No.174 一粒の米にも その9

このお話はフィクションであって、実際にあった事件、実在していた人物とは関係ありません。

その30

それから一週間、4人は働き詰めに働き続けました。
捨て鉢な事を言ったり、考えたりしている暇がないほど身体を動かしました
粟の収穫の後は、高黍の収穫、そして水に浸かって倒れてしまっていた稲を起こす作業と続きました。4人は、朝は薄暗いうちから田畑に出、夜は星空が輝くようになる時刻まで、懸命に働きました。
身体が二つも三つも欲しいと思うほどの忙しさです。
労働に慣れない祐貞は、体中がきしんで、悲鳴をあげました。
しかし、それでも、この仕事が、この一年間、自分達4人が生きていくための食べ物を確保するためには、絶対必要だと言われると、休んでいるわけにはまいりません。
特に、お兼、お米といった女たちが、愚痴一つ言わず、黙々と働いている姿を見ると、男であり、この家の当主である自分が、弱音を吐いているわけにはまいりませんでした。
お兼や、お米には、農作業の上に、避難してきている人たちの食品の手配りから、自分たちの家の家事労働まで負担をかけています。それにもかかわらず、彼女達は、文句一つ、愚痴一つ言う事もなく、懸命に働いてくれています。
その姿を見ますと、弱気になっている時間はありません。
祐貞は、その分、農作業では、自分達男が、少しでも頑張らねば、と思うのでした。
しかし、何しろ慣れない仕事です。
身体も吉六ほどには、鍛えられておりません。
この為、どうしても、吉六には負担をかける事が多くなります。
それが悔しく、申し訳なくて、祐貞は、吉六より少しでも多くの時間、働くように心掛けました。
このせいもあってか、家に帰った時は、もう疲れ果ててしまっていました。
食事を摂るのがやっとで、後は、直ぐに横になり、そのまま、寝入ってしまうのが日常でした。
考えてみると、女性達はもっと大変なはずでした。
家に帰ってからも、避難してきている者たちへの食事の手配から、自分たちの夕食の支度、翌日の朝昼の食事の準備、風呂の準備から、洗濯、繕い物などなどの仕事が待っています。
傍で見ていると、何時寝ているのかと心配になるほどの仕事量です。
そんな状況にもかかわらず、お米は、疲れた様子も見せず、毎朝早くから、祐貞を起こしに来ました。
そのさわやかな笑顔を見、元気そうな声を聞くと、不思議な事に、どんなに疲れている時でも、元気薬でも貰ったかのように、疲れがふっとび、「この人達の為にも、今日も一日頑張らねば」と言う気力が湧いてまいりました。

 

その31

稲を起こす作業は、全部の稲を、うまく起こす事は出来ませんでした。かなりの稲は、水に浸かる前に、既に台風で倒され、茎が痛んでしまっておりましたから、起こす事は出来ずに終わってしまいました。
吉六は、これから開花期を迎えてのこの様子では、これから後、何事もなくうまくいっても、米の収穫量は例年の半分に満たないだろうと思いました。
だから彼は、水害後、直ぐにしなくてはならない事が凡そ(おおよそ)終わると、休む間もなく、粟やキビの作ってあった場所に、その後作として、秋蕎麦の種を撒く準備を始めました。
蕎麦は霜に弱い欠点は持っています。しかし、比較的短い期間で収穫する事が出来、しかも栽培に、比較的手間のかからない作物です。
8月の中から下旬に種を撒いても、11月初旬には収穫できます。
しかも今度のように、洪水の後なら、水が肥沃な土を運んできていますから、殆ど施肥も必要ありません。
だから農夫たちは、米が不作と予想された時は、救荒作物(きゅうこうさくもつ=凶作の時に主食の代用として栽培する作物)として蕎麦考えるのが普通でした。
祐貞は、自分の小作人達にも種を貸し出し、秋蕎麦を作る事を勧めました。

 

