No.168 一粒の米にも その3

このお話は、フィクションであって実際の事件、実在の人物とは無関係です

その6

気配でお察しになったのか、お坊さまは振り返られると、お兼の所まで戻ってこられました。そして お兼の頭の上に手を翳される(かざされる)と、静かに経文を口ずさみ始められました。
その瞬間、お兼は意識を失いトランス状態に陥りました。
註:トランス状態・・・・通常の意識が失われ、自動的な活動、思考が現れる、常態とは異なる精神状態。催眠術に掛かった時などにみられる
カクンと頭を垂れると、顔には至高の喜びを浮かべ、涙を流し、身体を小刻みに震わせながら、その読経に聞き入っておりました。
その様子に、お米も又、このお方が、徒(ただ)ならぬお方である事に気づきました。
彼女もまた、そのお坊様の足元にひれ伏し、手を合わせながら、先ほど来の数々の無礼を、心から詫びました。
お坊様の上げる読経の声が、お米の耳に、ひときわ高く響き始めたと思うと、いつの間にかお米は、自分が、突き出た、高い断崖絶壁の上に座っているのに気付きました。
今にも吹き飛ばされてしまいそうな強い風が、次から次へと、断崖の下の方へと吹き下ろしていきます。
傍には、地を這うように生えている、細い小さな松の木がたった一本立っているだけです。彼女は懸命にその木にしがみ付いているのですが、その松は細く、小さく、今にも根こそぎ吹き飛ばされてしまいそうです。
気付くと、目の前には、先ほどのお坊さまが、金色の光を放ちながら、空中に浮かん
でおられました。
しかし、そのお坊さまは、ただ眺めておられるだけで、手を差し伸べて、助けようとはして下さいません。
「先ほど来の無礼の数々をお許しくださいまして、どうか私をお助け下さい。
このままでは(私は)崖から転げ落ちてしまいます。
これからは、尊い貴方様に対して犯しましたこの罪を悔い、生涯、贖罪の道を歩ませていただきます。どうかお許しください」お米は涙を流しながら、謝り、懸命に祈り続けました。

 

