No.220 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕 (戦国の世を駆け抜けた女) その22
このお話はフィクションです
その22の1
善導尼に拾われて、三年くらい、経ったある日、私(美貴)は、師匠、善導尼の導きで、得度し、照道尼と言う法名をいただき、仏の弟子の一人に加えて頂けることになりました。
お師匠様は「お前が、未だに、背負っている何かを、探して、もがき苦しんでいる所から、お前を仏の弟子の一人として、今の時点で、加えても良いかどうか、随分悩んだんだよ。
だが、お前が、わしの所へ来てからもう三年、
お前の過去がどうであろうと、今のお前が阿弥陀如来を信じ、この憂き世に在って助けを求めている人々に対し、阿弥陀如来による救いの教えへ、導こうと
して。懸命に努力してきたお前の姿に、嘘はないと思える。
だから、先の事は先の事として、今のお前を信じ、仏の弟子の一人に加え、人々を導く役目の一端を荷って(になって)もらおうと思う」とおっしゃって、私を得度してくださることになりました。
でも私としては、記憶が無くなる前の私が、何をしていたか分からないだけに、不安で、御仏に仕える身となって良いのかどうか、決心がつきませんでした。
「もし記憶が甦り、私の過去が明らかにりました際、万一、私の過去が、仏様や世間に、顔向けできないような暮らしをしていたらと考えますと、今はまだ仏様の弟子になるには、早すぎるような気がいたします」といって、最初は、尻込みをしました。
そんな私に対し、お師匠様は
「そんなことを、心配する必要なんか、露ほどもないんだよ。
お前も知っての通り、私どもの教祖、親鸞聖人様は、「前非を悔いて、阿弥陀如来の御慈悲に縋る(すがる)者であれば、誰でも、御仏の下へと、救いあげて頂ける」とおっしゃっているのですからね。
まして今のお前は、この三年間、私の下に在って、精進に努め、お聖人様の教えを、一人でも多くの人に知ってもらい、阿弥陀如来の救いの道へ導こうと懸命に努力してきたではないか。
それで充分だよ。
だいたい、おまえが気にしている、過去のお前がしてきた事なんか、過去の記憶を全くもっていない、今のお前には、全く関係ない事なんだからね」
「しかしお師匠様、万一記憶が戻り、私がしなければならないと思っている事とか、会わなくてはならないと思っている人といった、現在、心に引っかかっていたものが、失われた記憶と一緒に戻ってきた時、私が、果たして、仏への道を人に説くに値する人間でありうるか、心配でならないのでございます。
記憶が戻って、しなければならない事柄が、はっきりした形をとった時、例えそれが、復讐のような、仏の道に背くような行為であったとしましても、この執着している念の強さから考えます時、私、その執念を振り切って、仏の道に留まっておられる自信がないのでございます。
もしそのようになった時、大恩あるお師匠様を裏切る事になるばかりか、お師匠様が世間から、非難の的になるんではないかと思うと、心配でならないのでございます」
「万一、そんな時が来たとしても、その時はその時だよ。
お前にとっては、記憶を失くした後の、今の生は、仮の世で授けられている、仮の生でしかないのだからね。
もし、お前の記憶が戻って、この仮の世での、お前が産声を上げた時の生に戻り、そちらで生きる事を、優先したとしても、それがお前の宿命なんだから、誰もそれを責める事は出来ないと思うよ。
だから、例えその為に、私が非難の的になったとしても、それは私への試練として。受け止めていくつもりだ。だから、お前が気にする必要は、全くないんだからね」
「それにね、この3年間お前を見ていたものとして思うのだが、お前の性は、もともと善そのものであるとみている。
だから記憶を失う前の生だって、お前が心配しているような事はなかったと思うよ。
また仮に、記憶が戻った為に、記憶を失う前の人生を生きる事を選んだとしても、お前に本来備わっている性から考えるとき、一時的に信仰の道から外れる(はずれる)ようなことがあったとしても、お前が心配しているような、非道に走るようになることはないと思う。
またもしそれ故に、一時的に阿弥陀如来信仰の道から逸れる事があったとしても、阿弥陀如来の懐の温かさと安らぎを知ってしまったお前だもの、それをまったく捨て、忘れ去ってしまうなんて事は、ありえないと信じている。
その22の2
私、照道尼が、師に拾われてから、はや十年余、師、善導尼様も、既に還暦をお過ぎになり、最近では、お年のせいもあってか、遠方までお出かけになるのは、億劫がられるようになってしまわれました。
その為、月命日だとか、年忌法要等といった檀家の仏事は、私(照道尼)にお任せになる事が多くなりました。
かくいう私(照道尼)も、もう五十に近く、色気のイの字も感じられない、染みだらけ、皺だらけのお婆さんとなっています。
