No.230 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕 (戦国の世を駆け抜けた女) その32
No.230 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕 (戦国の世を駆け抜けた女) その32
このお話はフィクションです
その32の1
「今までのお話で、母に対する蟠り(わだかまり)は、すべて氷解致しました。母の遺骨は、私共の所で引き取らせて頂き、山岐家の一員として父の遺髪といっしょに、祀らせて頂く所存でございます。分骨の件も了承しました。私の母が、逆境を乗り越え、生き仏と言われるほどに、皆様方から慕われ敬われるようになっていたとお聞きしますと、それだけでもとても嬉しゅうございますし光栄に存じます。
その上亡くなりました後まで、仏として、拝んで頂けることになるなんて、息子としてこんな誇らしい事はございません。
それほどまでして頂けることに、むしろこちらからお礼を申し上げねばならないくらいだと思っております。観音像の開眼供養の段取りが決まりましたら私共の方へもぜひお知らせください。
照道観音様がこの世にいらっしゃった時、親子の縁を結ばせて頂いていた者として、私共でも応分のご寄進をさせて頂く心算でございます。それにしましてもそんなに皆さんから慕われ敬われていたのでしたら、そんな母に生きていらっしゃる間に一目お会いしとうございました。今頃こんなことを言っても、繰り言でしかありませんが、本当に悔しゅうございます。こんな時代ですもの、女一人が、生き抜いていくためにはその途次でいろいろおありになったとしても、それが当たり前だという事くらいは、田舎者の私どもでも分かっています。それなのにそれに対する私どもへの世間の風当たりをお気にかけくださり、私どもの思いや反応を忖度(そんたく;他人の気持ちを推し量る)してくださるあまり、私どもの所へ会いに来て下さるのを躊躇っておられたのだそうですが、そうしておられる間に病に倒れられお亡くなりになってしまったなどと聞きますと、悲しくなってしまいます。母に対する蟠りが解けた今となって言うのもなんですが、私どもの家はもともとが、純然たる武家の出ではありません。その上今ではもう父・信光の意思を継いでお百姓となっております。
だから理由さえはっきりお話し下されば、そんな事に拘って母を責めるような、そんな狭量な私どもではなかったのでございます。ですからそんな堅苦しいお考えはお捨て下さって、気楽に帰って来て下さればよかったんです。過去に何があったにせよ世間から何と言われようと母は、母でございます。掛け替えのない私の母です。きちんと説明さえしてくだされば、お互い直ぐに理解しあえたはずだったんです。まして母の場合は母が気にかけていらっしゃったような出来事は全て母の罪ではなかったはずです。宿命論は別にしても、この時代が生んだ不可抗力によるものであって母はその犠牲者に過ぎなかったのです。その上それもこれも、私と祖父を助けるためだったのでございましょ。だったらむしろ私がお礼を言うべき立場だったのでございます。ああ、生きて元気だった母に一目お会いしとうございました。『どうして?』と思うと返す返すも無念で悔しゅうてなりません」
「先ほど申しましたように、貴方様方に、会いに来られなかった訳は、それだけではありません。だからあまりお嘆きにならないでください。
記憶喪失からお戻りになられたのが、ちょうどあの大震災直後の大変な時期でございましたから、私どもが庵主様の僧侶としての責任感と善意に付け込むような形で、朝から晩まで休む暇も考えている暇もないほどに、こき使っていたのが最大の理由なのでございますから。申し訳ない事をしたと謝らなければならないのは、私共でございます」
「謝らなければならないのは、ご臨終の際の事に関してもございます。
ご子息様や、安乃様をお呼びしましょうかと一応は申したのでございますが、その時庵主様から『こんな時に呼んだのでは、かえってお二人の気持ちを攪乱し、惑わせるだけだから止しとくれ』とおっしゃったお言葉を、真面(まともに)に受けとってしまい連絡しなかった事にもございます。
