No.218 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕 (戦国の世を駆け抜けた女) その20
このお話はフイクションです
その20
夜半近くになると、さすがに敗走して、登ってくる兵士達の姿も途切れ、すでに前からこの城で籠城していた者たちへの食糧、飲料の配布も終わり、女たちにも、一時の休息が訪れました。
ちょうどそんな時「今夜は敵の襲撃はなさそうである。
見張りの者を除いて、他は、明日の戦闘に備えて、充分な休息を取っておくように」と言うお達しが届きました。
しかし、横たわってはみたものの、いつもと違う固い土の上である上に、翌日の戦いの事や、自分達の明日の運命が気になって、眠りにつく者など何処にもいませんでした。
彼女達は不安を抱えながら、膝小僧を抱え込むように丸くなって、ただ黙って横たわっておりました。
彼女達の横たわる暗闇のあちらこちらから、頻繁に寝返りを打つ音に混じって、溜息だとか、女達の、密かな鼻をすする声が、聞こえてまいります。
美貴もまた、寝つかれないままに、転々と向きをかえておりました。
美貴と組まされた女は、戦場に残された、両親や姉妹などの消息が気に掛かっている為か、心ここにあらずで、私を監視するどころでは、無くなっておりました。
しかし、残念ながら、美貴の属する、(食糧や飲料の準備と、それを配布する)班の、他の連中の監視の目もあり、逃げ出す隙など、なかなか見つかりませんでした。
美貴は今までした事のない重労働に、手、足、腰の全てが痛く、身体を動かすのも、億劫なほど草臥れ果てていました。
しかし頭だけは冴えわたっていて、眠りは訪れてくれませんでした。
眠れないままに何度目かの寝返りを打った、その時の事でした。
自分から少し離れた所から、声を忍ばせるようにして話す、ぼそぼそ声が聞こえてまいりました
「ここに退却していらしった皆さん方のご様子では、南も北も、私達の領地の防衛線は、全て敵方に突破されてしまったようですけど、
ほんとうですの?」、と若い女の声。
「悲しい事に、今の情勢から考えると、そうとしか思えないわね」
「と言う事は、私達の殿さまにとっては、ここが最後に残された砦と言う事なの?」
「そういう事」
「フーン、それにしても織田の兵士の数って、すごいわねー。
ここから見えるだけでも、
野も山も、街も、谷も、この城の周辺の見える限りが、敵の兵士達の焚く、かがり火の明かりで埋め尽くされているんですから。
退却してきた味方の兵士達の話でも、敵兵の数は、今までに見たこともないような大軍だったという話よ。
その上、そいつらが、雨あられと打ち込む矢球の上に、爆裂弾だとか、鉄砲といった、最新兵器をつかって、ワンサカ攻め込んできたというお話でしたけど、今のこの態勢で、この城、三木の大殿の援軍がくるまで、持ち堪える事が出来るのかしら?
私たちの方と来たら、負傷者と百姓や町人、女ばかり。
まともに戦えそうなのは、ほんの僅かといった、この態勢でさー」
「そんな事、分からないわよ、私等みたいな、下っ端にはね。こうなりゃー、とやかく考えたって、どうにもならないんだから、お殿様の為、必死の覚悟で戦うよりしかたがないんじゃないの」とそれに答える中年過ぎの女の叱咤するような鋭い声。
この声から察しますに、多分私達食料品、飲料運搬係の班長になっている侍女のようです。
するとこの話を聞いていた、二人からかなり離れた所にいた他の女が
「でもね、先ほど、奥へ、食べ物を運んだ時に、ちらっと小耳に挟んだお話では、三木の大殿さまの援軍は、間に合いそうもないという話よ」と言います。
「エッ、どうして」、
「なんでも、殆どの兵士が、北陸の方の戦の助太刀に行ってしまっているので、こちらにまでは、手が回らないそうよ」とその女が答えます。
「それじゃー、ここにいる者達だけで、このお城を守らなきゃ―ならないという事なの?」
「三木の援軍が当てにならないという事になると、そうなるわねー」
「と言う事は私達の運命はどうなるの」
「もしこの戦いに負けたら、私等は、織田のやつらに捕まって、奴らに弄ばれた揚句、奴婢や女郎として売られてしまうという事かしら」
「そうよ。戦に負けた側の女に待っている運命の悲惨な事は、皆さんが、ご存じの通りよ。
ここにいる斎木のお嬢様が良い例。
お嬢様なんか、うちの殿様に気に入られたから、まだ良い方で、
普通の女はね、その場で敵の兵士どもに廻し犯され〈輪姦のこと〉、弄ばれたあげく、女郎として売り飛ばされてしまうと言う事だって少なくないのよ」
「私らなんかのような醜女(しこめ:みにくいおんな)は、だれも見向きもしてくれないから、その点は安心だわねー」
「何を甘い事言っているのよ。
あいつら、狼みたいに飢えているから、女だったら、誰でも良いんだからね。
醜女(しこめ)だろうと、お婆さんだろうと、関係なしよ。
そして男どもに廻された(輪姦)あげく、娼婦として売れそうな女は女郎として、そのほかの女は奴婢として、売り飛ばされてしまうんだよ。
そうなると、その女達は、終生、苦海に沈められたままか、牛馬のようにこき使われる運命が待っているんだからね」
「そんなの嫌、嫌。
そんなら、いっそ死んだ方がましよ」
「そうでしょ。そうでしょ。戦とい言うのはね。負けた方の女は、敵に捕らまるくらいなら、いっそ一思いに、死んだ方が良いくらいなのよ。
だから皆、明日は、死にものぐるいで、戦うんだよ。
なにがなんでも、この城は、守りぬくのだという覚悟をもってね。
