No.205 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕  (戦国の世を駆け抜けた女) その7

油滴天目の油滴に刻まれた涙痕 その7(戦国の世を駆け抜けた女)

このお話はフィクションです

その7の1

山岐の一族は、もともとは金の採掘を業とする鉱山師の一族でした。
従って、以前は、採掘して得た金を、食糧だとか衣服、燃料、居住費などに充て、生活しておりましたから、冬の準備といっても、そういった物を買い揃えるだけでした。
しかし、ここ10年ほど前から、この谷ではもう、金が全く採れなくなっています。
従って、以前なら、今頃はもう、また別の金鉱を探して、移住している頃です。
所が、実際には、金が殆どとれなくなっているにもかかわらず、彼らは、いまだにこの谷に留まっています。
長いこの地での安定した生活によって、一族の気風が、すっかり変わってしまったからです。
この間、一族の中には、こういった一ヵ所に留まる事が性に合わず、次の金鉱を求めて山岐の頭領と袂(たもと)を別って出ていった者もいないではありませんでした。
しかし、それはほんの僅かで、雇いの鉱夫を含め、殆どのものは、国中を流離いながらの(さすらい)金鉱探し、そして掘立小屋に住みながらの、岩と水との戦いに明け暮れしていた、金採掘の日々、そんな厳しい生活に再び戻る事を躊躇し、この地に留まる方を選びました。
雇いの鉱夫達もまた、既に妻子を呼び寄せていた者が多く、その多くは、人夫や、作男、小作人などになって、この地に留まる方を選びました。
一つには、この地の領主、斎木頼貞殿の厚遇と援助、そして強い引き止めのせいもあります。
しかし、何より大きかったのは、最初は副業としてではありましたが、頼貞に勧められるままに、この地で始めた農業が、この地が、この地を流れる上保川とこの地で上保川と合流する紅谷川とで造った扇状台地で、思いの他、肥沃だった為に、大変うまくいったことです。
この為に、彼ら一族は、より豊かで、(金の採掘に従事していた時より、)より安定した生活が送れるようになっていました。
この事が、彼らをして、この地に留まる事を選ばせた、最大の要因でした。
転々と住居を変えなければならなかった金の採掘をしていた時代に比べ、農耕を中心とし、それに加えるに、築城、橋梁工事、水路工事などに従事する事から得られる副収入を(これらは、金の採掘から得られた技術と知識を応用したものですが)下支えにした彼ら一族の生活は、以前とは比べものにならないほど安定し、豊かとなっていました。
住居も大きく立派な物になりました。
家具だとか衣料といった生活用品、食品も充実し、精神的にも、暮らし中身においても、以前とは比べものにならないくらい安定し、豊かで、文化的な生活を送れるようになっていたのです。
それでもなお、彼らの中、中でも男達の中に流れる鉱山師としての血が、一か所に留まる事を好まず、自由気ままな流離い生活を求める気持ちが、彼らをして、このままこの地に留まる事を、躊躇わせる(ためらわせる)所がない訳ではありませんでした。
しかし、この地において開拓し、新たに造成した、肥沃な農地を棄てて行くには、あまりに惜しく、忍びませんでした。
更にこれらの農地によって生み出された、安定した生活は、彼等の一族の人数を、大きく膨れ上がらせてしまっています。
(註:これは、山岐一族の人数が増えたことのせいもありますが、人夫、作男、小作人となってこの地の留まった元金山鉱の人夫達とその家族だとか、新たに雇い入れた、護衛の侍、中間、小者、下女などといった使用人達のせいでもあります)
その為、その点からも、よほど大変な事でも起こらない限り、この谷を棄ててまで、新天地へ移動する事は出来なくなっておりました。