その32

青木家の頭領(とうりょう=集団の長)となった祐貞は、単に、農作業をしているだけではすみませんでした。
台風とそれが伴った洪水による農作物の被害の手当てが、一通り終わると、小作人達は、連れだって、祐貞の所に押しかけてまいりました。
「若旦那様、このままでは、何時また水が襲ってくるかもしれません。一日も早く堤防の決壊部分をなんとかして頂きたいのですが。
そうして頂かないと、心配で、おちおち夜も眠れません。どうか一日も早い修理をお願いします」と切り出しました。
しかしもう、今の青木の家には、単独でそんな大事業をするような余力はありません。
蔵は底をつき、家財道具は売り払い、家の中は空っぽ、今日では、自分の家の食べ物を買うお金にも事欠き、食事に、野草も混ぜて、口にしているありさまでした。
そこで祐貞は「申し訳ない。前回の堤防の修理と、前回と今回の水害の際、被害を受けた皆さん方への救援で、財産の殆どを使い果たしてしまって、もう家には、何も残っておらんのです。
親戚知人などにも融資を頼んでみはしたんだけど、こんな村の状態でしょ。誰も貸してくれないのです。
後は、もう、お上に頼むより他に途(みち)がないのだけど、お上というのは、父の時もそうでしたが、私が単独で行ったのでは、おそらく、相手にしてもらえんでしょう。
よって今回は、皆さん方にもご一緒して頂こうと思っています。
この席で代表者の方3,4人を選んでもらえんやろか」と切り出しました。
部落の人達は、この忙しい時にと、皆尻込みし、なかなか代表者が決まりませんでした。
だから中には、「まだまだ大家の家には隠し金があるはずだ」とか、「こんな状態を何とかするのが大家の義務なのに、それが出来ないからといって、私らに押し付けるのはおかしいのではないか」とか、ぶつぶつ言う人もいたりして、なかなか話は纏まり(まとまり)ませんでした。
この為、復旧の手助けを藩に陳情する為に、代官所へ一緒に行く3人が決まるまでには、その日の夜半過ぎ迄かかってしまいました。
しかしこんなにまでして、代官所へ陳情に入ったにもかかわらず、藩の方からは、例のように、財政が厳しい事を理由にして、今の所助ける事は出来ないという、冷たい返事が戻ってきただけでした。
祐貞は、もしかしたら、という淡い期待を持って、お金の運用を任せてあった、桑名の廻船問屋にも行ってみました。
しかし訪ねて行った廻船問屋の店先には、「江戸に向けて荷物を積んで出港した、船二艘の消息が途絶えている」とかというので、それを心配した荷主達や、乗客の身内の者たちが、一杯詰めかけていて、そんな話をするどころではないありさまでした。
祐貞は、何も言えずに、すごすごと引き返さざるを得ませんでした。
もう一度、親戚を頼って、あちらこちら、金策にも回りました。しかし皆さん、
「祐貞さん、あんたの話じゃ、もう、あんたんとこは、駄目なんじゃないかなー。
いい加減に見切りを付けて、あんな土地とは、縁を切った方が、良いんじゃないですか。
そんな土地にお金をつぎ込んだとしても、溝(どぶ)にお金を、捨てるようなものです。
この後、どれだけつぎ込まれたとしても、結局何も得る事なしで終わってしまうんじゃないでしょうか。
お話を聞きますと、お父様にはいろいろお世話になったことですし、なんとかしてあげたいのはやまやまですが、しかし、私どもとしましても、余っていて、捨てるようなお金がある訳ではございません。お返し願えるという、きちんとした当てがない所へは、お貸しする訳にはまいりません。
何度お頼みにお出でくださっても、同じでございます。
ですから、今後は、こんな無駄な事はお止め下さい。
なにしろ、このお話、慈善事業や、同情で出せるような、ちょっとやそっとの金額ではないのでございますから」
と異口同音に言って、だれもお金を融通してくれようとはしませんでした。