今から思いますとあれは、庵主様が自分の気持ちをお抑えになっての建前から出たお言葉だったのでしょうに、それを私が裏を読むことをしないで言葉通りに受けとって,貴方様方に連絡もしませんでした。本当に申し訳ない事をしたと今では悔やんでいます。あんなにも、康継殿に会いたがっておられたのですから、親子の情から考えれば庵主様(照道尼)が何とおっしゃろうとお呼びすべきでした。私としたことがなんて間抜けな、馬鹿ですねー。本当に馬鹿ですねー。悔やんでも悔やみきれない思いでございます」
その32の2
それから、どれほどの歳月が過ぎ去ったことでしょう。
私は今、町はずれにある、大きな寺院の山門脇に立っております。
沢山の、野次馬どもが集まって、寺で起こっている騒ぎをワイワイ言いながら、眺めておりました。そこにはどこから集まって来たのか、数十人の屈強な男どもが群がって寺の建物に張り付いて、あるものは屋根の瓦を剥がしては放り投げ、ある者は寺院の煌びやか(きらびやか)な飾り物を剥がし、ある者は大槌で壁を打ち壊し、ある者達は柱に綱をつけて引き倒そうとしています。荘厳だった大伽藍も、見ているうちに形をなくし、見る影もない廃屋へと変わろうとしていました。内陣に安置されていた仏像も、経本も、経本台も、襖や障子も、仏様の上を飾っていた天蓋も皆みな打ち壊され引きずり出され、燃やされていきます。
混雑に紛れて、燭台、花瓶、香炉などといった金目のものや、金箔の貼ってある物を、手当たり次第に持ち去っていくものもいれば、寺院から盗ってきたものを巡って、奪い合っている者達の姿も見られます。
群衆の中には、「罰当たりめが。皆、皆、地獄に落ちるがいい、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と呟きながら、両手を合わせて拝んでいる者も少なからずいます。しかし寺の打ち壊しを止める勇気を持ったものは出てきませんでした。野次馬達の中にはそんな声なんか耳に入らないかのように、寺院が壊わされていくのに合わせて、「わー、わー」とか、「わっしょい、わっしょい」と歓声をあげて騒いでいる者も少なくありませんでした。
「もしもし、つかぬ事をお尋ねしますが、あれは何という名前のお寺でしょうか」と、野次馬の一人、みんなの後ろの方で腕組みをして、顰め面(しかめっつら)をしながら眺めている四十歳台半ばくらいの男に聞いてみました。するとその男は、「照道観音様で有名な無量壽寺、通称極楽寺ともいっとるお寺やがね。所であんたさんそんな事も、知らんで、いったいどこからきゃーした。こっちのほうのもんとは思えんのやけど」不思議そうな顔をして逆に聞いてきました。「私、わたくしは岐阜の南、長良川の川下にある、山岐新田というところから来た者でございます。私が訪ねてきたのは、無量壽庵という小さな尼寺のはずでございました。ところが寺に祀られている観音様のお名前といい、このお寺の名前と言い、私がお訪ねしてきたお寺に間違いなさそうですのに、それがこんな立派なお寺様となってしまって戸惑っているところです。何時からこんな立派なお寺様に変わってしまったんでしょうか」
「さあ?私ら古い話はあんまり知らんもんで。ただね、子供の時からもう、ここは、この大きさの、このお姿のお寺さんだったんですよ」
「そうですか、いつの間にか、そんな大きなお寺様になっていたんですね。
それで、こんな大きなお寺様を、庵主様が。お一人で御守りしていらっしゃるのですか?」
「あんた、何を寝惚けた事言っとりんさる。そんなはずないやろ。それにしても、変なお人やなー。まるで女浦島太郎としゃべっとるみたいやわ。そもそも見たとこは、お百姓さんのおっかーみたいやけど、ここらのお百姓のおっかーは、そんな品の良いしゃべりかたはせーへんはずやけどなあ」
「そうですか。私、長い間名古屋のお寺で、女中奉公していたものですから、それで、こんな言葉つきになってしまったのでございます」
「そうかね、まあいいけど。所でさっきあんたが聞きんさった事やけど、こんな大きくて広いお寺さん、住職一人でやっていけるはずがないがね。お掃除するだけでも、大変なんやから」
「という事は、沢山のお弟子さんが、いらっしゃったということですの?」
