No.219 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕  (戦国の世を駆け抜けた女) その21

このお話はフィクションです

その21の1

これを読んだ東綱重は、いかにも不快そうな顔をして
「こんなもん話にならん。直ちに焼いて捨ててしまえ」と言い放ちます。
和睦の使者が来たと言うので、前線から呼び戻された三重役の一人向田清隆が
「いかにもけしからん話でございますな。
きゃつら、私めらだけの首では承服出来んと言う事なんでしょうなー」といかにも腹立たしそうに続けます。
「そう言う事。この書状に書いてある通りよ」と少し投げやりに綱重。
「あいつらには、戦った者同士としての、敗者への労りというか、武士の情けと言うか、そういったものは、爪の垢ほども期待できないということなんでしょうか。
もうこれが最後通牒で、交渉の余地は無いと言う事でございましょうか。
せめて嫡男だけは、他家あずかりとか、または寺院預かりと言う形でも良いから、命だけは助けてもらえんもんでしょうかねー」
と未練がましげな二人目の重役狩谷喜久乃丞。
「こんなぎりぎりになって、降伏勧告書を送ってきたというのは、交渉に応ずる心算がない事を意味しているんじゃないのか」と綱重。
「そうかもしれませんなー。
それにしても、あまりに惨い(むごい)仕打ちでございますな。
男の子ばかりか、女、子供まで、他家の奴婢にされてしまうというのは。
きゃつら、我らのしてきた事を非道と非難しおるが、きゃつらのしようとしている事はどうじゃ。
あいつらのやりかたの方が、よほど、冷酷、非道じゃないの」と狩谷喜久乃丞が未練がましくぼやきます。
「きゃつら、なんやかんやと難癖を付けて、我ら東家と東家にゆかりある一族を、根絶やししてしまおうとしているんじゃないのか」
と、三人目の重役浅野総佐衛門。
「そうよ。お前の言うとおりよ。あいつら、後腐れのないように、我らを、根絶やししようとしているにきまっとるわ」と綱重。
「そうなりますと、こちらとしても、腹を括って掛からにゃーなりませんなー。
もはや我ら一同、生きながらえようなんて甘い考えは、一切捨て、敵の奴等と刺し違える覚悟で戦わねばなりませんなー」
と浅野総佐衛門。
「そうしてくれ。味方の兵士どもにも、そう伝えてくれ。
奥の女どもには、わしから皆に、覚悟を決めるよう、よく言っておく」
「この書状を持ってきた使者どもは、どうしましょう」と向田。
「城の最上階まで連れて行って、そこで、きゃつらの首を切り落としてしまえ」
「そんな事をしますと、戦場の仕来りに背く行為として、後々の世まで、非難されることになりますが」と狩谷
「かまわん。かまわん。
どうせ、わしらは、良い事なんか言われっこないんだから。
われら一同の断固たる決意を示すためにも、こ奴等の首が切り落される所を、敵の奴らに見せつけてやれ」
と綱重。
「斎木頼貞殿はどうしましょう。この書状に書かれてある通り、放免してやりますか。
あんな老いぼれ、いまさら敵方に付いたとしても、どうって事ないと思えることですし」と向田。
「何を言っとる。あの老いぼれなんかに、なんで情けなんか、かけてやらにゃーならんのだ。
あいつも、使者どもと同じように、城の最上階へ連れていって、首を落としてしまえ。
それをもって、戦いの始まる合図としようぞ」と綱重。