このように、丁重に断ってくれる場合は、まだ良い方でした。
中には「前に、お前の父親が来た時にも忠告したのに。結局あの時、つぎ込んだ金は、何の役にも立たなかったじゃーないか。
そんな話に、乗れるはずがないだろ。
大体おまえの父親というのは、頑固な上に独り善がりで、私等が何を言っても聞いてくれなかった。
だからこういうことになってしまったんだよ。
お金の委託先だって、桑名の廻船問屋、あそこ、一か所に、絞るのは危険だと、何度も意見したんだぞ。
なのに、お坊ちゃまで、世間馬鹿の、お前の父親は、聞く耳を持とうとしなかた。
まあ、お前の家に相応しい、器がなかったんだろうな」などと金を融通してくれなかっただけでなく、父親の事まで、悪しざまに貶した(けなす)奴もいました。
そいつの言葉は、よほど悔しかったと見えて、そこからの帰り道、祐貞が、
「なあお米、人の心ほど、当てにならないものはないなー、今日訪ねて言った奴なんか、父親の羽振りが良かった時には、子分みたいだった奴で、愛想笑いを浮かべ、手揉みしながら、何時も父親の尻に、くっついて歩いておった奴だったんだぜ」
「『何かにつけて、おぼっちゃま、おぼっちゃま』と言っては近寄ってきた、あいつの猫なで声が、今でも耳の底に残っていると言うのに。
それを何、今日のあの態度。
ただ断るだけならまだしも、何かにつけて、助けてもらっていた父親の事を、あんなにも悪し様に言うなんて。
本当に悔しいなー。
生きていくと言うのは、なんという、悲しくて、辛いものなんだろうなー。
貧しいというだけで、こんなにも、いろいろな目に遭わなくてはならないなんて。
そういえば、最近では、小作の奴ばら(=奴ら)も、俺に対して、小馬鹿にしたような言動や、横柄な態度をとるようになったもんなー。
何でも蔭では、おれの事、くそみそに言っているらしいぜ。
俺、もう、こんな事をしていたくない。
どうしたら良いか、見当もつかんし、だれを信じて良いかも、分からん。
いっそ、小作の奴らみたいに、何もかにも捨てて、他の土地へ逃げられたらなとつくづく思うよ」とポツンと言うと、そのまま先に立って歩いていきました。
今迄、こんな事を言った事がなかった祐貞の始めての弱音に、お米はびっくりしました。
前を歩く祐貞の姿は、あまりにも弱々しく、儚げ(はかなげ)でした。
放っておいたら、この夕景色の中に、今にも溶け込んでいってしまいそうに見えました。
お米は言葉を失いました。
祐貞の悔しさが分かるだけに、言葉が出ませんでした。
なまじの慰めの言葉なんかは、彼を余計に傷つけるだけだと思いました。
お米は、黙ったまま、そっと祐貞に寄り添って歩き始めました。
横から漂ってくる、若い女のふくよかな薫りに、振り向いた祐貞の目には、自分と共に悲しんでいてくれるお米の、怒っているような顔が入ってまいりました。
祐貞の前では、包み込むような明るく、優しい笑顔しか見せたことのなかった、お米の、きりっとして、怒っているようなその顔は、ドキッとするような美しさでした。
胸がドキドキしてきた祐貞は、それを隠そうとするかのように、プイと彼女から離れると、肩を怒らし、先に立って歩いて行ってしまいました。
でもお米は、その時自分に見せた、祐貞の顔が、一瞬、緩み、照れたような笑みを口元に浮かべたのを、見逃しませんでした。
その子供っぽい仕草が、なんだか無性に可愛く、抱きしめてあげたくなってしまうほどでした。
でもその時、どうしたわけか、最近、急に男らしくなってきた物腰や、言葉つき、隆々と筋肉の盛り上がってきた、彼の肉体などが目の前に浮かんできて、彼女もまた胸がドキドキし出してしまいました。
「あら」思わず赤くなった彼女は、それを振り切ろうとするかのように、首を激しく振ると、狼狽している自分を悟られないように、何食わぬ顔をして、祐貞の後を追いました。