「たんと(たくさん)というほどではないかもしれんけど副住職を合わせると六人、それに寺男が三人くらいいたから、全部で十人そこそこやないかな」
「へー、そんなに。でもそうなりますとここを維持していかれるのは、大変だったのではないでしょうか。
尼寺じゃー檀家もそれほどお持ちじゃあなかったでしょうから」
「確かに、檀家はそんなになかったかもしれん。
でもねちょっと前まではこの寺、照道観音様を目当てにお詣りに来んさる信者さんが、わんさかおりんさって、縁日になると境内に市が立つほどの賑わいやったんやから。
だもんでお賽銭やとか、祈祷料といったそいつらが落していきんさるお金だけでも、充分やっていけるくらいにここ豊かやったんやわ」
「へーそうなの」
「ところがこの寺、その上、地主さんだとか、お金持ち、偉いお侍さんといった財産をたんと持っとっる家の旦那がなくなりんさった時、その嫁さんから、死んだ旦那さんの供養の為にという名目で、寄進してもらいんさった、田地田畑を仰山仰山もっとりんさり、そこからもどえらい小作料が入ってきとったんやわ。
だもんで近所隣のお寺さんから羨まれとるほどに金回りの良いお寺さんだったんだがね」
「へー、それがまたどうしてまたこんな打ち壊しに遭うようなことになりましたの?」
「一番の元はご維新によって、それまでお寺に与えられとった特権が全くなくなってしまった事やろなあ」
「えっ、具体的に言うと、どういう事が起こりましたの?」
「お国からのお触れ(法令)で、それまでお寺がもっとった土地が、全部お国に召し上げられることになってまったんやわ。その上それに続いて出された、神仏分離令とかいうお触れ(法令)で、お寺では、加持祈祷も出来んことになってまったんやわ。この為お寺にお金が全く入らんようになってまった事が、一番の原因やろなあ。こういったことで今まで金の力でもって、寺社奉行に抑えてもらっとった悪い評判が、一遍に表に出て来てまったんやわ。それまで湯水のように入ってきたお金にまかせてやっとりんさった、贅沢三昧だとか、役者道楽、若い男買い、お金持ちの寡婦(やもめ)への男衆の斡旋などなどといった、お坊さんのする事としては、どうかなと思うような悪行の数々が表に出てきてまったんやわ。
その上、この寺の差配達(土地や貸家の管理人)による、厳しい年貢の取り立てまでもが明るみに出てしまったもんやから、もう誰もこのお寺の事も、お寺の坊さんのいう事も信じてもくれなきゃ有難がってもくれんようになってまったんだがね。」
「それはまた、酷い話ですね。それじゃ誰ももうお詣りに来てくれませんよねえ」
「そうなんやわ。それで、それまで、お詣りに来てくれとった信者さん達も、代々の付き合いやった檀家たちも、みんなみんな離れていってしまって、誰もこの寺に近寄らんようになってしまったんやわ。
尼さんたちは、次から次へと還俗したり他所の寺に移ったりしてしまったもんで、ここ数年はここ、無住のお寺さんになってまっとったんやがね。
「だったら代わりの庵主さんの派遣を本願寺の方へお頼みになればよかったんじゃないんですか」
「無理無理、今はね仏教に対する風当たりがとっても強い時代やもんで、他の普通のお寺さんでさえ、神官に変わってまうお坊様が出たりして、お坊さんのなり手がない時代なんやから。ましてここみたいな檀家も持っとらん上に評判のどくそ悪いお寺に、来てくれる坊さんなんか見つかりっこないがね」
「フーン、それであそこに、神社にでも建てようというので、寺を壊していらっしゃるの?」
「それはまた別。あんなこと、誰もしてくれと頼んどらんのに、あいつらが、勝手に押しかけてきおって、やっている事なんやわ」
「だったらどうしてあんな罰当たりな事をする奴らの事を、誰も止めようともしないで、黙って見ているの?」
「難しい事,聞きゃーすなあ。私らみたいな京都やお江戸から離れた、こんなど田舎に住んどるもんにはよう解らんがね。だけどどうもご維新によって風向きがすっかり変わってまって、最近では仏教が、お偉い様方や、神道派の連中に、目の敵にされとるみたいなんやわ」
「だからと言って、自分の物でもないお寺を、檀家でもない者が、勝手に壊して良いという事にはならないんじゃないですか?一体、お役人様達は何をしているのかしら?」