その21の2

間もなく、各部所、部隊へは「今回の和睦協議は、敵方のあまりにも非礼にして、過大なる要求故に、応じる訳に行かず、決裂した。
故に、各自、速やかに、決められている部所に戻り、戦闘態勢に付くべし」と言う命令が届きました。
美貴の属する女部隊にも、その命令は届けられました。
「もしかしたら」といった淡い期待が裏切られた女達は、内心随分がっかりしたと思われますが、それを表に出す者はいませんでした。
女たちは、一斉にたすきをかけ、鉢巻をしめなおすと、各自、家から準備してきた武具、それは長刀の女もあれば、短刀の女もあり、槍の女もあれば、竹やりの女もありと、皆バラバラでしたが、それらの武器を振り上げながら、
班長役の女の音頭に唱和して、
「憎い織田の奴等なんかに負けないぞー」
「負けないぞー」、
「死んだって、あいつらなんかに、この城は渡さんぞー」
「渡さんぞー」
「エイ、エイ、オー」
「エイ、エイ、オー」と一斉に、鬨の声を上げた後、それぞれの持ち場へと散っていきました。
武器も持たされていず、戦闘用の服装の準備もしてない美貴は、どうしてよいか分からないまま、一緒に組まされている若い侍女の後を追って、
ひとまず、彼女の持ち場の方へ行こうとしました。
その時でした。
「美貴お嬢さま、ちょっとお待ち下さい」と班長役の女に呼び止められました。
何を言われるのかと「ドキッ」として
振り向いた美貴を、その女は、物影まで引っ張っていき、「お嬢さまが、ここで私どもと一緒に、戦わねばならない義理はありません。
貴女様には、これから、城の崖側を守っている兵士達の所へ、補助要員として、行ってもらうことにしますが、
隙を見て、この城からお逃げ下さい。
お嬢様なら、ご存じかと存じますが、あちら側は、自然の要塞となっていますから、守りの兵士も手薄になっているはずです。
本当の事を言いますと、一緒に働いていた私達は皆、口にこそ出しませんでしたが、貴方様に同情していたんですよ。
いろいろ大変でしたでしょう。
ご苦労様でした。
このお金は、僅かばかりですが、私たち女一同から集めたお金でございます。
もう、私等が持っていても、何の役にも立たないお金でございますから、遠慮なく受けとって下さい。
お嬢様が、ここから無事脱出なさった場合は、きっとお役に立つと思います。
それと、余計なお節介かもしれませんが、戦場では、あまり小綺麗にしておられますと、兵士たちに狙われますから、逃げる前に、髪はぼさぼさにお切りなり、衣服もボロボロにされたほうがいいと思いますよ。
それからお金は直接身につけて持ちなさいね。
では、もうお会いする事はないと思いますが、ご無事を祈っています。
また、もし生きて脱出に成功なさった場合は、私達のあの世での幸せを祈ってやってくださいまし」と言うと、
私からのお礼の言葉を聞く事もなく、自分の持ち場の方へと駆けていってしまいました。

その21の3

それから約一カ月後、
岐阜の街より、長良川を少し上った所、芥見村のはずれた所にある、小さな浄土真宗の尼寺。無量壽庵(むりょうじゅあん)に、彼女の姿がありました。
「庵主さま(あんじゅ;庵の主・・主として小さな尼寺の住職のことをさす)またまた変なお人を、拾っておいでやーしたなも。
あの人、私が訪ねてきた時、誰か解らなかったからかも知れんけど、私の顔を見ても、挨拶もしないで、全く知らん顔してござったんやけど。
普通なら、お寺を訪ねてきゃーした人には、知っておっても、知らんでも、挨拶くらいは、するもんやと思うんやけど」。
「そうかね。それは悪かったわねー」
「どことなく、普通じゃないという印象を受けたもんで、あいつの仕事ぶりを、物陰から、そっと観ていたんやわ。
すると要領が悪くて、あれじゃー、仕事にならんのと違うか。
あいつ、今まで、何をやっとった人なんやろ?
別に、サボってござったわけではないんやけど、仕事がはかどらんといった感じなんやけど」
「見取るうちに、わっち、たまらんようになってまったもんで、一声、声をかけてみたんやわ、『こんにちは』ってね
そしたら、とんでもなく、驚きんさって、慌てて、木陰に隠れてしまい、それっきり顔も見せんようになってしまいんさったんやけど、
あれじゃ、あいつ、無駄飯ぐらいの、役立たずと違うか」と野菜を持って訪ねてきた男が、言います。
この人、年は四十歳前後、名前は田島重兵衛と言って、この無量壽庵の世話役の一人です。
この地の代々の地主で、自作地の他に、かなりの小作地も持ち、比較的裕福な暮らしぶりをしている、この地の有力者の一人です。
ただ気の毒な事に、4年ほど前の流行病(はやりやまい)で、両親と、奥さんを亡くし、今では男の子、三人を抱えての、寡男(やもお)暮らしです。
そう言った不幸に遭っているせいもあってか、とても信心深く、最近では、この寺(=庵)の世話役を、殆ど一人で、引き受けているといっても、いいほど熱心に、何かと世話をしてくれています。
「所で今日は、なんでした」
「別に大事な用があって来たわけやないんやけど、山で、山菜を摘んできたもんで、ちょっとばかりやけど、お裾分けをと思ってなも」
「ありがとう、ありがとう。いつも悪いわね」
「所で、今、貴方がおっしゃっていた、あの子の事ですが。
あの子、関からの帰り道で、拾ってきた子なんです。
なにやら、いろんなめに遭ってきたみたいで、今では、自分の名前も、自分がどこに生まれ、何処に住んでいて、何をやっていたかも、全く分からない、とても可哀想な子でしてね」
「エッ、自分の名前さえも分からんというの?
それって一口に言うと、ボケとりんさると言う事?
それとも、狂っとりんさるの?」

