だと思いませんか。
美術の世界でも同じようでして、人気作家はめまぐるしいばかりの移り変わりがあります。ここ1,2年でも、現代アートに興味ある人たちの間では知名度が高くても、一般的にはそれほど知名度がないのですが、作品の評価が高く、高値で売買されている作家が次々と出てきてまして、インベーダー、ミスター・ドゥードゥル、小松美羽、ミスター、マサキ、キネ、バックサイドワークス、井田幸昌、ダニエル・アーシャムなどなどといった作家があげられます。
これらの作家の中から、明日のアンディーが出るかも知れませんが、まだまだわからないと言うのが正直なところです。
アート作品も時代によってずいぶん流行があります。名前を挙げると差しさわりがありますからあげませんが、ある時代に作家の中でも群を抜いて高かったような作家の作品が、一時代たったときにはほとんど価値が認められないといった物も少なくないのです。
こういった流行をみた時気をつけなければいけないのは、こういった流行には仕掛け人がいることがあるということです。
例えば、10年以上前の話しになりますが、モーニング娘やAKB48などはテレビ番組のプロデューサーや有名な放送作家が作り出したブームの典型的な物ではないでしょうか。アートの場合でも一人の作家の作品を売り出すために、画商がマスコミ、評論家、美術館などを巻き込んだり、インスタグラムなどのSNSを使った抽選販売などのキャンペーンを行ったり、そして百貨店などが有力小売商などと組んで強力にブームを演出してくる場合が少なからずあるのです。こうしてブームに火つけるのに成功すれば、後はそのおこぼれをねらっての画商さんたちの参加が始まります。そうなりますとブームの輪の広がりは次第に加速し、マスコミに登場する回数も増え、人の口に上がる事も多くなります。
価格もどんどん上がってまいります。こうしてコレクター達ばかりでなく、ちょっと美術品に興味を持っているといった程度の大衆も巻き込んでの循環的・熱狂的一大ブームを作り出されてまいります。
現近代絵画の歴史を紐解いて見ますと、こうして作り出されることにより絵画の歴史の新しいページが開かれてきた作品が多々あることは否定できません。
しかしそのようなブームの後 消え去ってしまった画家たちもまた数知れないわけです。ここに冷静さと本物を見る目の大切さが求められます。
流行を見た時、その作家が将来絵画の歴史の上で、どのような位置を占めうるようになるであろうかということを冷静に考えられて、行動することが大切ではないでしょうか。これは自戒を含めた私の感想です。