僧侶としては、まだまだ修行が足りない、半人前でしかありませんが、お師匠様について歩いて、学んできたお陰で、門前の小僧ではありませんが、真宗の法典はほとんど、諳んじられる(そらんじられる)ようになり、大方の佛事も、無難にこなせるようになっております。
ただ悲しい事に、門徒衆を前にしての、念仏講での法話をするのは、今も苦手です。
その為なるべく、お師匠様にお願いして、出てもらうようしております。
五十近くになった今では、私も、もう男達から、好色の目を向けられる事も殆どなくなりましたし、仏の弟子として、沢山の男の人達と、お話をさせて頂いてきたお陰で、男達の中にも、卑しい人だとか、悪い人ばかりではなく、中には、礼儀正しく、立派なお人も、沢山いらっしゃる事も知りました。
だから、本当なら、もういい加減、男への恐怖心から、解き放されても良さそうに思うのでございますが、悲しい事に、男の人達の前に出ますと、特に法話のように、沢山の男性に、見つめられる場合は、身体が震えてきて、言葉を忘れてしまうことが、ままあるのでございます。
それともう一つは、私、私なりに、自分の学んできた事を、一生懸命にお話させていただいているつもりでございますが、記憶を失う前の自分の生き方に、自信がないせいか、あるいは、潜在意識が、それに(記憶を失う以前の私の生き方への不安に)拘っている為か、「上っ面の話ばかりで、心がこもってなくて、説得力がない」とか、「話に身が入ってないようで、有難味がない」とか、陰口を叩かれている事を知っていたからです。
そういった訳で、その日は、かなり大きな集まりでの法話の依頼でしたから、
少し遠方からの依頼で、お師匠様にお願いするのは、申し訳ないとは思ったのですが、「体調がすぐれない」と言っておられたにもかかわらず、無理にお願して、檀家衆の集まりに出てい頂いたのでございます。
法話は何事もなく、無事に終わっての帰り道の事でございました。
お師匠様は、とてもお疲れになったご様子で、あまりお口を、お利きになりませんでした。
辺り一面が、ぼんやり薄黄色に霞み、まるで海の底を歩いているような、月夜の道を、私ども二人は、ただ黙々と、歩いていました。
師、善導尼様の法話に感激し、顔を紅潮させて、歩いていた私の頬を、花の香りを含んだ春風が、撫でていくのが、とても心地よく、私もまた、口を開くこともなく、夢見心地で、歩いておりました。
しばらく歩いていたときの事でした。
「のー、照道尼や、まだ、以前の事、何にも思いだせんかのー」並んで歩いていた善導尼様が突然話しかけてこられました。
「えー、まだ何も。
ただ最近は、何だか、いろいろな人の顔が、ふっと浮かんでくる事がございます。
でもそれは、ほんの一瞬の事で、しかも、ぼんやりしておりまして、それが誰だったか、どうしても思い出せないのでございます。
ただ、それを見た後は、どういうわけか、もの悲しさのあまり、胸が潰れそうになるのでございます」
「そうか、そういうのを見るようになったか。
もしかしたら、それは、記憶の戻る時が、近づいている印(しるし)かもしれんなー」
「そうでしょうか。
でも、それって、はたして、喜んでいいことなのでしょうか。
何だか、表に出てはいけない過去の私が、白日の下に曝されてしまうような気がして、恐ろしゅうてなりません」
「どうして、そんなに悪い方へ、悪い方へと考えるのだ。
人と言うのはなー、表がどのように変わろうと、その人が生まれながらにして持っている本性まで、そう簡単には変わるものではないのだよ。
前にも言ったように、お前と住むようになったこの年月、お前を見ていて思うに、お前の本生は、善そのものなんだよ。
だから、もしこの後、記憶が戻ったとしても、お前が案じているような、醜いお前が、顔を出してくる様な事は、絶対ないと思うよ」
「本当でございますか。
それを聞いて少し心が安らぎました。
それにしても、私が最近見るようになりました顔は、女の顔で、どの顔も、皆、皆、とても悲しそうな顔をしておりました。
どうしてで、ございましょうか」
「そうか、そうか、悲しそうな顔であって、恨めしそうな顔ではなかったのか。
そうだとすると、それはな、未だに成仏できない魂が、お前を頼って、お前に何かをしてもらいたいと訴えているんだろうと思うぞ。
この戦国の世、そんなに大勢の人間が、か弱い女のお前を頼って、して欲しがっている事って何だと思う?」
「さあ、以前、女達に、何かを頼まれたような気はするのですが、昔の事を記憶していない今の私には、皆目、見当が付かないのでございます」
「どう考えたって、その者達が、か弱いお前に託そうと思う事って、その者達が、誰かを、それは、お前の頭の中に浮かんでくる者その者自身かもしれんし、
その者達の身内の者かも知れんが、いずれにしても、その者達を供養してほしい、後世の冥福を祈って欲しいと願っている事しか、考えられないんじゃないの?