(註:差別用語かもしれませんが、当時の言葉としてお許し下さい)

「違う、違う、そうじゃないのよ。
薬師(くすし)の診立てでは、『体はどこにも悪いところはない。
何らかの精神的衝撃を受けた事による、一時的な、記憶喪失だろう』ということなんよ」
「へー、本当なの?。
話には聞いた事あるけど、実際に見るのは初めて。
それにしても、ちょっと見には、頭がおかしいとは、とても思えんかったけどなー」
「そうでしょ。でも、人に会った時の対応が、さっき貴方がお会いになった時。見られた通り、まともじゃないのよ。
特に男の人と会った時は酷いの」
「そんな風になるなんて、なんか、よっぽど、とんでもない目に遭いんさったからなんやろか」
「そうみたいよ。
あの子の行動や、話しぶりから推察しますに、前は、可成り良い所の家の、お人だったんじゃないかしら」。
あの子を拾った時、着ている物は、ボロボロでしたが、その生地は、結構良い物が使ってありましたし。
それに、あんなふうだけど、立ち居振る舞いだとか、食事の仕方に、何処となく品があるんですよ。
お仕事だって、今、何にも出来ないのは、今まで、なにもかも、人にやってもらえて、自分では、何もしなくてよかったせいだとしか思えないところがあるのよ。
その証拠に、教えてやりさえすれば、洗濯だって、食事の支度だって、一遍に覚えてしまうんですからね。
そしてそれから後は、私が、何も言わなくても、一人で、とても上手に、いや工夫して、私以上に、要領よくやるようになるんですからね」
「そうですか。
でも、それにしては、あの庭掃除のやり方は、酷過ぎでしたぜ」
「それがね、酷かったのは、無理もないんですの。
庭の掃除を頼んだのは、今日が初めてだったんですから。
あの子がここへきてから、日が経ってないものですから、そこまで教えている時間がなかったせいなんですのよ」
「ふーん、それではあの子、やっぱり、そういう下々の仕事をやったことがないほど、良いとこの家の子やったいうわけ?
もしそうだったとしたら、こんな世の中やから、庵主さんに拾ってもらうまでには、とんでもない辛い目に、遇ってきんさったやろね。
特に、あれほど、人を、特に男を、怖がりんさる所から察するに、よっぽど、男に、酷い目に、遭わされんさったと、いうことなんやろか」
「私もね、そうではないかと思っていますの。
あの日、家へ連れてきて、湯あみさせたついでに、下着も洗ってやったんやけど、男の精液のような、変な臭いのするものが、腰巻が、ごわごわになっているほど、べったりついていましたからね。
これって、わたしには、たくさんの男達に、廻された(輪姦される)せいとしか、思えないのよ」
「男を擁護するみたいで悪いけど、それだけでは、そうだったとは一概に、言えんのやないやろか?
この節、食物の為に、春を鬻ぐ(はるをひさぐ:売春する)女なんて、珍しくないんやから」
「そうかもしれないわねー。
でもねー、あの誇りの高さと、潔癖さからすると、それはないと思いますわ。
それにさーあの子、人間、とくに男の人への警戒心と恐怖心は、並じゃないのよ。
これってさー、先ほど、貴方もおっしゃっていたけど、男に、とんでもない目に遭わされた為と考える方が、一番、妥当じゃないのかしら」
「私があの子を拾ったのは、お地蔵さんのお供え物を、盗んだと言うんで、子供達に追っかけられていた時で、
その時の彼女は、ひもじくてたまらない時でしたわ。
でもね、事情を知らなかった私が、
『どんなにひもじくても、他所の物を盗ったら駄目でしょ』と注意しますと、
あの子ったら『仏様のお供えですから、お下がりとして、誰が、いただいても、良いのではと思ったものですから、つい』