それは、結果においては、私達を守ってくれていた殿さまの為であるけど、直接的には、私たち自身のためでもあるんですからね」
「じゃー皆。おしゃべりはこれくらいにして、目をつぶって、お眠り。
睡眠不足の身体じゃー、戦うなんて、出来っこありませんからね」と言うと口を噤んでしまいました。
その後そこには、女達の転々と寝がえりをうつ物音と、溜息だとか、鼻をすする音だけが支配する、沈黙の闇が広がっていきました。
その20の2
その翌朝、やっと東の空が白み始めた時間に、薄明かりのなか、白旗を背負い、書状を挟んだ竹竿を高く捧げ持った二人の侍が、城を目がけて山をのぼってくるのを、見張りの兵士が見つけました。
その知らせは、直ぐに綱重の元に届きましたが、同時に「敵方から、和睦の申し込みがあったそうだ」と言った噂として、全陣営に伝わりました。
綱重方では、どの陣営も、決戦前の張り詰めた空気がほぐれ、ほっとしたどよめきが拡がりました。
美貴の所属する女集団も例外ではありませんでした。
突然の朗報に、皆、喜びを隠すのに苦労しておりました。
彼女達は、気心の知れた者同士で、囁き合い、話の真偽を確かめあっていました。
「ほんとなの、その話」
「そう、何でも、見張りの男が、殿さまの所へ、和睦の書状が届けに来た敵の男達を見たそうよ」
「それだけじゃー、和睦の話とはかぎらないがね」
「確かにそうかもしれんわね。
でも考えてみて。こんな今にも戦が始まろうという時に、敵からの連絡って、和睦の話以外、他に何がある?」
「それじゃー、もしかしたら私等、死なずに済むかもしれないという事」
「そうよ、上手くいけば、私等、助かって、皆、無事に家に帰れるかもしれないのよ」
「嬉しいなー。
本当の事言うと、私、死ぬの怖くって」
「そうよね、そんなの、誰でも同じよ、大きな声で言えないだけ」
「それに家族の事も気に掛かるわ。
みんなどうしているのかしら」
「私も、早く家に帰って、亭主や子供たちの顔が見たいわ。
家は、無事残っているかしら」
つい先ほどまでは、死を覚悟して陣地に付いておりましたのに、もしかしたら、死ななくても済みそうと言う報せが伝えられてきたんですから、皆、地獄からこの世に連れ戻されてきたかのような嬉しさです。
囁き合っている声も、つい弾んで、大きくなりがちです。
と突然、「誰?そんな不謹慎な言葉を口にするのは」
「敵からの使者が来たからと言って、この戦が必ずしも、終わるとは限らないんですよ。
相手がどう言ってきたかにもよりますし、
そして、さらには、その書状をお読みになった時の、お殿様のお考えにもよりますからね。
それにも関わらず、使者が来たと言うだけで、もうこの戦いが終わったかのような気分になって、気を緩めるなんてとんでもありません。
そんな浮かれ気分の所へ、敵が攻めこんで来たら、どうなります?
こんな時に、敵が和睦の使者を送ってきたのには、その狙いもあるかもしれないんですよ。
まして、それに乗っかって、死ぬのが怖いだとか、戦いたくない、家族がどうの等と言う言葉を口にするなんて、もってのほかです。
戦場に在っては、厭戦気分を煽るような、そんな言葉を口にする者は、「敵に与し(くみする)、味方の戦意を削ぐものとして、その場で処刑しても構わない事になっているんですよ。
今回は、特に大目に見て上げますが、以後は、このような事は赦しませんから、くれぐれもお気をつけになって」
と、激しい叱責の言葉がとんでまいりました。
女達は、一斉に口を噤みました。
しかし密かに、このまま戦いがなしで済む事を祈りつづけました。
その20の3
その朝、綱重の所に届いたのは、今回の戦の総大将を預かっている、森長可(註:実在する歴史上の人物とは関係ありません) からの、降伏を呼び掛ける書状でした。
それを要約しますと、
汝のこれまでの、不法な拡張主義的、徴発行為と、非道、無情な侵略行為によって、近隣の諸大名は、多大なる迷惑を蒙ってきた。
特に親子の離反を煽った上での、川辺の郷領の強奪は、神仏共に赦されざる行為であって、このまま看過する訳にはまいらない。
今回我らは、我らの御大将織田の大殿の命により、近隣諸国の領主達の求めに応じて、そなたの暴虐無人な行いを正すべく、ここにやってきたものである。
汝が、前非を悔い、以下の条件をのんで、許しを乞うのであれば、責任あるもの数名を除いては、その罪を減じ、それを問うことなく、我が陣に降る事を赦す。
なお本書状への返答の期限は、辰の刻の始まりをもって終わりとする(今の午前8時)。
1)一緒に避難してきている百姓、町民については、何らの罪も問わない。
2)東綱重の家来とその家族についても、責任的地位にあった、以下の数名の者以外は、所領召し上げの上、域外追放をもって許しとする。
3)東綱重の傍に在って、綱重の不法なる、挑発行為や侵略行為に加担し、その遂行を手助けしてきた、
向田清隆。浅野総佐衛門、狩谷喜久乃丞の3重役は、所領召し上げの上、斬首の刑に処する。
またその家族についても、男子は全て斬首の刑。女子については、我が方の諸将へ、奴婢として与えられるものとする
4)東綱重については、領地召し上げの上、斬首の刑に処する。
その家族のうち男子については同じく、斬首。女子につては織田方の有力武将のもとへ、奴婢として贈られるものとする。
5)捉えられている元川辺の郷の領主、斎木頼貞殿は、直ちに放免の上、今回の使者に引き渡すべきこと。
以上
とありました。
その21へ続く