その7の2

この金蘭の谷においても、収穫は終り、収穫の手伝いだとか、家事といった大人たちの手伝い仕事から解放された、子供たちには、子供同士で、野山で活動する時がやってきました。
信光たちも、近所の子供達が集まって、木の実拾いに、茸採りに、魚捕りにと忙しく、動き回っておりました。
それは例年、秋になると何処の部落においても、見られる光景です。
しかし、今年の信光達の所は、例年とは少し違ったところがありました。
信光達の後ろを懸命に走る二人の女の子、一人は絹織物の着物を身に付け、もう一人は木綿の着物を身に付けた、共に7,8歳くらいの、対照的な女の子の姿があったのです。
二人とも着物の裾を端折って帯に止め、脛(すね)を出しておりますが、いかにも慣れた様子で、さっさと山道を歩く、小麦色の肌をした、木綿の着物姿の女の子に対し、貫ける(ぬける)ように白く透き通った肌をもった、絹織物姿の女の子の方は、いかにも苦しそうに、息を切らしながら、信光の後ろを、懸命に追い駆けておりました。
「お兄ちゃん、早い。歩くの、早過ぎ。もう少しゆっくり歩いてよ。美貴お嬢様が付いていけないじゃないの」咎めるような安乃の声
「ハッ、ハッ、ダ イ ジョウ ブでございます、お兄様。ハーッ、美貴は、そんな柔じゃございませんからハッ・ハッ・ハーッ」と美貴。
「そうかね。でも、もう少しゆっくり歩く事にしようね。それにしてもお菊さん、よくうちなんかへ来させてくれたね」
と信光が聞きますと。
「お菊?お菊はもういないよ」と美貴。
「エッ、お菊さんどうされたの」と安乃、
「この間の事があってから、お父様に叱られて、お城へ戻されてしまったの」と美貴が応じます
「アッ、それで今朝、貴女を連れて来られたお方、見かけない人だったんだね。で、あの人は煩くないの」と安乃
「ウン、大丈夫。
だってお父様が『良いよ』って、言ってくれたんだもの。
それにあの人は、ただのお百姓。
だから、何も言うはずが無いわ」
「そう言えばお父様、近いうちに、いろいろお願いしたり、相談したりしたい事があるから、近々お兄様のお父様の所へお訪ねしたいと、おっしゃってましたわ」弾んだ、美貴の声。
既に父頼貞より、何か聞かされている様子です。