その7

すると、「それに掴まっているだけでは、心細いか。・・・怖いか」お坊様の厳か(おごそか)な声が、何処からともなく心に伝わってまいりました。
恐ろしさで声にならず、懸命に頷く(うなずく)お米。
「それが、命のありようなんだよ。生きとし生けるものの命は全て、そのような危なさの下(もと)にあるんだよ。
下手に手を離して動こうとすれば、崖下に転げ落ち、掴まっている枝を強く握り締め過ぎれば、折れて千切れてしまうだろう。
お前が助かる途(みち)は、残っているもう一つの手で、周りの土をその木の根元へと掻き寄せ、掻き寄せ、その木を強く太く育てていく以外にはないのである」
「今の私の足をよく御覧。汚いと思うか」その足は金色に輝いておりました。
首を横に振って否定するお米に向かって、お坊さまは更に話し掛けられます。
「この足も、先ほどお前が汚いと嫌って(いやがって)、いやいや洗ってくれた、あの足と、同じ足なんだよ。
ほら、私の臭いも嗅いで御覧」
お坊様のお身体からは、何とも言えないすがすがしい香りが立ち上ってまいります。
「どうだ、臭いと思うか」
懸命に首を横に振るお米。
お坊様は更に話しかけられます。
「この臭いだって、先ほどお前が嫌って、顔を背けた、あの臭いと全く同じものである。どうだ、今でもこれを嫌な臭いと思うか。」
首を横に振るお米。
「さよう、そうは思わないであろう」
「お前がある物に対して、汚いと感じたり、綺麗と感じたり、また、好ましいと感じたり、嫌だと感じたりするのは、全てが、ただ認識によって生じている、心の問題にすぎない」と言われる荘厳な声が聞こえてまいりました。
その声は更に「お前が今回、私の足を洗う事になったのは、お前は先輩の意地悪によって押しつけられたのだと思っていたであろう。
だがそうではない。それは、必然だったのである」
「今まさに、非道、不幸のけもの道へと迷い込もうとしていたお前を、正道に立ち帰らせ、真の人の歩む道へと、導く為の御仏の慈悲だったのである。
そしてそれは、そうなって欲しいと願っている、信心深かった亡きお前のご両親の切なる願いを叶えるためでもあったのである。
お前は、心の中で、毒づきながらではあったが、それでも手抜きをすることもなく、懸命に私の足を洗ってくれた。
また、私の去った後、自分の行いを恥じ、心の痛みも感じてくれた。
さらに主人に怒られるのが怖いと言う理由ではあったにしろ,私に渡し忘れた喜捨の品々を手渡す為に、懸命にもなってくれた。
そこに、多少の救いをみる事が出来よう。
よってお前には、正道を歩み、幸せを掴むチャンスを、今一度与えることにする。
お前は、これから後も、その右手の不自由さゆえに、幾度となく、差別に苦しむことになるであろう。
しかしそれは、因果の理(ことわり)にのっとり、お前が乗り越えていかなければならないこの世での試練である。
この後、お前を苦しめたり、バカにしたりする人に出会ったとしても、その人を恨んだり憎んだりしてはならない。
そう言った事で差別したり、軽蔑したりする人がいたら、逆に憐れんで(あわれんで)やりなさい。
そう言う行為は、その人自身、自分で、自分の価値を貶めて(おとしめて)いる、可哀そうな人なのだから。
何があろうと、仏を信じ、感謝の心を忘れず、真心をもって人に接しなされ。
その時々、自分のやるべきことをきちんとやっていきなされ。
外見や地位によって、人を差別することなく、困っている人、弱っている人を見かけた時は、どんな人であれ、手を差し伸べ、助け上げてやる為に、その時出来る、精いっぱいの努力をなさい。
中には、真意が分からず、貴方の差し出した手を振り払おうとする人も出てくるであろう。
またお前の力が及ばず、結果として、一緒に泣いてやるくらいしか出来ないことも多々あろう。
しかしそれはそれで仕方がないことである。
そういった事を地道に続けていく事が、(この世において)徳を積むことであり、先ほど申した例えで言えば、松の木の根元に土を掻き寄せる行為なのである。
お前のその手によって救われた者の数が、百と八つの数を越した時、この世においては、お前のその手の不自由さは消え失せ、その手によって、お前自身も、抱え込めないほど大きな幸せを掴むことになろう。
さらにあの世においても、仏の台(うてな)の、最も近い所に座する事になるであろう」という、厳かな声が耳に、響いてまいりました。

 

その8

お米は、うっとりとした顔に、安堵(あんど)の色を浮かべながら、お坊様の足にしがみ付き、涙をぽろぽろ流しながら、伏し拝みました。
しかし祐貞はそれでもまだ、何も気付きませんでした。
祐貞は、馬鹿にしたように、
「お兼、お米、しっかりしろよ。
一体お前ら、何をやっているんだ、真昼間(まっぴるま)から。
こんなインチキ糞坊主に騙されるなんて、情けない」
「何が尊いお方様だ。こんなのただの乞食坊主じゃないか」
「俺が今、お前らの目を覚ましてやるから、よう見とれ」と言うや否や、お坊さまから先ほどのお握りをひったくると、地べたに投げ捨て、それでも足りず、更に、足で踏ん付けました。
お握りは無残にも、へしゃげ、泥の中に、めり込み、泥や泥水が混じり込んで、全く食べられなくなってしまいました。
「ほら、よく見ろ。こんな事をしたって、変わった事なんか何にも起こらなかっただろう。
どうだ、どうだ、これでもこの坊主の事、尊いお方だと言えるのか」
「糞坊主め、仏罰(ぶつばつ:仏の真理に背いたために自然に起きるお仕置きのこと)なんか、おれは怖くないぞ。
そんなこけおどし(見せかけは立派だが中身のない様のこと)は俺には通用せんからな。
罰を当てると言うなら、当ててみろ。ほら、ほら、やってみろ。どうだ、どうだ」
と何度も何度も、お握りの包みを踏んづけ、挑発するかのように、大声で叫び続けました。

次回に続く