 

その33

あの台風以後は、大雨も、さほど大きな台風の襲来もなく、天候にも恵まれ、10月の中頃過ぎには、無事米の収穫が終りました。
今年の収穫量は、吉六の予想通り、青米や白穂がかなり混じって、例年の半分ほどしかありませんでした。
しかし、祐貞にとってはとても嬉しい出来事でした。生まれて初めて自分の手で作った新米を手にする事が出来たのです。
思い返せば、この一粒のお米を手にするまでには、どれほど沢山の苦労があった事でしょう。
苦労の結晶である新米を手にした時は、嬉しさのあまり、目じりが、湿ってしまったほどでした。
祐貞は今初めて、自分が幼かった時の弘法様のあのお言葉、「今、踏んづけたお米一粒、一粒の、ありがたみが、やがて、身に沁みて分かる時が、やってくるであろう」とおっしゃったあの言葉の意味が、やっと分かることが出来ました。
本当にお米一粒にだって、数えきれないほど沢山の、人の手や、汗、脂が、そして八百万の神々や、御仏のご加護が加わっているのだと言う事がよくわかりました。
だから、今後は米一粒だって、決してそれを粗末にしないように気をつけなければ、と思うのでした。
今年の米の不作を見越して、粟、高黍の後作として、急きょ種を撒いてつくった、秋蕎麦の収穫量も、天候に恵まれ、まずまずの出来でした。
これで今年はなんとか年を越し、来年の米の取り入れの時が来るまで、食い繋いでいく事が出来そうだと、祐貞達4人を始め、未だ村に残っていた村人達が、胸を撫で下ろしました。

続く

No.173 一粒の米にも その8

このお話は、フィクションであって実際の事件、実在の人物とは無関係です

その26

ただ女中のお兼、お大師様が観佐衛門の家にお立ち寄りになった際、お大師さまから、御教えを頂いた、あのお兼と、その亭主の吉六だけは違っていました。
吉六夫婦は観佐衛門の家近くに住む、観佐衛門の小作人の一人でしたが、吉六は、観佐衛門の家が忙しい時は、手伝いに来ている、観佐衛門家の男衆の一人でもありました。
朴訥(ぼくとつ)で、お世辞も何も言えない人でしたが、正直者で、几帳面、仕事はきちんとしてくれる人でした。
だから観佐衛門の信用は厚く、何かと言うと、頼りにされていた一人でした。
一方、女房のお兼はといいますと、その頃には、自分の家の農作業が特別に忙しい時以外は、観佐衛門の家に来て働く、通いの女中でした。
彼女、働き者の上、とても責任感が強い女で、信仰心に基づく、しっかりした自分の考えを持っている人でした。
その為、観佐衛門の信頼は厚く、最近では、女中頭のような役を、しておりました。
そのせいもあり、彼女、自分の家が農繁期で忙しい時でも、時間を見付けては、観佐衛門の家へやって来て、他の女たちの仕事の段取りを付けたり、他の女たちの仕事のやり具合を点検したりしていました。
大洪水に遭って以後、弱気になった観佐衛門は、弘法様の縁に連なるお兼を、とても信頼し、妻を、亡くしてからは、家の中の事については、何かに付けて、彼女の考えを聞くようになっていました。
お兼は「私ども夫婦は、旦那様に随分頼りにされ、大変お世話にもなってまいりました。
だからお給金なんか頂かなくても結構ですから、どうかこのまま、この家に居させてください。
実を申しますと私、あの大洪水以後、大旦那様から、『お前が、お大師様から言われた通りなってしまった。
どうもこれが、この家と私の宿命らしい。
可哀そうに、祐貞には、大変な苦労を背負いこませる事になってしまった。
私にもし、万一の事があった時は、祐貞の事、くれぐれも頼みますよ』と言われているのでございます。
だから、このままお二人を残して、出ていくわけにはまいりません。それが、私と弘法様とのお約束でもあり、亡き旦那様とのお約束でもあるからでございます」と言って聞きいれませんでした。
さらに、
「それに、今では、この辺りも、こんな状態でございますから、とても不用心となっております。
こんな所へ、若いお二人だけを残して、どうして私どもが出ていけましょう。
第一、お二人だけでは、百姓仕事も満足に出来ませんでしょ。
でも、ここに残ってやっていこうとされる以上、これからは、自分達の食べる分は、自分達の手で賄わなければならないのですよ。
なにしろ今の状況では、もう、地代なんか、当てに出来ませんからね」
「だから、私ども夫婦に手伝わせて下さい。必ずお役にたちますから」と言い張ります。考えてみれば、お兼の言うとおりでした。
お百姓仕事なんか、見てはいたものの、実際にやった事のない二人です。農業を始めても、一から始めるようなもので、何時、どんな作業にとりかかるか、何時、種をまき、それをどう育て、何時、収穫するのがよいのか等、まったくわかりません。チンプンカンプンです。誰かに教えてもらわなかったら、うまく出来っこありません。