そんなに大勢の人間の顔が、次々、浮かんでくると言う事は、お前の肩には、さぞ沢山の霊が、お前を頼って、ぶら下がっているんだろうなー」
「さようでございましょうか。
もしそうでございましたら、お師匠様の下で、修行させてもらっている、今の私には、ぴったりな仕事でございますね。
もし本当にそうでございましたら、嬉しいのですが」
「そう考えると、私が偶然お前に会った事も、お前が私の弟子になったのも、阿弥陀如来のお導きによるものに相違ない。。
一日も早く、お前の記憶が戻って、私の後を継いでくれ、今、お前の肩にぶら下がっている人達だけではなく、苦しんだり、悩んだり、恨んだり、悲しんだりしながら亡くなり、未だに成仏する事が出来ないで、この世を彷徨っている人達の魂を、一点の曇りもない心で、阿弥陀如来の下へと導いてやれるようになる日が、一日も早くやって来る事を、(私は)待っているぞよ」
「そうそう、そう言えば、今まで言いだし難かった(にくい)から、訊かなかったが、お前、照(てる)という字の入っている名前に心当たりはないか」
「さあ、とても懐かしさを感じる、響きではありますが、今の所、思いあたりません」
「そうか、それなら、今のところは、仕方がないなー。
でも、その字はなー、お前を拾ってきた時、寝言で、さかんに照、照(てる)と呼んでいた時期が、あった事から考えるに、お前にとっては、とても大切な、人の名前の、一部だったんじゃないかと思うんだよ。
お前の法名、照道尼の照は、冥途への道を照らす僧侶になって欲しいという、わしの願いを込めて付けたものではあるが、それと同時に、照という字が、お前の記憶を戻す、便(よすが:ここではたよりの意)になってくれたらという、思いも、籠っているんだからね」
その22の3
その年も暮れ近く、霜月(十一月)二十九日の夜半の事でした。
註:旧暦による日付です
この年、この地方では、年初めから、とても地震が多く、
文月(七月)五日の大きな揺れに始まり、その後、小さな揺れが頻繁に続いていましたが。、霜月十一日になると、再び、大きな揺れに見舞われ、それ以降は、余震とは言いきれないような、大きな揺れを交えた、様々な揺れが、頻繁に続くようになっていました。
その為世間では、何かよからぬ事がやってくる、前兆ではないかと、世間では皆、不安に慄いて(おののく)おりました。
その日私(照道尼)は、朝から、とても忙しく、てんてこ舞いをしておりました。
体調が悪いとおっしゃって、勤行も、お休みしたいとおっしゃる、お師匠(善導尼)に代わっての、朝の勤行に始まって、お師匠様のお食事の準備、
檀家での法要や門徒報恩講(檀家お取り越し、檀家お引上)の営みなどなどで、休む間もなく、飛び歩いておりました。
その為、私が庵に戻って来られたのは、夜四つ(9時から11時の間)過ぎでした。
しかし仕事はそれで終わりではなく、庵に帰ってからも、夕の勤行、お師匠様への夕餉のお支度、湯浴みの手助け、洗濯などの仕事が待っていて、それらの仕事を全部を終わった時には、夜九つ(零時)を回っておりました。
疲れきった私は、厨(くりや:台所)のある小屋の、床の上に横たわると、ちょっと休むだけの心算でしたが、いつの間にかそのまま、ぐっすり眠入ってしまいました。
しかしほどなく突然、身体が三尺ちかくも飛び上がる程の、ものすごい大揺れと、それに続いての、身体が家ごと跳びはねているような激しい断続的な揺れ、そしてそれに合わせて立てる、床や天井板、柱などの、激しい軋音に、目を覚ましました。
壁際に積み重ねたり、立て掛けたりしてあった、箪笥、食器棚、柳行李(柳行李:衣装などを入れておく入れ物)、座布団、食卓膳などと共に、土壁や、柱、天井板などが一斉に私に、襲いかかってまいりました。
そして気が付くと私は、真っ暗な闇の中、倒れてきた柱や、家具、落ちてきた天上板に挟まれて、身動きも出来ずに、もがいておりました。
長い、長い地震でした。
激しい揺れは、しばらくの間、間断なく続きました。
圧し掛かかってきている(のしかかる)、柱や家具の揺れに伴って、それらの固い角が、容赦なく、断続的に、私を、打ち据えます。
その痛みと、死への恐怖に耐えていた時、突然私の失われていた記憶が戻ってまいりました。
あの忌まわしい、大勢の男達に、よってたかって凌辱され時の記憶、男どもに押さえつけられ、激しく甚振られていた(いたぶる:激しく揺り動かす、いじめる)時の記憶が、その時の、痛みや恐怖と一緒に戻ってまいりました。
そしてそれを引き金として、まるで、それまで視界を遮っていた、厚い幕が切って落とされたかのように、
隠されていた過去の世界が、一挙に甦ってまいりました。
その22の4
翌朝速く、私達の安否を気遣って、駆けつけてくれた、重兵衛さんを始めとする檀家の男衆たちによって、私は救い出されました。
幸いな事に、打ち身と擦り傷程度で、大きな怪我はありませんでしたが、腰が抜けてしまったのか、しばらくの間、立ち上がる事ができませんでした。
私は、ペタンと地面に座りこんだまま、「お師匠様は、お師匠様はどうなされました?