その7の3

その翌日、川辺の郷の領主斎木頼貞が、金蘭渓谷にある山岐の家を訪ねてきました。
「この度はいろいろご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。
お陰さまで何事もなく済んでよかったものの、もし信光殿のお助けがなかったら、(娘が)どうなっていたかと思いますと、考えただけで、ぞっとします。
今回の事件、考えてみますに、娘の我儘から起こった事でございますが、同時に娘が日常、どんな風に過ごしているのかも知らないで、侍女たちに任せきりにしていた、私の不明(事理に暗い事)のせいでもあります。
本当に、お恥ずかしい限りでございます。
山岐の皆様方の中に溶け込んで、仲良く暮らしておるものとばかり思っておりましたのに、自分達、身内の者だけの囲いの中に閉じこもり、結果において、あの娘に、寂しい思いをさせてしまったようで、あの子には本当に可哀そうな事をしてしました。
今回は信光殿のお助けによって、何事もなく済みましたが、一つ違えば、とんでもない事になる所でございました。
本当にありがとうございました。
信光殿にはその際、随分な、お怪我をさせてしまったと聞いておりますが、もう大丈夫でございましょうか」
「事件後、すぐにお礼をかねて、御挨拶にと思ったのでございますが、取り入れの時期に重なっておりました為に、すぐにお伺いしたのでは、御都合が悪かろうと存じ、ぐずぐずしているうちに、今日に至ってしまいました。
こんなにも遅れてしまいまして、誠に申し訳ございません」
「いえいえ、どうかお構いなく。
愚息の傷の方も、お陰さまで、たいしたこともなく、もうすっかり良くなりまして、元通り、元気一杯、飛び廻っております。
そう言えば、先日来、お殿様のお許しを頂いているとかおっしゃって、お嬢様が、毎日のように私どもの宅を御訪ね下さり、愚息達と一緒に、お出歩きになっておられますが、本当によろしかったのでしょうか?」
「無論、構いませんとも。私が許した事でございますから。
本日、寄らせていただきましたのは、先日の事件についての、お礼が第一の目的でございますが、その他にも、娘についての御願いだとか、その他、諸々の御相談等もあるからでございます」
「ほう、それはまた、どんな事でございましょう」
「まず娘、美貴の事についてでございますが、あれ以来、なんだかお宅の御子息、信光殿にすっかり好意を持ってしまいましたようでございまして、どうしても信光殿のお傍で生活したいと言って、聞きません。
あの子は可哀そうな子でして、生れて直ぐから他人の手で育てられ、親の愛情をあまり知らない子でございます。
お恥ずかしい話でございますが、あの子の母親が、あの子を身籠った折、私の妻が、猛烈に焼きもちをやきまして、それで一悶着も二悶着もあったのでございます。
その為、あの子の母親は一時、気鬱(きうつ)の病にかかりまして、子供を見る事ができなくなってしまいました。
それ以来、あの子はずっと使用人に育てられ、生れてから、親の愛というものを、あまり知らずに育ってしまいました。
私も不憫に思い、母子の事、何かと気にはかけていたのでございますが、それがまた妻には、気に入らないようでして、余計に、この母子に、辛くあたるようになってしまったのでございます。
だから、私も、大っぴらに愛情を注いでやる事も出来ないままに、育ってしまったのでございます。
その為、あの子には、非常に寂しい思いをさせてしまいました。
妻一人くらい、どうにかできないのかと、お嘲笑い(おわらい)になるかもしれませんが、ここだけの話、妻は飛騨の国の守護、京極家の大権力者、三木(みつき)の家の出でございまして、なかなか、私の思い通りにという訳にはまいらないのでございます。
ご存じのように、この辺りは、今は美濃の国の守護、土岐殿の勢力下にありますが、地理的に、飛騨と美濃との国境にあります関係上、この地の安寧は二つの国の力のバランスの上になりたっている様な所がございます。
従いまして、私どものような力のない領主は、飛騨の三木殿の意向も気にしない訳にはまいらないのでございます。
それやこれやで、あの子には寂しい思いをさせてきましたので、せめて今回は、あの子の願い通りにしてやりたいと思って、お願いに上がった次第でございます。
そこでご相談でございますが、お宅様やお宅の御子息、信光殿にさえ、御異存なければ、ご子息様の許嫁として、家の娘、美貴を、お迎え頂け無いでしょうか」
「突然そんなお話を頂きましても、お見かけどおり、私どもは山師上がりの、俄か百姓の集団でしかございません。貧しい故に、生活程度も、お殿様の所とは比べものにならないほどに低く、教養もございません。
とても、お殿様の所と釣り合いのとれるような家柄ではありません」
「そんな事は、全く構いません。
私どもとて、昔を辿れば、所詮田舎侍、今でこそ川辺の郷の領主と言われておりますが、元は、片田舎の国人です。
従いまして、このお話をお決めい頂ければ、うちの娘には、お宅様の生活に合わせるよう申しつけますし、お宅の思い通り躾けていただいて結構でございます。
娘にも確認いたしましたが、信光さまのお傍で過ごせるなら、どんな生活にも耐えられると申しておりました。
ただ心配なのは、先程申しましたような家の事情もございまして、あの子、行儀作法も、お茶、お花といった、女としての、一般的な習い事も、まだ身につけさせておりません。
お宅様さえ、お許しいただければ、そちらの方は、私どもから先生をつけさせて頂き、御子息の所へ正式に嫁ぐ日までには、責任をもって身につけさせる所存でございますが、いかがでしょう」
「どうせ私どもは山師兼野武士上がりの俄か百姓です。
そんな事一向に気にしていません。
それに先日来、お見かけしております限りでは、随分お可愛らしい上に、利発で、素直なお嬢様でいらっしゃいます。
ですから、私としましては異存ありません。
ただ、信光がどう申しますか。
それと、うちの信光の方こそ、学問と申しましても、積善寺で少し習っている程度でして、浅うございます。
その上、私どもは、もとは鉱山師でございますから、自衛上、山中での不意打ち攻撃や、敵をかく乱する攻撃こそ、得意としておりますが、城攻めだとか、平地での白兵戦などといった、真正面から、部隊と部隊がぶつかり合うような戦(いくさ)についての武略は、全く持ちあわせておりません。
従って、お宅様と縁を結ばせていただきましても、一方の旗頭として、ご家来衆を率いて(ひきいて)、戦に臨んだ場合、他の武将たちと伍して、一緒に戦っていけるかどうか、心許無う存じます。
その点からも、お嬢様のお婿殿として、本当に相応しい(ふさわしい)とは思えないのでございますが」
「いやいや、先日の猿どもとの、素晴らしい戦いぶりから考えますに、信光殿には将としての天性の素質を、充分に備えておられると確信できます。
ご心配になっていらっしゃる武略を知らないなどと言うのは、実際はたいした問題ではありません。
実践に臨んで大切な事は、勇気、経験、勘、そして臨機応変さであり、将として重要なのは部下の統率力と決断力です。
その点、ご子息信光殿は、その全て備えていらっしゃるように思えますから、全く心配はしておりません。
基本的な戦略につきましては、このお話が決まりましたら、追って、習って頂く心算でもあります。
しかし私どもとしましては、そんな事は、それほど重要とは考えておりません」

その8に続く