 

その27

こうして大きな屋敷の中での、4人の共同生活が始まりました。その4人で最初に作った作物が、今度の台風による洪水で、水に浸かってしまった稲、粟、キビであり、その他の野菜でした。
祐貞にとっては、それは初めて手塩にかけて作った作物でした。
吉六夫婦に励まされ、教えられながら、手にマメを作るのも、泥まみれになるのも、蛭(ひる)に咬まれるのも厭わず、腰痛を我慢して、真夏のカンカン照りの太陽の下、汗まみれになりながら、懸命に作ってきた作物でした。
それが、この洪水で、一挙に水に浸かってしまったのですからたまりません。
収穫の日を、楽しみに、やってきたこれまでの我慢も、たくさんの努力も、全て水の泡となってしまったのです。
それは落胆などといった言葉で、単純に言い表されるものではありませんでした。
天に対する怒りや、絶望、虚無感といったものが、ごちゃ混ぜになった、脱力感であり、無力感でした。
彼はぺたりと座りこむと、水に浸かってしまった村を、何を考えるでもなく、ただぼんやりと眺めておりました。

 

その28

しかし祐貞には、のんびりとしているような時間はありませんでした。
台風の去った夜には、既に今度の台風で家を流されたり、水に浸かったりして住む場所を失ってしまった小作人達が、家族共々、一斉に押しかけてまいりました。
彼等は口々に、「若旦那様、私たちは今夜寝るところも、食べるものもありません。どうか今夜だけでも、お助けください」と哀願しました。
今夜の寝ぐらもなく、食べるものもなく、ひもじさに泣く、子供や老人を抱えた人々の、悲痛な叫びを、祐貞は、突き放す事が出来ませんでした。
彼は、「聞けば、今朝から何も食べていないそうだが、何とかしてやれないものだろうか」と、お米に尋ねました。
しかし蔵の中には、もう、米はもちろん、他の雑穀類を含めても、ほんの僅かしか残っていません。
お金だってそうです。前回の大洪水の時と、仮提の建設の為に沢山のお金を、使ってしまいましたから、残っているお金は、それほどありません。
お米は悩みました。助けを求めてきている人達を、なんとかしてあげたいのは山々ですが、今、それをやれば、今年の秋の作柄にもよりますが、自分の家が、食べ物に困る事になるのは、目に見えています。
迷ったお米は、「お兼さん、若旦那様はあのように、おっしゃっていますが、どうしたもんでしょうね」と相談しました。
お兼も困りました。
そこで「そうね。所で、この家の台所を預かっている貴女は、どう思っているの」と逆に尋ねます。
「私、私一人なら、ここで皆さんを見殺しにするくらいなら、後の事は、後の事。この後、万一、飢えで苦しまねばならない事になるとしても、ここはともかく、皆さんを助ける事を第一にします。
でも、そうしますと、万一今年の収穫が、うまくいかなかった場合は、若旦那様も、お兼さん夫婦も、食べるにも、事欠くくらいになりかねません。
それが心配で、ご相談しているのです。
どうしたらよいでしょう」とお米。
しばらく考えていた後、
「そうね。もうこうなると、後の事は後の事。後の事なんか、考えないで、今を大切にして、人間として、やるべきことをやる事にしましょうよ。
それがお大師様の御教えであり
若旦那様のお望みでもあるのですから」とお兼が応えます(こたえる)。
「しかし、こんなに沢山の人達に配るだけの食べ物って、未だ残っていましたっけ?