「お役人なんか、あてになるもんかね。政府のお偉方のご意向がこうだと思ったら、ああいった連中が何をしようと見て見ぬ振り、なんにもしてくれやあしませんよ」
「でもどこのお寺も壊されている訳じゃないでしょ」
「そりゃーそうだわさ。ちゃとした檀家もっとるお寺やったら、あんな事するのを檀家が許しゃあしませんよ。いまやられるのは無量壽寺のように、檀家がのーなって(なくなって)しまったお寺や、住職が見捨てておらんようになってまったお寺だけやがね」とその時でした。
「アーッ、止めろー。止めてくれー」
「それだけは駄目。やめてー、お願い」という悲鳴にも似た叫び声をあげながら、数人の男女が燃え上がる焚火めがけて、駆け寄っていく姿が見えました。
しかし、一瞬遅く、彼らが、焚火の傍までいったた時には、あの照道観音像はすでに燃え盛る火の中に投じられてしまった後で、一層高く燃え上がった紅蓮の炎の中に、その姿を消しさろうとしていました。
「罰当たりめが。勿体ない事をしやーがって、あいつらなんか皆地獄に落ちりゃあ、良いんやわ」と憎々しげに吐き捨てた老婆の声に続いて、それまで黙って成り行きを眺めているだけだった群衆の中から、「南無照道観世大菩薩様」「南無照道観世音大菩薩様」と、照道観音を称え、唱和する声が一斉に上がりました。
その32の3(最終章)
「ワァー――ッ」燃え上がった炎に、私は怒りとも、悲しみとも区別がつかぬ感情につき動かされ、思わず、言葉にならぬ叫び声をあげました。
耳元で聞こえた大声に顔をあげた私は、自分が図書室の机の上に突っ伏して居眠りしながら大声を立てていた事に気付きました。
自分の立てた大声が他の人を驚かせたのではないかと恥ずかしくなった私は、とっさにそっと顔をあげて、辺りを見回しました。しかし幸いなことに午後の図書館に人気はなく、柱にかけられている大時計のカチカチと規則正しく時を刻む音以外は、動く物の気配はありませんでした
無論あの墨染めの衣を着た尼僧の姿は、どこにも見当たりませんでした。
身体はなんだか長い長い旅をしてきた後のような気だるさに包まれておりました。まだ夢から覚めきらないままに私は暫くの間椅子にもたれかかったまま、ぼんやり窓の外を眺めておりました。
窓の外では私が先ほどここへ(図書室)やってきた時と同じように、爽やかな五月の風が軽やかに通り過ぎ、風にそよぐ新緑の木々には明るい太陽の光がさんさんと降り注いで、風に揺らめく新緑の葉をキラキラと輝かせておりました。
しかし通り過ぎていく風のそよぎに合わせて煌めく新緑の葉の輝きは、私が図書室に入ったあの時とは、既に違っておりました。
僅かな時間の間に、傾きを増した太陽の位置に合わせ、広く張り出した校舎の陰に覆われた部分の新緑の木々は、もう先刻のような眩い(まばゆい)輝きを失っておりました。
張出してきた校舎の陰に覆われ、輝きを失った新緑の林の中を、あの尼僧の墨染めの衣の端が、縫うようにちらほら動いているのが、一瞬目に入ったように思いました。
しかし目を凝らして見直したそこには、もうその姿は見当たりませんでした。
それは先ほどまで見ていた、夢の続きの幻影だったのかもしれません。
私は再び、椅子にもたれたまま、まだ夢から覚めきっていない頭で、先ほどまで見ていた夢の中の出来事や、そこに出てきた人達の事を考えるともなく考えておりました。しかしそれを夢というには余りにもはっきりしていました。
まるで自分がその中の一人として、そこで起こっている出来事に実際に参加し立ち会っていたかのような感覚でした。
「所で、私をあの時代へ連れて行ってくれた、墨染めの衣のあの尼僧、あの人はいったい何者だったんだろう。夢の中の人とはとても思えないような確かな感覚が、今もなお残っているんだけど」「わからないなー。あの人は私と、どういう関係にあった人なんだろう?はっきり姿を感じたのは、ほんの一、二回に過ぎなかったんだけど、他人とは思えないような親しみと懐かしさが今もなおはっきり残っているんだけど。一体あのお方は、私に、何を求め、何を伝えようとされていたんだろう?」私はなお、夢から覚めきっていないぼんやりした頭で同じ疑問を何度も何度も繰り返しておりました。
終わり。