『しかしお坊様、私ねー、今まで、ひもじくて(ひもじい:お腹がすいてたまらない様子)、死にそうだった時だって、泥棒のような、人様の物に手をつける様な真似だけは、してこなかった心算です。
仏様や、神様に顔を向けられないような事だけは、死んでもすまいと(するまい)、心に決めてきましたから。
そうはいいましても私、今は頭がおかしくなってますから、自分では良いと思ってしてきた事の中に、他人様(ひとさま)からみたら、そうでないような事を、しているのでしょうか?
もしそうでしたら、私、私自身を許せません。
そうなら、こんな身体、この世の中から、消し去った方がいいのかもしれませんわね。
本当の事を申しますと私、今までも、こんな苦しい生き方をしなければならないのなら、いっそ、死んだ方がましと、何度も思ったんですのよ』」
「所がその度に、『お前には、会わねばならない者がいるだろう』とか、『まだ、お前がこの世で、しなければならない事が残っているだろう』
と強く引き留める声が、耳にこびりついていて、どうしても、死ねませんでしたの」
「それが何か、はっきりさせたいと思うのですが、そうすればするほど、頭の中がこんがらがって、さっぱりわけが解らなくなってしまうのでございます。
こういうのって、単なる、この世への未練のなせる業(わざ)なんでしょうか?
それとも、御仏が、『私に課せられた、この世の仕事が、まだ残っているぞ』と、おっしゃっているためなのでしょうかね」、と言ったんですよ。
あの子、その時はもう、がりがりにやせていて、今にも飢え死にしそうな様子だったのにですよ。
にも拘らずそんな事を言えるなんて、えらいと言うか、悲しいというか、聞いてる私の方が、辛くなってしまったんですの」
「その言葉を聞いた途端、私、この子は、このまま、放っておくわけにはまいらないと思ったんです。
家へ連れてきて、あり合わせの粥を、食べさせてやった時だってそうでした。
しゃぶしゃぶの、水ばっかりの粟粥だというのに、如何にも美味しそうに、何杯も何杯もおかわりをしたのですが、そんなに腹が減っていたというのに、ガツガツじゃなくて、何ともいえない上品な仕草で、それを食べたんですよ。
その上、そんな時でも、私の食べる分が、後に残っているかどうかまで、気遣ってくれていたんですから、これは並の女子ではないなと、思いましたわ」
「可哀そうになー。
庵主さんは、良い事をされたんかもしれませんなー。
こんな危ない時代なのに、あの女子、これまで、どのようにして生きて来たんやろ?
きっと、人には言えんような、いろいろな苦労を背負ってきんさったんやろな」
「これは、私の想像でしかありませんが、あの子、どこか良いところ武家の落人(おちうど)じゃないかと思いますの。
戦場から逃げてくる途中、落人がりの男どもに捕まり、さんざん玩具にされた挙句、有り金残らず取り上げられて放り出されたんじゃないでしょうかね。
それも一人や二人の男に凌辱さたんではなく、沢山の男どもに、寄って集って(たかって)凌辱されたんじゃないかと思うの」
「フーン、じゃー、その衝撃(=ショック)で記憶喪失になりんさったというわけ?」
「いろいろ考え併せると、そうとしか思えないんですよ」
「それで、あんなに、人、特に男を、怖がりんさるやろか。
それなら、その後、何を食って、命を繋いできんさったんやろ?」
「あのように強い、人への警戒心と恐怖心では、まともなもんは、口にしてなかったんじゃーないでしょうか」
「可哀想になー」
それを聞くと、なんとかしてやらにゃーと、わっちでさえも思うんやから、
庵主さまが、この子は、放っておけないと、思いんさったのは、当たり前やわなー。
わっちも、この後、出来るだけの事は、させてもらう心算やけど、庵主様も、あの子の記憶が戻ってくるまで、あんじょう(方言・・よろしく、うまい具合にの意)頼みます」

その22に続く