食べ物がなくて困っている人達って、今夜ここに避難してきた人達だけじゃないわよ。
村の外れの方にも、まだまだ沢山いらっしゃって、明日の朝には、もっともっと多くの人がおしかけてくるに決まっていますけど、大丈夫かしら。足ります?」
「前の洪水で、沢山の人が、村から出て行かれましたから、残っている人達だけなら、明日の朝の分までくらいは、どうにかなると思います。でも皆さんの避難が数日間に及びますと、ちょっと難しそうです」
「この洪水で、穀物の値段も上がっていますでしょうから、残りのお金で買うにしても、2日以上は難しいと思います。
もう、こうなりますと、家の中にある金目のものは全部、それが御先祖様から伝わってきた書画であれ骨董であれ、或いは家財道具であれ、何もかにも全て、古道具屋さんに引き取ってもらって、お金にするしか仕方がないんじゃないかしら。
ここにある物は全て、ご大層なものばかりですから、上手く売れれば、あの人達を後数日間くらいなら、なんとかさせられるんじゃないでしょうか。
でも、そんなことをして、若旦那様がびっくりなさらないかしら」
「大丈夫よ。
だって若旦那様は、『困っているあの人達を助けるためには、この家屋敷以外は、売れる物は何でも売ってくれてもかまわない』とおっしゃったのですから」

 

その29

「若旦那様、早く起きて下さい。水に浸かってしまった粟の刈り入れを今日、明日中になんとかしないとなりませんから。
このまま水に浸かったままにしておきますと、粟が芽をだして、駄目になってしまいます」と言うお兼の声で、翌朝早くから、祐貞は起こされました。
昨夜来、避難してきた小作人達の、世話に追われているはずの、お兼もお米も、すっかり農作業の身支度を整え、何もなかったかのようなさわやかな顔をして、枕元に立っております。
日は未だ昇っておらず、辺りはやや薄明るくなってきた程度です。
「どうしたの、こんな早くから。貴女達、昨晩は、避難してきた皆の世話で大変だったんじゃないの」と寝ぼけ眼をこすりながら祐貞が怪訝(けげん)そうに尋ねます。
すると彼女達は「あの人達の、朝の用意は、避難してきた女の人達に手伝だってもらって、もう済ませました。後は自分達で、分け合って食べて頂くだけです。
ここに来ている人以外にも、家を水に浸かって、何も食べてない人が、あちらこちらの部落にいらっしゃると言うことでしたから、そちらの方にも、少ないながら、食料を手配しておきました。
今日、これから私達がやらねばならない事は、粟の刈り入れです。粟は、水に浸からせたままにしておきますと、直ぐに芽を出してしまいますから、なんとしてでも、今日明日中に刈り取らないといけませんので」
「それから夕方には、町の道具屋さんに来てもらうように手配しておきましたから、そのお相手もして頂かねばなりません」とお兼。
「もういいよ。どうせ何をしたって、なんともならないんだから。
俺はもう、何もする気にならないから、お前たちで勝手にやって。俺は、このまま寝させてもらうから」と祐貞。
「大丈夫です。宅の夫が、先ほど見てきた所では、幸い粟も、キビも、刈り入れる寸前まで実っているようでしたから、今日、明日中に刈り入れ、はさ(稲掛け)にかけて乾かしさえすれば、思ったより採れそうだと言う事です。
そんな事言ってないで若旦那様。早く起きて下さいよ。お願いですから」とお兼。

以下次号に続く