ご無事でした?」と、うわ言のように尋ね続けました。
その時突然、私の頭の上から、
「照道尼、照道尼、私は大丈夫だよ」と言う懐かしい師の声が降ってまいりました。
「アッ、お師匠様、よくぞご無事で」
「それにしても、ど偉い(物凄い}地震じゃったのー。
怖かったろ-。
心細かったろ-。
良かった、良かった、よう助かってくれた。
何処も痛い所や、動かない所はないか」
「はい、幸い、掠り傷(かすりきず)か、打ち身程度で、大したことはございません。
それより、お師匠様が寝ていらっしゃった、本堂の方は大丈夫でございました?」
「おかげさんで、さすが阿弥陀如来のお住処、皆さん心をこめて、頑丈に作っておいてくれたおかげか、何ともなかった」
「それに比べると、厨(クリヤ:料理をし、食事の準備をする場所)の造りは、ちょっと、お粗末だったのかかしら。
ぺったんこですけど」
「いやー、そうじゃなくて、それくらい、昨夜の揺れは凄かったということじゃよ。
それにしても、無事でいてくれて、よかった、よかった。
お前に、もしものことがあったらと思うと、考えただけで、ぞっとする。
朝になっても、お前は顔を見せてくれないし、お前が寝ていた筈の厨は、潰れてしまっとるしで、もう心配で、心配で、居ても立ってもおれんくらいだったんだわ。
それにしても、よう無事でいてくれたのー」
「ご心配かけて済みませんでした。
それもこれも、朝一に、助けに来て下さった、重兵衛さんはじめ、門徒の皆さん方のおかげです。
本当にありがとうございました」
「なんの、なんの、ようございましたな。
ご無事でなによりでございます。
上手い具合に頭の方へは、なにも落ちて来なかったのが、幸いでございましたなー。
私どもも、ご無事なお二人の姿を見て、ほっとしております」
「あの後、余震のたびに、まだまだ、上から物が落ちてきておりましたから、皆さん方が、こんなに早く助け出しに来て下さらなかったら、
今のようなかすり傷程度では、済まん所でした。
駆けつけて下さった、門徒の皆さん方の家だって、この大地震の事、さぞ大変だったでしょうに、真っ先に駆けつけて下さって、本当にありがとうございました。
おかげさまで、命拾いさせて頂きました。
ありがとうございました。ありがとうございました。
今では、私ら二人とも、このように、何とか無事に息をさせて頂いておりますので、
皆さん方には、この後は、直ぐにお自宅の方へ、お戻り下さって、ご自宅の面倒を見てあげて下さいませ。
みなさん方の所でも、ご家族の方々が、さぞお困りでございましょうから」
「お師匠様にも、ご無事で何よりでございました。
私、お師匠様の事が心配で、心配で、お傍に付いてなかった事を、どれほど悔やんだことでしょう。
直ぐにでも駆けつけたいと、心は逸って(はやる)いたのでございますが、何しろ、あんな状態だったでしょ。
だからどうする事も出来ず、遅れまして、どうもすみませんでした」
「何を言っているのだ。
お前の無事な顔を見せてもらえただけで充分だよ。
それより、お前があんな所で寝ていたと言うのは、よほど草臥れていたんだろうなー。
こちらこそ、お前が、そんなになるまで、いろいろ頼んでしまって、悪かったのー」
「何をおっしゃいます。
そんな事、弟子ですもの、当たり前でございますよ。
そんなことぐらいで、お礼を言われますと、罰が当たりますからお止めください。
ああ、お師匠様がご無事で良かった。
もし、今、お師匠様に何かあったらと思うと、考えただけで、目の前が真っ暗になります」
その23へ続く